10月13日、午前8時。荻ノ入川砂防ダム横駐車スペース。
この日のために用意した虫捕り網と虫かごを車内から取り出し、ウエーダーを履いて堆積地に向かう。
気温は日なた27.7度、日かげ21.5度。
予報では今日一日晴れるらしい。
さわやかな秋晴れの一日に期待しつつ、積み上げられた土砂で出来たスロープを降りた。
堆積地に立つ
午前8時すぎ、荻ノ入川砂防ダムの堆積地。
ほぼ真っ平らに見える堆積地は、わずかな傾斜があり上流から下流に向かって水が流れている。
川のほぼ中央にできた瀬から、堤体方向にむかって流れる水。
流れが堤体区間に差し掛かるだいぶ前では、川は右岸側に分流し小さな湖を形成している。
通常、湖は静まりかえる。だが、上流に出来た瀬と、天端から一気に流れ落ちる水によって生じたノイズで辺りは騒がしい。
情景と音にミスマッチな湖。
しかし、そのような光景を見てほくそ笑んだ人物とは自身のこと。
湖の水。と、上流から下流へ途切れることなく流れる水。両者は堤体本体を通過する区間、しっかりと放水路天端を覆い込むように流れている。
天端の下流にできたカドまでは鏡のような水面。しかし、カドを越えた瞬間、マジックのように消息を絶つ水。水は下に向かって落ち、景色の中から突如として消える。
これは堆積地に立ち、堤体本体側を向いていると見える光景。
だが、このような状況を当たり前に思ってはいけない。
今回おとずれている荻ノ入川砂防ダムのような重力コンクリート式の堤体は、ほとんどの場合「水抜き」と呼ばれる穴が堤体本体に付いている。
上流より流れてきた川の水はすべて堤体の放水路天端上を通過するのではなく、そのうち幾らかを水抜きによって逃がしている。
問題となるのはその逃がしている水の割合で、上流より流れてきた水の全量。つまり100パーセントを水抜きによって通過させている堤体というのが多く存在する。
透過型と呼ばれる形式の堰堤・砂防ダム。その通常稼働状況を見ているといってよいが、放水路天端上を覆い込むように流れる(湛水という。)ときと、こういった場合とでは落水によるノイズに大きく違いが生じる。
・水が堤体の放水路天端上を湛水し、通過している場合。
・水が全量水抜き(水抜きの穴は通常、2個以上複数ついている。)にて堤体を通過している場合。
水が堤体区間を通過するときの2つのパターン。歌い手として、いま現在、堤体と堤体区間を通過する水との関係が、この2つのパターンいずれの状態であるのかをしっかり予測した上で堤体前に立つようにしたい。
理由は、落水により生じるノイズに大きく違いがあるから。
・音の発生周期の違い。
・音の周波数の違い。
・音の発生場所の違い。
ノイズという音環境の違いのみならず、落水そのものの見ための違いがあることを加味すれば、歌い手の心情におよぼす影響として、その差はさらに大きいものだということがわかる。
落水の状況を予測すること。予測にはその堤体の過去の訪問歴を用いるほか、グーグルマップの航空写真でも確認することができる。(確認できる場合がある。)
そして落水の状況がある程度予測できた後に、堤体選択の段階に移ることが出来る。
軽いノイズ、重いノイズ。
やわらかいノイズ、かたいノイズ。
弱いノイズ、屈強なノイズ。
いずれの音。どんな音がノイズとして欲しいのか?
どういった音環境のなかで音楽を楽しみたいのか?
堤体をおとずれる計画段階のうちから歌い手自身の理想をイメージし、それに見合った堤体を選び出すことから旅ははじまる。
気持ちに余裕
午後0時。
午前中いっぱいは虫捕りをして遊んだ。やはり予報に違わぬ晴天の空のもと、残り少ない暖かな季節の空気を感じながら、堤体の堆積地に立って遊ぶことが出来た。
こんな風に余裕でいられるのも、水がしっかりと放水路天端を覆い込むように流れているその光景を確実にその目で確認しているからである。
午後0時半、昼食のため堆積地を上がることに。ふたたび積み上げられた土砂で出来たスロープを登り、駐車スペースへ。
持ち出した虫捕り網と虫かごを車に積み込み、ウエーダーから靴に履き替えエンジンをかける。
車を河津七滝の温泉街に向けた。
出合茶屋へ
午後1時10分、河津七滝・町営駐車場まえ。
この日は3連休の中日ということもあり、町営駐車場まえは駐車待ちの車で渋滞状態。「満車」と書かれた立て看板。さらに赤い棒を持ったガードマンが立って、駐車場へと上がる坂の前にて車を誘導している。
午後1時20分、渋滞をクリアしなんとか駐車マスに車を停めることが出来た。車を降りて出合茶屋に向かう。
午後1時25分、出合茶屋に到着。しかし、店は“オーダーストップ”とのこと。とりあえず店員に確認し、いったん店を出ることにした。
この日は、昼食後に初景滝まえで記念撮影を予定していた。しかし、店のオーダーストップを受け、予定変更。急きょそちらへ向かうことにした。
午後2時、初景滝まえに到着。無事、記念撮影をすることができた。
午後2時20分、ふたたび出合茶屋へ。テラス席にて昼食をとる。このタイミングで食事が出来たのはおよそ1時間前に店に来たとき、しっかり店員に確認したからである。郷に入りては郷にしたがう。店員の話はよく聞く。ネット情報には16時閉店とあるが、宛てにしないでまずは自分の口でしっかり尋ねるようにしたい。
転ばぬ先の杖
午後3時半、ふたたび荻ノ入川砂防ダム横駐車スペースに戻った。
車から降りて入渓の準備。靴からウエーダーに履き替え、上半身にはフローティングベストを纏う。
本日の重要アイテムとしては片手に携える登山用ポール。荻ノ入川砂防ダムの下流部は流路形状に直線的で流れが衰えにくい。さらに、川底に沈む乱形スリのような石はフェルト底のウエーダーであってもかなり滑りやすい。
“転ばぬ先の杖”である登山用ポールの補助を受けることで、より安定性高く川の中を歩くことが出来る。
午後3時50分、荻ノ入川砂防ダム横の林道から堤体前に向かって斜面を降りる。斜面には踏み跡がついている。釣り人や野生動物によって付けられた踏み跡だ。
午後3時55分に堤体前着。
「瀬」とは
水はたっぷりと流れている。
今、この場所に降りてくる前、堤体のほぼ真横から水が放水路天端の底を切って空中に投げ出される様子を確認してから来ている。
天端の下流カドに隙間ができていた。それほど水の流れは厚い。
水タタキに落ちてからの水はいったん側壁護岸のなかにプールされる。プール内にはノイズ要因となるような瀬は一切見られない。瀬がはじまるのは主堤から50ヤード下ってからの区間。
建設重機タイヤサイズ大の石が転がる区間は、減水時には蛇行。しかし、本日ほど水量が多ければ、頭の低い石については丸ごと飲み込むようにして水は流れる。
川の流路は直線的になり、また、石を飲み込んだすぐ下流にはピンポイントで水の落ち込みができる。そして落ち込みができた場所にはノイズが発生。
ノイズの発生源が多数見られる。それらを複数まとめて面になった場所が「瀬」である。
足元からの騒がしさは保証された。渓流区間のノイズのなかで鳴らす音楽の楽しみをじっくり堪能できることが期待される。
果たして?
荻ノ入川のたっぷりとした水の流れに対して、人の声で響きが作り出せるかどうか?
これから実際、声を入れてみて検証することとなる。
声は渓畔林を迂回する
自作メガホンをセットし声を入れてみる。
一番最初に立ち位置として選んだのは堤体から78.8ヤードの地点。
鳴らない。
やや右岸寄り。水面に露出した石の上から挑んでみたが、全く声が響いている感じがしない。
立ち位置のすぐななめ後ろでは、この堤体前で最も有力な瀬がノイズを放っている。やはり影響力は相当大きいようで、迫ってきていている音によって自身の耳は耳栓状態になってしまっている。
歌っているにも関わらず、その声が響きとして聞き取れない。立ち位置を変えてみる。
次に立った場所は堤体から87ヤードの位置。
主要な瀬よりも下流側に立った。ふたたび声を入れてみる。
堤体前に広がるノイズ。その音のデカさ。しかし、そんななかで声は残ってちゃんと響いている。
両岸には渓畔林。
堤体前の直線的な空間のなかで響く声は、歌い手の口から放たれて広く横(両岸側)を迂回している。
声が渓畔林に当たっている。とくに左岸側は勾配がスローで林密度も高すぎない針葉樹の林。いかにも風通しの良さそうな林のなかに声がスムーズに入っていく印象が強い。
変化する堤体前
結局、午後6時まで堤体前で遊んだ。
この日は、一日のほとんど多くの時間を荻ノ入川砂防ダムとともに過ごした。印象的だった出来事といえば、朝一番の堤体本体のインスペクション。
堤体の放水路天端をしっかりと湛水する水。その様子を見てとることが出来て安心した。
じつは今回おとずれた荻ノ入川砂防ダムについて、今春にはすでに来ていて、そのときには水は湛水していなかった。水は堤体本体に設けられた10ヵ所の水抜きから全て抜けきっている状態で、穴から棒状放水したのち、下の水タタキに向かって激しく打ちつけている光景を目の当たりにしていたのだった。
それから季節が過ぎ、春から秋へ。
この10月までの間に当地では台風を筆頭に多くの雨が降り、それに伴って多くの土砂が堤体上流の堆積地に供給された。結果、現在は堤体本体について水が湛水しやすい状態が形成されている。
自身好みのことをいえば、いま現在の放水路天端から湛水している状況というのが、ノイズの質についても、落水そのものの見ためにおいても心惹かれる堤体のすがたである。自分自身に嗜好があるなか、今回はそのような状況のなかで歌えて非常にラッキーであった。
変化する堤体前。
やはり、自然を相手にしている以上「運」がつきものであるということを忘れてはならない。
水の量、風の吹き方・強さ、渓畔林の葉の量、つる性植物、草本、天気、太陽の位置。太陽の位置が変わるならば堤体前の明るさも変化する。あとは滅多に変わらないけれど石が動いて渓相が変わったり、護岸が崩れたり、斜面が崩れたり、倒木が生じたりする。
つねに状況が変化するなかで、まずは自分自身が歌いたいと思うような堤体前に立つことが出来てよかった。
この川については今後、冬に向かって徐々に降水量が減り、水の量も減少の一途をたどるであろう。
そうすればまた、堤体通過時の水が棒状放水の状態に戻ってしまうことも十分に考えられる。
湛水する堤体で遊びたいならば今がチャンス。
歌のプレーヤーにとっていちばん好きな堤体に出会うために。演奏施設となる堤体前の「いま」を予測したのち、実際に現地をおとずれてみたい。
この秋のシーズン。良い状態の良い堤体で良い歌を。すばらしきミュージックライフが展開されることをを祈っている。