楽しい半ドンの一日

袋を開けてガリガリと。

半ドンの頃が懐かしい。

半ドンとは土曜日に午前中だけ会社や学校に行き、仕事や勉強を行うこと。午後は業務外時間や放課後となるので自由に過ごせる。かつては土曜日も学校に通っていたことを思い出した。

まず半ドンの土曜日というのは、ワクワク感に満ちている。午前中は学校へ行き、1限から3限まで勉強をすればいい。たったの3限で学校から帰れるということ。そして学校内にいる時間中はいろんな友達に会うことが出来る。

3限の授業で勉強を終え、クラスで帰りの会をしたのち下校。まだ、自分の真上に位置する太陽の射光に照らされながら、家までの道のりを歩く。通学路には虫や草や川などさまざまな誘惑がノキを連ねるが、今日はその誘惑にはハマらない。

まだ、昼ご飯を食べていないのだ。

自分もそうだしまわりの友達も、大声ではしゃぎながら前を見たり後ろを見たりなのだが、体はつねに家の方向に向かって動いている。そんなにも家路を急ぐのは腹が減っている半分、遅れたら親に怒られるからであろう。

家では母親の作った飯が待っていて、そのあとには午後の自由な時間が待っていて、しかも日はまだ高い。いっぱい遊べる。

なんというワクワク感の連続。

半ドンは第2土曜日だけ全休とか第4土曜日も全休とか、紆余曲折へながら義務教育の9年間、そのあと高校3年までつづいた。

あまからや店内。扇風機、カキノキ、アジサイ、シャクナゲ

半ドンの日の昼メシ

7月25日土曜日、中伊豆「あまからや」で昼メシを食べようということで自宅を出た。

この日の天気は大雨。さすがに今日は砂防ダムには行くまいと腹をくくったが、せめて昼メシだけでも“いいところ”に行こうと中伊豆まで赴くことにした。

朝は当ブログに下書きを寄稿し、そのあと午前10時に自宅を出発。出発時間が妙に早いのは例のウイルスの影響をみたから。開店時間すぐに店に入って早めに食事を済ませたい。それでもこの日は静浦~長岡北~熊坂~横瀬のゆとりルートで中伊豆を目指す。

店の前の駐車場に到着したのは、午前11時すぎ。自分は一番手では無く、もうすでに横浜ナンバーのハリアーが停められていた。自分も駐車場に車を停め、さっそく店に入る。

民家のお宅の引き戸をサーッと開けると「いらっしゃいませ」の声。

ここは民家系(って言葉はあるのか?)のラーメン屋である。引き戸を開けてすぐには10坪くらいの土間があって、その土間の左側に一段上がって畳の敷かれた座敷、それが合計3部屋ほど。それぞれには複数台の座卓、座布団が備えられている。

一番手前側の座敷に案内され、ラーメンを注文するとすぐにそれが出てきた。

久しぶりにありつけた味に夢中になって麺をすする。

畳の部屋、座卓に座布団、ラーメン。

小学校の頃に母親の作ってくれていた半ドンの日の昼メシを思い出す。

夢中になってすすったラーメンはものの数分で平らげた。この頃になると後発の客が続々と来店し始めたので、代金を払ってそそくさと店を出る。

時刻はまだ正午前。

ガリガリ。ガリガリ。

さて、今日は昼飯だけで十分だと、直で帰ることにした。

中伊豆路、増水する大見川を見ながら北に向かって走る。

アイスでも食うか?

中伊豆八幡(はつま)の三叉路信号を過ぎてすぐのローソンに立ち寄る。店内のショーケースの中でひときわ光っていたボウズ頭を選び抜き、それだけ持ってレジへ。
会計を済ませ、店を出て車中に戻る。

袋を開けてガリガリと。

ガリガリ。ガリガリ。

ガリガリしていた錯覚か、車の屋根を叩いていた大雨が弱まってきたような気がした。

・・・。

行くか?

車を再び八幡の三叉路信号に向け、左を選択。八幡東の信号を過ぎ、伊豆スカイライン冷川IC前を右ななめ前方にクリアー、冷川大橋を渡って信号を右に。徳永川を平行にして登り、冷川トンネル前を直進。中伊豆グリーンクラブ前も通り過ぎてカジカ沢に架かる大幡野橋を渡り、およそ200メートルで市野沢橋直前、運転席から見て右側に「徳永第3砂防ダム」が姿を現した。

徳永第3砂防ダム

こりゃあダメだ・・・。

雨の日にこの場所に来たのは初めて。
堤体は4階建てになっていて2階と3階から落水をしている。

この場所に来る前のイメージであるが、4階部分から今季の長梅雨と当日の大雨の影響によって落水しているのでは?と踏んでいた。
4→3・3→2・2→1階の大迫力、3段の落水を想像していたということ。しかし、最上段の4階は当日までの大雨にはビクともせず、3・2階だけの落水によって梅雨の襲撃を軽々とあしらっていた。

よし。

車から降りて、まずは上下にレインスーツを着こむ。あとはbluetoothスピーカーと曲のデータが入っているボイスレコーダーを持ち、さらにVメガホンをセットして堤体前の小さな広場に立つ。

落水の最上部が低めなのは、専門的に言って「目のやり場に困る」ところであるが、それでも最上段4階部分にある鋼製スリットを意識するようにして、なるべく高いところめがけて声を放つ。

ブー!!!バシャバシャバシャ・・・

ん?

音がした方向をふと振り返ると、雨の中を猛スピードで走り抜けていく車。
気にせず続けようと思ったが、またしても

バシャバシャバシャ・・・

立ち位置の後方を走る県道112号線は中伊豆~伊東市南部方面の抜け道である。しかもこの日は土曜日ということもあって、普段よりも交通量が多い。

こりゃあダメだ・・・。

ここがイメージと違った。
歌い始めたものの・・・
堤体前に立てられた看板。2017年4月撮影。

急きょ新規開拓に

こんなところでは、音楽に集中出来ないとその場をあきらめることにした。

さて、どうするか?巻くか?

時刻は午後2時。未開の地に入ることには不安も感じたが、急きょ新規開拓に取りかかることで決定した。

レインスーツをズボン側だけ脱ぎ、ウエーダーに履き替える。上半身にはやはりフローティングベストを装着し、手には愛用のウォーキングポールを握りしめた。

辺りを見回すと堤体に向かって右側に材木置き場のような広いスペースがあり、その奥に林道の登り坂が見えた。
しかも、どうやら林道は堤体の方向に向かって伸びているようす。さっそくその坂を登り始めると、なんともあっけなく堤体を巻けてしまった。しかも階段がある。

堤体の水裏側(さきほど眺めていた側)に付けられたその階段をまずは降りると、堤体が透過型として機能していることを確認。これならば落水は臨めないのだと納得。つづいて本題となる水表側への進入を試みる。

すると、今度は釣り人が付けたと思われる道を発見することが出来た。それを伝って渓まで降りることに成功。早速、遡行を開始する。

渓は若干にごっている。雨水が針葉樹の森からの山土を幾ぶん運んでいるようで、源流部と言って良いだろう徳永川の水から透明という色を奪っている。

堤体を探しているため、視線は足元を見たり前を見たりで交互に。
そんな手探り状態での遡行だったが、歩きはじめて15分。徳永第3砂防ダムを巻いてまだ1キロも歩いていないだろうという地点、なんと落水する堤体を発見した。

4階部分は水抜き穴から抜けていた。
銘板

庭師ごっこ

堤体の規模は堤高5メートルにも満たない小さな堰堤。それでも、手前側には小さな小さな副堤が付いていて、本堤の落水を援護するように音を奏でている。

下流部に位置する堤体、徳永第3砂防ダムに比べれば堤高の迫力には劣るが、こちらはしっかりとその最上段から落水している。しかも手前側にはヒノキの人工林が広がっていて、渓畔林としての一つの機能「暗がり」を提供してくれており、明暗のコントラストがしっかりとしている。

さきほどは「目のやり場に困る」などという状況であったが、こちらについてはそんな心配は無用である。むしろ、雨天という悪条件の中でこれだけの明暗のコントラストを出すことのできる堤体というのは貴重な存在であると思った。

bluetoothスピーカーの電源を入れ、フーゴ・ヴォルフの「庭師」を選ぶ。庭師の庭は城の姫に仕えた、馬がポッカポッカ歩くような庭のことで、こんな山奥のヒノキ林とは意味合い的に全然ちがっているのだが、

Nimm tausend für eine, Nimm alle dafür!(お取りください、1000の花を。お取りください、ここにある全てを!)という庭師の、切なる願いを込めて歌うあたりはシチュエーション的にあっていると思う。

堤体の上に(光るほどに美しい)お姫様が白馬に跨がってそこにいると見立て、その光に向かって思いっきり気持ちを込めて歌ったらめちゃくちゃ楽しかった!

思えば今日は大雨の中、中伊豆に昼メシを食いに来ただけであった。それが、旧知の砂防ダムの今日の状態を知ることになったり、その上にある知らなかった堤体を見つける結果になったり。想像以上に今日という日を楽しく過ごすことが出来た。

帰る前に最後もう一回の「庭師」。

職人になったつもりで・・・、

庭師ごっこ。

楽しい半ドンの一日だった。

ヒノキ
アブラチャン
コナラ
流域全体にウツギが多かった。
堤体全景。

大好き河津町!vol.9

河津橋

7月23日午前9時すぎ、まずは河津橋を渡り下田市との境界にある大字「逆川(さかさがわ)」を目指す。

橋を渡った直後には白地に赤文字で「大型車通行困難」の大きな看板。
この道は国道(414号線)と言うわりには道幅が狭いので、事前に案内看板が掲げられている。

幅員は狭いところで普通乗用車1.5台分ほど。非常に走りづらさを伴う道ではあるが、これが南伊豆地方の最大都市「下田市」につづく重要ルートだということもあって、交通量は決して少なくはない。

天川洞門をくぐり抜け、右に左にうねる道を抜けると、ようやくの分岐点。緊張感が解放されるのは「河津バガテル公園」の可憐な看板が目に入ってきたからでもあると思うが、それ以上に片側1車線という、十分な幅員区間にやっと入ることができたという安堵感にホッとしたためである。

ここからは河津バガテル公園前の急坂を登ってきたトラックを引き連れ、旧モーテル峰山前を通過。峰山トンネルをくぐればそこから先は下り坂となる。道路の路肩下を流れる稲梓川を見ながら坂を下っていくと、突如いなかの里山風景が乱れ、建設重機、ダンプカーが踊る土木開発地帯に突入した。

車から降り、背後くだってきた坂の方向を見れば稲梓川には太く立派な橋、さらにその先には真っ暗なトンネルがポカンと口を開けていた。

道は幅員狭し。
天川洞門
天川洞門前には注意喚起の電光掲示板。
河津トンネル逆川地区工事(開通後は伊豆縦貫道の一部区間に。)

最新鋭!

トンネルの入り口上には「河津トンネル逆川地区工事」の文字。同トンネルは現在地である河津町逆川より河津町小鍋へと抜ける予定らしい。

目下、鋭意開発中の伊豆縦貫道については、その最終地点となる下田市まで、出来うる限りの短縮ルートを取る必要があるため、一部区間において“山を掘り進める”という行為がなされている。これは河津町内の話しでは無いが、最きん開通した事例として、伊豆市天城北道路の佐野トンネル、雲金トンネルなどがある。

伊豆半島を南北に横断する道路を開通させるという目的の中で、伊豆の山々の存在は避けては通れない。

通常であれば目の前に立ちはだかる山に対して、現在利用している先人たちの遺産「旧道」を改良することで道路を整備していけばいいのであるが・・・。まぁ、

そうはならない。

車が走りやすいよう道路の線形を直線的にしたり、通過時間短縮の大義を達成するために経路を短くしたり、何より先住の地域住民の村家を守ったり、交通安全上の問題があったりする中で、旧道を改良するだけではそれらの用件をすべて満たすことが難しくなって来ているからだ。

そんなわけで、旧道を改良する。というよりも、その旧道から少し離れたところに“新しい道”を作ってしまおうという計画が生まれ、事業化ということになってくる。

では、

目の前に立ちはだかる山に対して、みどり色濃き森の木々を線形に刈り込んでいき「21世紀峠」を作れるものなのか?

開発中に木を切れば自然破壊だと罵られ、山の景観が道路の登場によって損なわれたとこれまた罵られ、道路が完成したとしても土砂崩れによるリスクがあったりで、開発の許可を出した当事者は散々な!?目に遭う事をお忘れ無く。

どうやら「21世紀峠」というのは難しいらしい。

では、どうすれば?

・・・?なんだか眠たくなってきた。

「トンネルを掘ればいいじゃない!
最新鋭の建設機械で、最新鋭の建設技術で、最新鋭を知る大手建設会社や大学のセンセイの指導でトンネルを掘りましょうよ!経済大国の日本なら、トンネルを掘る道具も技術も世界トップクラスに違いないでしょ。トンネルを掘って全て解決。やった。バンザーイ!」

!!!

ふと我に返る。私の眼前には懸命に働く建設重機、せかせかと土砂を運ぶダンプカーの姿。

おや、この山も・・・、

「最新鋭!最新鋭!」のかけ声で、穴を掘り進められていくのか?

しばらく工事の様子を見学したのち、逆川をあとにしたのが午前10時。

小鍋側の様子もうかがいに。

電波塔

その後、河津トンネルの開通先となる予定の河津町小鍋も見に行ったあと塩田屋で弁当を買い、国道414号線を新天城トンネル方面に向かって登った。河津七滝ループ橋、登尾トンネル、鍋失(なべうしない)トンネルを抜け、道路は東方向に大きくカーブ。「鍋失高架橋」を渡り終えたら右折する。

そのまままっすぐ走って携帯電話の電波塔を見つけたら、路肩に車を駐車する。ここが本日の入り口。

まずは先ほど塩田屋で購入した弁当を食べ、それから仮眠を取る。

つかの間の時が過ぎ、午前11時。ようやく眠気が取れたところで車を降り、準備を整える。今日これから歩く道は旧天城街道の廃道であるが、ここのところの雨によってぬかるんでいる可能性があるためウエーダーを履く。

そして旧天城街道の現道路から廃道区間に足を踏み入れることが出来たのが午前11時半。まずは直後にあるNTTドコモ電波塔のフェンス外ひだり側を通過する。

こういった施設の法律的なもの、土地の所有権のことはわからない。しかし、目の前にあるのは、“廃道”という字のごとく廃れた道と、現代社会の生活を生きていく上で無くてはならない先端ツールをささえる電波塔基地である。両者の時間的対比の大きさがもの凄い。

今日もご苦労様です。

電波塔をこえると樹木の回廊のような道が姿を現した。

ここで曲がる。
電柱と石の間が入り口。
電波塔の先の様子。

そして梅雨どきなのに

廃道を歩き進める。直後にはまたしても電波塔。取り付けられている看板の表記を見れば設置者はKDDIとある。先ほどのNTTドコモとはまた別な事業者のものだ。

廃道の活用方法として携帯電話の電波塔を立てるという行為はスタンダードなのか?土地を有効活用しているという反面、これに閉ざされて道は現役復帰の可能性を失ってしまっているところには残念さも感じる。

KDDIの電波塔も越えると、本格的に廃道っぽくなってきた。道の現役生活終了後に生えてきたと思われる樹木が見られるようになってきたからだ。道の中央にデーン!となんの遠慮も無く定位している。

ヨォ、偉いもんだな、お兄ちゃん。

現国道にある鍋失トンネルの開通年が昭和54年というから、ここに生える木はそれほど大先輩では無さそう。むしろ、年下かも知れない。また、道の中央からほぼ垂直に天に向かって伸びるケヤキの木などは人工的に植樹されたものなのかも知れない。

アスファルトが比較的きれいにハツリされていて、これが木の根の力によるものなのか?人工的な手助けによるものなのかがわからない。いずれにしても砂防効果や土砂災害予防効果は一定程度認められることと思う。

そして梅雨どきなのに完全に伏流してしまっている谷止工なども見ながら、ようやく現国道414号線鍋失トンネル南側口の前に出られたのが午後1時過ぎ。

道を塞ぐ樹木。
鍋失トンネル北側口を眼下に見る。
谷止工は落水みられず。
シラキ
鍋失トンネル南側口

最近のことだ。

国道414号線を注意しながら渡りきり、高さ2メートルくらいのコンクリート壁を越えると小さな沼が現れた。沼にはバシャバシャと水を供給する滝が見られる。沼を越え、その滝を登る。滝はナメ滝なので直登ではない。

午後1時半、ナメ滝を登りきるとようやくの目的地。水が極めて少ない。堤体の放水路天端下が申し訳程度にテカっている。

堤高は5メートルほど。しかし、立ち位置から見て斜め上方に位置する堤体は、基礎部分が自身の頭上よりも随分高い位置にある。堤高5メートルであったとしても“見かけ高さ”としては15メートル以上にもすることが出来、それを見上げて歌う楽しさが味わえる。

立ち位置を後退させればさせるほど、堤体の天端を高い位置に見ることができるのだ。

bluetoothスピーカーの電源を入れ、シューマンのMeine Roseを選ぶ。この曲はとても深い、人の心の悲しみをうたった歌である。とても美しくて、でも詩は深くて、生半可な気持ちでこの曲に取りかかるのは不謹慎だとさえも思っているのだが、

自然発生的に歌いたくなったための選曲。

聴衆を前に歌うという、現状一般的な環境ではMeine Roseは(自分自身としては)絶対にあり得ない曲だと思っている。歌い手による歌い手のための歌「砂防ダムの音楽」であるからこその選曲が出来た。

こうして、この日もまた砂防ダム音楽を楽しんだのであった。

ちなみに、この場所は今月の10日にも来ている。その時は画像が示すとおり7月23日よりもしっかりと水が流れている。いずれの日も梅雨期間中。およそ2週間という期間はけっして短いわけでは無いが、どうであろう?落水が不安定ではないかと思う。

堤体の直下すぐ西側には鍋失トンネルが掘られていて???

まだ、そういうことは断言するべきでは無いと思っているが、山の水の流れというのは単純では無いことを最近のマスコミ報道でいろいろ勉強させてもらっている。

砂防ダム音楽家として、河津町ふくめ伊豆半島各地のことを心配するようになったのは最近のことだ。

登尾沢第2号コンクリート谷止
画像左カジノキ属(不明)、画像右タマアジサイ
サカキ
シラカシ
立ち位置右横にも沢が流れている。
7月10日撮影
7月23日撮影

メガソーラー発電所

「森山君、コレ・・・」
と言って渡されたのはどんな用紙だったかまでは覚えていないのだが、自分の名前を記入したことは覚えている。

依頼主は私の敬愛するH女史。
「今度ねぇ、函南(かんなみ)町にメガソーラー発電所の建設が予定されていて・・・」

話しを始めたH女史の口から、突じょ市民活動的な内容がこぼれてきたことについては心底驚いたが、話しを聞き進めるうち、どうやら話しの出どころはH女史本人なのでは無く、H女史が普段やっているクラブ活動の師匠によるものだということが判明した。

話しは店の勤務が終わっての時間帯、ちょっと忙しい夕方でのこと。

それほど深い意味合いも考えず、H女史から手渡された署名用紙に急ぎで名前を記入し、そそくさとその場を立ち去ったものの、話しの中に出てきた「軽井沢」については悲しいかな、私の脳の中の“重要案件取り扱い欄”に完全にインプットされてしまった。

―いやいやH女史、余計なことを言わなさんな・・・。―

自分の中ではこのあとの展開が予測出来ていた。

―まあねぇ・・・、函南だったらそんなに遠くは無いけどなぁ。―

不惑に陥る、ちょうど一年前の私。その日の天気がどうだったかまでは覚えていない。

やっぱりこうなる・・・。

野次馬

変わって翌日、天気はくもり。一転して天気の確かな記憶があるのは当日に外出をしているから。外出先はもちろん、

田方郡函南町軽井沢。

地図をたよりに、スマートフォンをたよりに、メガソーラー発電所の建設予定地を目指した。

ちなみに当初、私の予想した現場というのは、
「建設、断固反対!」とか「メガソーラー発電所を作るな!」といった非常に物々しい横断幕が踊る建設予定地だったが、じっさい現場に行ってみると非常に静かな、何事もないただの山林が当地にはあった。(横断幕も無かった。)

唯一というか、特徴があるとすればジメジメとした梅雨時期ならではの山林。建設重機の動く音などすることも無く、ひっそりと静まりかえっている。時折耳に入ってくるのは鳥の鳴き声。

本当になにも無い薄暗い山の中の林を見たのだった。

さて、帰るか・・・、それにしても・・・、

この日、建設予定地のことよりも気になったのが現場に行くまでに使った道路。ファミリーマートのある「平井」の信号から左折し、熱海峠に向かうかたちで軽井沢を目指したのだが、アップダウンの激しい道でカーブはそこかしこに、という道のり。非常に見通しの悪い道を走るハメになった。

これじゃあ、いつ事故ってもおかしくないな・・・。

全くもって地元の慣れた人向けの道に踏み込んでしまったのだと後悔。なんと言っても、自分自身はメガソーラー発電所の建設予定地を見に来ただけの野次馬である。厄介な事を起こして地元住民に迷惑を掛けてはいけないと、帰りは熱函道路(静岡県道11号線熱海函南線のバイパス道路)をなるべく多く使用するルートを模索し、より安全なルートを確保したのち帰路に就いたのだった。

これは昨年、軽井沢で撮った画像。

梅雨のゲームプラン

早いものでそれから1年。

軽井沢のメガソーラー問題がいまだ解決にいたってないということは、報道各社の記事によってすでに把握しているが、実際の現地では何が起きているのか?ということが気になっていた。

自身のスケジュールを確認し、行けると踏んだ日付は7月13日。一年前、函南町軽井沢を訪れた、その前々日にあたる日である。

日付は決まった。あとは行くだけ。ゆいいつ心配なことと言えばやはり、

雨。

それではと今回はメガソーラー発電所建設予定地に入るより前に、「堤体に入ること」を条件とし、現地に入ることで調整。

いくら何でも、歌は外せないでしょ!

どうやら梅雨の時期は、空模様により気をつけながらゲームプランを立てなければいけないようである。

あの橋の奥に堤体がある。

周回道路

7月13日、午前8時すぎ。沼津市内の自宅を出発。まずは、国道1号線で三島市内まで向かい、南二日町ICにて国道136号線に切り替える。
南進し、大場川にかかる「大場川橋」を渡れば、ひとまずの函南町入り。

その直後に現れる「大場川南」信号より伊豆縦貫道のガード下に沿って走り、ショッピングセンターLUPIA入り口の直後に現れる交差点名は「大土肥」。その次が「熱函入口」(なんとストレートなネーミング!)。

ここを右折するかたちで県道11号線に切り替えると、あとはひたすら道なりに進む。

軽井沢への行き方であるが、ポイントとなるのは2軒のファミリーマート。手前側の店舗「函南平井店」側でバイパスを降りてしまうと、前回同様の失敗を経験するハメになる。

そのままバイパスを降りることなく我慢し、以降4キロほど先にある「函南丹那店」直前の丁字路にてようやくバイパスを降りる。
降りた先にはほどなくして一時停止の丁字路を迎えるが、その左右を形成する道は丹那盆地の周回道路(1周約3.3キロ)。

周回道路の内側にはほとんど田畑しか無くて、逆にその外側は山を背負うかたちで民家や当地の基幹産業、酪農牛舎などがある。

当日はまず堤体に入る予定だったため、周回道路を反時計回りに進んだ。

そして今回入渓した沢であるが「小谷之沢」という沢で、周回道路より画像Ⓐ→Ⓑ→Ⓒ→Ⓓの順路で進むと行くことが出来る。(画像は後日撮影したもの。)林道は特にあかみち等では無いが、地元民に出会ったら一声掛けて。当日も畑仕事をする方とすれ違ったため、いったん車を停止させ、堤体に行くことを告げてから再発進し、山に向かって登った。

林道を進み、小谷之沢橋の下に車を停め、歩いて堤体前に下りたのが午前11時のこと。

Ⓐため池の前で右折
Ⓑ左折し、橋を渡る。
Ⓒ石垣の切れ目を右折。
ⒹY字は右側に。
小谷之沢橋

アジサイの花

歌を楽しんだあと、退渓したのが午後1時半。これからメガソーラー発電所の建設予定地を目指して走る。

周回道路まで下り、今度は時計回りに進んだのち、酪農王国オラッチェ前、農協ガソリンスタンド前などを通り過ぎると、まもなくあらわれるY字分岐を左に逸れる。丹那盆地を離れるかたちで坂を登り、進んだ先に現れたのが軽井沢の集落。

メガソーラー発電所の建設予定地はこれよりさらに奥の山林地帯。止まること無く進む。

やがて進んだ先に現れた看板には「好評販売中 宝谷山南箱根墓苑」の文字。道路は東向きに大きくカーブし、そのカーブの途中、前方まっすぐを見ればスギの生える人工林。

ようやく現れた建設予定地。

昨年来た時と何か変わったところはあるかと確かめたが、特に変化は無い様子。

そこにあるのは昨年と変わらずジメジメとした梅雨時期ならではの山林。建設重機の動く音などもちろんすること無く、ひっそりと静まりかえっている。時折耳に入ってくるのは鳥の鳴き声。

それでもなにか無いものかと、さらに奥につづく薄暗い林の下の道路も抜け、熱海峠まで探ってみた。しかしながら、メガソーラー発電所の建設に関するものは一切見つけることが出来なかった。
見つけられることが出来たとすれば、

道ばたに横たわる一本の木に付いたアジサイの花。

そういえば・・・。

鮮やかな青

そういえば、去年もここにアジサイの花があった。(間違いない!)花は建設予定地となる林の道路挟んで反対側の道ばたに。

光るようなその青色がとても美しい。

強烈な色でその個性を主張してくれていたので、一年経った今の今まで覚えていることが出来た。
こんなにも人間を惹きつける絶大なアピール力。薄暗い林の下で鮮やかな青を発色させるその姿を見たのだった。

それにしてもこのアジサイは、

自らの生える道路を挟んだ反対側は今、こんな大変な事になっているということを知っているのか?

???

知らないのか?

ただこの場所で一生懸命花を咲かせているだけ。そして、

この場所で生きたい。と思っているだけ、

まぁ・・・、それだけであろう。

そしてこの地でこれからどんな事が起こるのかは、われわれ人間側もほとんど誰も予想する事が出来ない。だがしかし、そんな中でも忘れてはならないだろう。「現状を変える。」ということ、それはわれわれ人間だけに及ぶ問題ではないということを。

では以後、ここにあるものは何か?

今のようにひっそりと静まりかえる林か?建設重機の鳴り響く山か?はたまたそれ以外のトンデモナイ出来事か?

薄暗い林の下でアジサイは見ている・・・。ということ。それをお忘れ無く。

以下、小谷之沢の樹木たち。ネムノキ。
アカメガシワ
ヌルデ
エノキ
堤体全景。

水恋鳥広場

伊豆市まるごとガイドMAP(表面)

月も変わり7月。

本格的に夏のシーズンを迎える。

そういえば先月、「呪文を唱える合唱曲」こと鮎の歌の取材で修善寺温泉に行った時、竹林の小径内にある観光案内所で「伊豆市まるごとガイドMAP」なるものをもらってきた。

伊豆のことをいろいろ調べたりしている自身にとって観光パンフレット一つでもそれはそれは貴重な情報源となる。特に伊豆市は、平成の大合併によって生まれた自治体で、大変に広い面積を有している〔県の面積の4.1%を占め、現在、浜松市・静岡市・川根本町に次いで4番目に広い基礎自治体である。Wikipediaより〕ため、その全てをうかがい知るということがなかなか難しい。

パンフレットは伊豆市観光協会発行ということで、単純に伊豆市の面白いところを選抜した内容になっており、通常のガイドブックに載らないような非常にローカルな内容も多く含まれている。

餅は餅屋・・・、というか観光情報に長けているのは、実際その土地に住んでいる人なのだということを改めて思った次第だ。

伊豆市まるごとガイドMAP(裏面)

めくって裏面

「伊豆市まるごとガイドMAP」をめくって裏面。上から修善寺、中伊豆、土肥、天城湯ヶ島と大きな字で書かれている。そう、これは伊豆市の合併前の自治体名、田方郡修善寺町、田方郡中伊豆町、田方郡土肥町、田方郡天城湯ヶ島町に分けてそれぞれ観光スポットを解説しているのだ。

そして、その合併前の自治体を解説しているのが伊豆市キャラクター「伊豆乃四姉妹」。それぞれ修善寺は長女、伊豆乃紫(いずのゆかり)、中伊豆は三女の伊豆乃翠(いずのみどり)、土肥は四女の伊豆乃桜(いずのさくら)、天城湯ヶ島は次女の伊豆乃葵(いずのあおい)が担当している。

もちろん春夏秋冬の四季に分けて紹介。

これは伊豆市という自治体が大変に自然豊かな環境にあることに起因している。やはり見どころと言ってもその多くは季節限定なのである。修善寺梅まつりを見るにしても、中伊豆で田植体験をするにしても、土肥でとびうおすくいをするにしても、時期が限定されている。

時期を限定して、一年のうちにその時しか楽しめないことを催すのは当地に住居を構えた地元民たち。

ふところ大きく、自分たちだけで無くよそから来た人たちにも喜んでもらおうと、各催しににそれぞれ「実行委員会」を設けて、組織をして、人員配備した現地で観光客を迎え撃つ。

人を迎える仕事は人がする。なんと素晴らしいことか!

今年の入り込み客数はどんなだと、期待にむね弾ませる・・・、

はずだった。

でもどうやら今期は、

非常に厳しいようである。

夏、川あそび

貴重な川の水遊びエリア

せめて川遊びくらいと思うのである。

7月5日早朝、伊豆市の水恋鳥広場に降り立った。ここは伊豆市旧天城湯ヶ島の大滝地区に作られた堤高4メートルほどの堰堤(個人的呼称はダイダルウエーブ堰堤)よりすぐ上流に設けられた、親水公園である。

流れる川は本谷川、与市坂川の2本。メインの流れとなる本谷川は狩野川本流の上流域での呼び名。流れは分厚い。
その分厚い流れにさらに加わるかたちで、与市坂川は合流している。

そして狩野川本流の上流域と言ってしまったとおり、ここは本来であれば分厚い流れがゴロゴロした石を叩くようにしてつづく渓流区間になるところなのであるが、※堰堤の滞留土砂によって川の勾配は緩やかになり、川の東岸側に幅の広い洲を形成している。

その洲を有効利用するかたちで作られたのは親水公園。

水恋鳥広場(みずこいどりひろば)と名付けられたこの親水公園は、バーベキューエリア、魚獲りエリア、野外ステージ、シャワー、トイレ、売店完備、ペットOKという完璧さ。そして、おそらく普通乗用車20台程度は軽々停められてしまうであろう駐車場を併設していると言えば、ここの洲の広さを想像してもらえるか?

伊豆市観光協会天城支部公認で、本谷川の清流をまるで流れるプールのごとく楽しむことが出来る。昨今の世の中で、水の事故が危険危険と言って禁止にもできるであろう、そんな中にあって認可をされた貴重な川の水遊びエリアがここにはあるのだ。

どうか、このようなアウトドアレジャースポットを有効活用することで、観光業の新しい未来を築いて行けないものかと考えていた矢先であった。

風通しの良さなんてバッチリでしょ。

それでも・・・、

今年は開催中止ということで、決定。

せめて川遊びくらいと思うのである。

※印は事実誤認の可能性あり。

水恋鳥広場(芝生面)、本谷川(中央)、与市坂川(右下)
川の勾配がゆるやかになるのは堰堤(水恋鳥流路工)の滞留土砂による効果。
予定では7月13日~で行くつもりだったよう。

堤体は与市坂川

堤体へは与市坂川を使って。

砂防ダム(与市阪砂防堰堤)は、国道414号線「猿橋」の上流約100メートルほどのところにある。
この堤体は落葉樹による渓畔林が濃く、ゆえにこれから夏のシーズンがおもしろい。

流れは一年通してしっかりしているが、特に今のような梅雨の時期が良いのでは?と思う。水質面を考慮しての判断だ。

与市坂のドカンに向かって声を響かせると、高さ3~4メートルほどの護岸が両岸に入っていて、声をカキーン!と返してくれる。

歌の鋭く響かせるようなフレーズ部分では、かなり楽しませてもらった。そういえば、今回は前回の「梅雨の工作大会」で作ったVメガホンを持ち込んだ。

使用感は上々。ドカンに対して、対抗出来るような武器を手に入れたことが心強い。


今回何かのきっかけで私のこのページにたどり着いてしまったというアナタ。伊豆の水恋鳥広場に行く機会がもしも設けられたら・・・、与市阪砂防堰堤を前に・・・、

大声で自分の大好きな歌を歌ってみて欲しい!

意外と、楽しいかも知れませんよ。

これを書いた現在は2020年7月。読んでいるその年は通常営業されますように。

猿橋
現在はこんなだが、冬~春シーズンは橋上から落水が臨める。
広場への入り口。
与市坂川に入った。
渓畔林はフサザクラ、アカメガシワ、ヤマグワ、ウツギ類など
崩落防止の護岸がしっかり入っている。
堤体全景。