副業先のホームセンターで

私は普段、副業先のホームセンターで砂防ダム音楽家であるといろいろな方に説明した上で働かせてもらっているのだが、ある日このような質問を受けた。
―なぜ、滝ではなく砂防ダムなのか?-
これは、私の年下上司であるヨシキ氏からの言葉である。当ブログをご覧になってくださっている方で同じような疑問を持っている方も、もしかすれば多いのかもしれないと思い、今回その点について解説しようと思う。砂防ダム行脚を含まない記事になってしまうが、お許しいただけるのであれば、どうかお付きあい願いたい。

中伊豆、萬城の滝

滝ではダメなのか?

まず、滝ではダメなのか?ということについてだが、こたえはNo!である。滝というものがその場所に存在するようになった背景は様々な要因があり、滝にも様々な種類がある。様々な種類とは、ここでは滝本体の周辺環境、周辺空間のことを言っていて、その現場の状態によっては、砂防ダム同様の“価値”が認められ、砂防ダム同様に音楽が楽しめるのである。このような言い方をすると多くの滝愛好家からお叱りの言葉を頂戴してしまうかもしれないが、音楽家の私自身にとっては、滝と砂防ダムでは、砂防ダムの方が価値が高く(これまでの経験上、素晴らしい砂防ダムに多く出会ってきたため。現在では。)、できればそちらを目指したいという意欲が勝っているのである。

萬城の滝より上流にある通称「カーテン滝」

砂防ダムの音楽を始めた頃のはなし

現在、自分自身としては滝よりも砂防ダムの価値が高い。としたが、砂防ダムで音楽をするようになったそのはじめの頃はどうであったかということを述べさせていただきたい。時は2016年の夏頃であったと思うが、人生で初の砂防ダム体験を経験した私は、その魅力にどっぷりとはまってしまい、砂防ダムという、水が直下に流れ落ちるというその景観、音響環境から、「滝」というシチュエーションの中でも同じように、楽しい音楽体験が出来るのではと、滝めぐりをしたのであった。ネット上のブログなどで滝に関する情報を得ては、その場所へ出向き、滝を見つけ、声を出したり、歌ったりして、ここで音楽が出来るものなのかどうか?ということを考えたものである。そう、いま思うと考えたり、悩んだりすることが多かったように思う。

滝めぐりをしてわかったこと

滝めぐりをしてみていろいろなことがわかった。まず、前述の通りインターネット上のブログなどの情報を頼りに、様々な滝を見てまわったのだが、そこは全て、インターネット上の“電子活字”で語られる“名前のある滝”であった。ゆえに滝本体が観光名所として開発された場所にあるものであったり、滝そのものが寺や神社などの伝説物やご神体として、崇拝の対象となっているものであったり、私の住む沼津市と隣町である長泉町境にある「鮎壺の滝」のように周辺が公園として整備された滝であったりと、とにかく多くの人が往来するような場所が多かった。そのせいもあって、滝というものに対して“公共の場”というイメージがついてしまった。私自身は前述の通り、いの一番が砂防ダムであったことから、砂防ダム行脚と平行して滝めぐりをしていたため、人がほとんどいなくて、好き放題、声を出して歌える砂防ダムへの比率が徐々に高まっていったと思う。砂防ダムを目指すことになった理由の一つに、人がいない、ということがあげられると思う。

砂防ダムに決めたわけ

そのようにして、滝に行ったり、砂防ダムに行ったりを繰り返していたのだが、あるときの砂防ダム行脚をきっかけにそれ以降砂防ダムばかりを目指すようになったのである。その日のことについて記したいが、細かいことについては記憶上曖昧な面もあるため、ご容赦いただきたい。時は2016年の秋頃の話しで、場所は伊豆半島、沼津市旧戸田村(へだむら)井田川での体験であった。時間帯としては夕暮れ~日没前後という条件であったと思う。県道17号線より、井田川を上流方向に入っていったところすぐに、堤高4メートルほどの小さな砂防ダムがあり、その堤体下流30メートルほどのところに私は降り立った。ここへ来た理由としては、以前この場所に一度来て堤体の写真撮影を済ませていた(なぜ、最初の訪問時に気がつけなかったのかは不明。)にもかかわらず、デジカメの操作ミスでメモリーを全削除してしまい、畜生と思って当地を再訪したのであるが、その日いちにちの終わり、一日の締めのつもりで声を出してみたのだと思う。滝やら砂防ダムやらをあちこち巡りまわり、それでもはっきり「これだ!」というものを見つけ出せず、自分のそのさき将来に不安を感じながら、そして今日も日が暮れて一日が終わりゆくのだ。とでも思いながら、人生、途方に暮れながら、の歌であったと思う。

驚きと発見

するとどうであろうか。自分の声がワァーと響くのである。砂防ダムという空間で音を響かせられるのか半信半疑であった当時であったと思うが、「間違いなく、ここは響くタイプの砂防ダムだ。」という確信を持った瞬間であった。現場は砂防ダムを取り囲むように広葉樹の渓畔林が押し寄せ、奥行きもあり、下草もうっそうと生い茂った夏の季節の出来事である。今となっては砂防ダムの音楽に、その左右を取り巻く崖や渓畔林の存在が必要不可欠であることが当たり前の事実となっているのだが、その当時は、そのことをよく理解していなかったため苦労したと思う。そして、「ここは、いままで行ってきた場所とは違う。山の木々が音を響かせているのだ。音を響かせるためには木々の生えたところに行かないと行けないんだ。」と気づいた瞬間でもあった。

“撮り直し”となった日の一枚。この日の経験から変わった。

そのような体験から

それ以降に関しては私はほとんど滝に行くことはなくなり砂防ダムばかりを目指すようになった。旧戸田村井田川での経験は自分にとって宝物になった。砂防ダムを見るときはその左右を取り巻く崖や渓畔林を重視するようになり、音がうまく響かせられないときにはまず堤体よりも山の斜面や木々のことを考えるようになった。滝というのがダメなのではなくて、滝の周辺環境、砂防ダムの周辺環境を比較していったときに川をせき止める形で造られた砂防ダムの方が結果的に優れた空間を多く作り出している。ということなのだ。ヨシキ氏の―なぜ、滝ではなく砂防ダムなのか?―という問いに対しては、―砂防ダムでも滝でも良いがどちらかと言えば砂防ダムで、それはなぜなら私が音楽空間の善し悪しを判断するときに、その滝本体、その砂防ダム堤体本体だけでなくその周辺環境全体として見て、判断して、砂防ダムの方が音響的に優れた場所が多かったから。―ということになる。

渓畔林がなくとも、崖から響きが作られることもある。静岡市興津川。

本日は前回の続き

桂大師までの道のり

前回、伊豆市修善寺にある湯舟川ふれあい公園への記事を書いたが、今回の砂防ダム行脚はその続きといってもよい内容になる。地理院地図によれば、湯舟川ふれあい公園の入り口より400メートルさらに上流に、支流の沢との合流点があり、その沢には点線で描かれた徒歩道が寄り添う形で伸びている。徒歩道は直線距離にして約750メートルほどの長さで途切れ、その先には“修禅寺のカツラ”との表記がある。どうやらその場所にはランドマークともいうべきカツラの木があって、そこに向かって道が延びているようなのである。そして、その修禅寺のカツラより約400メートル上流にうれしいうれしい二重線が見つけられたため、今回、砂防ダム行脚は計画された。当地へ訪れた日というのはそれぞれ異なっているが、前回、今回とお互い(スタート地点だけ見れば)場所が隣り合っているため、1日で両方行くことも可能であることから、この記事を見て現地へ行ってみたいと思った方は、前回分とワンセットにして参考にしていただければと思う。尚、今回分に関しては、未だかつて行ったことの無い場所であるため、砂防ダム行脚の新規開拓の記事になることをあらかじめお伝えしておきたい。

駐車スペースの看板

桂大師の看板が目印

4月18日午前6時湯舟川ふれあい公園、上流400メートルにある駐車スペースに車を停める。この駐車スペースの目印として「桂大師」と書かれた石碑と看板があるためスタート地点はすぐにわかる。今回はこの先の行程が未知であるのだが、修禅寺のカツラ(以下、現場の表記に従い、桂大師)まではハイキングコースとなっており、その山の等高線から判断できる高低差は130メートル以上あるためウェーダーはいきなり履かず、リュックサックに入れて背負うことにした。午前中まだ早い時間であったため、気温20度レベルの暑さにはならないだろうと考えたものの、それでも、スタート時に通気性のそれほど良くないナイロンウェーダーを履き、それだけの高低差を登行しようとすれば、ウェーダーの中は汗でグショグショになるのは目に見えてわかっていることのため、とりあえずは山靴を履き、水場等で行く手を阻まれた段階になったらウェーダーに履き替えるという作戦を敷いた。足元以外の準備も済ませ、まずは入り口にかけてある木の橋を渡る。

この橋がスタート地点となる。

ハイキングコースをひたすら登る

今回目指す砂防ダムの中継点ともいえる桂大師まではハイキングコースになっているだけあって、しっかりとした山道がついている。スタート地点に架かっていたような橋も途中何本か同じように整備されているし、看板も要所ごとに複数設置されていて迷わない。沢との高低差があるような崖沿いには転落防止のロープが張られたりもしている。このようなことから判断すると、これはやはり、この桂大師というものがそれなりに人気があるため、ここを訪れる人もそれなりに多いため、このようなしっかりとしたハイキングコースが整備されているのでは。と思った。しかしながら、では、目的地の桂大師まではお手軽楽々な山道なのか、というとそうでもなくて、山の傾斜はさほどきつくはないものの、とにかくダラダラと登り続けるようなタイプの道が続くので結構きつい。途中、緩斜面というかもっと平坦に近いところがインターバル形式で現れてくれればそうでも無いと思うのだがとにかく登り続けることを余儀なくされるため、休みが取れない。(止まって休めばいいのだが。)源流釣りマニアのような人物であればこのような沢沿いのほぼ直線的な山道であっても、そのワクワクの期待感から、登り進んでいくのは苦にならないと思うが、それ以外の方、沢などというものにはさほど興味が無い人にとってはこのような直線的な沢沿いルートはきついと思う。私自身においては息を上げながら約30分ほどの行程で桂大師に到着することが出来た。

桂大師の直前。画像中央下部の丸太橋を渡る。
桂大師
静岡県指定天然記念物とある

桂大師

さて、いよいよ桂大師を過ぎての沢登りとなる。無論、この先はハイキングコースなど整備されていないため自分自身で決めたコースで沢沿いを行くことになる。とりあえず川の状況としては渇水気味でウェーダーを履かなくても行けそうな雰囲気であったため、足元はそのままで続行することとした。川はキンボールサイズの石が中心となるなか、途中それよりも大きい石に行く手を阻まれた際は、脇の林間から巻いたりして(遠回りして)、クリアするなどして歩き続けること約30分で目的の砂防ダムにたどり着いた。砂防ダムについて、画像を見ておわかりいただけると思うが、残念。水が流れていない。いわゆる、伏流状態になっているのである。この砂防ダム堤体より上流部から堤体の直下、堤体下流部数十メートルにかけては川の水は地下水に姿を変え流れている。その最下流部は湧き水となって再び地上部に流れ出しており、まるで何事も無かったようにそこから下流へと続いているため、この事実はここに来ないとわからない。新規開拓につきものな残念賞の砂防ダムであった。
それにしても、ここは途中の感じからしても渓流大好き人種の釣り人さえも訪れたりするような沢では無いように思われ、多分、人の出入りは本当に少ない砂防ダムであろうと思う。人間によって造られたこの10メートル超の城壁はこれまで幾度もの大雨からその下流部の文明破壊を守ってきていながらも、こうして何者にも気づかれること無く静かに山のなかにひとり佇んで、今日もその与えられた生涯を全うしている、というその格好を見ていると、心には本当に愛すべき念のようなものが生まれてきて、ただ引き返す気にはなれず、感謝の意も含めてこの場所で大いに音楽を楽しんだ。春の鳥ウグイスが鳴いているほかは、そよ風で木々の葉がこすれる音がするぐらいの静かな空間の中、思いのほか楽しく活動をすることが出来た。砂防ダムの左右には豊かな樹冠が広がり音響が良く、また、このとても静かな空間の中で音を響かせることで改めて山の中で音楽をすることの素晴らしさを再認識することが出来た。このような水の流れていない砂防ダム空間でも案外、音楽を楽しめるのだということがわかった、大変、収穫の多い今回の砂防ダム行脚であった。

これを見た時点で、ん???
“城壁”全景


ウェーダーを履くことについて

ウェーダーとは何なのかが今回のテーマ

入渓の際の装備として当ブログではウェーダーを履いた、履かなかったといったことをよく書かせてもらっているが、ウェーダーというものがどんなものなのかよくわからない。という方のためにウェーダーについて簡単に説明しておこうと思う。今後もこのウェーダーというものについての記述が頻繁に出てくることになると思うが、わからないままその部分だけ飛ばすようにして読み進めるよりも理解した上で、ああ、なるほどな。とされていったほうがより記事をお楽しみいただけるのではないか、という考えからである。

端的に言えば、胴長靴のこと

ウェーダーというのは、日本語で言うところの胴長靴のことである。胴長靴のことであるのだが、主に魚釣り関係の商品を中心に巷ではウェーダーと呼ばれている。胴長靴と呼ぶのはどちらかといえば農業方面の業界で昔からいわれてきた呼び名であるように思う。下肢を水濡れから守る部分の素材としては主に二種類あり、一種類目はナイロンでもう一種類はクロロプレン(ネオプレン)だ。ナイロン素材に関しては透湿防水素材を複合したもの(ゴアテックスなど)、していないものにさらに細分化される。形状としては胸の高さまで素材で覆われるチェストハイタイプ、腰の高さまで覆われるウエストハイタイプ、両足の付け根まで覆われるニーブーツタイプの3種類があり、それぞれチェストハイウェーダー、ウエストハイウェーダー、ニーブーツと呼ばれている。さらにチェストハイウェーダーとウエストハイウェーダーには足先の構造の違い(ウェーディングシューズを別に用意して履くタイプと、長靴がそのまま一体化しているタイプ)があるため、形状上の違いで大きく分けると全部で5種類ある。そのほかの特徴としては、上記で足先構造の違いを述べているが、ウェーディングシューズの場合も長靴一体化タイプもその製品のほとんどは靴底が厚手のフェルト張りで仕上げられている。これは、ウェーダーが使用される環境においてたとえば、川石の藻がびっしり生えた上であるとか、岩場のノリがこれまたびっしり生えた上を歩くときに、滑らないようにするため考案されたアイデアを形にしたもので、ウェーダーメーカー各社製品ほぼ共通の装備としてフェルト底が採用されている。また、このフェルト底だけでは対応しきれない超スリップ危険地帯を歩くことに対応させたフェルト+スパイクピンのタイプも※最近では多くなった。(※正確には最近、低価格ブランド、廉価製品でも多くなった。)

ウェーダーの価格は様々。高価格帯は伸縮性、耐針性などに優れる。

最近では・・・。と。

最近では。などと書いてしまったが、私はもうウェーダーというものを履き始めて20年近くになる。最初にウェーダーを買ったのが高校生の頃で、それ以来、何本かの買い換えは経ているもののウェーダー歴は短くはない。砂防ダムを前にして歌うようになって2年半ほどなので、そのほとんどの期間はウェーダーを釣り道具として見てきたが、ここへ来てウェーダーというものが音楽関連用品として変化した。このようなことは私自身も無論予想だにしていなかったことであるが、ウェーダーが自分にとって音楽用品となり、日々の渓行に大いに役に立っていることを考えると「ウェーダーを履いていてよかったなあ。」と思うのである。もちろんこれは、その間の経験が生かせるから。という理由からである。

修善寺ICで下りる。

今回行ったところ

今回、湯舟川ふれあい公園に行ってきたので紹介しようと思う。静岡県東部地区の桜が満開となった4月4日、静岡県伊豆市修善寺にある湯舟川ふれあい公園を訪ねた。修善寺といえば曹洞宗福知山修禅寺や温泉で有名な当地であるが、今回はその修善寺にある砂防ダムの紹介である。現地までのアクセスであるが、静岡県東部地域、国道136号線を南下する。途中、有料道路、伊豆中央道、修善寺道路を経由し修善寺ICで下りる。修善寺ICは前回の田沢川への渓行で使用した大平ICの一つ手前のインターチェンジである。修善寺ICで下りたあと、修善寺温泉街のメインストリートとなる県道18号線を行く。そのまま修善寺観光の中心地「修禅寺」前を通り過ぎ、輪田橋という赤い橋の前も通り過ぎる。そのまま道形に行き画像Ⓐの分岐で左折する。ようやく橋を渡り、対岸側の丁字路を右折する。その後は修禅寺奥の院の案内標識にしたがって進む。今回行きたい湯舟川ふれあい公園は修禅寺奥の院の更に奥行ったところ600メートルほどにあるため、この案内標識そのものが、ふれあい公園の案内になるのだ。途中、分岐点について画像を掲載するので参考にしてもらいたい。

画像Ⓐここを左折
ここを左折
ここを右折
すると水池橋に出るので渉る。
湯舟川ふれあい公園入り口。画像左部分にあるのが公園の柵。

湯舟川ふれあい公園について

湯舟川ふれあい公園についてだが、5基の床固工(正式には砂防ダムでは無く床固工)からなる言わば河川構造物区間とその周辺域、おもに北岸側の区切られた土地を公園として解放している。「土地」などという言い方が適切であるほど何も無い公園で、設備のそれとしてはベンチが数個置かれているくらいの程度である。トイレすら無いためここを利用していて、もしもという事態になってしまったら、修禅寺奥の院のトイレを借りて緊急時対応することになる。当日行ってみて、キャンプファイアーをした残骸なども見受けられたが、トイレすらないようなこの公園で宿泊をしたのであろうか・・・?
さて、私自身のお目当てである、床固工であるが、このような公園内のお手軽な雰囲気の場所にあっても、前述したウェーダーの着用によって安全な渓行を実践したい。当日も床固工によって緩やかになった川の流れの中は藻だらけで、フェルト底を備えたウェーダー類以外での歩行は滑って危険と思えるような状態であった。公園敷地内のお手軽スポットゆえ、これからの季節はサンダル履きで河川内に立ち入ることも予想されるが危険である。たまたまこの地を訪れた一般市民ならある程度致し方ない気もするが、この記事を読んだアウトドアーマン、音楽家は、是非万全の装備で臨んでほしい。ニーブーツなどはこのような公園でもおしゃれで場の雰囲気にもアンマッチにならないと思う。私自身においては、どんな場所でも足元がしっかり安定した状態で、気持ちに余裕を持って音楽表現に勤しみたいと常日頃より思っているのである。

湯舟川第5号床固工。ベンチが備えられている。
湯舟川第4号床固工。第5号よりも響きがよい。
湯舟川ふれあい公園の案内板
修禅寺奥の院。


まずは、地理院地図から

発電のための取水を目的とした堰堤。仁科川。

あちこちの砂防ダム行脚をライフワークとしている自分にとって、砂防ダム空間の新規開拓、つまり、今まで行ったことのない砂防ダムを見つけるというのは、いつも新鮮で楽しいものなのである。国土地理院発行の地理院地図、2万5千分の1サイズを見れば山中(さんちゅう)の沢にところどころ、黒く二重線が引かれている場所がある。二重線は下流側の一本がただの直線で描かれ、上流側の一本は破線で表現されている。この二重線は地理院地図の枠外下の欄にある凡例を見れば分かるとおり“せき”を表している。広辞苑によれば“せき(堰)”とは―「塞く(せ)く」の連用形から)取水や水位、流量の調節のために、水路中または流出口に築造した構造物。いせき。―とある。要約すれば、そこに水の取水や流量調節の目的をもって、河川構造物があるということ。実際、現場に行ってみると確かに、水道関係、農業関係、電力関係の取水口というのが、その堰の本体であったり、上流側に設けられている。取水口に“分流”する形で水が河川本流より“逃げていく”のだから、その堰の下流側というのはおのずと水量が減ずるというのは想像に難くない。私が専ら目指す砂防ダムもこの堰の一種で地理院地図の表記に従いその場を訪れると、前述の二重線の描かれた位置のだいたいのところで出会うことが出来る。砂防ダム(または、砂防堰堤)の堤体の名称については、そのようにして訪れた時々に、国土交通省による立て看板や、堤体本体に刻まれているプレートによって確認を行っている。このようなことから、国土地理院は地理院地図作成上、定義として堰の中の一種に砂防ダムを含んでいるということがわかる。そうなってくると、砂防ダムの持つ機能、山の流出土砂の貯留や調節、渓岸や河床の不安定土砂の二次移動の抑制といったものに一切触れることなく、ただ取水や水位、流量の調節のために・・・と謳う広辞苑の説明というのは全くもって不十分で、砂防ダムを仕事とする者の一人として残念でならないのだが、広辞苑という一般市民向けの書籍に対して、建設用語辞典並みの記述がないというクレームを呈するというのは、いささか衒学的な感じもする。何事も最初は本当に本当に簡単なところから(特に若い人には)興味を持ってもらいたいし、当ブログを読んでくださっている方のほとんどが非建設関係の一般市民であると思うので、国土地理院と、広辞苑出版社のそんな定義の違いをただ鼻でご笑納いただければ幸いである。

仁科川水系、白川

今回訪れた白川であるが、場所は静岡県賀茂郡西伊豆町にある。源流は賀茂郡河津町との境にある猿山から諸坪峠あたりまでの尾根に端を発し、最下流部は二級河川、仁科川に合流の後、駿河湾に流れ出る。白川に面する唯一の集落「白川」よりも上流域の地帯はかつてミョウバン鉱石の採掘を行う戦線鉱業仁科鉱山があったところで、今回のスタート地点はその戦線鉱業の中国人殉職者慰霊碑広場になるためまずはそこまで車で向かう。

慰霊碑と奥には小さな谷止工。

背負う物は、リュックサックと歴史

3月28日午前10時、中国人殉職者慰霊碑広場に車を停め準備に取りかかる。と、その前にやはり、慰霊碑前に立つ。ここに来たときはいつもこの慰霊碑の前に立つのである。きっと誰でもここに来るとそうなるであろうと思う。今日はツルハシを担いだ男がいつも以上に私のことを鋭いまなざしで注視しているように感じられた。―あなたの存在、慰霊碑のことをを広くブログで拡散するから―と男に約束し、慰霊碑の階段を降りる。―よし、準備を始めよう。―本日は、ここから約一時間、沢沿いの林道を上るようにして歩くのでウェーダーは履かず、スニーカースタイルとなる。ウェーダーはリュックサックに収納し準備が全て整ったところで入り口の鍵付きゲートを超える。道はこのゲートを超えてすぐ直進方向と右折とに分岐しているが、直進側を選び、あとは沢沿いにただひたすら進めばよい。ところで今回の目的地となる砂防ダムであるが、前述の“地理院地図”から探し出したものである。この白川最上流域で沢がY字型に形成されているところが地図上にあり、そのY字の頂点にそれぞれ一個ずつ前述の“二重線”がある。Y字自体は非常にコンパクトで、極めて狭い範囲内の移動で二つの砂防ダムが楽しめるという、砂防ダム音楽家にとっては非常に魅力的な場所なのである。しかも砂防ダムの規模としては中型クラスの5メートルサイズと小さすぎることがない上、重力コンクリート式であるという点もまた魅力的なのである。この手の狭い範囲内での砂防ダム建設では一基あたりの建設コストを抑えるために、ダムを小さくしたり、鋼鉄素材にしたりというパターンが多いのだが、ここは違う。そんな魅力に惹かれての一時間歩きの今回である。

途中にあるもの

“Y字”までの途中には、Ⓐ~Ⓒの砂防ダムがあり、これらでも音楽は楽しめる。しかしながら、前述したような魅力を持った“Y字”が控える白川なだけに今日はそちらを目指す。だいたいスタート地点から40~50分くらいでⒹの橋に出られるので、そこからはウェーダーに履き替えて、500メートルほど沢沿いに上っていけば、目的地の“Y字”にたどり着ける。画像Ⓔが向かって左側の砂防ダム。画像Ⓕが向かって右側の砂防ダム。

地図上の表記によれば

地図上の表記によればⒺの方が本流なのであるが、水の流量はⒺⒻ共にさほど変わりはなく、どちらも正式には砂防ダムではなく谷止工なのかもしれない。二つの谷止工から、つまり二つの沢からだいたい等しい程度の水が合わさって白川を形成しているといった感じだ。この場所は前述したように、二つの砂防ダムを極めて狭い範囲内の移動で楽しむことが出来る。やや残念な点があるとすればこの二つの砂防ダムの堤体本体を前にして立つとき、いずれも、堤体に対して体を平行に向けることが出来ないという点がある。うまく響かせようとして後退するとどうしても堤体に対して斜め方向から声を発するという形になってしまうのだ。どちらかといえば、ここだけ、となってしまうのにはつらい場所であるが、いろいろな砂防ダムを経験したのち、その次の一ヶ所として研究目的で訪れるのにはいい場所であると思う。