7月ももう終わりになるが

今回も渡った猫越川橋

7月ももう終わりになるが、今年に関して言えばそれはそれはもう酷い梅雨の1ヶ月であった。先月の第二週(7日)に梅雨入りした静岡県であるが、6月中は驚くほどの空梅雨。ところが一転、7月に月が変わってからは雨または曇りの日が何日も続き、スッキリ雲一つ無い日というのが全然来ないなどという事態をむかえた。いったい今年はどうなっているのだと思いながら時は過ぎ、そして月末。晴れた日はほとんど無かったように記憶していたので念のため調べてみたのだが、7月の第一週はその期間6日間とも雨または曇り、第二週は10日水曜日のみ晴れ、第三週は17日水曜日が時間帯によって晴れ、第四週は25日木曜日が晴れでその前後、24日と26日は時間帯によって晴れ(ⒸNTT Resonant Inc.goo天気より7月28日現在)であったという。なんとこのgoo天気によれば丸一日晴れた日というのは10日と25日のたった2日間のみであったという事である。記憶に間違いは無かったのだ。

選択性の高い現場

そんな2日間の晴れのうち、25日に行った砂防ダム行脚について紹介しようと思う。場所は伊豆市湯ヶ島の河原小屋沢。河原小屋沢と言えば以前当ブログでも紹介した猫越川の支流河川である。現場へのアクセス方法も、猫越川の右岸側林道に車を停めてから猫越川橋を歩いて渡りきるまでは同じ。そこから猫越川の堰堤に入る場合は林道を右側に外れれば良いし、河原小屋沢に行く場合はそのまま林道に沿って歩けば良い。このことはとても便利で、例えばある日、車で猫越川の右岸側林道まで車で走ったとして、それからその日その時の気分によって、猫越川に入ろうか河原小屋沢に入ろうか決めれば良い場所なのである。選択性の高い現場だと言えるであろう。

“不法投棄禁止”ののぼり。地元民は車両入場しているのだろうか?

ヒグラシについて思うこと

25日夕方、猫越川右岸側林道の道幅の広くなったところに車を停める。ここは以前にも書いたが猫越川橋以前に駐車スペースが無いため、いったん林道に入り、道幅の広くなったところに駐車する。スギ林の木の下で、車のエンジンを止めるとtr~(Ⓒ鈴木輝昭 ひぐらしのモチーフより)と鳴く野生生物の声があちこちでこだまする。初夏のセミ、ヒグラシの鳴き声だ。このヒグラシというセミに関して、俳句の季語ではどうやら初秋のセミとして扱われているようであるが実際、生息をするのは初夏である。日本全国の森を出歩いたわけでは無いため初夏にしかいないとは断言出来ないのであるが、少なくともヒグラシの生息の最盛期は初夏で間違いないことが自分の経験上のものから解る。山間地というほどの高い山の中で無くても生息していて、しかもこのセミはどうやらスギなどの人工林が大好きなようなのである。したがって、街場に住む人にはあまりピンとこないかもしれないが、ちょっと村地寄りな場所に住む人にとっては身近な存在であり、日本各地のそういったところで、人に、野生動物に夏の訪れを自身の鳴き声によって伝えてくれるいわば告知者となっていて、であるからこそもっと多くの人が正しくこの生物の生態を理解し、文学に取り入れていくべきでは無いのか?と、思うのだがいかがであろうか。まぁこの今年の異常気象ともいうべき空梅雨&長梅雨の中で元気に鳴きまくっているその声が聞けたこと、これには安心した。

安全なところを降りる

さて、目的の河原小屋沢の砂防ダムであるが、猫越川の右岸側林道から歩きはじめ、猫越川橋を渡ったのち、そこから10分程度歩くと到着することが出来る。砂防ダムの堤体前すぐの区間は、川の直前で結構切り立っており危険なためそれより以前の所の斜面を降りる。堤体前100メートルくらいにちょうどスギの木が途切れた区間があり、そのあたりから降りると上から下まで坂になっていて安全である。立木など掴まるものが無いので、ウォーキングポールなどで体を支えながら降りるとより安全だ。

堤体を発見したら100メートルほど引き返す

ヒグラシと競演

ここの砂防ダムは堤体前がちょっと明るくなっている。左右にはしっかり渓畔林が入っているのだが、横方向の懐が比較的広いため、それに覆いかぶさりきることが出来ず空から光が直接差し込んできている。音楽を楽しむにあたっては堤体を流れ下りる水に魅了されてついつい前に立ちたくなってしまうところであるが、そこをじっとこらえて50メートル以上後方に下がる方が良い。日の光が直接降りてきているところは左岸側にいくらか堆積している土砂を観察すれば微妙な違いも解るので、いろいろ見ながら、少しでも暗くなった場所を選んで立ち位置とすると良いと思う。また、この場所は盆栽岩(勝手に名付けた!)があり、なかなか見事である。岩の下部を河原小屋沢の清らかな水がへつるようにして通過していて、寄せ植え樹形盆栽の“静”と水の“動”が融合されたなかなか見事な光景であるように思うのだが、いかがであろうか?是非とも専門家の意見をお伺いしたいところである。私自身においては、そんな盆栽に触発されて、フーゴ・ヴォルフの「庭師」を高らかに歌い上げた当日であった。それはしかも初夏のセミ、ヒグラシとの競演であった。

盆栽岩その1
盆栽岩その2
堤体全景

水源かん養保安林

河津町の国道414号線沿いに立つ看板

上の画像をご覧いただきたい。これは当ブログでもおなじみ賀茂郡河津町での一枚だ。撮影は前回、河津町で鍋失の砂防ダムを行脚したときに行ったものである。「水源かん養保安林」とある。

水源かん養保安林とは何かが今回のテーマ

水源かん養保安林とは何か?以下は引用である。
〔水源かん養保安林 水源のかん養の目的で指定された保安林。流域保全上重要な地域にある森林の河川流量調節機能を高度に保ち、その他の森林の機能とあいまって、洪水、渇水を防止し、または各種用水を確保する。重要な河川その他水害頻度の高い河川の上流水源地帯において、地形、地質、気象等を考慮して指定される。2002年度末現在の指定面積は約666万haで、全保有林の7割を占める。国有林と農林水産大臣が定める重要流域の民有林は農林水産大臣、その他の民有林は都道府県知事が指定等を行う。五関一博〕山海堂刊改訂砂防用語集より。

砂防ダム行脚をしているとあちこちで見かける。

改訂砂防用語集を読む

ここからは改訂砂防用語集を読んでいきたい。まずは、〔水源のかん養の目的で指定された保安林〕とある冒頭部分。かん養というおそらく聞き慣れない言葉が使われているが、かん養とは〔【涵養】(涵はうるおすの意)自然に水がしみこむように徐々に養い育てること。「徳を-する」「水源-林」〕岩波書店刊第六版広辞苑より。とある。また保安林については〔森林法第25条および第25条の2の規定により、農林水産大臣または都道府県知事が、水源の涵養などの目的を達成するため指定した森林。2002年度末現在の保安林に指定されている森林の面積は約920万haである。保安林においては、原則として、都道府県知事の許可を受けなければ立木の伐採や土地の形質を変更する行為などをしてはならず、立木の伐採をした場合には植栽をしなければならない。保安林の指定の目的は、水源のかん養のほか、土砂の流出・崩壊の防備、飛砂の防備、風害・水害・潮害・干害・雪害・霧害の防備、なだれ・落石の危険防止、火災の防備、魚つき、航行の目標の保存、公衆の保健、名所または旧跡の風致の保存がある。五関一博〕山海堂刊改訂砂防用語集より。とある。

冒頭部分から解ること

冒頭部分から解ることは、農林水産大臣または都道府県知事が法律上の規定により、国土保全上または国民経済上特に重要な流域にあると判断した森林について、その所有者の意思に関係なく定めた範囲内にあるものを水源かん養保安林と呼ぶ。といったところであろう。
続いて〔流域保全上重要な地域にある森林の河川流量調節機能を高度に保ち、その他の森林の機能とあいまって、〕の範囲について。この部分については前半部分と後半部分に分けて解釈を進めていこうと思う。まず前半部分についてだが、これは森林の土壌について言っていると思う。森林を構成する木々のその下にある土壌がどれだけ雨水を貯えられるか、ということについて言っていて、土壌中に貯えたもの、貯えなかったものに二分する。二分したうちの後者、貯えなかったものに関して言えば、雨水がその時そのまま川の水となり流れていることによる河川流量であると思うし、その、その時そのままの水が枯渇してくると前者の土壌中に貯えたものから補填しての河川流量となる。このようにして、河川流量というのは土壌の作用によって雨水の安定供給を受け、一度に“清算”されることなくいわば“分割払い”のようにしてさらに断続的に、しかもそれが一切の人的介入無き山の中で自然現象として行われているわけであるから、調節機能が高度であると敬意の意も含めて表現している。
後半部分の〔その他の森林の機能とあいまって、〕についてだが、これは森林を構成する木々本体の葉や枝や幹など、土壌よりも上の部分についてであると解釈した。木々の葉や枝や幹の表面に付着する雨水を言っていると思う。機能とあるので※雨水付着機能とでも言おうか?

※雨水付着機能は本文内の造語のため注意。

洪水、渇水を防止し・・・

さて、森林を構成する木々のその下にある土壌、また森林を構成する木々本体の存在それらによって何が起きるかがそのあとの〔洪水、渇水を防止し、または各種用水を確保する。〕に続く。土壌には雨水を貯える機能があり、木々本体には雨水が付着する機能がある。雨水について、仮に森林という場に大雨が降ったとしてもそれら土壌や木々本体には一時的に雨水が貯えられたり付着したりする性質があるためその全体が河川に流れ込むということは出来ない。雨水を森林内に一時的に留めているということが言え、結果、洪水の防止に役立っている。またこのことは、そのあとに続く渇水の防止や各種用水の確保ということにもつながる。土壌や木々本体に一時的に留まった雨水はその時そのまま川に流れ込んだ水に遅れてあとから続くことになる。事象として川は水が途切れることなく張っていて、流れ続けているということが起こる。前述の表現を繰り返せば、一度に“清算”が起ること無く“分割払い” がなされるわけでその言わば“水の恵み”によって人々の日々の暮らしは守られている。

水の恵み

“水の恵み”と書いたが、なかなか普段の生活でそういったことを感じる機会というのは少ない。川なんてあって当たり前、水なんてあって当たり前ということで日々過ごしている人がほとんどであると思う。水というのは日常生活には無くてはならないものであるのに、それが山々の木々からもたらされるなんて到底イメージが出来ない。これもまたほとんどであると思う。私自身においてはどうか?台風一過の今日、何事も無くよくぞ頑張ったのだと山への感謝を込めながら、コップに注がれた一杯の水をゴクリといったつもりである。

今回、記事の作成にあたり山海堂刊改訂砂防用語集砂防学会編と岩波書店刊第六版広辞苑から引用を行った。私の事前の予備知識により、説明が端折られている部分もあるがご了承いただきたい。また、水源かん養保安林の〔重要な河川その他・・・〕以降の読みについて、ここからは指定者やその面積の説明になり、保安林そのものの自然現象の事とは異なるため省略した。

こちらは伊豆森林管理署設置の看板。
持越川。雨の少ない冬期でも水は途切れない。2017年2月撮影。

大好き河津町!vol.3

入り口となる電光掲示板設置箇所

今回は7月11日に行った鍋失(なべうしない)の砂防ダムについて紹介しようと思う。場所については画像にある通り。国道414号線、新天城トンネルを抜けてまずは河津町に入る。そこから約4キロほど坂を下り、その間2本のトンネルを通過する。その後「旅の駅吉丸」を右手側に見ながらさらに進む。この「旅の駅吉丸」からいよいよ入り口が近くなるので車のスピードを控えめにし、さらに400メートルほど坂を下る。すると静岡県警察の電光掲示板があり、その左手脇に反時計回りに渦巻くような道があるため確認しておく。後続車両などが付いてきていなくて、ブレーキングしながら左折で入れるようであれば直接入ってもよいのだが、おすすめしたい安全な方法としてはそこからさらに国道414号線を700メートルほど下って、反対車線にある停車帯のあたりでUターン(このときも後続車両に注意!)してから再び登るようにして引き返し、右折で入るというやり方だ。右折で入ってからは反時計回りにぐるりと回った後、国道414号線をくぐり抜けて少し走る。すると乗用車が10台ほど停められるような比較的広い駐車場に出るのでその駐車場からまた林道をさらに行く。1.8キロほど走れば“終点”の鉄製ゲートがあるのでまずはそこまで車を走らせる。この林道についてだが「踊子歩道」というハイキングコースとしての一面も持っているため、ゆえに歩いているハイカーも多い。うっかり事故など起こしてしまうことの無いよう気をつけて走行したい。鉄製ゲートの前には乗用車が2~3台停められる駐車スペースがあるので、まずはそちらに車を駐車させる。

反時計回りの描かれた河津七滝めぐり入口看板
水垂バス停。これも反時計回りの入り口にある。

事故の無いようお楽しみいただきたい

ここからは歩いて現場に向かうことになる。開始は鉄製ゲートの手前側に丸太階段があるのでまずはこちらを登る。続いてはスギの木の針葉樹帯を100メートル位い歩くと木で出来た桟橋があるのでその桟橋を渡る。桟橋を渡ってからは河津川の左岸側を沿うようにして続く。この一体は「落石注意」の看板があり注意を促していて、自分が歩いているその左上方を見上げれば確かに危険地帯であることが解る。どれほどの奥行きなのかは解らずその発生源も未知であるが、砕けた岩石が斜面上に散らばり、その範囲は自分の歩いている歩道上にも及んでいるような状態であるのだ。そんな一応の危険地帯でもあるが、右手側の崖下の藪の隙間から見え隠れする河津川のその美しさ、清冽さに心を奪われて不思議と落石云々などということはどうでも良いことになってしまう。言いたいことがあるとすれば、その発生確率がグンと上がる雨天等の荒天時にはこのような「落石注意」の場所の通行は避けた方が良い。地盤が緩むタイミングは要注意という事である。その「落石注意」の危険地帯を抜け北方向に進むと、やがて画像にあるような赤い鉄製の橋が現れる。ここまで来ると現場はいよいよ近い。赤い橋を渡らずに歩道を左に外れ、谷に降りる。谷に降りたら赤い橋のその下をくぐり抜け、河津川に向かって降下する。降下する際には傾斜がきつい箇所があるため長いストックのようなもので地面を突き刺し、体を支えながら降りるとよい。私の場合は自作のウォーキングポールを使って降りている。降りきって河津川に出れば、すぐに堤体本体からの落水を確認することが出来るはずだ。

ゲート前の橋から
丸太階段
赤い橋
赤い橋の下から河津川を見る

いつもより水量豊富な当地に

7月11日、当日はいかにも梅雨の中の一日という感じでこの鍋失の砂防ダムはいつもより水量豊かに落水もドカン!としていた。当地はその持ち有る景観としては渓流と言って間違いないところなのであるが、長い流程をもつ河津川全体から見ればまだまだこの程度は中流域と言え、さらに上流域には豊かな水源林とその土台となる山々が控えている。そんな中流域の砂防ダムであるこの鍋失の堤体上を通過する水は年中通じて豊富で、その落水によりいつ来てもごう音をとどろかせている。ちなみに梅雨時に当地を訪れるのは今回が初めて。―そんな調子で年中あるのに今日は梅雨の水量によってさらに大きな音を出しているなぁ。―というのが当日もった印象である。

左岸側にはワサビ田も見られる。

お決まりの立ち位置に

この現場での立ち位置はいつも決まっている。堤体の前左岸側約30メートルのところにタタミ2畳分サイズの白っぽい石が堤体に近い方、遠い方に前後合わせて2個置かれている。堤体に近い方の前側の石はそこから前方よりエノキの木の枝がビローンと伸びていて、その葉っぱによって木陰を作ってくれている。そのエノキの木を含め左岸側は豊かな森が控えており、また水を挟んで対岸側(右岸側)は樹木を乗せた崖が連なるようになって壁を形成していて、それらが光をさえぎり暗がりを形成してくれている。この暗がりというのが重要で、音楽を楽しむ上でより曲の持った世界に入っていくことが出来る。私はクラシックの分野を好みとするところだが、そのことは他のジャンルの音楽にも言えることであろうと思う。みんなの大好きな音楽施設ともいうべきカラオケボックスというのは基本的にちょっと暗い(薄暗い)もしくは暗いところで楽しむものでは無いだろうか?カラオケが世に広まりだした頃にどうであったかは私は知るところでは無いのだが、音楽という「音」を扱う芸術を追究しようとしていこうとするとき、その「音」とは科学的に混ざり合わない「光」というものに関して実は気をつかわなければいけないということがカラオケのその始まりからの歴史の中で明らかになってきていると思う。カラオケボックスは金を払って楽しむところであるはずだ。音楽を表現する“場”として、「ただ暗い」のでは無くて「暗いことに金を払ってまで手に入れる価値がある」ということが言えるのでは無いだろうか?

そのようなことを考えるからこそ私は金、時間を使って砂防ダムを訪れることを惜しまない!

ヤマグワ

チャレンジ!

この日は本当に歌を楽しめた。河津川中流域のドカン!に形勢としては負けてばっかりで自分の声はほとんど響きとして聞き取れないのであったが、この鍋失の大堤体を前にチャレンジすることそのものが楽しくてしょうがなかった。気分的なものとして今自分が立っている堤体前の景色が大好きで、またここに来るまでの道のり、その課程における様々なものから与えられた感動が自分自身を襲っていることがわかる。前述のタタミ2畳サイズの後ろ側の石はちょこんと座ることができ、そこに時折座っては体を休めながら3時間近くこの場で過ごした。

河津川と言えば滝で有名な同地であるが、それ以外にもこんなに素晴らしいところがあるのだということを知っていただきたく、今回記事を作成した次第である。

鍋失の砂防ダム

スマートフォンのタップ1つで

今回は戸田のエピソード

連日の降雨である。

ホームセンターという小売業に日々勤務していて、その日の売上額が天候に左右されるということは、この業種の経験者であっても無くても想像に難くないことであろうと思う。雨が降れば客足は遠のき、売り場で見かけるのは店のユニフォームを着た店員ばかり。まさに閑散という状態。そんな中なのに対して、お客でごった返して売り場の商品があれよあれよと売り減っていくことを想定して作られた売り場は高く商品が積み上げられ、さながら見本市の新製品発表会のプロモーションのようである。店を統括するホームセンター本部にしてみれば天候不順による売上げ減というのは本当に本当に悩ましい問題であり、特に昨今のようにスマートフォンを開いて、タップ1つでモノが買えてしまうような時代にあっては雨のせいでほんらい来店するであったお客が家に籠もってしまうというのは由々しき問題なのだ。

気が気では無い

ホームセンターにおける商売のあり方では例えば、石けん、紙、洗濯洗剤などの日用消耗品を売ったりすること、“お客がもともと欲しいと思っていたモノを売る”という事のほかにもう一つ、 ある日あるとき一人のお客が売り場をフラフラ歩いていて、「おや、なんだこれは?」という気づきから始まって、最終的には買っていこう!となる、つまり“お客がもともと欲しいと思っていなかったモノを売る”という商売をするということが欠かせない。ホームセンターというのは、後者のようなお客の心の変化、購入動機の発生をねらって、日々販売計画が練られ、店内の模様替えともいうべき売り場変更がなされているのである。その点においてはインターネット通販というのは実に巧妙でよくできており、どうすれば見てもらえるのか?どうすれば買ってもらえるのか?が徹底的に考えられており、お客に対して購入を訴求する仕掛けや仕組み作りの開発が著しい。モノを販売するための研究がもの凄く、フラフラとネットサーフィンをしようものなら気づいた頃には端末の画面が通信販売の「最終確認」とやらに行き着いてしまうのである。そんなお客への訴求、誘導に長けた甘い甘いエサのついた仕掛けを持った釣り人のような者たちを勝負の相手とする我々、店舗販売の面々は天気が晴れていたって気が気では無い。天気が晴れていたって気が気では無いのに雨などふって皆が家に籠もってインターネット通販によって購買行動を済ませてしまえば、こちらは商売あがったりなのである。

梅雨の連日の長雨である

そんな、インターネット通販という敵と戦いながらの日々であるのだが、雨が降った、にもかかわらず多くのお客が来店する日というのが時としてあるのである。もしやインターネット通販などというのは幻で実際はこうやって建築資材の多くがそうであるように皆、今の時代もわざわざ店まで赴いてモノを買うということに消費者行動の本流があるのでは、とも思うのだが実際どうなのであろうか?雨が降ったことにより部屋干し洗剤のような関連商品の需要が高まったのか、雨という自然災害の発生物質に対する備えとしてホームセンターを利用したい機運となったのか、はたまた今日は休日なんだけど行楽地で遊べ無くなったからショッピングに切り替えたので今その場ににいるのか?様々なことが考えられるのだが、梅雨の連日の長雨である。「濡れるのが嫌で家に籠もり続けていたが、とうとう備蓄(これは食品でも食品以外でも)が底をつき、嫌々ながらも仕方なく買いに来た。」というお客が少なくないのでは無かろうか?前述のように石けん、紙、洗剤のような日用消耗品は、生活必需品とも言われるものである。またそれ以外のものであっても晴れをうかがって買いに来るつもりでいたが、いつまで経っても雨がやみそうに無かったため「辛抱たまらず買いに来た!」という事では無いのだろうか?

そんな思いで勤務終了後に

というわけで音楽家である私自身も「辛抱たまらず!」行くことになった次第の今回の砂防ダム行脚である。7月の第1週はスケジュールが詰まりに詰まっていたため5日の夕方、ホームセンターの勤務終了後の出動となった。場所は沼津市旧戸田村の石原沢である。この日もパラパラ雨が降っていたが、今日向かう先は沢に橋が架かった場所である。沢に降りることなく音楽が楽しめるという便利な場所だ。ホームセンターを5時過ぎに出発し、6時半頃には現地に到着することが出来た。現場は雨が降りしきり山の上から谷を下るようにして風も吹いている。

「石原沢」入り口
橋はキャンプ場入り口道路の最奥部にある

ん~集中できん

この日の条件は過酷であった。風に関して言えば山の上からの吹き下ろしの風であり、自分の向いている方向に対して真正面からとなるため音は当然響かせにくい。それでも常にビュービュー吹き下ろしているわけでは無くて、時折それがピタッと止まるタイミングがあるので、逆にそのタイミングでは楽しめた。問題となったのは雨で、真正面から吹き付ける風と複合して私の顔面を叩きつけた。眼鏡を掛けているにもかかわらず、そんなものは何の保護にもならず雨粒が目に当たる。雨粒が目に当たる事で集中力を失い、曲の持っている詩、音の世界に入っていくことが出来ない。それでもどうにか訪れないものかと小康状態の訪れに期待し、結局7時半前まで現場に立ち続けた。無情にも山は一切の隙を見せることなく雨風で私の顔面を叩き続け、暗闇の訪れとともにこの日の砂防ダム行脚はタイムアップとなった。終わって車に乗り込んだのだが途中からは疲れで車がフラフラ。これではイカンと思い、途中コンビニの駐車場で仮眠をとりながら家路についた次第である。

正面から
橋の手前側にある看板
雨に容赦なく叩かれた