大好き河津町!vol.6

修善寺駅からはバスで移動。

今回は、電車・バスを使っての河津町入りについて書こうと思う。

普段、あちこちの砂防ダムに訪れていることを記しているのだが、それは何のためかといえばこのページを見てくれた方が実際にその場所に行ってみたいと思った時に、少しでも参考になってくれれば・・・。という思いが私自身の中にある。

いろいろなところで、美しい砂防ダムを見てきて紹介しているのに、そのどれもが自家用車を用いなければ行けないという条件付きであったならば、本当に多くの方に利益となる情報を出せていないな。ということを考え、今回は電車・バスを乗り継いで河津町に行ってみた。

出発前の気持ちとしては、ただ堤体を訪れる。ということだけなのだけれど普段とは違う公共交通機関を利用して、ということで非常にワクワクしていた。結果的にもなんとか堤体までたどり着いて歌ってくることが出来たので、今回はその時のエピソードとしたい。

修善寺駅までは電車移動。

天城路フリーパス

1月23日午前6時5分。まずは沼津駅から電車に乗って三島駅を目指す。三島駅にはわずか4分ほどで到着。と、ここでいきなりの時間調整。じつは本日はフリー切符を利用しての移動を考えていた。

フリー切符の名は「天城路フリーパス」。(株)新東海バス・(株)南伊豆東海バス発行のフリー切符で、これさえあれば修善寺駅~河津駅間の路線バスが2日間乗り降り自由になるという大変便利なものがあるという。
フリー切符はおとな2,400円。(小人は1,200円)これを修善寺駅前の東海バスターミナル案内所で購入する必要があったのだ。案内所の営業時間は午前8時から。

修善寺駅に、あまりにはやく着いても行くところが無く困ってしまうのではないかと、三島駅にて時間調整をすることとした。

実際に買うことが出来た天城路フリーパス。有効期間は2日間。

若人の足いずっぱこ

午前7時34分。伊豆箱根鉄道駿豆線下り列車に乗り、修善寺駅を目指した。この日は木曜日。朝のラッシュ時とあって学生が多い。いずっぱこ(同路線の地元での愛称)は平日こうして地元民の学校への足となっている。

これも休みの日はあの“ねずみ~ランド”への足となっているのであろうか?こんな正真正銘の田舎の線路でも日本各地、そしてあの舞浜駅に続いていることを考えると、なかなかロマンがあると思う。
それにしても最近はどういうわけか、よく“ねずみ~”に行ってきたという思い出話を聞くのである。今年の干支がねずみだからなのか?

修善寺駅には8時9分に到着。今日の目的地は自動販売機すら置いていないところなので、駅内のコンビニでペットボトルのお茶を購入する。このあと起きる展開なども知らずに至ってのんきにしていたのだった・・・。

東海バスターミナル

1時間40分待ち

結論から言えば、田舎の路線バスに対してもっとシビアにとらえておくべきだったと反省した。河津駅行きのバスは8時15分修善寺駅前発があり、その次は9時55分修善寺駅前発。その出車間隔1時間40分。まぁ、恐らくコンビニで会計をしていた頃には出車していたのであろう。後悔先に立たずというより、ちゃんとバスの時間くらい確認しておきなさい!が的確である・・・。

落胆する私であったがバスターミナルの受付のお姉さんはとても親切であった。9時00分発の昭和の森会館行きのバスに乗って、浄蓮の滝など見学してみては?などと、いろいろアドバイスしてくれた。

結局、これまた修善寺駅内にある観光案内所が午前9時にオープンしたので、そこに設置してあったパンフレットなどを読んで伊豆の情報収集。

9時55分発のバスを待って、ようやく乗車した。

観光案内所で見つけたパンフレット。地元はオリンピックに沸いている!?

二階滝バス停下

バスはいったん東海バス修善寺温泉バス停に寄り道したあと、一路かわづ駅を目指した。ちなみに今日の目的地の堤体は「二階滝バス停下」。

伊豆半島中央を南北に横断する国道414号線は、途中標高643m地点で新天城トンネルに入るが、その新天城トンネルを抜けて、最初にあるバス停が二階滝バス停だ。修善寺駅からの所要時間はバスの運行時間帯によっても異なるが、およそ50分ほどの行程となる。

いつもの見慣れた風景をバスのフロントガラス越しに見ながら進む。この日は雨が降っていたので、座席横の窓は露で曇って見えなかった。

“にかいだる”と読む。

ミニパーキングエリア

二階滝バス停には10時46分に到着。ここのバス停は乗用車数十台が止められる広い駐車場と、ちょっと大きめの水洗トイレがある。同地を一度でも訪れたことのある人ならばここにトイレがあることは、はっきりと誰しもわかっているであろう。国道沿いのミニパーキングエリア(ただし、売店はおろか自動販売機すらない。ベンチとテーブルを備えた四阿が一棟ある。)といった感じである。

乗用車で訪れる際も、参考にしていただければと思う。

今日は、この広い駐車場から見て一段上にある旧天城街道(踊子歩道)にいったん移って、その道路沿いを入渓点とする。堤体そのものはバス停より南南西方向に数百メートル行ったヵ所の河津川流域内にあり、その河津川は国道から見てさらに低いところにあることから、ここでいったん上に登るのはかなり面倒くさくなる感じもするが、直接バス停から国道414号線沿いを歩いて堤体に向かうのは交通安全上どう考えても危険である。

安全策として、なるべく国道414号線に接しない形で堤体にたどり着きたいため、回り道を選択。まずは駐車場裏の階段を登った。

バス停にある駐車場。まずは階段を登る。
階段を登りきったら右に曲がる。

植物を傷つけないように降りる。

旧天城街道(踊子歩道)に出たら、南南西方向に歩を進める。そして、しばらく歩いたのち山側に「静岡県」と書かれた反射体付きのポールが現れるのだが、その反対側、谷側斜面の柵の切れ目が入渓点となる。入渓点といっても、国道からはいったん登ってきているため川は遠くなっている。

気を引き締め、道路の柵の切れ目から降り始める。
ここは梨本国有林林地内であるため、生えている植物を極力傷つけないようにしながら坂を下りたのであるが、本当に難なく国道まで降りられてしまった。気を遣っているというのに林床を歩く時の障害物、それに本来なるであろう下草があまりにも生えて無さすぎる。冬場とはいえ、これは・・・。

天城一帯に増えまくるニホンジカの影響なのか?

旧天城街道から降り始めておよそ20分ほどの行程で堤体にたどりついた。

旧天城街道沿いにはこのような谷止工が連続している。
このポール際に深い貯め升状の穴がある。
柵の切れ目から降り始める。

公共交通機関素人の旅

ここの堤体の特徴はなんといっても、その上すぐを国道が走っているという点にあるだろう。堤体の二階部分より上が非常に明るく開けていて、光が降ってくる。また時折、車の走行音が聞こえる。

水については河津川の本流らしくしっかりと流れていて、堤体の一段下にある落差1メートルほどの小滝とともにかなり大きな音を出している。そのような大きな音に対し、渓畔林の力を借りながらなんとか響かせようと試みたのだが、その形勢は多くの時間、堤体側優位であった。

音のことに関していえば―ダメだった。―というのが正直なところ。スギの木がしっかりと生えている環境下であったのに、それをうまく生かせなかった。

悪天候であったことも影響してあまり曲に対してあまり集中できていなかったような気もする。もっと、暗い所に入れたら響いてないながらも最低限きもちよく歌えてたかもしれない。

結局、1時間も持たないで退渓。再び二階滝バス停に戻った。午後2時すぎの河津駅行きのバスに再び乗車し、踊子温泉会館前で下車。温かい湯に浸かったあと、修善寺駅行きのバスの時刻をしっかりと確認し、バス停にて待機。
時刻表どおり計画的に動いたところ、数分の待ち時間でバスは到着。

公共交通機関素人の旅は教訓ばかりで幕を閉じた。

国道まで降りきったところ。登坂の車もこのスピード感。
ガードレールの外側をへつるようにして進む。
この看板が目印。ここに来たら河津川に向かって降りる。
薄緑色のシラカシが雨に映える。
当日の様子。
晴れている日の同地。

たかだか川の名前なのだが

ゲートと猫越川橋

1月19日。この日は河原小屋沢に入った。河原小屋沢は猫越岳~三蓋山にかかる尾根の中間にある手引頭(標高1,014m)、長沢頭(標高1,022m)あたりを水源として始まり、最終的には猫越川、そして狩野川に合流する中伊豆山中の川である。

伊豆市猫越集落の最奥地点で道路がY字に分岐しているところがあり、左に進むと河原小屋沢への入り口となるゲートと猫越川橋が現れる。ゲートを越え、猫越川橋を渡り林道を使って堤体を目指す。ちなみに猫越川橋の下を流れるのは猫越川。河原小屋沢はまもなく現れるカーブミラーより東側を流れる川のほうである。

林道をそのまま進んだ場合、標高460メートルほどの地点に舗装路と砂利道の分岐が現れるが、ここで左を選択すると道は桐山林道となり、右側を選択すると猫越林道となる。桐山林道はほどなくして洞川橋(ほらかわばし)で河原小屋沢をわたる形になるが、河原小屋沢全体の堤体(河原小屋沢本川の堤体)の数について解説すると、この洞川橋より下流側には5本、上流側には4本の堤体がある。

林道の分岐点すぐにある看板。
洞川橋

どちらの名が正しいのか?

洞川橋というのだから、何が起きてしまっているのかというと、河原小屋沢に洞川という別名があるということが発覚してしまった。いや、むしろ洞川こそがこの川の元々の、地元民や古くからのビジターに通った名前なのかもしれない。
そもそもなぜ私がこの川を河原小屋沢と称しているのかといえば、

―地理院地図にそう書いてあったから・・・。―

というだけなのである。しかもこの川は何度も訪れているが河原小屋沢名義で書かれた看板等は一度も見たことが無い。ほんとに合っているのか?

そういえば以前、当ブログで修善寺の北又川に架かる三ツ石橋の表記を見た時にそこには北又川ではなく修善寺川とあった。同じく中伊豆東部の西川で河川の基点を示す看板に大見西川と表記されていたことなどはじめ、似たような事例が非常に多く思い当たる・・・。

で、どうするか?

ブログに記述するにはどうしたらいいのか?と迷ったが、ここは地元民には該当しない“よそ者”である自分自身がへりくだる形で、地理院地図にある通り呼んでいこうと思う。この川は河原小屋沢だ!

ここで地理院地図の発行元である国土地理院にお願いしたいことがある。言うまでも無く正確な調査に基づいた河川名、その名を地図に反映させて欲しいということ。事実誤認や、誤った職権によって本来あるはずの河川名が無くなってしまうのは、川の歴史そのものを歪めていることになる。その地に先祖代々、住居を構える人々が○○と呼んでいたものを地図という影響力によって変えてしまうなんてことはあってはならないし、もし万が一あったとしたら、こんな悲しいことはない。

同地図を渓流歩きの基礎情報として使用している自分自身であるから、そういったことを切に願っているのだが、対するものの多くは“山奥の川”という極めてローカルなものであるため、なかなか資料も少ないのかなとも思う。

忌憚なくコメントを

そう思うとたかだか河川の名前なのだが、実はそれだけでも正確性を期そうとすればかなり難しいのだということがわかる。一本の川のことを多くの人が見ている。自治体職員、国家公務員(これは国土交通省系もいるし、農林水産省系もいる。)、その地域に住む地元民。地元民のなかでもその川の間近に住む人と、あるていど距離を置いた所に住む人で呼称が違うかもしれない。

インターネットの時代で、多数決的に多くの人が書いたり、呼んだりしているものが正しいとされ、少数派の言うものは間違いとされる。多数派の呼び名はどんどん増殖し、少数派の言った名は廃れ、それだけで無く(少数派の)あなたのは間違いだからと訂正を求められたりまでする。

そこに本来あるべき真の姿を見ようとするための事実確認は無い・・・。

前述の通り私は今後も地理院地図に沿う形で書いていこうと思うが、もしかしたらそれが誤っていることもあるかもしれない。そうした事実を見つけた場合は、忌憚なくコメントを寄せていただければと思う。

一番下流部にある堤体。低いが副堤つき。
2番目の堤体。
これは洞川橋より下流すぐにある5番目の堤体。
洞川橋から見える最初の堤体。

一日を終えたあとのうまい延長戦

書店に行くと誰でも目にすると思う。こんな雑誌を。

「究極のラーメンぴあ静岡版」というムック本らしい。中を開けば、この表紙にあるような画像の連続で、とにかくラーメンばかりを掲載している。

私はラーメンのことにはあまり詳しくは無い。なんとなく食べてみて、魚介だなとか鶏ガラだなとかいうことがわかるのだけれども、それ以上はただ「うまい!」としか言いようがない。全くもってグルメという方面の知識に疎いのだけれども、最近ラーメンでいい思いをしたことがあったのでその時のことを書いておこうと思う。

下校時刻より早く

1月16日。この日は中伊豆天城山北麓を行脚した。時間のほとんどを菅引川の探険に費やし、残りは大見川、地蔵堂川の様子見に使い一日を終えた。

空からの光があることで成立する砂防ダムの音楽は、日没を迎えてしまえば以降は楽しむことが出来ない。今の時期だとだいたい夕方5時前には外はかなり暗くなってしまうので、それより前に退渓して帰路をたどることになる。

この日も、最後の地蔵堂川の様子見を午後3時頃に終えた。5時までは残り2時間程度あったが、ギリギリまで粘ること無く早めに切り上げる。これが理想形である。こちらは石がゴロゴロした渓を歩くのが常であるため、万が一のアクシデントを想定しているからだ。途中で足をくじいたとして、その直後に闇が訪れるようでは危険すぎる。突然、その場から身動きがとれなくなったときに冷静に対処するには、まずは何より時間的余裕が確保されていることが条件であると思う。

今の時期は計画段階から、午後の2時とか3時を退渓の時間として設定するのが通例。夕方狙いで後に伸びることもあるが、そういう楽しみ方をするのは稀。
「一日を終えるはずの時間」はもはや、小学生の下校時刻より早いのだ。

菅引川の入渓点「樫の木橋」
天城山北麓の川は大きな石がゴロゴロしている。(画像は菅引川)
菅引第6を巻いてみたりしたが、以降は渓がきつすぎて断念した。
河床が不安定なところがまだまだ多い。(菅引川)

きょうはノボリが

ということでの、一日を終える午後3時。地蔵堂川でまだまだ一心に働くワサビ農家さんたちを尻目に川沿いの坂を下りはじめ、万城の滝入り口看板のある滝川橋を渡る。以降、原保、戸倉野、宮上を経由し、八幡東(はつまひがし)の交差点を左折。県道12号線を西に向かって進む。

そういえば・・・。

そういえば、来る時にこの道を通ってラーメン屋のノボリが立っていたことを思い出した。じつは以前から、ここにラーメン屋があったことは知っていたのだが、私の通過したタイミングが悪かったのであろう。店は営業している様子が無く、いつもはスルーしていた。だが、きょうはノボリが立っている。

―おぉ、やる気があるでは無いか!―(本当に申し訳ない。誠に失礼ながらもそう思ってしまった・・・。)
店はどうやら午後5時から夜の営業を再開するようなので、それまでは近くのホームセンターに寄ってみたり、仮眠を取ったりしてオープンを待った。

時がきた。

午後5時すぎ、県道12号線を走りながら店の看板が点灯していることを確認。Uターンして店のあるアパートの駐車場に車を止める。

明らかに自分以外に客がいない。

駐車場が空であったのだ。だが、腹はもう決まっている。どんなにヤバそうな店だったとしても、今日はここでラーメンを1杯注文して食べてから帰る。

店の引き戸を開け中に入った。予想に反して店は超キレイ。外はもう真っ暗なので、余計に店内のカウンター、壁、天井の清潔さが引き立つ。入り口すぐには券売機がありそこで食券を買い、店主に手渡す。
しばし待った後、ラーメンが登場。薄緑色のどんぶりにキャベツ、チャーシュー、ホウレンソウ、海苔とともに麺が盛られている。

早速食すと、一口目からうまいということがわかった。食べ続けてもその印象は変わらず、どんどん箸が進む。この頃になると、ほかのお客さんが続々と来店して賑やかになってきた。最初じぶんしかいなかったのは夕方5時のオープン直後であったからのようである。店らしい雰囲気に完全になったところでこちらの気分も緩み、ぬるくなったどんぶりのスープを最後無くなるまで楽しんだ。

店を出て、また冬の空気に触れる。鼻から抜ける息もひんやり爽やかであった。伊豆半島内で一日遊んだ後に、まっすぐ家まで帰るのもいいが、こうして当地で作られた食べ物とともに一日を締めくくるのもなかなかいいなと思った。

この日、一日を終えたあとのうまい延長戦であった。

うまいに似合わずひっそりと営業している。
思えば、これも当地の「水」で作られた食べ物だ。
菅引第5砂防ダム
菅引第6砂防ダム

沼津正月

千本浜

年が明けた1月2日。新年のワクワク感とともにとりあえず外へ出てみることにした。車には釣り道具を積み込み、海でも見に行こうと市内の千本浜に向かって車を走らせた。外は快晴。気持ちのいい朝の出発であった。

自分自身は新潟出身とあって、冬のこの時期は天気の荒れる日が多い。雨が降ったり、雪が降ったりでたいていは外で遊べない日を過ごすこととなる。特に西高東低の冬型の気圧配置になった日の海沿いなどは風がビュービューと吹いて、海面は低くなった気圧に持ち上げられて大シケとなり、ドカンドカンとうねりが砕ける光景を目にする。
そんな新潟日本海の海とは似ても似つかず、この日の静岡駿河湾は大変に穏やかでまるで湖のようであった。

どこから来たのであろうか?今日もまた海に沿って伸びる堤防上にも、またそこから下へと続く階段、砂利浜の上にも人がちらほらと見られる。
多くは観光客であろう。

―あなたの地元はどんな海ですか?―

当初はここで初釣りを堪能する予定であった。しかし、この穏やかな海を見ているうちにただそれが満足感となって、釣りをやる気も失せて、竿は閉まったままにしておいた。新年初釣りにこだわる必要は無い。自分自身に収まる価値観のなかで、新しい年を喜び、その中で釣りが出来れば十分であろうと思う。

堤防の陸側。中央に見えるのが富士山。

鉄道、バスと

千本浜を後にし、沼津港へと車を走らせる。ほどなくして沼津港に到着。きのうは元日で今日は2日。正月休み最盛期の港を歩く。

ここは在来線の最寄り駅「沼津駅」からはだいぶ離れているが、にもかかわらず多くの歩行者で賑わっていることに驚かされる。駐車スペースにはたしかに県外ナンバーの車がずらりと並べられた光景が確認できたが、それだけでは無いはずで、“公共交通機関組み”も多いであろう。鉄道、バスと乗り継いでまでしてこの沼津港を訪れたかったのか?

行動力のある人がいるもんだなと感心するとともに、ありがたさを感じ、そしてなによりも魅力溢れる観光地に自分は在住しているのだということを再認識した。

みなと生鮮館に入り「千漁家」でメギスの干物を購入したのち沼津港を出発した。

沼津港
千漁家
メギスの干物

愛鷹と書いてあしたか

その後、いったん自宅まで戻り、干物を冷凍庫にしまったのち昼食をとるため愛鷹パーキングエリアに移動。ここでもまた観光客のなかに混じる。券売機のボタンを見れば「あしたか牛入りもやし炒め定食」とあったのでそれに決め、出来上がりを待つ。

食券を渡す時にご飯大盛りでオーダーしたため、呼ばれて取りに行った時には山盛りのそれが用意されていた。後半、白飯だけがのこったため(これは大誤算!)それを「たかぼーふりかけ」で締める。たかぼーとはこのパーキングエリアのイメージキャラクターのことでオリジナルグッズなども販売されている。

食堂内にあるテレビには、箱根駅伝のランナーが映し出されていた。自分も学生時代は陸上競技の競技者であった。学生ランナーなどという華々しい肩書きにはほど遠い実力ではあったが、今はそれを飯をかきこみながら見るような立場となった。

懸命に走る箱根ランナーに対し、偉くなったもんだと反省しつつ愛鷹パーキングエリアを後にした。

ここは高速道路の施設であるが、下からも入れる。
あしたか牛入りもやし炒め定食

高橋川に入渓す

その後、愛鷹パーキングエリアを出てまっすぐ坂を登った。目指したのは高橋川の入渓点。新東名の上にかかる高架橋をわたり「新沼津カントリークラブ」を東側から回り込むようにして進むと駐車場所に到着。食後の眠気に襲われ、しばし微睡んでから出発することとし、車のシートをリクライニングモードに。時間は午後2時。やはり晴れていて暖かい。

15分ほどの仮眠ののち起きて準備を整える。気を引き締め、堤体に向かって斜面を降りる。

斜面を降りはじめてから15分ほどで堤体に到着。早速目に飛び込んできたのは渇水しきった河床。岩も石も酸化した鉄分によって赤く染まって、その色が流されること無く留まっている。水が流れていないから辺りは本当に静かで、小鳥のさえずる声以外ほぼ物音がしない。

bluetoothスピーカーに電源を入れ、曲を選ぶ。シューベルト作曲のganymedを選び出し、音を流す。この曲は速くやっても演奏時間6分を越える長いものであるが、自然界のなかで歌えば不思議とあっという間に終わってしまう。そういったことは水の流れの影響などもあってのことなのかと思っていたが、この日ここに来て歌ってみてわかったのは、そうでも無いということ。水が流れていても、流れていなくても変わらないようである。

この日は新春早々の歌い初めであった。

今年もまた、いろいろな砂防ダムへ行き、音楽をやっていきたいと思っている。もうすでにかなりこの音楽を楽しめていると思うが、これをさらにもっと楽しいものにするにはどうすれば良いのかを研究し、開発を進めていきたい。まだまだ世の中には見たことも無い美しい砂防ダムが数多くあるはずであろうと思う。そういった「美」を発見しながら、同時にその場所にあった音楽を見つけだして、曲の持っている魅力を引き出していきたいと思っている。

砂防ダム音楽の楽しさ、その追求に終わりは無い。

入渓点の目印となる看板
テイカカズラ
高橋川