大好き河津町!vol.11

登山道の入り口はこちら。

11月最後の砂防ダム行脚は賀茂郡河津町の奥原川。

そういえば今月は「水の防災」に関する安全講習を受けたりした。堤体を探して各地を歩いているが、その旅というのは常に無事故でありたいと思っている。

「観音山石仏群」を目指して歩いたのは11月12日のこと。

河津町の入町ルートのうち山ルートである国道414号線を河津七滝入り口から湯ヶ野方向に走って行くと、左手側に緑色の看板が目印「わさび処市山」という商店が目に入ってくるが、その直前にうっかりすれば通り過ぎてしまいそうな左折路がある。

ここで左に曲がると何とものどかな里山風景が現れる。このあたりは泉と呼ばれる地区でさらに行くと名前は変わって奥原。ワサビ田やミカンの木を見ながら田舎道をさらに奥へ進んでいくとやがて人家が無くなり、変わって「観音山石仏群」の看板が目につくようになる。

そのまま看板にしたがい、スギの林の下をさらに進んでいくと、やがて冒頭画像にあるような登山道を見つけることが出来る。車はその奥100メートルほど走ったところにある駐車スペースに。

11月12日はこの駐車スペースから登山道に入り、観音山石仏群まで歩いた。ちなみにこの日、堤体には入っていない。

後日入る予定であった奥原川への安全祈願ということでこの山を見守る仏にあいさつをしておこうという目的で当地を訪問したからだ。

車から降りて、その時点では寒くてフリースを着用。しかし、ほんの数十分後には暑くなってしまい結局脱いで上がることに。観音山石仏群まではおよそ1時間の行程であったがその間はほとんど登りの登山道を歩いた。

思うのは、ほかにブログで書いている方もいるが、仏を抱えてこの坂を登ったというのが大変な苦労であったということ。※上窟に11体、下窟に27体。まさに苦労の賜物。その姿をしっかり目に焼き付けてから、来た道を引き返した。

※観音山石仏群のその姿は河津町観光協会のホームページで見ることが出来ます。

観音山石仏群へは案内看板にしたがって進む。
登山道ははっきりしているところもあれば、
あまりはっきりしないところもある。
伏流沢を横切る。
しっかり目に焼き付けてきた。

竜爪橋

それから2週間後の11月26日。今度は本命の砂防ダム行脚。
午前7時20分。前回と同じ駐車スペースに停めた車から林道歩きをはじめる。

天候は晴れ。気温12.3度。決して温かいとは言えない温度であるが、前回同様アウターの中にフリースを着こんでいるため、気分的にはおっくうになること無くスタートが出来た。

およそ20分ほどで奥原川にかかる「竜爪橋」とその渡った先にある車止めのチェーンにさしかかる。ここでひとまず記念撮影。

ところで本日向かう堤体であるが、事前にグーグルマップで確認が取れている。林道はこのあとつづら折りの登坂路が続いてその後はほぼ直線的に北進。その先にまたつづら折りがあって終点を迎える。

終点の近辺には合計6基の堤体が確認できていた。
林道の終点付近に4基とそこから少し川を下ったところに2基。
まずは林道の終点を目指した。

竜爪橋(これだけ帰り道で撮影したもの。)
竜爪橋から。しっかり流れていたのでこの後の展開に期待した。
車止めのチェーン

遊び跡

ひたすら林道を登る。
今回も暑くなってフリースは途中で脱いだ。
観音山石仏群に行った時と決定的に異なるのは道が常にはっきりしているということ。キャタピラーでは無い、4輪タイヤ規格のはっきりした道が上へとつづく。

これなら迷うことは無い。

ただ、実際のところでその4輪の車が頻繁に出入りしているかというと、疑問が残る。
林道の一部に崩落ヵ所が見られ、道幅が狭くなっているところがあったからだ。狭くなった道幅の上にはタイヤ痕が無く、代わりにその近くのぬかるんだところにイノシシが遊んだような跡が見られた。(ヌタ場?とはまた違うような跡。)

どうやら、全くの人の気配を失った林道は野生動物の遊び場と化しているようで、林道終点までの区間、そのイノシシの遊び跡はコンスタントに現れ、おかげで歩きには終始退屈すること無く、最後まで登り切ることが出来た。

午前9時、林道の終点に到着。同時に1基の堤体を確認した。

イノシシの遊び跡がそこかしこに。
検定林看板。なぜか河津町だけにある。
廃棄された車が。トヨペット コロナマークⅡ
こちらはスバル レオーネツーリングワゴン
林道の終点で見ることが出来る1基目の堤体。
平成8年とまだまだ若い。

歩きには要注意

1基目の堤体を確認して以降、さらに周辺を散策。さらに上流側の2本の支沢で1基ずつ、合計2基の堤体を見ることが出来た。
堤体はどれもまだまだ若いというのが感想。

本体はまだあまり汚れていなく、白い。銘板を見れば平成8年~平成11年という建造年の浅さ。河床もまだまだ不安定で浮き石がゴロゴロしている。

若い堤体=歩きには要注意。

川沿いに出てからというもの、歩きに神経使ってくたびれた。
休憩を取ることに。
林道の終点にあって一番最初に確認した堤体「奥原川第5号コンクリート谷止」の上に腰掛け、遅めの朝食をいただく。

林道を持って上がった握り飯がうまい。
空からの陽気は大変に心地よく、さわやかな秋晴れの中の朝食であった。
普段は堤体下流の、どちらかと言えば湿気の多いところで過ごすことが多いが、たまには風通しの良い堤体上もいいものである。

太陽と風と落水の音を聞きながらしばらく過ごした。

こちらも林道終点からすぐの堤体。
こちらは最上流域に位置する堤体。

奥原川第1号コンクリート谷止

時刻は午前10時半、休憩を終えて渓を下流側に下ることに。
やはり不安定な河床の上を注意しながら下っていく。

残りの3基の堤体には順番におおよそ11時、11時半、12時と30分毎で出会うことができた。こちらもすべて平成生まれの若い堤体。
堤体本体は白く、渓畔林もあまり強くは無いため、空間的には非常に明るい。

自身としてはもっと堤体がドス黒く、渓畔林によって暗がりになってくれている方が好み。
ただし、これだけ林道を歩いてきた先、山奥にあることを考えれば周りの事を気にせず好き放題声を入れられる良さもある。
  
歌は最も下流側にあった「奥原川第1号コンクリート谷止」で楽しむことに。

堤体水裏には表面を薄く被さる程度の水が流れている。
左岸側にはシロダモ、カヤ、タニウツギ、アカメガシワ、さらにその外側にスギの人工林。右岸側には猛烈なハリエンジュ(ニセアカシア)の群生。

そんな感じで両岸ともに植物は生えているが、堤体空間前にグワーンと覆いかぶさるほどに伸びてくるような枝の勢いは無い。やはり立ち位置から堤体までの空間が明るい。

Vメガホンをセットし声を入れてみる。

声が溜まるような感覚が得られない。自身の口から放たれた声は堤体のコンクリートにぶつかってそっくりそのまま返ってきそうなところであるが、意外なくらいに空間に解き放たれてしまっていて、どんどんスリ抜けていく感じ。

まぁ、予想はしていたものだがここまでとは・・・。やはり砂防ダムの音楽に豊かな渓畔林は欠かせないのか?

その後、声の響きに関していろいろ検証したのち、午後1時に堤体前を離れた。帰りは右岸側で見つけたブルドーザーの道を上がって林道まで戻り、そこからおよそ50分ほどの行程で駐車スペースの車まで戻った。

心地のいい林道歩きであった。まぁ、音楽的には渋かったが・・・。

建造年の浅い堤体周辺は特に気をつける。
石がグラッと動きやすい。
歌は最も下流側にあった「奥原川第1号コンクリート谷止」で楽しむことに。
風は0.5m/sほど。
右岸側のハリエンジュが凄い。
カヤ(左岸側)
シロダモ(左岸側)
堤体全景。

持越川

なんだかドクタースランプアラレちゃんに出てきそうな車。

11月23日、午前8時。奇跡の店ことセブンイレブン天城湯ヶ島店でカップラーメンを購入する。
そのまま湯を入れず店を出て、車に乗り込む。国道414号線をあまご茶屋まで戻って左折。本日も猫越川沿いを走り抜ける。

途中にあるのは天城湯ヶ島温泉。
今年の夏、ホタルの舞う姿を鑑賞した「出合い橋」付近の今日はどうなっているのか?今週の天気のことが気になる。

目立って荒れたのは20日金曜日の風。そして前日22日にはあまり強くはないが雨が降った。
今はアレの季節だから・・・。

紅葉狩り


紅葉狩り。
古くは平安時代の貴族がはじめたのがのが起源という。当時の身なりで気温20度にも満たない寒空の下をたかだか木の葉のためによくも山行したなと、早くもアンダーウェア装着で完全装備の現代人は思っているが、その先人たちの苦労は脈々と受け継がれ、現代には「お金に変わる文化」となって、様々な分野で有効利用されている。

天城湯ヶ島温泉もまた。紅葉狩りの季節。であるから、そこに終止符を打つ荒天は不快でならない。

せっかく色づいた落葉樹の葉を吹き飛ばしたり、雨で叩いて枝から落としてしまう。
赤や黄色に色づいた紅葉の葉たちはまだ残っているのかと、今さら急いでもしょうが無いのだけれど急いだ。

出合い橋に寄ることもなく、あせび野、旧湯川屋、白雲楼といった銘館前を通過。前回左折した水抜橋を渡ったあとの丁字路。本日は県道59号線に沿う形で右折し、持越川を並行するように走った。やがて眼前に現れる「中外鉱業持越工場」を目指して。

午前8時半、工場の看板をようやく見ることが出来た。さらに進んで渡るのが持越川に架かる八千代橋。今回はこの八千代橋を起点として、その先約1キロ、宇久須沢林道の入り口Y字路までの区間を紅葉狩りスポットとして楽しむ予定。

工場付近はほとんど私有地で駐車できず。さらにソロリソロリと進んで「小沢橋」手前、道幅が広くなったところに車を駐車した。

八千代橋

針公混交ならでは

午前9時前、車を降りて辺りを散策する。
周辺には2基の堰堤と小さな滝があったりする。
主役の葉はどうか?

満開ではない。しかし、
美しい。
とくに良いのが針公混交、つまり針葉樹と広葉樹が混ざったところ。

持越川の川水によって散布されたか?イロハモミジがそのまま川沿いの低いところに根を下ろしているのがわかる。そして時間軸的には恐らくそのあと、人の手によって植樹されたと見られるスギの木々がその周りを取り囲む。

割合的にはスギの方が多くて、しかもそれは川沿いの斜面に植えられているものだからもともとの根の位置が高い。
植えられたスギの木々たちは、高いところにある樹冠で空からの光を遮る。

よくスギの木々が間伐されていないと「林床が暗い。下草が育たない。」と言って非難する人がいるが、やっぱりここも完全に暗い、とまではいかないものの若干暗め。そんな暗さが広葉樹イロハモミジの“色”を猛烈に引き立てているのだ。

いま歩いている県道59号線からスギの樹冠の下を覗き込むように見ると、その暗がりの下でイロハモミジの黄色やオレンジがもの凄く光って見える。
手前側もそして対岸側もほぼ似たように。そして全体的に見ても山の傾斜自体がかなり急で、そのことも「暗がり作り」によく作用している。

惜しむらくはイロハモミジが若干落葉気味であったこと。やはりここ数日の荒天によって枝から振り落とされてしまったか?
河原にも路上にもじゅうたんになるほどの落ち葉が散らばっていた。

綺麗に見えるメカニズムがわかった。
周辺には低めの堰堤が2基ある。
こちらは「持越川起点」看板裏の堰堤。
怪我の功名。滝がバッチリ見えるかたちに。
“持越国有林”では無いのか・・・。

テルメいづみ園

午前11時、ここでいったん天城湯ヶ島温泉まで戻ることに。先ほど走ってきた道を引き返す。
「テルメいづみ園」に到着したのは午前11時15分。

入り口で入場料とタオルの購入代金を払い、さっそく入湯。本日はあまり熱くは無い。ここの湯も各地の温泉がそうであるように日によって温度が変化する。湯ヶ島温泉は雨が降った日だと湯が熱くなるなんて言ったりする人がいるので、もっと頻繁に通って真偽のほどを確かめてみたい。

露天風呂、内湯の順で満喫したのち湯から上がる。
脱衣場で再び衣服に着替えたあとは、休憩室。と行きたいところだったのだが、例のウイルスの影響を受けて休憩室は使用不可。

代わりに案内された中庭で休憩を取ることに。中庭にはかなりの太さのケヤキの木が一本そそり立っている。そしてそのケヤキの木の根元にガーデンテーブルとベンチがポツンと置かれていた。

昼食はそのガーデンテーブルで摂ることに。ちなみにここの温泉施設は飲食物の持ち込みが可能。朝、買ってきたカップラーメンにお湯を入れて3分待った後にいただいた。
ケヤキの大木の葉はもう全部散ってしまっていて、空からはじかに青の光が差し込む。暑くも寒くもない快適な温度環境の中で昼食を楽しむことが出来た。

飲食物の持ち込みが可能。キッチン(有料)もある。

綺麗なんだけどなぁ・・・。

じっくり休んで午後1時。いづみ園を出発。再び県道59号線を八千代橋方面に向かって走った。走った距離は7.2キロほど。県道59号線の宇久須沢林道入り口Y字路を越えた位いからあたりは本格的なスギの針葉林の様相を呈すが、駐車スペースもちょうどその針葉林の樹冠の下にある。

具体的には、幅1メートル程度の伏流沢を跨ぐ「松ノ木橋」という橋があるのでそれを渡ってすぐ。駐車スペースは堤体の落水の音が聞こえるほど近いところにある。

車を降りて、準備を整え、歩きはじめる。綺麗に間伐された針葉樹の森を横断すると、あっという間に持越川に出ることができた。
さて、歌の立ち位置決め。堤体まで40メートルほどの位置に決め、Vメガホンをセット。さっそく声を入れてみる。

はぁ?今日もか・・・。

今日もまた。
いや、恐らくは(森は)きちんと鳴ってくれている。

全体的に大きな石がゴロゴロしていて、その石のすき間から水がタルんでいるところが何カ所も見られる。

堤体本体からの落水は水褥池と化した堤体水裏にサラサラと落ちているだけなのだが、そこから手前側がうるさすぎる。

うるさすぎる空間で頑張って声を張っても無駄に疲れるばかりでなんとかならないかと思う。
あ~鳴らない、鳴らない。

景色は綺麗なんだけどなぁ・・・。

この日は持越川沿いの紅葉狩りをやっただけでほぼ終わってしまった。
まぁ、こうしてこの地に来ることが出来て美しいものをいろいろ見られたのは良かったと思っているのだが・・・。
音楽的には不十分だった反面、この土地の魅力を感じることができた一日となった。

また来よう。

次こそはと誓って渓を後にした。

0.0m/sだが空気の動いている感じはあった。
落水はサラサラと。
持越川追No.11玉石コンクリート堰堤
う~ん・・・。
イヌシデが多かった。
この季節ならではの色。
堤体全景。

ウイテマテ

午前中は、安全講習に参加した。

11月15日、日曜日。
午前中は、安全講習に参加した。講習のテーマは「水の防災」。
静岡県内の河川管理を担当する専門機関や消防署の担当者を講師として、水の事故に遭わないためにはどうすれば良いか?また、水の事故にもし遭遇してしまったらどうすれば良いか?といったことを学べる講座に参加した。

沼津河川国道事務所

まず、はじめは国土交通省中部地方整備局 沼津河川国道事務所の担当者のお話。同局は河川に詳しい方ならご存じの通り、国を管理者としている「一級河川」の地方担当事務所である。

これまでの私の経験からいえば同局(以下、沼津河川国道事務所)とは「狩野川」というワードで繋がってくる。
今、沼津河川国道事務所のホームページを見ながら書いているが、その「河川事業」のタブをクリックすると以下のような文言が出てくる。

〔狩野川は、伊豆半島中央部の静岡県伊豆市の天城山系に源を発し、大小の支川を合わせながら北流し、田方平野から駿河湾に注ぐ幹川流路延長46㎞、流域面積852㎞2の一級河川です。
昭和42年6月に一級河川として指定され、このうち本支川(狩野川24.9km、黄瀬川2.7km、柿田川1.2km、大場川2.6km、来光川1.5km、柿沢川0.9km)の直轄管理区間(計33.8km)及び狩野川放水路(3.0km)について、河川改修及び維持管理を行っています。〕

狩野川本流であれば伊豆市修善寺の修善寺橋より下流、黄瀬川であれば寿橋(国道1号線から見下ろせるかなりネンキの入ったコンクリート橋)より下流を管轄しているようだ。
どちらかといえば流れの速い上流部というより、流れが淀んでくる中・下流部を担当しているわけだから、彼らの仕事の主要は「とにかく早く海に流す。(水を)流しきれない分は堤防や水門で守る。」といったところであろうか?(←いや、わからないけどね。)

当日、お話をしてくださった担当者の鈴木さんからは狩野川の堤防、人口水路である「狩野川放水路」に関する説明のほか、気象庁と共同で「洪水予報」を発表したり、ハザードマップの改良などを行っているとの説明をいただいた。

また、洪水から命を守るには建設物・構造物によるハード対策と、情報発信や避難の呼びかけ、防災教育などのソフト対策の両立が欠かせず、それらを行うのが沼津河川国道事務所の仕事なのだとも仰っていた。ちなみに、

「うるせぇ。オレは溺れたりなんかしねぇよ。」

という方にも、そうで無い方にも、今の時代に対応して“ヤバい時”には緊急速報メールが、「洪水情報のプッシュ型配信」として手持ちのケータイ&スマートフォンに強制的に送られてくるらしい。

受信したらまず素直に、冷静に、避難行動を取れば良いと思う。

今回は実際に「防災教育」を受けた形だ。

スマートフォンのチューニング

次には、3つのグループに分かれて順番に講座を受けることに。。
私の参加したグループが入ったのは、ライフジャケットを使って実際に水面上に浮いてみるという内容のもの。

講師は海上保安庁第三管区 海上保安本部 清水海上保安部の担当者小林さん。
まずはライフジャケットの体験に先立って、スマートフォンの取り扱いについてお話をいただいた。

小林さんによれば現在、市販されているスマートフォンはそのほとんどが防水機能を備えたものであるが、レジャーなどで持ち出す際は、これを必ず防水ケースに入れて欲しいという。防水ケースも「防水」で無ければいけないと言い、「防滴」ではその役目がしっかりと果たせないという。

さらに、これも現在のスマートフォン事情が絡んでいて、防水ケースにそのまま入れているだけではスマートフォンが沈んでしまう(大型画面化によって重くなっているため。)ため、ポケットティッシュなど浮力体になるものを防水ケースに一緒に詰めるなどして、はじめて現場でスマートフォンが使用できるのだと教えてくれた。

なぜこれほどまでにスマートフォンを珍重するのかといえば、言わずもがな、救助を呼ぶためである。落水者が自分自身である場合、自分以外の者である場合、いずれにしてもパーティ内の人間の力で解決できなければ、然るべき機関に救助を要請しなければならない。

海上保安庁は118番。警察は110番。実際の事故の現場に遭遇するとパニックに陥ってこんな事すら判別がつかなくなってしまうらしいが、小林さんによれば通報先はどちらでもOKとの事。両者は事故の情報を連携して取り扱っているからだという。

防水ケースは浮力体になるものを詰めて使う。

セウキ!

清水海上保安本部の講座のあとは、駿東伊豆消防本部沼津南消防署静浦分署(以下、第一方面)佐藤さんによる講座、NPO法人グロウワイズ森田恵美子さんによる講座へと続いた。

第一方面の佐藤さん、森田さんの講座に共通していたのは助ける側の人間が、「大きな声で指示を出す」ということ。

救助の必要な人に対して大きな声で指示を出すのはもちろんのこと、救助に「協力してくれる人」を請うために大声を出すことも重要だという(佐藤さんより)。

そして、溺れてしまいそうな人に対しては「セウキ!(背浮き!)」と指示することで、仰向けになって浮いてくれるという(森田さんより)。

また、実際の救助に際してはモノを投げ入れるのが有効だということで、ペットボトルやランドセルを投げ入れる体験を行った。
ペットボトルに関しては、空のものよりも少し水を入れたもののほうが飛距離が出て、なおかつコントロールがしやすい。
ランドセルについては、空の状態より少し教科書が入っていた方が、ランドセル本体の浮き姿勢が安定するなどのメリットが出るという。

そして、いずれの場合もなるべく「水に飛び込まない。」。合言葉は「ウイテマテ(浮いて待て)」。

ペットボトルは少量の水が入っている方が有利。

無事故で終わりたい

午前中に安全講習を終え、午後には猫越川となったのだが、今回はいつも以上に渓に下りる時も、入渓してからも気を使って行動した。

自身は砂防ダムを主戦場としていて、それはやっぱり川で行われることで、川は水で出来ている。

講座で第一方面の佐藤さんが仰っていたこと、「助ける側の人間の安全をまず確保することが大事。」だそうだが、実際の現場で助けられる側の立場になってしまった時、それが洪水などの自然災害で運悪く被災してしまったのと、遊びのためにわざわざ危険とも言われるフィールドに出向いていった末路の結果だというのでは意味合いが全く違う。

自分自身が事故に遭うことで、助ける側にも危険がおよぶという事。これを特に理解して行動しなければいけない。
その踏み出す一歩は正解なのか?

そして、たかだかスマートフォン一つが、「一般使用」用では全く役に立たないということ。実際、事故に遭った時の状態をしっかりイメージしてチューニングされていないと役に立たないということも学んだ。

一つ一つの行動、モノで(変な言い方、)いくらでも危険な目に遭うことが出来るということを知った安全講習となった。

そういえば、2020年もあと2ヵ月。
今年中にやらなければならないことはまだまだあるわけで、それらに果敢にチャレンジしていきたい。
もちろん全て無事故で終わりたいと思っている。

ライフジャケットの講座にて
午後は猫越川に。
世古橋
世古橋から下(世古峡)を覗き込む。
水抜橋
水抜橋から下を覗き込む。
カーブミラー前
指定地看板の範囲は広い。
マダケの渓畔林を下りる。
堤体前に下りきったところ
猫越川一号堰堤
堤体全景。

格上

本日はあの山の向こう、戸田を目指す。

11月9日午前9時、まずは千本浜へ。
沼津の港から富士市方面へと永遠と続く堤防上に腰掛ける。視界は良好。西には清水の三保が、東には金冠山、真城山、大瀬崎などが見渡せる。
早速ポケットから取り出したのは風速計。

「MODE」ボタンを長押しすると液晶画面に数字が現れた。一番大きく表示されている数字が風速。右上にはm/sとあるので風は秒速で表示してくれるようである。

右手に持って風がよく当たるように自身が立ち上がると、期待通りに本体上部に取り付けられたプロペラがガラガラと回り始めた。

風は強くなったり弱くなったりで、数字は0.0から1.0くらいまでの間を行き来する。表示が0.2とか0.5とか増えていくのは面白くて、見続けていると急降下して0.0になったりする。

いたずらで本体を持っている腕を水平にグイグイ動かしてムリヤリ数値を上げてみる。上がった数字はそのまま風の援護を受けて、今度は一定の数値でキープされたりする。

この日の風は、沼津港のほうから海岸の堤防に沿うように富士市方面に吹いていた。示した数値は最大で3.0m/sほど。もっと長く観測していればさらなる記録更新も狙えたが、風速計がまず回ってくれるか?数値を示してくれるか?というテスト目的での風速計であったため、とりあえずはオッケーということで千本浜をあとにした。

新たに導入した風速計。

気にしたことが無い

車に乗り込み、戸田を目指す。
玉江町の交差点から国道414号線、香貫通りをいつも通り南下。島郷、志下、馬込と海岸集落の中をすり抜けて行く。

小中一貫校の静浦中前を通り過ぎ、さらに防潮堤のゲート(国道がゲートを跨いでいる不思議なところ)も通過すると、右手側に海が見えるようになる。このあたりは獅子浜(ししはま)を町名とする地区で、やはり獅子(ライオン)の頭部のごとく岬状に陸地が飛び出している。

カーナビのモニターに目をやればきちんとその地形が確認できるのだが、実際に道路を走っていれば不思議とその感覚にとらわれることは無い。右手側に見続けることができる駿河湾の海に飛び出た岬であっても、どの方向にもたいていの場合は穏やかであるからだ。これまで波のことも風のことも気にしたことが無い。

気にすることがあるとすれば、土木資材を運び出す岸壁がライオンの鼻っつらの一番大事なところに陣取っているため、それを横目に少々複雑な気持ちを抱きながら通過をさせられることだ。

岬の先端から海越しに見ることが出来たかもしれない、紅く色づきはじめた山などはもういいと先を急ぐ。

2本のトンネルをくぐって口野放水路交差点を右折、県道17号線を内浦~西浦と進む。
西浦古宇の大谷石油まえを通過し、レストラン井里絵直前を左折。真城峠をこえてドン突きの丁字路を右折。戸田名物の一つと言っても過言で無かろう急坂を下りていくとカーフレンドするがというクルマ屋があるので、そこからさらに100メートルほど下って、「戸田饗の里公園」看板前を左折。

直後に現れる大耕地橋を渡ってからは、幅員狭し。地元農家の邪魔にならないように気をつけながら、戸田饗の里公園右折の看板をスルーして直進。ダラ登りの坂を上がって行くと、ようやく現れたのが目的地、戸田しんでん梅林公園駐車場。

ナイススポット

車から降りて、準備を急いだ。時刻は午前11時。
ここの堤体は、見た目上午前中が美しい。堤体の水表側がおおよそ東の方向を向いており、放水路天端上の水が午前中の太陽の光を受けてキラキラ光り、それをそのさき遠くの山のみどりともども眺めながら歌えるナイススポットなのだ。

急勾配の坂を下りると堤体前に出ることができた。

・・・。

放水路天端が光っていない。
遠くに見える山のみどりもここのシンボルツリーである右岸側の大きなエノキの木もいつもと変わりないのに、肝心の太陽の光が放水路天端に届いていない。

曇っているわけでは無い。影が落ちてしまっていた。
どうやら来月21日に冬至を迎える北半球の日本の沼津市戸田はその光の元となる太陽の高度が不足しているらしく、放水路天端の一番いいところを照らすことが出来ずにいた。

堤体の南側に何も無ければ、とうぜん太陽光は届いている。
しかし、堤体の南側には山が。さらにスギの人工林が広がっていて、それらがお日様の光を遮っている。

念のため、滞留土砂の上に乗って確認したが、やはり原因は太陽の高度不足。

ここの堤体を知らなすぎた・・・。

ルームサービス

腕時計を見る。いつの間にか過ぎていた正午。普段から聞き慣れている沼津市歌の防災無線がカケラも聞こえなかったのは風向きのせいか?

滞留土砂上の風は達磨山から海のほうに向かって吹いている。風は2.0m/s位いになったり0.0m/sになったりを繰り返している。堤体前にまた下りることも考えたが、とりあえずはメシにするかと山を下りることにした。

向かった先は、丸吉食堂。
入り口で消毒と検温を済ませ、2階に上がらせてもらう。窓の外にはこれ以上無いくらいに青く光る戸田湾の海が見える。
大好物のメギスが誘った「ドン底丼」をオーダーし、出来上がるのを待つ。

となりの席ではまだ幼稚園の年少さんにも満たないような子どもが母親、父親といっしょにバカでかいタカアシガニを食べている。この店の姐さんがしっかり横について、キッチンばさみを片手にカニの身を露出させては手渡し、夫婦子どもが順番にそれを平らげていく。

「食堂」の名を冠した店で姐さんの装いはエプロン姿だが、やっているサービスは高級ホテルのルームサービスに何ら変わりは無い。自分も人生の成功者になったら、アレを食べることにしよう。

やがてこちらにはドン底丼が運ばれてきた。期待を裏切らないウマさだった。大好物だもの。
高級品もリーズナブル品も揃う店がわかったところで、ドン底丼を完食したところで代金を支払い、退店。車に乗り込み、再び山を登った。戸田しんでん梅林公園駐車場まで再び戻り、車を停め、入渓は午後3時頃にすることとし、それまでは車の中で休むことにした。

丸吉食堂
ドン底丼
戸田湾

午後3時

午後3時。準備を整え、再び急勾配の坂を下りる。

沢に入渓すると、風が感じられる。風速計を取り出して計測すると風は2.0m/sから4.0m/sほど。
「2.0m/sから」というのが午前中と異なっているところで、今回は「断続的に」吹いている。

風速計をフローティングベストのポケットに仕舞い、今度はVメガホンをバックから取り出す。セットして声を出してみると、

鳴らない。

鳴っているという感覚が得られない。

放水路天端から落ちる水の音、堤体前を吹く向かい風、自然環境が生み出す物理エネルギーに自分の声が負けてしまっているのか、全く声が響かない。

そういえば午前中の風速計測の折りに銘板の画像撮影もしていて、その時この堤体が高さ14.0メートルであったことを思い出した。

いままで、この堤体について見た目上の美しさばかりを気にしていてその「大きさ」のことをあまり考えてこなかったが、その数字(高さという)を意識すると、そうとう上背あるものを相手に勝負を挑んでしまっているのだということがようやく自分の中で理解できてきた。

堤体が鳴らなくて、その事をわかって、何が原因かと考えればやっぱり相手が格上であるということ。

鳴らぬ堤体前に呆然と立ち尽くし、構えていたVメガホンを降ろす。為す術なくなった音の敗者は堤体をただただ見上げる。

勝者となった堤体はそんな呆然と立ち尽くす一人の男のことなどお構いなしに、水を落しつづけ、風を吹き下ろし、悠然と構えた。時折、渓畔林として生える木々の梢を揺らしながら、遊んでいるようであった。

こちらは勝負を真剣に挑んだつもり。しかし、相手にとっては鎧袖一触の敵だったようで、もはやケンカにすらならなかった。

午後4時半。これ以上ここにいてもどうしようも無いと思い、退渓。
リベンジ、というにはちょっと力の差がありすぎるような相手。
さて、どうするか?

風は断続的に吹いていた。
雉ヶ尾沢川第4号堤
このようなタルの音がさらに加わる。
堤体全景。