
少雨。
雨が降らない。
こんな時でも、
堤体前へ。
じつは雨には強いという特性を持つ。
雨が降るとき。
雨が降らないとき。
演奏施設となる砂防ダム等堤体類。これにはさまざまなタイプが存在するからだ。日常的に水をたっぷり湛水させている堤体もあれば、ふだんは伏流でまったく水の気配すら感じさせてくれない堤体もある。
たいていの沢には水が流れている。
流れているなかで、水が見えているか、見えていないか。
形式のちがい。
伏流の沢では水が見えていない。水は地面の下を隠れるように流れている。そんな沢は、雨が大量に降ったときにだけ、地面の下に隠れきれなくなった水が地表水となってあらわれる。
どこがいいのか?
どこがいいのかと思い出す。
豊富なバリエーションのなかから堤体の選択をする。
雨がたくさん降ったというならば、伏流堤をねらうことになると思うし、雨が少ないというのであれば日常的に豊かに水をたたえている堤体を目指す。
水が無い!
は、大量の雨によって解決され、
水が多すぎだろ!
は、渇水によって解決される。
マイナスもしくは0(ゼロ)に対する大きな数の足し算。あるいは、大きな数からの引き算。
解は大きすぎず、小さすぎず。
水量のちょうどよい案配を探る。まるで算数のようだ。
連日の少雨、渇水報道もなんのその。数十年に一度の水不足というのであれば、むしろ素晴らしき堤体に出会えるチャンスにすら思えてきた。
普段、見ることの出来ない堤体の顔に触れてみたい。普段とは、ボリューム感の異なる堤体の声を聞きたい。
そんなワクワクとともに。
歌える堤体さがしの旅へでかけた。

不老園
3月1日、午前9時、山梨県甲府市酒折。
甲府市内。開花のうわさを聞きつけやってきたのは「不老園」。
入り口で入場料¥500円をはらい、敷地に入る。
開園は2月1日からしていたのだとか。しかし観賞用の花梅を専門とする庭園のため、3月下旬にはふたたび閉園してしまうのだという。
春のみの開園。ほか、秋の紅葉シーズンには臨時開園というかたちで15日間程度、開園するのだという。
期間限定の開園。
運営は「奥村不老園」という一般財団法人。甲府市市営の施設ではない。
たしかに甲府市も春の観光スポットとしてPRしたりはしている。しかし、直接的に公金をつぎ込むようなかたちでバックアップするようなことはしていない。
へ~、そうは思えないけどな~
総数二千と言われる梅の花の華やぎ。丘の南向き斜面に植えられた梅の花に終始圧倒させられた。
花は斜面の下から上まで満開。さらに、つぼみ~7・8分咲きの混じる構成。全体的に花の鮮度が良い。
いちばんいい時期に入れたかもしれない。
ラッキー!
ちなみに、ネットのくちこみでは坂を登らなきゃいけない。とかアップダウンが激しい・・・、みたいなことが書かれているのだが、実際現場の匂いとしては、そのような不満にふてくされに陥る人の気配は全くと言っていいほど感じられなかった。
そりゃそうだ。文句を言っているヒマなど無い。
下から見上げれば、上の階にも、そのまた上の階にも花が咲いている。丘を駆け上がり、いま花を見に行かないでどうする?といった状況だ。
ぐいぐい元気に坂を登るお姉さん。
お姉さん?成人式は3周目も4周目も経験したのですか。
みんな元気に坂を登っている。
いや、
なにかホッとしたところがある。
おなじ日本人としてこんなこと言うか?そんなコメントばかり見すぎていたのかもしれない。
ネット民は。
きのうもきょうも。
どんなことがが起きても否定的な言葉ばかり。
目に毒だ。
見過ぎを反省していた。
外に出てきてよかった。








甲府市北部へ
午後11時15分、不老園を出発。甲府市北部、さらに山深い地域を目指す。
山梨県道6号線(山の手通り)を西進。
「善光寺」交差点を通過し、愛宕トンネルをくぐり抜ける。
甲府市武田、朝日、美咲、塩部とすすむと、甲府市湯村。湯村では「常磐ホテル」「甲府記念日ホテル」といった湯村温泉のホテルのまえを通過する。
「千塚」交差点では右折。道は山梨県道7号線(昇仙峡グリーンライン)にかわる。
ホワイトツリー、千野自動車板金塗装、天然石パワーストーン翔雲といった看板を見ながらすすむ。セブンイレブン甲府山宮町店、山宮温泉を通過したあたりから道はゆるやかな登り坂になる。
金石橋の東詰を通過し、荒川に沿って北進。甲府市平瀬、甲斐市吉沢の集落を通り過ぎると長潭橋(ながとろばし)。長潭橋をわたって直後には左折。
渓谷沿いの観光道路は歩行者に注意しながら進み、昇仙峡はちみつファームまえの丁字路までたどり着いたら左折。
4つのトンネル(覚円隧道、能泉隧道、御岳隧道、仙娥滝隧道)を抜けると左手に静観橋(せいかんばし)があらわれた。
午後0時25分、静観橋東詰にある「橋本屋専用駐車場」に到着。








橋本屋
静観橋をわたり、橋本屋店内へ。
店内は椅子席も座敷席もある作り。
どちらでもどうぞ!とのことで座敷席に腰を掛けた。
渓谷沿いの茶屋。それにしては落ち着いた雰囲気である。
?
しばらく考えてみた。
!
店内にBGMが流れている。J-POPのBGMだ。
窓も多少、換気程度に開いてはいるが、ほとんど閉まっている。
せせらぎ疲れ・・・。
こんな言葉があるのかは定かではないが、この店には渓谷を見たあとの客、近くの滝を見てきた客がおとずれる。
ほとんどの客にとって、渓谷の音環境は非日常的なもの。川の音を慣れない体で大量に聞いてきた。そりゃ疲れるってものだ。
耳も脳もせせらぎでいっぱい。
せせらぎで満腹になっている人にせせらぎは要らない。
あえて、J-POPでもてなすという業。
音に配慮するやさしさ。
「お客」に対する洞察力。
勉強になる。
ほうとうの代金だけじゃ安いか・・・。
いや、
やめた。
それはまた今度。
再訪時に。
こんどは蕎麦にしようか?







林道は通行止め
午後1時35分、橋本屋専用駐車場を出発。堤体に向かう。
影絵の森美術館まえを通過。新静観橋をわたり、「荒川ダム」の看板にて右折。「大黒屋」のまえを通り過ぎ、多目的広場の駐車場に車を停める。
水不足が言われている。ダムはどうか?!
車から降りて、ダム内のようすをチェックする。
水。異常なし。
思いのほか水はしっかり張られていた。
ふたたび車に乗り込み、堤体を目指す。
「荒川大橋」をわたり、直後の丁字路を左折。
大渡隧道をくぐり、2本の橋(大滝橋、板敷橋)をわたる。直後には中津森隧道。
中津森隧道を出てしばらく走ると、道路のど真ん中にカラーコーンがあらわれた。
午後2時20分、野猿谷林道の通行止めカ所に到着。
道は閉ざされている。陸路がダメなら川を歩くしかない。
車は通行止めカ所ちかくの道幅ひろくなったところ(車の反転スペースでは無い。)に移動させ、駐車した。
車から降りて、入渓の準備。
ウエーダー、ジャケット(風を通さないもの)、フローティングベスト、ヘルメット、登山用ポールなどはいつも通り。
ほか、動物よけホイッスル。
動物よけホイッスルは「WIND STORM」。
こちらは耳がキンキンするほど強い音が出せるので気に入って使っている。最近、気がついたことなのだが「WIND STORM」のロゴが上下逆さになるように吹くと、不発を防ぐことができる。
ロゴのまんまの向きで吹くと、笛のなかに入っている球が動かなくなることがあり、音が不発になるときがある。
パワーがあってもこれじゃあ・・・。なんて抜かしていたのであったが、真相は自分自身が正しく使えていなかったということらしい。
反省。
渓へは荒川(野猿谷)の左岸斜面から入ることに。
中津森隧道より300メートルほどの地点。そこに、渓まで降りられそうな斜面を見つけることができた。
一歩一歩、斜面を慎重に降りる。
無事、降りきった。
入渓。
野猿谷を遡行する。
渓はかなりおとなしい印象。源頭となる山は金峰山(2599メートル)、朝日岳82579メートル)、国師ヶ岳(2592メートル)。
冬場~春の渓。
キーワードとなるのは「雪代(ゆきしろ)」。
沢登り業界でも、釣り業界でも、雪解け水を意味する雪代という言葉がよく使われる。
山の標高のたかいところで雪が解けることにより、その下流部分で水かさが増す(水かさが安定する)。
午前中におとずれた不老園では広河内岳(2895メートル)、農鳥岳(3026メートル)、間ノ岳(3190メートル)といった山々に積もる雪を見てきた。
麓を流れる広河内(南巨摩郡早川町)においては増水、もしくは水量安定していることが予想される。
標高2000メートルを越える山々にもいろいろ個性があるようで、雪が降りやすい山もあれば、そうでない山もある。
いま現在、足元をながれる荒川についていえば、雪代の存在感があまり感じられない。
渓はどちらかと言えば痩せ細っていて、水が上流から圧力とともに押し迫ってくるような感覚が全くと言っていいほど得られない。
ペターッとした水面。ペターッとした石張り露天風呂の浴槽を蹴ってすすんでいるような感じだ。
水深的にも浅いところが多い。
それでもところどころには深さ1メートル程度の淵が出来ていて、その場合は都度、河岸ルート(陸上)を歩きながら上流をめざした。
午後3時20分、「野猿谷堰堤」に到着。













静物的
水は幅狭く、薄く帯状に落ちている。
水裏斜面に張り付くように落ちる水。水裏斜面をゆっくり、摩擦をともないながら落ちる水。
水は放水路天端からにかぎらず、上段3カ所、下段2カ所の水抜きにも分岐して落ちている。
帯状に落ちる水と分岐した水はやがて池の水面に着地。
空間上に解き放たれるような落下ではない。着地もまた静かなものである。
堤体本体下流部20メートルほどで池はおわり、渓流区間にもどる。しかし、ここもまた上流からの水の圧力のフォローが弱い。
段差状になった渓を重力に引っ張られながら仕方なく下りていくという感じで、流れに勢いが感じられない。
非常に動きに乏しく静かな印象をうける。
いや、これは水のせいだけではないだろう。
堤体前を取り囲むようにして生えるフサザクラやケヤキが、枝まるはだかの状態で非常に寂しい。風の抵抗物質となる葉を失っていて、枝もほとんど揺れていない。
額縁があったら、絵となりすっぽり入り込んでしまいそうなほどおとなしい景色である。
景色全体としてきわめて静物的といえる。






こんなメリット
自作メガホンをセットし、声を入れてみる。
立ち位置として設定したのは、堤体から54ヤードの位置。
鳴る。
声は堤体本体に当たったのち、両岸の斜面に向かって響いている。
とくに放水路天端の下流カド(天端中央のなるべく高い位置)に向かって声を入れてやると反応がいい。
左右両岸から川の中央に向かって伸びるフサザクラの低い枝のなかを通過して、しっかり堤体本体に声が当てられている。
「堤体のここに声を当てたい!」とおもった部分が見えていることは大切で、それが葉(視界を遮る物質)の無い枝による見通しの良さで実現できている。
堤体本体のうち“目標物”がしっかり視界のなかに捉えられているなかで、声を入れることができている。



批判をする前に
結局、この日は午後6時まで堤体前で遊んだ。
視覚的にも聴覚的にも非常に静かな堤体前で楽しむことが出来た。
堤体本体をまえにプレーヤー自身、意図した場所に声を当てていくということができ、きわめてゲーム性の高い「歌」で遊べた。
冬場~春の堤体前というのはみどりが少なく、一見すると魅力が半減しているように思える。
“商品的な画”と言えば、もっと葉っぱが多くて、水も多くて、生き物もあちこちで動いているようなもの。
このような状態を自宅にいる段階から想像すれば、堤体前まで足を運ぶこと。そもそも、そのことに果たして意味があるのかという疑問が生まれてくる。
しかしながら、このように実際、冬場~春の堤体前に来てみると、なんとゲーム性にすぐれた現場が存在するのだということがわかる。
視界が自由に効く堤体前は、プレーヤーに声を当てるための目標物をもたらしてくれる。
人間のものごとに関する感覚というのはいい加減なもので、そのとき目のまえに見たものによって安易に判断を下してしまいがちだ。
葉っぱが少ない。
水が少ない。
結論。この堤体前は、冬場におとずれるべき場所では無い。
目の前にある景色を一回見ただけ。それだけで、まるで全てを知ったかのように判断し、たやすく感想を得てしまうのである。
その感想は果たして正しいのか?
まったく異なる時期に同じ場所に来た場合、その場所がどのような状態にあるのかということまで想像してみる。現況だけでなく、時間が経った先のことまで考えてみる。
価値あるものにまったく気がついておらず、批判の言葉だけが口をついて出るのはなんともマヌケなはなしだ。
堤体前で見ることの出来る景色。それは、そのタイミングで現場をおとずれたからこそ見られた景色。
安易に批判をする前に。
ダメと思うまえに。
まずは肯定的にものごとを見るようにしたい。



















































































































































































































































































































































































































































