大好き河津町!vol.7

このギャグがお分かりだろうか?

上の画像をご覧いただきたい。この場所は河津町河津筏場、多目的広場のトイレ前で撮った一枚。地面を指さして、なにを面白がっているのかと言えば、この一帯に敷かれている砂利が「岩滓(がんさい)」と呼ばれる形質のものだからである。別名をスコリアという。

自分が勤務するホームセンターのエクステリア部門ではこのスコリアを取り扱っていて、お客から訊ねられる事が多い。使い方として、こんなふうに駐車場に敷いたり、庭に敷いたりする目的で買っていくようである。また、ホームセンターという個人向け以上の使用量を要するところには、路盤材として使われるようだ。

多孔質で水分をよく吸収するため、透水性に優れた、つまり水はけの良い舗装路面が出来上がる。なおかつ、その吸収した水分についてはそのまま保持されるため、夏の猛暑の時などは地面の温度を比較的低くおさえる事が出来る。

さらに上の画像にあるような赤色のものであればなかなかおしゃれであるとも思う。グレーカラーの砕石には無い、暖かみのようなものが感じられる。

鉢ノ山

確認作業

一方でこちらは多目的広場を別角度から撮ったもの。真ん中でデーン!としているのは「鉢ノ山」である。

鉢ノ山もたしか・・・

自宅にある伊豆半島関連の資料を探してみたところ、「東伊豆半島ドライブジオマップ」というパンフレットにたどりついた。DM折りされたパンフレットをていねいに開くと、〔鉢ノ山 3万6000年前にできたスコリア丘(東伊豆半島ドライブジオマップより)〕とある。

やはり鉢ノ山はスコリア丘であったのだ。冒頭の画像だが、スコリア丘を眼前とする多目的広場トイレ前にスコリアを敷くというギャグは誰が考えたのか?と面白がっていたのである。(ギャグじゃないかもしれないが・・・。)

東伊豆半島ドライブジオマップ

佐ヶ野地区

この鉢ノ山および多目的広場であるが、河津町内では佐ヶ野地区に属する。同町に佐ヶ野という住所は存在しないが、近辺を南北に横断するのが佐ヶ野川でその最下流部には下佐ヶ野、そこより少し上流部には上佐ヶ野という地区がある。

伊豆中央の大動脈、国道414号線が南西方向にカクッと折れ曲がるのが河津町内下佐ヶ野の信号。信号名を言うより特徴的なのがセブンイレブン下佐ヶ野店。そのセブンイレブン前の信号を北東方向に曲がると、佐ヶ野地区に入る事が出来る。

道なりに進めば、あおきフード物流センター、上佐ヶ野公民館、河津浜病院などがあり、下佐ヶ野の信号より3.8キロ地点にあるのが前述の多目的広場。この多目的広場には駐車場があるため(画像を見ての通り。)、鉢ノ山に登る際はこちらに車を停める。

そして、この多目的広場以降のレジャースポットとしては2軒のオートキャンプ場と三段の滝がある。ゆっくり時間を掛けて佐ヶ野を満喫したいのであれば前者、限られた時間の中で名所を見たいというのであれば後者といったところであろう。

ミカンの実が黄色に輝く。
品種は甘夏、ニューサマー、福原など
三筋山のウインドファームが見える。
こちらにも駐車場はある。
三段の滝

左官屋

3月26日、入渓点を三段の滝とし、そこから約1キロほど上流にある堰堤を目指した。この日はスタートが午後になってしまったのだが、その午後の時間は超快晴。太陽が佐ヶ野川の水面をギラギラ照らすなか、遡行する事が出来た。

三段の滝ももちろん見事なのだが、それより上流部もまた見事であるということに気付かされる。一枚岩の上を水が滑り落ちていくナメのヵ所が多く、それらが緊張感を和らげてくれる。滑ってケガをすることも考えられるため、けっして侮ってはいけないナメだが、石の取り除かれた平滑な面を水が通り抜けていくその様を見ていると、どう見てもこれは“人工物に違いない”と思うのだ。

左官屋が来て、きれいに仕立ててくれたのだとしか思えない。足跡の無い渓を歩くことは緊張感を伴うものだが、そうやって誰かが「やってくれた。」と「勘違い。」しながら歩けるなんて、なんて幸せなヤツなんだと我ながら思う。

堰堤には入渓から40分ほどで到着した。

深い淵
洗濯槽みたいなタルミ
ヒサカキの花

ハイブリッドの堰堤

ここの堰堤は鋼鉄とコンクリートのハイブリッド。鋼鉄が川の下流側に向かってせり出しているため、樹木が引っかかったりすること無くきれいに保たれている。銘板を見れば昭和53年製ということで、私の人生よりも長く生きている。

スズキのジムニーという車に例えれば、SJ型の頃の話しであるから驚きだ。ジムニー、鋼鉄製堰堤ともに現役であったとしてもジムニーの場合はメカニックが介入している。鉄くずと化さぬように自動車整備士の手で大事に大事に管理されたものだけが公道上を今も走り続けているのであろう。

かたや、こちらの堰堤はどうか?佐ヶ野川上流域でほとんど忘れ去られながら時を過ごしている。森林管理局の職員や一部の釣り人などはこの地を訪れるであろうが、そのほかの訪問者はほぼいないのでは無いかと思う。誰の手も借りずに、幾度の嵐に耐えながら生きているということは、その下流の倒木などを見れば明らかなことだ。

bluetoothスピーカーの電源を入れる。選択したのは、シューベルト作曲のLachen und Weinen(D777,Op.59,No4)
本来の歌詞の意味から言えばこの曲は恋歌の一種なのだが、今回私は自分なりに違うテーマを持って歌った。掲げたテーマは「春への戸惑い」。冬が過ぎ、土も十分温まり、命が芽吹く季節を迎えた。

年々、Lachen(笑い)とWeinen(涙)のうち、むしろWeinenが分からなくなってきているような気がする。歳を重ねるごとに様々な経験を積み、対処が出来るようになってきている。
Weinenという言葉をどのように歌ったら良いのか?

春という季節を単純に喜べるようになってきていて、ほんとにこれでいいのか?と思えてしまう。春って、もっと心が不安定になる季節じゃ無かったっけ?

逆にこの有節歌曲2番の後半、
und warum du erwachen kannst am Morgen mit Lachenと歌うが、最後を思い切り「ラッヘン!」と歌えるようになってきている。

完全に自己満足の歌になってきているような気もするが、これでいいと思っている。佐ヶ野川上流部の自然に私の歌を受けてもらっている。そのことに対して感謝の気持ちしか無い。

太陽が傾き、落水を照らしていた直射日光が見られなくなった頃、遡ってきた渓を引き返した。

渓畔林が豊か。画像はモミの大木。
イロハモミジ
正式名は佐ヶ野本沢第1号鋼製堰堤
放水路天端以下がすべて鋼鉄、袖はコンクリート
堤体前にもナメが。
何に見える?熊に見える?
堤体全景。

増補改訂樹木の葉

増補改訂樹木の葉

最近、植物図鑑を購入した。
タイトルは「山渓ハンディ図鑑14 増補改訂樹木の葉 実物スキャンで見分ける1300種類 林将之著」
出版は山と渓谷社で、この増補改訂版の出版が2020年1月。まだ2ヵ月ほどしか経っていない新書だ。それより以前は同タイトルの初版本が同じく林将之著で出ている。こちらは、掲載種が1100とのことなので今回の増補改訂で200種が追加されたことになる。

今回の増補改訂を良い機会に、ということで購入した。ちなみに私はこれの初版は持っていない。しかし、この林将之を著者とする植物図鑑はすでに数冊目となっており、その林本(はやしぼん)の最新刊ということで、かなり期待に胸を膨らませて購入ボタンをポチさせてもらった。

やはり、掲載種1300というのはダテではない。今、手元に同書があり実寸計ってみたが、その厚さは3センチほどもある。同定しようとしている目の前の植物に対して、焦りながらページをバラバラさせてもこの図鑑の場合はなかなか該当の種までたどりつけない。同書の冒頭部にある「本書の使い方」の項目には〔調べたい葉の科や属が分からない場合は、p.13の総検索表から、葉の形態4項目、すなわち「葉形」「葉序」「葉縁」「落葉・常緑」を調べることで、候補種を検索出来ます。〕とある。

せっかちに挑むのではなく、その葉の特徴をまずはしっかり確認するところから同定を始めていきたい。

今回は岩尾支線林道に入った。2020年3月撮影。

例えばこんなふうに

例えばこんなふうに、植物を見つけた時に葉を見る。葉はギザギザのない全縁。今の時期にこれだけの活力を見せていることから判断すればこの植物は常緑樹である。

実際には同書はほかに分裂葉(もみじのような切れ込みがある?)であるかどうか、対生か互生(葉が枝やつるに対して交互についているかどうか?)かということも含めて探せるようになっている。さらに言えばその植物がつる性(ほかの植物などに巻きついたりするかどうか?)であるかどうかも親切に問うてくれているので、手順を追ってじっくりと時間を掛けてていねいに探せば、かなり高確率で目的の掲載ページにたどり着けることと思う。

「樹木の葉」を用いた同定の結果、上記の画像の植物は「オニシバリ」であることがわかった。

オニシバリの花。2020年3月5日、伊豆市筏場。

オニシバリ

このオニシバリという植物、じつは私のなかでかなり長い間不明の植物であった。

山中で谷を吹き抜ける風にビュービュー吹かれながら、その中で図鑑を片手にページを前に後ろにバラバラめくり続けるも、どうしても見つけることが出来ない。ヤマモモじゃないし、なんだこれ?寒いし、こちとら堤体目指して歩いているんだから、もう!という感じでかなり困っていた。

この植物自体は伊豆半島(御殿場地方でも)のあちこちでよく見かけていたので、決して珍しい種ではないと思っていたのだが、くだんの「樹木の葉」によれば、〔東北南部~九州の主に暖温帯に自生。丘陵~山地の乾いた落葉樹林内や岩場にやや稀。関東南部~東海東部に多い。〕とある。

やや稀。そして東海東部には多いか・・・。

私としては伊豆半島ばかりに出掛け、あちこちで当たり前のように見かけていたため、この植物に対しては当然のことながら“やや稀”という感覚がなかった。他の地方では珍しかったか?

そんな「?マーク」が確信と言えば良いのか、認定された、と言えば良いのか、再度よくよく自分が砂防ダム行脚に持ち込んでいた図鑑を確認してみたら、なんと“掲載されていなかった。”ということが発覚した。

2019年11月5日、河津町大鍋。

家に置いておく

掲載されていなかったことが偶然なのか、必然なのかは、図鑑という一工業製品の消費者である私には分からない。自分が山に持ち込んでいる図鑑もかなり同類製品のなかでは有力と言われているもので、これまで多くの植物を同定することでお世話になってきている。今回、不本意にも自分がこれまで頼りにしてきた図鑑に掲載もれがあることが発覚してしまったわけだが、これからどうしていくのか?

「樹木の葉」に切り替えるか?

いやいや、そんなことはない。こちらは探しやすさに長けた作りになっていて、自分自身気に入って使わせてもらっている。「樹木の葉」に比べれば、内容がややライトであることは(○○○種を掲載!というその数字を見ればそんなことは)すでに明らかであるが、それはそれでメリットでもある。

砂防ダム行脚という自然活動のなかでの携帯性を考えれば、重さの面でも、厚さの面でも「軽い」ということは有利にはたらくといえる。製品としての特徴、使い慣れた事による「探しやすさ」があって、そのことと内容面での厚すぎない程度、ちょうど良さがバランス良く共存しているところに使い勝手の良さを感じている。

単純に掲載量が多ければ良いというのではないというのが、今のところの図鑑に関する考え方。もちろん、情報量が少ないとなると上記に書いた件同様、目の前にある植物が、掲載もれのせいで何なのか分からずじまいに。という事態にも繋がりかねない。

現地でその時その場所ですぐに行うのが同定の然るべきやり方だと思っているが、それが出来ないのであれば「樹木の葉」のようなスーパー図鑑を一冊家に置いておき、あとで調べるのも手なのかな?と思った。帰ってきてから,あのとき見たのは何という植物だったかと、ゆっくり確認作業するのもなかなか楽しいやり方かもしれない。

以下の画像は3月19日の砂防ダム行脚。
前回のリベンジということで、
岩尾支線林道をひた歩いた。
そういったシチュエーションではなかなか、
ゆっくり本を開いている時間がなかったりする。
長野川と岩尾支線林道のクロス地点にはなんとか、
到着することが出来た。(伏流していた。)
沢は滝のちょっと上より湧き出ていた。
奥に堤体、手前に湧き水の構図。
いつも、当ブログに来てくれてありがとうございます。

昔の人はよく歩いたのだなと。

スタート地点。

3月12日は長野川上流域に入った。

午前8時過ぎ、車の中でスマートフォンの画面をタップする。電波は通じていることが確認出来た。本日は、夕方までに電話を一本入れておかなければならない用事があったので、まずはその件をここで済ませておいた。

電話の用件はあまりノリ気になれるような内容では無かったのだが、早めに終わらせることが出来て良かった。朝では無く夕方、山を降りてから連絡しようかとも思っていたので、これで焦らず、ゆとりを持って行動が出来る。

危険リスクを一つ減らせた。

それにしても、伊豆市湯ヶ島(長野)の林道最奥地から東京都内のオフィスビルに向けて業務連絡を行うという“スーパーギャップ電話”を体験出来て良かった。
自身の生まれた頃には、ほとんど普及していなかった携帯電話であるが、技術が発展し、普及し、今は一人一台という時代。山奥と都市部をつなぐ技術は今後もさらに進歩していくことと思うし、そしてそれは何よりも山奥で歌を楽しむという砂防ダムの音楽にとってプラス要素でしか無いと思っている。

今後の技術進化によっては、野外での芸術活動に、革命のような出来事が起るのでは?と期待しながら、今日もスマートフォンを見つめている。

入渓点右俣。

遡行をスタート。

午前9時に遡行をスタート。地理院地図によれば今回遡っていった先には二重線が一ヵ所、ほかに水の淀みで表した堤体が二ヵ所確認出来ている。標高およそ650メートルからスタートして、標高1000メートル付近にある岩尾(いわび)支線林道までの区間を新規開拓する予定だ。

スタート直後にある落差3メートルほどの小滝を超えて進む。沢よりだいぶ高いところには収穫用のモノレールが走っているが、どうやら現在は使われていない模様。倒木がドスンと乗っかった状態から判断して、放置状態にされている廃線軌道だ。この廃線軌道が意味することとしては、これより上流部にワサビ田があるということ。そしてそのワサビ田が今は使われなくなった“廃田”である可能性が高いということだ。

廃田であるかどうかは登ってみないとわからない。もしかしたら、昔の人のように歩いて通っているということも考えられる。伊豆半島は本当に本当に沢の奥地でワサビを栽培していて、驚かされることが少なくない。こんな山奥だれも来ないだろうと思っていたところ、突然現れたりすることが少なくない。現役のワサビ田の場合もあるし、廃田のワサビ田の場合もある。

いずれにしても、ある一定時期、その場所にある農家がワサビ栽培のために通い詰めたという事実がわかるのだから、これは敬服に値する以外なにものもない。ワサビを栽培する事そのものも本当に大変なことであると思うが、その前段階としての必然、まずは石垣作りの重労働があることと思う。夏の台風にも耐えられるように、大きな石を運んで組み上げた手造りの石垣。ワサビ田の主(あるじ)が丹精込めて築き上げた魂のこもった石垣。私自身においてはその上を時々歩くことがあるが、踏みしめる第一歩目はやはり躊躇をするものだ。

先人が苦労して積み上げた石垣の上を歩くという行為が非常にためらわれる。どこからか、私のことを見ているかな?と思いながら歩くし、本当に失礼の無いように、でも先人たちの作ったその文化遺産をよりダイレクトに理解するため、しょっちゅうありがたく利用させてもらっている。

今回は無かったが、現役のワサビ田。

青が水色に見え、

午前10時30分、ワサビ田の廃田が現れた。畳石式と呼ばれる階段状になったワサビ田だ。これより以前、遠目に発見した時には防風ネットの青が水色に見え、堤体発見か?と焦ってしまった。

防風ネットが破け、ダランと垂れ下がっている光景は見ていてやはり少し気持ちが悪い・・・。

沢との境目となる石垣のところどころは風雨によって破壊され、その上を歩くのはどう見ても危険な状況。ワサビ田の一番山側の端を歩き続けた。ただ、こんな状況でもワサビ田本体への導水管はきちんと機能しているようで、水はチョロチョロと流れ続けている。遡りながら、これまたあまり気持ちの良くないドロのようなそれに覆われたワサビ田を見続けながら歩いていたのだが、ふと山側に目をやれば、なんとスタート地点で確認し、その後いったんは離れていたモノレール軌道とここで再会することが出来た。

そこからは、沢、ワサビ田、モノレール軌道の三本に沿って進み、午前11時前、最初の堤体前に到着することが出来た。

画像右側にあるのが廃田。奥には格子状鋼鉄製の堰堤とケヤキの大木。

ワサビ田農家が毎日見ていたもの

堤体は格子状に組まれた鋼鉄製、堤高は最下部から計測しても6メートル程度とさほど高さはない。特に印象的なのは堤体前のすぐに樹齢???年もののケヤキの木が圧倒的な存在感と共に鎮座していることであった。また、その大ケヤキのすぐ右岸側には非常に美しいミツマタの木が植えられている。樹勢が果樹園の樹木のようにきれいに整えられていて、なんといっても花が咲いていて彩り豊かであった。

ここのワサビ田農家は毎日これらの木を見ながら、朝から晩までこの地で汗を流し続けたというのであろう。その後、歳月は流れ、木はここに居続けたが、農家は残念ながら去ってしまった。私自身、大きな空虚感に襲われたが、堤体の落水が近くにいてくれて良かった。「この沢の水だって恒久あるものでは無い。この水の流れも時の流れも現実はこうだ!」と誰かに教えられたような気がした。

午前11時20分、鋼鉄製の堤体を巻いた後さらに30分ほど遡れば、今度は同サイズの重量コンクリート式堰堤が現れた。これは上流部からの土砂が多いようで、左岸側の袖天端から直接落水してしまっている箇所が印象的であった。その堰堤も巻いてさらに二俣があって左俣側、見た目上だとけっこう高く、しかし6メートルほどの堰堤を見た。こちらは画像撮影したのちに離れて、右俣側を遡った。(最終目的地の岩尾支線林道はこちら側にあるため。)

ミツマタ

どこで引き返すか?の判断が難しい。

その後、遡り続けるとまたしても廃田があり、廃田を見ながら進むと一本の滝が現れた。見た感じの落差は10メートルほどもある、大きな滝であった。この時ふと時計を見れば、時刻は午後1時前。スタートからは4時間弱も歩いていた。ここで滝を巻くかどうかは非常に迷った。事前の計画では前述の通りもう一本上に(多分あるはずの、)堰堤に行くことにしていた。だが、ここまで充分歩いたという満足感もあった。どうしようか?

スマートフォンをタップして地図アプリを開くと、もう岩尾支線林道のすぐ手前まで来ていることがわかった。

・・・。ここで引き返すことに決定。それならば林道は見ない方がいいと判断して撤収を決意した。岩尾支線林道は一般車両について、入り口のゲートから先は入れないことはすでに明らかであるが、関係車両(林業系とか調査機関とか工事車両)などはおそらく頻繁に出入りしている“現在進行形の林道”だ。

ここまで、まったく人の気配の無い沢をケガせぬよう注意しながら、緊張感を保ち続けながら歩いてきたという自負があった。この緊張感が途切れるとするならば、それは今から人に出会ったり、新しく点けられた足跡(タイヤ痕)を見ることだと想像したのだ。イージーなものを見て気持ちが緩むことは危険への入り口になると判断し、引き返すため遡ってきた沢をUターンすることに。

よし、行こう。

帰り道はケガをしないように、無理をしないように一歩ずつ歩を進めた。そんな中でも2番目に見つけた重量コンクリートの堰堤では止まって歌を楽しんだりした。自分がなぜ沢を遡るのか?というその意義を自覚することはケガの防止には効果的だと常々思っているし、ただ単に堤体を前にやっぱり体が勝手に反応した。ということが大きい。

結局、往復の復路は1時間と少しで終了。スタート地点に戻ってくることが出来た。滝までよく歩いたなぁ。という心地よい疲労感に包まれていた中、ふと思った。

この沢でワサビ田をやっていた先人たちはこれを毎日やっていたのだ。

その健脚ぶりには脱帽。昔の人はよく歩いたのだなと。歴史を造ってきた人たちは、まず、歩いていたようである。毎日、体を動かして、結果を得ていったということだ。技術進化。それも良いがその前にまずやることがあるのではないか?スマートフォンを見つめ、変化に対して受動的に期待しているだけでは時代は変えられないのかもしれないと思った砂防ダム行脚であった

こんなのや、
こんなのもあるなかで
見つけた滝。
これも堤高6メートルほど。ミツマタの花がやはり美しい。
袖天端から落水している堤体。

愛鷹広域公園

愛鷹広域公園

3月9日。自宅のある沼津市内の愛鷹広域公園に行ってきた。

公園の南駐車場に車を停めると、その植え込みはすぐにあった。
ドウダンツツジ。
駐車場の一段上には、陸上競技場とその外周コースがあって、そちらへは階段を登ると行けるのだが、階段以外のスペース、急坂の丘の上にはドウダンツツジが植えられている。
ほとんどはまだ春になっていなくて槍先のような冬芽の状態を見せているが、一部どういうわけかかなり青くなっている箇所を発見。

違いは?よくわからない・・・。

一部はなぜか芽吹いて成長していた。
ほとんどはこちらの状態であった。

4日前の3月5日。

話しは変わるがその4日前の3月5日、皮子沢砂防ダムのある「筏場支線林道」に新規開拓で入った。

伊豆市南東部、大見川最上流域にはワサビ田で有名な大字筏場(いかだば)があるが、ワサビ田にかかる「小嵐橋」、「水之入橋」を渡ってぐんぐん坂を上がっていくと道はやがてゲートで閉ざされる。ゲートより先は一般車両等通行止めのため、そこより先は歩いた。

ゲートから500メートルくらい歩くと道は二俣に分岐。右を選んでまもなく現れたのが筏場支線林道起点。地理院地図によれば林道はぐねぐねと曲がりながらおおむね南進するようである。

小嵐橋

アセビ

この筏場支線林道を歩いていて印象的だったのがアセビ。自分の背丈よりも全然低いアセビの低木が林道脇にずっと植えられている中を歩いた。林道は未舗装道路で、恐らくはその未舗装道路に使われている土が雨で流されたりしないようにといったことで植えられたのだと思う。

この低木の常緑樹は樹皮、枝、葉、花全てに毒があるようで、ニホンジカが増えまくる伊豆山中にあっても何のことやら関係なし。ほぼ完全体の樹勢を常に見せてくれた。アセビについて、もっとよく知ろうと自宅に帰ってからネットなどで調べたら、ドウダンツツジとよく似ていて見分けづらいとのことだったため、ホントかと冒頭のとおり比較に出掛けたのだった・・・。

結果はご覧のとおり。ドウダンツツジは落葉樹で葉がほとんど落ちており、比較は出来ず。
あと1ヵ月程度遅かったら、うまく比べられていたかもしれない。

アセビ
よく見ると鳥の巣が。
花はこんな感じ。

大きな音楽

堤体のほうであるが、皮子沢砂防ダムとその上流にある3本の堰堤を回った。時期的な問題があったか?落水は見ることが出来ず。

こんなことも新規開拓ではよくあることだ。また梅雨以降、夏にでも再びこの地を訪れようか?堤体がダメだったのは確かだったが、この場所で、この時期にしか見られない植物の姿をいろいろ見ることが出来たのは良かったと思う。

堤体を前に歌うという行為だけがこの音楽の醍醐味では無いということは、これまでの経験からすでに明らかなこと。今日、自分が歌う場所がどういう状態にあるかということももちろん大事だが、そこにたどり着くまでのプロセスというか、まずそこに行くまでに見られた景色をどれだけ楽しめたか、といったところからこの音楽は始まるような気がする。

自分自身のそれまでの知識や経験を材料に、そこで見たものが美しいとか、汚いとか判断をすれば良い。

今回はアセビという植物をずっと見ながら林道を歩いた。それに対して自分がどう思ったか?毒に対する不快感も、花に対して美しいと思う心も、鳥の巣から感じ取られる事もすべて自分の心に対して影響を与える要素であったと思う。

歌をうたうのにはまず自分の心があるはずだ。

山を歩いてその先で音楽をするという行為は、良くも悪くも安定していない。不安定だ。良い時もあれば、悪い時もある。であるからこそ、様々な条件が噛み合ってうまくいったときの快感は音楽室で得られるそれとは比べものにならないほどの強烈さがあって、私はこの音楽にハマっている。山を歩くなかで常に自然界の現実を見させられながら音楽を楽しんでいる。色々なものを見て、影響を受けながらその時の心でその時の音楽を楽しんでいる。

見たものから音楽表現上の栄養素をもらっているので、それをうまくエネルギーに変換していけるように体質改善していきたい。必要なものは教養だと思っている。教養が無ければ、今、目の前にあるものをまず栄養素として受け取ることが出来なくなってしまう。何時でもそこに待ち構えていた自然界の財産をなるべく受け流すようにすること無く、自分のものにして、それを音楽に反映させ、より充実度の高い大きな音楽を楽しんでいきたいものだ。

皮子沢砂防ダム