京都遠征〈後編〉

3日目は滋賀県に。

三日目のスタートは滋賀県大津市の一丈野(いちじょうや)駐車場からであった。ここは金勝山(こんぜやま)ハイキングコースのスタート地点となる駐車場で、駐車場のすぐ脇より遊歩道が整備されている。この日私が実際に利用したのは、その遊歩道のほんの最初の最初、オランダ堰堤までの区間である。(奥に行けば本格的な登山道になると思われる。)今回の京都遠征をするにあたって京都府・滋賀県の両府県をインターネットで事前調査したのだが、ほとんど情報が得られなかった京都府に反して、滋賀県はこのオランダ堰堤が非常に多くの方によって公開されており、自分も砂防ダムを専門とする者として見ておこうと思い、同地に降り立った。ここの堰堤はオランダ人の技術者ヨハニス・デ・レーケの指導によって明治19年から22年の間に建造されたとされる、日本国内で最も古い石積み堰堤のその中の一基とされている。インターネット上で掲げられている画像を見ると、子どもが川遊びをしている光景が目に入ってくるが、これはすなわち、この地に子どもでも訪れることが出来るということを意味している。砂防ダム・堰堤というのは山奥にあって、完成したら最後、あとはほとんど誰もその地を訪れないということが往々にしてあるように思うが、こうして駐車場・遊歩道が完璧に整備された中で市民に広く開放され、利用されているという点は、この堰堤を建造した者たちにとって大変嬉しいことなのでは無いかと思う。

朝一番を楽しむ

当日、11月23日は土曜日であった。この市民の憩いの場は、紅葉シーズン真っ盛りとあってこれからの時間、多くの人出で賑わうことであろう。その賑わい大会の開始前、閑散とする朝一番の冷たい空気の中、大変さわやかな気分で歌を楽しむことが出来て大満足であった。じつは、本日の砂防ダム行脚はこの朝一番の歌で終わり。このあとは京都市内に戻り、京都ロームシアターにて行われる「第72回全日本合唱コンクール」にお邪魔する予定であったのだ。三日間を統括して、遠征先での堤体探しの難しさはやはり容易ではないということがわかった。一日一基ペースで良質な堤体を見つけることが出来たらもっと良かったように思うが、この難しさもまた砂防ダム探しの魅力なのであろう。
午前8時前に一丈野駐車場を出発し、京都市内に向かう。まずは3日間お世話になったレンタカーを返しに行くため、途中ガソリンスタンドに寄りつつ、レンタカー会社の支店に向かった。京都市内は大渋滞であったが、なんとか無事に入庫。支店から京都ロームシアターまでは10分ほどの徒歩で到着した。

第72回全日本合唱コンクール

大会スポンサー

件の全日本合唱コンクールであるがこの大会は日本全国に数多あるアマチュア合唱団の中から、その日本一を決める。という大会である。それだけに、合唱ファンの注目度も高い。私は京都ロームシアターに来たのは今回が初めてであったが、実際にホールに足を運んで名演を聴きたい。という人々で会場は大混雑。そういう中でこれはとても嬉しいことに、その名演の舞台をスポンサードしたいという企業が現れ、大会を支えている。スポンサーとなった企業は大会のロビーに出店し、自社製品や取扱商品のPR活動を行う。今回、同大会においてロビーに出店した企業は4社。内訳は楽譜出版の「カワイ出版」、録音・録画製品の製造販売「ブレーン・ミュージック」、楽譜・楽器商、音楽教室運営等の「パナムジカ」、テキスタイル&アパレルの「ユニチカトレーディング」の4社であった。

カワイ出版
ブレーン・ミュージック
パナムジカ
ユニチカトレーディング

夢見ている

私は砂防ダム音楽家である。歌をうたう時の人数は違えど、合唱とは近い関係にあると思っている。夢見ていることとしては、来年以降、この全日本合唱コンクール全国大会の企業スペースに砂防ダム音楽家、森山登真須として出店することである。今年は第72回大会であったが第74回大会までになんとかしたい。どのような形での出店になるかはわからないが、同じ音楽というものを愛する同士として協力関係を築いて行けたらな。と思っている。当日の演奏では、古典から現代まで幅広く作品を聴くことが出来た。素晴らしいものの数々であったし、なぜ素晴らしいと感じたかと言えば演奏家のレベルが高かったからであると思う。歌曲も合唱曲も大変魅力的なものが世の中に存在しているのだからそれを次の世代に繋げていきたい。そんな風に思っている自分自身にとって、この日、優れた能力を持った歌い手に数多く出会えたことは、未来の明るい光を感じさせてくれる幸せな体験となった。これからの時代に求められることは、優れた曲、優れた演奏家、優れた指導の出来るスーパー先生、優れたメソッドそれら音楽界の財産を簡単にドブに捨てること無く、維持していくための環境作りであると思う。そんな自分自身の“欲”に今一度気づいた今回の観覧機会でもあったため、この気持ちを胸にまた今後も一本一本砂防ダムへ行脚し、音楽を続けていきたいと思った。自分に出来ることはまず「砂防ダムへ行き、歌うこと」であろう。

夜行便に眠る

午後6時、審査結果を待つ間に行われる学生達の歌合戦を聞き終え、審査発表となった。どの団体も素晴らしい演奏を聴かせてくれたではないか。相対的な比較でどこが賞を取ったとか、どうでもいいことであったので、また、会場の出入り口が混雑する前に(荷物が・・・、デカいのだ。なんせ、渓行するための道具一式、背負っていたから!)ということで、審査結果発表途中の京都ロームシアターをあとにした。重い荷物を抱えながら、三条京阪駅まで歩き、地下鉄、JRを乗り継ぎ京都駅に到着。日付変更すぐに到着する京都駅-沼津駅・三島駅間の高速バス直行便を冷え切る夜空の下、灯る京都駅の巨大ビルを眺めながら待ち、無事乗車。満足感と安心感にドッと襲われ、ぐでんと夜行便に身を委ねたのだった。

オランダ堰堤

京都遠征〈前編〉

京都駅

今回は11月21日~11月23日の3日間にわたって行った京都遠征についてのエピソードのその前編としたい。

11月21日午前10時。京都駅出てすぐにあるレンタカー会社の京都駅新幹線口店を出庫する。京都までは新幹線で来た。予定ではこれから、京都府内を北上。太平洋、日本海を分ける中央分水界を越え、一級河川由良川を目指す。由良川を選んだ理由は、もう釣り人としていろいろ情報源を漁っていた時代(中学生くらい?)にすでにこの川のことを知っていたということが大きい。知名度的に言えば「京都の川」と言うと、由良川よりも鴨川のような淀川水系の川が有名であるように思うが、今回は都の観光が目的では無い。砂防ダム探しが目的であるため、京都府北部の山間地を目指すこととした。因みに「砂防ダム探し」などと言うところからお察し出来るかもしれないが、今回、事前情報で京都府内の“歌えそうな”砂防ダムがまだ見つけられていない。地理院地図の情報をたよりに、二重線を一つ一つ叩いて、時間の許すかぎり回っていく予定を立ててスタートしたのであった。

周山街道沿いは北山杉がよく見られた。

そんな計画が頓挫した

一日目。結論から申し上げるとその“歌えそうな”砂防ダムを見つけることが出来なかった。周山街道(国道162号線)を北上し、南丹市美山にある安掛の信号から府道38号線を由良川に沿って東進。地図上に描かれた支流を適宜選びながら佐々里峠まで見てまわったのだが、良さそうなところを発見することが出来なかった。主な敗因としては、一つ一つの谷が思っていたほどの深さを持ち合わせていなかったということ。高低差が少なく堤体のサイズがみな小ぶりであった。地理院地図上では、二重線をいくつも見つけられていたため、出発前はむしろ―時間が足りなくなってしまうんじゃあないか?―と心配をしていたくらいであったのだが・・・。そんなわけで、ひどく落胆した。落胆しながら一日目を終えた。

南丹市美山のかやぶきの里周辺にて

賭けにも敗れ

二日目。この日はいったん京都府を抜け、滋賀県西部を南北に横断する国道367号線に出る。北上してから再び京都市内に入るルートを選定し、見てまわることにした。一日目の夜、急きょインターネットカフェに入りグーグルマップを開いて堤体を探したのだが、京都市左京区久多(くた)の大谷川で、堤体の一部であるが、良さそうな谷止工を発見したためまずはそちらに向かうことにした。
午前9時。滋賀県大津市を国道367号線に沿って北上し、「梅の木バス停」前の前川橋を渡る。8キロほど進んでお目当ての谷止工を見る。しかし、画面上で確認した“堤体の一部”の賭けに敗れた。思っていたほど堤高が無く、また左岸側の渓畔林も伐採されている面積が広すぎた。その場をあきらめ今走っている府道110号線に沿って京都市左京区広河原まで出る。この広河原から南へ続く道は昨日の夕方、京都市内に戻る時に使用した道路だ。入り口が違うだけで同じルートをたどっていることとなる・・・。焦った。焦りながら昨日とは違うルートを走ろうと、花背の農協前にある橋を渡らずに直進し、灰屋口バス停前を左折。草原橋を渡り、灰屋川という沢に入ることにした。

焦りながら林道を走る
灰屋口バス停前。架かっている橋が草原橋。

気配を感じたら・・・

午後1時。草原橋から4キロほど登った時のことだった。滝か?しかも結構デカい。よく見れば、堤高10メートルほどの透過型砂防ダムであった。惜しい!堤体の二階より上段真横、林道沿いには「砂防指定地」の看板。ん?指定区域を囲う赤い線によって出来た、大きめの四角形が現在地とは別にもう1コ上流側にある。これは期待出来る。そこからさらに2.1キロほど上流側に走った時のことだった。
!!!ついに見つけた!

不透過型発見前に賭けで撮った一枚。やった!

fussreise

冷静になり数百メートル下流側にある「小広谷橋」の横から入渓する。そこから遡るとほどなくして、堤体前に出ることが出来た。堤高は目測10メートルほど。右岸側は崖から各種の広葉樹が、左岸側は低いところにはイロハモミジが、高いところにはスギが生えている。渓畔林が高いところにありそこまでは声が届いていないようであるが、この不透過型砂防ダムを見つけた喜びによって大変に気分良く歌えている。京都の山でフーゴ・ヴォルフが歌えた!

温泉+ラーメン

退渓したあとは再び灰屋口バス停前まで戻り、そこから西を目指した。一日目、周山街道を走っていた時に見つけた「京都北山杉の里総合センター」に向かった。館内にある北山杉の床柱製品、調度品、資料などを見学させてもらったあと再び東へ戻り、くらま温泉に浸かることに。もうこの頃にはすっかり日が落ちていたが、露天風呂は電灯の数が少なめで完全に癒やされた。そのあと、木船口まで下りて京都市内まで戻り、うまいと評判の繁盛店に寄ったのち二日目を終えた。
〈前編おわり〉

くらま温泉
店内は大変に賑わっていた。
入渓点の小広谷橋
灰屋川
堤体横にもスギが。現時点では保安林扱いらしい。
京都府で初めて歌えた。

11月4日の出来事

シカ剥ぎの痕。(河原小屋沢にて)

11月4日。この日は午前中、用事があったため家を出られずにいたが、午後になりようやく解放された。

向かったのは伊豆市東部を流れる西川。国道136号線、伊豆縦貫道を南下し、途中、有料区間である伊豆中央道を経由。その次の有料区間、修善寺道路の料金所を目と鼻の先に見る「大仁南インター」で降り、下道となる国道136号線旧道を使ってさらに南を目指す。この日はスタートが午後になってしまったため、自宅のある沼津市から比較的近い場所を選んだ。また、伊豆縦貫道の有料区間に関しては、1区間で十分だと判断した上でのルート選択となった。

修善寺の入り口となる、伊豆市瓜生野を走る。まだ紅葉シーズンには少し早く、また月曜日であったことから道は空いていた。難なく横瀬の信号までたどり着くことが出来、今度は進路を東に変える。修善寺橋を渡り、そこから道なりに5分ほど進むと「清水」の信号を通過。その後すぐに左手側に現れる割烹料理店「にしき野」の直前を左折。あとは、ぐねぐねと曲がったりするが道なりに農道を進めば良い。

先月ここに来た時は稲刈りシーズンの真っ只中といった感じで軽トラックが多数停まっていたが、この日はそれらも落ち着き、閑散としていた。道は農道からやがて林道となり、さらに進んだ。

農道を道なりに進む

あの時を思い出し

当初の予定ではもう少し奥まで車で進むはずであった。しかし、これもまた台風の影響か、斜面が崩落していた。場所は林道垂溜ヶ洞線の分岐看板を過ぎてすぐのあたりで、土砂と樹木によって林道が完全に封鎖されていた。仕方なくそこで車を停め、歩いて堤体に向かうことに。本日の入渓点とした分岐側から下がったところにある水中橋を見下ろす。
3年ほど前、この地に初めて来た時ハンターの方がここにいたことを思い出す。たしか、乗りつけてきた車には高齢者運転マークが付いていた。朝のあまり早い時間では無く、狩りを完全に終えた後の様子で、この水中橋上を流れる水のなか獲物をさばいたとみられるナイフなどを丹念に洗っていた。多少交わした会話によってハンターであることを知ったのだが、その時には―あぁ、シカを獲っているんだ・・・―くらいにしか思わなかった。シカに関しては同地を含む伊豆市近辺で、「イズシカ」というブランドネームが生まれるほどの活況ぶりであるから、私はハンターの言葉にも完全に楽観視の立場でうなずいていたように思う。

11月4日の当日も、あぁ、そんなことがあったな。程度に思っていたのだ。思っていたのだが、この日後述する出来事を実際に目の当たりにしたことによって、それはけっして簡単に片付けられるようなことでは無かったのだと今は反省している。

崩落箇所
水中橋

秋らしい渓行をする

水中橋より入渓する。入渓直後には川面に向かって伸びるブッシュがあり、腰をかがめてその下を通り過ぎる。ようやく秋本番となったこともあり、その枝々が邪魔くさいのだが、威勢の良さはあまり感じられない。今は枯れてどんどん葉を落とす時期で、くぐり抜ける時に手を添えればたちまちボロボロと葉が落ちる。くぐり抜け、石を一つ一つ越え、倒木を越えながら進む。10分ほど遡った頃であったろうか?突然左岸側に護岸が現れたため、見上げると林道本体であった。すっかりそのことを忘れていたのだが、ここは林道と沢が平行になって続くようになっていたのだ。林道に上がり堤体を目指す。川石がゴロゴロと転がっている沢とは違い、遡るペースが一気に上がった。見上げればアケビの実が枝から垂れ下がっている。土砂崩れの影響で誰も収穫しに来ないのか、見つけたことには喜んだが、林道脇すぐに発生した秋の味覚がこのような状態にあることには不気味さを感じた。

放置された秋の味覚

見つけたシカは全部で3匹

途中、1匹のシカが前を横切った。沢の流れる林道右側から斜面を登るようにして左の方へとシカは逃げた。斜面を登るのだから、そのスピードは決して速くない。むしろゆったりとしていて―なんだこいつは。―と思った。今思えば、この不自然なシカの逃げ方から異変を察知しておくべきであった。シカはよく出会うが、斜面を登るようにして逃げることがまずレアケースであるし、さらにそれがゆったりとしていることはかなりおかしかったのだ。

2、3匹目のシカはいっぺんに見つけた。そのうちの2匹目(手前側にいる個体)の動きがおかしかった。遠目にはシカがマウンティングしているのかと思ったが、そんなわけは無い。ある程度近づいたところで3匹目(奥側にいる個体)が逃亡。それからどんどんシカとの距離が縮まった。シカのそれが止め刺し前の状態であることを知ったのは、距離にして5メートルほど近づいた時のことだった。場所は西川第2砂防ダムの堤体のほぼ、という近さである。

目の前のシカを見て思う

シカはワイヤーを足に掛けたままモガき続けていた。人間であるこちらに反撃してくるほどの元気は無く、ワナに掛かってこのあと待ち構える自分の運命を想像出来ているかのようでひどく落ち込んでいた。私自身もシカのその姿に呆然となる。

思えば非常に不自然に逃げた1匹目のシカも、こちらが通常考えられないくらいほどある程度近づいたところで逃亡した3匹目のシカも、私に対してメッセージを発信していたのかもしれない。
「仲間がワナに掛かっているから助けて欲しい。」と。
私はそのシカを助けることは無かった。助けること無く引き返した。

この日は当然、歌などやる気にもなれず写真だけの砂防ダム行脚となった。
行きの行程で見つけたアケビを帰りに再度見つめた時、本当に不安になった。あのシカを獲りに来る者がちゃんと現れるのかどうか?と。

どうなったかと再訪した

後日、シカの件が気に掛かっていたため再び同地を訪れた。シカは木に掛けられていたくくりワナごときれいに取り外されていた。この再訪の日に、周辺に仕掛けてあった別のワナと有害鳥獣の捕獲を示す標識を確認。どうやらあのシカも有害鳥獣としての捕獲のため、埋葬処分も考えられる。以降、ネットなどでいろいろ調べたが全国的にシカの捕獲数は飛躍的に増えており、その処分方法をめぐっては日本のあちこちで困難の壁に直面しているようなのである。イズシカのように食肉として利用されるのは全体の半数にも及ばず、そのほとんどは埋葬処分というかたちをとっているらしい。伊豆地方もそれは例外では無く、狩猟者の負担や食肉加工センターの処理能力超過の理由から、獲っては埋めるという行為が繰り返されているという。本来、食することを目的ともせずに命をいたずらに奪うということはあってはならないはずだ。しかし、シカがあまりにも増えすぎれば予想だにしない自然災害の発生も懸念される。重要な問題であるのは間違いない。

3年ほど前に自分が思ったことを今になって反省しているのだ。

後日、くくりワナの設置を確認。
西川第2砂防ダム

大好き河津町!vol.5

左がパンジー。右がビオラ。

11月になった。朝晩の冷え込みも徐々に感じられるようになり、いよいよ秋も本番。これからの時期は紅葉が楽しみである。

ホームセンターの園芸売場というのはこの時期、とても華やかである。これからの寒い時期、育てるのが通例となっているパンジーやビオラで売り場は色鮮やかだ。さらにさらに厳しくなる今後が控えているというのに、この花たちは寒さに対して強く、枯れることがない。同種らはもともとヨーロッパで自生していたサンシキスミレの交雑種であるとのことだが、気温が低い環境下、強い耐性を持って生きる植物を人工的に作り出してしまうあたりに同地域の民族性の豊かさを感じる。19世紀の音楽界で言えばロマン派の頃の出来事であるというから、この頃のヨーロッパがさまざまな分野において、娯楽の創造に熱心であったのだと感じると同時に、そしてそれが200年先、現在の世の中でも通用するレベルのものであったということは驚きである。

冬の寒い時期に、あらゆる植物が休眠状態に入りこむ中、そんな中でも元気に育ち、人々に楽しみを与えてくれるものを開発していった結果が今、こうして目の前に色とりどりの色彩となって現れている。

冬の娯楽要素

私の出身は新潟県。冬の間は雪が降る。雪の降る町に生まれたから、この時期に、「よし、これから花を。」という、この時期の花屋としての・・・?

けっしてこれが簡単では無いのだ。たしかに新潟にもパンジーやビオラはあるが、ある意味、大げさに言うと、恒温動物として生命の危機に瀕する雪の時期。そういう中にあって花を楽しむという娯楽的要素がちょっと、どうも・・・。なのである。雪の降る日は家の中でストーブやコタツの暖かさとともに、それをしのぎきることが出来れば十分ではないかと考えている。

窓の外は一面冬景色。全てが白!白一色で“色彩”などというものは存在しない。正月、関東の親戚の家に遊びに行った時に見るような、からっ風で立ち枯れした草木の姿は、それですら自分にとっては色彩であった。冬の或る日、黒ボク土で靴を汚しながら桑畑の中を走り回ったことが思い出される。

グリーンのネットフェンス

グリーンのネットフェンスが

画像にあるこのグリーンのネットフェンス。皆さんの住む町の中にもこのフェンスは当たり前に見られると思うが、実はコレ、私の出身地の新潟県では極端に少ない。(・・・かったように記憶している。学校と道路の境界線などは意外と多い?)少ない理由の考えられることとしては、やはり雪で、雪の持つ水分によって鉄が錆びる。また、雪の重みによって変形する。雪の重みで言えば、降った雪のそれのみならず、屋根からの縦方向の急激な衝撃もあるし、除雪車による横方向からの圧力もある。

考えただけでも、鉄製のネットフェンスは雪との相性が良くない。

建物の境界線はフェンスを使わずに、ブロック塀だけとか、生け垣によって表している。公共施設、アパートなどの建物、駐車場を区切るのに、鉄製のフェンスを使っている例は一定程度あるが、画像にあるような鋼鉄製のグリーンカラーのものはほとんど見かけない。
したがってこれを見ただけで、―あぁ、故郷では無いところにいるのだな。―ということがわかってしまうのだが、なんというかコレ・・・、好きである。自分にとっては「非雪国」を象徴する景色の一部であるから、もはやこれを見ただけで、冬でも外で遊べるのだという期待感が頭の中を巡るからであろう。

群馬県でも普通に見られた。

大鍋に

11月14日。大鍋川の砂防ダムに入った。国道414号線から大鍋入り口の看板を西方向に入って(県道115号線)4キロほど行くと画像にあるようなガードレール製欄干の橋(門前橋)に出られる。橋の手前側100メートル程度のところに防災無線の電柱が立っており、当日はその電柱のあたり、道幅の広くなっているところに車を停めた。
車を降りて準備を済ませた後、まずは橋まで歩く。橋を渡って直後を左に曲がる。そしてまた100メートルほど歩く。

門前橋

すると出た。ワサビ田をぐるりと囲うようにしてグリーンのネットフェンスが立てられていた。ワサビは半日陰の環境を好むため、ヤシャブシの木がところどころ植樹されている。それにしても、このライトグリーンというか、明るめのグリーンカラーは植物との対比におけるバランスが秀逸である。植物の持っているグリーンとフェンスのグリーンとで思案的には喧嘩しそうなところであるが、実際はとても調和されていてカドが無い。色彩的に精神を毒するものが無く、見ているこちらは非常に穏やかな気持ちでいられる。今こうして何事も無く、ここに立てられているが、この色を決めるのには恐らくは多数のサンプルを試したか、改良を重ねていった末の結果なのかと勝手に思ってみたりした。たかだかネットフェンス一つの話しであるが、自然界という莫大な長さの伝統を持った色彩の中に、人間の作り出した“色”を放り込むのであるから、その作業はけっして簡単なものでは無いはずだ。

ワサビ田の横を歩いて堤体に向かう。
ススキとワサビと

大鍋のもつ暖かさ

のどかな田園風景を満喫しながら川沿いに植えてあるクリの木の下に入り、入渓する。堤体は入渓点から300メートル程度遡ったところにある。今年は大きな台風が2本、河津町を襲ったため、ここの“島”は流されたりしていなかったかと心配していたが、大丈夫であった。アカガシの巨木の根によって島の土は支えられ、両岸の河床も崖も渓畔林も見事にその姿を留めていた。この日もまた、小一時間ここで音楽を楽しむことが出来た。

河津の砂防ダムはどこに行っても楽しい。それは音楽の演奏場としての砂防ダム周辺空間が非常に優れていることもさることながら、その砂防ダムに行くまでの行程がまずどこも素晴らしいからである。この大鍋の巨大堤体に行くまでに関して言えば、直前の田園風景、また国道414号線から約4キロ区間の農村の風景がとても暖かい。たしかに気温が低くなるはずのこれからの季節にあってもそうなのだ。

田園地帯を行く。
入渓点
ヤブニッケイ、ウラジロガシなども見られる。
真ん中の島が特徴的な同所。