蛍光ペン

蛍光ペン

自分が蛍光ペンというものの存在を初めて知ったのは小学校の頃であったように思う。同じ町内の子どもが集まって、バスハイクと呼ばれる保護者会の計画した場所へみんなで遊びに出掛けるという行事が、毎年、夏休み期間中などに行われていたのだが、そのバスハイクのビンゴ大会の景品として、自分の手中に収められたのが蛍光ペンとの最初の出会いであったように思う。景品の入った袋を開けると、ほかの鉛筆やらボールペンに紛れて、黒いボディにオレンジや黄色の鮮やかなリングがはめられた、見たことの無いサインペンが入っていた。文房具という本来、主に屋内で使用されるはずのそれは、バスハイクの行き先である森林公園という環境下、とても鮮やかに光り輝き、少年たちを大いに騒がせた。兄や同級生の中に混じって私は、「なんだこれは?」となっていた。

景品担当

バスハイク本体がどこへ行くか?何をするか?昼飯は?配るおやつは何なのか?といったことは全て保護者会の役員によって決められる。自分は当然、子どもであるからそこに参加するだけなのであるが、今思えばその行事に関わった保護者会の役員たちは大変な苦労であったと今更ながらに思う。何十人ものやんちゃな子どもたちを引き連れ、自分たちですら慣れないところに連れて行き、楽しませ、食べさせ、最後、朝の集合場所に子どもたちを降ろして終わりなのでは無く、そのあとしっかり無事に家までたどり着けるように導いてやらなければならない。ビンゴ大会の景品担当一つにしたって、品物は子どもが喜んでくれそうなものを選びつつ、親が見ても腑に落ちるような内容で無ければならない。バスハイク中のエピソードなど直後は甲高く大いに語られるかもしれないが、通常2~3日もすれば子ども、親ともに記憶の中からほとんど消し去られ、忘却の言葉と相成るはずであるが、ビンゴ大会の景品という“形あるもの”は、それがいつまでも証拠として残ってしまう。蛍光ペンはじめ、文房具各種を買いに走った景品担当の苦労というのは、肉体的なものに留まらず、精神的なものも伴っていたであろう。意外と、そういう仕事というのは周りの人間が大して気にしていないのに、本人は「何を選んだらいいだろうか?」と必要以上に気を遣っていたりするものなのである。

見てきたもの

そして今、砂防ダム音楽家となっている。当時は、夏休み中一回きりの森林公園での山遊びであったがそれが一年中、山というところに行くようになり、その山という所での四季、いろんなものを見てきた。ベストシーズンの枯れきった冬山、新緑の春、うだるような暑さの中で生命が躍動する夏などどれもがおもしろく、魅力的である。これからのシーズンは紅葉が楽しみだ。自分は砂防ダム音楽家としてまだまだ経験が浅く、未熟だと思っているが、その少ない経験の中で見たところを紹介しようと思う。

工場①

またしても

場所は持越川上流域。中伊豆、湯ヶ島温泉街を伊豆市市山のあまご茶屋前から入り、道なりに進むとやがて猫越川に寄り添う形になるが、これに沿ってさらにしばらく進むと「水抜橋」というガードレール製欄干の橋に出られる。その水抜橋の直後には丁字路があるので右折し、5キロほど道なりに進むとISO14001認証取得工場という大きな看板が現れる。これは中外鉱業(株)持越工場の工場看板で、その中外鉱業を右手に見ながら橋を渡り、さらに進んだあたりが紅葉の美しいエリアである。「小沢橋」の前には堤高3メートルほどの低い堰堤があり、その堰堤のちょっと上流に行ったところには小さな滝などもある。濡れた川石の黒、渓畔林の暗さから生じる黒。黒の中で様々な落葉樹によって放たれた色が鮮やかに光を返す。

「なんだこれは?」となっていた。最初に見た時。その色はまさに小学校の頃、バスハイクのビンゴ大会で手にした蛍光ペンの色と同じであったのだ。自然界の作り出した黒の中にこれまた自然界の作り出したオレンジや黄色の蛍光が光り輝く。今度はペンの状態で無くてキャップを外して、実際に塗った色だ。いや、規模の大きさから言えば、塗った。とかじゃなくて、蛍光ペン工場にあるであろうインクの入った大きな缶からバカでかい刷毛で塗料をぶちまけないと、この量はまかなえない。などと思ったりした。

工場②
工場③(①~③まで全て合わせるとかなり広い。)
紅葉エリアはこのあたりから
見えづらいが画像中央部に堰堤がある。
この配管のあたりが非常に美しくなる。

紅葉は見てのお楽しみ

本記事では自分のまだまだ少ない山経験の中からも、特に印象的であったこの場所を紹介している。同所の紅葉がとても美しいのは堤高3メートルほどの堰堤と、その上流の小さな滝が影響していると思う。ふだんあちこちの砂防ダムに行っていて、砂防ダムや砂防堰堤周辺には気流が発生することを私は経験の中から心得ている。砂防ダムというのは二階部分から一階部分に向かって吹き下ろす形で空気は流れる。例えば夏場、二階部分に溜まった土砂が太陽光の熱で温められているような環境だとその風はいっそう強い。沢を流れる冷たい水と温められた土砂の温度差で局地的に気流が発生するのだ。樹木の形状が変化する「風衝」ほどの変化は見て取れないが、葉の生育程度にはこの風は影響を及ぼし、紅葉の色がよりはっきりしたものになるのだと思う。
以上の理屈は私なりの勝手な持論だが、それにしても蛍光ペンという化学工業製品並みの色を自然界の環境が作り出してしまうことには大変な驚きを覚える。毎年、毎年忘れること無く色づく植物において、これは原理に基づく物理的変化だと言われても、生き物としての意思を持った作為による発色なのだという感を受け取らざるをえない。

この持越川上流域はトイレさえも無いような観光設備ゼロの無名渓谷であるが、その点含め大変魅力的であるので同地への訪問をおすすめする。尚、実際の紅葉の姿は見てのお楽しみの画像なしということでご了承いただきたい。

紅葉エリアは渓谷と道路が離れるところまで
現場入り口となる「宇久須沢林道基点」
堤体全景。基点からは歩いて15分ほど。

狩野川、アユの川

三田鮎店の「鮎のひもの」

10月21日、この日は朝から秋雨前線の停滞の影響で空がどんよりと曇っていた。昼間の時間帯であるにも関わらず外は異様に暗く、とてもじゃないが砂防ダムに行けるようなコンディションでは無かった。空から降りそそぐ日の光と砂防ダム空間を取り囲むようにして生える渓畔林がもたらしてくれる暗がり、その両者の明滅差を楽しむという砂防ダム音楽の性質からすれば、とてもじゃないがこんな暗い日には現場に向かおうなどという気にはなれなかった。天気の回復を待って午前中は自宅待機、時計は12時を回り、午後になり・・・、あきらめた。

釣り

そうだ、釣りに行こう!となった。季節は完全に秋めいてきた。最近下見をしていた場所があって、そこにはかなりの数、カラスが群れていた。川の中の中洲になっているところで、あのカラスたちはもしや・・・。と、期待していたのである。
自宅を出たのは午後1時過ぎ。市内を流れる狩野川の釣り場を目指してハンドルを握った。そこは海から4.6キロほど遡った地点。完全に川のはずなのであるが、今日狙うのは海の魚、スズキである。

釣りを開始したのは午後2時過ぎ。相変わらず空は暗く、まるで※夕まずめの時のようである。それならばチャンスタイムなのだとはりきり、ルアーをキャストし始めた。が、期待に反して魚からの反応は返ってこない。堆積した砂利によって出来た川岸を下流方向に歩きながら、キャストを繰り返すも、魚にカスりもせずルアーが帰ってくる。やがて下流方向に下がることの出来る限界点まで達したため、今度は折り返し、上流方向に歩きながらキャストを続けた。

※夕暮れ時。あらゆる魚においてよく釣れる時間帯とされている。

今回入った釣り場

スズキさん

魚を掛けることが出来たのは午後4時すぎ。弱ったアユを演出するつもりでルアーを川の流心に流し込んでいくと、突然、握っていた竿が重量感に襲われた。しばしのやりとりで上がったのが画像にある通りのスズキ。本当にアユを食べていて、このような様であるのかは定かでは無いが、でっぷりと太っていて、釣り人的に言えば大満足の一尾であった。この魚は食べればうまいのであるが、本来ならば今日の日は砂防ダムに行って歌を楽しんでいたところの、脱線しての釣行である。突然の予定変更でノコノコやって来た“にわか釣り師”を楽しませてくれた川のスズキさんに対してはもう感謝、感謝の念で胸が一杯で、ありがとうの気持ちを込めて再び川に解き放った。

スズキ

落ちアユ

秋のこの時期のスズキは(ウグイやボラももちろん追いかけていると思うが。)流れ下ってくるアユを食べている。“落ちアユ”と呼ばれる産卵を終えたアユで基本的には皆、弱っているだけで泳ぐことは出来るものの、流れに逆らって上流を目指すほどの遊泳能力を持ってはおらず、これらはどんどん下流へ流されていってしまうという運命をたどる。アユは時に“年魚”という字が充てられたりするが、その生涯は1年と短く、そうやって流されていく過程も1年のうちの一幕で、無残さこの上ないのだが、自然界の常習としてはこの魚の瀕死は他の動物たちの食物として受容される。水中で追うのはスズキなどの肉食魚類。また、カワウなどの餌食にもなる。空中からはトビなどがこの魚を狙う。狩野川の場合ことにアユの多い川なので、あのカラスまでもがこの時期は落ちアユ拾いに精を出すのだ。下見でこの場所を見た時にカラスたちを見つけ、もしや・・・。と思ったのはこのためである。

天然アユは幼魚期を海で過ごす。(狩野川河口)

看板

普段、砂防ダムを目指して狩野川沿いを走ることが多いが、この川の流域は本当にアユという魚と密接な関わりを持った川なのだということがよくわかる。夏に川を上下に見渡せば、必ずと言っていいほどアユ釣り師の姿を見かけるし、そのアユ釣り師を相手に商いをするオトリ店や民宿などの看板がしょっちゅう目に入ってくる。アユそのものの料理や加工品を観光客に提供する店もやはり多く、もはや狩野川を語るのにアユという魚は欠かすことが出来ない。

大仁神社にて その1
大仁神社にて その2
大仁神社にて その3

渓畔林とアユ

アユの適水温、つまりアユが川の中で生活していく上で最も快適な水温はおよそ20℃~25℃の間らしい。伊豆半島は標高の高い山々がそびえ立ち、その頂上付近は当然気温が低い。また、その高い山にともなっては険しい谷が形成され、しかもその谷の多くは渓畔林によって囲まれている。渓畔林によって囲まれた谷を流れる沢の水は太陽光を遮断され、温められることなく下流へ流れ続け、最後、狩野川本流へ流れ込む。その冷たく保たれた沢の水によって形成された狩野川がアユたちにとって本当に棲みよい環境であるのかどうかは魚たちに聞いてみなければ解らないが、少なくとも、川の中を覗けば水中がチビ鮎たちで埋め尽くされている光景はよく見かけるし、地上ではその水産資源を利用した人々の生活文化が当たり前に育まれている。流域住民の生活文化を維持していくのにアユという魚は欠かすことが出来ない存在で、そのアユに対して最適の環境を用意出来ているかどうかはわからないものの、現状を維持していけばとりあえずはこの魚と未来永劫つきあい続けていくことが出来るはずである。求められるものは現状維持。この地域の環境を自然的にも、人為的にも大きく変化させてしまった時、その結果は川に、魚に現れてくることと思う。

オトリ店を示す看板
天城北道路下のオトリ店
狩の川屋
入漁場としての狩野川“の、ちょっと上”にあるダイダルウェーブ堰堤(と、勝手に呼んでいる水恋鳥流路工。)

台風19号

スリップを発見。(長野川最下流部にて)

台風19号が過ぎ去った翌々日となる10月14日、堰口川の谷止工に砂防ダム行脚したことを書こうと思う。

10月14日、この日は自家用車のオイル交換を済ませる必要があったため、まずは朝一、そちらに着手。エンジンのオイルフィラーキャップを開けて、エンジンオイルを注ぐのだが、今日の交換ではその手順がやや慎重にならざるを得なかった。なんと、「さぁ、交換だ!」と作業を始めようとしたら、霧雨程度の細かい雨粒が降り始めてきたのだ。エンジン本体内に雨の水滴が入らないよう、ボンネットを屋根代わりにしてガードしながら、できる限り素早く、エンジンオイルを注ぎ入れた。どうやら今日はあまり天気が良くないようである。

情報を元に各地に立ち寄る

エンジンオイルの交換を終え、自宅を午前8時頃、出発。まず向かったのは、田方郡函南町にある道の駅「伊豆ゲートウェイ函南」。事前に床上浸水したとの情報があったため、被害状況の確認ということで訪れた。国道136号線を伊豆中央道、江間トンネル方向に向かって走り、建物本体を確認。一番先に目に入ってくる道の駅内のコンビニ「セブンイレブン道の駅伊豆ゲートウェイ函南店」は窓から、入り口から、全て白色のブラインドが降りており、閉店していることがわかった。その後、すぐに現れる水色の左折レーンを曲がり、駐車場に入場する。トイレは通常通り“営業”しているようで使用することが出来たが、ゲートウェイ本部のインフォメーション窓口、各テナントが入る建物内部は封鎖されていて入ることが出来なかった。結局、トイレだけ借りて終了、という形でゲートウェイを出発。南下のルートをたどり、伊豆中央道、修善寺道路、天城北道路を経由。次に向かったのは伊豆市市山の旧天城湯ヶ島支所周辺。台風通過当日、私は台風関連の情報をラジオにて収集していたのだが、ここ伊豆市市山がそのラジオのアナウンサーにより何度も連呼されていたのだ。連呼されていた理由は、その爆発的な降水量からで、最終的には12日当日の日降水量は688ミリ、24時間降水量は717ミリ(同観測所における観測史上最多)という数字を叩き出した。その伊豆市市山はどんな状況になっているかとのことで車を降りてみたのだが、国道414号線沿線付近は特に被害らしきものは見られなかった。しかしながら、それだけの猛烈な水の空爆が当日はこの地に降り注がれたのである。市山含め、この天城湯ヶ島周辺の街中もそうであるし、山においては山林、林道内のどこかしらが破損していることが想像できる。事実、その市山にて狩野川に合流する長野川のその最下流部、小川橋~簀子橋間の山の斜面で土砂崩れが確認できた。こういった、あまり規模の大きくないスリップと呼ばれる程度の土砂崩れは、各所で起きているであろう。であるが、今回はその台風の被災範囲の広さと、それに伴っての被災箇所の多さから、この程度の土砂崩れ一つ一つは当然のことながら報道されない。砂防ダム音楽家として、この地域含め、伊豆半島各地の山林、林道、河川構造物等の被災状況が気になっているのであるが、それらに関する情報は自分であちこち出向いて見つけていくしか無いというのが現実だ。このような悩みを持つのは私だけでは無いであろう。山歩きをする人、釣り人、職業者としては自治体の職員、山の調査を行っている人たちなど皆、そうであると思う。伊豆は、国有林も多い。今頃は、関東森林管理局の職員もあちこち飛び回っているはずだ。この令和の時代、情報網が発達した世の中にあっても、山の中の出来事というのは、平成、昭和のころと何ら変わらぬ方法を持ってしか知り得ることが出来ない。事実を知りたいのであれば、自分で“歩いて”探し回るしか方法が無いという不便さが今も昔も変わりない。

しばらく留まったのち市山を離れ、新天城トンネルを目指す。途中、国道414号線でいつも気になっている「出水橋」に立ち寄る。ここは、砂防ダムが・・・、と言うことでは無くて沢の水が道路を跨ぐような感じで越流していることが多い箇所だ。まさしく名前の通りの“出水”なのだが、今回の台風で沢の水が土砂を含んで越流するなどして被害が出ていないかと心配であったため、こちらをチェックポイントとし、立ち寄った。思いのほか、とくに目立った被害も無く安心する。その後は、新天城トンネルを抜け、河津町に入ってからも同様、目立った被害は見られずスムーズに堰口川のある東伊豆町まで行くことが出来た。

市山丁字路。
嵯峨沢橋から上流部。まだ水量が収まっていない。
旧天城湯ヶ島支所。さらに昔は天城湯ヶ島町役場。
出水橋。橋では無く奥側の林道入り口付近が越流しやすい。

最も渓畔林の元気な時期

谷止工の現場に入れたのは正午すぎであった。ここは前回、3月の砂防ダム行脚の記事「また今日も雨降り」で来て以来の再訪である。記事によれば前回来た時はレインスーツを上下に着ていたとあるが、今回もまた同じようにレインスーツである。今日はこのスタイルで丁度よい感じだが、これが1~2週間前であったら暑くて堪らなかったであろう。一夏を超えて季節は秋となり、また春の頃の気温が戻ってきたのだ。と、ここでふと考える。前回来た時と同じ点があるとすれば、服装のこと。前回来た時と違う点があるとすれば、それは森の状態。3月のこの場所は、上から多くの針葉樹が樹冠で覆ってくれている状態であったが、その樹冠よりも下の部分が今よりもスカスカで、そのスカスカの隙間から多くの光が縦横無尽に降り注がれている状態であった。今日とは明らかに違う状態であった。今日は、前回と同様、晴天に恵まれること無く空からは「白い」光が差し込む状態であるが、その時とは違い、歌がうまく歌えている。台風の風によってちぎり取られた枝葉は道路上に散らばっているが、それ以外の多くは見事、台風の猛威に耐え抜き、木から、枝から元気な緑色を見せてくれている。
―今は、一年の内で最も渓畔林の元気な時期である。―
歌というものに無くてはならない“詩”。その詩の世界に深く入り込んでいくためには、渓畔林のもたらす暗がりは欠かすことが出来ない。渓畔林が一年のうちで最も元気なのであるから、それによって形成される暗がりも一年のうちで最大規模なのだ。その最大規模の暗がりの中、今、自分は歌えている。
今日の日の砂防ダム行脚は大成功であった。大成功にいくように導いてくれた森の木々に感謝したい。

白田橋より。画像右端に注目。
ラジオでは、避難指示と言っていたので相当凄かったのだと思う。
林道上を覆うスギの葉
落ちている葉をしらべる。
どうやらこれはバクチノキの葉のようである。
堰口川脇の谷止工

北又川の砂防ダム

三ツ石橋

北又川上流部の砂防ダムについて紹介しようと思う。まずは場所について。スタートは例によって伊豆中央道、修善寺道路を使っての伊豆半島南下からはじまる。修善寺道路は修善寺トンネルを過ぎた後すぐにある修善寺インターチェンジにて降り、インター下にある信号を左折、修善寺温泉街方向に向かう。コスモ石油、ファミリーマート、JA伊豆の国前などを通過した後、左手方向に「修善寺総合会館」が現れる。この修善寺総合会館前に、400m先、戸田港・西伊豆スカイライン方面は右折、という旨の案内標識があるのだが、今回使用したいルートはこれであるため標識に従い400メートルほどそのまま直進する。右折時、目印となるのは「五葉館」という赤い外壁の旅館で、その五葉館前まで来たら丁字路を右折する。ここから目指すのは、「広域基幹林道 達磨山線」の入り口。右折後、6.8km先にあるのだが、その入り口まではダラダラと登り坂中心に道が続く。ここの登り主体の坂で伊豆の思い出を作る人は多い。どこか遠くから来たであろう、学校、スポーツ少年団、ボーイスカウトなどの団体、個人ではオートバイ、ロードバイク乗りの者も多い。長く、アップダウンの続く坂を行くことに価値があるというということなのであろう。ロードハイキング、ツーリングといったことを麓にある温泉と併せて楽しめるというのだから、修善寺はじつに魅力ある財産を抱えた観光地なのであるということがわかる。そのアップダウンの途中には「虹の郷」や「伊豆国際カントリークラブ」などの広大な敷地を持った観光施設がある。注意したいのはその伊豆国際カントリークラブ以降の区間で、見通しが悪いカーブの続く道になる。前述の通り、この道を歩いたり走ったりしているのだから、そういった人たちとの事故には十分に気をつけたい。注意しながら進み、「広域基幹林道 達磨山線」入り口を迎える。名称に達磨山線とあるが、この道は達磨山の中腹を横断するようにして続く林道で、※最終地点は中伊豆~西伊豆の最主要ルート、船原峠の道、国道136号線である。そして入り口より林道に入ると、目的地はいよいよ近い。林道に入ってから、一番最初に現れる橋「三ツ石橋」がそうであるからだ。三ツ石橋まで行くことが出来たら、そのまま橋を渡って通過し、道幅の広くなったところへ車を停める。

※正式には国道136号線手前で途切れる。

修善寺インター下
五葉館
林道入り口
広域基幹林道 達磨山線

朱く塗られた橋

さて、北又川の砂防ダムであるが、多分、三ツ石橋を渡った時点でもう見つけられていると思う。何せ、その三ツ石橋よりわずか50メートルほど上流に堤体があるからだ。ここは橋と砂防ダムをセットで楽しむことが出来る場所だ。楽しむ・・・などと言ったって、そんな感覚の持ち主はモリヤマさんあなただけですよ!と、言われてしまうかもしれないが、いやいや、そうでも無いようである。画像にある通り、この三ツ石橋はわざわざガードレール製の欄干を朱色に塗装し、景観を良くしようとしているのだ。三ツ石橋から川をのぞき込めば、誰でも砂防ダムの堤体に目をやるのは明らかであるから、橋を朱く塗ることを“設計”した者の意図としては、「橋と砂防ダムのセットをどうぞお楽しみください。」ということなのであろう。またその橋と砂防ダムを取り囲むようにして生える樹木も伐採すること無く残されている。橋と砂防ダムのみならず、渓畔林も添えて演出するあたりに景観設計の技術的なものを感じずにはいられないのだが、これは私だけであろうか?砂防ダムと、またそれを取り囲む周辺環境について、どうすれば美しく見えるか。ということについて考えられていて、極めてプラス思考である。土砂災害防止のためのインフラとしてある砂防ダムをもっと多くの人に見てもらい、楽しんでもらおうという、心が感じられるのだ。建設関係者と一般市民がお互いに近づくことが出来、理解し合えるものをここに作った!ということに私自身、未来を感じている。

三ツ石橋と堤体。
北又川は修善寺川ともいうらしい。

美しさに反しての難所

この場所の音響的な特徴としては、なんといっても後方に橋が構えられているという事であろう。10月3日当日は、夕方5時に入って6時過ぎ、暗くなってからの検証も行った。暗闇の中、音に集中してこの場所を検証することが出来、大変有意義な砂防ダム行脚となった。結論としては、砂防ダムの堤体にぶつかった自分の声が、反射してそのまま橋桁、橋台に当たって響くという音環境なのであるということがわかった。普段、行っているような渓畔林だけで響かせるような場所とは違って、音の返りが早く、聞き取りづらさを伴うのだが、楽しみのバリエーションを増やすという意味では、また新たなものが手に入れられたと思う。今後はさらに、いろいろな砂防ダムに行き、このような音の返りが早い難所でも音楽をしっかり楽しめるよう、経験を積んでいきたい。他とは異なる場所ゆえ、ここで歌えるようになれば砂防ダム音楽の楽しみの幅はさらに広がるはずだ。未来を感じさせてくれる同地に対し、恥ずかしくない音楽を出来るようレベルアップして帰ってきたい。そんな決意を持った今回の砂防ダム行脚であった。

コケの生えた石と側壁護岸。堤体のサイド側も美しい。
堤体と三ツ石橋の桁。