梅雨の工作大会

まずは材料と工具を用意する。

砂防ダム音楽家として日常やらなければならない事とは何か?という問題がある。

一つは砂防ダムに行く事。
一つは新しく砂防ダムを見つける事。
一つは砂防ダム音楽を楽しむための方法を研究する事。
一つは砂防ダムへ出掛け、安全に帰ってくる方法を研究する事。

ちょっと考えただけでも出てくる「やらなければならない事」。

私の住む静岡県沼津市は今月10日に梅雨入りを迎えた。雨の降る日が多くなった。雨が降る中でのゲームを研究するのも一つの手。

こんな時だからこそ楽しまなきゃいけない堤体があるのではないか?

いや、こんな時はあきらめて家にこもるのも一つの手。

たまには家にこもって、出来る事を。より充実した砂防ダム音楽ライフを実現していくために。

左は切り花用の花筒、右はインクリーザと呼ばれる配管用部品。
インクリーザの型番。
花筒をひっくり返して、底に穴を開けていく。

掲げた四項目をどのように、

家にこもって出来る事を考えてみた。
一つは砂防ダムに行く事。←砂防ダムに行く計画を立てる。

一つは新しく砂防ダムを見つける事。←砂防ダムがどこにあるのか?ということを調査する。地理院地図を使って。グーグルマップの航空写真を使って。

一つは砂防ダム音楽を楽しむための方法を研究する事。←その砂防ダムが持っている魅力は何なのか?もっと広い範囲で見て、砂防ダムの置かれている環境。観光インフラ含めて。

一つは砂防ダムへ出掛け、安全に帰ってくる方法を研究する事。←安全運行には経験が欠かせない。砂防ダムに行った経験を整理すること。危ない目に遭ったとか、逆にこんなことをして危険リスクを減らせたとか。

穴は円形に。
円形に開けた穴をニッパーでつなげていく。
すると底を切り取ることが出来る。

水が好きな同士

一番目と二番目は日常的に出来ている気がする。

ダメなのは三番目と四番目。
先に四番目に関して言うと、もっと日々、振り返っておく必要があるように思う。
砂防ダム周辺はそもそも危険箇所であるということを忘れてはならない。

危険箇所に入って行くことには責任があると思う。自分が大けがをするにしたって、命を落とすにしたって、それらが現実となった時には「片付ける」人手が必要になる。踏みしめる一歩一歩が慎重で無ければならないのは、自分自身の体がもはや自分自身だけの体では無いのだということを自覚する必要がある。

ひとに迷惑をかけないように!

また、私の行動をマネて砂防ダムへ行き、大けがをしたとか、それ以上の目に遭ったとか言われても、それに対して責任を負う気はさらさら無いが、できる限り不幸が発生しないように、日々情報発信していくことはできると思う。

砂防ダムに行くことを楽しいと思うには、まずやはり「水」という物質がかなり好きでなければいけない。水が好きで、その水を見に行きたいと行動する人。そんな人は私にとって“同士”である。水が好きな同士(同じ仲間)として仲良く、協力して、情報交換して明るい未来を拓いていけたらな、と思う。

切り取って出来た穴を金工ヤスリで拡張する。
穴の拡張はインクリーザがギリギリはまる大きさになるまで。
しっかりはまることを確認したら、いったん取り外す。

始めた頃からの思い

三番目の、
一つは砂防ダム音楽を楽しむための方法を研究する事。について。

観光インフラなんて書いたが、これはかなり重要な要素であると思う。砂防ダムというのは本当にあちこちにあって、そこにたどり着くまでに何があったか?もそうであるし、その帰りに何があったかも、いちレジャーとして重要なファクターであるのだ。

観光インフラ無しに砂防ダム音楽は語れない。と言っても過言では無いくらいに重要なことであると思う。

それだったら、砂防ダムへ行って歌ってきたなんてエピソードはいらないから、観光情報だけ書いておいてくれればいいよ・・・。という方へ。
いやいや、私も砂防ダム音楽家として始めた頃からの思いがある。

砂防ダム音楽を楽しむために何をすればいいのか?

考えてきたことはこれに尽きる。

砂防ダム音楽を楽しむためのメソッドとして渓畔林を使うということはこれまで何度も書いてきたが、その渓畔林の持つ音楽的資源をより効果的に利用していくために、道具を使っていくことを決めた。

道具とは「Vメガホン」のこと。

ご覧の通り、冒頭より画像にてVメガホンの作り方を解説させてもらったのでぜひ参考にしていただければと思う。
より充実した砂防ダム音楽を実現していくために考えた、私のアイデアである。

砂防ダム音楽の楽しさ、その追求に終わりは無い!

もう1個の花筒も同様に。
次に、インクリーザにちょうつがいを取り付ける。
ちょうつがいを取り付けるための穴を開けたところ。
取り付けにはキャップねじ+ナイロンナットを使用。
二つのインクリーザをつなぐことが出来た。
花筒をはめればVメガホンの完成。
Vメガホンの使い方。

箱根峠

6月23日は、昨年も入った黒岩橋下流の床固工群に。

今回のエピソードも日没前のゲーム。

6月23日午後5時すぎ。ホームセンターの駐車場を出発し、箱根峠を目指した。利用する道路は国道1号線。日本の大動脈だ。

この国道1号線、とにかく交通量が多い。普通乗用車もそうだが、大型車両の通行が目立つ。夕方の時間帯はさほど多さは感じないが、深夜や早朝などは何台ものトラック、ダンプ、タンクローリーいった車両が鉄の軋む音を鳴らしながら走る姿を特に見かける。“巨体”はそれに似つかぬ猛スピードで我々市民の目の前を通過し、瞬く間に遠く彼方へ消えてゆく・・・。

こちらの在住は静岡県東部地区(沼津市。ほかに三島市、裾野市、御殿場市等)。これら大型車両は、同範囲内を出発地、目的地として走っているものももちろん含んでいるが、多くは都道府県を越えて移動している長距離輸送の車である。車のナンバーを見れば、北は北海道から南は沖縄まで実に多彩だ。

北海道も沖縄も離島でしょ。どうやって来たの?

このような日常の光景は、静岡神奈川両県県境に位置する静岡県東部地区ならではの出来事だと思う。そして国道1号線(とくに上石田インター以東)で見かける県外ナンバーの車両は「箱根峠越え」に多くが関わっている。

標高846メートルにある県境、箱根峠を越えてやって来た、あるいはそこを目指してこれから坂を登るという車両の面々。
市街地で制止しているトラックのドライバーは何を思うか?赤信号が切り替わるのを待つその姿を見ていても、ほとんどそこまで想像する事は無いが、これから先にあるのは峠道。

緊張か?それとも楽観か?

大型は運転した事が無いのでわからない・・・。

こちらは普通乗用車で今から。僅かに感じる緊張感とともに、坂を登り始めた。

三島塚原IC交差点

三ツ谷工業団地

この日は、神奈川県足柄下郡箱根町を流れる須雲川、黒岩橋下流の床固工群を目指しての箱根峠。伊豆縦貫道(東駿河湾環状道路)との交差地点である三島塚原ICを通過し、以降は登り主体の道が始まる。三島塚原IC通過直後には、道は大きく右にカーブしながら伊豆フルーツパーク前を通過。

塚原橋をわたり、一番亭前、富士食堂前、三島青果市場前などを通過すると、道の左端に登坂車線が現れる。スイスイと軽快に登って行ける車用に、今までの車線を譲るかたちでそちらに逸れる。このあたりは三ツ谷バイパスと呼ばれる区間である。

大型車両の通行も多い国道1号線なだけに、バイパスはなるべく歪(いびつ)なラインにならないよう、なるべく直線的に、カーブは大きな円を描くようにしながら上へと続く。

地元有力物流企業であるアオイトランスポートの前を通過すると、右手側には区画整理された真っ更な土地が見えてくる。このあたりは三ツ谷工業団地と言うそうで、最近では鹿児島資本の業務用食品の会社が営業所を作った。

三ツ谷工業団地も越え、馬坂口バス停を過ぎればやたらと長い直線区間が現れる。
―ここは変わったなぁ・・・。―

やさしく走ろう箱根路

大曲

変わったのはその長い直線区間の最後のほう。今までの道路はこの長い直線から大きく左方向に曲がるヘアピンカーブを介して急激な登り坂を迎えていた。どうやら直線区間でスピードを上げる車が多かったようで、ヘアピンカーブの存在を注意喚起する大きな看板や道路上の舗装が特に印象的であったが、今はそれらも消され、物々しかった雰囲気を無くしている。

左にカーブして登った先には「杉崎商店」という名の酒屋があって、その看板を見るたびにとある美人アナウンサーの顔を連想したものだったが、今ではそんなことも無くなってしまった。現在、杉崎商店方向に行くには元ヘアピンカーブがあったあたりに出来た「大曲」信号を左折して坂を登ることになる。

そして、箱根峠を目指す車は大曲信号をそのまま直進するよう変更に。信号を越えてからは山を削って作られた新区間を行くことになる。新区間の名称は笹原山中バイパス。総延長約4.3km。かなりの規模で山を削ったということは、周囲を見れば容易に分かることだが、この笹原山中バイパスはその事業着手年がなんと昭和63年であるという。

そして実際くるまが走るようになったのがめぐりめぐって今年の2月。
およそ30年以上もの時を経て供用開始に至ったまでの経緯は知る由も無い(用地買収?難工事?)が、そこに莫大な資金と人手が投入されたということは想像に難くない。

大型車両および一般車両が事故を起こすことを防ぐために作られたバイパスの新区間は想像以上に、ドデカい公共事業であったようだ。

新しく出来た大曲信号交差点。箱根峠へは直進するようになった。

インスペクション

山中城1号トンネルを抜け、笹原山中バイパスの区間も過ぎると、箱根峠までの登りはおよそ中間点越え。以降も右に左にぐねぐね曲がる道を進みながら峠を目指す。このあたりは今の時期であれば路面の(凍結の)心配はする必要が無いが、霧による視界不良が怖い。

最大に危険と感じるのは登りきった箱根峠を過ぎてからで、国道1号線が芦ノ湖方面と箱根新道に分岐する「箱根峠IC」のあたり。静岡→神奈川方面へのインターチェンジ越えは道がそれほど複雑では無いため難なく越せるのだが、反対車線の通行時、つまり神奈川→静岡方面への移動は濃霧時において格段の注意を払いたい。

現在でも一番リスクが高くなるであろうインターチェンジの合流は悲しいかな、ほとんど有効と思われる対策がなされていない。良くも悪くも信号機が無い。日本の大動脈上に信号機を付けて安易に経済活動を妨げてはならないということか?徐行運転をするなどして各自解決せよ。ということになっているようだ。

案内板を掲示するために立てられた鉄柱やガードレールの袖ビーム(ガードレールの端にクルッと付いている鉄板のこと)との衝突にも注意をする必要がある。

箱根峠ICを初めて通過する、もしくは初めてで無くとも久しぶりにここを通るというのであれば事前にインターネットというツールを利用してインスペクションしておくのも手では無いかと思った。

グーグルマップのストリートビューを利用すれば、道路の形状を把握しておくことが出来る。

ここは霧の名所。要注意。(画像は別日に撮影したもの。)

富士食堂

6月23日は午後6時40分に入渓。つかの間の歌を楽しみ、午後7時20分に退渓。

帰りは霧の発生にドキドキしながら、箱根峠ICに向かって走ったが、幸いにも、困難に直面することも無く無事通過してくることが出来た。そのまま箱根峠も越えて、笹原山中バイパス、三ツ谷バイパスと来た道を戻る。

とここで、前々から気になっていた「富士食堂」に立ち寄る。箱根に行った帰りと言えばたいてい「味の終着駅」こと次郎長に立ち寄るのだが、この日はそれより以前にある富士食堂で腹を満たすことにした。

店に入り、迷うことも無く注文したのはモツ煮定食。店にはこの店のママと、常連おぼしき夫婦がいて、その夫婦の姐さんとママがおしゃべりをしている。
やがて、料理が運ばれて来た。すると手の空いたママが話しかけてくる。

「お兄ちゃん、トラックの運転手?でも無さそうな体型だねぇ・・・。」

今日は箱根に行った帰りだと、また昼間はホームセンターで園芸の仕事をして、それが終わったあとの箱根だったと告げるとママ、姐さん共々大喜び。

「あぁ、そうなのぉ。こんど行ったら声かけるねぇ。」と。やっぱり女の人はどの人も花が好きだなぁ。
温かいモツ煮を食べながら、安心感に浸ることができた。峠を下りてきたという安心感に。

富士食堂
床固工群への道。樹木で回廊のようになっている。
コアカソ
コクサギ
フサザクラ
護岸によってコース状になっている。
堤体全景。

猫2

猫2

帰ろう・・・。その白を見て思ったのだった。

6月10日、時刻は午後7時半のこと。場所は猫越第2砂防堰堤。略して猫2。

画像の通りドカンの砂防ダムである。堤体の上流には猫越川本流と河原小屋沢(洞川)の2本の流れがあって、その2本が合流することで分厚い流れが生まれ、水の塊のようになって押し寄せた先にあるのがここの落水だ。

猫2と言えば夏の夕方、日没前に入るのが面白い。
ルアーマンが1日釣りを終えて、さあこれから帰りますという頃、こちらはウエーダーを履いて意気揚々と猫越集落の農道を闊歩する。

「おい、兄ちゃん。アマゴならもうオレが散々叩いたからスレきってるぜ・・・。」なんて言わんばかりの視線を浴びながら、堤体横の階段を目指して歩く。車は足澤橋手前の三叉路あたりに置いて、そこから5分程度上流側に行けば目的の階段を見る事ができる。

階段から渓畔林に降りて、さらに川に降りる。駐車場所からトータルしても10分ほどの行程で入れる、入渓にはお手軽な堤体である。

ツブラジイ
クヌギ
ニガイチゴ
ビワ

広い空間

そんな入渓に時間のかからない猫2なのであるが、先月14日夕方の入渓であることを閃いてしまった。もともとここは猫越集落のかなり奥地にあり、豊かな自然環境を見ることが出来るような山の中の堤体であるが、それはせいぜい“奥地”という段階であり、もう民家が全く見当たらなくなるような“最奥地”とは若干異なる。

エリアの広くは山に囲まれていて、それよりも内側、堤体に近いところは水田、休耕田、荒地が多く、日中は太陽光が(地面に対して)比較的広い範囲で降り注ぐ。また、猫2の堤体上は、両岸の岸沿いに渓畔林が茂っているものの、中央部分は数本の木が生えているだけ。ほぼ土砂で埋め尽くされていて、これまた広い空間が出来ている。

これに対し、最奥地の猫越川本流や河原小屋沢とそこにある堤体は、両岸近くに斜面が迫っており、その(どちらかといえば)圧迫感を楽しむような堤体めぐりをすることができる。

猫2はまだまだ中流域と言ってもいいかもしれない。一帯は空の方向にも横方向にも空間が長く広がっていて、しかしながら響き作りには無くてはならない渓畔林に関して、しっかり生えているというイメージを私は持っている。

先の14日も夕方5時すぎに、猫2堤体前に入ってフーゴ・ヴォルフなどを楽しみ、同7時に退渓をした。その退渓時間となった午後7時であったが、
―まだまだ全然イケるんじゃねえの?―
と正直おもった。

特に放水路天端上の空間から差し込む空の光が明るく、これならばこのあと8時台、9時台も“あの条件”を見方に付ければやれるのではないかと思っていた。 

水抜橋
足澤橋前の三叉路。画像右端ジャリのあたりに車を置く。
猫2堤体横。あたりは広い空間に包まれている。

“あの条件”

“あの条件”を見方に付ければやれるのではないかと思っていた。

ところで、以前にもここに書いたことがあるが、海の魚のスズキをルアーで釣る「シーバスフィッシング」が私の趣味だということがある。最近では回数こそ減っているものの、定期的にシーバスゲームをたしなみ程度、通って楽しんでいる。

過去にはこれにハマって頻繁に夜の釣りに出掛けることもあった。一般的に、スズキという魚は夜行性であるゆえ、どちらかと言えば昼よりも夜にこれを狙って出掛けるのがシーバスフィッシングの通例とされている。私においては、その夜の釣りで「満月の夜」に数多くの空振りを経験してきたのである。一匹も魚が釣れなかったということだ。

釣れないと分かっているのに、ムキになって挑戦し、何も釣れない釣行を何度も何度も繰り返した。そんなときは決まって、帰る頃には気も抜けて、懐中電灯も点けることなく肩を落としながら、煌々と照らす月の光のなかを家路に就くのだった。

だがそういった釣りでも、名人と呼ばれる人や、満月でも関係なく釣ってしまう釣り人というのが世の中には巨万といるそうで、それはそれは敬服に値する。その人たちにとっては何でも無いことなのであろうと思うのだが、私の場合は殊に満月との相性が悪い。

―チクショウ、満月じゃ釣れねえよ!だいたい夜なのになんでこんなに明るいんだぁ?―

「満月の夜」の空は青白く光り、100メートルも200メートルも先の水面の様子が見えてしまう。海のそれほど深くない場所では、底の方まで丸見えになってしまい、昼の海と比べてもかえって水中の謎をどんどん解き明かし、海の神秘性を希薄なものにしていった。

自分の中で「月の光」こそが全てを映し出すものだというイメージが、釣りでの経験によって培われたような気がするが、そんなイメージがあったことを思い出し、今回はそれを川というフィールドで、砂防ダムの音楽に利用してやろうと考えたのだった。

2020年5月の満月は7日だったことを同月14日に気が付いた。それならば次のチャンスは翌月6日だ!

6月6日、伊豆縦貫道。大仁料金所前。

迎えた6月6日

6月6日、午後5時すぎに沼津市内の自宅を出発。伊豆縦貫道を経由し、一路猫越川に向かった。その自宅を出る際、気になったのが空模様。空はねずみ色の雲に覆われ、とてもじゃないが満月の夜の世界など想像することが出来なかった。

それでも、これは沼津市内でのこと。伊豆半島という別地へ行けば悪天候も良いように変わってくれるだろうと希望的観測に全てを委ね、祈るような思いで車を南に向かって走らせた。伊豆中央道、修善寺道路、大平IC、旭日橋、矢熊、市山と進む間も常に、晴れることを信じて走り続けた。

途中、天城湯ヶ島のセブンイレブンに寄る。買い物の所要時間があった分、期待させてもらったが、結局入った時と出た時で空は何一つ変わっていなかった。数分程度では当たり前であろう。ワラにもすがるとはこのことか?

本当に嫌な予感しか無い。そしてそのまま車に乗り込み、湯ヶ島温泉街を抜け、水抜橋も渡ってしまった。猫2はもう近い。

橋を渡って丁字路。迷わず猫越川とは逆方向の右に向かって折れる。
―うぅ・・・、今から持越のCに肝試しに行ってくるから、ここへ戻ってきた頃には煌々の月明かりで照らしてくれておくれ。―
と、持越川方面に車を向けたのだった。

煌々の月明かりで照らされる。という前提で行動しているはずなのに、肝試しをしに行くというちぐはぐさ。支離滅裂の思考になるほど追い詰められていた。

そして迎えた時刻は午後7時半。段階的に暗さを増し続ける空が、ある一定のところでキープされるのだろうとその瞬間を待ち続けていたら、空は無情にもそのまま闇夜の領域に突入してしまった。

本当に真っ暗で怖すぎるCの前で記念撮影をしてから水抜橋に戻ったが、やはり暗すぎる。これではダメだ・・・。猫2そのものにも行く気になれず、橋を渡って引き返した。

そしてそのまま湯ヶ島温泉に行き、中止になったはずの「湯ヶ島ほたる祭り」を多くの観光客と一緒に見学した(人が多くて結局お祭り状態だった。)のち、共同浴場の「河鹿の湯」に浸かって家路に就いた。

河鹿の湯

ゲーム

それから4日後の6月10日。気象庁が東海地方の梅雨入りを発表したその日、今度こそはと猫2に入った。午後5時すぎにホームセンターを出発し、足澤橋手前の三叉路に車を停めたのが午後6時半。そこから歩いてやはり10分で猫2の堤体へ。

この日は曇りどころか雨が降っていた。6日よりもさらなる悪天候。今日はどうなるか?

とりあえずは「夕方~暗くなるまで」という時間的限定を設けて、思いきりエンジョイするつもりで入渓した。どの程度暗くなるまでかは、具体的に決めていない中であったが、なんとかなるだろう・・・。

bluetoothスピーカーの電源を入れ、フーゴ・ヴォルフを選ぶ。落水の状態がドカンだからスピーカーの音量を上げて対処する。堤体の二階にポッカリ空間が出来ていて、そこに歌を乗せてやるつもりで声を放つ。音はドカンの堤体前空間の中で微かに響いているか、いないか程度に返ってくる。

パワーバランス的に言ってこれくらいが丁度良い。これぞ砂防ダム音楽の楽しみだという力関係の中で“ゲーム”を展開した。猫越川中流域の分厚い流れの中で、自分の出せるかぎりの声を出す。大きな大きな水の塊に、自分の「歌」の相手をしてもらった。

しかしそんな一時も惜しいかな。楽しい時間はあっという間に過ぎるようで、あたりはどんどん暗くなる一方。時が止まらない。確実にせまり来る夜を待つ中でゲームを楽しんだ。

あたりが段々と暗くなってゆく。6日と同様、段階的に暗さを増し続ける空が、ある一定のところでキープされる・・・。なんてこともなく闇夜の領域に突入してしまった。

この日は堤体前で闇夜を迎えることになった。いつになったら帰ろうか?

堤体からの落水は相変わらず白く光っていた。闇夜の中でも落水は白には白で見ることが出来た。しかしその白は、おおよそ砂防ダムの音楽が出来る白とは違っていた。濃く、深く、重たい白で、昼間とは違う顔を見せてくれた。危険な白、息を止めようかという白、命を奪おうかという白であった。

帰ろう・・・。その白を見て思ったのだった。

堤体全景。

川下で遊び、川上で遊ぶ。

沼津市西浦河内を流れる西浦河内川。(十二田橋より)

6月4日午前11時すぎ、河内公民館前にて気温を測る。

29。5℃。暑い・・・。

日なたに居るのが辛い。渓畔林があるところに行こうと、公民館裏に避難を決める。

今日は公民館裏で歌うのか?

いや・・・。今日は釣りをしに来た。それはもう先月のことであるが、西浦河内川沿いで気になる看板を見つけたのだ。
「西浦河内川における魚介類採捕の制限について」

看板の内容は川の漁期を示している。アマゴ釣りは3月1日~、アユ釣りは6月1日~、うけ禁止。投網、コロガシ禁止。入漁券の記述が無い事から、入川自体については自由に出来るようだ。

看板はずいぶん以前からあったようだが気がつかなかった。

一台のトラック

公民館裏にて入渓の準備をする。普段砂防ダム行脚に使用しているウエーダーを履き、そのほか準備を整える。暑いのにウエーダーなんて履くか?と言われそうだが、大小の川石はツルツルの藻でびっしりで、その上をサンダル履きで歩き回るのはどう考えたって賢明で無い。

ここは公民館の真裏。公民館の隣には民家。滑って、転んでバシャーン!では迷惑が掛かってしまう。
道楽モノは静かに遊んでいたいのだ。

ふと見れば、公民館の駐車場に一台のトラックが入ってきた。そして駐車場のド真ん中に車を停め、サイドブレーキを引く音。えっ、漁協の人?

いやいや、車から降りてきたのはゴミ出しに来た農家風の女性。あたまには大きなリボンの麦わら帽子を被り、長袖、長ズボンに長靴、口にはマスクをしている。まさに農家の女性のデフォルトスタイル。
ここでは“農家”じゃ足りないか?“ミカン農家”の女性が正しい。

大変な土地に嫁ぎましたな。ミカン栽培は農薬が大変でしょう?

公民館裏のゴミ捨て場

入水!

女性はゴミを出し終えると、すぐさま出て行ってしまった。もう昼も近かったから農作業の合間の時間であったか?こんなに暑いのに大変だなと思いつつ、自分は今日ここでケガせぬようにと集中する。

川に入るには2メートル程度の段差を降りる必要があるため、公民館裏の護岸に打ち込んであるハシゴを利用する。今日はバケツやら、エサのミミズやら釣竿やらで道具が多い。それらを何回かに分けて運ぶとようやく川の中に降りることが出来た。

そして、まずやったこと。
入水!
ウエーダーの気密性から来る風通しの悪さ、それに伴う暑さからはようやく解放された。数分ぐらいはただただそれが嬉しくて、意味も無く水中をバシャバシャしていた。そうしていると今度は、適温ぐらいになってくれてむしろ気持ちよくなってきた。

測ってみれば水温は19.5℃。これは涼しい。上から垂れ下がる渓畔林のおかげもあると思う。来て良かった!


釣りの仕掛けをセットする。竿というよりロッドはバス用の1.8メートル。ベイトキャスティングリールを付けて、糸の先には大きめの袖針をセットする。ハリスは1号。針の上10センチほどのところにガン玉を一つ付けてとりあえずはミミズがちゃんと沈んでくれるようにする。

・・・、
どう考えてもアマゴにはたどり着けないであろう太仕掛け&ショートロッド。竿は家にあった適当なものを持ってきた。リールも同様。
港町の男は適当な釣り具で魚捕りをするのだ!という訳の分からない持論を呟きつつ釣りを開始する。

大きな川石の下のえぐれたところに狙いを定め、ミミズを落としてゆく。何も反応が無ければ次の川石の下、また次、その次とテンポ良く探ってゆく。

上から垂れ下がる木の下、涼しく快適な環境の中で水中生物たちと遊んだ。

釣果の程は、バス用ミディアムライトアクションのロッドが小物どものアタリを見事に弾き弾きで苦戦を強いられる中、なんとか3匹のテナガエビと1匹のオオヨシノボリを引っこ抜いて完結。納竿となった。

河内公民館前にて気温を測る。
川石の下を探る。
このあと川にお還りいただいた。

「市民の森」

午後3時すぎ、車に戻り、いったん内浦三津のコンビニに立ち寄ったあと、再び西浦河内を登り始める。向かう先は沼津市市民の森駐車場。ミカン畑を抜け、集落を抜け、そしてまたミカン畑、さらにミカン畑を抜けるとようやく広葉樹の森が広がり、それも抜けて市民の森駐車場にたどり着く事が出来た。

駐車場に車を停め、早速おりる。暑さもだいぶ和らいだ。気温は20℃。

まずは虫除けスプレーを肌が露出しているところに噴きかけ、しっかりすりこむ。これをやっておくことで害虫から身を守る事ができる。(一応、ここの“注意喚起”に準じて対策施したつもり。)

それからウエーダーを履き、フローティングベスト、帽子といつも通り準備する。もう夕方になってくれたおかげもあって、ウエーダースタイルでも暑く無い。さて、今から向かう先は市民の森入り口の橋から上流100メートルほどにある堰堤である。

おあつらえ沢に降りられそうなところを見つけ入渓すると、すぐに堰堤にたどり着く事が出来た。
堤高は5メートルほど。堤体の横幅を示す堤長も土に隠れて正確には分からないが、10メートルちょっとといった程度であろう。さほど大きな堰堤でも無い。

堤体の水裏(手前側の壁面)には正方形断面、長方形断面で出来たジグソーパズルのような模様が入っており、その断面の四角形に水がまとわりつくようにしながら落水をしている。

「市民の森仕様」いかにも。

設計会社、建設会社による景観配慮型デザインは渾身の力作であろうか?

さて、歌のほうであるが堤体左右を取り巻く渓畔林は幹の細い広葉樹中心に構成されており、音がそれらに絡みつくようにしてから(イメージだが、)抜けてくれる。特にジグソーパズルのような水裏はその壁にぶつかった音を横方向にも縦方向にもかなり放出するようで、一つの堤体前空間としてはかなり良く響く。

音響的には申し分ない。そして歌い手の立場として言ってもこの場所は大変に歌いやすい。

これは常々のことだが、歌というものは上手であれ、下手であれ、「歌」という一つの文化を取り扱っていると思っている。その文化の活動の支えとなる公共施設の存在は大変にありがたい。これまでキャンプファイアーなり各種ミーティングなりで多くの人々の「声」を受けてきた森に、今日は自分の歌声を受けてもらっている。


なんだかベテラン教師に自分の歌声を聞いてもらっているような安心感と、しかもそれが学校のような教育施設でやっているオフィシャル感があるところ、それがいつもの堤体と違う。たまにはこんな場所での歌もある。

リラックスしつつ、音楽を楽しむことができた。

ちなみにここは西浦河内川の上流域にあたるところ。同じ川で遊んでいた。
川下で遊び、川上で遊ぶ。そんな一日だった。

市民の森へは公式ルートで。
一帯はミカン畑ばかり
公式ルートでも見通し悪い所が多数。安全運転を。
タニウツギ
ヒメコウゾ
ガクウツギ
ミツバウツギ
エゴノキ
モリアオガエルの卵が、
べちょべちょ
堤体全景。