
2月。冬。
冬でも堤体前。
そこはやはり、
屋外。
歌う場所でありながら、
屋外。
屋根もない、空調設備もない、正真正銘「外」という空間である。
冬。
このどうしようもない、
どうしようもない寒さ。
どうしようもないなら、
はじめからその場所を目指さないというのもひとつの選択肢。
山でなく。渓でなく。
無理はせず。
一年のうちで最も寒くなる季節はオフシーズンにする。ゆっくりぬくぬく暖房の効いた部屋で過ごす。
窓ガラス越しに枯れ草を見る。吹きさらす寒風を聞く。
温かいコーヒーをすする。
ユーチューブを見る。
それにも飽きてきたころ・・・。
渓行計画、新規開拓計画、情報収集、道具作り、その他作業。
音楽人として、川遊び人として、活躍の場は自宅や作業場に移行する。
乗り越えられれば。
この冬を乗り越えられれば暖かい「春」だ。
緩んだ空の下、
歌うために。
冬の季節は我慢の季節。
寒さ過ぎさるその日を待つ。

一方では
2月9日午前9時。山梨県南巨摩郡南部町アルカディア多目的広場。
歌というものは最も身近な存在だ。
そんな想いも一方では大切にしていたい。
寒いからという理由をもとに外で歌うという遊びを失いたくない。
一年を通じてコンスタントに歌い続けたい。前例が欲しい。先駆者たちの後ろ姿は大事になってくる。
そしてなんと言っても堤体前の音楽なのである。やはり他の季節同様、新たな可能性を探るということをやっていきたい。
冬はこういう堤体を選んだ方がいい。とか、
冬はこういう曲を選んだ方がいい。とか、
こういうことをすると他の季節では味わえない、冬ならではの楽しみ方が出来る。とか。
抽象的な論で突き放すようではズルいだけなので、これまでに自身が感じてきたことを述べるとすれば“もっとも歌いやすい季節”こそ冬であるような気がする。
歌の持つ特性、歌の持つ機能を考えれば話しは早い。生きてゆく上で生ずる困難に立ち向かうには歌は大きな味方になる。
冬であること。寒いこと。
考えてみれば、もはやフィールドに立っていることそのものが困難なのである。
屋外で歌うという条件に照らし合わせて冬は合っている気がする。いちばん無理なく声が出せる季節であると思う。あとはプラス、新たな可能性を探るための宝探しの時間にあてていきたい。
寒いのだけれど、
今日は外でやろうと思う。
気温はマイナス2.6度。
駆ける鳥たちは元気だ。





展覧会
午前9時40分、アルカディア多目的広場駐車場を出発。
車でなく、歩く。
午前10時、アルカディア文化館にやってきた。ここは図書館と美術館が共同になった施設である。
画家の展覧会をやっていた。
少しのぞいてみる。
室内は冬では無かった。暖かな色につつまれる展示のホール。
色を用いた創作物。その技術。「客観」という言葉があるが、ここまで色を使っているものに客観が成立するということの凄み。
作者自身がいいと思ったもの。一方、客として鑑賞する絵。
ひとつひとつの作品を見て作者とつながれる。のみならず、その色彩は2月という冬の季節にまるで春が来たような感覚をもたらしてくれた。偶然たちよった展覧会は、思いもよらぬ温かさをもたらしてくれた。



外にいる。
午前10時40分、アルカディア文化館を出発。
北へとすすみ、県営住宅南光平団地を過ぎて左折。田んぼ道を抜け、南部町大和(おおわ)の集落。坂道を登ってゆくと「峠のラーメン」へ。
昼食をとる。
午後0時05分、峠のラーメンを出て、アルカディア多目的広場駐車場にむかう。
気分は陽気。景色も明るい。
遠くには真木立つ山々。その山々を隔てて上は青空。下は黄金色の田畑。
溢れんばかりの日に照らされる山村の景色。
心は動かされた。
このあと予定していた日帰り温泉施設「なんぶの湯」への入浴を取りやめることにしたのだ。
湯に浸かることが嫌になったわけではない。温泉入浴のための一定時間、いくらかのあいだでも建物内に留まることが非常にもったいなく思えてきたのだ。この明るい陽気を少しでも多く満喫したい。今まさにこのときの最高の贅沢はなにかと考えた結果「外にいる。」ということを選択するに至った。
快晴である。しかし快晴でも気温はほとんど変わらなかった。不思議なものである。けっして緩んでくれない空気に冷やされながら車まで戻った。






鍋島橋
午後0時40分。車に乗り込み堤体へ向かう。
県営住宅南光平団地まえを右折。新大和橋をわたり、オギノキャロットまえを通過。
共栄橋まで走り、本日入渓する戸栗川の様子をチェック。
異常なし。
共栄橋を渡りきり、国道52号線をくぐると直進。中央化学まえ、ビヨンズまえ、ハッピードリンクまえを通過するとやがて十字路へ。ここの十字路では民宿の看板が立っている。
看板は「山下荘」「十枚荘温泉」の二枚看板。
看板にしたがい左折し、道なりにすすむ。
午後1時15分、南部町公民館成島分館まえを通過。
やがてあらわれたY字分岐。「十枚山登山口」の逆側となる左を選択し、200メートルほど進むと「鍋島橋」。鍋島橋はわたらずに橋の西詰、道幅の広くなったところに車を駐車した。





重要事項
車から降りて入渓の準備。
靴を脱いで、靴下に「貼るカイロ」を装着。カイロは長方形に切り取られたレギュラーサイズの貼るカイロである。
くつ用とかくつ下用というカイロもあるけれど、これらは真冬の渓に立ち込むには少々もの足りない気がする。ウエーダー越しとはいえ水中に足を突っ込めば、足先はキンキンに冷えた冷水に襲われ、そこから陸上に上がると今度は気化熱作用にてガンガン冷却攻撃をうける。
面積、内容量ともに勝るレギュラーサイズの貼るカイロがよい。
信頼のレギュラーサイズ。
これが重要事項。
足先が冷たいかどうかは快適性のみならず。
大小の石がゴロゴロ転がる渓では安全歩行が重要になってくる。そのためにはまず足先の神経が正常状態にあるよう準備したい。
ウエーダー内できちんと足先が動くようになっていること。足先が動いてくれれば大きな石に乗るときにも、小さな石に乗るときにも石の大きさに呼応してバランスをとることができる。これは足の指先にしっかり力が入って踏ん張ることができている状態。渓を歩くときに常にこの状態を作ってやることで、普段通りのいちばん歩きやすい歩行ができる。
片足1枚ずつ、合計2枚の貼るカイロ。しかしこれが安全渓行にかかわる重要アイテムになってくる。
カイロが剥がれてしまわないよう靴下にしっかりと貼り付けられたら、ウエーダーを履いて下半身は完成。
上半身には防風用のジャケットを着る。冷たい谷風から体を守るには、やはり風を通さない防風機能付きのジャケットがいい。ジャケットの下には吸汗発熱性のインナーや防寒用のフリースなどを着込む。
山で歌うという特性上、止まっているときと動いているときとでは運動量の差が激しい。歌っているときは衣服を着込むことによって快適性を手に入れたい。反面、動いているときには運動によって発生する余分な熱を体外に放出したい。
堤体前までの苦労。せっかくたどり着いたのに、寒くて全然歌えなかった。ではもったいない。衣服は気持ち的なゆとりにつながるよう少し多めに用意。当然ながら時間の経過とともに夜は近づき、気温は下降の一途をたどる。(とくに午後ゲームの場合。)収納面、重量面、ともに支障をきたさぬ程度に多く持つよう準備したい。
そして理想は止まっているときも動いているときも快適だと感じられる状態をつくること。
もっと温かい方がいい。もっと寒い方がいい。
これが意外と良くない。余計なことを考えるのが良くない。
余計なことを考える必要を無くし、集中力の高い状態を保つことが理想的だ。
歌を楽しむこと。安全渓行を行うこと。もはやいずれの局面においても快適性は重要事項といえるのである。



攻めの姿勢
午後1時50分、鍋島橋の下流より入渓する。
入渓直後には南俣川と西俣川の合流点。南俣川を選択し、豆腐石の上をわたってゆく。
この川に来たのは昨冬以来だ。そのときにはすでにこの川にはディディーモがいることを確認している。
ディディーモに足を乗せるととにかく滑るのでこれはとにかく注意しなければならない。
なるべくなら大きな石の上には足を乗せないようにしたい。
「南俣川堰堤」は、南俣川入渓後に一番最初にあらわれる堤体である。
歌える堤体として間違いなく一級レベルにランクインする堤体がこの川にはある。したがってディディーモの生息が確認されようとも、今後自身がこの川をおとずれる機会を無くすことはないだろう。
これは自分自身のことだけではない。いろんな人がどんどん入渓すればいいと思っている。その生息する川に。
いろんな人が川に入り、その現状を知ることがまずスタート地点であると考える。
「攻めの姿勢」で取り組むべき課題であると考える。
まずは一人でも多くの人がこの問題について知ること。やがて人の数=アイデアの数になり、解決に向かうことに期待している。





南俣川堰堤
午後2時05分、南俣川堰堤に到着。
一級場所も冬の減水期では落ちる水が少なすぎる。しかし、敢えて少なすぎる水を相手に歌うのも楽しそう。
しばらく考えた。
結果、南俣川堰堤はパスすることにした。
午後2時50分、南俣川堰堤を巻いて堆積地に上がった。
川は南東方向に少し進むと急激な右カーブをむかえ、北に進路を変えた。しかし本日は夕方ゲーム。まったく気にすることなくそのまま遡行をつづけた。






デカ石
午後3時15分、目的の堤体に到着。
水は堤体の中央より少し右岸側に集まって櫛状に落ちている。
堤体の露出部分(露出して見えている部分)の堤高が10メートルほど。そのうち半分の5メートルのところに奥行き1メートル程度の段差がある。一見すると副堤付き、二段構造の堤体にも見える。しかし、実際は段差の付いた単堤である。
水はいったん落水直後に池にプールされ、その池から溢れ出た水が下流へとつづく。
池の下流には車の大きさに例えて「軽貨物サイズ」のデカ石がドン!と鎮座している。このデカ石を境に流れは左右両岸側に分岐。左岸側は深く掘られた淵へ。右岸側は直径1メートル以下、大小の転石が転がる中をすり抜けるように水が流れている。水は小さな段差を越えるときには落水し、ノイズを発生。
堤体前ノイズとしては小さな段差と堤体本体の落水によるものが主となる。





柔らかなノイズ
堤体前、立ち位置として設定したのは45ヤードの位置。
デカ石の圧倒的な存在感にはじき出され、その右斜め後方(左岸側)に立った。
自作メガホンをセットし、声を入れてみる。
鳴っているのがわかる。
堤体前ノイズに混じって、自身の出した声が響いている。
立ち位置から堤体方向を正対すると、左岸側の張り出す岩を見ることが出来る。この張り出す岩によって堤体の中央より左岸側は見ため上、大きく隠れてしまっている。そして、落水の着地(池への着地)地点の様子も確認することが出来なくなっている。
堤体の水裏側(堤体の下流側)の全景を見ることが出来ない。反面、張り出す岩があることにより、落水ノイズは直接立ち位置へと迫ってくることができない。
「張り出す岩」が一枚壁になってくれ、ノイズが直接的なもので無くなっている。
ノイズに声を合わせていくのはいつものこと。しかし、今日は相手にしているノイズが直接的なものではない。
鋭さを失った柔らかなノイズ。柔らかなノイズを相手にしている。



戦略的な声の響かせ方
結局この日は午後5時まで堤体前で過ごした。
演奏施設となる堤体前。堤体前に到着した段階では、歌い手はまず歌うための立ち位置を決めにいく。
歌うとき。対象物となるのは砂防ダム等堤体類。
「歌い手」と「堤体」。二者間の距離を見ながら、もっとも歌うための立ち位置としてふさわしい場所を探しに行く作業である。
本来ならば距離だけを考えればいい。距離という数字だけを見ればいい。
しかし実際のフィールドでは単純にいかない。今回入った堤体前のようにデカ石がある。岩の張り出しがある。こういった理由により立ち位置の制限を受けるようになる。
石。岩。(そして今回は無かったが立木なども。)さまざまな自然物が存在するなか、立ち位置を決めにいく。すると人が立ちたい空間にすでにものが置かれている場合がある。必ずしも距離という数字だけをもとに、好きな立ち位置を設定できるとは限らない。
こう書くと不都合な条件に陥れられている気がする。
だが、このような条件を逆に肯定的にとらえ、うまく利用していくという手もある。
堤体前をおとずれることの最大目的は何か?
それはいつだって歌声を響かせることにある。
ならば石でも岩でも現場にあるものは何でもすべて利用して、響き作りを実現させていけばよい。
今回の場合は堤体前の「張り出す岩」を利用した音楽。
結果として、声を合わせにいくノイズが直接的なもので無くなった。
代わりに出現したのは柔らかなノイズ。
柔らかなノイズが相手にできたことによって、入れる声とのパワーバランスが良くなった。
堤体前にある自然物を利用した戦略的な声の響かせ方。
堤体前ならではのおもしろさを満喫することができたゲームとなった。



