尾鷲の空〈1日目〉

今回は三重県尾鷲市へ。

7月22日午前7時、暑さで目が覚めた。場所は駐車場の車内。NEXCO中日本奥伊勢パーキングエリアだ。

尾鷲市までは残り40キロほど。あとちょっとの距離。

前日より前乗りを決め込んで高速道をひた走っていたが、同じ三重県内のゴール目前にて猛烈な睡魔に襲われてしまい仮眠をとっていたのだった。眠りに就いた時刻はたしか午前5時頃であったか?

トイレに立ち寄ったあとふたたび車に乗り込む。

まぁ、晴れるなら・・・、晴れるならいい日になるであろう・・・。

奥伊勢パーキングエリアを出て、紀勢自動車道を三瀬トンネル、船木トンネルと抜けていく。
午前7時50分に有料区間の最終地点「大紀本線料金所」を通過。駒トンネル、芦谷トンネルとつづく。

その後、紀勢荷坂トンネルを出る・・・。

!!!!

なんと突然の土砂降り雨!

おいおいおい・・・。

本日は新規開拓の地でのゲーム。新規開拓。なのにまさかの雨の日対応?!いや、なにも出来なくなるぞ最悪は。

今回、スケジュールとして用意できた日数は2日間。この2日間のなかで尾鷲市内でなんとかイイ感じの堤体を見つけ出し、歌って帰るというのが今回の新規開拓の旅での目標だ。

入れる堤体の数、自由度といった観点でいえば、天気は晴れ、もしくは曇りであってくれるほうが断然ありがたい。

行動範囲の可能性を小さくしてしまわないため、とにもかくにも空には穏やかであって欲しいというのが切なる願いだ。

急きょ雨降り画像を撮るために、紀北パーキングエリアに立ち寄る。すると、土砂降りだった雨が小雨に変わってくれた。

再出発し、残り4本のトンネルも抜ける。
自治体名はようやく北むろ郡紀北町→尾鷲市へ。直後の尾鷲北インターチェンジをおりて一般道へ。

暑さで目が覚めた。
おっ、今日は快晴か?
花を撮って余裕こいていたら・・・、
このあり様。

タグの折り目

まずは・・・、地図を買いに行こう。

今回は地図がまだ用意できていない。地理院地図2万5千分の1は、通常書店にて購入するものだが、これが購入できるのは一般的に入った店の県内分まで。静岡県住みの自身の場合、静岡県内を西から東まで全て在庫している書店だったら二重マルクラス。そこからさらに隣県である愛知、山梨、神奈川のいずれかが置いてあれば花マル。いや、宝石箱レベル!

店舗の場所によって購入できる地図の範囲が限られているというわけだ。

ちなみに、あらかじめ日本地図センターの通販サイトにて購入すれば、日本全国どこの地域のものでもおよそ1週間ほどで自宅に到着。

あらかじめ。そう、本来ならばあらかじめ・・・。

すべて完璧主義に済ませておきさえすればこのようなことにはならない。

―わたくしはねぇ、モリヤマくん、旅行前の準備じゃ下着に付いたタグの折り目の向きまできちんと管理しているのだよ。―

一度でいいからそんなことが言えるような几帳面な性格になってみたい。(ん?几帳面かどうかは関係ないって?)

尾鷲北インターチェンジ降りたところのモニュメント

地図を買う

ということで、ズボラが招いたのか?お呼ばれされたのか?午前9時、尾鷲市内の書店「川崎尚古堂」へ。

無事、「尾鷲」「引本浦」「賀田」の3枚の地図を購入。

店を出て、近くのコンビニの駐車場へ。

朝食を購入したあと、食事がてら、作戦がてら車内で過ごす。
地理院地図を読んでみて、尾鷲市内の地形に関する印象はつぎのとおり。①~③

①尾鷲市はひとつの自治体として主要な川が1本というより、細かい複数の川が紀伊半島東海岸熊野灘に向かって流れている。

②地図中に複数ある山のピークのうち最も高いのは高峰山の1045メートル。(さらに西側、奈良県県境に1150.5メートル、1131メートル、1077.1メートルのピークを確認。いずれも山名記載なし。こちらは補助的に利用した地理院地図電子版にて。)

③②の高峰山から至近の海岸線までは直線距離にして7キロメートルほど。山体はかなり切り立っていて、1045メートルのピークから一気に海まで流れ落ちるような川の流程。

川崎尚古堂

コンビニを出発

午前10時半、コンビニを出発し尾鷲市内中心部を流れる中川の上流へ向かう。すぐに「中川堰堤」を見つけることができた。また、この堤体は水通しから落水する透過型機能中の状態であることも確認。

いったん保留とし、次の堤体に向かう。

次に向かったのは尾鷲市街より南西側のエリア。国道42号線とほぼ並行する矢ノ川上流域に向かう。

午前11時15分、千仞橋(せんじんばし)北詰の林道入り口へ。残念ながらここでは「通行止」の看板。地理院地図によれば、この林道を進んだ先にひとつ堤体があるはずだが立入禁止の判定が下りた。

いったん登って来た坂を下りおり、こんどは矢ノ川支流の真砂川をチェック。国道311号線「真砂大橋」より上流側をみると、鬱蒼と生い茂る木々の葉の向こうに、湛水する堤体をかろうじて確認することが出来た。

この時、時刻は正午。空は曇天・・・、よりもさらに不安定で、いまにも雨が降りそうな状況。

地理院地図によれば、この堤体は真南よりもちょっと東に傾く方位。翌日のスケジュールも考えここはいったんキープすることにした。

いまにも雨が降りそうな空
矢ノ川
林道入り口にて通行止め
こちらは真砂川にかかる真砂大橋
藪の中に湛水する堤体を発見!(真砂大橋より)

タテヨコ方向

つぎに尾鷲市北部の川も見てみることに。

国道42号線を三重県総合庁舎尾鷲支所てまえで西進、国道425号線に乗り換えまずは上流部にあるクチスボダム・クチスボ貯水池に向かう。

ここまで尾鷲の山を実際見てみての感想であるが、地理院地図のとおり、やはり全体的に切り立っているなという印象。針葉樹の人工林で構成されるこんもりと盛り上がった山体は、伊豆半島、賀茂郡河津町の梨本とよく似ている。

これだけ縦方向に強い地形をしているならば、存在する堤体類もきっとタテヨコ方向ともに大きいものが現れてくれるだろうという期待感に自分自身安堵する。

反対に不安要素といえば、いまにも雨が降りそうな尾鷲の空。いや、正確にはもうすでにときおり雨がパラついている。雨はときおりパラパラ降っては止んだりのくり返し。

雨合羽を着るほどではないが、デジカメのレンズに付着した水滴をTシャツで拭いながら画像を撮りためていく。

午後2時半、クチスボダム・クチスボ貯水池に到着。発電用というダムの見学もそこそこにこのダムの水源となっているクチスボ谷の上流に向かう。

午後2時50分、クチスボ谷の奥地へ向かう林道の途中にて、本日二回目の立入禁止判定。これより奥にあるはずの堤体にはたどりつけず。
Uターンし、再びクチスボダムに戻ってきたのが午後3時10分。今度はクチスボダムのもうひとつの水源、又口川上流に向かう。

国道425号線をひた走る。
クチスボダム
クチスボ貯水池
クチスボ谷への入り口
立入禁止の看板

入渓へ

地理院地図のせきマークはまだいくつも確認できていた。又口川本流にもあるし、そこに流れ込む支沢にも谷止工をあらわした二重線が何個も描かれている。

これでは今日中にすべて回りきることは不可能だ。

掴み取りきれないほどの豊作が目の前にあることにようやく気づきつつ、止まること無く国道425号線をさらに奥地へ。又口川本流に描かれている堤体を目指した。

午後4時20分、目的の堤体近くに到着。すぐさま車を降りて入渓点さがし。生い茂る木々に阻まれ、渓まで降りるコースがうまくイメージできない。それに、国道からの直接的なアプローチは段差がきつすぎてかなり危険そうだ。
そこで、堤体下流側にある支沢からの入渓ではどうかと当該ヵ所を観察。

なんとか行けそうだ。

すぐに入渓の準備。ウエーダー、フローティングベスト、ヘルメットを装備。手には登山用のポールを1本握った。

おそるおそる支沢に入渓する。沢に転がる石はかなり安定している様子であったが、なるべくこれは踏まないように。登山用ポールを使いながらチョイスするコースはやや急斜面のスロープだ。

浮石かどうかもわからない石に己の全体重を任せるくらいだったら、やや急斜面の坂を降りていくほうがよっぽど安全だというのが持論。

なんとか支沢におりて橋をくぐり、支沢と又口川本流の出合へ。そこから少し遡ると堤体前に到着することが出来た。

国道425号線をさらに奥地へ。
入渓点とした支沢にかかる橋
橋をくぐって本流の出合へ向かう。

堤体は石積み堤

堤体は石積み堤。堤高は目測で4~5メートルくらい。湛水ではなく左右に設けられた水通しより落水する透過型機能中の堤体だ。

さきほどの入渓点さがしの時に、国道沿いに山積みになった土砂を確認している。これは供用開始時から水通しですべてを捌ききっているというわけでは無く、定期的に溜まった土砂を人の手で抜いているということだ。

歌に取りかかるまえの心情としてタイミングの悪さのようなものを感じていた。やっぱり砂防ダムというのは土砂が溜まって湛水していて、横一列高いところからガラガラ落ちている状態こそが一番美しいと感じているからだ。

土砂が抜かれる前にこの場所に来ることが出来ていたのならもっと良い状態の堤体に出会うことが出来ていたのにと、遠征先である当地にも関わらずただただそのタイミングを悔やんでいた。

又口川本流の堤体(堤体名不明)

まずは歌ってみる。

まずは歌ってみる。どんな堤体でも。

砂防ダム音楽家としての基本だ。

自作メガホンをセットし声を入れてみる。声が堤体の壁にはね返って鳴っているのがわかる。風は無風で自分の声をどこかに向かって送り届けてくれる様子ではないが、はっきりと響いているのがわかる。

そして声を壁打ち状態のようにして楽しめるのは、幾分ノイズが弱いということでもある。

横一列高いところから湛水で落ちていたならば、このようにはいかない。例えば高さ5メートル、横幅5メートルほどの落水に対して声を入れていくときには、かなりの分量、音が消失してしまう。具体的には、

①壁を伝っていく水(やわらかい物質)に対して声を入れていくこと。

②落水地点とその他からのノイズによって音としての振動が破壊されること。

①②の2つの理由によって、音が消失してしまう。

音が消失してしまわないように、響かせる場所を変更させる必要がでてくる。また、風が吹いている場合は自然発生的に響かせる場所の変更が行われる。

風速計
距離計
表面の凹凸が激しいためこちらは参考記録。

なにを頑張ったか?

今日のゲームでは響かせる場所の変更が必要なかった。いつもなら、たいてい響き作りがうまくいかずああでもない、こうでもないとなるところいろいろ試すわけであるが、そのような作業からは完全に開放されていた。

非常に簡単なシチュエーションの中で「余裕」のようなものが与えられ、その中で歌を楽しめたことは非常に有意義であった。そして、

堤体前にいざ自分が立ったとき、いかにそこから頑張ったか?

ということの本質は、

堤体前にいざ自分が立ったとき、いかにそこから頑張ったか?

であるということを感じた。

全くな~んの工夫も努力も「やらない。」ことを「頑張ったか?」が出来るかどうかも意外と大切なのかもしれない。

やらないことを頑張る。という行為によって確実に生まれた「気持ちのゆとり」。

自分自身砂防ダム音楽家としてやっていて、いつももっともっと多くの堤体に行きたいと思っているし、もっともっといろんな曲が知りたいと興味津々の状態でいられている。

根底にあるのは自分が砂防工学においても音楽学においても素人であるということだ。

予備知識には弱いが、やる気だけはあって、もっと知りたいもっと知りたいといつもワクワクしている。個人的には、気持ちのゆとりがあるからこそ、そのゆとりを埋めていくため、簡単には引かずやり続けていられているのだと分析している。

今日のゲーム展開と自身の経歴とでは、何か相通ずるものがあるような気がした。

この日は結局午後6時15分頃に退渓した。歌ったり休憩したりしながら少しづつ暗くなっていく夕暮れを感じながら、相も変わらずいまにも雨が降りそうな尾鷲の空をぼんやりと眺めながら堤体前で過ごしていた。

学びを与えてくれた堤体に感謝。
泉のような堤体前。
渓畔林も充実している。
聴衆がやってきた。
尾鷲の空をぼんやりと眺めていた。

ゲームを構成する一つの要素

伊豆市筏場

夜が明けない。

7月2日午前4時、場所は伊豆市筏場。

夏至をすぎてまだ10日ほどしか経っていないにも関わらず、空がまだこんなにも暗いのは夜半まで降り続いた雨の影響か?

車の助手席側は土地が開けているはずで、ならば山によって空からの光が遮断されているわけでも無いが。

片側1車線に広く改良された農道の左端に車を停め、夜が明けるのを待った。

ようやく。

ようやくデジカメでしっかり撮影出来そうな明るさになったのは、午前5時半すぎ。車を降りる。

開けた土地に広がるのは広大なワサビ田。きれいに四角く区切られた棚田が延々と連なり、その棚田ひとつひとつに生えるのはワサビの葉。黄変してしまっている葉が多く見られるのは、ここのところの優れない天気の影響か?

摘み取りの手を待つような状態のワサビ苗。

それは美しいとも言い難く・・・。

せっかく待ち望んだシャッターチャンスの不発に肩を落とし、ふたたび車に乗り込んだ。林道奥にある駐車スペースを目指す。

小嵐橋と両サイドに広がるワサビ田
小嵐橋から下流側のワサビ田
小嵐橋から上流側。黄変している葉が多かった。
林道の奥に向かう。(菜畑橋)

救世主となるか?

午前6時20分、林道奥の駐車スペースに到着。本日はここから林道を1.2キロほど歩いて堤体に向かう予定。

車から降りて準備をはじめた。フローティングベスト、ヘルメットを身につけるあたりはいつもと変わりない。いつもと違うことといえば、背負子を用意した。

林道を1.5キロほど歩いたのが、前回のエピソード「堰口川の朝ゲーム」でのこと。

歩きの行程としてはおよそ40分ほどであったが、そのあたりに大失敗を犯している。

まず・・・、とにかく暑い。

長く袋状に縫製された胴長靴の中では、通気性がすこぶる悪い。歩行運動によって温められた体の熱はウエーダー内で一切といっていいくらい抜けることができない。

かいた汗は多量の水分となって溜まり、不快感が高い。さらに抜けることがない体の熱によって、必要以上に体力を消耗してしまった。

さらに体力の消耗といえば、

歩きにくさ。

先端部分がレインブーツのように作られたウエーダーは若干の歩行困難が生じた。一歩・・・、二歩・・・、という程度の移動距離では“若干の”といったあたりを笑っていられるが、これを100メートル、1キロと長い距離に続けようとすればするほど感じる歩行性能の悪さ。

何故にスニーカーを持って来なかったんだ?

目的地にもスタート地点にも遠い林道の途中で大きく困り果てたとしてもあとの祭り。かといって裸足で歩くわけにもいかず・・・。

解決方法を探ったのは後日談。

果たして今日は?と用意したのは背負子。救世主となるか?

ウエーダーは背負子にくくりつけた。足元を固めるのはスニーカー。タウンユースの歩行となんら変わりない出立ちで、本日は林道歩きをスタートすることにした。

本日は背負子を用意!
メガホンの入ったバッグとウエーダーをくくりつける。
しっかりとした背当てが付いているので快適だ。

晴れる。

午前6時45分、林道歩きをスタート。

カーブが続く道を歩いていると日が出てきた。「晴れる。」と言っていた天気予報のとおりになりそうだ。

ゲーム内容は良くなるに違いない。

あとはいい風が欲しい。

スギの木立のあいだから降りてくる日の光を見ていると、なんとなくではあるが気温も上がっているような気がしてくる。

・・・、心には余裕しかない。

本日はウエーダーを履いていない。下半身を見ればズボンの裾口、くるぶしを覆う靴下、足先をがっちりサポートするスニーカーへと続く。

元気よく前に進もうと意識すればするほどに、ズボンの裾口からは新鮮な空気が外から内から出入りする。

前回のそれとは比べものにならないほどの快適性を手に入れた林道歩き。過去の自分自身に対して言えば優越感しかない。

途中、休憩を挟みながら歩き続け、入渓点には午前7時半に到着した。

林道は筏場国有林林地内。
日が出てきた。
途中、沢水の出るパイプを発見。
分岐は左へ。
唐沢橋

それが無くとも油断せず

入渓点となるのは「唐沢橋」。橋上から渓を覗き込む。

予想に反して全く水が流れていない。

渓の水が川石を叩くような音が一切せず、それゆえに先ほどまでの林道歩きでうすうす気づいてはいたが、沢が完全に伏流してしまっている。

橋の名前が唐沢=涸れ沢というあたりに、ちゃんと先人たちがこの沢の何たるかを説明してくれていたところ、それに反発して本日、降雨後に来てみたのだが全くもって意に介さず。天城山北陵に広がる当地は、多量の雨水を完全に地下水へと処理していたのだった。

入渓しよう。

背負っていた背負子を降ろし、スニーカーからウエーダーに履き替える。水が流れてもいない沢でいちいちウエーダーを履くのは、川石にびっしりと生えた苔で滑らないようにするためと、圧倒的に優れる防虫効果のため。

靴底に張られたフェルトによって、苔の生えた石に乗っても滑りにくい。また、足元を完全に袋状に覆いこむことで、肌にちょくせつ虫が付くことを物理的に防いでくれることができるとあって、ウエーダーを履くことの利便性は高い。

晴天による暑さはなんとかなるであろう。本日は前回と同様、午前中だけ遊んで帰るつもりであるし、ここの堤体は渓畔林が素晴らしいはずであるから、木陰によって直射日光から守ってもらえばいいだろう。

唐沢橋から上流側。水が流れていない。

やはり重要なのはアレ。

午前8時、水の無い沢に入渓する。

堤体は入渓直後に現れる。名称は「菜畑川第8号コンクリート谷止」。供用は昭和55年ということで、建設からは40年と少し経っている。

40年のあいだには上流から運ばれた土砂によって堆積地ができたり、下流側に洗掘ができたり、他所からの散布によって植物が生えてきたり、堤体本体や川石に苔が生えたりと様々な変化が起きている。

堤体だけが人の手によって作られた人工物で、そのあとまわりにあるものは全て自然物だ。堤体本体を中心として出来た自然物の変化を見ることが楽しい。

取り出して確かめるほどでもない無風の風を風速計で確かめてから、自作メガホンをセットし声を入れてみる。

自身の声に対抗してくるようなノイズは一切無く、ただただ反響板としてはたらく堤体本体と渓畔林に、声を入れてみては返って来てのくり返し。無抵抗な環境に対して声を入れていくことに起因する、物足りなさのようなものは正直無いとも言うことが出来ない。

そして、そんななかでも気づかされる無風による響きの悪さ。

声が森の深く向こうまで到達している感じがまったく見受けられない。非常に狭い範囲で響いているせいか、自身の耳までに到達するまでの時間も早く、響きとして声が聞き取りづらい。

これだったら水がガラガラ鳴っているような渓において、風もそれなりに吹いている状況下であるほうが歌を楽しみやすいはずだ。

左岸側
右岸側
堤体水裏
渓畔林の評価は全天。

全てがゲーム

全天を覆うほどの渓畔林の下、午前10時まで過ごした。

その間は断続的に晴れていたが、とくに目立って暑さを感じたりすることもなく過ごせた。

「暑い。」ということは経験上、歌う場所探しにおいて負の要因としてはたらく。歌いやすい場所というのは、出来るだけ気温が低く、また暗いところがいい。

たとえば気温の面、照度の面、両者を兼ね備えた場所を探すために自然界を駆け回ったとすれば、人は最終的に岩陰のような所に到達するはずだ。

大きな岩の塊の下に深いえぐれがあって、その中に人が入り込んだ時、最大の気温の低さ、最高の暗さを手に入れることが出来るであろう。

まるで建物の中にでも居るかのように。

一方、今回入った堤体前のように、「全天を覆うほどの渓畔林」というくらいでは、到底そのレベルに太刀打ちすることはできない。

しかしながら、堤体前の空間というのは堤体本体によって壁が出来ていたり、河床の洗掘作用によってサイド方向にも壁が出来ている。

上方には屋根となる渓畔林の樹冠があることから、これまた建物の中にでも居るような感覚で過ごすことができる。

さらにいえば、岩の塊のときには無かった「方位」という概念が存在することで、太陽の位置との関係を意識するようになり、その場所で「いつ過ごすのか?」といった計画性が生まれる。
このあたりは、直線を伴って設計された人工物であるところの恩恵が大きい。

つまりはゲーム性があるということだ。

この日入った堤体は水が完全に伏流してしまっていた。しかし、これはゲームを構成する一つの要素である。

今回、当地に降雨後に来れば地表水となった水が見られるのか?との予想(訪れようとする動機)があってこの場所に来たわけだし、実際に来てみて伏流する沢の姿を見るという予想外の出来事があり、音響ノイズの全くない無抵抗な堤体相手に歌ったり、その中でも無風という自然条件が歌い手に立ちはだかったりという一連の展開があった。

全てがゲームなのであると思う。計画→実行→現状把握→対処といった一連のゲーム展開がある。そして、予想もしていなかった状況が目の前に現れる「現状把握」の段階そのものは、ゲームのストーリー性を格段に高め、都度プレーヤーに対して大きな課題を与えてくれる。

予想の付かないことが目の前に起きていて、その事に対してこれまでの経験をもとに対処していく。また、技術でダメなら道具に頼る。

今回の経験がまた、自分にとってはプラスになっていくであろう。今後に展開する砂防ダムの音楽において、さらにゲームをおもしろいものにしていくためのヒントにしていきたい。

午前10時すぎ、爽快な気分とともに退渓。ふたたびウエーダーからスニーカーに履き替える。帰りの林道は行きと同様、快適性とともに歩み続けた。

菜畑川第8号コンクリート谷止
風速計。(暗いのでバックライトを使用。)
距離は36ヤード。
方位は149度。南東だ。
銘板
堤体前では予想も付かないゲーム展開が待っている。