渓畔林・福士川・同定

西伊豆町赤川

砂防ダムの音楽において樹木は大切だ。堤体を前にして立った時、木の無いところでは音が非常に響かせにくい。現状世の中の主流となっている、雑音の全くしない環境(例えば音楽ホールなど。)と違って、砂防ダムの音楽空間では常に水が鳴っているからだ。

主として堤体からの落水の音。そして、そこから先、川石を水が落ちていく音がさらに加わる。滝などがある場合もある。

砂防ダムの音楽では常に川の水の音が、そこで歌う人間の声に抗ってくる。そういった音環境の中で、いかにして音を響かせていくか?というところにこの音楽は楽しさがある。

東伊豆町川久保川

渓畔林

川の水に邪魔をされながら、いかにして音を響かせていくのかというところには「渓畔林」というものが、大きなヒントになる。自分の身長の何倍もある高さから落ちる水の音に対して、自らの声で戦っていくために渓畔林の力を借りるのだ。

渓畔林とは、渓流の川沿いに生える樹木で構成される林のこと。渓流への直射日光を防いで水温上昇を防いだり、落葉(らくよう)や落下昆虫によって渓流内に養分を供給したり、その落下昆虫が魚類のえさになったりしているというところから、渓流の生態系というものの説明をする際によく使われる用語だ。

砂防ダムについて、これまでいろいろなものを紹介してきた。その周辺環境が多種多様であることは、画像だけ見ただけでも簡単にお分かりになると思う。渓畔林が豊かなところ、そうでは無いところ、様々あるし二ヵ所として同じところは無い。

このことは、本当に面白いことで、例えば砂防ダムの大きさを示す用語に「堤高」という言葉がある。堤高とは砂防ダムの一番高いところである「袖天端」の最上部から、一番低いところとなる「堤底」までの長さをいう。堤高6メートルの砂防ダムなんてそこいらじゅうにあるが、その6メートルの6という数字が一緒であっても、渓畔林が違っていれば響きの面で異なる結果が待ち構えているということがある。

結論から先に言ってしまえば、豊かな渓畔林をもったところのほうが音を響かせやすい。木が音を反射させる性質を持っているからだ。

河津町大鍋川

福士川

ちょっと話しが逸れるが、以前山梨県の福士川上流域に行ったときのこと。その日一日の活動を終え、最後自家用車の置いてあるところまで戻って帰り支度をしていると、林道の上の方から地元林業会社の方が、帰り道すがら私の脇に。なにをしていたかと聞かれたので、
「歌を歌っていました。」
と答えると、
「はぁ、そうだったね。君だったのか。んじゃ、またね。」
と、走り去っていった。
こんなもんなのである。(ちなみに歌っている間はお互い死角の仲にあり、相当離れていた。)

山をよく知っている林業会社の人であるからこその感想であったと思う。山の木のたくさん生えた空間というのは非常に音がよく響く。人の声も、動物の鳴き声も、木を切るチェンソーの音でも何でも音がよく響く。木が音を反射させる性質があるからで、山の人たちはそのことを体験的に得ているからだと思う。したがって、その音が反射する空間で歌を歌っていました。と、言っても別段おどろいたりはしなかったのである。

逆に町場に住んでいて、あまり山や森を知らない人こそ、
「山で歌っている。」
と、言うと・・・えっ???となる。

山梨県福士川

同定

豊かな渓畔林と書いた。豊かな渓畔林があることは砂防ダム音楽家にとって喜びだ。これさえあれば、川の水量が少なかろうと多かろうと頑張ろうという気になれる。自らの声を補助してくれる装置がそこにあるのだから、それを最大限活用して音を響かせていけばいいのだ。そして、そんなふうに頼りにしている渓畔林に対して、今後も勉強を続けていかなければならないのは当然のこと。

「同定」という言葉がある。同定とは目の前にある植物と図鑑上にある植物を一致させる行為をいう。渓畔林を構成する樹木一本一本を同定し、明らかにしていきたい。今日は声がよく響く堤体に入れました。終わり・・・。じゃなくて、どんな樹種の力を借りて、音楽上の成功が得られたのかをきちんと理解し、経験として蓄積していきたい。

これは現時点でまだ明白ではないことなのだが、同一の堤体周辺で季節によって響きに違いが出てくるような感覚をすでに体験してきている。おそらく落葉樹の葉のつき方が季節によって違ってくるゆえの現象であると仮説化しているのだが、このことが本当であるのか、今後検証していく必要があると思う。

もし、この仮説が合っていたならば、樹種が異なったりすることでその違いはさらに、歴然と、大きなものになるはずである。なぜなら、木は樹種によって、葉の大きさ、形、枝ぶり、幹の太さ等が全然異なる場合もあるからだ。密度、奥行きがほぼ同じくらいの林でも樹種によって響きが異なるというのであれば、これはおもしろい。

そんなところまで行ってしまった先には、砂防ダムを使い分けするような世界が待っている。堤体があってそのまわりにこんな木が生えてます。じゃなくて、こんな木が生えてるところに堤体が一個置かれています。という規模の話しができるようになってくると思う。

違いが分かるようになりたいのだ。待っているのは、一年を通して最強に楽しめる砂防ダム音楽ライフ。一本一本大変な作業ではあるが最終的には笑えるよう常日頃からトレーニングしていきたい。

静岡市安倍川水系サカサ川

旧道

月ヶ瀬インター

前回の記事で紹介した「矢熊大橋」への行き方について、少し書いてみようと思う。

伊豆中央の大動脈「伊豆縦貫道」は日守大橋、江間トンネル、江間料金所などがある区間が「伊豆中央道」で、大仁中央インター、大仁料金所、修善寺インターなどがある区間が「修善寺道路」。以降は、大平インターから月ヶ瀬インターまでが「天城北道路」と呼ばれる区間で、この天城北道路が前回の記事にも書いたとおり、最も最近に出来た区間で、件の矢熊大橋を含んでいる。

これは伊豆縦貫道という大きなくくりの中に、さらに細分化された名称を持つ区間がそれぞれあるということ。特に伊豆中央道と、修善寺道路に関しては通行料金を徴収する必要があったため、利用者に分かりやすくする意味で別称を設けた(ダブルネームにした)というところであろう。

起点となる沼津岡宮インターは東名高速沼津インターに近く、また新東名長泉沼津インターからは直接伊豆縦貫道にアクセス出来るため、当該道路に乗ってしまいすれば、あとはそのまま「下田」方面の看板にしたがって進んでしまえば迷いはしない。

沼津岡宮インターから、現在の完成区間ほぼ全行程高架橋のスイスイ道路を36kmほど走ると、冒頭にある月ヶ瀬インターの十字路にでることが出来る。矢熊大橋を下から見るには「道の駅伊豆月ヶ瀬」にまず入りたいので、インター直前の左折レーンに入るか、十字路を右折したあと少しにある道の駅入り口から入場する。

いずれの入り口から入場するにしてもスピードは控えめに。画像を見てお分かりの通り、道路は月ヶ瀬インター直前で急激な下り坂となっている。左折するにしても右折するにしてもブレーキを掛けながら進み、ゆとりをもって運転操作したい。こんなところで命を落としてしまっては、自分自身にも良くないし、あとに続く利用者にも迷惑が掛かってしまう。

私自身、道路は自身だけの持ち物では無い公共物であるということを今一度よく考え、これからも安全運転にて利用していこうと思った次第だ。

ミニストップ修善寺大平店

そしてやはり気になるのが

そしてやはり気になるのが、こちら。前回の記事にも書いたとおり、天城北道路が完成してから1年2ヵ月ほどになるが、それより以前はみんなこの店の前を通っていた。国道414号線沿線にあるコンビニエンスストア、ミニストップ修善寺大平店。

看板にドライブインと書かれているとおり、地元民以外に観光客も受け入れているコンビニエンスストアだ。店内には飲食スペースがあったり、男女別トイレがあったり、手造りのファーストフードを置いていたりというところで、うまい具合に観光地仕様になっている。また、近くにあるジオパークスポット「旭滝」への行き方案内なども店内に置かれている。

ある時は、この店のまん前に大型観光バスがでーん!と止まっている光景を目にしたこともあった。トイレ休憩であろうか?
とある漫談家が「中高年の旅行はあっちへ行ってもこっちへ行ってもトイレばかり・・・。」と言って大爆笑を誘っていたが、中高年じゃ無くともここのトイレは本当にありがたい。

もうここに行きすぎてトイレに書かれているポスターの文言を覚えてしまうくらい利用させてもらっている。また、ここの駐車場は仮眠スペースにも。
伊豆縦貫道は、前述の通りそのほとんどが高架されていて信号が無い。道はきわめて直線的、単純である。

自身のスケジュール都合上、夜討ちで出掛ける事もあって、そんなときは大抵走っていると眠くなってしまう。そんなときは、―大平のミニストップまでは頑張ろう!修善寺道路を越えれば・・・―と、ここを目標にして頑張ったことが何度もある。夜の間に越えてしまえば(夜10時~朝6時の間)、伊豆縦貫道は料金所を無料スルー出来るからだ。それで浮いた金を使って、カップラーメンを買いお湯を入れて車の中で食べ、眠る。

冬の深夜、本当に静かな伊豆の田舎町で、つかの間の暖を取ることが出来たのはこの店があったからだ。

夜の様子。

新しい道路がもたらしたもの

天城方面に向かう車は、観光バスであれ、自家用車であれ、運送業者であれ、セールスマンであれ、月ヶ瀬インターが出来る前、その一つ前の大平インターで降りて(というより終点のため。)、「大平IC西」信号を左折するのが王道パターンであったが、天城北道路開通以降はそちらを利用するのが一般的となってしまった。そして、この大平を通る国道414号線は現在“旧道”となっている。

大平より先には、松ヶ瀬、本柿木、青羽根、下船原といった地区がつづく。旧道はこれらの地区の住民には無くてはならない生活道路であり、それのみならず、やはりこれからも伊豆中央の重要ルートとして働き続けてくれるだろう。

旧道の車道より外側を走る歩道をよく見続ければ、松ヶ瀬と青羽根の一部は幅1メートル程度の非常に狭い区間がある。特に青羽根に至っては天城小学校があるというにも関わらずだ。
観光客の走る道路と地域住民の生活道路を分けるということは、沿線住民の安全確保の上で非常に有意義なことであると思う。

天城北道路の登場によって、旧道の交通量は減少した。今後はそれ以前から行っていた交通安全の取り組みを継続し続けながら、沿線の商店や民宿の売上げ対策に取り組んでいく事が重要になってくると思う。地域の活性化ということも忘れず、一緒になって考えていきたい。

4月23日は船原川に入る前、冒頭の画像を撮るため天城北道路の新ルートを使用したものの、旧道沿いの今日の様子が気になり、旧道を走り直してから「出口」三叉路の信号より西進、これまた僅かであるが旧ルートを通るかたちで船原方面を目指し、その後入渓した。

この日は快晴の天気の中、船原川を吹き下ろす谷風にチャレンジ出来た大変有意義な砂防ダム行脚であった。

船原川に入った。
船原第2砂防ダム
渓畔林の下に入って歌う。
堤体全景。

ラーメン橋とアーチ橋

雨が降っても橋の下は道路が乾いている。

4月13日、雨が降った。しかも午前中は強烈な風を伴って。午後になると風は止んだものの、雨が降り続けていた。一日中家で過ごす事も考えたが、それといって代わりになるようなことも思いつかなかったため、思い切って外に出掛けることにした。

目指したのは沼津市宮本。宮本と言えば「あしたか太陽の丘」や「富士通」などがある丘陵地帯であるが、この日は雨が降っていたため、それを凌げる橋の下を目指した。沼津市足高の東部運転免許センター前の信号を西に折れ、そのまま直進を続ける。道はやがて丁字路に差し掛かるので右折し、直後のY字分岐を左に進む。それから道なりに進むとほどなくして、新東名の高架橋がドドーン!と目の前に現れる。目的地の橋だ。

新東名の高架橋

ラーメン橋

橋の上を大型トラックが走っていることがわかる。乗用車も通過しているのであろうが、背が低いためこちらはうかがう事が出来ない。新東名高速御殿場ジャンクション-三ヶ日ジャンクション間の供用開始が2012年(平成24年)4月14日とのことなので、翌14日でちょうど(供用開始から数えれば)8周年目になるまだまだ新しい橋だ。

橋はおおよそ百メートル間隔おきに橋脚があるタイプの橋で、若干のアーチを描いている。専門的にはこのタイプの橋は「ラーメン橋」と言うそうであるが、ラーメンと聞くとやっぱり食べ物のラーメンを連想してしまう。私同様、あまり学歴に長けない方が何かのきっかけでネーミングしたのかと勝手に想像してしまったが、そういうわけでは無いらしく、ドイツ語の「der Rahmen(枠・窓枠・フレーム)」から来ているという。

冒頭の画像にもあるが、横幅はしっかり広くてこれならば雨をしのぐ事が出来る。今日はここで春のこの時期の植物観察をすることにした。もともとこの橋自体は、丘陵を東西に分断する高橋川の浸食によって出来た谷を道路が高度を下げることなく通過出来るようにという目的で出来ている。つまり橋の付け根部分は山の斜面であったところなので、多様な植物がそこには生息している。

面白いと感じるのは道路の上下線の間、数メートルの間隔に生えている植物。わずかに出来たすき間から差し込む太陽光を受けて成長している。よく見ればそのすき間よりあるていど橋の内側になった所だと、植物は生えることが出来ていない。これはどちらかと言えば太陽光と言うより「雨」の恵みを受け取る事が出来なかったゆえの結果なのであろう。

水が無ければ植物は生きていけないのだという、ごくごく基本的な事に今更ながら気づかされたのであった。

真ん中はエノキ
スイカズラ
ツタ
ニガイチゴ
高橋川橋というらしい。(ピンクの花はヒメツルソバ)

アーチ橋

翌4月14日は伊豆市内の田沢川に入った。その田沢川に入る前、せっかくだからとまたしても橋の下に入る事にした。橋の名は矢熊大橋。この橋は伊豆縦貫道で最も最近に完成した区間「天城北道路」の一部を担っており、とても新しい。天城北道路の開通が2019年(平成31年)1月26日なので(こちらも“開通”から数えて。)1年と2ヵ月ほどしか経っておらず、歴史はまだ浅い。

伊豆市矢熊と伊豆市月ヶ瀬を端支点とするアーチ橋で、全体が鉄筋コンクリートで出来ている。前日見たラーメン橋と比べると、桁より下の部分のカーブは更にダイナミックさがある。比較してしまえば迫力に優るということだが、ラーメン橋にしたってアーチ橋にしたっていずれも機能面のみならず、景観を伴った作りであるということは土木の専門家で無くとも理解が出来るところだ。

その見た目のことを言えば、伊豆市月ヶ瀬側の岸辺に「道の駅伊豆月ヶ瀬」があることから、橋そのものの眺望はそちらから楽しむ事となる。道の駅伊豆月ヶ瀬の屋外ウッドデッキや水際公園から橋の下を流れる狩野川ともども眺めたり、写真撮影するのがオーソドックスな楽しみ方になってくると思う。

どうであろうか?中伊豆ののどかな農村地帯に突如としてコンクリートのドデカい橋が現れることに対して難しい見方をする方も少なく無いかもしれない。しかし、この矢熊大橋があることによって良くも悪くも人々の視線は絶対的に狩野川に向かう事になるであろうし、そこから名産品のアユやモクズガニに連想を繋げていくという手もあると思う。

橋そのものは巨大なコンクリートで出来たグレーインフラなのであるが、それをきっかけとして川というもの、水生生物というものに関心を持ってもらえればと思う。自然というものに対し、無関心であることこそが一番恐ろしいと思っている自身にとって、橋でも護岸でもそして砂防ダムでも、人が興味を持って近づいて来てくれることから全てを始めていこうではないかと提案していきたい。

ひとつの河川構造物が自然と人との関わりの架け橋になってくれればと期待しているところだ。

矢熊大橋
道の駅伊豆月ヶ瀬からの眺望
橋の下は狩野川が流れる。
その後はお馴染み田沢川に。
今日もここを遡るワクワク感。
堤体全景。

離島に来てしまった気分

展望台から望む。

4月6日、正午すぎ、戸田しんでん梅林公園を訪れた。展望台のある一番高いところを目指して坂を駆け上がる。斜面に生える梅の木は新葉の季節で、それらが海風に吹かれてさらさらと揺れている。

展望台に上がると、旧戸田村の集落が一望出来た。集落は手前側もそうだし、南北が山に囲まれていて、一部は死角となっているのだが、これでほぼ全域を望んでいる。人口は3千人と少しらしい。“村”の中央を流れる戸田大川のせせらぎの音が聞こえる。あとは県道18号線の坂を上り下りしていく車の音が時折聞こえる。

そんなふうに耳からはいろいろな情報が入ってくる。でも、やっぱりこの村は静かだ。今、日本中の観光地が閑散状態と化しているようであるが、こちらに関しては・・・、

いつも通り!

の静けさで迎えてくれている。今、ここに来るまでに、たしかに陸続きの道を自家用車で走ってきたはずだ。だけれども、これはどうやら離島に来てしまったような気分になっている。

戸田港

海苑

時刻は12時台。午前中に使った体力、ここに車で来るまでに消費した体力があった。体は遡行前の食事を要求し、それではと海苑に寄ることにした。

いつもの壁向かいのカウンター席に座った。今日は女将さんと、もう一人、男の方の2人で切り盛りしていた。もう少し若い男が厨房にいることもあるが、今日はいなかった。女将さんは村外の人間である私に対しても、いつもやさしく接してくれる。こちらは気まぐれで登場する、一見さんであるというのにも関わらず、嫌な顔をされたことが無い。

客観的に見れば今は自治体を同じくした沼津市の客へのもてなしになるのだが、この店の“商圏”を実質的に考えた時、その有効レンジはめちゃくちゃ広いと思う。日本の首都、東京と言ったってけっして遠すぎはしない。地図アプリで調べてみたらその距離は166キロ(東京日本橋~沼津市戸田地区センター)で、所要時間は2時間23分だという。

これは近い!

と言うのが、戸田を知るものとしての感想。東京都内というか、首都圏に住んでいて、毎週末を戸田で過ごす週末型村人というのも、必ずやいるはずであろう。戸田を知らない人に説明すると、戸田というのはそういうところなのである。ここは伊豆半島という陸続き地形の中にある一つの村であるが、まるで離島にいるような、それも気候も人も本当に暖かい風土がここにはある。依存症になる。本当に、ここは・・・。

暖かいラーメンが運ばれてきた。余計な手出しはすまいと静かに麺をすする。ゆっくりしていたいけれど、今日はそれが出来ない。ここへ来て、食べさせてもらっただけで本当にありがたいことなのだ。足早に完食し、代金を渡して店を出た。

海苑

腹も満たされ

腹も満たされたところで、午前中の疲労感も抱えたまま県道18号線を戸田峠方向に向かって走る。今から何をするかはもう決まっている。遡行前・・・の、

昼寝タイム!

入渓点前の駐車スペースに車を停め、スマートフォンのタイマーを15分にセットする。もうちょっと長く寝ていたい気もするが、先ほど海苑で食べたラーメンの味がまだ口の中に残っている。そして今日のこの春の陽気。幸せすぎて、眠ったまま最後二度と起きられなくなるのではないかという心配があるので、15分で強制終了することを条件に車のシートに身を預けた・・・。

15分は意外と長く、実質眠っていたのは前半10分くらい。あとの5分はあえて目をつむったままポカポカ陽気を満喫した。

入渓点

800メートル

午後2時前、車から降り、入渓前の準備を行う。これまでのシーズンではズボンの下にアンダータイツを一枚履いていたが、今日はもう要らないだろうということで脱ぎ去った。上半身もこれまでより一枚少ない格好にして行くことに。気温は18℃ほど。暖かいことに間違いは無いのだが、時折海の方から吹き込んでくる風はまだまだ冷たい。

準備を済ませいよいよ入渓する。入渓点はまず見える堤高3メートルほどの堰堤を巻いてからはじまる。すんなりとこれをかわし、沢を登り始める。入渓点にあった指定地看板によれば、この沢は六郎木沢というらしい。戸田の中心を流れる「戸田大川」があってその支流「北山川」があって、その北山川起点よりさらに上流の区間がこの沢なのであろう。

川幅は1メートルから広いところでも2、3メートルほどしか無い。しかし、水は割としっかり流れており申し分ない。金冠山という標高816メートルの山に端を発した沢であるとの事だが、やはりこの800メートルぐらいからを境に沢というのは、水の安定供給という面で分かれてくる。これより低くなってしまうと、伏流を見ることが多い。

今のような冬~梅雨前までの季節は特にそうなりやすいので、遡行時に水を見続けるかたちで登っていきたいのであれば、まずは標高の数値を気にして場所を選定すると良いと思う。ちなみにこの旧戸田村東部の頂はほかに達磨山(982メートル)がある。つまり旧戸田村の東部山麓であれば、基本的にはどこでも一年中、伏流する事無く流れる沢を見続ける事が出来るということである。

しっかりと水が流れている沢

くるみの木

堤体であるが、入渓点から40分ほどのところに1本、それから20分ほどのところに1本、さらに1時間ほどのところに1本見ることが出来た。自分の中で最も楽しめたのは2本目の堤体で、堤体の2階部分にヤマザクラの木を見る事が出来た。当初は全然この歌を歌う予定に無かったのだが、そこで選んだのがシューマンのくるみの木。

さくらの木に対してくるみの木を歌うのは、おかしなことだという意見もあろう。だがこの曲の中には実質的な主人公となるくるみのBlüten(花々)がNeigend(傾ける)したりBeugend(曲げる)したりするとある。くるみという樹種にこだわってイメージすることも大事かもしれないが、その詩の言葉から感じ取られた「柔らかさ」を表現するのにヤマザクラの花や新葉は最適と言って余りあるものであった。

なにより、このくるみの木という曲に対して、入渓の段階では全く歌うことを予想していなかったところで、自然発生的に自分の中でやりたくなったというあたりが、すでに痛快そのものなのである。
―今日はこんな感じで登って、あそこでこんな景色を見ながら誰々の作曲した○○を歌ってみよう。―といった事前計画に基づいた歌でないことのおもしろさ、負担なき軽快さはお解りいただけるであろうか?

自然環境が選曲のヒントを与えてくれ、イメージを与えてくれ、渓畔林となって響きを作ってくれている。砂防ダム音楽家としてこれ以上の幸せは無いのではないか。

2本目の堤体を前に歌いながら過ごすこと1時間。港町の時報が鳴ってしまうと慌てて(それでも慎重に)沢を降りた。

入渓点。(退渓時に撮影したもの)
イヌガヤとそれに絡みつくアケビ
1本目の堤体。左岸側のデカいのはおそらくムクノキ
3本目の堤体。上に林道が走っている。
海風に揺れる新葉と花(ヤマザクラ)
ヤマザクラと堤体
2本目の堤体前で歌っているところ