無料エリア

山梨県立博物館

砂防ダム等堤体類。

それは演奏施設。

今回は「無料エリア」というタイトルを付けてみた。歌が無料エリアでおこなわれることについて考えてみたい。

まずは河川。河川に立ち入らなければならない。

川が流れていて、堤体が建っていて、堤体下流部の区間があって、また川になって・・・。

砂防ダム等堤体類を抱える河川の構造である。

うち演奏施設として利用される場所は、堤体下流部の区間。自身が「堤体前」と呼んでいる区間である。

日本全体で見たとき、堤体前の99パーセントはその場所に立ち入ることにお金がかからない。

のこり1パーセントについては、釣り堀やキャンプ場などがあって実質的にはタダで入れない区間のこと。

実質的に。とするのは、こういった区間ももともとは国や都道府県の所有物であるから。釣り堀やキャンプ場などは使用認可の下りた、河川の使用者なのである。

堤体前としても、河川全体としても、立ち入ることにお金はかからない。

河川は公共用物。

公共の持ちものであるというのが本来の考え方。

であるならばもっと有効利用していってもいいのでは?

国にとっての、都道府県にとっての、つまりそこに住む日本国民にとっての財産である「河川」がきちんと利用できているかどうか。

河川であそぶこと。

それは権利。

権利をきちんと行使することによって、より身近に、より親しみを持って、自分たちの財産の存在を知ることができるはずだ。

御坂農園グレープハウス

海の家

9月7日、午前11時、山梨県笛吹市御坂町「御坂農園グレープハウス」。

ただぶどうを買う。では面白くないと思った。

「モリヤマです。」

あらかじめウェブサイトで入れておいた予約。

シャインマスカット狩りができるぶどう畑はここには無いらしい。聞けばシャトルバスが入り口のところまで迎えに来てくれるので、そちらに乗り込んでぶどう畑まで行くのだという。

会計を済ませ、シャトルバスを待った。

風通しのよい店内。

賑やかな店内。

きょうは日曜日。

土産物エリアには、ももやぶどうの箱入り菓子、ゼリー、飲料。雑貨、宝飾品がならぶ。

土産物エリアのとなりにはビニールハウス。こちらは飲食ができるエリアだ。

ビニールハウス、壁にはよしず。土の床。床のうえには整然とそろえられたテーブルセットが並ぶ。

どう見ても「海の家」。いや、違う。

天井をぶどうの枝葉が覆っている。ついでにいえば立派に実ったぶどうの房があちこちにぶら下がっている。

客はみな、ぶどう畑の下でガヤガヤ言いながら飯を食っている。

雰囲気は海の家。しかし、ちゃんと見ればやっぱりぶどう畑。

もう9月だというのに。

9月だというのに、この活気。

夏は終わっていない。

ぶどう畑の下で楽しむバーベキューやほうとう。

それはもう美味いに違いない。

なんてったって「みどりの下で」という、このシチュエーションがいい。

みどりの下で過ごすこと。渓畔林の下で歌う砂防ダムの音楽。その環境に似ている。

似ている環境。

で、活況。

その様子を見るかぎり、少なくともこのシチュエーションに心地よさがあることを証明してくれている。

堤体前に立って歌うこと。そのことを商品化するにはまず、この活動自体が普遍的に評価される行為であるかどうかということを販売者側が判断しなければいけない。

売り込む側の人間として。

まずは判断。

イケるのかどうか。

なんとなくいいよね。という感覚を持ってこれまでやってきた。

しかし、その感覚がウソでは無かったのだということを知ることが出来た。それどころか、これだけの活況が見られたのだ。まったく信じていなかったというわけでは無いけれども、大きな自信になった。

良いものが見られたと思う。

この場所に来ることができて良かった。

頭上を覆うぶどうの枝葉
トイレへとつづく廊下もご覧のとおり。
冷却設備は絶賛稼働中。
う~ん・・・、まさしく海の家。
ぶどうのほか桃も置かれていた。
売店で氷水を買い、シャトルバスを待った。

シャトルバスに乗り込む

午前11時20分、シャトルバスの点呼が始まった。

名が次々に呼ばれる。結構な人数だ。

畑に入園するためのチケットは名が呼ばれてから手渡された。

チケットを受け取りシャトルバスに乗り込む。バスに乗り込んだのは十数人。その人数、すべて乗車が済むとバスは発車。御坂のまちをバスが走った。

窓の外は明るい。晴れている。

同じ目的を持った同士のバス移動。なんともいえない安心感がある。

外はいっそう晴れやかだ。

出発からほどなくしてバスは停車。

ぶどう畑に着いたようだ。

バスの運転手の案内にしたがい、バスを降りる。

現地には現地担当の世話役がいた。世話役にチケットを渡すと、ぶどう畑に入ることが出来た。

ここで収穫用のバケツとはさみを渡される。さらに、氷水用のバケツがもうひとつ。収穫用のバケツはピンク色。氷水用のバケツは白色。

世話役に案内され、ぶどう畑を奥にすすむ。

棚の高さは1メートル半くらいか。あまり高いものでは無い。腰を屈めながら歩く頭上スレスレにはブドウの枝葉が張りめぐらされている。

ぶどうの葉っぱ。

これが本当にぺら一枚の葉っぱなのだけれど、一枚あるだけ断然涼しい。確実に太陽からの直射日光を防いでくれている。

ある程度行ったところで世話役が立ち止まった。

「ああいうところに付いている実はあんまり良くなくて、ああいうところに付いている実がいい。」

「あのあたりで食べてる子たちがいるけれど、ホントはああいうところよりも向こうに行ったほうが良い。」

しわくちゃの口もと。古希を軽く越えているであろう世話役紳士の口もとからは、科学的根拠に基づいた美味いぶどう探しの格言がこぼれる。

「色はやっぱり黄色くなったのが甘い。完熟だから。それじゃあ始めて!」

バスで一緒だった十数人がここで解放された。各々、ぶどう畑各所に散らばる。

自身も広大なぶどう畑のうち、世話役に言われたとおりの場所を目指した。

ぶどう畑にはすでに先客がいた。これより前に9時のバス便、10時のバス便がすでに到着していたからだ。そんな中にあって、ぶどう畑には果実袋を傘にした立派なシャインマスカットがいくつもぶら下がっていた。

世話役は言っていた。黄色が甘いと。しかし、どれも同じように見える。さっき見たやつも、いま目の前にぶら下がっているやつも。みな、同じように見える。

色の差があまりはっきりしない。

結局のところ、手に取ったシャインマスカットが甘いかどうかは、口にしてみなければわからないようだ。

選択のパラドックス。

迷っていた。

しかし、そんな思いも好奇心と食欲に後押しされ・・・。

きっと太陽の光の加減で黄色くなったように見えていたに違いない。これは良さそうだというものを一房見つけることができ、茎の付け根からはさみで切り取った。

ぶどうの房。

まずはその造形美を鑑賞する。鑑賞がおわると、実をひとつひとつ外して白色バケツに放り込んだ。

しばらく待った。

しばらく待ったのち、氷水から引き上げたぶどうを口にする。

新鮮なシャインマスカットの味がした。

新鮮なシャインマスカットの味がするシャインマスカットを食った。

シャトルバスに乗り込む。
晴れやかに移動中。
到着!
食べ放題。好きなものを切って楽しめる。
氷水で冷やす。
ぶどうの葉っぱ。これが一枚あるだけで断然涼しい。

暗い空間ではさらに涼しく

新鮮なシャインマスカットの味を知ってしまった。そんな体験だった。

午後0時50分、シャトルバスに乗り、ぶどう畑からふたたびグレープハウスにもどった。

ほうとう食いたかったなぁ・・・。

すでに腹はいっぱい。移動することにした。

御坂農園グレープハウス駐車場にて自家用車に乗り込み、山梨県道311号線を北上する。

本日は夕方のゲームを予定している。残暑きびしい9月のシーズン。まだまだ日の高い時間帯に無理して入渓する必要も無かろう。

目指したのは“箱”。デカくて、コンクリートで。なんてったって“県立”なのだから。

午後1時15分、山梨県立博物館に到着。

有料エリアの次の展開だ。

無料だと体裁がいい。

そんな想いも虚しく、有料施設であるという。

ならば。

せめて県民割引だけでも・・・。

伸びた背筋に、目線は高く。意気揚々、受付カウンターに向かって歩いていったところで入館料は県内外、どこのお国であろうが居住地問わずで一律料金だという。

現金決済。

館内は期待に応えてくれる涼しさだった。冷房設備によって強制的に冷却された快適な空間。いちばん奥の広い展示室はプラネタリウムのような雰囲気で、照明を抑えた暗い展示室。

暗い空間ではさらに涼しく感じた。

もういいや。

わずか30分ほどで退館。

内容は悪くないのだと思う。相性の問題というだけ。

歴史ものは得意じゃない。過去を振り返っていたって何も変わらないと思っているからだ。

博物館のエントランスから外に出る。博物館敷地内にある「かいじあむの庭」が見たかった。庭の一部にはドングリの森というタイトルが付いていて、ところどころ樹名板の付いた木を見ることが出来た。

ドングリの森ではシラカシ、クヌギ、コナラのどんぐりを拾うことが出来た。

館内は涼しく。
しかしまたすぐに外へ出てしまった。
かいじあむの庭
シラカシのどんぐり
クヌギのどんぐり
コナラのどんぐり
イワテヤマナシ
ムクロジ

御坂みち

午後2時55分、堤体に向かう。

山梨県道311号線を南進。ふたたび御坂農園グレープハウスのまえを通り、「栗合」の五叉路信号交差点。直進通過し、山梨県道34号線をすすむ。

山梨県道34号線、両脇にもも、ぶどう農園を見ながら進むとやがてあらわれるのが「若宮」信号交差点。

若宮信号交差点で右折し、国道137号線・通称「御坂みち」へ。

この御坂みち。きつい登り坂をともなう3ケタ国道はおおむね直線的に伸びている。登り坂でありながら、しかし直線的。ややも強引に引いたのかという登り直線道路では、走行性能に劣る車両のため登坂車線が用意されている。

直線的、かつ片側2車線となった道路はバイパスの雰囲気が強く、山の快速道路といった感じ。

しかしこれが困ったもので、走行するのが令和現代の車。飛ばすように走る車が多いのだ(いまは軽だって速いぞ!)。そのためか、馬力面だけでなく精神面でも少々疲れてしまう。

登り地獄。そんなときには。

まさに地獄に仏。国道の両脇には駐車場付きの土産物屋がならんでいる。

取扱品目は、もも、ぶどう、焼きとうもろこし。

走ることに疲れてしまったらこちらに逃げ込んでしまえばいい。

運転の休止、糖分摂取で疲労回復ができるであろう。

御坂みちにもどる。

道はやがて「ドライブイン黒駒」「藤野木直売所」を過ぎたあたりで登坂車線が終点をむかえる。この登坂車線が終点をむかえた直後、左折分岐箇所(山梨県道708号富士河口湖笛吹線)があらわれるので左折。

左折から入って600メートル。道の左側にあらわれた駐車スペースに車を停車させた。

山梨県道34号線沿いは果樹園が連続する。
御坂みち。登坂車線を登る。
逃げ込んでみたのだったが・・・、
これは大誤算!というか遅すぎた。
登坂車線が終点をむかえた直後、左折分岐箇所があらわれる。
駐車スペース入り口

上流側にも下流側にも堤体が

午後3時半、駐車スペースに車を停車させると本日入渓する金川(かねがわ)が確認できた。

渓相は堆積地。

よく見れば、堆積地には上流側にも下流側にも堤体が確認できる。

上流側には堤高8メートルの堤体、下流側にも8メートルの堤体。

どちらに入るにしても所要時間に大差は無い。しかし、より手軽にあそべるであろう堤体は上流側。こちらはなんといっても車から降りてすぐのところに立てる点(立ち位置)が良い。

一方の下流側の堤体は、さらにもう一つ下流の堤体約10メートルも合わせて合計およそ18メートルという高さ。この高さが魅力的だ。

高さのあるダイナミックな堤体を相手に楽しむことができる。

時刻はまだ夕方4時まえ。時間的余裕がある。下流側の堤体に入ることに。

入渓の準備をおえたあと、堤体側面の斜面を降りてゆく。片手に一本携えた登山用ポールの補助にたよれば3本脚で斜面を降りているも同然。より安定したかたちで斜面を降りてゆくことができる。

午後3時55分、斜面を降りきり堤体前へ。

堆積地上流側の堤体
そういえば前週は台風が通った。
ミズナラのどんぐり
堆積地の下流側へ
上段8メートルの堤体
中段6メートル、下段4メートル。合計10メートルの堤体。
堤体は三段あわせて約18メートル。

良くも悪くも

上段8メートル、中段6メートル、下段4メートル。合わせておよそ18メートルの堤体。

中下段の堤体はいくらか水が地下に向かって逃げているようで、上段に比べて水が少ない。

よく見れば、中下段より10ヤード程度下ったあたり。そこに、水を排出する配管出口が確認できる。

堤体をきっかけに取水が行われるというのはよくあること。

水の利用目的としては、簡易水道や農業用水ということが多い。

建設当時は、ここよりさらに下流にむかって配管が伸びていたか?残念ながら、堤体下流部というのは、河床とそこから左右両岸に向かっての斜面が非常に不安定になりやすい。

せっかく配管をきれいに施工したところで、斜面の崩落等が起こり使用不能になってしまうケースが圧倒的に多い。(使用不能となった下流部分はすでに撤去されたと思われる。)

堤体本体より上流側に文化財等を抱えている場合、効果的にはたらく場合もあるが、下流側はその逆になりやすい。

堤体のすぐ下流に大事なものが置かれるという位置関係を作ってはいけない。ほとんどの場合において河床低下が起き、それにともなう斜面の崩落が起きる。崩落するリスクはむしろ自然河川の時よりも高くなる。

河床低下が起きること。このことによって堤体下流部には「部屋」のような空間ができる。自身が演奏施設として利用する空間はこうして作られるのだ。

良くも悪くも河床低下。その原因をつくっているのは紛れもなく砂防ダム等堤体類なのである。

上段にくらべて中下段の水が少ない。
まるでみどりのトンネルのよう。
渓畔林のゾーンが川の中央部に近い。
これだと木に対して直接、声があたりやすい。
石がゴロゴロしている割にノイズは小さめ。

ジンクス

自作メガホンをセットし、声を入れてみる。

鳴っている。

昭和59年製、中下段の堤体より下流は河床低下によって急激にV字に切り込んでいる。

急激なV字切り込みにより、左右両岸からは落石が多数発生。その落石をかすめるように水が流れているが、水との摩擦はさほど大きくないようでノイズは小さめ。平穏に流れている。

立ち位置からは「ななめ撃ち」の格好になってしまっている。(堤体を真正面に見ることが出来ず、ややななめ向きに角度が付いてしまっている状態。)これも堤体前が急激にV字に切れ込んでいる影響によるもの。

状況としてはジンクス的な意味合いが強い。

響き得られず。という経験が多い。

しかし、今日のこの場所はよく鳴ってくれている。

約18メートルという高さが声をしっかり受け止めてくれている。

渓畔林のゾーンが川の中央部に近く、声を受け止めやすい状況にあること。

全体的にノイズが小さめなこと。

風が吹いていること。

ななめ撃ちの格好ではあるが、プレーヤー側にとって有利な要素がいくつも重なっておりジンクスを打破できている。

銘板(上段の堤体)
方位は南南東
風は断続的に吹いた。
上段までの距離
中段までの距離

堤体前を学ぶ

結局、この日は午後6時まで堤体前で遊んだ。

堤体前の環境というのは「自然まかせ」の性質が強い。

水が多い。水が少ない。

葉っぱが多い。葉っぱが少ない。

風が強い。風が弱い。

また、自然現象によってもたらされた空間を演奏施設とするため、場所そのものについては偶然的に作られた形をしている。

急激にV字に切り込んでいる。

落石が多数見られる。

渓畔林のゾーンがこうなっている。

専門の設計者がいて出来上がった空間では無いということ。

したがって、見た目がよくないとか響きがよくないといったことが当たり前に起こってしまう。

もちろん逆もある。見た目よし。響きよし。

演奏行為のあとには必ずといっていいほど評価がおこなわれる。演奏施設に対する評価。その評価が安定しない。

無料エリア。が、今回のテーマであった。

無料の良さとはなんなのか。

気軽に行くことができる。

だれでも行ける場所になる。

富裕、貧困問わず誰でも受け入れてもらえる場所になる。

予約システムを生み出さない。予約システムを生み出さないことは独占者の発生を防ぐ。

独占者がいないことによってオープンな場になる。

オープンな場ができることによって、プレーヤー同士の交流が生まれ、プレーヤーは情報を手に入れることができる。

無料であることによるメリットはじつに多い。

管理者不在(演奏施設としては)。ゆえに管理そのものが一切無く、一演奏施設として評価は安定せず。しかし、上記のようにメリット多数。無料であることに価値がある。

現況無料。ならば将来的にも・・・。

堤体前は無料でありつづけてほしいと思っている。

そういった思いのなかでの今後の課題、改善点。あるとすれば、堤体前に幅をもたせること。

「自然まかせ」で出来た場所だけでなく、人工的に整備された堤体前というものがあってもよいのではないか。

見た目においての専用設計。

響きにおいての専用設計。

レクリエーション施設としての専用設計。

ほかにも演奏施設としてコレを備えていたらいいなぁという専用設計。

まず第一歩として。

まず第一歩として、理想の演奏施設をイメージできるようになりたい。

ただ闇雲にコンクリート打ってみた。木を植えてみた。水を流してみた。奇跡を信じてみた。では、うまくいかないだろう。

どんな風に作れば、良き演奏施設になるのだという理論を人類として手に入れること。これが最初の目標だ。

必要な人員は。

研究者の存在。

演奏施設の研究者が育つこと。

これこそが重要。

研究者はまず、既存の堤体前をどんどん活用し、学ぶ。

とにかく「歌ってみる」という実践を通じて、堤体前を学ぶ。

見た目について、響きについて、またそれらがプレーヤーにおよぼす心理的作用について。

レクリエーション施設づくりとしてどうあればいいのか。周辺業界からも学ぶ。

もちろんこれらは研究者のみならず、演奏施設を作る「設計者」にも必要な学びである。

多くの学びをもとに演奏施設としての堤体前が研究され、そのバトンを引き継いだ設計者によって演奏施設としての砂防ダム等堤体類が建てられる。

そんな未来があってもいいかもしれない。

われわれ日本国民にとっての財産である河川。

この財産を演奏施設として利用していくことができる。

河川であそぶこと。

それは権利。

だったら、

河川で歌うこと。

それも権利。

権利をきちんと行使することによって、より身近に、より親しみを持って、自分たちの財産の存在を知ることができるはずだ。

フサザクラ
クマシデ
タカノツメ
オオバアサガラ
ツノハシバミ
ヤマグワ
「歌う」ことで学びはうまれる。

戦略

戦略

過去のエピソードのことを書くようで申し訳ない。しかし、今回はそのときのリベンジともいえるゲームである。

山梨県都留市、戸沢川に入渓したのが今年の5月のこと。その方位、ほぼ真東の堤体を相手に朝日のゲームに挑み、失敗をしている。

あれから3ヵ月が経った。

もう8月も下旬。あと1ヵ月ほどで秋分の日をむかえる。

日の出、日の入り。ともに日を追うごとに太陽はどんどん南方へ向かっている。挑むならば、朝日のゲームもそろそろラストチャンスかな。と感じていた。

来年まで待とうか?とも考えた。

いや、だめだ。

今年中にやってしまおうということになった。

午前中に良い成果が上げられれば、未来へ希望が持てるようになる。そのことを知っているから。

ほんとにほんとに不思議なんだけれども。

未来へ希望が持てるようになる。

究極のゲーム。

朝日のゲーム。

リベンジに行ってきた。

「duckアヒルちゃん」の乗り場

duckアヒルちゃん


8月18日、山梨県南都留郡富士河口湖町。

午前4時。まだ夜明け前の河口湖。風浪の無いしずかな湖面。少し遠くには河口湖大橋の橋灯が見える。

湖面に浮かぶのは「duckアヒルちゃん」。

桟橋で待機するduckアヒルちゃん。あとこれから数時間後には湖上での接客が待っている。湖上をプカプカ右往左往、人間どもを遊ばせるのがduckアヒルちゃんの仕事だ。

待機中のduckアヒルちゃん。

今日はどんな接客が?

富裕層がいいか?

金持ちで、時間にシビアで、ちょっと乗ったくらいで「もういいでしょ」と漕ぐ足ををゆるめてくれるような紳士、淑女がいいか。

嫌に決まっている。ガツガツした野郎は。

ゲラゲラ笑いながら、ぶっ壊しかと見紛うくらいにペダルをグイグイ踏み込むようなヤツ。ハンドルは無理に回すな~

ライバルは同僚の「トムキャット」。

モーターボートは湖上を華麗に滑走する。もちろん運転手付きの高速客船は、河口湖の風景をガイドまでしてもらえる。

風を切って優雅に。

高速クルージング。

かたや。

かたや、足こぎのペダル。

こちらはゆったり、スローに。

河口湖の湖上をプカプカクルージング。

モーターボートほどの派手さはありませんが、軽い運動をしながら思い出作りができますよ~

来湖の際はぜひ河口湖遊覧船天晴まえ、duckアヒルちゃん乗り場へ~

出廷を待つduckアヒルちゃんら

押し寄せている!


午前4時50分。湖畔をちょっと移動して「浅川温泉街」バス停まえにやってきた。

河口湖湖畔としては最東部に位置するこのエリア。ここには町内最大の旅館街が形成されている。

「霊水の湯」を源泉とする浅川温泉の旅館街。

ワンド状になった湖畔に寄り添うようなかたちで大型ホテルが立ちならぶ。その姿は圧巻だ。

宿の付加価値が高まるのは、温泉のみならず、河口湖のレイクビューを兼ね備えること。

窓から、テラスから、露天風呂から、とにかくレイクビュー。

強者はさらにすごい。

河口湖の湖面を南に眺望することができる数軒の宿は、レイクビューのみならず、加えて富士山をも眺望に収めることができるのだという。

これぞ日本の景観「富士山」となれば、人気の宿になってしまうことは想像に難くない。一体どんなものかとネットの画像、クチコミを拝見してみれば、もはや隠しようのない盛況ぶりである。

聞いてはいたのだけれど。

外国人が押し寄せている!

そんな噂は山梨に住んでいれば勝手に入ってきていた。

日本人だけではないらしい。失礼。”海外からのお客さん”だけではないらしい。

温泉街各ホテルは戦略もさまざま。宣伝広告をガンガン打っているところもあれば、沈黙とともに勝負する宿もある。

黙っているのも戦略。静寂とか閑静といった空気感を売りにしたいという宿・店もあるであろう。しかし、外圧である。相手は。押し寄せる人。制止のさせようが無い。

成田経由、関空経由、羽田経由。紆余曲折経て、しかしこの地に間違うことなく集結するという状況は、想像するともはや怖いぐらいである。

宿泊希望者以外は、日帰り客となって押し寄せる。旅館街と言ったって、観光施設は宿だけではないのだ。

コントロールなんてしようが無く、賑やかになってしまう。

盛況すぎる状態というのも、それはそれでいろいろと苦労があるような気がする。

「浅川温泉街」バス停まえ
湖面を南に見る旅館・ホテルは強い。
富士山を同時に見ることができるからだ。
旅館街からは河口湖大橋も近い。

大石公園

午前5時20分。河口湖の北西部、富士河口湖町大石にやってきた。

降り立ったのは大石の有名観光スポット「大石公園」。大石公園といえば、初夏のラベンダー。そしてこれからは秋の紅葉シーズンのコキアが有名である。

まだ夜が明けて間もない湖畔庭園はラベンダーの存在感が強かった。

淡い灰色混じりの紫は、花とすれば終盤。しかし、その厚みのある香りからは花としてまだまだ終わっていないという主張が感じられた。むしろその生命感に感心させられた。

香りラベンダー。造形はコキアが担当する。

綺麗な球体に育て上げられたコキアがこれまた見事であった。庭園上、等間隔にならべられたコキアが富士山、湖面、湖面対岸の景色とマッチする。

この視界のなかに無機質な直線景色は存在しない。建造物などによって破壊されることの無いやわらかな景色は多くの人々の心を癒やすであろう。

色付いていない状態のコキア。しかし、これで十分なのだ。自身もホームセンター店員時代には関わりのあった植物であるが、これを商品として扱うとき、つまり店頭にならべる段階でまだ葉は色付いていない。

緑色の状態で売る。緑色をしていても、売り場を歩くお客からは感嘆の声が上がる。独特の球体フォルムが人々の心を惹きつけるのであろう。

秋の紅葉シーズンがいいというのもたしかに言えるかもしれない。だれしも限定という言葉には弱い。秋にだけ赤く色付く。だからみなさん秋に来てね!という戦略。しかし、実体はそれ以外でも全くもって楽しめる植物「コキア」である。秋まで待たずとも大石公園は十分楽しい。

大石公園もまた富士山をのぞむことができる。
綺麗な球体に育て上げられたコキア
葉はモフモフ系だ。
厚みのある香り。ラベンダー。
淡い色好きにはむしろこの位のほうがいいのかも。
大石公園に隣接する「河口湖自然生活館」
残念!まだ開店前。

すでにかなり明るい

午前5時半、車に乗り込み堤体に向かう。

砂防ダム音楽家、森山登真須。本日は、朝日のゲームである。まずは朝、日の出まえの時間に堤体前に立つことが重要だ。

大石公園を出発し、山梨県道21号線を東進する。長崎トンネルをくぐり、「広瀬」の信号交差点を直進でぬける。

すでにかなり明るい。

堤体前の日の出に間に合わないかもしれない。

焦る。

しかしこんな時こそ住宅街の道は避け、なるべく太い道を行く。

音楽と森の美術館まえを通過。「林の橋」をわたり、直後の信号交差点で左折。

道なりにすすみ、国道137号線に突き当たったところでもう一度、左折する。

新御坂トンネル方面に向かって北進。道は峠の茶屋・天下茶屋分店まえが注意カ所。当該カ所のきつい左カーブも越えて山道を登っていくとやがてあらわれるのが「新御坂トンネル」。新御坂トンネル手前の分岐では右折する。

道はかわって山梨県道708号富士河口湖笛吹線(旧国道137号線)。ぐねぐねと曲がる旧道は対向車に注意しながら登っていく。道は2.8キロほど登っていったあたりで左手に土場があらわれる。ここは林業者用の作業スペースなので通過し、直後の左カーブを過ぎたところ(道幅の広くなった)に車を置いた。

音楽と森の美術館まえ
国道137号線は左折(北進する。)
峠の茶屋・天下茶屋分店まえの左カーブ
新御坂トンネル手前分岐にて右折する。
土場(画像左端)

美堤

車から降りて入渓の準備。

ここ最近はクマ出没のニュースが多い。熊鈴、ホイッスル、熊スプレーの3点セットを持ち出す。

あとは、登山用ポール。熊の成獣相手にアルミの登山棒では非非非力なこと此の上ないが、丸腰で闘うよりはあった方が良いはず。

午前6時10分、歩きをスタート。

さきほど車で通過した左カーブまで戻り、2本のカーブミラーのちょうど中間あたりのガードレールを跨いで越える。

すると、下り斜面のしたに石積みの堤体を見つけることができる。この石積みの堤体に向かって斜面を降りる。

石積みの堤体に乗ることが出来たらいよいよ「西川」に入渓する。

入渓の直後に知ることができるのは、美堤の存在。弁当箱大の乱石が等間隔に嵌めこまれたコンクリート堤は平成7年度製の谷止工。

放水路天端の横幅は長く、上流からの流れをしっかり左右に分散できている。

水が乱石に絡まりながら落ちていく様子はなんとも美しい。渓畔林もしっかりとした渓流区間で、そのみどり鮮やかな枝葉の下で過ごす時間は至福の時となるであろう。

しかし、惜しくも。

惜しくもこの堤体は巻いてしまう。

本日のゲームは朝日のゲームなのである。

堤体の方位というのが戦略上、合っていない。おおよそ北東向きに構えられた堤体では太陽の軌道との相性が良くない。

本当に本当に惜しいのだけれども、この美堤はパスすることとし、さらに上流を目指した。

午前6時半、美堤を巻いて堆積地に乗ることができた。目的の堤体は直後にすがたをあらわした。

2本のカーブミラー
斜面下の石積みの堤体
石積みの堤体上へ
入渓直後のようす
美堤。谷止工。
惜しいが、巻く。
堆積地へ
目的の堤体に到着。

水が少なく見える

水はきれいに落ちている。

この堤体もまた放水路天端の広い谷止工である。

流れをしっかり左右に分散できていて、とくに水が集まって落ちているようなカ所は見受けられない。

さきほど巻いてきた美堤よりも落ちる水が少なく見えるのは、

①目の錯覚

②地表水と地下水への分岐

いずれかが原因である。②についてはよくあることで、土砂で一杯になった堤体であっても水ははるかそれより下をくぐり抜け、堤体本体のコンクリート最下部よりもさらに低くなったところをやはりスルリと抜けて下流へ続く。

水が堤体を上から下から越えることになるので、ときには(水が)少なく、ときには多すぎずでちょうど良いという状態を作ってくれる。

本日見たかぎりでは水が少なく、もの足りなさを感じる。

その理由が①にあろうと②にあろうとベストな状態とは言い難い。

堤体水裏斜面を白泡たてながら、もっと分厚く落ちてくれている状態の方が周囲の景観にマッチしてくれるはずである。

もっともそんな状態をお望みでなのであれば、降雨後のタイミングにおいてこの堤体前に入れば良いわけであるし、しっかり地表水となって落ちている堤体前でやりたいのならば、先ほどの美堤を選択することだってできる。

砂防ダムの音楽というのは、堤体の選択ふくめたゲームなのである。

この時期、この時間帯、この一週間どんな雨が降った。そういった情報をもとに、どこの堤体に行ったら良いのかな?という予測をし、それにともなう選択をすることからゲームが始まる。

水が少ない物足りない!じゃなくて、プレーヤー自身の予測が甘かったからここでやらなければならなくなったとするのが妥当。

水は増やせない。

それが堤体前。

まずはそこに今日、行くのかどうか?

戦略を立てる。

動くのはプレーヤー自身。責任もプレーヤー自身。

責められるべきは甘い予測をしてしまったプレーヤー自身なのである。

堤体前。右岸側。
左岸側。
二段のナメとさらに奥には大石。
落ちる水が・・・、薄い。
渓畔林の濃い堤体前だ。

ノイズと声と

ともあれ、堤体の方位は戦略上あっている。

90度。真東方向を向く谷止工の堤体前に立ち、朝日がのぼるのを待った。

午前7時20分、急上昇!朝日がのぼった!

自作メガホンをセットし、声を入れてみる。

渓畔林のなかで声がここちよく鳴っている。

二段のナメと大石の向こう。高いところにある堤体までしっかり声が入れられていることがわかる。

50ヤードの距離を隔てた自身と谷止工の空間のなかで確実に声が響いている。

水がもの足りないといった堤体前。しかし、水は幾重にも連なる段差を越えながら確実にノイズを発している。

ここは音楽ホールではない。スタジオ、ライブハウスでもない。河川の渓流区間である。つねに水によるノイズが鳴っている。しかし、こんなところでも音楽というのは楽しめてしまうものなのである。

朝日がのぼった!
風は計測不能の微風
立ち位置の最大値は~70ヤードくらい。
真東!朝日のゲームにはこの角度!
堤体の種別は谷止工(たにどめこう)
リベンジはうまくいった。

戦略を立てる

結局、この日は午前11時まで堤体前で過ごした。

満足度の高いゲームが出来た一日であった。

高い満足度につながった要因としては川、森、太陽の三者による景観の良さが大きい。

朝日を真正面に見るなかで、堤体水裏にはしっかりとした暗がりができていた。

太陽が強く照らしている空間における影の強さ。それをしっかりと確認することができ、集中して歌に取り組めた。

今後の課題としては、「もの足りない」とした当日の水量について、もっとしっかり予測をしてから入渓するようにしたい。

景観が良かった堤体前も、落ちる水がよりたっぷり、より分厚かったらさらに良かったのではないか。

これはもっと(当日の状況より)水が多い状態が理想的だったのかという仮定。

悪いもので、自身が実績を経ていない仮定のはなしである。

現実には水が増えたときに、ノイズと声とのパワーバランスが変わってしまうケースが考えられる。

歌おうとするときの気分の高まり。

景観によって歌い手の心境に変化がおとずれるのは良いこと。しかし、声がきちんと響いてくれるかどうかというところで、本日のようにはうまくいかなくなるかもしれない。

予測。

しかしこれが難しく、また面白い。

水は増やせない。

木は増やせない。

太陽は好きな位置に変えられない。

それが堤体前。

まずはそこに今日、行くのかどうか?

戦略を立てる。

動くのはプレーヤー自身。責任もプレーヤー自身。

楽しめるかどうかはプレーヤー次第である。

フサザクラ
イヌブナ
コハウチワカエデ
ミズナラ
キブシ

ここがまた遊び場に

道の駅どうし

いよいよ夏休み。

梅雨も明け、アツいアツい季節がやってきた。

夏休みといえば、

勉強?宿題?自由研究?いや・・・、

そうだ!

山に行こう。

あの山に。

あの川に。

道の駅どうしからすぐの吊り橋「かっぱ橋」

まずは道の駅の南側

7月20日午前8時、山梨県南都留郡道志村「道の駅どうし」へ。

まずは道の駅の南側。

あの川は?

あった!

道の駅のすぐ南側。道志川。

およそ30メートルほどに区切られた護岸。護岸からスロープを伝って下ると道志川の川原に降り立つことができる。

公式にも「川あそび場」と名付けられたこの施設。これからの時期は川遊びスポットとしてハイシーズンを迎える。

当地の標高はおよそ700メートル。700メートルとは言っても晴れた日は暑い。現にこの日は午前8時時点で気温が28.2度。

道の駅側、護岸上から見下ろすとすでに何組ものグループが川にいた。水浴びだけでなく、川原で日向ぼっこという手もあるようだ。

賑わう道志川の川原。

川沿いに立地した観光施設といえば、これまで幾つも見てきた覚えがあるところ。しかし、ここまで”川に近かった”ところはなかなか記憶にない。

パンフレットやホームページ上では「川のせせらぎ~」などと言っておきながら、実際当地では「立ち入り禁止」と、川への侵入を抑止しているようなところが多い。

ここでは川で遊ぶことをOKしている。当たり前に。

その育ちの違いからなのか。

川に対する感覚の違いからなのか。

これをあたりまえにやっていいと言ってもらえる。

村人らの英断に感謝!

あと、これまでマナーを守って利用してきた先人たちにも感謝したい。

かっぱ橋から

道の駅の北側

つづいては道の駅の北側。

道の駅の北側は国道413号線から接続する駐車場がある。

ここがまた遊び場に。まぁ、こちらは大人たち限定なのだが。

排気ガスとタバコのけむりが薫るのはバイク駐車場と喫煙スペース。

とくに駐車場に関しては「ライダーの聖地」の称号を得た、道の駅どうしのバイク駐車場である。

この日も朝からすでに駐車場は大混雑。ナンバープレートによれば、国は首都圏方面が多いようだ。

同じ趣味を持つ同士談笑したり、バイクの写真を撮ったり。駐車場内の雰囲気は非常に明るい。

ここまでの賑やかさを裏付けるのはライダーの聖地というネームバリューだけでは無いだろう。

駐車場の目前を走る国道413号線は西(起点)に富士吉田市上吉田を見、東(終点)に神奈川県相模原市緑区を見る。

神奈川県相模原市緑区(終点の位置)の標高が136メートル。富士吉田市上吉田(起点の位置)の標高が992メートル。

最高地点、標高のもっとも高いところは、南都留郡道志村~南都留郡山中湖村に抜ける山伏トンネル内で1095メートル。

136メートルと1095メートル。単純計算の標高差は959メートル。高低差を埋めるようにつづく坂道は当然のことながら一直線にならず、緩急のカーブを描く。

沿線の途中には城山ダム、津久井湖、青野原野呂ロッジキャンプ場(CM、ドラマ等の撮影地)、両国橋(神奈川・山梨両国境の橋)、道志川温泉紅椿の湯、道志村内各キャンプ場、山伏トンネル、山中湖、忍野八海、北口本宮冨士浅間神社など観光名所多く、また内容的にもバリエーションに富む。

道そのものに走り応えがあり、なおかつ途中たち寄って遊ぶのにも事欠かないロードとなれば、ライダー各氏から人気が出るのは当然のこと。しかし、それだけの競争相手がいるなかでこの道の駅がぜんぜん負けることなく勝負できているという事実。これがあるのもまた確か。

一体、なにがそんなにもライダーたちを惹きつけるのであろうか?美しき自然景観?おいしい山の幸?川の幸?水?温泉?

自身はバイクに乗らない。したがってその理由を知ることがない。

ライダーの聖地。道の駅どうし

人生中間駅

午前9時、道の駅内の商業スペースが開店した。

さっそく中に入ってみる。

入口すぐには地元産野菜のコーナー。中間には物産コーナーと観光情報コーナー。一番奥には飲食スペースである「手づくりキッチン」。

手づくりキッチンではふるさと山菜そば、たらこのパスタ、カツカレー、鮎めしなどどれもウマそうなメニューが。

ついつい。いや。

ここは我慢。

今回はこの道の駅にほど近い「きく家」でソースカツ丼を食べると決めている。こちらは約2時間後の午前11時にオープンとのことなので、それまでは食べ物をひかえることにした。

手づくりキッチン側のドアから屋外に出て、ベンチに腰掛ける。

外はバイクのエンジン音で賑やかだった。と、人一倍ド派手に鳴らすライダーがあらわれた。かと思えば、そのライダーはやがてどこかへと居なくなってしまい、またどこからか別のド派手なライダーがやってきた。

元気に入場するライダー。

一方ではどこかへと消えていくライダー。

ちょっとうるさいくらいは若さの象徴?!

入れ替わり立ち替わり。

駐車場交代。

世代交代。

ここは人生中間駅。

道の駅どうしは永遠に。

飲食スペースである「手づくりキッチン」。
ライダーの聖地らしい設備。
8月23日は花火大会であるという。
外に出ると一転、賑やかになった。
入れ替わり立ち替わり。
この活気は永遠に!

道志の湯へ

午前11時、きく家に立ち寄る。

甘だれの~とんかつぅ~

期待に違わぬウマいソースカツ丼を堪能することが出来た。

正午、道の駅どうしを出発。国道413号線を東進し、道志の湯に向かう。

午後0時45分、道志の湯に向かう途中「道志養魚場」まえで途中下車。

車道の上からヤマメ、ニジマスを見た。

その後、ふたたび車に乗り込む。

午後1時10分、道志の湯に到着。

肌がベタベタしている。ここはひとつ湯に浸かって、シャツも着替えてリフレッシュすることにした。

源泉17.8度の湯は37度~40度に加温済み。山梨温度としてはちょっと高めかな?

午後3時15分、道志の湯を出た。道志の湯にほど近い「室久保農村公園」を少し覗いてから車に乗り込み、上流方面に向かう。

午後3時35分、「的様」に到着。頼朝矢射り伝説の地をしばし見学。

午後3時45分、的様より上流100メートルにある駐車スペースに到着。車を駐車する。

きく家のソースカツ丼
道志の湯に向かう。
道志の湯へは東進。
つまり神奈川方面に下ったということだ。
「道志養魚場」まえで途中下車。
養殖池
やまめぇ~
にじますぅ~
にじますぅ~
道志の湯へ
温泉でリフレッシュできた。

一瞬ドキッとさせられ

車から降りて入渓の準備。

足もとはウエーダーで固め、上半身には長袖シャツを着る。さらに計器類の入ったフローティングベストを長袖シャツの上に着用し、頭にはヘルメット。手にはグローブと登山用ポール。

夏なのだけれども慎重装備。

妥協することなく安全かつ機能的な装備に身を包むことは、先ほど多くのライダーたちから教えられたことだ。

午後4時10分、的様の少し上流にある「室久保川堰堤」堆積地から室久保川に入渓する。

入渓直後にわかるのはこの川が白砂の川であるということ。このようなタイプは山梨県内、他の河川でこれまでいくつか確認することが出来ている。しかしそれらの多くは山梨県内国中地方での出来事で、川の系統としては富士川に属する川ということになる(富士川水系の川)。

かたや室久保川。川の系統が相模川に属する(相模川水系の川)本川がこのような状態にあることは非常に興味深い。

水利用に関していえば圧倒的に隣国、神奈川との関わりが大きい道志村の川であるところ、しっかり山梨らしさを見ることができる。

アウェー感が和らいだ。

遡行を開始する。

遡行直後の渓畔林区間。

川は渓畔林の多いところでは暗くなり、少ないところでは明るくなる。

渓畔林の多いところ。

プラス、

午後4時すぎという時間情報。

一瞬ドキッとさせられ。

なんといったって目の前が真っ暗なのだ。

午後4時に堤体前にたどり着くことが出来ていないのはヤバいだろと錯覚。

いや、これはもちろん冬至前後だったら本当にタイムオーバー。しかし今は7月だから全く問題ない。

それにしても月日がしっかり意識できていたところで、いかにも天候が急変しているかのように見えてしまうのは困ったものだ。

空の状態がわからなくなり混乱する。

対処法としては、渓畔林の多い区間を越えることしかない。

逃げるように遡行する。(←変な文章だ。)

やがて渓畔林が少なくなると、空の明かりを見ることが出来た。

遡行をつづけ午後4時半、室久保沢堰堤に到着した。

入渓点。「室久保川堰堤」堆積地
室久保川は白砂の川だ。
遡行を開始する。
こんなところはドキッとさせられる。
明かりを取り戻した!
堤体前着。(室久保沢堰堤)

適度に採光する堤体前

水はたっぷりきれいに落ちている。

放水路天端の左右いっぱいに広がった水は堤体水裏斜面にたよることなく若干投げ出されるように落ちている。

水の落ちた先には水タタキ。水は水タタキを経てから護岸上に厚さ数センチほどの水面を形成し、護岸下流カドにて堤体本体から離れる。

主堤、水タタキ、護岸下流カド。いずれの区間でも水は偏りなく美しく流れている。

渓畔林はフサザクラ主体にオオモミジ、ケヤキ等が混じり。

主堤から40ヤード下流のあたりにだけ渓畔林の切れ目ができているのは右岸の樹木の倒木によるもの。

ここから適度に採光するため堤体前は若干明るい。河床を覆う白砂によって採光は反射し、渓畔林の枝葉を下方からライトアップしている。葉のライトグリーンが心地よい。

本日は夕方ゲーム予定で堤体前にやってきた。

採光が徐々に失われ、あたりが徐々に闇に落ちていく様子を見ながら歌うことができそうだ。

夜が近づくにつれ変化する堤体前の景色。時間の経過とともにそんな景色が見られるのは屋外で展開する音楽ならではの楽しみだ。

水はたっぷりと
絶え間なく落ちる。
護岸上をサラッと抜けていく。
護岸下流カドから落ちるところ
葉のライトグリーンが心地よい。
オオモミジ
ケヤキ
フサザクラ
イタヤカエデのなかま
渓畔林の切れ目を見上げる。

点では無く線になる

立ち位置に設定したのは主堤から47.5ヤードの位置。

自作メガホンをセットし、声を入れてみる。

声が還ってきていることがわかる。しかし、これは響いているという最も心地よいものではなく、単純に声がはね還ってきているという感じ。

渓畔林の豊かな堤体前で期待するのは樹木による反響板効果。樹木が反響板として作用し、声をはね返してくれている状態だ。

もちろん板に向かって声をあてているのではない。

板ではなく、何本もの樹木から構成される林が相手になっている。

歌い手から見て手前側、中間側、奥側。それぞれ異なる距離に立つ木が反響作用することによって、歌い手のもとに戻ってくる時間に差が生じる。手前側は早い。奥側は遅い。

歌い手に還ってくる音は僅かな差を持つことによって、点では無く線になる。音は僅かに長く伸びたように聞こえるようになる。

しかし今日は渓畔林がうまく作用していないのか、そうは聞こえない。渓畔林にうまく声を当てることができていないというのだろうか?

方位は南南東。
距離は47.5ヤード。
当日は~1.0メートル程度の風が吹いていた。
銘板

遊びにすることの強さ

結局、この日は午後7時まで堤体前で過ごした。

砂防ダム等堤体類をまえに歌うこと。

「歌う」という行為は学校教育の一部にもされているから、とかく「学問」にされがちである。しかし、これを自身、遊びとして取り入れるのが一番良いのでは無いかと思っている。

遊びであるからいい時間にしたいし、うまくいくようにやりたいし、真剣に取り組みたい。

今回は堤体前での実践から帰ってきて、「ここがまた遊び場に」というタイトルを付け、本投稿を作成した。

あらためて思うのは、遊びにすることの強さ。

堤体前までやってくること。やってきて成功させるためにいろいろ工夫すること。

遊び。

だから、

一番大切にしたい。

遊びにしてしまえば世の中から切り離される。重々承知だ。とくに公からの援助は得られなくなるであろう。

しかしそれでも遊びにしていきたい。自分自身のなかでどう位置づけるのかが問題。そこが一番大きい。

この日もまた、真剣に、本気になって、堤体に向かって遊ぶことができた。それだけで十分。よかった。いい一日だった。

ここがまた遊び場に。

ある初夏の日の出来事

ある初夏の日の出来事

初夏。

初夏といえば渓畔林。

渓畔林が最大化するこの時期は、

部屋に行く。

壁だって、天井だってある部屋に

入りに行く。

朝のうちから支度して、

ヒュッと潜り込んでみる。

あまり無理はできない時期なのだけれど、

そこらへんもちょっと工夫して、

しっかり楽しめるように、

楽しんでいい季節に変えられるように、

堤体前の部屋に行ってきた。

いい黄色。(オオキンケイギク)

草木だったら

初夏。

草木だったら、

なんでもグングン、

グングン育っているものだと思い込んでいた・・・。

6月22日午前6時、山梨県北杜市明野町、明野サンフラワーフェス2025会場。

今年のサンフラワーフェスの開幕は7月19日(土)。

およそ1ヵ月後にオープンをひかえ、ヒマワリの株がどれくらいになったかと様子を見に来た。

半ばもうすでにいい感じでヒマワリ畑が出来あがっているものだと思い込んでいた。

作る人、見る人。もうお互い用意は出来ているよね。なんて、きわめて楽観的な気分とともに現地入りしたのである。

30センチ、40センチ、50センチ。中ぐらいに成長したヒマワリの苗が風でユラユラ揺れるすがたを想像し・・・、

あとは花が付くのを待つばかり。花なしヒマワリに埋め尽くされた畑の姿を思い描いていたのだった。

ので、

ド肝を抜かれた。

いや、きれいにはなっていた。さすがは日本人の仕事だと思った。

きれいに耕された、ヒマワリの畑。

土作りは間違いなく完了している。

さらに。

現状を知るヒントがないものかとあたりをウロウロしていると、手動播種機を見つけることができた。

!!!

なんと植え付け前!

メイン会場となる「ハイジの村」まえの1区画と農村公園会場の全区画が播種前。メイン会場西側の2区画と北側の2区画は植え付け済みという状況。

すべてが播種前という段階ではないが、一番生育状況がすすんでいるメイン会場北側の2区画でさえ、まだまだ膝下程度にも満たない小さな株だ。

昨年、この地を訪問してみたときには背丈をうわまわるほどのデカぶつたちと、大輪の花からなるヒマワリ畑を楽しませてもらっている。

日付は8月16日のことであったので、単純計算ここから2ヵ月ほど月日が経った頃の出来事。2ヵ月という期間。しかしそれでも2ヵ月。まったく遠い未来のはなしという感じもしない。

北杜市のみならず山梨県を代表する夏の観光イベントである「明野サンフラワーフェス」。なのにこの閑散というか、余裕しゃくしゃくというか、落ち着きぶりには驚かされた。もちろんこれは花の生産技術上、まったく問題なくやれるという戦略あっての植え付け時期設定なのであろう。

見ているこちらがドキドキさせられる状況。それはもちろん期待感の大きさあってのことだ。

公営施設「ハイジの村(山梨県フラワーセンター)」、民間では周辺の飲食施設、宿泊施設、観光農園。会場内におけるキッチンカー出店、広くは山梨県峡北地方全体の入客増につながる大事な夏の観光イベントである。

それにしてもまぁ、大胆だなぁ・・・、

盛況のときをまえに、今は着々と準備がすすんでいるという見方が正しいようだ。

メイン会場となる「ハイジの村」まえ
およそ1ヵ月前でこの状況。
おっ、
いいねぇ
メイン会場北側の区画
ここから急成長するというのだろうか?
手動播種機、発見!
駐車場もほんとうに静かだ。

無理のないゲームプランを

午前7時、サンフラワーフェス会場を出発。

茅ヶ岳広域農道を北進し、山梨県道23号線へ。「孫め橋」の丁字路で左折し、中央自動車道須玉インターチェンジ方面に向かう。

目指したのは「すき家」。言わずと知れた牛丼チェーンである。

この日の前日となる6月21日は夏至。太陽の高度がもっとも上がり、さらに照度が最大となる季節だ。

まぶしいまぶしい季節。一年のうちで最もまぶしい季節なのだ。

良いか悪いかは人しだい。

まったくこれがへっちゃらだという人にはどうでもいい話し。

一年のうちのピークに対して、すべての人がそれに対応できるのかどうかというところに問題を感じる。

もうこれがほんとにダメな人。そんな人に対して、屋外での遊びを提案するときには対策を講じる必要があると感じている。

野外の明るさが一年のうちで最大になるということを考慮した上で、ゲームプランを完成させるようにしたい。

つまり「牛丼チェーン」なのだ。

牛丼チェーンに行こう!

牛丼を食べよう!

牛丼で体力つけよう!

体力で乗り切ろう!

牛丼屋が無いほど攻めた地域に行ってはいけない。

とくにメンタルを削られているのならば絶対に無理をしてはいけない。

無理に無理を重ねれば破綻することは目に見えている。

この時期だけでも堤体選びにあたっては出来るだけ無理のないようにしたい。

歌い手自身が得意としている地域に出かけたり、普段から身近に接している店がある場所に出かけるなどして、心理的に有利に旅を進めるようにしたい。

極端なチャレンジは禁物。出来ることなら守りの姿勢で、心的負担の少ない旅を心がける。

堤体への旅がつらかった。苦痛であった。という後日談はこちらとしてもあまり聞きたくない感想なのである。

ある意味我慢の季節でもある。この初夏のまぶしい季節。

いい場所に行きたい。だれしも。しかし、無理のないゲームプランを。

孫め橋
山とは逆方向に向かう。
メンタルに気をつかいたい季節だ。
国道141号線に出てすき家に向かう。
到着。
きょうはすき家で食事。

堤体に向かう

午前8時20分、すき家141号北杜須玉店を出発。堤体に向かう。

来た道をもどり、ふたたび孫め橋の丁字路へ。直進し、山梨県道23号線にてみずがき湖方面へ向かう。

午前9時05分、みずがき湖まえの分岐を右折。塩川トンネルをくぐり、通仙峡トンネルを迂回(通行止めのため)。東進する。

午前9時15分、「日影大橋」より本日入渓する本谷川のようすをチェック。

異常なし。

ふたたび車に乗り込み、さらに東進。増富ラジウム温泉峡へ。「東橋」をわたったところでは増富無料駐車場。ここは無料駐車場のほか、公衆トイレと周辺施設を記した案内図がある。

増富ラジウム温泉の旅館街、「湯橋」も通過し、本谷川の流れを縫うように遡っていくと「みずがき山リーゼンヒュッテ」前。このリーゼンヒュッテ前からさらに400メートルほど進むと三叉路があらわれる。

左折では本谷釜瀬林道、直進では観音峠大野山林道。直進を選択し、ちょうど1キロ走る。1キロ走ったところに現れるのが「木賊橋」。

木賊橋をわたって50メートル程度すすむと右折箇所があらわれるので右折。土の道を走る。

午前10時、土の道の道幅のひろくなったところに車を駐車した。

日影大橋
日影大橋から本谷川をチェック。
増富ラジウム温泉峡へ
サツキ、初夏に咲く。
増富無料駐車場
トイレ
温泉街を抜けてゆくと、
みどり豊かな渓谷へ
三叉路

木々の葉に覆われた空間

車から降りて入渓の準備をする。

気温は18.4度。

駐車スペースとなった土の道は、頭上が木々の葉に覆われていて涼しい。これには1,340メートル(当地点)という標高のおかげもある。

上半身には接触冷感素材の長袖を。下半身にはウエーダーを履いた。

午前10時15分、準備を済ませて入渓点に向かう。

めずらしく入渓点に向かってまっすぐ道が伸びている。堤体をつくるときに出来た作業道なのだろうか。

こういった廃道も多くはパイオニアツリー(先駆性樹種)によって塞がれてしまうことが多い。しかし、この北杜市旧須玉町界隈はアウトドアフィールドとして旧にも現にも非常に人気の高いエリア。そのためか、廃道も簡単には塞がらない。

車のタイヤによって踏み固められ、人の足によって踏み固められ、現役の道としての体を成している。

廃道を道なりにすすむとドボン!渓に入った。

水の冷たさはとくに感じなかった。先ほどからずっと木々の葉に覆われた空間を歩いていたからであろう。

入渓点から見上げる上流もまた木々に満ちている。水にみどりになんとも美しい渓相だ。

美渓。ただそんな景色も一長一短。下は石がゴロゴロしていて歩きにくい。

転ばぬ先の・・・、上陸。入渓早々に上陸してしまった。河岸をあるいたほうが安全で早い。水に浸からずとも涼しさが保てるならば歩むべきは陸路一択だ。

途中、それでも陸路がとぎれる箇所があり。ならば入水。滑りやすい水底をフェルト底ががっちりとらえてくれるので安心して歩くことができた。

午前10時半、堤体前に到着した。

18.4度。涼しい。
廃道とは思えない道。
入渓する。
渓畔林が豊かだ。
陸路を行ったり、川を行ったり・・・、
堤体前に到着。

サワグルミの渓畔林

水は左右の放水路天端からほぼ均等にきれいに落ちている。水量としても多すぎず、少なすぎずといった感じで、アルファベットの「V」を何列も描くように、堤体水裏の斜面を転がり落ちている。

主堤からの水は副堤を経て、渓流区間に着水。以降は左岸側につくられた護岸に寄り添うかたちで下流へと続く。

川の流程と河岸は明確に分かれていて、左岸側3分の1ほどが川。右岸側3分の2が陸地。この陸地の上には密度の濃いサワグルミの渓畔林が形成されていて、その根によって土壌保持効果が発揮されている。

人工的かと見紛うほど立派な右岸側の陸地。石がゴロゴロしているのではなく、ちゃんと土が乗っかっているのだ。森林公園かと言ってもいいくらいの安定感が感じられる。

光。反して渓畔林の下は暗い。
陸地に生えるのはほとんどサワグルミ。
左岸側の護岸
サワグルミと奥には右岸側の護岸。
サワグルミの枝葉

ノイズに支配され

自作メガホンをセットし声を入れてみる。

鳴らない。

セオリーにしたがい、主堤を正対できる立ち位置、左岸側を選んで声を入れてみるものの全くといっていいほど響きを得ることが出来ない。

立ち位置を変えてみる。

瀬のノイズから距離をとるため、右岸側の陸地に乗ってみる。しかし、ここでも響きを聞き取ることが出来ない。

難所なのか。

主堤、副堤からの落水ノイズが気になる。

堤体本体から発生したノイズが左右両岸の壁(護岸)の中であふれている。

左岸側3分の1を成す川と、のこり3分の2をなす陸地。両者ともノイズで支配されている感が強い。

横方向に音(ノイズ)が逃げてくれることは願っても叶わない。

垂直方向にはどうか。

サワグルミの枝葉によって歌い手の頭上はまるで天井のようになっている。

まさか・・・、とは思うものの、垂直方向にもノイズが逃げてくれない空間になってしまっているというのか?

左右のみならず上下にも囲われていて、非常に騒がしい空間のなかから声を発しているというのだろうか。

堤体名は「本谷堰堤」
これはほぼ最大値。65ヤード。
無風。吹いていればまた違った展開に?!
ほぼ真南で若干、東に入る。
樹木の幹さえ避けられれば、立ち位置の自由度は高い。

おもしろさは味わえた

結局この日は、午後3時まで堤体前で過ごした。

今回入った「本谷堰堤」は非常に豊かなサワグルミの渓畔林が見られるところ。木々の多さを求め当地にやってきたが、期待に違わぬみどりが自身を迎えてくれた。

また、左右両岸の護岸内のみならず、その外側においてもやはり豊かな渓畔林が形成されている堤体前であった。

太陽の光。そしてそれを遮る樹木の枝葉のなかでチャレンジ。屋外という条件のなかでおこなわれる音楽では、堤体前の景色は一年を通じて一定では無い。

冬ならば葉の付いていない樹木がほとんど(落葉樹)。しかし、春~初夏にかけては葉の量が最大化する季節。

堤体前がどんな場所であるのかという特徴を知り、その特徴を生かすかたちでゲームを展開できたことが良かった。

惜しむらくは響き。

今回は響きの面において上手くいかなかった。

左右両岸の護岸(壁)のなかは水により発生したノイズにあふれており、響き作りを困難なものにさせた。

ふだんは「良いもの」として認識している渓畔林の枝葉でさえ、その存在を半信半疑にさせるほどノイズの支配が大きかった。

これは逆に言えば、新たな仮説さえ生んでしまうほど充実した渓畔林のなかで音楽がやれたということ。

砂防ダム等堤体類を相手に音楽をしているが、堤体前の空間というのは音楽ホールやスタジオと大きく異なるもので無いと考えている。

歌い手の正面には音を当てるための壁があり、横を見れば壁があり、上を見れば天井がある。

渓流沿いにポッカリとできた部屋のなかで音楽を楽しむことができる。

そしてまた、ものごとが上手くいかないという問いをこの場所は与えてくれる。

響き。

声が響かないことに対する落胆と、それを解決しようとする人の頭脳。

簡単ではないときがある。反面、そんなときは挑戦するおもしろさがある。

音楽専用設計ではないからこそのスリル。

声が響かないこと。

おもしろさ。

そのおもしろさは味わえた、

ある初夏の日の出来事であった。

枝葉でできた天井
サワグルミ
ヤマハンノキ
ヤマハンノキとカラマツ
コハウチワカエデ
ドロノキ
カツラ

戸沢川

谷村パーキングエリア上り

2025年、早いものでもう5月。

朝が早くなった。夜の訪れが遅くなった。変化はしっかり感じ取れている。

朝、寒い思いをしなくていいようになった。

太陽光がより明るくなった。

太陽高度が高くなった。

5月。太陽と遊んでみようとおもった。太陽の光を利用したゲームを展開してみたい。

朝日のゲーム

5月11日、午前3時。山梨県都留市、中央自動車道富士吉田線「谷村パーキングエリア上り」。

土産物屋ははまだ開店前。トイレだけ借りて車に乗り込んだ。

いまから向かうのは「朝日のゲーム」。おおよそ真東向きの堤体に入って、日の出直後に歌う予定でいる。

空が暗いうちからのスタート。足早に。夏至をわずか1ヶ月後にひかえた空では気を抜くことが出来ない。ここから一気に空が白らんでくるはずだ。

午前3時25分、谷村パーキングエリアを出発。

午前3時半、都留インターチェンジから高速道をおりて一般道へ。富士急行線「宝踏切」をわたって寿町信号交差点にて右折する。

都留市駅を右手に見ながらすすみ、中央一丁目信号交差点を直進で通過。道は国道139号線となる。

200メートルほど走れば国道139号線は右に向かって急激にカーブ。ほどなくして現れたのが「御菓子司すがや」。

ここはかりんとう饅頭が有名らしい。

退渓後のお楽しみ。ここもそうであるし、退渓後には、温泉入浴なんかも含めてゆったりとした時間を過ごす予定でいる。

店の位置をしっかり確認したあとはそのまま直進。都留市役所前まで走って道路を周回してから折り返した。

ふたたびの中央一丁目の信号交差点。右折し、北進する。

ひと駅ぶん走った。

赤坂駅まえの「赤坂」信号交差点。

信号交差点手前にて右折し、ローソンに立ち寄る。ローソンでは食料を調達。

午前4時半、ローソンを出ると空が一気に明るくなってきた。

そのままローソンの駐車場を横断するかたちで赤坂信号交差点をかわし、東進。400メートルほど走ると「菅野川」が姿をあらわした。

いったん車を停めて降車。

菅野川のようすをチェック。

異常なし。

ふたたび車に乗り込み上流を目指す。

本日入渓する「戸沢川」は菅野川の支流にあたる川である。前日に降った雨の影響が心配されたが、いまのところは問題なさそうだ。

午前4時40分、国道139号線の新道「都留バイパス」を横断し、亀田重機建材まえを通過。

ハッピードリンク都留戸沢店前を通過。

富士急バス「西川」バス停前では道なりにすすむ。(左カーブ)

午前4時50分、「和みの里ゆうゆう広場」駐車場に到着した。

都留インターチェンジ
中央一丁目信号交差点
流石!新聞屋は朝が早い。
「赤坂」信号交差点
菅野川の様子をチェック
「芭蕉月待ちの湯」の看板にしたがってすすむ。

都留戸沢の森和みの里

この一帯は「都留戸沢の森和みの里」という都留市市営の保養地である。

和風コテージ一位の宿(貸しコテージ)、芭蕉月待ちの湯(日帰り温泉施設)、都留戸沢の森和みの里キャンプ場、すいすい広場(バーベキュー場)、わくわく広場(公園。ローラー滑り台あり)、ゆうゆう広場(公園。野外ステージ、自動販売機、公衆トイレあり)。

さらに民間施設として、

WORKATION RESORT THE FOREST(グランピング)、

せせらぎ荘キャンプ場。

このうち朝の5時まえという時間条件で利用できるのは、わくわく広場とゆうゆう広場の2つの公園。

たかが公園。されど公園。しかしこれが非常にありがたい。とくに自動販売機と公衆トイレを併設しているゆうゆう広場は非常に便利だ。

さきのことを言ってしまえば入渓点はもう近い。

当該駐車場から林道を400メートル行った地点には戸沢川の入渓点がある。入渓点は戸沢川に架かる鋼板製の橋だ。

つまり入渓点からたった400メートルの地点に自動販売機やら公衆トイレがあるのだということ。これが従来なかなか無い。

たいていの場合は何キロも離れた”最終コンビニ”なるもので用を足したり、買い物をしてから現地入りということが多い。また、ついうっかり飲み水等の買い忘れがあった場合もそこまで戻ってから出直す形となる。

400メートルという歩き射程距離にこういった設備があるのは非常にありがたいことなのだ。

歌える堤体探しの旅をしていて探すもの。単純に響きがいいとか、見た目がいいとか、演奏施設として堤体前がどうなのかということのみならず、こういったインフラ設備のことも考えている。

ここは総合的な競争力で言えば、堤体周辺環境としてかなり強いと言って間違いないとおもう。

芭蕉月待ちの湯
ゆうゆう広場
野外ステージ。良い風向きが期待できそう。
公衆トイレ
堤体へは左側の道に入る。

ラッキースタート!

午前5時、車に乗り込み再スタート。

前述のとおり林道を奥に400メートルで鋼板製の橋。橋は渡りきり、さらに100メートルほどで猿焼山の登山口。登山口より林道をさらに50メートルほど行ったところに若干、道幅の広くなったところがある。

この道幅の広くなったところに車を駐車した。

車からおりて入渓の準備・・・、も、そうなのだけれど、すでに当該地点から堤体の落水の様子が見えている。

針葉樹林の木々のすき間から、向こうにある堤体の落水が見えている。音も聞こえている。

堤体本体は、そう遠くない距離にある。

気温は15度。

入渓の準備はいま現在の快適性に合わせてセッティング。

長い距離を歩かなくていいことがすでに把握できた。歩行運動による発熱のことは、きょうは考えなくていい。

敢えて薄着気味に着て「寒いな」なんて思いながらスタートすることもあるのだが、今日はそれをしなくていい。

Tシャツの上に長袖シャツを着る快適システムにて。

ラッキースタート!

入渓点となる鋼板製の橋へ。

前日に降った雨の影響は?

???(比較するものがないので)

少なくとも渓行そのものには影響なさそうだ。

橋から戸沢川に降り、上流に向かって歩く。車を駐車した地点から若干下っているのでいったん見失った堤体本体もまたすぐに再会することができた。

午前5時半、堤体前着。

鋼板製の橋
入渓点からすぐのところ
滑らぬように注意
あと少し
堤体前着

落下スピードが速い

水は放水路天端の右岸側に片寄って落ちている。片寄りがあるぶん、水が塊状になってストンと落ちている感が強い。

落下スピードが速い。

落ちたあとの水は水タタキに強く打ちつける。

もっと落水は左右に分散しているほうがいい。放水路天端の横幅広くを使って圧力が分散されている状態。さいご落ちきったところ、水タタキに対する接触圧もより小さくて済むはずだ。

堤体の水裏についた勾配(1:0.2)の表面を大気に逆らってゆっくり進むような落ち方が理想的。

いま目の前にしている落水は上流からの水圧を分散しきれず、塊状になって放水路天端から投げ出されるように落ちている。

水の動きの速い感じはよく言えば俊敏。悪く言えばせっかちだ。

せっかちな水の塊。

この個性にどう立ち向かおうか。

落水。右岸側に片寄っている。

まだまだ未熟であった。

午前8時、いったん退渓することにした。

いや、今日もまたいつものごとく

「自作メガホンをセットして声を・・・。」

という展開になったのである。しかし、どうやってもダメだった。予想したものとは違っていた。思った通りの堤体前にはなってくれなかった。

音の面で。(後述)

見た目の面で。

朝日のゲームをテーマに立った堤体前。フタを開けてみれば、太陽の光の差す方向と川の流程の角度がうまく合致できていなくて、空間はいまひとつという感じであった。

黒くくすんだ川の水底を太陽の光が金色に一変させるそのときを待ってみた。しかし、ついぞその瞬間には出くわすことは出来ず、日は高く昇ってしまった。

想像していたものとは大きく違っていた堤体前。

光っている領域。影になっている領域。両者の空間の大きさ。両者お互いのバランス。

頭上を覆いこむような渓畔林もあって、「影」要素にゆたかな堤体前。完成から40年以上も経つ歴史ある堤体で、その年月によって作り込まれた渓相もまた見事なものであった。

惜しむらくは・・・。

そこに立ったプレイヤーがまだまだ未熟であったこと。

時間の読み。暦の読み。太陽の軌道。

読みの外れ。

堤体前がもっとも魅力的に映るそのときに立てていない。

ほぼ真東向きに鎮座する堤体に朝日のゲームで挑んでみたものの、挑戦は失敗に終わった。

太陽の光の差す方向と川の流程の角度が合っていない。

広い休憩室

期待が大きかっただけに、失望も大きかった。

退渓後、車にもどると疲れがいっきにドッと押し寄せた。

渓行装備の着替えもそこそこに運転席に乗り込みシートをリクライニングにする。

5月の明るい日差しも、高密度の針葉樹林の下ではその効果を大きく失っていた。光の多くはスギの樹幹に吸収され、その下では日中とはおもえないほどの充実した暗がりが形成されていた。

熱にしてもすっかり吸収されてしまっている。

車のなかは窓を閉め切っていても暑くなく、寒くもない。

午前中ののこりの時間は夢のなかで過ごした。

目覚めたのは正午過ぎのこと。

菓子を買いに行かなければ!

車のエンジンをかけ、林道をUターン。朝、暗いうちに確認しておいた「すがや」に向かう。

午後1時50分すがやに到着。無事に買い物を済ませることができた。

ふたたび朝のルートに乗り、目指したのは「芭蕉月待ちの湯。」

午後2時半、芭蕉月待ちの湯へ。

ここでは温泉には入るつもりは無かった。温泉に入らずとも価値ありと見たのが休憩室。

広い休憩室は、たたみ60畳もしくは26畳の和室。完全貸し切りの予約室もある。

休憩室内では、昼・夕のレストラン営業時間内に麺類、ご飯ものの注文が可能。また、それ以外の時間であっても、持ち込んだ食べ物により食事をとることができる。

もちろん空調設備完備の室内であるから、これからの時期には快適に過ごせること間違いなし。

おもえば、堤体にも入渓点にもさほど離れていない距離にこのような施設群があるということ自体、非常に稀有なことなのだ。

堤体から歩いて来られる場所に公衆トイレがある。自動販売機がある。温泉がある。休憩室がある。食事処がある。宿泊施設やキャンプ場もある。

また、この場所そのものに来る手段では、自家用車のほかに路線バスが利用できるというオマケまでついている。

この上なく利便性に優れた場所。堤体前周辺環境としてここまで揃ったところは過去おもい出してみてもほとんど記憶にない。

リベンジしたいという気持ちは当然のごとく沸いてきた。東向きという方位ならではの個性。その個性を生かした朝日のゲームは残念ながら上手くいかなかったが、ならば他の時間帯でもいいので挑戦してみたい。

これは良い堤体であったという結論とともに終わるために。銘堤としての地位を自分の中で与えるために。そこまでやってから帰りたかった。

この場所が本当に本当にインフラ設備として優れていたから。

堤体前に向かうのは、ひいきから生まれた延長戦。もはや意地の域。悪あがきである。

余計なことを考えているのは確か。雑念。気持ちの弛みが生じやすい。ケガをするのが怖い。

今一度、気を引き締めてから堤体に向かうために。

休憩室でしっかり休んでから出ることにした。

真昼でも暗めの針葉樹林。
芭蕉月待ちの湯
広い休憩室
メニュー表
かりんとう饅頭
これも美味かった。(八端)

夕方、ふたたび入渓

午後4時、芭蕉月待ちの湯を出発。

朝の場所に再度、車を駐車する。

入渓の準備。

朝と同じウエーダーを履き、朝と同じライフジャケットを着る。

朝と違うことといえば、気分的なこと。

期待感をうわまわる不安感。

じつに煩わしい感覚だ。

鋼板製の橋まで歩き、入渓した。

午後4時50分、堤体前着。

曇天の空で太陽は隠れているものの、午後5時まえという時間はまだ明るかった。

もう今日は太陽の光にかかわるようなゲームプランは作れない。やれることといえば、あたりが夜闇につつまれるその寸前に、最大の集中力をもって歌にのぞむことだけだ。

その理想とする暗がりの領域には?まだまだ時間がありそうだ。

堤体を見れば朝、日の出前のときと同じようなすがたをしている。

堤体本体も、落ちる水も、そのあと渓流区間を流れ下っていく川の様子も。

頭上を覆いこむような渓畔林も朝と変わりない。大きく垂れ下がったフサザクラの枝葉の下には暗がりができている。その暗がりの先には花が咲いていることに気がついた。

きっとここには朝から花が付いていたのであろう。しかしながら気が急いていたのか、欲に溺れすぎていたのか、全くそのことに気づくことが出来ていなかった。

いまのほうが気持ちにゆとりができているのかもしれない。

集中力をともなったゲームが出来るかもしれない。

暗闇の襲来に期待した。

リベンジの堤体前へ
大きく垂れ下がったフサザクラの枝葉
ウツギが咲いていた
見事な渓畔林は光の遮断能力が高い。
フサザクラ
アブラチャン
ヤマハンノキ
ミズキ

比較のしようが無いのだけれど

午後6時まえ、ようやくいい感じになってきた。

自作メガホンをセットし、声を入れてみる。

いま対面している堤体前の空間。水から生成されるノイズに混じって自分自身の声が響いている。

比較のしようが無いのだけれど。

比較のしようが無いのだけれど、朝よりも響きがでている。

朝にはまったく鳴っていなかった。まるで「鳴る」という感覚が得られていなかった。

堤体を流れ落ちる水のノイズ。水タタキに接触する水のノイズ。そのあと渓流区間を流れ落ちていくなかで生ずる水のノイズ。

朝のゲームでは徹底的にやられた。まるで響きづくりが出来るような感じではなかった。あたり全てがノイズに包まれているような環境のなかに声を入れていた。

では朝と今で違っている条件といえば?

川の上流から吹き下ろしてくる冷気を感じる。ハンディタイプの風速計では計測不可能な、ごくごくわずかな風が吹いている。

堤体前の空気が凝り固まらずに動いてくれている。

柔らかくほぐれた大気のなかを自分自身の発した声が流れている。

もちろん今朝、徹底的にやられたノイズを相手にしている。これはほぼ変わりない。はっきり聞き取れるなんて甘いレベルではない。辛うじて。ノイズにほぼほぼ支配されている堤体前音環境の中で、辛うじて声の響きを聞くことができている。

銘板
方位はほぼ真東
お~吹いてる!(計測不能の微風)
距離は49ヤード
川の水がもたらすノイズ

暗がりは正義

結局、この日は午後6時半まで堤体前で過ごした。

砂防ダム等堤体類を利用していくということ。その利用方法として自身がやっているのは演奏施設だ。

演奏施設として利用していくために。必要事項として、堤体前に入るタイミング上もっともふさわしい時間や季節をあらかじめ見つけ出しておきたい。

この季節のこの時間、この天気でこうなっているからこの堤体にしたほうがいいよ。

外的要因との相性等々ふくめてしっかり言えるようにならなくてはならない。

なぜそこまで細かい条件にこだわらなければならないのか。

自分自身が歌い手として、プレイヤーとして現場に立っているからであるとおもう。

歌い手としてプレイヤーとして一番求めるものは何か。

歌いやすい演奏施設。

歌い手としてプレイヤーとして一番悲しいこととは何か。

歌うための場所に大きく違和感を感じながら、しかし「歌った」という事実を作り上げるために、きわめて形式的な音楽活動をすること。

歌い手としてプレイヤーとして、いまから歌おうとするその場所がまず好きになれていないようではダメだし、そこで嘘をついているようではだれも幸せにならない。

演奏施設というのはまず素直に言って、歌いやすくなければならない。

歌いやすい景色のまえに立つこと。一つとして同じ堤体前が存在しないなかで、音楽に最適化された場所をさがしだす。

太陽光の当たり方で景色は変わる。したがって太陽光の当たり方を予想し、堤体前に立つタイミングを決める。

今回は残念ながら予想が甘く「朝日のゲーム」で失敗をしてしまった。

いっぽう夕方のリベンジでは、夜闇まえの空に頼るかたちでなんとか暗がりの下に入ることが出来た。結果、大きな集中力をもって歌に挑むことが出来た。なんとか成功のうちに終わることが出来た。

今後の課題としては、光と影についてもっと対比の大きな場所に立つこと。光の明滅差の大きな堤体前に立つような展開のなかでゲームが出来るようにしていきたい。

太陽が強く照らしている空間での影は強い。影によって出来た暗がりは、より強い暗がりとなってその場にあらわれてくれるはずだ。

暗がりは正義。歌いやすい空間作りには欠かせない存在である。

最高の暗がりを求めて。それを引き立てる最高の明るさを求めて。

歌える堤体探しの旅にまた出かけようとおもう。

なんとか成功のうちに終わることが出来た。

誰のために歌うのか

道の駅富士川

音楽家にとって誰のために歌うのかということは大きなテーマであろう。

観覧料を支払って聴きに来てくれる人のため。

活動をサポートしてくれる人や団体のため。

師匠とする音楽家のため。

日頃、私生活においてお世話になっている人のため。

自分自身(音楽家自身)の人生を賭けて、その想いを世に発信する。やはり声を発するそのさきには空気でなく、だれか人がいるという構図が普通なのであろう。

声の響くさきにはつねに聴衆。聴衆がいるから音楽。聴いてくれる相手あっての音楽。思想・信条を理解してくれる相手あっての音楽。安心感あっての音楽。

音楽家は「誰のために歌うのか」なんて考えている。

しかし、音楽家は聴衆というさまざまな関係性にある人らの協力によって成り立っている、決して単独にひとり立ちすることのできない存在なのである。

もはや誰のために歌うのか・・・なんて言おうが、本当のところはそんな強い立場には無い。それどころか、聴衆あっての音楽家なのだということを理解し、聴衆に対しては価値あるものを提供することで恩を返していく必要がある。

歌の上手い下手はいったん置いておく。

歌がどうだ・・・、ということを取り除いて、歌っている場所そのものの環境について考えてみる。

音についてどうすればよいのか。

光の具合についてどのようにすればよいのか。

空間の居住性についてどのようにすればよいのか。

考えてみれば、そもそも演奏施設というのは何がスタンダードなのかがよくわからない。とくに民族的背景、宗教的背景を含まない種の音楽について。

どういったセッティングでやらなければならないという絶対的な決まりがない。

ただ何となく。いい感じで・・・、いい雰囲気で・・・、そんな空間を作り出せたら正解というところがほとんどなのではないか。

聴衆にとっての良き場所、良き空間を用意すること。

せっかく用意するならば、なるべく万人受けするような演奏施設を。誰にとっても過ごしやすい、しかしながら遠方よりはるばるやって来た人らに、ここまでやって来た甲斐があったと思ってもらえるような、見応えある空間をつくりだすことに注力したい。

・聴衆がどういう場所で聴くことになるのかが重要。

・音楽家といったって自分一人じゃ成立しない存在なのだから。

・音楽家は聴衆というお客がいて初めて成り立つ存在なのだから。

オレは与える側だ。なんて思っていたら大間違いで、じつは与えられる側にある。与えられる側にある己の身分を自覚し、与える側「聴衆」には最大限の恩をかえすようにしていきたい。

聴衆に対してまずはより良い場所を用意すること。音楽家に課された課題だ。

より良い場所

より良い場所といえばここは良かった。

4月6日、午前9時、山梨県南巨摩郡富士川町青柳町「道の駅富士川」。

階段もしくはエレベーターで上がったところにある2階フロアが展望室。さらに引き戸をあけて外へ出たところが屋外展望スペース(ウッドデッキ)。

これまでは日中でも気温一ケタ台。そんな環境のせいもあって、なかなか過ごしにくい状況にあった。だがいよいよ暖かくなってきたことにより、展望スペースとしてフル稼働する季節がやってきた。

建物の2階という高さは、顕著に高く造形された展望タワーのようなものではない。この建物の一階物販スペース上を一般開放しているだけ。しかし、そのさり気なさ、気負いのなさが逆にいい。

たったの2階。アピール弱め。押しつけがましさは無く。山に囲われた空間にひろがる眺望は市街地、田畑、木々、橋、道路など。

見る景色にはこと欠かない。

方角別ではでは東・西・北の三方向がのぞめる。

東には市川三郷町と富士川大橋。西には富士川町旧増穂町の町並み、櫛形山。北には甲府盆地、中部横断自動車道、南アルプス市市街地、坪川大橋などがのぞめる。

当日は三方向のうち、とくに西側の景色に注目した。本日入渓する「戸川」とその水源となる櫛形山、丸山、源氏山方面のようすが気になったからだ。

櫛形山山頂付近には、どんよりとした雲がかかっていた。眼前にひろがる景色という実物のみならず、天気予報は天気予報とできょうはあまり優れないらしい。

つねに安定した環境でやらせてもらえないのがこの音楽の特徴。それがまた欠点であり、利点でもある。慣れてしまえばくじ引きのようで楽しくなってくる。

屋外展望スペース(ウッドデッキ)
眺望は東・西・北の三方向
西側の景色に注目した。
雲がかかる櫛形山

ガイドブックいらず

午前10時15分、道の駅富士川駐車場にて自家用車に乗り込み、山梨県道413号線にて西に向かう。

複合型商業施設「フォレストモール」、クリーニング志村まえ、富士川町役場まえを通過。

午前10時20分、富士川町立増穂小学校まえ。

歌える堤体さがしの旅。ガイドブックいらず。砂防ダム等堤体類を目指していれば自ずと何かに出会ってしまうものだ。

満開の桜。

小学校正門東側に二本、さらにグラウンド南側ネット沿いに四本。

とくに魅力的に映ったのが正門東側の二本の木。木がただそこに生えているというだけでなく、小学校正門前の歩道橋が交錯している。

この歩道橋と桜の木の対比がじつに見事だ。機械によって造形された歩道橋の無機質さと、自然物である桜の木のやわらかな線が空中で混じり合う様子が心地よい。

歩道橋の無機質さが桜のやわらかさを引き出しているとも言えるし、堅く強固な歩道橋が腐敗して崩れることの無い安心感を与えているともいえる。

歩道橋と桜の木。それぞれに魅力があり、また機能的に優れている。さながら優等生同士といった感じだ。

富士川町立増穂小学校まえ
歩道橋と桜の木
歩道橋に上がればこのとおり
二本のうち正門側の木
旅はガイドブックいらず

殿原スポーツ公園へ

午前10時40分、増穂小学校まえを出発。西進し、横断歩道のある交差点を左折する。

最勝寺農村公園を右手に見ながら進み、戸川に架かる「西之入橋」をわたる。小澤工務店を過ぎたところで道は急激に左カーブ。そのまま進み、やがてあらわれる丁字路にて右折。山道をのぼる。

午前10時50分、殿原スポーツ公園駐車場に到着。

うすうす気付いてはいたが・・・、道の駅富士川の屋外展望スペースからの景観でも、そのあと山梨県道413号線を西進している際でも。

満開の桜。ここにもあり。

公園入口にある車止めから野球場に向かって伸びる50メートル程度の通路。通路を囲い込いこむようにできた桜並木がじつに見事だ。

さらに桜並木横の駐車場はさんで反対側にも桜の木。公園の北東部側の斜面はちょっとした桜の林のようになっている。この斜面の桜と野球場バックネット裏フェンスのおかげで、遠目からでも殿原スポーツ公園はどこにあるのかということを知ることができる。

公園までわざわざ坂を登ってこなくても、富士川町旧増穂町域、南アルプス市南部地域から楽しむことができる望遠の桜。

近くに遠くに見る者を楽しませる。

さて、ここからは本日午後の入渓を想定しての時間調整だ。

時間調整にしては豪華な場所にて過ごすこととなった。雨が今にも降りだしそうだが(実際このあと突然の雨におそわれた。)車内で過ごせばなんとでもなるだろう。公園にはトイレもあり、いちいち坂の下まで降りていく必要も無い。

道の駅富士川で買ってきた菓子やパンもある。食べ物の心配もない。

この状況であれば、ゆっくりノンビリ過ごすことができそうだ。

じつはこの殿原スポーツ公園のひとつ南側には「大法師公園(おおぼしこうえん)」という山梨県内屈指の桜の名所があるのだという。

財団法人日本さくらの会設定の「さくら名所100選の地」に山梨県内で唯一選ばれているという壺中の天地。その数二千本という桜の木により、毎年おおくの観光客を迎えているのだという。

なぜそちらに行かなかったのか?¥500円の有料駐車場を備える正真正銘の観光施設であったから。もちろんこれは¥500円の駐車料金を払うことが惜しかったからというわけではない。

名所という地位が確立されたなかで想定される頻繁な車の出入り。駐車場に入れ替わり立ち替わり入場する車。

駐車場に停めた車の中で長くくつろぐという行為は、適切ではないと判断した。

もっと車の往来が少なくて、静かなところがよかった。そもそも論を出せば、公園目当てに来ているのではなく、入渓前の時間調整目的の滞在なのである。

公園内の写真をひととおり撮ったあとは車内へ。前述のとおり車中では突然の雨がルーフを叩いた。雨の叩く音を聞きながら車中の花見を楽しんだ。

殿原スポーツ公園へ
みごとな桜並木だ。
遊具は二世代にわたり・・・、
旧増穂町や南アルプス市が見わたせる
車中から花見を楽しんだ。
道の駅富士川で買ってきた菓子やパン

悪い癖

正午過ぎ、雨は運よく止んでくれた。

午後0時半、殿原スポーツ公園駐車場を出庫。堤体に向かう。

公園前の坂を下りきり北進。山梨県森林総合研究所まえ、もちづき農園まえ、秋山観光農園まえを通過。

戸川に架かる「八丁橋」の手前では左折。道はやがて登り坂になり、最初にあらわれた車の待避所。ここの待避所は10トンダンプ2~3台がスッポリ入り込めてしまいそうな広い待避所。

待避所の下り坂側のカドに車を駐車した。

午後1時、車から降りて入渓の準備。本日の重要アイテムはウエーダー。

ここはつい2週間前にも来ている。そのときは、ウエーダーを履かずズボンにスニーカーという格好で河原を歩いた。

堤体前環境として、立ち位置はさらにもうひとつ下流の堤体、その堆積地上にある。

ゆるやかな傾斜の堆積地上では、川は左岸側にむかって大きく弧を描いている。堆積地が広く形成されているにもかかわらず、その端っこを目立たぬように下りていく川の様子を見ることができる。

その影響は対岸、右岸側にも。右岸側にはフラットな広い面が形成され。

このフラットな広い面、一面に生えるのがチカラシバ。チカラシバの先端には、冬の乾気によりカラッカラに乾いたねこじゃらしが付いている。

ついつい悪い癖で、堤体を見つけるといちもくさんに駆け寄ってしまう癖がある。靴下の露出するローカットのスニーカーで一面に生えるチカラシバのなかに突っ込んでいったところでは、その種子に猛攻という猛攻を受けた。

堤体前に立つ嬉しさと、チクチク刺す種子の痛みとで頭が混乱する。足元を気にしながら、ときおり刺さったチカラシバの種子を抜きながら河原をあるいた。

これもまた堤体前にいるときはいい。問題は帰りの時間が来たとき。その場から立ち去らなければならない。

実際、堤体前から離れるときには気分がガタ落ちになった。楽しい時間が過ぎ去ったあと。残ったのは依然としてチクチクいわせるチカラシバの種子だけだった。

帰路、足じゅうに付いたチカラシバをひたすら一本一本抜きながら帰るハメになったのは言うまでもない。

堤体に向かう。
「八丁橋」の手前十字路。左折する。
戸川に沿ってすすむ
花を見つけた。
ヤマブキ。

動く景色・止まっている景色

午後1時50分、ブルドーザー道を伝って堤体前へ。

水は2週間前に来たときよりも若干増えている。石積み堤を落ちる水に厚みが生じている。

石積み堤なだけあって、その石と石とのつなぎ目には段差や浅いくぼみがある。水が落ちるとき、その段差やくぼみに水が干渉することによって追加のノイズが発生するようなイメージを受ける。

コンクリートの堤体よりもうるさいはず。

さらに見た目。落水の見た目のことが気になった。

見かけには、落水する水がより波立っている印象を受ける。

けっして美しいという落水では無いが。

不快感は無い。

周囲の景色が関係している。ここは真夏の景色のもとでは恐らくNGになっていただろう。春という季節にこの堤体にあい対することができてよかった。

いまはまだ渓としては冬らしさが残っていて、草木ともに“動きの少ない”状態が形成されている。

落水は、

「動く景色」。

対して木々の幹、枝、枯れて倒れる草というのは

「止まっている景色」。

両者でバランスがうまくいっている。

これが草木が葉をつけて、ユラユラ揺れるようになってくると・・・、いよいよキツくなってくる。

自身ももともとは釣り人で、水辺の揺れる景色は得意な方だ。しかし、真夏の葦が生い茂るような川(いわゆるボサ川)なんかはけっこう苦手で、あまりこういうところでは遊んだりしない。

釣り人でありながら、砂防ダム音楽家でありながら、水辺周辺に置かれたものの多くが揺れているような景色があまり得意ではない。

きょうは水うんぬんというよりも、周囲の草木の状態がいい。まだまだ展葉したての葉によって派手さのない木。草は黄色く枯れた状態で河原に倒れている。

これならばあまり苦手にならず、堤体前に立つことができそうだ。

堤体前へ
石積みの堤体
堤体名は「増穂大堰堤」
足元の植物
シンジュ(ニワウルシ)の新芽
チカラシバ
チカラシバのねこじゃらし
これが靴下に刺さるので厄介だ。

流路形状による影響

自作メガホンをセットし声を入れてみる。

よく鳴っている。

堤体と左右両岸、壁によって囲われた空間のなかで響く声が心地よい。

人の声とノイズの混じり。

ノイズの発生場所はほとんどが堤体付近。水が落ちるときに摩擦が生じる石積みの堤体。そこから最後いちばん下まで落ちて池に接するときの摩擦音。

以降は堆積地上に形成された川で段差に乏しい。この区間もやはりノイズの発生源であるものの、瀬にもならないほどのわずかな起伏のなかを水は流れる。

流路が左岸側にむかって大きく弧を描いていることも影響大きく。

歌い手を大きく迂回するように流路が形成されることによって、立ち位置とノイズ源とのあいだに距離が生ずる。

立ち位置から見て単純に川が遠いというたったそれだけのこと。しかし、ノイズの影響はより小さなものとなっている。

音に非常に少ない印象。

静かな空間のなかでは、やはり音が聞きとりやすい状態にあるようだ。

歌い手を大きく迂回するような流路
足元はウエーダーか長靴がよい。
夕日のゲーム。
障害物はほぼ無し。立ち位置の自由度は高い。
風は吹いたり止まったりという展開。
表面に凹凸があるためこちらは参考記録。

くつがえしてみる

結局、この日は午後6時まで堤体前で遊んだ。

日々、各地の堤体をおとずれるなかで、大きなことも小さなことも些細なこともすべて評価の対象にしながら「歌える堤体さがし」をしているつもりである。

砂防ダム等堤体類を演奏施設として利用していくには、一つ一つの堤体について都度しっかりと評価をしていくことが重要だと考えている。

もちろん評価をしていく上では、優劣というものが発生する。

この堤体は音楽に適している。

この堤体は音楽に適していない。

森山自身の主観によって、堤体前をどのように感じたかを毎回ここに記すようにしている。しかしその場所について、人によっては異論を呈したいことがあるかもしれない。

堤体前という公共の場所を一個人の主観によって優劣つけていいのかというご意見もあるかもしれない。

すべて主観で評価される堤体前。

しかし逆にいえば、その堤体前で歌うことがいいのか?悪いのか?そういった判断が、個人の主観にゆだねられ、当たり前に論じられているということなのでもある。

どんな堤体前で歌えばいいのかということに正解は無い。

歌い手自身がもっとも好きな環境のなかで歌えれば良いと思っている。

明るいところ。

暗いところ。

明るいという状態においてはどんな明るいなのか。暗いというのは何によって暗くなっているのか。

その歌い手にとって一番よい景色というのはどんな景色なのか。

動きの多い景色か。動きの少ない景色か。

もちろん音についても同様のことがいえる。

静かなところ。ちょうどいいくらいのところ。うるさいところ。

エピソードの冒頭に記したこと。

くつがえしてみる。

・聴衆がどういう場所で聴くことになるのかが重要。

→聴衆がどういう場所で聴くことになるのかは重要ではない。

・音楽家といったって自分一人じゃ成立しない存在なのだから。

→音楽家は自分一人で成立する存在なのだから。

・音楽家は聴衆というお客がいて初めて成り立つ存在なのだから。

→音楽家は聴衆というお客がいなくても成り立つ存在なのだから。

世の中の遊びにもの足りなさがあると言うならば、従来の逆側をお客にすることによってその問題は解決されるかもしれない。

歌い手自身がお客になること。歌い手自身がもっとも心地よくうたえる場所に立ち、歌うこと。

誰のために歌うのか。

歌い手自身が歌い手自身のために歌う。

すべてのことを歌い手中心に考える。

すべてを歌い手のために。

歌い手のことを第一に考え、

歌い手のために行動する。

歌い手自身が。

とは言ったって、いままでお客じゃなかった人たちをお客にしようとするのだから、企業でいえばこれは「新規事業開設」にあたるのでは?という疑問。

なんだ、金が掛かるのか・・・。という落胆。

いや、驚くべきことにその新規事業がおこなわれる場所は、この国の敷地内にもうすでに存在している。場所に関していえば、新たに用意するものは無い。

設備投資は必要ない。

すでにあるものを利用していけばよい。

利用すればいいものを利用していないという現状。それだけ。

世界に新たな遊びを発信するチャンス。そのチャンスをすでにこの国は持っている。遊びの場所がすでにある。あるのに利用していないだけ。そのことをお忘れなく!

木々はこれから葉をつける
クヌギ
アラカシ
ダンコウバイ
ミズナラ
カマツカ

釣り場のじじい

甲斐駒ヶ岳・舞鶴橋・大武川。

午前9時半を過ぎた頃のことであったか?

話しかけてきたのはじじいの方からだった。砂煙で汚れた軽のパワーウインドゥが開く。

「釣りじゃ無いんか?」

釣りじゃ無いんかて・・・。この三脚で魚を獲れとでも言うのか。

カメラと三脚。こちらが携えていたのはこの二つだけ。足元はスニーカーのままだし、釣り道具を隠し持っていそうなベストなども着ていない。

「ここは山がきれいだろっ!」

きれいだ!と、答えてやった。

「いい写真がいっぱい撮れるだろっ!」

あぁっ。

釣り場のじじいは全国共通なんだなと思った。基本、釣り場のじじいの話し方はマウント調なのである。

①人の釣り方にケチをつけてくる。

②人の仕掛けにケチをつけてくる。

③ケチには至らずともアドバイスをしてくる。

釣り場のじじい3大特長。すべてにおいてオレの方が上だ!とばかりにアレコレ講釈を垂れてくる。

魚を釣って欲しいという思いがあるのであろう。遠方よりはるばるやって来た者らに良き思い出を作って帰ってほしいという思いがあるのであろう。しかし、こちらは教えを請うているわけではないし、そもそも思い出づくりなんてものも頼んでいない。

魚が釣れない中で試行錯誤を楽しむという釣りならではの楽しみがある。

釣りそのものに集中することの楽しみというものもある。

だが、そんなことはお構いなしに釣り場のじじいは話しかけてくる。3大特長プラス、釣り場のじじいはおしゃべり好きなのである。

おしゃべりが最優先。なにかを言いたくてしょうがない。したがって、相手が釣り人で無いとわかれば今回のようにお題を変え、またアレコレ言ってくる。

誰それかまわず。釣り場で出会った人には片っ端からこの感じなのだろう。過去に出会ったじじいのなかにはスーパーじじいみたいなのもいた。政治、経済、昔話、うわさ話、ギャンブル、高校野球の話しなどどんなネタでも雄弁に語ってみせる猛者だった。

それくらい振り切っているのならば話しは変わってくる。竿を振る手を止めて、羨望の眼差しとともにじじいの話しに聞き入ることになるのだろう。

こちらも相手がじじいかと言って、だれの話しも聞きませんよという体制では無いのだ。

他人を否定するばかりのボキャブラリーの無いタイプが嫌だ。何と言ってもそんなヤツに絡まれるために、外へ遊びにやって来たのでは無い。

こういうときは、早く居なくなってくれ・・・と心の中で一生懸命念じるか、道具一切を片付け、その場から早々に退散することになるか。今日の場合は、相手が車上の人だから何とかなってくれそうだが?

まったく・・・。

ふと運転席の方を見た。じじいの腕には赤い腕章が巻かれていた。

出会った人には片っ端からこの感じなのだろう。

人財

3月1日、場所は山梨県北杜市、大武川「舞鶴橋」上流の川岸(土手)での出来事である。

釣り場のじじいはただの通りすがりでは無かった。

その名を知っているという訳では無い。顔を知っているという訳でもない。ただ、このじじいは腕章屋なのである。

じじいが釣り業界の人間であるということ。

この人らの存在によって釣りという文化が支えられているということ。

日本の渓流シーンを盛り上げるための一活動家であるということ。

いろいろな情報が一気に入ってきた。

そして今、この瞬間。自身とじじいの間に流れる空気感というものが、釣り業界にとって非常に貴重な財産になっているのだという非常に重い、なんとも言いようのない感覚に襲われた。

無理もない。

それには比べる相手がいるから。

だれかって。

もちろん、

自分自身のこと。

砂防ダム音楽家。

砂防ダム音楽家だ。

砂防ダム音楽家をやっていて求めるもの。その最大は「良い響きが得られるように」日々こうどうすることにある。

良い響きが得られるように、堤体さがしをする。

良い響きが得られるように、場所をアピールする。

良い響きが得られるように、道具を開発する。

なにがなんでも「良い響きが得られるように」なのである。

とにかく「良い響きが得られるように」なのである。

考えることの中心はいつも「良い響きが得られるように」なのである。

だから多分、

多分、失敗する。

仕事で失敗する。

単一戦略のそのやり方。

世の中が求めているものを勘違いして。いらないものを用意し、逆に、いるものを排除するという悪行をやらかす。

たしかに「良い響き」は必要なもの。ただし、それだけがみんなに求められているものでは無いはず。

お客がもとめているものの「多様」に気がつくこと。気がついて用意すること。

集客における一番重要な事項なのではないか。

釣り場のじじい。

こちらに話しかけてきたのも、重要な任務のうちのひとつであったのだ。

こんな人財がいてくれる業界をうらやましく思った。

当日の水温はわずか3度と。これでは渋い。
しかしまぁ・・・、
魚を出すばかりが釣りじゃないから。
春の訪れを感じる。それだけで気分がいい。
(ハリエンジュの実。)

食べもの

午前中。じじいと別れたあとも、釣り人たちのギャラリーとなって過ごしていた。

移動を決めたのは正午を過ぎてすぐのこと。車に乗り込み出発。ほどなくして到着したのは「みち草」。

ここで昼食をとることに。

店先には水道の蛇口があって手が洗えた。これが外遊びをしてから駆け込むにうってつけの設備。ハンドソープも付いていて、やはりありがたく利用させてもらった。

店内は改築古民家の装い。

テーブル席あり、座敷の席あり。楽に座れる方を選ぶことが出来る。

オーダーしたのは親子丼みち草セット。

メインのみそ親子丼が美味く。また、いっしょに付いてくるプリンがいい。

プリンは抜群の濃厚さとホームメイドの素朴さを兼ね備えた極上の一杯。

午後0時40分、より道を出て大津山實相寺に向かう。

午後0時50分、實相寺ちかくの「神代公園」駐車場に到着。歩いて實相寺に向かった。お目当ては当地の銘木「神代桜」だ。

木は古木。

花も葉も付いていない状態。しかし旺盛に張る枝が見事なこと。また、その向きは力強くしっかり空に向かって伸びている。

木は2000年も生きていてこの有りようだ。これは見習わないといけない。われわれ人間は90歳、100歳なんて。まだまだじゃないか。

まだまだ元気よくやっている。生きているのだから、気持ちで負けてちゃいけない。

古木。しかしこの木もまたシーズンには見事な花をつけるのだという。

今はまだ、開花前。

そして観光客の姿はなく。

静かに木を楽しむことができた。

誰に話しかけられることもなかった。

おしゃべり好きなじじいに出会うこともなかった。

みち草へ
大人も子供もジャバジャバ洗える。
親子丼みち草セット。右端のプリンがとくによかった。
神代公園(トイレあり)へ
神代桜
神代桜のえだ

移動

午後1時50分、堤体に向かう。

神代公園駐車場を出て南進すると快速道路(甲斐駒ヶ岳広域農道)に出た。

右折し、大武川上流を目指す。

「烏帽子橋」「甲斐駒大橋」の二本の橋をわたると、山梨県道614号線に差しかかる丁字路へ。

案内標識にある「大坊」方面を選択し、さらにすすむ。

篠沢大滝キャンプ場の看板前ではY字分岐をひだりななめ前方へ。大武川の左岸道路を走り、大武川砂防堰堤直前では道がおおきく右にむかってカーブする。カーブにしたがって行き、そのまま林道内へ。林道内、1.3キロほど進んだところで橋。橋の名は「篠沢橋」。

篠沢橋をわたりきり、50メートルほどで林道ゲート。この林道ゲート前は車両の転回場のようになっている。

午後2時半、林道ゲート前。車は転回場の端に駐車した。

車から降りて入渓の準備。

春の陽気。ここ数日で一番あたたかい気がする。いつもなら車から降りてすぐに防風用のレインジャケットを着込むのであるが、どうやら今日は必要なさそう。

レインジャケットはバックのなかに押し込んで歩きをスタート。

午後2時50分、林道ゲートをくぐり抜ける。

本日むかう堤体は「人面砂防堰堤」。林道ゲートからの距離はほど近く、お手軽に入渓することができる。

午後2時55分、人面砂防堰堤の左岸側に到着。

登山用ポールの補助を受けながら堤体下流すぐの坂を下りてゆく。

午後3時05分、堤体前着。

快速道路の名は「甲斐駒ヶ岳広域農道」。
大坊方面へ
山梨県道614号線を走る。
篠沢大滝キャンプ場の看板前
篠沢橋
堤体の左岸側に到着
銘板
堤体前へ

場所

堤体は主堤と副堤の二段構造。水は右岸側に偏って落ちている。

冬期の減水期。山梨県内の河川を選ぶなかで「なるべく水が多そうな場所」ということでこんかい大武川を選ぶに至った。

思惑はズバリ的中。水はたっぷりと流れている。

水は堤体を落ちた直後、堤体に対しほぼ平行に左岸側へ走る。さらに左岸の川岸にぶつかったあとには、それでもまた左岸側に近づくように流れ、ある一点をさかいに今度は右岸側にむかってカーブする。

右岸側にむかってカーブする地点には高さ10メートルほどの堆積物(転石、砂利等)による壁ができている。

豪雨にともなう増水時には相当暴れるのであろう。圧巻の壁である。

堤体前に残るいくつかの巨石もまた印象深い。こちらは激流に耐えた石たちか?ただただ感心していられる程度に、並んでいる様子を眺めることが出来る。その存在によって立ち位置に制限がおよぶなどの影響はないだろう。

巨石以外では砂、小石が敷かれた区域が広く形成され。

たて幅、よこ幅ともに広い区間のなかで、堤体との適正距離を探っていくことが出来そうだ。実際に声を入れてみながら、理想的な響きが得られる場所を見つけていければよいであろう。

主堤を横から
この山もまた!
狭まったところは圧縮されて強く流れるので注意。
堆積物によってできた壁。
過酷な環境下で発芽したのはアカマツ。
流れの向き

道具に頼ること

自作メガホンをセットし声を入れてみる。

鳴らない。

これは想定済み。立ち位置を変え、再度声を入れてみる。

しかし、これも良くない。

さらに立ち位置を変えながら声を入れていく。

でもダメ。

「声を入れる」というのは声を堤体に向かって出していることをいっている。ただし何もないところで声を出しているのではなく、メガホンを持っているのでちょうど「声を入れる」なのである。

音が響いてくれないという状況に陥ったとき。まずはがんばって声を張ってみる。しかし、それでも響いてくれないから道具に頼る。道具に頼れば解決につながる場合がある。

しかし道具に頼って解決につながらない場合もある。

何も持たないで歌っているよりは道具があるほうがいい。気持ちの面での心強さが断然ちがうからだ。

道具に頼ること。

解決のために・・・、ということでもあるし、解決されなくとも心強さを手に入れることができる。

南西向き。正午過ぎもいいかも。
風はしっかり吹いてくれていたのであったが・・・。
立ち位置の自由度は高い。

うらやましい

結局、この日は午後5時まで堤体前で過ごした。

立ち位置を変えながら声を入れていくという行為を繰り返したが、結局、響きが得られるということはなかった。

砂防ダムの音楽をやっていて、釣りというものに近いなという部分がある。

砂防ダムの音楽では「声を入れる」。

釣りでは「仕掛けを入れる」。

どちらとも「入れる」。ということで似たような感覚がある。

声を入れてみて結果が出なければ、再度「入れる」をおこなう。(再投入。)条件をほとんど変えずに入れなおすこともあれば、立ち位置を変えてから入れなおすこともある。

「入れる」という行為を繰り返す。求める結果は響いた!という瞬間である。(これは、釣れた!という瞬間に該当するか?)

どちらとも、動いている水に対する試行錯誤。

考える。試す。の繰り返し。

結果を出すためのチャレンジ。

釣り場のじじい・・・、ならぬ堤体前じじいみたいな人物は?指南役は?今日はいない。

したがって結果にたどり着くには少し遠い道になるかもしれない。

しかし、

いまはメソードがよくわからない状態で試行錯誤していることが楽しい。メソード無き時代を生きていく楽しさ。その楽しさのなかに居ることが出来ている部分もある。

メソードという宝探しに出かけている旅でもある。歌える堤体さがしの旅は。自分自身の身で宝を見つけようとするロマンがあるわけで、そこに夢中になっている。

したがって堤体前のじじい・・・は、今は要らない。

だが冒頭感じたように、いずれはそういった人物が必要になってくる時代が来るのであろう。

みんながみんな同じ性格というわけでは無いから。お客がもとめているものの「多様」に気がつき、用意すること。

時間を逆にして考えれば、

あらかじめ用意し、到来を待つこと。

集客。

戦略的に考えるなら、

人、場所、道具。

全てが欠けることなく用意されている状態が理想。

もうすでに・・・。

もうすでに全てがそろっている業界は?

釣り業界。

すごいよ。やっぱり。

釣り業界はうらやましい。

結局、堤体前が鳴ることは無かった。

張り出す岩

アルカディア多目的広場


2月。冬。

冬でも堤体前。

そこはやはり、

屋外。

歌う場所でありながら、

屋外。

屋根もない、空調設備もない、正真正銘「外」という空間である。

冬。

このどうしようもない、

どうしようもない寒さ。

どうしようもないなら、

はじめからその場所を目指さないというのもひとつの選択肢。

山でなく。渓でなく。

無理はせず。

一年のうちで最も寒くなる季節はオフシーズンにする。ゆっくりぬくぬく暖房の効いた部屋で過ごす。

窓ガラス越しに枯れ草を見る。吹きさらす寒風を聞く。

温かいコーヒーをすする。

ユーチューブを見る。

それにも飽きてきたころ・・・。

渓行計画、新規開拓計画、情報収集、道具作り、その他作業。

音楽人として、川遊び人として、活躍の場は自宅や作業場に移行する。

乗り越えられれば。

この冬を乗り越えられれば暖かい「春」だ。

緩んだ空の下、

歌うために。

冬の季節は我慢の季節。

寒さ過ぎさるその日を待つ。

芝生広場。

一方では

2月9日午前9時。山梨県南巨摩郡南部町アルカディア多目的広場。

歌というものは最も身近な存在だ。

そんな想いも一方では大切にしていたい。

寒いからという理由をもとに外で歌うという遊びを失いたくない。

一年を通じてコンスタントに歌い続けたい。前例が欲しい。先駆者たちの後ろ姿は大事になってくる。

そしてなんと言っても堤体前の音楽なのである。やはり他の季節同様、新たな可能性を探るということをやっていきたい。

冬はこういう堤体を選んだ方がいい。とか、

冬はこういう曲を選んだ方がいい。とか、

こういうことをすると他の季節では味わえない、冬ならではの楽しみ方が出来る。とか。

抽象的な論で突き放すようではズルいだけなので、これまでに自身が感じてきたことを述べるとすれば“もっとも歌いやすい季節”こそ冬であるような気がする。

歌の持つ特性、歌の持つ機能を考えれば話しは早い。生きてゆく上で生ずる困難に立ち向かうには歌は大きな味方になる。

冬であること。寒いこと。

考えてみれば、もはやフィールドに立っていることそのものが困難なのである。

屋外で歌うという条件に照らし合わせて冬は合っている気がする。いちばん無理なく声が出せる季節であると思う。あとはプラス、新たな可能性を探るための宝探しの時間にあてていきたい。

寒いのだけれど、

今日は外でやろうと思う。

気温はマイナス2.6度。

駆ける鳥たちは元気だ。

セグロセキレイ
おっ?
飛ぶのか?
飛ぶのか?
飛ばない。

展覧会

午前9時40分、アルカディア多目的広場駐車場を出発。

車でなく、歩く。

午前10時、アルカディア文化館にやってきた。ここは図書館と美術館が共同になった施設である。

画家の展覧会をやっていた。

少しのぞいてみる。

室内は冬では無かった。暖かな色につつまれる展示のホール。

色を用いた創作物。その技術。「客観」という言葉があるが、ここまで色を使っているものに客観が成立するということの凄み。

作者自身がいいと思ったもの。一方、客として鑑賞する絵。

ひとつひとつの作品を見て作者とつながれる。のみならず、その色彩は2月という冬の季節にまるで春が来たような感覚をもたらしてくれた。偶然たちよった展覧会は、思いもよらぬ温かさをもたらしてくれた。

アルカディア。手前の施設はスポーツセンター。
文化館は1階が図書館。2階が近藤浩一路記念南部町立美術館。
展覧会は3月20日まで。

外にいる。

午前10時40分、アルカディア文化館を出発。

北へとすすみ、県営住宅南光平団地を過ぎて左折。田んぼ道を抜け、南部町大和(おおわ)の集落。坂道を登ってゆくと「峠のラーメン」へ。

昼食をとる。

午後0時05分、峠のラーメンを出て、アルカディア多目的広場駐車場にむかう。

気分は陽気。景色も明るい。

遠くには真木立つ山々。その山々を隔てて上は青空。下は黄金色の田畑。

溢れんばかりの日に照らされる山村の景色。

心は動かされた。

このあと予定していた日帰り温泉施設「なんぶの湯」への入浴を取りやめることにしたのだ。

湯に浸かることが嫌になったわけではない。温泉入浴のための一定時間、いくらかのあいだでも建物内に留まることが非常にもったいなく思えてきたのだ。この明るい陽気を少しでも多く満喫したい。今まさにこのときの最高の贅沢はなにかと考えた結果「外にいる。」ということを選択するに至った。

快晴である。しかし快晴でも気温はほとんど変わらなかった。不思議なものである。けっして緩んでくれない空気に冷やされながら車まで戻った。

南部町大和
ロウバイが咲いていた。
まだまだ冬という証拠だ。
峠のラーメンへ。
あるいた分、余計に美味かった気がする。
陽気。これぞ贅沢。

鍋島橋

午後0時40分。車に乗り込み堤体へ向かう。

県営住宅南光平団地まえを右折。新大和橋をわたり、オギノキャロットまえを通過。

共栄橋まで走り、本日入渓する戸栗川の様子をチェック。

異常なし。

共栄橋を渡りきり、国道52号線をくぐると直進。中央化学まえ、ビヨンズまえ、ハッピードリンクまえを通過するとやがて十字路へ。ここの十字路では民宿の看板が立っている。

看板は「山下荘」「十枚荘温泉」の二枚看板。

看板にしたがい左折し、道なりにすすむ。

午後1時15分、南部町公民館成島分館まえを通過。

やがてあらわれたY字分岐。「十枚山登山口」の逆側となる左を選択し、200メートルほど進むと「鍋島橋」。鍋島橋はわたらずに橋の西詰、道幅の広くなったところに車を駐車した。

オギノキャロット南部店
共栄橋から戸栗川と新戸栗川橋
民宿の看板にしたがい左折する。
山は大光山(左上)
南部町公民館成島分館を越えたあたり

重要事項

車から降りて入渓の準備。

靴を脱いで、靴下に「貼るカイロ」を装着。カイロは長方形に切り取られたレギュラーサイズの貼るカイロである。

くつ用とかくつ下用というカイロもあるけれど、これらは真冬の渓に立ち込むには少々もの足りない気がする。ウエーダー越しとはいえ水中に足を突っ込めば、足先はキンキンに冷えた冷水に襲われ、そこから陸上に上がると今度は気化熱作用にてガンガン冷却攻撃をうける。

面積、内容量ともに勝るレギュラーサイズの貼るカイロがよい。

信頼のレギュラーサイズ。

これが重要事項。

足先が冷たいかどうかは快適性のみならず。

大小の石がゴロゴロ転がる渓では安全歩行が重要になってくる。そのためにはまず足先の神経が正常状態にあるよう準備したい。

ウエーダー内できちんと足先が動くようになっていること。足先が動いてくれれば大きな石に乗るときにも、小さな石に乗るときにも石の大きさに呼応してバランスをとることができる。これは足の指先にしっかり力が入って踏ん張ることができている状態。渓を歩くときに常にこの状態を作ってやることで、普段通りのいちばん歩きやすい歩行ができる。

片足1枚ずつ、合計2枚の貼るカイロ。しかしこれが安全渓行にかかわる重要アイテムになってくる。

カイロが剥がれてしまわないよう靴下にしっかりと貼り付けられたら、ウエーダーを履いて下半身は完成。

上半身には防風用のジャケットを着る。冷たい谷風から体を守るには、やはり風を通さない防風機能付きのジャケットがいい。ジャケットの下には吸汗発熱性のインナーや防寒用のフリースなどを着込む。

山で歌うという特性上、止まっているときと動いているときとでは運動量の差が激しい。歌っているときは衣服を着込むことによって快適性を手に入れたい。反面、動いているときには運動によって発生する余分な熱を体外に放出したい。

堤体前までの苦労。せっかくたどり着いたのに、寒くて全然歌えなかった。ではもったいない。衣服は気持ち的なゆとりにつながるよう少し多めに用意。当然ながら時間の経過とともに夜は近づき、気温は下降の一途をたどる。(とくに午後ゲームの場合。)収納面、重量面、ともに支障をきたさぬ程度に多く持つよう準備したい。

そして理想は止まっているときも動いているときも快適だと感じられる状態をつくること。

もっと温かい方がいい。もっと寒い方がいい。

これが意外と良くない。余計なことを考えるのが良くない。

余計なことを考える必要を無くし、集中力の高い状態を保つことが理想的だ。

歌を楽しむこと。安全渓行を行うこと。もはやいずれの局面においても快適性は重要事項といえるのである。

レギュラーサイズの貼るカイロ
足の甲側に貼る。
入渓点。左が南俣川、右が西俣川。

攻めの姿勢

午後1時50分、鍋島橋の下流より入渓する。

入渓直後には南俣川と西俣川の合流点。南俣川を選択し、豆腐石の上をわたってゆく。

この川に来たのは昨冬以来だ。そのときにはすでにこの川にはディディーモがいることを確認している。

ディディーモに足を乗せるととにかく滑るのでこれはとにかく注意しなければならない。

なるべくなら大きな石の上には足を乗せないようにしたい。

「南俣川堰堤」は、南俣川入渓後に一番最初にあらわれる堤体である。

歌える堤体として間違いなく一級レベルにランクインする堤体がこの川にはある。したがってディディーモの生息が確認されようとも、今後自身がこの川をおとずれる機会を無くすことはないだろう。

これは自分自身のことだけではない。いろんな人がどんどん入渓すればいいと思っている。その生息する川に。

いろんな人が川に入り、その現状を知ることがまずスタート地点であると考える。

「攻めの姿勢」で取り組むべき課題であると考える。

まずは一人でも多くの人がこの問題について知ること。やがて人の数=アイデアの数になり、解決に向かうことに期待している。

豆腐石の上をわたってゆく。
ディディーモ①
ディディーモ②
日かげの渓は雪を被っていた。
南俣川堰堤

南俣川堰堤

午後2時05分、南俣川堰堤に到着。

一級場所も冬の減水期では落ちる水が少なすぎる。しかし、敢えて少なすぎる水を相手に歌うのも楽しそう。

しばらく考えた。

結果、南俣川堰堤はパスすることにした。

午後2時50分、南俣川堰堤を巻いて堆積地に上がった。

川は南東方向に少し進むと急激な右カーブをむかえ、北に進路を変えた。しかし本日は夕方ゲーム。まったく気にすることなくそのまま遡行をつづけた。

巻きつつ、銘板を撮る。
放水路天端越しに下流側
上流側は堆積地
南俣川堰堤のランドマークツリー。スギの枯木。
進路が北に変わったあたり。
堤体前着。

デカ石

午後3時15分、目的の堤体に到着。

水は堤体の中央より少し右岸側に集まって櫛状に落ちている。

堤体の露出部分(露出して見えている部分)の堤高が10メートルほど。そのうち半分の5メートルのところに奥行き1メートル程度の段差がある。一見すると副堤付き、二段構造の堤体にも見える。しかし、実際は段差の付いた単堤である。

水はいったん落水直後に池にプールされ、その池から溢れ出た水が下流へとつづく。

池の下流には車の大きさに例えて「軽貨物サイズ」のデカ石がドン!と鎮座している。このデカ石を境に流れは左右両岸側に分岐。左岸側は深く掘られた淵へ。右岸側は直径1メートル以下、大小の転石が転がる中をすり抜けるように水が流れている。水は小さな段差を越えるときには落水し、ノイズを発生。

堤体前ノイズとしては小さな段差と堤体本体の落水によるものが主となる。

二段構造に見えるが、下段はわずかな奥行きしかない単堤。
長い年月のあいだに消耗してしまっている。
段差に叩きつけたあと池に叩きつける。
軽貨物サイズのデカ石
場所によっては氷が張っていて。慎重に歩く。

柔らかなノイズ

堤体前、立ち位置として設定したのは45ヤードの位置。

デカ石の圧倒的な存在感にはじき出され、その右斜め後方(左岸側)に立った。

自作メガホンをセットし、声を入れてみる。

鳴っているのがわかる。

堤体前ノイズに混じって、自身の出した声が響いている。

立ち位置から堤体方向を正対すると、左岸側の張り出す岩を見ることが出来る。この張り出す岩によって堤体の中央より左岸側は見ため上、大きく隠れてしまっている。そして、落水の着地(池への着地)地点の様子も確認することが出来なくなっている。

堤体の水裏側(堤体の下流側)の全景を見ることが出来ない。反面、張り出す岩があることにより、落水ノイズは直接立ち位置へと迫ってくることができない。

「張り出す岩」が一枚壁になってくれ、ノイズが直接的なもので無くなっている。

ノイズに声を合わせていくのはいつものこと。しかし、今日は相手にしているノイズが直接的なものではない。

鋭さを失った柔らかなノイズ。柔らかなノイズを相手にしている。

堤体は北西向き。
距離は45ヤード。
微風が常に吹く展開に。

戦略的な声の響かせ方

結局この日は午後5時まで堤体前で過ごした。

演奏施設となる堤体前。堤体前に到着した段階では、歌い手はまず歌うための立ち位置を決めにいく。

歌うとき。対象物となるのは砂防ダム等堤体類。

「歌い手」と「堤体」。二者間の距離を見ながら、もっとも歌うための立ち位置としてふさわしい場所を探しに行く作業である。

本来ならば距離だけを考えればいい。距離という数字だけを見ればいい。

しかし実際のフィールドでは単純にいかない。今回入った堤体前のようにデカ石がある。岩の張り出しがある。こういった理由により立ち位置の制限を受けるようになる。

石。岩。(そして今回は無かったが立木なども。)さまざまな自然物が存在するなか、立ち位置を決めにいく。すると人が立ちたい空間にすでにものが置かれている場合がある。必ずしも距離という数字だけをもとに、好きな立ち位置を設定できるとは限らない。

こう書くと不都合な条件に陥れられている気がする。

だが、このような条件を逆に肯定的にとらえ、うまく利用していくという手もある。

堤体前をおとずれることの最大目的は何か?

それはいつだって歌声を響かせることにある。

ならば石でも岩でも現場にあるものは何でもすべて利用して、響き作りを実現させていけばよい。

今回の場合は堤体前の「張り出す岩」を利用した音楽。

結果として、声を合わせにいくノイズが直接的なもので無くなった。

代わりに出現したのは柔らかなノイズ。

柔らかなノイズが相手にできたことによって、入れる声とのパワーバランスが良くなった。

堤体前にある自然物を利用した戦略的な声の響かせ方。

堤体前ならではのおもしろさを満喫することができたゲームとなった。

線で囲ったところが「張り出す岩」。
張り出す岩が一枚壁となってはたらく。
立ち位置からの視界はこうなる。
一枚壁越しにノイズを聞きながら、声を合わせてゆく。

御勅使川に

御勅使南公園

こんなに長い公園ははじめてだ。

南アルプス市、御勅使(みだい)南公園。

甘利山、千頭星山、櫛形山。名だたる山々を西に見る公園は、ごくごくわずかに登り坂になっている。

公園に平行するのは御勅使川。この川もところどころ堰堤階段を伴いながら少しずつゆるやかに登っている。

ウォーキングロードと言ってもよさそうな「クロスカントリーコース」。

わずかな傾斜は歩いていてもほとんど気がつくことがない。

御勅使南公園だけで東西およそ2.2キロメートル。隣接する御勅使川福祉公園がおよそ1.4キロメートル。

足せば単純計算、3.6キロメートル。

長い。

まずは片方だけでも。御勅使南公園をあるいた。

鳥は寒くないのだろうか?

冬アベリア

1月13日、午前8時。散歩のスタート地点としたのは、御勅使南公園第一駐車場。

気温はマイナス2.4度。底冷えするような寒さだ。

第一駐車場から御勅使川の土手までは200メートルほど離れている。まずは車を降りて土手まで向かう。

スタート直後、土手まで向かう途中。Aグラウンド横の植栽。

アベリアが!

紅く色付く葉に、毬状になった萼。

もうとっくに散ってしまった花びら。萼だけは頑丈らしく、枝先にほころんだまま、整ったまま付いている。

これが金色とも茶色ともつかない色に。朝日だ。

これはこれは。

さあ。

いいもの見れた。

帰ろう!

剪定がなされていないのは?
こういうことか!
三文の徳。朝。

寒い!

帰りたくなるほどの寒さであったが、もう少し頑張ることにした。

クロスカントリーコース。道は植樹された木に恵まれている。

ケヤキ、クヌギ。常緑ではシラカシ、アラカシ、マテバシイ。アカマツが全体的に多い。

トチノキ。どういうわけか、山梨の公園というのはトチノキが多い。県の木なのかな?とおもって調べてみたら県の木は「カエデ」とのことであった。

ムクゲ。ムクゲもやっぱり多い。これはかの国の国花。政界が大混乱らしいが、その元気の良さだけはある意味うらやましくもある。

木は全部に・・・、とはいかないものの一部には樹名板がついていて何の木かと見ることが出来る。

ながいながい散歩道も見るものが多く、飽きずに楽しむことができる。

クヌギのどんぐり
ツルウメモドキ
スイバ
コトネアスター

両手いっぱいの

午前10時、ながい散歩道では考えごとをしがちである。だいぶ西のエリアまでやってきた。場所は、山梨県立わかば支援学校や第三駐車場があるあたり。

このあたりは背の高いアカマツが見事だ。

両手いっぱいの量を集めるのにそうそう時間は掛からなかった。松ぼっくりごとき。ごとき松ぼっくり。これをただただ拾い集めるだけ。

こんなこと。

これっぽっちのこと。

なのにまぁ、こんなことにさえ及んでいないのだという現状。

歌い手がこの日本でどれだけいるというのか。歌う人らのパワーによって、何が出来ているというのだろうか。歌うことに端を発して、外部に発信できていることはあるか。

松ぼっくり拾いを知る人のほうが多いし、実際、松ぼっくり拾いをする人のほうが多い。

勝てていない。

負けている。

こんな。

こんなぽっちのことにさえ。

数が多けりゃいいってもんじゃないが。

砂防ダム音楽家のことだ。

とくにアカマツが印象的なエリア
アカマツの松ぼっくり
西側の公衆トイレ
駐車場は東側のほか、西側に第3駐車場がある。

立ち寄る

午前10時半、第一駐車場までもどって自家用車に乗り込む。駐車場を出庫。

宮入バルブ製作所まえを左折。下った先の丁字路を右折。

南アルプス市六科から南アルプス市有野へ。

「源」の信号交差点では右折。

すぐにあらわれたのがローソン南アルプス街道店。何の変哲もないただのローソンである。しかしこれよりさき、芦安・夜叉神ヒュッテ方面へ向かうにはこちらが最終コンビニとなる。

駐車場に車を停め、店内へ。

忍ばせの品を購入し、店を出る。

午前10時35分、ふたたび車に乗り込み出発。

御勅使川の流れを遡るようにつづく道は「南アルプス街道」。南アルプス街道に沿ってひたすら西進する。

午前10時50分、南アルプス市駒場浄水場まえを通過。

午前11時、上新倉橋まえを通過。

午前11時5分、「なとり屋」まえ(ここは道路はさんで反対側にトイレ有り。)を通過。

午前11時20分、芦安堰堤まえ着。

ローソン南アルプス街道店まえの曲がり角。
最終コンビニ。忍ばせの品を購入。
駒場浄水場のあたり
上新倉橋まえ
公衆トイレは「なとり屋」の道路はさんで反対側。

芦安堰堤

芦安堰堤。

石碑によれば竣工は大正15年(1926年)とのことである。当年起算とすれば来年に歳を100とする歴史ある堤体だ。

堤体のおよそ40メートル上流に架かる瀬戸大橋は、竣功昭和61年(1986年)。ということでこちらは来年40周年。

両者とも記念すべき年を迎えるに当たってか?現場はちょっと騒がしい状況にある。

アーチ式の天端のうち、放水路天端部分には鉄板が置かれている。また、芦安堰堤、瀬戸大橋両者を見ることが出来る施設(展望台)は、改良工事のまっただ中という状況。

放水路天端部分に置かれた「鉄板」について。自身が大注目している部分である。この鉄板が置かれる以前にも見た覚えはある。しかしその姿はまぁ・・・。

美しいとは言い難かった。

堤体の放水路天端部分の石張りが崩落していることに起因する、落水の荒れ。

堤体本体のうち放水路天端というのは最も美しくあって欲しい部分だ。石張りの天端ならば石が剥がれていないこと。コンクリートの露出する天端ならば当該部分が欠けていないこと、削れていないこと。

放水路天端が美しい状態に保たれていると、その下流カドの部分から水がきれいに落ちてくれる。逆にここが欠けていたり、削れていたりすると、その部分にだけ水が集まって棒状あるいは櫛状に落ちるようになる。

集まった水はヨジれながら落下し、水タタキ・水褥池に到達するころには大きく暴れて接地する。崩れに崩れて形が変わり、下方へ向かう水のすがたは何とも哀れだ。

重たく叩きつけるように接地した水は周波数の低いノイズを発生させる。ノイズそのものの発生周期も粗く、声との混じりが良くない。

美しくない見ためは外観のみならず音にも影響するのだ。

理想的なのは水が最後落ちきるところまでしっかりデザインされている状態。

大型の貯水ダムなどはその注目度からけっこう気にして見てもらえるが、砂防とか治山くらいの規模だとまだまだそこまで(というより全く)話しが及んでいないのが実情。

しかしこちらももともとは人間が作ったもの。人工物なのである。作り替えるということが許されている。手を加えて、理想の形にすることができる。

ならばやっぱり改良されたい。

天然記念物化されることがないのは逆に強みだ。

日本全国同様に見るも無惨な堤体というのがあるかもしれないが、絶対にあきらめるべきではないと考える。

価値のないものは直してゆけば良い。

付加価値が生じれば商品となることを忘れてはならない。

一部の声だけ参考にして、負の遺産と決めつけてしまうのはまだまだ早い。

瀬戸大橋と芦安堰堤
御勅使川の流れを落とす芦安堰堤。
もちろん声は入れてみた。
ほとんど鳴ることは無かったが。
鉄板。しっかりとしたカドができている。
鉄板が設置されたことによって落水が美しくなった。

金山沢砂防ダム

午後11時50分、瀬戸大橋まえを出発。

瀬戸大橋の一本上流に架かる沓沢橋をわたり御勅使川左岸へ。車のヘッドライトを点灯させ道形にすすむと金山沢温泉まえを通過。直後のY字分岐を右へすすみ、ガードレール製欄干の橋をわたる以前に左折する。

正午に「金山沢砂防ダム」の堤体前に到着した。

北西向きの堤体。

天候、晴れ。

堤体水裏(堤体の下流側)を太陽の光がものの見事に照らしている。

堤体本体、堤体前の空間。ともに明るすぎる。

もう少し時間を待ちたい。日が西に傾いて、右岸側の山にもっと近付いてくれれば堤体に影がかかる。

影がかかって、よけいな眩しさが無くなってからが歌の時間だ。

それまでは車内待機。幸い、この場所は車から降りてすぐに歌うことが出来る。

寝て待てばよい。午前中にしっかり歩いた御勅使川南公園の疲労回復も考え、車内に留まることとした。

堤体直前の分岐。白い看板の方へ向かえば堤体がある。
堤体前。正午に撮影。
午後2時50分に撮影。
堤体名は金山沢砂防ダム
北西向き。早朝か夕方がおすすめ。

軽装で楽しめる

午後2時20分、堤体水裏をしっかり影が覆ったことを確認し、準備にとりかかる。

準備とは言っても本日の場合、ほとんどやることがない。

車から降りてすぐという環境で、堤体前の音楽を楽しむことが出来る。ウエーダーは履かなくてよいし、ヘルメットも被らない。

昼寝から目覚めたそのまんまの格好で、歌うことが出来る。

自作メガホンをセットし、声を入れてみる。

鳴っている。

堤体前。つまり堤体本体と左右両岸、広く壁状になった空間の中を声が響いている。

ノイズの発生源は主に3ヵ所。

・主堤の水裏、副堤の水タタキ付近。

・副堤下流の護床工区間。

・金山沢川水力発電所。

3ヵ所いずれも立ち位置からかなり離れているため、影響が少ない。水力発電所についてはどちらかと言えばこれは簡易的なもの。最小規模といえる大きさで、生成される機械音も規模に準じてあまり大きくはない。

ノイズによって音が聞きとりにくくなるという状態にはならない。視覚情報として、水の摩擦が起きている箇所をいくつも見ることができるが、耳への刺激は少なめ。音としてはかなりおとなしいという印象の堤体前。

入れてゆく声が聞き取りやすいという条件のなか、音楽を楽しむことが出来る。

冬は落葉樹の葉が落ちることによって見通しが良くなる。
左岸側。
右岸側。
金山沢川水力発電所
階段を伝って河原まで降りることが出来る。

現場での集中力

結局この日は、午後5時まで堤体前で過ごした。

堤体前が常に鳴ってくれる状態にあって、そこでどんなものを展開するのか。

声の聞き取りやすさ。これが保証される中でなにをやっていくか。

ときに対面する、ノイズに負けてまったく音楽にならないようなシチュエーション。そういった時にはいつもどのようにすれば響かせられるのかを必死に考えるわけである。堤体前という空間で楽しむために。

そういった努力を常におこなっていくことで砂防ダム音楽家としてレベルアップしていきたい。現場の環境に流され、あまりにも簡単に考えてしまうと逆に失うものがある。

現場での集中力。

うるさい堤体前では得られている集中力。

ある意味、自然界の発するノイズから貰っているプレゼントであるとも言える。

音に静かになることによって、受け取るものを失うことがある。

静かすぎて逆に難しかったという印象を得たゲームとなった。

今年もまた、いろんな所へ行き歌うという展開になるだろう。どこの堤体前でも目指すことは一緒。音に集中し、歌い手自身が楽しめる音楽をするということ。

大きな堤体、小さな堤体。

うるさい堤体、静かな堤体。

自力をつけ、どんな堤体でもしっかり楽しめるようにしたい。

微風の好条件。
高い堤高に合わせて距離も長く取る。
138ヤードの立ち位置。
こちらは一段下に降りた立ち位置。

小さな目標

山梨銘醸

歳末。一年の締めくくり。

有終完美。

願うは、

美しく終わること。

怪我なく、

不行き届きな発言なく。

酒蔵を訪れた。

見るからに古い建物。

歴史は長く、270年以上だという。

自分自身、それは成人年齢に達した頃から今に至るまでのことだ。どうも酒というものが苦手でならない。

体に合わず。

受け付けず。

自らの意思ではどうにもならなく具合が悪くなる。

嗚呼。

これが、

これが何かのきっかけになればという・・・。

小さな目標がある。

ここに限ったことではないだろう。酒が飲めなきゃ山梨は難しい。

山梨を知るなら、やっぱり出来るようになりたい。

酒。

甲斐の国に引っ越して1年。山梨県民として、山梨を学ぶ身として、

酒は。

酒を。

その飲んだときの感想を言えるようになりたい。

いや、

その段階にはまだまだ。

背伸びだ。

もっともっと上のレベルだ。

まずは味の違い。

ただのそれだけでもいいからわかるようになりたい。

小さな目標である。

南向きの玄関

歌ひとつ

12月24日、午前10時半。北杜市白州町台ヶ原、山梨銘醸直売店。

怒られるかな?という思い半分に。

酒を購入した。

ここはカウンターで係りの方が相談に乗ってくれる。

しかし迷った。

そりゃそうだ。

どれにすればいいのかわからない。

試飲することが出来るのだから、本来ならばその味基準に選べばいいはず。しかし今日はこの場に車で来ているし、そもそものところ、冒頭述べたとおり自身はひどい下戸なのである。

せっかくの意も酌むこと出来ず。飲むこと出来ず。

最終的にはカウンターのところにある商品のチャート表(辛い、甘い、香りのことが書かれている。)をもとに、自らの意思で決めた。

味の違いがわかるようにという目標であるところ、非常にあっけないやり方になった。こんな決め方でいいのかと思った。果たして吉と出るのか?凶と出るのか?

それにしても、「お気に入り」というか・・・、だれもが持っているというのか。そういうものを。

日常生活のお供として。相棒として。家の貯蔵庫に常時置いておき、いざというとき出すというのであれば、それはそれは非常に頼もしい存在であると思う。

酒にたよればもっと楽な日常が送れるというのか?!

自身のストレス解消法といえば、

酒つかわず、カラオケつかわず。

砂防ダム。

である。

砂防ダムに行って歌う。

砂防ダムのために山に行き歌う。

この何とも非効率なやり方!

歌ひとつ。わざわざ遠くへ出かけなければいけないという、この時間の、金の、労力の大変なかかりよう。

それは夏でも冬でも。

今日だってここ台ヶ原宿は朝の気温はわずか4.8度という寒さだ。

これより向かう山はさらに寒くなるであろう。

なにをそんな馬鹿する?

いや、遊びとはこういうものだ。こういうものに違いない。そうおもっている。

効率とか、手軽さとか、早さ。安さ。比較すること。追求すること。その結果を他人に自慢すること。

そういう生き方もアリだ。

一方で違う考え方。

幸せは自分自身に降りてくるもの。

自分自身の価値観にしたがって幸福追求していけば良いじゃないか。人生について。これからについて。

他人の目をうかがいながら生きたとして。その先には・・・?

みごとな梁。
革製品の販売コーナー
北原家母屋
ガイドツアーに頼れば解説付きで楽しめるという。
蔵元限定の製品も。

西高東低

午前11時10分、山梨銘醸販売店を出た。

すぐさま向かいの台ヶ原珈琲に入る。

入渓前の腹ごしらえ。ランチにした。

窓からは通りの景色が見える。

ガラス越しの陽があかるい。

今年のクリスマスイブは晴れた。日本列島は西高東低きれいな縞模様が踊る冬型の気圧配置とのことである。

生まれの新潟では山間部を中心にまとまった雪が降っているらしい。

西風が強まる冬型の日。しかし、歌える堤体さがしの旅にあまり良い思い出はない。

堤体前というのは風が吹いていて、空気が動くときに響きが良くなる。

人間の口から放たれた声というのは、自然界においては相当風が運んでくれるらしい。

風が声を揺すってくれている状態が理想的だ。風がピタリと止まっていれば声は飛ばない。風が止まっている、ただのそれだけのことであるのに、堤体前を覆う空気のかたまりのなかに声を入れていくのが重い。

疲れる。

響かせようとすればするほど、

頑張れば頑張るほど、

疲れる。

重いから。

風が止まっていて、なんの手助けもない状態に不満がでてくる。

風が吹くことは歓迎すべきことだ。

で、問題は堤体前という場所。ここがなぜか無風になりやすい。それがなんの日かといえば、冬型の気圧配置の日であるということで、たちまち意味がわからなくなる。

海沿いではあんなに強かった風が、山に入り、渓を遡り、堤体前に到着するころには嘘のように無くなってしまう。

無風の重たい重たい空気の中に声を入れる羽目になる。

あぁ重い。

こんな思い出ばかり。

果たして今日はどうなるのであろうか。向かいにそびえる大屋敷の玄関。玄関に掛けられたのれんは、ときおり風を受けて激しく揺れている。

台ヶ原珈琲
こちらはランチの。
こちらもランチの。
ランチはコーヒーで締めくくり。

忍ばせの品

午前11時40分、ランチを終え台ヶ原珈琲を出る。

忍ばせの品が無い。今日はまだ。

名落語家は言っていた。

帰りのかばんには若干の余裕がございます!

こちらは入渓前。フローティングベストに若干の余裕が出来てしまっている。

このまま堤体に向かうのでは懐が寒い。忍ばせの品を買いに行くことにした。

台ヶ原珈琲の三軒となり「金精軒」へ。

ここの名物は信玄餅。金精軒の信玄餅。

間違えちゃあいけない。金精軒が製造・販売している信玄餅。

信玄餅とほか3種類の菓子を購入し、店を出た。

駐車場にむかって歩く。車を駐車してあるのは市営台ヶ原宿駐車場。

「くぼ田」というそば屋のまえを経由する。ちょっと遠回りのルートで駐車場に向かうのは、これより入渓する尾白川のようすをチェックするため。

午後0時5分、尾白川橋にて尾白川をチェック。

異常なし。

午後0時15分、市営台ヶ原宿駐車場。駐車場のトイレを借りてから出庫した。

駐車場を出てからは国道20号を西進。少し走って歩道橋をくぐると、左手に農協ガソリンスタンドが現れた。農協ガソリンスタンドのある交差点で左折し、道に沿う。

「尾白川渓谷」の看板では表示にしたがい右折。すると、田んぼのど真ん中を抜ける長い直線道路に出た。

この直線道路は「べるが通り」という名がついているようだ。どうであろう、家ひとつ無い田んぼ道に名がついているというところは今までほかに出会った記憶がない。

名称がちゃんと付くだけあって雄大な景色がのぞめる。観光資源としての機能が付随している。ただの田んぼ道に付加価値が生ずる圧巻である。

ベルガ通りを最後まで進み、丁字路にて左折した。

林間を抜ける道を行くと、最後の行き止まりにある駐車場が車で行ける最終地点。

午後0時40分、尾白川渓谷駐車場に到着した。

一帯は「台ヶ原宿」と呼ばれているエリアだ。
金精軒の信玄餅ほか
市営台ヶ原宿駐車場近くから。甲斐駒ヶ岳(中央)。
べるが通り。甲斐駒ヶ岳(左、雲がかかった山)、日向山(右、手前側一番高い山)
林間を抜ける。
尾白川渓谷駐車場

見えているのに・・・、

車から降りて入渓の準備。

新調したネオプレンの手袋が手になじむ。

午後0時55分、入渓の準備を終えると駐車場内にあるトイレへ入った。

随分立派な公衆トイレがあるのは心理的な手助けのためか?

尾白川渓谷のハイキングコース。ここは案内によれば登山道の入り口でもあるという。

山は日向山、鞍掛山、甲斐駒ヶ岳。甲斐駒ヶ岳以西については赤石山脈の縦走ルートが続いているため、そのさき奥には途方もないコースが待っている。

登山の本場ということだ。

トイレを出た。

スタート地点には入山届の記入台が。この記入台がなんとも言えない雰囲気を醸し出している。いや、気のせいではないだろう。

入山届の紙。これが焦る表情とともに掘り起こされるとき。そのときのことを想像してはいけない。寒気がする。

いつに無くピリッとしつつ、緊張感を与えられつつ、記入台横を通過した。

堤体はすぐに現れた。

ついさきほど記入台横を通過したばかりである。しかし、目的の堤体はもう目の前に見えている。ハイキングコースの谷側斜面下にある堤体。目と鼻の先ほどの距離で、斜面をすぐにでも降りて堤体前に向かいたいところだ。

しかしハイキングコースの途中にある尾白川渓谷キャンプ場の看板によれば、谷側の土地はキャンプ場の敷地内であるという。はっきり「これより有料」と書かれている。

ここは仕方なくキャンプ場のさらに上流を迂回し、入渓点からの下り歩きで堤体に向かうこととした。

午後1時05分、尾白川渓谷キャンプ場の入り口前を通過。

午後1時10分、尾白川に入渓。入渓点としたのは竹宇駒ヶ岳神社の駐車場。駐車場から尾白川に向かってスロープが下りていて、その坂を下って入渓した。

入渓点で上流側の写真を撮ったあと、下流側に向きを変える。

下流に向かって歩き出す。

水はたっぷりと流れている。ただし水量的には完全に冬の渓の水になってしまっていて、危うさを感じるほどの分厚い流れではない。

ところどころにある川砂の深く堀れたところを避けながら、堤体を目指した。

午後1時20分、堤体水表側の堆積地に到着。

やはり写真を何枚か撮ったあと、左岸側袖天端によじ登り、いちばん端まで来たところにて降下。

午後1時半、堤体前着(堤体名不明)。

尾白川渓谷駐車場のトイレ
緊張感を与えられつつ、記入台横を通過した。
入渓点から上流側
堆積地から天端越しに下流側。
堤体前着。

水と風

水はきれいに落ちている。

この場所に来るまでに堆積地とその上流を見てきている。堤体を落ちる水がどの程度であるかは何となく予想していた。

予想に違わぬ落ちっぷり。非常に好意的なこととは水が多すぎないこと。

堤体水裏にまとわりつくように落ちる水と水平方向に飛び出す水。

両者の落ち方にそれぞれ魅力があり、どちらも楽しむことが出来る。

懸念されていた風は吹いたり止んだりという展開。

吹くときは秒速5.0メートル程度までで、ときおりビューッ!ビューッ!とまとまって吹く。強い風になったり弱い風になったり。あるいは無風になったり。

いろいろな瞬間のなかで歌うことが出来そうだ。

右岸側
左岸側
天端のギラつきはほとんど見られなかった。
風速。最大・最小のあいだの1コマ。
堤体までの距離
おおよそ南西向きの堤体。

立ち位置を変更する

立ち位置を決める。

なるべく遠くに設定した立ち位置。堤体水裏の壁から離れたということだ。

距離にして44ヤード。

これよりももっと後ろに下がっても良かった。しかし、以降下流はゆるやかながらも階段状になった瀬が出来ていて、かなり目線が下がってしまう。

あたりを転がる川石によって視界が遮られ、堤体前の景色が楽しめなくなる。

それより何より、前途したとおりの瀬によって耳は詰められ、音が非常に聞きづらくなる。音楽を楽しむ身としては致命傷と言えそうだ。

ここはひとつ、階段を上がりきった場所を立ち位置に設定し、目にも耳にも楽しめるかたちでゲームを展開することとした。

自作メガホンをセット。

声を入れてみる。

鳴っているような感覚は得られている。鳴っているような感覚は得られているが、声が聞こえているわけではない。

やはり、立ち位置のすぐ後ろにある瀬の音がうるさく、響いている音をうまく聞き取ることが出来ない。

立ち位置を変更する。

川のやや左岸側寄り。堤体との距離は先ほどよりも短くなって35ヤード。この場所を選んだ理由として、とにかく一番静かそうであったからだ。

大きく岸寄りに外れたところ以外で、一番静かにおもえるところ。

実際に立ってみて納得。やはり一番静かなところというのは瀬から距離が離れている。

再度、声を入れてみる。

やはり、こちらのほうがはっきりと声を聞きとれる。局地的なノイズが変化しただけでなく、広い空間における響きについても、堤体による落水ノイズと声との両方の音を聞くことが出来る。

44ヤードの立ち位置。

この遊びならではの面白さ

結局この日は午後4時まで堤体前で遊んだ。

立ち位置の移動により見つけたのは、はっきり音を聞きとれる場所。

立ち位置は瀬から遠い場所。こちらに移動してしまえば、ノイズに巻かれることもなく非常にクリアに音を聞くことが出来る。

あとはチャレンジ。

しっかりと音が聞けるような場所を見つけられたのなら、そのまま当該良い場所に留まり歌い続けるのもひとつのやり方。だが、敢えてその場所を離れ、難しいところにチャレンジしてみるのも面白い。

よほどの環境変化が無ければ、良い立ち位置というのは良い立ち位置として変わらない。延々、同様の落水ノイズと人の声とのパワーバランスで遊ぶことが出来る。

好適な場所。

これに飽きたということではない。次なる可能性として音の聞こえ方に変化がでるよう場所を変え、チャレンジをしてみようということだ。

気分転換程度に立ち位置をちょっとずつずらすだけで、瀬のノイズも、声を入れたときの響きも少しずつ変わってくる。

立ち位置をいろいろ変えてみる。さらに歌い手自身、音の聞こえ方に対して、難しくなったとか簡単になったという感覚をもとに各所「難易度」を設定してみる。

ひとつの堤体前に難易度別、複数の立ち位置が存在しているということがわかる。

この日の場合は局地的な瀬のノイズにも、声を入れたときの響きにも、好適な場所を見つけることができた。

その場所に居さえすれば、ほぼほぼ良い響きが得られることが確定している立ち位置を早々に見つけ出すことができた。

良い立ち位置は逃げてはいかない。良い立ち位置には目印を置いておき、いつでも戻って来られるようにしておけば精神的ゆとりになる。その精神的ゆとりを元手にいろんな場所へと繰り出し、歌う場所の違いにより生じる音の聞こえの変化を楽しめばよいであろう。

うるさすぎて、まったく音楽が成立しないようなところにも敢えて立って歌ってみる。そんなことができるのもこの遊びならではの面白さだ。

さて、今年のブログ投稿はこれにて最後。

山へ出かける。川に触れる。堤体前で歌って遊ぶ。

遊びの提案として、こういったものがあるのだということを当ブログを通じて伝えてきた。

川を相手にした遊びは「釣り」や「沢登り」「カヌー」「ラフティング」「キャニオニング」といったものがすでにあって、多くの人がそれらの遊びに興じている。

自身ももともとは釣り人である。やはり川で海で魚を捕ることを人生の娯楽としてきた。

ジャンルの違いこそあれど、みな川遊びをする集団の中の一員ということであり、広い意味で言えば「川遊び仲間」ということがいえるだろう。

そんな川遊び仲間という集団の中で、「川」というものを見続けていくことの大切さは、ここに記すまでもなく多くの人が感じていることだと思う。

インターネットの発達で、世の中のことはあらゆるジャンルにおいて検索すれば調べられるようになった。これによって現代人は、大抵のことについて、それに対してどのような価値観を持って接すれば良いのか、どのように対処すれば良いのかということの答え(対処法)を導き出せるようになっている。

対処法は都市部で起きていること、人口密集地で起きていることほど情報量が多い。

逆に田舎の人口少ないところ、そもそも人がまったく住んでいないところの情報というのはまだまだ少ない。

やはり山であったり、川であったり、渓流であったりという場所についてはまだまだ情報が少ない。ゆえに、ものごとに対する対処法もわかっていないことが多い。

「熊が出た!」という報道が流れる。ある人は熊を殺してしまえ。と言い、ある人はかわいそうだから保護して山に返せと言う。

でも、じつはみな、自身を含めて野生の熊なんか見たことも無い。

そういう人が増えている。熊を見ず、熊を語る人が増えている。山を歩かず、山を語る人が増えている。

川を歩く人が減っているということの事実は、川遊び仲間ならすでにご存じの通り。フィールドに出てみれば、

あぁ、きょうはオレしかいねぇ・・・。なんてことがザラにある。

しかし、こちらも例によって語られるのだろう。人がいないはずの川がなぜ?

川を見ていないのに、川を語る人が増えてしまって果たして良いのだろうかと思う。

ものごとの判断はまず、その現状を見て、触れて、感じて、それらをもとに自分自身の頭で考えてから行なわれるのが正しいのではないだろうか?

しっかり現状を見て、見た人自身の解釈から生まれた言葉が行き交う。そんな世の中になることを望みます。

自身においては来年も頑張る所存です。

川を歩く人が増えてくれるように。

本年はありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。

白い砂が美しい。
きれいな落ちっぷりだ。
ひとつの堤体前でも、立ち位置ごとに条件が異なる。
来年もよろしくおねがいします。