勘三郎沢

今回はかなりの藪こぎをした。それにしてもこれは何だろう???

ある日のこと。ホームセンターにて箒を使っているとなにやら出所不明の赤い実を見つけた。大小ごちゃ混ぜの泥まじりの落ち葉をガサガサとどかしていると、ひときわ目立つ“赤玉”が一つ、シダ箒にはじかれてコロコロと転がった。
これは何の実だろうか?
ふと、周りを見渡す。ん?
気がつけば周囲には、赤い実をつける植物がそこかしこに。確かめてみればヤブコウジ、センリョウ、マンリョウ、ナンテン、ウメモドキ、オウゴンモチ、チェッカーベリー、セイヨウヒイラギなど。今の時期は、クリスマス&正月前のシーズンとあって、売り場は赤い実をつける植物だらけであったのだ。

いろいろ見比べてみた結果、赤い実はチェッカーベリーの実であることが判明した。

チェッカーベリー

そういえば

そういえば、あの沢の流域には赤い実をつける低木がたくさん生えていたな。と思い出した。神奈川県足柄下郡、湯河原町を流れる藤木川の支流にアケジ沢という沢があって、そのアケジ沢の流域にはどういうわけか、その赤い実をつける低木がよく生えていたのだ。低木の名前は不詳。
―わからないときは調べなきゃ。―と思いつつも、砂防ダム探しに夢中になっているとついついこんなことをしてしまう。図鑑をパッと開けば答えが載っているというのに、上に行くことばかりに心酔していて、同定作業が疎かになってしまっていたのだ。

売り場でふと考えた。もちろん結論としては、その赤い実を調べに行くということ。湯河原行きを決定した。尚、今回はすでに行った事のあるアケジ沢を最後まで行くのでは無く、途中から合流する支流の「勘三郎沢」に移って遡ることにした。つまりのところ新規開拓。勘三郎沢はほんの一部であるが、箱根-湯河原間をつなぐ自動車専用道路「湯河原パークウェイ」と並行している区間があり、じつは以前、この湯河原パークウェイを走行していた際に上から覗き込むようなかたちではあるものの、2本、堤体を発見していたのだ。以来ずっと行って、下からも見てみたいと思っていたのだが実現できていなかったため、今回はその確認作業となる。

クリスマスイブ前日の12月23日。行くなら今日だと経由地の箱根峠を目指した。

前回アケジ沢に行った時の様子

シーズンを迎えていた

23日午前9時すぎ、「箱根峠」信号を南東方向に右折し、「湯河原峠」バス停直後にある湯河原パークウェイ料金所を目指す。途中、道端が白くなっていたので車を止めてよく見れば、なんと雪。前日、沼津市内では雨が降っていたが、この地ではもう積雪シーズンを迎えていたようである。再発進しバス停前を通過。左折してすぐにあるパークウェイ料金所にて通行料金を支払い、坂を下りはじめる。

「エンジンブレーキ併用!」の看板が示す通り、ここの坂はなかなか勾配がきつい。本格的に雪が降ってしまえば、通行止めの措置がとられるそうであるが、そんな状態にあっては、そもそも坂を下りることがはばかられると思う。
―昨日じゃ無くて良かった・・・。―などと思いながら坂を下りていくとあっという間にパークウェイが終了。奥湯河原温泉街に出た。その後「加満田」の看板前丁字路を右折。車が入っていけるところまで入っていくと入渓点が現れた。

上下線ともに料金所は山の上にある。

群生しているのか?

―あった、あった。―アケジ沢の入渓点に表れたのは記憶にあった通りの赤い実。粒の大きさはアーモンドの種くらいあって、店にあるものたちよりも細長くて大きい。早速図鑑で調べると、アオキの実であることが判明。
それにしても、このアオキの実たちはこんなにも堂々と空に向かって「どや!」とアピールしているのに、野生動物の食害をほとんど受けることも無くきれいに残っている。アケジ沢の流域のみならず奥湯河原一帯に広く群生しているのか、ターゲットになりにくい環境にあるようだ?しっかりとした赤で、これだけの粒と色を出すのには、さぞかし体力を使ったことであろうと思う。ちぎり取られる痛さはあるかもしれないが、頑張った甲斐も無く散布の恩恵を受けられないのは、不本意なのではないか?

アオキの画像を撮り終え、時計を見れば午前11時。準備を済ませスタートする。橋を渡り直後の堰堤を巻いたあと、ここで初めて水に入る。昨日の雨(雪)の影響もあって、水量は豊富だ。水道用の水車小屋がある前の堰堤を巻いたあと、次の堰堤も巻き、合流点に差しかかった。

入渓点にある橋と堰堤
アオキ
葉は外用薬、健胃薬に利用されるという。

右側の沢へ

直進がアケジ沢、右側が勘三郎沢。過去には直進して砂防ダムを見てきたことがある。藪を漕いだり、大きな滝があったりなどしてかなりきつかった思い出があるがそれだけに、今回の勘三郎沢もかなり手こずるのではないかと緊張する。

午前11時半、緊張と新規開拓の期待感とともに勘三郎沢に入る。合流点すぐの低い堰堤を巻き、進む。川の規模としては沢と言うにふさわしい具合。こんな沢を上がっていって本当に砂防ダムがあるのかとも思うのだが、今回は堤体そのものについては確認が取れている。幅の極めて狭まった区間からは「渓谷」の感が強く感じられるが、パークウェイから投棄されたと思われるゴミが散乱していたりする所には不気味さを感じる。
勘三郎沢に入ってから40分ほどの行程で、画像Ⓐの砂防ダムに到着。なかなか雰囲気は良かったが、今回の目的地はパークウェイ沿いの2本と決めていたためここでは歌わずにパスすることとした。

アケジ沢と勘三郎沢の合流点
水中に見えた時、金か!と思ってしまった・・・。
画像Ⓐ

1本目の砂防ダム

Ⓐの砂防ダムを越えると、目的の砂防ダムはもう近かった。パークウェイ沿い1本目の砂防ダムの登場である。堤体に幾つか開けられた水抜き穴の一番下から水が流れ落ちていて透過型砂防ダムとして機能している。もはや排水口に近い。これでは音楽など楽しめないと画像を撮り終え、すぐさま堤体左から巻き始める。かなり手こずったが登り終え、天端上の右側に移ったあと堤体の上流側側面をおりる。透過型砂防ダムというのは滞留土砂を持たないため、堤体を巻くときの後半に降りるという作業が発生し、しかもここでは大変に苦労した。

1本目の寸前。右岸上方からはパークウェイを走る車の音が時折聞こえる。
1本目の砂防ダム。堤高13メートルとの刻印があった。

2本目の砂防ダム

降りきってから遡行を再開し、10分ほどで2本目の砂防ダムに到着。遠巻きに目に入ってきた時、もう理解できていた。パークウェイ沿い2本目の砂防ダムも透過型であったのだ。

ここまで来るのにスタートから2時間40分。当初の予定通りここが本日のゴール地点。そのまま引き返すかと思ったが、せっかくだからとbluetoothスピーカーの電源を入れる。シューベルトのganymedを再生させると、歌えてしまった。途中、
Ruft drein die Nachtigall Liebend nach mir aus dem Nebeltal.
(呼ぶ、そのなかへ、ナイチンゲールが、愛する私に霧の谷から)という部分があるのだが、たしかにナイチンゲールではないものの何かの鳥がピーピーと鳴いている声が聞こえた。選曲はあっていたようだ。

小一時間、水抜き穴から流れ落ちる3本の白いすじを見ながら歌って、楽しんだ。今回は、苦労して上がってきて結果、これであったのだが、残念な気持ちなどは無い。自身の気持ちに対して素直になりここまで来られたと思う。探究心を持って沢に挑めたと思う。新規開拓できたという喜びの方が大きかった。

令和初の年もそろそろ幕を閉じる。来年も元気に積極的に、好奇心旺盛にどんどん新しい砂防ダムにチャレンジしていきたい。

ゴール地点にもいた。
湯河原パークウェイ沿い2本目の砂防ダム

新規開拓の季節到来。

今回も宇久須川のエピソード

宇久須川に初めて行った頃のことを書こうと思う。デジタルカメラの画像に付いた日付によれば、それはどうやら2016年の11月頃のことのようである。きっかけは当時の勤務先に、本屋でアルバイトしているという方がいて、その方に地理院地図を探してもらい購入したことから始まる。その後は専ら地理院地図の情報をたよりに、伊豆半島各地の砂防ダムに行っては歌っていたことがデジタルカメラのデータからわかるが、中でも宇久須川水系の堤体の画像が非常に多い。もうこれは地理院地図を見れば当たり前のことなのだが、伊豆半島西部、駿河湾に流れ出す各河川を比較したとき、砂防ダムなどを表す二重線マークが多いのは、圧倒的に西伊豆町を流れる宇久須川水系である。二重線は宇久須川の本流に多数見られるだけで無く、その支流河川である不動尊川、大久須川、赤川の3河川にも数多く描かれているため、全部合計すると相当な数になる。(そして地図に描かれていない堤体も存在するため、実際の総合計はさらに大きくなる。)

宇久須川での初堰堤

ウハウハ

どこであったか?という初入渓の場所は記憶に間違いは無く、上流部であった。宇久須川を県道410号線に沿って登っていくと画像Ⓐの堰堤が目に入ってくるが、その周辺、道路が大きくカーブしているあたりが道幅も広いため、当時もそのあたりに駐車したことであろう。

「一帯」という言葉の定義の仕方によっても異なってくるが、デジタルカメラのデータによれば、この一帯だけで画像Ⓐの堰堤も含めて7本もの堰堤を発見している。堤高5メートル未満の低めの堰堤ばかりであるが、いずれの堤体もその側面を自然のまま(側壁護岸を伴わない)としているため、雰囲気としてはなかなか趣がある。敷設からの年数も長いようで、堤体本体がしっかり黒くなっていることは、スギの渓畔林によって生じる暗がりをいっそう引き立て、歌うときにより詩の世界に入り込んでいけるのではないか?そのような雰囲気の中、当時どの程度まで音楽を楽しめていたのかは記憶していないのだが、初めて経験する連続の堰堤群に、気分はウハウハだったように記憶している。

画像Ⓐ
黒が映える。
完全に土の上からやっているめずらしい画。

砂防ダム探しのメソード

一方下流部はどうであろうか?下流部には翌月の12月に初入渓したようである。下流部の堤体へは、上流部への時と同様に県道410号線を使用してアクセスする。県道410号線は宇久須川をほぼ平行に登って行ける道なので、車を運転しながら川の様子をうかがうことが出来る。そして私は3年前、偶然にもこの宇久須の地で「砂防ダム探しのメソード」を修めたのであった。

このように道路のすぐ横に堤体がある。

川が階段状になっている

川が階段状になっている。ということを発見したことが大きかった。

これは登り、の時のことでは無く、車で下っていた時に気づいたことなのだが、宇久須川とほぼ並行に引かれた県道410号線より川を覗きこみながら走ると、あるところで川は突然、水平に近い状態となる。これは砂防ダムの堤体上で溜まった土砂によるものであると理解するのが、さらにその地点から下り続けた数秒後のこと。堤体が現れ、なるほど。せき止められた土砂なのか・・・。となる。そしてその直後に川の落水の様子を目撃する。
自分自身が見たかったのはその落水の様子。やはり気になるのは堤高の規模なので、ここでは落差が大きいほど嬉しさがある。大きな落差に期待して、自然と堤体の下流側の様子も見ることが出来ていたのだ。全体的には、川が水平に近い状態になった所から、堤体を境にストンと落ちてまた流れ始めるという、一つの堤体を中心とした川の高さの変化を見たのだった。

堤体を境に河床の高さが異なっていることがわかる。

あることに気がついた。

そのまま坂を下り続ければ、また次の堤体の箇所に入るため再度、水平になって、ストンと落ちる変化が見られる。次回以降もそうで、また水平になってストンとなる様子を見る。以降もこれのくり返しである。堰堤、砂防ダムの連続した宇久須であるからこそ、遭遇することが出来た光景であった。

ここでふと思ったのは、一つ一つの堤体によって出来た変化を合わせると全体的には川が階段状になっているということ。それぞれの堤体同士の間隔は決して短くはないものの、川は堤体という人工物によって、これまた人工物である階段のような形に変形させられていたのである。そしてその変形を見た時に私はあることに気がついたのである。
―川が階段状に変形することを察知するのに、堤体本体はあまり関係しないということ。―

落水を伴いながら一段一段下がる。

どういうことか?

水平に近い状態となった川は、面積的にはかなり広い範囲で見ることが出来る。一方の堤体本体はその幅およそ1メートルの“区間”でしかない。ゆえに前者は見つけやすく、後者は見つけづらい。実際の階段に例えれば、溜まった土砂によって形成された広い範囲は、階段の足を乗せる部分で、堤体本体は階段の“縁(ふち)の部分”でしかないのだ。

この事に気がついたことは以降の砂防ダム行脚において非常に役に立った。堤体を上流側から見つけようとする時、幅が1メートル程度しか無い堤体を探そうとしてもこれはなかなか難しい。ましてや、自然界の中では樹木や草によって視界が遮られるため尚更だ。堤体本体がただあるだけでは満足できず、その周辺に生える渓畔林の存在を大切にしている自身にとって、基本的に目指す先はそんな視界が遮られてやまないようなところばかりであるはずだから、見つけようと頑張ってみても困難な現状に直面することが多いはずで、事実、実際の現場でそうなることは多い。

水通し天端と袖は非常に短い区間。

探さなければならないのは

探さなければならないのは、見つけやすい、水平に近い状態になった川である。大きな石がゴロゴロ転がっていて、大小の轟音を放つ渓流区間のはずであるのに、あまり大きくは無い石が乾いていて広く溜まっている所。妙に流れの幅が狭くなって、すじ状になったところ。樹木が生えているが、その付け根には全然根を見ることが出来ずに土や石が覆いかぶさっているところ。川でこれらを見つけたら近くに堤体がある可能性が高い。上記のような変化は、流されてきた土砂の蓄積で、川の傾斜が水平に近くなったところによく見られる光景だからである。

川と道路がほぼ並行に走っていること、堤体そのものの数が多いこと、様々な偶然が重なりあったおかげで、宇久須では大変な勉強をさせてもらったと感謝している。前回のエピソードでは、無性に歩きたい!となったとあるが、きっとそれはこの川で得ることができた「学び」による感動を再び味わいたくなったからなのではないかと自分では思っている。

いよいよ冬が本格化するが、以降は、これまで視界を遮っていた草木の多くが枯れ、視界が最も開けるという季節に突入する。山の中の様子が見やすくなる中で、どんどん新しい場所にチャレンジして数多くの堤体を発見したいと、自身に対しワクワクしている。
探そうではないか、砂防ダムを。冒険しようではないか、山を。
新規開拓の季節到来。である。

堤体上に溜まった土砂を見つけるほうがわかりやすい。
宇久須川下流部の堤体。

ルアーフィッシング情報

ルアーフィッシング情報

ルアーフィッシング情報という雑誌が手元にある。西暦2000年の12月号とのことなので、自分が高校生の頃に買ったものである。

その雑誌の中にある連載記事。記事の内容を要約すると、ナレーターを本職とする筆者が仕事のオフを急きょもらうことになり、西伊豆に釣行。昼はヒラアジ類の幼魚(メッキ)を岸から狙い、夜は船からバラムツ(深海魚)釣りを楽しんだのち、下船して、再度岸から釣りをして帰宅したという内容。記事の内容はメッキ釣りのこともバラムツ釣りのことも大変詳しく書かれていて、読み手であるこちらを大いにワクワクさせてくれるのだが、それにも増して話が最高潮に盛り上がるのがクライマックスの部分。釣りそのものの出来事になるが、メッキ釣り用に用意した非常に華奢な釣りの仕掛けに、体長80センチはあろうかという大型のヒラスズキが掛かり、為す術も無く糸を切られて逃してしまった。というところ。記事は筆者の歯を軋ませるような言葉とともに結ばれている。

記憶のページを開く。

かつて憧れの地に降り立つ

当時の自分自身にとって大型のスズキ(シーバス)を釣り上げることは大きな夢であったため、この記事は非常に印象に残っていた。使用していた釣り糸の太さやルアー、掛けた魚の大きさもそうであったし、その釣りの舞台となった地である宇久須港もきちんとルビが振られていたため、しっかり“うぐす”と読んで記憶していたのであった。

まさかその西伊豆町宇久須の地で自分が今回、仕事をするなどとは思ってもみなかったのであるが、現実となってしまった。高校生当時は新潟県に住んでいたのだから尚更である。日本海、では無く太平洋沿岸のかつて憧れの地に、砂防ダム音楽家として訪れたのが雑誌の発売日から19年後の2019年、12月16日のことである。

歩きたい!という衝動に駆られ

件の宇久須への行き方であるが、伊豆半島西部を南北に結ぶ国道136号線を南下していくと、やがて恋人岬の看板を見ることが出来るが、そこから数えて3本目のトンネル「賀茂トンネル」を抜けたところからが賀茂郡西伊豆町で、その賀茂トンネル直後の小洞トンネルという短いトンネルを抜けたところ、海上にテトラポッドが並べられているあたりが早速の「宇久須」のクリスタルビーチである。今回入りたい宇久須川はその先の「松ヶ坂トンネル」通過直後にいきなり現れるが慌てず、右手側には農協、左手側にはセブンイレブンとなる「宇久須南」の信号までそのまま進み、「ラーメン幸華」の矢印看板に吸い込まれるように左折すれば良い。あとは道なりに進んでいけばやがて宇久須川に出会うことが出来るため、これに沿って堤体を探せば良い。

12月16日、当日は正午前から宇久須川に入り、午後5時前まで宇久須川を歩いた。当初の予定では、宇久須川を真横に見ながら遡ることが出来る県道410号線から一本良さそうな堤体を見つけ出し、歌を楽しんで終わらせる予定であったのだが、実際に同地へ来てみたところ、無性に歩きたい!という衝動に駆られてしまって、結局7本の堤体を回った・・・。

宇久須川の堤体例その1
宇久須川の堤体例その2

双方を両立

普段はこのようなことをあまりやらない。堤体を「安全に」行き来することも砂防ダム行脚の楽しさの一つと考えている自分自身にとって、あちこちの堤体をまるで居酒屋をハシゴするように歩き回ることが一番の危険行為だと考えているからだ。

例えば、その日スタート地点に立った時に保持していた集中力が100であったとする。スタート地点から一本目の堤体に向かうまでに幾らかの集中力を消費しながら見事到着した。途中、ケガなどのハプニングも無かったため、では次の、二本目の堤体を目指そう。となったとしよう。その一本目の堤体を離れてから二本目の堤体にたどり着くまでに消費することができる集中力の最大値は「スタート地点から堤体」までのあいだに消費した集中力の“残り”であり、100ではない。それも終わり今度は二本目の堤体を離れ三本目に向かう。三本目の堤体に向かうまでに消費することが出来る集中力の最大値は「スタート地点から二本目の堤体」までに消費した集中力の残りであり、100はおろか、大きく(一本目までの分+二本目までの分)マイナスした数となる。そのようにしていけば以降四本目、五本目と向かう堤体の数が多くなるにつれて、より少ない集中力でクリアしていかなければならないことになる。(・・・と、考えている。)

堤体の寸前に非常に解りづらい危険要素が隠れていたとしよう。その堤体がその日一番最初のものであったので、大きな集中力を持って挑み、みごと回避出来た。となれば良いが、今回のようにその日の七本目の堤体寸前にこれを迎えていたらどうなっているのか?百発百中きちんと気が付くことが出来るのか?

そしてもちろん、堤体を前に歌って終わりでは無い。最後に訪れた堤体から今度は車の置いてある所まで戻らなければならないという使命が常に毎回発生する。このときに必要な集中力もやはり“残り”で対処しなければならない。そう考えると、その日何本堤体を訪れるのか。という計画段階から、その本数が多ければ多いほど、ケガ無く帰ってこられる可能性は低くなるということが言えるし、逆に、その本数が少ないほど安全に帰って来られる可能性は高くなると考える。

好奇心旺盛に新しい砂防ダムを見つけていく楽しさ。砂防ダムを安全に行脚し、最後必ず帰って来なければならないという絶対的ルールにより生じる楽しさ。双方を両立することはなかなか大変ではあるが、砂防ダム音楽家としてそれにふさわしい行動を常々とっていきたいと考えている。

宇久須川の堤体例その3
宇久須川の堤体例その4

セブンイレブン天城湯ヶ島店

セブンイレブン天城湯ヶ島店。手前は簀子橋。

セブンイレブン天城湯ヶ島店という店がある。伊豆半島中央を南北に縦断する国道414号線(下田街道)で伊豆市市山の信号を過ぎて旧天城湯ヶ島支所前を通過、ひなと丸(土産物店)、浅田わさび店、浅田自動車などを見ながら進むと、左手におなじみの「7」の数字があらわれる。言わずと知れた“天城越え最終コンビニエンスストア”である。天城越えとはこの国道414号線を河津町方面に向かって行くと標高643mの地点に「新天城トンネル」というトンネルがあり、そこを通過して河津町内へ抜けることを言う。その昔は実際に峠道(二本杉峠)があったということで、天城峠越えと呼んでいたようであるが、その後、天城トンネル時代を経て、現在の新天城トンネルを利用しての峠越えとなっている。

観光の看板も備える。

安心感

セブンイレブン天城湯ヶ島店は、その峠越え前の最後のコンビニエンスストアということになる。以降は峠越えしてから河津町佐ヶ野までその恩恵にあずかることは出来ない。恩恵などというと少し大げさかもしれないが、この店以降は徐々に民家の数が減っていき、新天城トンネル前の誰も住んでいないような地帯に侵入していくことになる。そのような環境が待ち構えていることが解っているならば、自然とハンドルを握る指先にも力が入ると思うし、その緊張感を解きほぐすようなツールがあれば・・・ということで、自然とこの店の駐車場に入ってしまうのである。夏場であればここでアイスクリームなどを買って食べればいいと思うし、これからの時期であればホットコーヒーなどが嬉しい。いずれの商品を買い求めるにしても、レジで決済が終わったあと手元にあるのは商品と少しの安心感である。都市部で日常的にコンビニエンスストアを利用しているという人も、この店では普段とは違う買い物が出来ると思う。きっと、いつも手にしているあの商品が、今日はなんだかズッシリとしていて心強いな・・・となるであろう。

こちらは最終スタンドの伊伝(株)湯ヶ島店

奇跡の店

12月5日午前10時。件のセブンイレブンの駐車場に入る。まずは、店舗に入り昼食を買う。店を出たらその駐車場のフェンスを隔てて北側に流れている長野川の様子をうかがう。水量はいつも通りたっぷり流れている。2日前に降った雨の影響もあるであろう。ここの店に寄った時はいつもこんな感じである。長野川に入る時はもちろん、本谷川本流、支流、そして河津町方面に行く時もまずはこの長野川の様子をチェックして、行き先の状態の参考にする。水系が同一で無くとも、ここで普段より水が出ているな。と感じれば、それから実際行った川もだいたいそのような結果となっているし、そのようにある程度予測が付くものだから、ここで予定を変更して違う川に向かったりすることも出来る。長野川は狩野川の支流河川であるが、それをこの地で観測することが伊豆半島全体の河川を観測することとほぼ変わらない結果につながることを考えると、しかもそれが一軒のコンビニエンスストアの駐車場で出来てしまうという、これは便利なことこの上ない。店にある商品が「安心感」を伴ったタダものではないこと、こうして伊豆半島全体の河川を予測するインフラが店のすぐ北側を流れていること・・・。これは奇跡の店である。

長野川。簀子橋より。

静岡なのに長野

本日は、店の駐車場から観測した長野川にそのまま入る。ただし入渓点はそれよりも上流側にあるためまずはそちらへ向かう。午前10時過ぎ、店を出てわずか100メートルほど先にある「湯ヶ島宿」の信号を左折する。そこから長野川に沿うようにして3キロほどの行程をドライブする。ここは静岡県なのにその地名を「長野」とする不思議な所だ。長野の「野」の字を充てるには本当に大大大適切な場所で、伊豆市南部はほとんど険峻な山岳地帯で構成されるが、この地は比較的緩やかな丘で、広く開墾されており、そこで稲作などをしている。ちなみにその稲作をしているあたり、集落の中は非常にのどかな田園風景を見せるが、長野川の最上流部はコテコテのワサビ生産地となっており、そのワサビ田を囲む山の斜面も相当にきつくなる。ただ、集落のあるあたりと比較して広く開墾していることは最上流部にも共通していて、空からは太陽の光が燦々と降りそそぎ、天城の山から育まれる冷水とともにワサビを育てている。そんな環境で育てたモノは絶対にうまいに違いないと思っているのだが、残念ながらこれを食したことは無い。機会があれば試してみたいと思っている。

長野橋
用水で出来た滝があったりする。(画像中央)

今年一年、出来るようになったこと

午前10時30分。長野第三砂防ダムのすぐ横にある駐車スペースに車を停める。本日向かう堤体は、この第三砂防ダム(副堤上は立ち入り禁止)では無く、もう一本上流側にある。準備を済ませた後、第三砂防ダム主堤上に溜まった土砂に向かって入渓し、そこから10分も遡ると目的の砂防ダムにたどり着くことが出来た。堤高は第三砂防ダムとほぼ同じくらいと思われ、それでは15メートルといったところであろうか?横幅(堤長)と水通し天端はこちらの方が長く、2階部分の景色が広く開かれていることがなんとなくわかる。砂防ダムとしては大型の部類に入る堤体だ。
今年はこのような大型の堤体での遊び方を知った年であった。水がドカンと落ちていて、自分の出す声がほとんど響いていないのだけれど、それを逆に楽しんでしまうということの面白さを覚えてしまった。以前は音楽というのは音を響かせてナンボ、そうで無くてはいけない。という概念の縛りつけのようなものがあったように思うが、自然界の中での音楽活動によって、それがものの見事に崩れ去る瞬間に立ち会うことが出来た。そしてそのことは同時に、何事もやる前から全て決めつけてはいけないのだという戒めのようなものを自分自身にもたらしてくれた。音楽のことに関して言えば、大堤体のドカンを前に「ただ響いていない。」ということでもあるので、これから改良すべきところは改良して伸ばしていきたい。砂防ダム音楽の楽しさ、その追求に終わりは無い。

長野第三砂防ダム。主堤上にあるのはライブカメラ。
用水の取り入れ口がある副堤上は立ち入り禁止。
シラカシの渓畔林の下に入る。
堤体全景。