釣り場のじじい

甲斐駒ヶ岳・舞鶴橋・大武川。

午前9時半を過ぎた頃のことであったか?

話しかけてきたのはじじいの方からだった。砂煙で汚れた軽のパワーウインドゥが開く。

「釣りじゃ無いんか?」

釣りじゃ無いんかて・・・。この三脚で魚を獲れとでも言うのか。

カメラと三脚。こちらが携えていたのはこの二つだけ。足元はスニーカーのままだし、釣り道具を隠し持っていそうなベストなども着ていない。

「ここは山がきれいだろっ!」

きれいだ!と、答えてやった。

「いい写真がいっぱい撮れるだろっ!」

あぁっ。

釣り場のじじいは全国共通なんだなと思った。基本、釣り場のじじいの話し方はマウント調なのである。

①人の釣り方にケチをつけてくる。

②人の仕掛けにケチをつけてくる。

③ケチには至らずともアドバイスをしてくる。

釣り場のじじい3大特長。すべてにおいてオレの方が上だ!とばかりにアレコレ講釈を垂れてくる。

魚を釣って欲しいという思いがあるのであろう。遠方よりはるばるやって来た者らに良き思い出を作って帰ってほしいという思いがあるのであろう。しかし、こちらは教えを請うているわけではないし、そもそも思い出づくりなんてものも頼んでいない。

魚が釣れない中で試行錯誤を楽しむという釣りならではの楽しみがある。

釣りそのものに集中することの楽しみというものもある。

だが、そんなことはお構いなしに釣り場のじじいは話しかけてくる。3大特長プラス、釣り場のじじいはおしゃべり好きなのである。

おしゃべりが最優先。なにかを言いたくてしょうがない。したがって、相手が釣り人で無いとわかれば今回のようにお題を変え、またアレコレ言ってくる。

誰それかまわず。釣り場で出会った人には片っ端からこの感じなのだろう。過去に出会ったじじいのなかにはスーパーじじいみたいなのもいた。政治、経済、昔話、うわさ話、ギャンブル、高校野球の話しなどどんなネタでも雄弁に語ってみせる猛者だった。

それくらい振り切っているのならば話しは変わってくる。竿を振る手を止めて、羨望の眼差しとともにじじいの話しに聞き入ることになるのだろう。

こちらも相手がじじいかと言って、だれの話しも聞きませんよという体制では無いのだ。

他人を否定するばかりのボキャブラリーの無いタイプが嫌だ。何と言ってもそんなヤツに絡まれるために、外へ遊びにやって来たのでは無い。

こういうときは、早く居なくなってくれ・・・と心の中で一生懸命念じるか、道具一切を片付け、その場から早々に退散することになるか。今日の場合は、相手が車上の人だから何とかなってくれそうだが?

まったく・・・。

ふと運転席の方を見た。じじいの腕には赤い腕章が巻かれていた。

出会った人には片っ端からこの感じなのだろう。

人財

3月1日、場所は山梨県北杜市、大武川「舞鶴橋」上流の川岸(土手)での出来事である。

釣り場のじじいはただの通りすがりでは無かった。

その名を知っているという訳では無い。顔を知っているという訳でもない。ただ、このじじいは腕章屋なのである。

じじいが釣り業界の人間であるということ。

この人らの存在によって釣りという文化が支えられているということ。

日本の渓流シーンを盛り上げるための一活動家であるということ。

いろいろな情報が一気に入ってきた。

そして今、この瞬間。自身とじじいの間に流れる空気感というものが、釣り業界にとって非常に貴重な財産になっているのだという非常に重い、なんとも言いようのない感覚に襲われた。

無理もない。

それには比べる相手がいるから。

だれかって。

もちろん、

自分自身のこと。

砂防ダム音楽家。

砂防ダム音楽家だ。

砂防ダム音楽家をやっていて求めるもの。その最大は「良い響きが得られるように」日々こうどうすることにある。

良い響きが得られるように、堤体さがしをする。

良い響きが得られるように、場所をアピールする。

良い響きが得られるように、道具を開発する。

なにがなんでも「良い響きが得られるように」なのである。

とにかく「良い響きが得られるように」なのである。

考えることの中心はいつも「良い響きが得られるように」なのである。

だから多分、

多分、失敗する。

仕事で失敗する。

単一戦略のそのやり方。

世の中が求めているものを勘違いして。いらないものを用意し、逆に、いるものを排除するという悪行をやらかす。

たしかに「良い響き」は必要なもの。ただし、それだけがみんなに求められているものでは無いはず。

お客がもとめているものの「多様」に気がつくこと。気がついて用意すること。

集客における一番重要な事項なのではないか。

釣り場のじじい。

こちらに話しかけてきたのも、重要な任務のうちのひとつであったのだ。

こんな人財がいてくれる業界をうらやましく思った。

当日の水温はわずか3度と。これでは渋い。
しかしまぁ・・・、
魚を出すばかりが釣りじゃないから。
春の訪れを感じる。それだけで気分がいい。
(ハリエンジュの実。)

食べもの

午前中。じじいと別れたあとも、釣り人たちのギャラリーとなって過ごしていた。

移動を決めたのは正午を過ぎてすぐのこと。車に乗り込み出発。ほどなくして到着したのは「みち草」。

ここで昼食をとることに。

店先には水道の蛇口があって手が洗えた。これが外遊びをしてから駆け込むにうってつけの設備。ハンドソープも付いていて、やはりありがたく利用させてもらった。

店内は改築古民家の装い。

テーブル席あり、座敷の席あり。楽に座れる方を選ぶことが出来る。

オーダーしたのは親子丼みち草セット。

メインのみそ親子丼が美味く。また、いっしょに付いてくるプリンがいい。

プリンは抜群の濃厚さとホームメイドの素朴さを兼ね備えた極上の一杯。

午後0時40分、より道を出て大津山實相寺に向かう。

午後0時50分、實相寺ちかくの「神代公園」駐車場に到着。歩いて實相寺に向かった。お目当ては当地の銘木「神代桜」だ。

木は古木。

花も葉も付いていない状態。しかし旺盛に張る枝が見事なこと。また、その向きは力強くしっかり空に向かって伸びている。

木は2000年も生きていてこの有りようだ。これは見習わないといけない。われわれ人間は90歳、100歳なんて。まだまだじゃないか。

まだまだ元気よくやっている。生きているのだから、気持ちで負けてちゃいけない。

古木。しかしこの木もまたシーズンには見事な花をつけるのだという。

今はまだ、開花前。

そして観光客の姿はなく。

静かに木を楽しむことができた。

誰に話しかけられることもなかった。

おしゃべり好きなじじいに出会うこともなかった。

みち草へ
大人も子供もジャバジャバ洗える。
親子丼みち草セット。右端のプリンがとくによかった。
神代公園(トイレあり)へ
神代桜
神代桜のえだ

移動

午後1時50分、堤体に向かう。

神代公園駐車場を出て南進すると快速道路(甲斐駒ヶ岳広域農道)に出た。

右折し、大武川上流を目指す。

「烏帽子橋」「甲斐駒大橋」の二本の橋をわたると、山梨県道614号線に差しかかる丁字路へ。

案内標識にある「大坊」方面を選択し、さらにすすむ。

篠沢大滝キャンプ場の看板前ではY字分岐をひだりななめ前方へ。大武川の左岸道路を走り、大武川砂防堰堤直前では道がおおきく右にむかってカーブする。カーブにしたがって行き、そのまま林道内へ。林道内、1.3キロほど進んだところで橋。橋の名は「篠沢橋」。

篠沢橋をわたりきり、50メートルほどで林道ゲート。この林道ゲート前は車両の転回場のようになっている。

午後2時半、林道ゲート前。車は転回場の端に駐車した。

車から降りて入渓の準備。

春の陽気。ここ数日で一番あたたかい気がする。いつもなら車から降りてすぐに防風用のレインジャケットを着込むのであるが、どうやら今日は必要なさそう。

レインジャケットはバックのなかに押し込んで歩きをスタート。

午後2時50分、林道ゲートをくぐり抜ける。

本日むかう堤体は「人面砂防堰堤」。林道ゲートからの距離はほど近く、お手軽に入渓することができる。

午後2時55分、人面砂防堰堤の左岸側に到着。

登山用ポールの補助を受けながら堤体下流すぐの坂を下りてゆく。

午後3時05分、堤体前着。

快速道路の名は「甲斐駒ヶ岳広域農道」。
大坊方面へ
山梨県道614号線を走る。
篠沢大滝キャンプ場の看板前
篠沢橋
堤体の左岸側に到着
銘板
堤体前へ

場所

堤体は主堤と副堤の二段構造。水は右岸側に偏って落ちている。

冬期の減水期。山梨県内の河川を選ぶなかで「なるべく水が多そうな場所」ということでこんかい大武川を選ぶに至った。

思惑はズバリ的中。水はたっぷりと流れている。

水は堤体を落ちた直後、堤体に対しほぼ平行に左岸側へ走る。さらに左岸の川岸にぶつかったあとには、それでもまた左岸側に近づくように流れ、ある一点をさかいに今度は右岸側にむかってカーブする。

右岸側にむかってカーブする地点には高さ10メートルほどの堆積物(転石、砂利等)による壁ができている。

豪雨にともなう増水時には相当暴れるのであろう。圧巻の壁である。

堤体前に残るいくつかの巨石もまた印象深い。こちらは激流に耐えた石たちか?ただただ感心していられる程度に、並んでいる様子を眺めることが出来る。その存在によって立ち位置に制限がおよぶなどの影響はないだろう。

巨石以外では砂、小石が敷かれた区域が広く形成され。

たて幅、よこ幅ともに広い区間のなかで、堤体との適正距離を探っていくことが出来そうだ。実際に声を入れてみながら、理想的な響きが得られる場所を見つけていければよいであろう。

主堤を横から
この山もまた!
狭まったところは圧縮されて強く流れるので注意。
堆積物によってできた壁。
過酷な環境下で発芽したのはアカマツ。
流れの向き

道具に頼ること

自作メガホンをセットし声を入れてみる。

鳴らない。

これは想定済み。立ち位置を変え、再度声を入れてみる。

しかし、これも良くない。

さらに立ち位置を変えながら声を入れていく。

でもダメ。

「声を入れる」というのは声を堤体に向かって出していることをいっている。ただし何もないところで声を出しているのではなく、メガホンを持っているのでちょうど「声を入れる」なのである。

音が響いてくれないという状況に陥ったとき。まずはがんばって声を張ってみる。しかし、それでも響いてくれないから道具に頼る。道具に頼れば解決につながる場合がある。

しかし道具に頼って解決につながらない場合もある。

何も持たないで歌っているよりは道具があるほうがいい。気持ちの面での心強さが断然ちがうからだ。

道具に頼ること。

解決のために・・・、ということでもあるし、解決されなくとも心強さを手に入れることができる。

南西向き。正午過ぎもいいかも。
風はしっかり吹いてくれていたのであったが・・・。
立ち位置の自由度は高い。

うらやましい

結局、この日は午後5時まで堤体前で過ごした。

立ち位置を変えながら声を入れていくという行為を繰り返したが、結局、響きが得られるということはなかった。

砂防ダムの音楽をやっていて、釣りというものに近いなという部分がある。

砂防ダムの音楽では「声を入れる」。

釣りでは「仕掛けを入れる」。

どちらとも「入れる」。ということで似たような感覚がある。

声を入れてみて結果が出なければ、再度「入れる」をおこなう。(再投入。)条件をほとんど変えずに入れなおすこともあれば、立ち位置を変えてから入れなおすこともある。

「入れる」という行為を繰り返す。求める結果は響いた!という瞬間である。(これは、釣れた!という瞬間に該当するか?)

どちらとも、動いている水に対する試行錯誤。

考える。試す。の繰り返し。

結果を出すためのチャレンジ。

釣り場のじじい・・・、ならぬ堤体前じじいみたいな人物は?指南役は?今日はいない。

したがって結果にたどり着くには少し遠い道になるかもしれない。

しかし、

いまはメソードがよくわからない状態で試行錯誤していることが楽しい。メソード無き時代を生きていく楽しさ。その楽しさのなかに居ることが出来ている部分もある。

メソードという宝探しに出かけている旅でもある。歌える堤体さがしの旅は。自分自身の身で宝を見つけようとするロマンがあるわけで、そこに夢中になっている。

したがって堤体前のじじい・・・は、今は要らない。

だが冒頭感じたように、いずれはそういった人物が必要になってくる時代が来るのであろう。

みんながみんな同じ性格というわけでは無いから。お客がもとめているものの「多様」に気がつき、用意すること。

時間を逆にして考えれば、

あらかじめ用意し、到来を待つこと。

集客。

戦略的に考えるなら、

人、場所、道具。

全てが欠けることなく用意されている状態が理想。

もうすでに・・・。

もうすでに全てがそろっている業界は?

釣り業界。

すごいよ。やっぱり。

釣り業界はうらやましい。

結局、堤体前が鳴ることは無かった。

張り出す岩

アルカディア多目的広場


2月。冬。

冬でも堤体前。

そこはやはり、

屋外。

歌う場所でありながら、

屋外。

屋根もない、空調設備もない、正真正銘「外」という空間である。

冬。

このどうしようもない、

どうしようもない寒さ。

どうしようもないなら、

はじめからその場所を目指さないというのもひとつの選択肢。

山でなく。渓でなく。

無理はせず。

一年のうちで最も寒くなる季節はオフシーズンにする。ゆっくりぬくぬく暖房の効いた部屋で過ごす。

窓ガラス越しに枯れ草を見る。吹きさらす寒風を聞く。

温かいコーヒーをすする。

ユーチューブを見る。

それにも飽きてきたころ・・・。

渓行計画、新規開拓計画、情報収集、道具作り、その他作業。

音楽人として、川遊び人として、活躍の場は自宅や作業場に移行する。

乗り越えられれば。

この冬を乗り越えられれば暖かい「春」だ。

緩んだ空の下、

歌うために。

冬の季節は我慢の季節。

寒さ過ぎさるその日を待つ。

芝生広場。

一方では

2月9日午前9時。山梨県南巨摩郡南部町アルカディア多目的広場。

歌というものは最も身近な存在だ。

そんな想いも一方では大切にしていたい。

寒いからという理由をもとに外で歌うという遊びを失いたくない。

一年を通じてコンスタントに歌い続けたい。前例が欲しい。先駆者たちの後ろ姿は大事になってくる。

そしてなんと言っても堤体前の音楽なのである。やはり他の季節同様、新たな可能性を探るということをやっていきたい。

冬はこういう堤体を選んだ方がいい。とか、

冬はこういう曲を選んだ方がいい。とか、

こういうことをすると他の季節では味わえない、冬ならではの楽しみ方が出来る。とか。

抽象的な論で突き放すようではズルいだけなので、これまでに自身が感じてきたことを述べるとすれば“もっとも歌いやすい季節”こそ冬であるような気がする。

歌の持つ特性、歌の持つ機能を考えれば話しは早い。生きてゆく上で生ずる困難に立ち向かうには歌は大きな味方になる。

冬であること。寒いこと。

考えてみれば、もはやフィールドに立っていることそのものが困難なのである。

屋外で歌うという条件に照らし合わせて冬は合っている気がする。いちばん無理なく声が出せる季節であると思う。あとはプラス、新たな可能性を探るための宝探しの時間にあてていきたい。

寒いのだけれど、

今日は外でやろうと思う。

気温はマイナス2.6度。

駆ける鳥たちは元気だ。

セグロセキレイ
おっ?
飛ぶのか?
飛ぶのか?
飛ばない。

展覧会

午前9時40分、アルカディア多目的広場駐車場を出発。

車でなく、歩く。

午前10時、アルカディア文化館にやってきた。ここは図書館と美術館が共同になった施設である。

画家の展覧会をやっていた。

少しのぞいてみる。

室内は冬では無かった。暖かな色につつまれる展示のホール。

色を用いた創作物。その技術。「客観」という言葉があるが、ここまで色を使っているものに客観が成立するということの凄み。

作者自身がいいと思ったもの。一方、客として鑑賞する絵。

ひとつひとつの作品を見て作者とつながれる。のみならず、その色彩は2月という冬の季節にまるで春が来たような感覚をもたらしてくれた。偶然たちよった展覧会は、思いもよらぬ温かさをもたらしてくれた。

アルカディア。手前の施設はスポーツセンター。
文化館は1階が図書館。2階が近藤浩一路記念南部町立美術館。
展覧会は3月20日まで。

外にいる。

午前10時40分、アルカディア文化館を出発。

北へとすすみ、県営住宅南光平団地を過ぎて左折。田んぼ道を抜け、南部町大和(おおわ)の集落。坂道を登ってゆくと「峠のラーメン」へ。

昼食をとる。

午後0時05分、峠のラーメンを出て、アルカディア多目的広場駐車場にむかう。

気分は陽気。景色も明るい。

遠くには真木立つ山々。その山々を隔てて上は青空。下は黄金色の田畑。

溢れんばかりの日に照らされる山村の景色。

心は動かされた。

このあと予定していた日帰り温泉施設「なんぶの湯」への入浴を取りやめることにしたのだ。

湯に浸かることが嫌になったわけではない。温泉入浴のための一定時間、いくらかのあいだでも建物内に留まることが非常にもったいなく思えてきたのだ。この明るい陽気を少しでも多く満喫したい。今まさにこのときの最高の贅沢はなにかと考えた結果「外にいる。」ということを選択するに至った。

快晴である。しかし快晴でも気温はほとんど変わらなかった。不思議なものである。けっして緩んでくれない空気に冷やされながら車まで戻った。

南部町大和
ロウバイが咲いていた。
まだまだ冬という証拠だ。
峠のラーメンへ。
あるいた分、余計に美味かった気がする。
陽気。これぞ贅沢。

鍋島橋

午後0時40分。車に乗り込み堤体へ向かう。

県営住宅南光平団地まえを右折。新大和橋をわたり、オギノキャロットまえを通過。

共栄橋まで走り、本日入渓する戸栗川の様子をチェック。

異常なし。

共栄橋を渡りきり、国道52号線をくぐると直進。中央化学まえ、ビヨンズまえ、ハッピードリンクまえを通過するとやがて十字路へ。ここの十字路では民宿の看板が立っている。

看板は「山下荘」「十枚荘温泉」の二枚看板。

看板にしたがい左折し、道なりにすすむ。

午後1時15分、南部町公民館成島分館まえを通過。

やがてあらわれたY字分岐。「十枚山登山口」の逆側となる左を選択し、200メートルほど進むと「鍋島橋」。鍋島橋はわたらずに橋の西詰、道幅の広くなったところに車を駐車した。

オギノキャロット南部店
共栄橋から戸栗川と新戸栗川橋
民宿の看板にしたがい左折する。
山は大光山(左上)
南部町公民館成島分館を越えたあたり

重要事項

車から降りて入渓の準備。

靴を脱いで、靴下に「貼るカイロ」を装着。カイロは長方形に切り取られたレギュラーサイズの貼るカイロである。

くつ用とかくつ下用というカイロもあるけれど、これらは真冬の渓に立ち込むには少々もの足りない気がする。ウエーダー越しとはいえ水中に足を突っ込めば、足先はキンキンに冷えた冷水に襲われ、そこから陸上に上がると今度は気化熱作用にてガンガン冷却攻撃をうける。

面積、内容量ともに勝るレギュラーサイズの貼るカイロがよい。

信頼のレギュラーサイズ。

これが重要事項。

足先が冷たいかどうかは快適性のみならず。

大小の石がゴロゴロ転がる渓では安全歩行が重要になってくる。そのためにはまず足先の神経が正常状態にあるよう準備したい。

ウエーダー内できちんと足先が動くようになっていること。足先が動いてくれれば大きな石に乗るときにも、小さな石に乗るときにも石の大きさに呼応してバランスをとることができる。これは足の指先にしっかり力が入って踏ん張ることができている状態。渓を歩くときに常にこの状態を作ってやることで、普段通りのいちばん歩きやすい歩行ができる。

片足1枚ずつ、合計2枚の貼るカイロ。しかしこれが安全渓行にかかわる重要アイテムになってくる。

カイロが剥がれてしまわないよう靴下にしっかりと貼り付けられたら、ウエーダーを履いて下半身は完成。

上半身には防風用のジャケットを着る。冷たい谷風から体を守るには、やはり風を通さない防風機能付きのジャケットがいい。ジャケットの下には吸汗発熱性のインナーや防寒用のフリースなどを着込む。

山で歌うという特性上、止まっているときと動いているときとでは運動量の差が激しい。歌っているときは衣服を着込むことによって快適性を手に入れたい。反面、動いているときには運動によって発生する余分な熱を体外に放出したい。

堤体前までの苦労。せっかくたどり着いたのに、寒くて全然歌えなかった。ではもったいない。衣服は気持ち的なゆとりにつながるよう少し多めに用意。当然ながら時間の経過とともに夜は近づき、気温は下降の一途をたどる。(とくに午後ゲームの場合。)収納面、重量面、ともに支障をきたさぬ程度に多く持つよう準備したい。

そして理想は止まっているときも動いているときも快適だと感じられる状態をつくること。

もっと温かい方がいい。もっと寒い方がいい。

これが意外と良くない。余計なことを考えるのが良くない。

余計なことを考える必要を無くし、集中力の高い状態を保つことが理想的だ。

歌を楽しむこと。安全渓行を行うこと。もはやいずれの局面においても快適性は重要事項といえるのである。

レギュラーサイズの貼るカイロ
足の甲側に貼る。
入渓点。左が南俣川、右が西俣川。

攻めの姿勢

午後1時50分、鍋島橋の下流より入渓する。

入渓直後には南俣川と西俣川の合流点。南俣川を選択し、豆腐石の上をわたってゆく。

この川に来たのは昨冬以来だ。そのときにはすでにこの川にはディディーモがいることを確認している。

ディディーモに足を乗せるととにかく滑るのでこれはとにかく注意しなければならない。

なるべくなら大きな石の上には足を乗せないようにしたい。

「南俣川堰堤」は、南俣川入渓後に一番最初にあらわれる堤体である。

歌える堤体として間違いなく一級レベルにランクインする堤体がこの川にはある。したがってディディーモの生息が確認されようとも、今後自身がこの川をおとずれる機会を無くすことはないだろう。

これは自分自身のことだけではない。いろんな人がどんどん入渓すればいいと思っている。その生息する川に。

いろんな人が川に入り、その現状を知ることがまずスタート地点であると考える。

「攻めの姿勢」で取り組むべき課題であると考える。

まずは一人でも多くの人がこの問題について知ること。やがて人の数=アイデアの数になり、解決に向かうことに期待している。

豆腐石の上をわたってゆく。
ディディーモ①
ディディーモ②
日かげの渓は雪を被っていた。
南俣川堰堤

南俣川堰堤

午後2時05分、南俣川堰堤に到着。

一級場所も冬の減水期では落ちる水が少なすぎる。しかし、敢えて少なすぎる水を相手に歌うのも楽しそう。

しばらく考えた。

結果、南俣川堰堤はパスすることにした。

午後2時50分、南俣川堰堤を巻いて堆積地に上がった。

川は南東方向に少し進むと急激な右カーブをむかえ、北に進路を変えた。しかし本日は夕方ゲーム。まったく気にすることなくそのまま遡行をつづけた。

巻きつつ、銘板を撮る。
放水路天端越しに下流側
上流側は堆積地
南俣川堰堤のランドマークツリー。スギの枯木。
進路が北に変わったあたり。
堤体前着。

デカ石

午後3時15分、目的の堤体に到着。

水は堤体の中央より少し右岸側に集まって櫛状に落ちている。

堤体の露出部分(露出して見えている部分)の堤高が10メートルほど。そのうち半分の5メートルのところに奥行き1メートル程度の段差がある。一見すると副堤付き、二段構造の堤体にも見える。しかし、実際は段差の付いた単堤である。

水はいったん落水直後に池にプールされ、その池から溢れ出た水が下流へとつづく。

池の下流には車の大きさに例えて「軽貨物サイズ」のデカ石がドン!と鎮座している。このデカ石を境に流れは左右両岸側に分岐。左岸側は深く掘られた淵へ。右岸側は直径1メートル以下、大小の転石が転がる中をすり抜けるように水が流れている。水は小さな段差を越えるときには落水し、ノイズを発生。

堤体前ノイズとしては小さな段差と堤体本体の落水によるものが主となる。

二段構造に見えるが、下段はわずかな奥行きしかない単堤。
長い年月のあいだに消耗してしまっている。
段差に叩きつけたあと池に叩きつける。
軽貨物サイズのデカ石
場所によっては氷が張っていて。慎重に歩く。

柔らかなノイズ

堤体前、立ち位置として設定したのは45ヤードの位置。

デカ石の圧倒的な存在感にはじき出され、その右斜め後方(左岸側)に立った。

自作メガホンをセットし、声を入れてみる。

鳴っているのがわかる。

堤体前ノイズに混じって、自身の出した声が響いている。

立ち位置から堤体方向を正対すると、左岸側の張り出す岩を見ることが出来る。この張り出す岩によって堤体の中央より左岸側は見ため上、大きく隠れてしまっている。そして、落水の着地(池への着地)地点の様子も確認することが出来なくなっている。

堤体の水裏側(堤体の下流側)の全景を見ることが出来ない。反面、張り出す岩があることにより、落水ノイズは直接立ち位置へと迫ってくることができない。

「張り出す岩」が一枚壁になってくれ、ノイズが直接的なもので無くなっている。

ノイズに声を合わせていくのはいつものこと。しかし、今日は相手にしているノイズが直接的なものではない。

鋭さを失った柔らかなノイズ。柔らかなノイズを相手にしている。

堤体は北西向き。
距離は45ヤード。
微風が常に吹く展開に。

戦略的な声の響かせ方

結局この日は午後5時まで堤体前で過ごした。

演奏施設となる堤体前。堤体前に到着した段階では、歌い手はまず歌うための立ち位置を決めにいく。

歌うとき。対象物となるのは砂防ダム等堤体類。

「歌い手」と「堤体」。二者間の距離を見ながら、もっとも歌うための立ち位置としてふさわしい場所を探しに行く作業である。

本来ならば距離だけを考えればいい。距離という数字だけを見ればいい。

しかし実際のフィールドでは単純にいかない。今回入った堤体前のようにデカ石がある。岩の張り出しがある。こういった理由により立ち位置の制限を受けるようになる。

石。岩。(そして今回は無かったが立木なども。)さまざまな自然物が存在するなか、立ち位置を決めにいく。すると人が立ちたい空間にすでにものが置かれている場合がある。必ずしも距離という数字だけをもとに、好きな立ち位置を設定できるとは限らない。

こう書くと不都合な条件に陥れられている気がする。

だが、このような条件を逆に肯定的にとらえ、うまく利用していくという手もある。

堤体前をおとずれることの最大目的は何か?

それはいつだって歌声を響かせることにある。

ならば石でも岩でも現場にあるものは何でもすべて利用して、響き作りを実現させていけばよい。

今回の場合は堤体前の「張り出す岩」を利用した音楽。

結果として、声を合わせにいくノイズが直接的なもので無くなった。

代わりに出現したのは柔らかなノイズ。

柔らかなノイズが相手にできたことによって、入れる声とのパワーバランスが良くなった。

堤体前にある自然物を利用した戦略的な声の響かせ方。

堤体前ならではのおもしろさを満喫することができたゲームとなった。

線で囲ったところが「張り出す岩」。
張り出す岩が一枚壁となってはたらく。
立ち位置からの視界はこうなる。
一枚壁越しにノイズを聞きながら、声を合わせてゆく。

御勅使川に

御勅使南公園

こんなに長い公園ははじめてだ。

南アルプス市、御勅使(みだい)南公園。

甘利山、千頭星山、櫛形山。名だたる山々を西に見る公園は、ごくごくわずかに登り坂になっている。

公園に平行するのは御勅使川。この川もところどころ堰堤階段を伴いながら少しずつゆるやかに登っている。

ウォーキングロードと言ってもよさそうな「クロスカントリーコース」。

わずかな傾斜は歩いていてもほとんど気がつくことがない。

御勅使南公園だけで東西およそ2.2キロメートル。隣接する御勅使川福祉公園がおよそ1.4キロメートル。

足せば単純計算、3.6キロメートル。

長い。

まずは片方だけでも。御勅使南公園をあるいた。

鳥は寒くないのだろうか?

冬アベリア

1月13日、午前8時。散歩のスタート地点としたのは、御勅使南公園第一駐車場。

気温はマイナス2.4度。底冷えするような寒さだ。

第一駐車場から御勅使川の土手までは200メートルほど離れている。まずは車を降りて土手まで向かう。

スタート直後、土手まで向かう途中。Aグラウンド横の植栽。

アベリアが!

紅く色付く葉に、毬状になった萼。

もうとっくに散ってしまった花びら。萼だけは頑丈らしく、枝先にほころんだまま、整ったまま付いている。

これが金色とも茶色ともつかない色に。朝日だ。

これはこれは。

さあ。

いいもの見れた。

帰ろう!

剪定がなされていないのは?
こういうことか!
三文の徳。朝。

寒い!

帰りたくなるほどの寒さであったが、もう少し頑張ることにした。

クロスカントリーコース。道は植樹された木に恵まれている。

ケヤキ、クヌギ。常緑ではシラカシ、アラカシ、マテバシイ。アカマツが全体的に多い。

トチノキ。どういうわけか、山梨の公園というのはトチノキが多い。県の木なのかな?とおもって調べてみたら県の木は「カエデ」とのことであった。

ムクゲ。ムクゲもやっぱり多い。これはかの国の国花。政界が大混乱らしいが、その元気の良さだけはある意味うらやましくもある。

木は全部に・・・、とはいかないものの一部には樹名板がついていて何の木かと見ることが出来る。

ながいながい散歩道も見るものが多く、飽きずに楽しむことができる。

クヌギのどんぐり
ツルウメモドキ
スイバ
コトネアスター

両手いっぱいの

午前10時、ながい散歩道では考えごとをしがちである。だいぶ西のエリアまでやってきた。場所は、山梨県立わかば支援学校や第三駐車場があるあたり。

このあたりは背の高いアカマツが見事だ。

両手いっぱいの量を集めるのにそうそう時間は掛からなかった。松ぼっくりごとき。ごとき松ぼっくり。これをただただ拾い集めるだけ。

こんなこと。

これっぽっちのこと。

なのにまぁ、こんなことにさえ及んでいないのだという現状。

歌い手がこの日本でどれだけいるというのか。歌う人らのパワーによって、何が出来ているというのだろうか。歌うことに端を発して、外部に発信できていることはあるか。

松ぼっくり拾いを知る人のほうが多いし、実際、松ぼっくり拾いをする人のほうが多い。

勝てていない。

負けている。

こんな。

こんなぽっちのことにさえ。

数が多けりゃいいってもんじゃないが。

砂防ダム音楽家のことだ。

とくにアカマツが印象的なエリア
アカマツの松ぼっくり
西側の公衆トイレ
駐車場は東側のほか、西側に第3駐車場がある。

立ち寄る

午前10時半、第一駐車場までもどって自家用車に乗り込む。駐車場を出庫。

宮入バルブ製作所まえを左折。下った先の丁字路を右折。

南アルプス市六科から南アルプス市有野へ。

「源」の信号交差点では右折。

すぐにあらわれたのがローソン南アルプス街道店。何の変哲もないただのローソンである。しかしこれよりさき、芦安・夜叉神ヒュッテ方面へ向かうにはこちらが最終コンビニとなる。

駐車場に車を停め、店内へ。

忍ばせの品を購入し、店を出る。

午前10時35分、ふたたび車に乗り込み出発。

御勅使川の流れを遡るようにつづく道は「南アルプス街道」。南アルプス街道に沿ってひたすら西進する。

午前10時50分、南アルプス市駒場浄水場まえを通過。

午前11時、上新倉橋まえを通過。

午前11時5分、「なとり屋」まえ(ここは道路はさんで反対側にトイレ有り。)を通過。

午前11時20分、芦安堰堤まえ着。

ローソン南アルプス街道店まえの曲がり角。
最終コンビニ。忍ばせの品を購入。
駒場浄水場のあたり
上新倉橋まえ
公衆トイレは「なとり屋」の道路はさんで反対側。

芦安堰堤

芦安堰堤。

石碑によれば竣工は大正15年(1926年)とのことである。当年起算とすれば来年に歳を100とする歴史ある堤体だ。

堤体のおよそ40メートル上流に架かる瀬戸大橋は、竣功昭和61年(1986年)。ということでこちらは来年40周年。

両者とも記念すべき年を迎えるに当たってか?現場はちょっと騒がしい状況にある。

アーチ式の天端のうち、放水路天端部分には鉄板が置かれている。また、芦安堰堤、瀬戸大橋両者を見ることが出来る施設(展望台)は、改良工事のまっただ中という状況。

放水路天端部分に置かれた「鉄板」について。自身が大注目している部分である。この鉄板が置かれる以前にも見た覚えはある。しかしその姿はまぁ・・・。

美しいとは言い難かった。

堤体の放水路天端部分の石張りが崩落していることに起因する、落水の荒れ。

堤体本体のうち放水路天端というのは最も美しくあって欲しい部分だ。石張りの天端ならば石が剥がれていないこと。コンクリートの露出する天端ならば当該部分が欠けていないこと、削れていないこと。

放水路天端が美しい状態に保たれていると、その下流カドの部分から水がきれいに落ちてくれる。逆にここが欠けていたり、削れていたりすると、その部分にだけ水が集まって棒状あるいは櫛状に落ちるようになる。

集まった水はヨジれながら落下し、水タタキ・水褥池に到達するころには大きく暴れて接地する。崩れに崩れて形が変わり、下方へ向かう水のすがたは何とも哀れだ。

重たく叩きつけるように接地した水は周波数の低いノイズを発生させる。ノイズそのものの発生周期も粗く、声との混じりが良くない。

美しくない見ためは外観のみならず音にも影響するのだ。

理想的なのは水が最後落ちきるところまでしっかりデザインされている状態。

大型の貯水ダムなどはその注目度からけっこう気にして見てもらえるが、砂防とか治山くらいの規模だとまだまだそこまで(というより全く)話しが及んでいないのが実情。

しかしこちらももともとは人間が作ったもの。人工物なのである。作り替えるということが許されている。手を加えて、理想の形にすることができる。

ならばやっぱり改良されたい。

天然記念物化されることがないのは逆に強みだ。

日本全国同様に見るも無惨な堤体というのがあるかもしれないが、絶対にあきらめるべきではないと考える。

価値のないものは直してゆけば良い。

付加価値が生じれば商品となることを忘れてはならない。

一部の声だけ参考にして、負の遺産と決めつけてしまうのはまだまだ早い。

瀬戸大橋と芦安堰堤
御勅使川の流れを落とす芦安堰堤。
もちろん声は入れてみた。
ほとんど鳴ることは無かったが。
鉄板。しっかりとしたカドができている。
鉄板が設置されたことによって落水が美しくなった。

金山沢砂防ダム

午後11時50分、瀬戸大橋まえを出発。

瀬戸大橋の一本上流に架かる沓沢橋をわたり御勅使川左岸へ。車のヘッドライトを点灯させ道形にすすむと金山沢温泉まえを通過。直後のY字分岐を右へすすみ、ガードレール製欄干の橋をわたる以前に左折する。

正午に「金山沢砂防ダム」の堤体前に到着した。

北西向きの堤体。

天候、晴れ。

堤体水裏(堤体の下流側)を太陽の光がものの見事に照らしている。

堤体本体、堤体前の空間。ともに明るすぎる。

もう少し時間を待ちたい。日が西に傾いて、右岸側の山にもっと近付いてくれれば堤体に影がかかる。

影がかかって、よけいな眩しさが無くなってからが歌の時間だ。

それまでは車内待機。幸い、この場所は車から降りてすぐに歌うことが出来る。

寝て待てばよい。午前中にしっかり歩いた御勅使川南公園の疲労回復も考え、車内に留まることとした。

堤体直前の分岐。白い看板の方へ向かえば堤体がある。
堤体前。正午に撮影。
午後2時50分に撮影。
堤体名は金山沢砂防ダム
北西向き。早朝か夕方がおすすめ。

軽装で楽しめる

午後2時20分、堤体水裏をしっかり影が覆ったことを確認し、準備にとりかかる。

準備とは言っても本日の場合、ほとんどやることがない。

車から降りてすぐという環境で、堤体前の音楽を楽しむことが出来る。ウエーダーは履かなくてよいし、ヘルメットも被らない。

昼寝から目覚めたそのまんまの格好で、歌うことが出来る。

自作メガホンをセットし、声を入れてみる。

鳴っている。

堤体前。つまり堤体本体と左右両岸、広く壁状になった空間の中を声が響いている。

ノイズの発生源は主に3ヵ所。

・主堤の水裏、副堤の水タタキ付近。

・副堤下流の護床工区間。

・金山沢川水力発電所。

3ヵ所いずれも立ち位置からかなり離れているため、影響が少ない。水力発電所についてはどちらかと言えばこれは簡易的なもの。最小規模といえる大きさで、生成される機械音も規模に準じてあまり大きくはない。

ノイズによって音が聞きとりにくくなるという状態にはならない。視覚情報として、水の摩擦が起きている箇所をいくつも見ることができるが、耳への刺激は少なめ。音としてはかなりおとなしいという印象の堤体前。

入れてゆく声が聞き取りやすいという条件のなか、音楽を楽しむことが出来る。

冬は落葉樹の葉が落ちることによって見通しが良くなる。
左岸側。
右岸側。
金山沢川水力発電所
階段を伝って河原まで降りることが出来る。

現場での集中力

結局この日は、午後5時まで堤体前で過ごした。

堤体前が常に鳴ってくれる状態にあって、そこでどんなものを展開するのか。

声の聞き取りやすさ。これが保証される中でなにをやっていくか。

ときに対面する、ノイズに負けてまったく音楽にならないようなシチュエーション。そういった時にはいつもどのようにすれば響かせられるのかを必死に考えるわけである。堤体前という空間で楽しむために。

そういった努力を常におこなっていくことで砂防ダム音楽家としてレベルアップしていきたい。現場の環境に流され、あまりにも簡単に考えてしまうと逆に失うものがある。

現場での集中力。

うるさい堤体前では得られている集中力。

ある意味、自然界の発するノイズから貰っているプレゼントであるとも言える。

音に静かになることによって、受け取るものを失うことがある。

静かすぎて逆に難しかったという印象を得たゲームとなった。

今年もまた、いろんな所へ行き歌うという展開になるだろう。どこの堤体前でも目指すことは一緒。音に集中し、歌い手自身が楽しめる音楽をするということ。

大きな堤体、小さな堤体。

うるさい堤体、静かな堤体。

自力をつけ、どんな堤体でもしっかり楽しめるようにしたい。

微風の好条件。
高い堤高に合わせて距離も長く取る。
138ヤードの立ち位置。
こちらは一段下に降りた立ち位置。

小さな目標

山梨銘醸

歳末。一年の締めくくり。

有終完美。

願うは、

美しく終わること。

怪我なく、

不行き届きな発言なく。

酒蔵を訪れた。

見るからに古い建物。

歴史は長く、270年以上だという。

自分自身、それは成人年齢に達した頃から今に至るまでのことだ。どうも酒というものが苦手でならない。

体に合わず。

受け付けず。

自らの意思ではどうにもならなく具合が悪くなる。

嗚呼。

これが、

これが何かのきっかけになればという・・・。

小さな目標がある。

ここに限ったことではないだろう。酒が飲めなきゃ山梨は難しい。

山梨を知るなら、やっぱり出来るようになりたい。

酒。

甲斐の国に引っ越して1年。山梨県民として、山梨を学ぶ身として、

酒は。

酒を。

その飲んだときの感想を言えるようになりたい。

いや、

その段階にはまだまだ。

背伸びだ。

もっともっと上のレベルだ。

まずは味の違い。

ただのそれだけでもいいからわかるようになりたい。

小さな目標である。

南向きの玄関

歌ひとつ

12月24日、午前10時半。北杜市白州町台ヶ原、山梨銘醸直売店。

怒られるかな?という思い半分に。

酒を購入した。

ここはカウンターで係りの方が相談に乗ってくれる。

しかし迷った。

そりゃそうだ。

どれにすればいいのかわからない。

試飲することが出来るのだから、本来ならばその味基準に選べばいいはず。しかし今日はこの場に車で来ているし、そもそものところ、冒頭述べたとおり自身はひどい下戸なのである。

せっかくの意も酌むこと出来ず。飲むこと出来ず。

最終的にはカウンターのところにある商品のチャート表(辛い、甘い、香りのことが書かれている。)をもとに、自らの意思で決めた。

味の違いがわかるようにという目標であるところ、非常にあっけないやり方になった。こんな決め方でいいのかと思った。果たして吉と出るのか?凶と出るのか?

それにしても、「お気に入り」というか・・・、だれもが持っているというのか。そういうものを。

日常生活のお供として。相棒として。家の貯蔵庫に常時置いておき、いざというとき出すというのであれば、それはそれは非常に頼もしい存在であると思う。

酒にたよればもっと楽な日常が送れるというのか?!

自身のストレス解消法といえば、

酒つかわず、カラオケつかわず。

砂防ダム。

である。

砂防ダムに行って歌う。

砂防ダムのために山に行き歌う。

この何とも非効率なやり方!

歌ひとつ。わざわざ遠くへ出かけなければいけないという、この時間の、金の、労力の大変なかかりよう。

それは夏でも冬でも。

今日だってここ台ヶ原宿は朝の気温はわずか4.8度という寒さだ。

これより向かう山はさらに寒くなるであろう。

なにをそんな馬鹿する?

いや、遊びとはこういうものだ。こういうものに違いない。そうおもっている。

効率とか、手軽さとか、早さ。安さ。比較すること。追求すること。その結果を他人に自慢すること。

そういう生き方もアリだ。

一方で違う考え方。

幸せは自分自身に降りてくるもの。

自分自身の価値観にしたがって幸福追求していけば良いじゃないか。人生について。これからについて。

他人の目をうかがいながら生きたとして。その先には・・・?

みごとな梁。
革製品の販売コーナー
北原家母屋
ガイドツアーに頼れば解説付きで楽しめるという。
蔵元限定の製品も。

西高東低

午前11時10分、山梨銘醸販売店を出た。

すぐさま向かいの台ヶ原珈琲に入る。

入渓前の腹ごしらえ。ランチにした。

窓からは通りの景色が見える。

ガラス越しの陽があかるい。

今年のクリスマスイブは晴れた。日本列島は西高東低きれいな縞模様が踊る冬型の気圧配置とのことである。

生まれの新潟では山間部を中心にまとまった雪が降っているらしい。

西風が強まる冬型の日。しかし、歌える堤体さがしの旅にあまり良い思い出はない。

堤体前というのは風が吹いていて、空気が動くときに響きが良くなる。

人間の口から放たれた声というのは、自然界においては相当風が運んでくれるらしい。

風が声を揺すってくれている状態が理想的だ。風がピタリと止まっていれば声は飛ばない。風が止まっている、ただのそれだけのことであるのに、堤体前を覆う空気のかたまりのなかに声を入れていくのが重い。

疲れる。

響かせようとすればするほど、

頑張れば頑張るほど、

疲れる。

重いから。

風が止まっていて、なんの手助けもない状態に不満がでてくる。

風が吹くことは歓迎すべきことだ。

で、問題は堤体前という場所。ここがなぜか無風になりやすい。それがなんの日かといえば、冬型の気圧配置の日であるということで、たちまち意味がわからなくなる。

海沿いではあんなに強かった風が、山に入り、渓を遡り、堤体前に到着するころには嘘のように無くなってしまう。

無風の重たい重たい空気の中に声を入れる羽目になる。

あぁ重い。

こんな思い出ばかり。

果たして今日はどうなるのであろうか。向かいにそびえる大屋敷の玄関。玄関に掛けられたのれんは、ときおり風を受けて激しく揺れている。

台ヶ原珈琲
こちらはランチの。
こちらもランチの。
ランチはコーヒーで締めくくり。

忍ばせの品

午前11時40分、ランチを終え台ヶ原珈琲を出る。

忍ばせの品が無い。今日はまだ。

名落語家は言っていた。

帰りのかばんには若干の余裕がございます!

こちらは入渓前。フローティングベストに若干の余裕が出来てしまっている。

このまま堤体に向かうのでは懐が寒い。忍ばせの品を買いに行くことにした。

台ヶ原珈琲の三軒となり「金精軒」へ。

ここの名物は信玄餅。金精軒の信玄餅。

間違えちゃあいけない。金精軒が製造・販売している信玄餅。

信玄餅とほか3種類の菓子を購入し、店を出た。

駐車場にむかって歩く。車を駐車してあるのは市営台ヶ原宿駐車場。

「くぼ田」というそば屋のまえを経由する。ちょっと遠回りのルートで駐車場に向かうのは、これより入渓する尾白川のようすをチェックするため。

午後0時5分、尾白川橋にて尾白川をチェック。

異常なし。

午後0時15分、市営台ヶ原宿駐車場。駐車場のトイレを借りてから出庫した。

駐車場を出てからは国道20号を西進。少し走って歩道橋をくぐると、左手に農協ガソリンスタンドが現れた。農協ガソリンスタンドのある交差点で左折し、道に沿う。

「尾白川渓谷」の看板では表示にしたがい右折。すると、田んぼのど真ん中を抜ける長い直線道路に出た。

この直線道路は「べるが通り」という名がついているようだ。どうであろう、家ひとつ無い田んぼ道に名がついているというところは今までほかに出会った記憶がない。

名称がちゃんと付くだけあって雄大な景色がのぞめる。観光資源としての機能が付随している。ただの田んぼ道に付加価値が生ずる圧巻である。

ベルガ通りを最後まで進み、丁字路にて左折した。

林間を抜ける道を行くと、最後の行き止まりにある駐車場が車で行ける最終地点。

午後0時40分、尾白川渓谷駐車場に到着した。

一帯は「台ヶ原宿」と呼ばれているエリアだ。
金精軒の信玄餅ほか
市営台ヶ原宿駐車場近くから。甲斐駒ヶ岳(中央)。
べるが通り。甲斐駒ヶ岳(左、雲がかかった山)、日向山(右、手前側一番高い山)
林間を抜ける。
尾白川渓谷駐車場

見えているのに・・・、

車から降りて入渓の準備。

新調したネオプレンの手袋が手になじむ。

午後0時55分、入渓の準備を終えると駐車場内にあるトイレへ入った。

随分立派な公衆トイレがあるのは心理的な手助けのためか?

尾白川渓谷のハイキングコース。ここは案内によれば登山道の入り口でもあるという。

山は日向山、鞍掛山、甲斐駒ヶ岳。甲斐駒ヶ岳以西については赤石山脈の縦走ルートが続いているため、そのさき奥には途方もないコースが待っている。

登山の本場ということだ。

トイレを出た。

スタート地点には入山届の記入台が。この記入台がなんとも言えない雰囲気を醸し出している。いや、気のせいではないだろう。

入山届の紙。これが焦る表情とともに掘り起こされるとき。そのときのことを想像してはいけない。寒気がする。

いつに無くピリッとしつつ、緊張感を与えられつつ、記入台横を通過した。

堤体はすぐに現れた。

ついさきほど記入台横を通過したばかりである。しかし、目的の堤体はもう目の前に見えている。ハイキングコースの谷側斜面下にある堤体。目と鼻の先ほどの距離で、斜面をすぐにでも降りて堤体前に向かいたいところだ。

しかしハイキングコースの途中にある尾白川渓谷キャンプ場の看板によれば、谷側の土地はキャンプ場の敷地内であるという。はっきり「これより有料」と書かれている。

ここは仕方なくキャンプ場のさらに上流を迂回し、入渓点からの下り歩きで堤体に向かうこととした。

午後1時05分、尾白川渓谷キャンプ場の入り口前を通過。

午後1時10分、尾白川に入渓。入渓点としたのは竹宇駒ヶ岳神社の駐車場。駐車場から尾白川に向かってスロープが下りていて、その坂を下って入渓した。

入渓点で上流側の写真を撮ったあと、下流側に向きを変える。

下流に向かって歩き出す。

水はたっぷりと流れている。ただし水量的には完全に冬の渓の水になってしまっていて、危うさを感じるほどの分厚い流れではない。

ところどころにある川砂の深く堀れたところを避けながら、堤体を目指した。

午後1時20分、堤体水表側の堆積地に到着。

やはり写真を何枚か撮ったあと、左岸側袖天端によじ登り、いちばん端まで来たところにて降下。

午後1時半、堤体前着(堤体名不明)。

尾白川渓谷駐車場のトイレ
緊張感を与えられつつ、記入台横を通過した。
入渓点から上流側
堆積地から天端越しに下流側。
堤体前着。

水と風

水はきれいに落ちている。

この場所に来るまでに堆積地とその上流を見てきている。堤体を落ちる水がどの程度であるかは何となく予想していた。

予想に違わぬ落ちっぷり。非常に好意的なこととは水が多すぎないこと。

堤体水裏にまとわりつくように落ちる水と水平方向に飛び出す水。

両者の落ち方にそれぞれ魅力があり、どちらも楽しむことが出来る。

懸念されていた風は吹いたり止んだりという展開。

吹くときは秒速5.0メートル程度までで、ときおりビューッ!ビューッ!とまとまって吹く。強い風になったり弱い風になったり。あるいは無風になったり。

いろいろな瞬間のなかで歌うことが出来そうだ。

右岸側
左岸側
天端のギラつきはほとんど見られなかった。
風速。最大・最小のあいだの1コマ。
堤体までの距離
おおよそ南西向きの堤体。

立ち位置を変更する

立ち位置を決める。

なるべく遠くに設定した立ち位置。堤体水裏の壁から離れたということだ。

距離にして44ヤード。

これよりももっと後ろに下がっても良かった。しかし、以降下流はゆるやかながらも階段状になった瀬が出来ていて、かなり目線が下がってしまう。

あたりを転がる川石によって視界が遮られ、堤体前の景色が楽しめなくなる。

それより何より、前途したとおりの瀬によって耳は詰められ、音が非常に聞きづらくなる。音楽を楽しむ身としては致命傷と言えそうだ。

ここはひとつ、階段を上がりきった場所を立ち位置に設定し、目にも耳にも楽しめるかたちでゲームを展開することとした。

自作メガホンをセット。

声を入れてみる。

鳴っているような感覚は得られている。鳴っているような感覚は得られているが、声が聞こえているわけではない。

やはり、立ち位置のすぐ後ろにある瀬の音がうるさく、響いている音をうまく聞き取ることが出来ない。

立ち位置を変更する。

川のやや左岸側寄り。堤体との距離は先ほどよりも短くなって35ヤード。この場所を選んだ理由として、とにかく一番静かそうであったからだ。

大きく岸寄りに外れたところ以外で、一番静かにおもえるところ。

実際に立ってみて納得。やはり一番静かなところというのは瀬から距離が離れている。

再度、声を入れてみる。

やはり、こちらのほうがはっきりと声を聞きとれる。局地的なノイズが変化しただけでなく、広い空間における響きについても、堤体による落水ノイズと声との両方の音を聞くことが出来る。

44ヤードの立ち位置。

この遊びならではの面白さ

結局この日は午後4時まで堤体前で遊んだ。

立ち位置の移動により見つけたのは、はっきり音を聞きとれる場所。

立ち位置は瀬から遠い場所。こちらに移動してしまえば、ノイズに巻かれることもなく非常にクリアに音を聞くことが出来る。

あとはチャレンジ。

しっかりと音が聞けるような場所を見つけられたのなら、そのまま当該良い場所に留まり歌い続けるのもひとつのやり方。だが、敢えてその場所を離れ、難しいところにチャレンジしてみるのも面白い。

よほどの環境変化が無ければ、良い立ち位置というのは良い立ち位置として変わらない。延々、同様の落水ノイズと人の声とのパワーバランスで遊ぶことが出来る。

好適な場所。

これに飽きたということではない。次なる可能性として音の聞こえ方に変化がでるよう場所を変え、チャレンジをしてみようということだ。

気分転換程度に立ち位置をちょっとずつずらすだけで、瀬のノイズも、声を入れたときの響きも少しずつ変わってくる。

立ち位置をいろいろ変えてみる。さらに歌い手自身、音の聞こえ方に対して、難しくなったとか簡単になったという感覚をもとに各所「難易度」を設定してみる。

ひとつの堤体前に難易度別、複数の立ち位置が存在しているということがわかる。

この日の場合は局地的な瀬のノイズにも、声を入れたときの響きにも、好適な場所を見つけることができた。

その場所に居さえすれば、ほぼほぼ良い響きが得られることが確定している立ち位置を早々に見つけ出すことができた。

良い立ち位置は逃げてはいかない。良い立ち位置には目印を置いておき、いつでも戻って来られるようにしておけば精神的ゆとりになる。その精神的ゆとりを元手にいろんな場所へと繰り出し、歌う場所の違いにより生じる音の聞こえの変化を楽しめばよいであろう。

うるさすぎて、まったく音楽が成立しないようなところにも敢えて立って歌ってみる。そんなことができるのもこの遊びならではの面白さだ。

さて、今年のブログ投稿はこれにて最後。

山へ出かける。川に触れる。堤体前で歌って遊ぶ。

遊びの提案として、こういったものがあるのだということを当ブログを通じて伝えてきた。

川を相手にした遊びは「釣り」や「沢登り」「カヌー」「ラフティング」「キャニオニング」といったものがすでにあって、多くの人がそれらの遊びに興じている。

自身ももともとは釣り人である。やはり川で海で魚を捕ることを人生の娯楽としてきた。

ジャンルの違いこそあれど、みな川遊びをする集団の中の一員ということであり、広い意味で言えば「川遊び仲間」ということがいえるだろう。

そんな川遊び仲間という集団の中で、「川」というものを見続けていくことの大切さは、ここに記すまでもなく多くの人が感じていることだと思う。

インターネットの発達で、世の中のことはあらゆるジャンルにおいて検索すれば調べられるようになった。これによって現代人は、大抵のことについて、それに対してどのような価値観を持って接すれば良いのか、どのように対処すれば良いのかということの答え(対処法)を導き出せるようになっている。

対処法は都市部で起きていること、人口密集地で起きていることほど情報量が多い。

逆に田舎の人口少ないところ、そもそも人がまったく住んでいないところの情報というのはまだまだ少ない。

やはり山であったり、川であったり、渓流であったりという場所についてはまだまだ情報が少ない。ゆえに、ものごとに対する対処法もわかっていないことが多い。

「熊が出た!」という報道が流れる。ある人は熊を殺してしまえ。と言い、ある人はかわいそうだから保護して山に返せと言う。

でも、じつはみな、自身を含めて野生の熊なんか見たことも無い。

そういう人が増えている。熊を見ず、熊を語る人が増えている。山を歩かず、山を語る人が増えている。

川を歩く人が減っているということの事実は、川遊び仲間ならすでにご存じの通り。フィールドに出てみれば、

あぁ、きょうはオレしかいねぇ・・・。なんてことがザラにある。

しかし、こちらも例によって語られるのだろう。人がいないはずの川がなぜ?

川を見ていないのに、川を語る人が増えてしまって果たして良いのだろうかと思う。

ものごとの判断はまず、その現状を見て、触れて、感じて、それらをもとに自分自身の頭で考えてから行なわれるのが正しいのではないだろうか?

しっかり現状を見て、見た人自身の解釈から生まれた言葉が行き交う。そんな世の中になることを望みます。

自身においては来年も頑張る所存です。

川を歩く人が増えてくれるように。

本年はありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。

白い砂が美しい。
きれいな落ちっぷりだ。
ひとつの堤体前でも、立ち位置ごとに条件が異なる。
来年もよろしくおねがいします。

やさしい堤体前

宣誓しているのは・・・、

駅弁というものの魅力にすっかりハマってしまった。

前回の神奈川県小田原市でのエピソードでは、たまたま売店の近くを通りがかったことから購入に至った「相模こゆるぎ茶飯」。

もはやあまりのウマさに後日ふたたび“駅弁を買うためだけに”小田原を再訪し、入手するというほどの熱の入れようである。

駅弁のなにが、そんなにも惹きつけるのか?

「冷たくも温かい」ではないかと考えている。

どんなに世の中が暗いニュースで侵されようとも、食という行為が無くなることはない。

人が生きていくために必要な食べ物の摂取。生きていくことイコール食べることであり、食べ物を作ってくれる人がいることで生きていくことができる。

生きていくためのものを作っている人。そういう人が社会にいるということ。

売りの舞台は駅。文化的背景もふくんでいる。駅弁は。

人の生が無くならないように。駅弁という文化が無くならないように。こうしている今も駅弁という商品に関連して、どこかで生業をしている人がいる。

人から人へと繋がるもの。

その温かさ。

塩気の効いたおかずと揚げ物の油と、そして何の変哲もない白飯を噛みつづけていると感じられる人のつながり。

冷たくも温かいという幸福に包まれる。

新富士駅南口

新富士駅へ

12月1日、午前8時。静岡県富士市川成島、「新富士駅」駅南口。

新幹線専用駅の駅前広場でさっそく目に飛び込んできたのは巨大な銅像ならぬ“銅本”。

新富士駅のある静岡県富士市は製紙業のさかんな街。市内にはパルプ・紙製造を行う会社が多数軒を連ねる。その数、事業所にして40以上。工場は50以上。紙加工品をあつかう事業所も含めると、総数は200を越えるという。(富士市産業経済部産業政策課 富士市の工業 令和3年度より。)

本には「富士市民憲章」がレリーフで作られ、その条文は

富士山のように・・・、

からはじまる5つの条文。条文は、こうして他所からやってきた観光客の目にも留まる。

観光客が見る、宣誓調に書かれた文書。

宣誓しているのは富士市民ということになるが・・・。

が、

これはイメージにない。

富士市には何人も知り合いがいるが、明るくて気さくな人が多い。

融和的で親しみやすい人が多い。

こんなカタくるしい文書でものごとを語る人は?

う~ん?ちょっと・・・。

それでも、書かれている内容は富士山を手本として直喩する素晴らしい内容。デジカメに撮ると駅舎内に向かった。

駅南口から駅舎内に入り、新幹線きっぷうりばにて入場券を購入。改札口を入場券でパスし、上り線エスカレーターに乗って駅2階の新幹線ホームにのぼる。お目当ては富陽軒の「巻狩べんとう」だ。

新幹線ホームに到着。

静かな新幹線ホーム。しかし、こちらは国内屈指の工業都市、静岡県第三位のまち富士市である。さらに富士市の新富士駅である。

シャッターの閉まった富陽軒の売店をこの目で確認したのだが、それは長い長い新幹線ホームの中。自身の背中側にもう一店舗くらいあるのだろうと振り返ってみた。

無い。

あるわけも無く!

土曜日と日曜日、祝日は休業とのこと。

ちゃんと調べておけばよかった・・・。

ふたたび新幹線ホームから下降のエスカレーターに乗り、1階におりて改札口を出る。目指したのは駅の南口方向。

駅に入ってすぐのところにコンビニがあったはずだ。

着いてわかった。コンビニと思われた店はコンビニ兼、みやげ物屋のような店。みやげ物屋なのだから、当然?!駅弁も置いてあった。

無事、購入。

お目当ての富陽軒ではないが、駅弁には変わりない。買うことが出来てよかった。

「富陽軒」新幹線ホーム上り線
まぼろしの味となってしまった。
駅の南口に向かう。
コンビニとしても。みやげ物店としても。オレンジショップ
あったー!

しらす街道

午前9時半、新富士駅駅前の駐車場を出発。

静岡県道174号線を南進し、国道1号線「宮島東」信号交差点をクロスして進むと道は左に向かって大きくカーブ。

クロガネモチの赤い実がなんともさわやかな街道の名前は「しらす街道」。

大きくカーブしたところから、およそ2キロメートルほど走った先にあるのが「田子の浦漁港」。この田子の浦漁港の名物が「しらす」であることから名付けられたしらす街道である。

途中、飲み物を買いにコンビニに立ち寄った。コンビニの隣には、なんとしらす料理専門店が。割と大きな建物は網元直営の食堂ということで、漁にしろ店にしろそんなにも儲かるのかと感心してしまった。

コンビニ駐車場を出てからは、しらす街道を田子の浦漁港まで走る。田子の浦漁港では右折。新江川橋をわたり、道なりに進んでいくとすでにゲートは開いていた。ゲートを越え、そのまま公園駐車場に到着した。

駅前駐車場を出発。
駅前はレンタカーショップが多い。
しらす街道
田子江川と新江川橋
田子の浦漁港

幕の内弁当

午前10時10分、公園駐車場。

公園の名称は「ふじのくに田子の浦みなと公園」。

外は晴れている。

気持ちのよい晴天の空の下で、弁当タイムというのもありな気がするが、トンビに見られていそうで怖い。

いま風な言い方をすれば、これはトンビが悪いのではなく、その生息域に侵入していった人間の方が悪いのだということになって、食糧強奪の際にこちらは同情の余地も与えてもらえない。

鷹の目ならぬ鳶の目を避けて、車内の安全なところでゆっくりとその味を堪能することとした。

静岡の戦国武将、今川義元の駿河凧が描かれた駅弁は東海軒の幕の内弁当。

さっそくフタを開けると何とも彩り豊かに。

揚げ物も蒲鉾も卵焼きもウグイス豆も入っている。各食材が収められたトレーは白色で、その白色トレーの上で彩り豊かにおかず各色が輝いている。

美味そう・・・。もそうなのだけれど、豪華すぎて申し訳なくなってくる。

昨今の報道では、日本が貧しくなった。日本が貧しくなった。とばかりであるが、こんなにも豪華で文化的背景もふくんだ食べ物をあたりまえに口にすることができる国。日本。

貧しくなったと言っているヤツらは何をもって貧しいと言っているのか?

自由に車を走らせ、この場に来ることが出来て、食べ物を奪われない安全も担保され、世界中から届けられた食材を口にできる今の自分。

本当に本当に豪華な食事なのだということを忘れてはならない。

弁当をつくってくれている人。日本の人なのか?海外からの人なのか?

輸入食材の使用を考えればオールメイドインジャパンでないことは火を見るよりも明らかだ。

申し訳なさとともに完食。冷たくとも温かいという幸福感とともに。

東海軒の幕の内弁当。

ドラゴンタワー

駅弁を食べたあとは、富士山ドラゴンタワーに登ってみた。

ドラゴンタワーといえば、これからは年始の初日をひかえているという。伊豆半島のつけ根部分(発端丈山山頂よりも少し右のあたり)、山の稜線より上がる初日が見られるという。

もちろん、そういった特別な日でなくともここの展望デッキから見える景色は素晴らしい。

北向きには富士山と富士市の街並み。南向きには広大な海。

雄大な景色を望める展望デッキは、静岡県内、駿河湾眺望スポットとして間違いなくトップクラスにランクインするであろう。

これからの季節は冷たい風が吹くが、しっかり着込んでいけば問題ない。とくに、風を通さないようなアウターを一番外側に着ると、いやな寒さを感じずに楽しむことができる。

海の青さ。空の青さ。富士山の青さ。青さに染まる富士市のみなと公園。

荒天時をのぞけば間違いなく遊べる場所であると思う。冬場でも。

富士山ドラゴンタワー
富士山と富士市の街並み
駿河湾と伊豆半島
ツワブキが咲いていた。
花はしっかりとした黄色。
陽は暖かくも、風は冷たい。あしからず。

すどちゅうのあたり

午後1時、ふじのくに田子の浦みなと公園を出発。

来た道を折りかえすように田子の浦漁港、しらす街道、国道1号線「宮島東」信号交差点とつづく。

「宮島東」信号交差点では右折。

国道1号線に乗り東進。イオンタウン富士南を右手に見たあとには「江川」信号交差点を通過。

この江川信号交差点を過ぎたのちの「依田橋高架橋」は信号機の全くない区間。

橋上は東海道新幹線が並行して走ったり、富士市の工場群を望める。さながら高速道路のような雰囲気をもった快速道路は、富士東インターチェンジ、沼川橋もふくめ「桧町北」の信号交差点まで計れば、およそ5.6キロメートルにもなる。(江川信号交差点を起点とした場合。)

走れる展望デッキと言ってもいいくらいの心地よい快速区間。これを越えたあとには「中里西」信号交差点。

ここで左折し、2.5キロほど直進。岳南電車「川尻踏切」を越え、学校の校舎が見えたところで車を停車。

「すどちゅうのあたり」

富士市立須津中学校の辺り。略して、すどちゅうのあたり。

自身にとって、すどちゅうのあたりは静岡県東部地区を代表する伏流河川の名所。

須津中学校の道路挟んで反対側には須津川が流れている。

ここはいつ来ても伏流している。(と思い込んでいたのだったが・・・。)

流れはこの付近より約1.5キロほど上流にある「二ツ目橋」のあたりまで行かないと回復することがない。

当地は富士山の噴火物により地層が形成されているため、伏流が起きやすい。ならば元々はか細い流れなのかといえば決してそんなことはなく、上流の地表水ながれる区間は「須津川渓谷」と呼ばれるほど立派な谷あいが形成されていて「大棚の滝(おおだなのたき)」という、市内最大の直瀑まであるほどだ。

さて、

須津川の伏流のようすをカメラに収めようと川へ向かったのであったが・・・。

???

流れている。

今日はどういうわけか水が流れていた。しかも、かなりしっかりとした流れで。

???

ふたたび車に乗り込み出発。東名高速のガードをくぐると丁字路にさしかかった。

丁字路を右折し、そのまま道なりに進んだ。進んだ道のりは5キロ。

午後3時、大棚の滝第二駐車場に到着。

依田橋高架橋
画像左端が富士市立須津中学校。
すどちゅうのあたりを流れる水
それは今おもえば・・・、
この異常事態を伝えていたのだったのか?(四ツ目橋)

須津川ダムへ

車から降りて準備をする。

寒さをしのぐため上半身にはレインウエアをはおった。

ウエーダーはアルミ製の背負子に。メガホンの入ったバッグとともにくくりつける。

午後3時15分、歩きを開始。大棚の滝、須津山休養林キャンプ場とつづいたのであったが、結果は画像のとおり。

11月2日に受けた豪雨により、須津山休養林キャンプ場より北の区間は林道が通行止めの措置。

本日は大棚の滝より上流2基目の堤体に入る予定であったが、堤体へとつづく林道を使用することが出来ない。

このまま帰ることも考えた。しかし、せっかくここまで来たのだからということで堤体を変更することに。変更先は大棚の滝下流の「須津川ダム」だ。

須津山休養林キャンプ場、大棚の滝、大棚の滝第二駐車場と、歩いてきた道をもどり、さらには車で走ってきた区間もふくめて少し行くと「須津山休養林案内図」まえ。

この案内図をかわして看板裏に入りこみ、護岸が途切れた地点から須津川に入渓した。堤体は入渓直後に。

午後3時40分、須津川ダム着。

げっ
川の様子をうかがいに滝見橋へ
滝見橋から大棚の滝
豪雨の爪痕が・・・。
須津川ダム

豪雨の爪痕

水はしっかりと流れている。

豪雨の激しい流れを食らったあとにも関わらず、とくに落水が左右どちらかに偏ったりすることもなくきれいに落ちている。

かとおもえば、堤体前。見れば凄惨たる状況。

どこにどんな石が並べられてあったかまでは記憶にない。しかし、明らかにこれは豪雨であるとか洪水であるとか、とにかく大水が出たあとの河川の姿であるということが見てわかる。

河床の石が強烈な水の流れに押されて動いた跡。動いた跡の起点には落ち込みができ、それより下流には泥質の底でヒラキが形成されている。

川石の球面は上面も下面も区別なく白い。石が転がったことにより、向きは天も地も無くなってしまったようだ。

もともとは左岸寄りであった流程の位置は変わりなく。対して流程の位置以外、川岸のなかでは流されてきた石が溜って、溜った石と石のあいだに砂が乗って陸地が形成されている。

陸地は足を乗せても崩れず、歩きやすい面が出来ている。この上に乗って歌ったりすることも考えれば、立ち位置の選択肢がひろがった。

主堤水裏
石がごっそりと流されている。
ここもかなり石が流されている。

大石の上に乗る

堤体前、立ち位置として設定したのは主堤から44.5ヤードの位置。

たしか・・・、

たしか、この大石は動いていないはず。

流れに踏ん張り、この場に留まり続けたか?記憶に微かに残る大石は豪雨に耐えきることが出来たのか?

大石の上に乗った。

自作メガホンをセットし、声を入れてみる。

気持ち良く鳴ってくれている。

落水ノイズとのバランスが良い。

堤体前の空間に響く音は堤体本体の落水、堤体より下流の落ち込み、瀬の三者によって支配されているが、その中に声を入れていって、音は壊されながらも残ってくれている。

たしかに堤体前はノイズでうるさい。しかし、声はきちんとその中に残って存在感を示している。

水の生み出すノイズと人間の声。

けっして「しっかり聞いてやれば・・・。」というほどの頑張りあってのことではなく、聞き流すように、イージーに聞くことができる。

水が鳴っていて、歌い手自身の声も鳴っていて、非常に心地よい空間が作られている。

この大石はたしか前からここにあったはず。
レーザー距離計のようす
方位はほぼ真北
微風
須津渓谷橋

ときに・・・、

この日は午後5時まで堤体前で過ごした。

豪雨の爪痕がのこる堤体前でのゲームとなった。

この音楽は水という自然物にかかわっているとともに、水そのものが川という、やはり自然物とともにあるのだということを認識する機会となった。

自然物である以上、演奏施設として人間が思ったようにすべてをコントロールすることはできない。目の前に用意された状況に人間側が対応することとなる。

ときに神経質に。

ときに楽観的に。

この日の場合は、非常に楽観的に堤体前を楽しませてもらった。

水の生み出すノイズの中で人間の声が響く、理想的な力関係の中で遊ぶことができた。

声を入れていけばすんなりと音が響いてくれる、やさしい堤体前で音楽を楽しんだ。

立ち位置は大石の上。

歌い手は考え、工夫する。

ざる菊園(小田原市久野)

どこへ行くにも自家用車ばかり。

近所のスーパーへ食料品を買いに行くとき。コンビニへ行くとき。外食へ行くとき。公園に行くとき。

もちろん歌える堤体さがし。砂防ダム等堤体類に出かけるときも自家用車の利用は欠かせない。

これが無くなってしまえばどこへも出かけられなくなってしまう。それどころか、ただの日常生活ですらままならなくなってしまうだろう。

自家用車があって、運転免許があって、好きなタイミングでどこへも出かけることができるからこそ、いまの生活が成り立っているといえる。

小田原駅東口

慣れぬ列車移動

11月17日、午前7時、神奈川県小田原市栄町。小田原駅東口。

まずは電車に乗る前に、食糧の確保。東口エスカレーターに乗り、駅3階の東西自由通路(アークロード)へ。

JR東海道線改札口のすぐ左側「駅弁屋和」にて弁当を購入する。

午前7時15分、駅3階通路を「伊豆箱根鉄道大雄山線」乗り場方向へ。

エスカレーターを使って2階まで降りると、大雄山線の改札口と切符売り場に到着。

自動販売機にて「飯田岡駅」までの切符を購入し、改札口より入場するとすでに停まっていた大雄山行きの列車に乗り込んだ。

始発駅でよかった。

慣れぬ列車移動。

普段やっている自家用車の移動と大きく異なるのは、乗りまちがいが出来ないということ。

あっ、間違ったな・・・。

ミスに気がついた段階で、すぐにUターンして引き返せるのが車移動の便利なところ。

電車のとき。バスのとき。しかし、これら公共交通機関に乗車してしまえばそうもいかなくなる。次の停車駅まで乗ってから降車し、引き返すための車両に乗り換えなくてはならない。

これが大なり小なり時間のロス。

ロスは田舎へ行けば行くほど、電車やバスの本数が減るためその幅も大きくなる。

絶対にミス出来ない。という訳ではないが、貴重な旅の時間である。楽しみを減らさないためにも正確な判断をし、安全な乗車に努めたいものだ。

小田原!の力強い文字。
駅弁屋和
大雄山線乗り場へ向かう。
伊豆箱根鉄道大雄山線
飯田岡駅へ

激坂!

午前7時34分、伊豆箱根鉄道大雄山線「飯田岡駅」にて降車。

小じんまりとした無人駅を出て、駅舎の出口とは反対側。西側を目指した。

駅のすぐ横「飯田岡第2踏切」をわたり、神奈川県道74号線に架かる歩道橋をわたると、住所は小田原市北ノ窪。

眼前には明らかな登り坂。

登り坂の以前にも以後にも見えている住宅街。しかし高級感が出てきた。

「○○台ニュータウン」

そんな呼び名が適当そうな坂道。いや、

激坂!

やれやれ・・・。

先ほど「正確な判断」やら「安全な乗車」やらウソブいたことを反省。

今はいい。こういうことは。

しかし!

自分自身もやがてはジジイに。運転免許証返納のそのときがくる。

公共交通機関オンリーの時代が待っているわけで、そこで老人の頭で正確な判断をし、安全な乗車を行い、降車後に待つニュータウンの激坂を登る場面が、今後の人生において待っているということだ。

歩くスピードは遅く、持てる荷物は今よりも減っているだろう。

ヨチヨチ歩きの老人のすぐとなりを猛然とかっ飛ばす地元車両。

ちなみに初段では書かなかったが、本日は自作メガホンの入ったバッグとウエーダーをくくりつけた背負子をせおった状態で歩いている。

どう考えても、老人には優しくない旅。

目的の堤体までたどり着くための旅。駅から駅への移動(もしくはバス停からバス停への移動)。それだけでも大変なことなのに、駅を出たらそのあとに坂道が待っている。

背負子をせおった老人の坂道あるき。見ていて心許ないことこの上ないであろう。

もし坂の途中で力尽きて倒れていたら・・・、人々はどう思う。

なんだコイツ。と?

世の中に迷惑をかけないためにも、自分自身しっかり堤体までたどり着くためにも、普段からそれ相応の体力をつけておかなければならないのだろうか?!

飯田岡第2踏切
うっ、坂だ!
激坂!
黄色!(エンジェルトランペット)
なんとか「おだわら諏訪の原公園」楠坂口までたどり着いた。

紅葉のいい時期に

午前8時05分、「おだわら諏訪の原公園」楠坂口。

北ノ窪の激坂を登り、なんとかここまでやって来ることができた。

これからの行程としてはまず公園内で朝食をとる。朝食はさきほど小田原駅にて購入した弁当。

朝食のあとは公園内にて自由行動。

芝生の広場に寝転がるもよし。同、走りまわるもよし。ベンチに腰掛けぼんやりするもよし。光と風の体験遊具で遊ぶもよし。全長169メートルのローラーすべり台で遊ぶもよし。

なんでもよし。

紅葉もよし。

カツラ、ケヤキ、アキニレ、サクラ、ハゼノキ、ドウダンツツジ。

ネムノキは紅葉せず、ちょっとずつ葉を落としながら冬に向かう。エノキは寒さに強いらしく、まだしっかりと色付いていない。

紅葉を眺めていたらいつの間にか太陽が出てきた。

日曜日の市民公園。

本日は晴天なり。

色とりどりの葉をながめていると、元気な歓声が聞こえてきた。

秋風を切り裂く高い声と長袖の子供服。

広場の色とりどりは、あっという間に子どもたちにとって代わったのだった。

相模こゆるぎ茶めし
紅葉のいい時期に。ラッキー!
中央がカツラ、右端とおくにあるのがケヤキ。
街は小田原市北部、大井町、開成町など
こちらは丘の上にある多目的広場。
ここからはバスに乗って西を目指す。

ざる菊園へ

午前11時33分、おだわら諏訪の原公園バス停。

バス停よりバスに乗車し、さらに西を目指す。

午前11時37分、「ざる菊園前」にてバスを降車。バス停より来た道を20メートルほど折り返すと、ざる菊園に到着。

ここは、2年ほど前に堤体さがしをしていたとき、たまたま見つけたところだ。

まずは正門前。

手書きの看板には、

「どうぞ中にお入り下さい」とある。

こんな文言が並ぶにはわけがある。ここは個人のお宅であるということだ。

圧倒的な白の明るさにつつまれた。

玄関へとつづく坂道の両脇に光り輝く菊の白。ひとつひとつのこんもりと盛り上がる玉は2尺~3尺ほどもある。

菊の甘い香りをかぎつつ玄関の高さまであがると圧巻。

菊の玉、玉、玉。

少し高い位置から見下ろすように、色とりどりのざる菊を見ることができる。

母屋の裏側。ここにも祭壇状に並べられたざる菊が。祭壇のいちばん前には長椅子が並べられていて、記念撮影が出来るようになっている。

長椅子は畑を見下ろす場所にも設置されており、腰掛けながらのんびりと花を見ることができる。

菊の深みある色彩に、ざる菊のやわらかな曲線が合わさる。

見事な玉の数々。

のみならず、大きな丸桶にはしゃぼんだま液が用意されていて、子どもが遊べるようになっていたり、お茶やコーヒーを淹れてゆっくりしながら花を楽しむことができる。

花にも饗にも充実のざる菊園。まさに円満。

小田原市久野。鈴木邸。

老若男女、だれでも楽しむことができるよう配慮がなされた完全無欠のざる菊園であった。

まずは正門前。
圧巻!
玉、玉、玉!
小さな花が集まってひとつの玉ができている。
お茶やコーヒーはセルフサービス。
看板ワンコも何やら誇らしげだ。

堤体に向かう

午後0時17分、ざる菊園前バス停よりふたたびバスに乗車。

午後0時19分、「和留沢入口」にてバスを降車。

和留沢入口バス停から西へ50メートルほど歩くと上河原橋。上河原橋より久野川をのぞき込む。

異常なし。

久野川左岸に平行する道路に進路をとり、やはり西を目指す。

午後0時35分、日向林道の看板前を通過。

午後1時05分、峯自然園の前を通過。

午後1時15分、林道の分岐点に到着。林道が3本に分かれるうち一番左側「舟原林道」を選択。分岐点から50メートルほど歩けば入渓点。入渓点の目印はタイヤ。

釣り人が付けたような踏みあととともに、数本の廃タイヤが捨ててある。

せおっていた背負子を降ろし、入渓の準備。ここまで履いていたスニーカーからウエーダーに履き替える。

メガホンのバッグからは登山用ポールを取り出す。

アウターとして着ていた5Lサイズのレインウエアは脱ぐ。レインウエアはフローティングベストを隠すために着用していたものだ。

午後1時25分、入渓の準備を終えると、踏みあとにしたがって坂を降りる。ほどなくして久野川に降り立つことができた。

入渓直後には舟原林道の橋をくぐる。

くぐった直後には狭い水路状になった区間。これをこえると目的の堤体が姿をあらわした。

和留沢入口バス停と、奥にあるのが上河原橋
久野川に平行する道を行く。
「日向林道」という林道らしい。
林道の分岐点。いちばん左(舟原林道)を選択。
入渓点の目印。タイヤ。
入渓点より。
堤体前へ。

張り出す岩

午後1時50分、堤体前。(堤体名不明)

水はしっかりと流れている。11月ではあるが、夏の渓の水量と言ってよい。

主堤、副堤。2段構成になった堤体。副堤の下流には護床工区間(およそ8メートル)がつづき以降、浅トロ、瀬になったところで右岸側に岩が張り出す。

この右岸側に張り出した岩によって立ち位置が制限される。計測してみたところ、岩の上流すぐを立ち位置として41.5ヤードくらい。これより下流は岩の張り出しを避けるために左岸側に寄ることを余儀なくされる。結果、これだと堤体に対して“ななめ撃ち”の体勢になる。

ななめ撃ちを避けるため、まずは41.5ヤードの区間に入り込む。

堤体に対して正対する。響きが得られやすい立ち位置としての実績に豊富であるからだ。

張り出す岩は立ち位置に制限をもたらす。
主堤に対して正対できる最大距離。
水はしっかりと流れていた。
副堤は高さ2メートルほど。意外に高い。
堤体前河床のようす

キッチリ空間

自作メガホンをセットし、声を入れてみる。

鳴らない。

主堤、副堤の2段構成になった堤体本体でねらうのは、主堤の放水路天端すぐ下のあたり。

ちょうどレーザー距離計の+のマークを当てている付近に向かって声を入れている。

鳴らないことがわかったところで、こんどは声をあてる位置を変えてみる。

が、やはり響きを得ることが出来ない。

立ち位置を変えてみる。

これもダメ・・・。

左右両岸、護岸されていることによってつくられたキッチリとした空間は、一見すると音が簡単に響いてくれそうなのであるが、どうも上手くいかない。

堤体本体と左右両岸には固い護岸。

コンクリート製の固い物質でできた空間といえば「トンネル」のようなものがイメージできるところ。そこでワワワッ!と声を入れてみたならば、結果は言わずと知れていると思う。

ところが、ちょっとした話し声でさえもよく響いてくれるような空間のイメージは、全くこの場には適用しないのであった。

堤体前主要ノイズ箇所。
右岸側護岸
左岸側護岸
鳴らない堤体前。無風。両者の関連性は?
堤体はほぼ真西の方位。

歌い手として得る一日とは

結局、この日は午後4時半まで堤体前で過ごした。

今回は、コンクリートの固い物質に囲われた空間の中で音楽を試みたのであったが、残念ながら響きを得ることは出来なかった。

堤体前の環境として一見簡単そうに思える空間も、実際に声を入れてみると上手くいかないケースがあるのだということを認識させられた日となった。

上手くいかない場合にどうするか。

立ち位置を変える。

道具を変える。

道具の使い方を変える。

環境の変化を待つ。

響きが得られそうな曲を選ぶ。

歌い手自身の頭で考えたことをまずは試してみる。試してみることで、良い結果に結びつくことがあるかもしれない。

これまでの自分自身の経験をもとに、あの場所ではこうだった。こうした。と、思い出しながら同様のことをやってみた。

しかし、芳しい結果は得られず。

万策尽きる。とはよく言ったもの。「尽きる」なのだから、成功している訳ではないが、ほんとうに万もの策略を持って堤体前に向かうことが出来ればこんなにも心強いものはない。

メソード。これもいろいろな業界でよく言われること。「方法・方式」を意味する言葉である。方法、方式にしたがって声を入れていけば、必ず響きが得られるという魔法は、その開発のときが待たれる。

やはり、まだまだこの音楽は未知の部分が多い。

堤体前まで苦労して行って、いざ歌ってみたときに全く響きが得られなかったでは楽しくない。楽しくない思いをしたくないから、歌い手は考え、工夫する。

考え、工夫することの楽しさ。

それは得られたかもしれない・・・。

楽しくない。を起源として、

楽しい。をやらせてもらった。

いろいろ試行錯誤させてもらい、楽しませてもらった。と、すれば有意義な一日であったといえよう。

試行錯誤。楽しませてもらった。
堤体前にちょこんと。
ちょこんと生えていた木はアカメガシワ。
ヤマグワ
ネムノキ

正確な予想

南巨摩郡富士川町箱原

駐車スペースをどうするか。

いろいろな目的地に行くときに、毎回どこに車を停めるのかということに迷う。

目的地とは堤体のことであったり、観光施設であったり、店であったり。

行き先が観光施設や店であったら、専用駐車場にそのまま駐車すればよい。

対して、行き先が堤体の場合。行き先が堤体の場合は、駐車スペースについて、ほとんどの場合が道路上となる。

堤体といえば、山間地域の交通量少ないところにあるもの。ならば車を通過させる。車を駐める。いずれの場合にしても、あまり競争のようにはならない。

たいていのところは路上駐車というものにあまりシビアでは無く、お好きな場所へどうぞという感が強い。

事業主や省庁が管理するような区域であれば、この限りではない。しかし山間地域全般、道路というものに対してはどこもおおむね寛容で、駐車禁止エリアのようなものは少ない印象を受ける。

自由に停められる場所が多い。

自由の許すかぎりの範囲で、法(刑事)、民事ともに犯さないような場所に停めることが出来ればよいであろう。

では実際、車を停めるときにどうするのか。

いちばんに目指すものといえば、堤体の至近に車を停めること。

堤体至近に車を停めることが出来れば、車を降車したあとの「歩き」の行程を最小限に抑えることができる。

なるべく歩く距離を少なくして、楽をしてやろうという算段だ。

まず、道路をよく見る。

道路をよく見て、車がきちんとすれ違えるような場所を見つける。

もちろんこれは堤体至近がいい。できる限り堤体に近い場所で。

そして、その見つけたところ道幅ギリギリに車を進入させ、駐車する。駐車ができたら車を降りて確認する。

後続する車両、すれ違う車両が問題なく通行できるような状況になっていれば、駐車は完了だ。

10月27日、あさは晴れ。その後はくもりの天気に。

超短編小説〔盗橙〕

10月27日、午前9時。山梨県南巨摩郡富士川町箱原。

やはり今回も駐車場所に迷った。

迷った末、車は大柳川右岸の未舗装区間に駐車することに。ここは集落の外れのような場所だ。

たとえばこんな話し・・・。

〔盗橙〕

ある町に一本の柿の木があった。

季節は秋。

柿の木は跳ねるような枝に、瑞々しい、ずっしりとした実を付けている。

ある朝のこと。

朝日を受けて橙に光る柿の実。

橙の明かり。その明かりに吸い寄せられるように一人の男がやってきた。

男は寒いのか、上着に来ているジャンパーのポケットに手を突っ込んでいる。

寒いわけはない。きょうは朝とはいえ、すでに気温が21.4度もある。

男は柿の木の下に立つと、何かを注視するように遠くを見ながら、小さく独りごとを言っている。

金襖子が虫を食む瞬間はとても早いらしい。

突然、男は自分の頭上にある橙に手を掛け、腕の力で引きよせるようにその実を枝ごと強引に引っ張った。と、次の瞬間には力強く実を手折ったのだった。

男は、鋭く引きよせた腕をジャンパーのポケットに仕舞い込む。

近くに停めてある車のハザードランプが光った。男の車だ。

男は静かに歩み出すと、次の瞬間にはもうすでに運転席の中にいた。

車のエンジンが掛かり、走り出す車。

男の車の後部座席には、横一列きれいに並べられたコンテナと、満杯の柿の実が同乗していたのであった。



駐車スペース選びというのは正確な予想が必要であると考える。

単に車がきちんとすれ違えるようになっていれば良いというものではない。

地域住民の気持ちを読むこと。その場に置かれている車を見て、その地域に住む人々がなんと思うのかを予想する。

正確な予想は難しい。

自分自身にとっては毎日乗って見慣れている自家用車であっても、地域住民にとっては見慣れない車。不審車両が停められているという判断を下されてしまうかもしれない。

怪しい車に間違われないために。

できる限りの努力。

集落の外れに駐車した。

こちらが午前中行きたかったところ。
網にバケツにプラケース。電池式のポンプも。
アブラハヤ
アブラハヤほか。
こんな狭い水路にいる。
午前中いっぱいは魚捕りをして遊んだ。

大柳川の谷に分け入る

午後0時。

柿ドロボウではなく、この日は魚捕りに出かけていたのだった。

午前中いっぱい遊んだ魚捕り。

午後0時半、富士川町箱原を出発。

石鹸か?ハンドソープか?

自家用車のハンドルを握る手からは猛烈な匂いがしている。

これは異臭騒ぎに該当するような匂いではない。幼少期にはよく嗅いでいた匂いだ。

手にべっとりと付いたアブラハヤのぬめりを嗅ぎながら、大柳川の谷に分け入った。

午後1時。富士川町かじかの湯に到着。

真っ先にトイレへと駆け込んだ。

ハンドソープだった。

流水で匂いが消えるまでしっかりと手を洗った。

富士川町かじかの湯
あったー!
なにやらウマそうなのを発見。
ほんとうにウマかった。
地元の観光情報もゲット!

本日は新規開拓

午後1時50分、かじかの湯を出発。

申し遅れた。今日の堤体は、新規開拓の堤体だ。

なるべく早くに到着して、現場の状況をいち早く把握したいという思いがある。かじかの湯はたしかに建物内に入った。しかし、浴場ののれんはくぐっていない。ハンドソープで手を洗ったことと、昼食を摂っただけ。これで充分。先を急いだ。

午後2時、「十谷入口」バス停前を通過。

午後2時5分、つくたべかん前を通過。ここは当地域の伝統食「みみ」が出されることで有名らしい。今回はお預けとなったが、また機会を見てぜひ訪問してみたい。

午後2時10分、民宿「山の湯」まえを通過。

午後2時15分、林道五開茂倉線林道ゲート前に到着。

カラフルな風ぐるまがクルクル
「十谷入口」バス停前
つくたべかん前
民宿「山の湯」まえ
林道ゲート前

着衣のもの足りなさ

車から降りて入渓の準備。

川へ立ち入る際に必要なウエーダー。ウエーダーはどのタイミングで履くかということを考える。

この場ですぐに履き替えるというのが一つの作戦。

もう一つの作戦は、まずとにかく靴を履いたまま堤体に向かう。肝心のウエーダーはアルミ製の背負子にくくりつけてせおい、堤体の直前にたどり着いたタイミングで履き替えるというもの。

目指す堤体は、林道ゲートよりおよそ1.5キロ歩いたあたりにある。

測ってみれば気温は17.2度。肌感覚的にはTシャツ1枚でちょっと寒いくらいだ。

この場でウエーダーに履き替えることにした。

但しこれも条件つき。

上半身は半袖のまま行くこと。何となく想像できるのが、上半身長袖を着たあとに待っている大汗ダラダラの展開。ちょっと寒いと感じる着衣のもの足りなさ。しかしそれを歩行運動にともなう体温上昇によって補完することが狙いだ。

ほか、フローティングベスト、ヘルメット、動物よけのホイッスル等を身につけ、さらに登山用ポールを片手に握ったところで準備完了。

午後2時35分、林道ゲートを越えたところで歩きをスタート。

林道はゲートから500メートルくらいの区間で針葉樹の下を歩く。500メートルを越えたあたりで堤体(堤体名不明)の堆積地を見下ろすようにあるき、それと同時に木は広葉樹に変化する。

林道のカーブに差しかかる手前では動物よけのホイッスルを吹く。吹き方については目下研究中である。

ところどころ紅葉で色づく木々を見ながら目的の堤体を目指した。

午後3時25分、林道と大柳川が平行する地点にて堤体(堤体名不明)を発見。

前半は針葉樹の下を歩く。
途中から空が開けた。
ガマズミ
ところどころには紅葉している木が。
こちらはマルバアオダモ
目的の堤体を発見。

扇子状に広がっていく空間

林道ガードレール下およそ20メートルのところに大柳川の河床があり、そこから上流100メートルほどに堤体。堤体は二段構成で、上段は目視で分かるほど方位が反時計回りにズレている。

両者が副堤、主堤の関係であるのかは定かではない。しかし、距離的にもほとんど離れていないことと、左右両岸、岩壁でひとまとめに覆われていることからすると、二基一組と考えて声を入れていくのが妥当といえそうだ。

堤体二基をまるまる飲み込むほど岩壁は鈍角にもり上がり、上層部分には渓畔林を配している。

いちばん下には狭い水路。そこから上に行くにしたがって扇子状に広がっていく空間。空間は最後、広葉樹の枝葉によって天井が仕立てられ、適度に空からの光を遮断する。

難点が唯一。唯一、下段側の一基の放水路天端に割れが見られる。

放水路天端の下流カドが割れてしまっていて、その部分に左右両岸側から水が集まるように流れ込んでしまっている。

割れの影響として、本来湛水で帯状に落ちるはずの水が、棒状に変化してしまっている。

堤体前が全体的ににぎやかということもあり、棒状放水によるノイズ面での影響はほとんど感じられないが、落水そのものの見ためとして、暴れるように落ちていく様が決して美しいとは言い難い。

地面につかまりながら慎重に降りる。
堤体前へ。
下段側の堤体は、中央部分が割れて水が集まっている。
距離(下段側の堤体。)
距離(上段側の堤体。)
風は微風が断続的に吹いた。

予想は・・・、

自作メガホンをセットし、声を入れてみる。

良く鳴る。

両岸にもり上がる岩壁は、入れた声を素早く返してくれる。

声をしっかり拾ってくれ、

拾った声を失わないで返してくれる堤体前ができ上がっている。

空間は水のノイズでにぎやかな状態であるのに、そのなかで声を響かせて歌をしっかり歌うことができる。

空間の扇子の芯の部分について、その狭くしぼられた水路にともなう激流ノイズでは、中できちんと声が響いてくれるという不思議。

大きな岩壁の中に転がり込んで、入れた声のすべてがノイズに飲み込まれてしまうくらいの状況を予想したのであったが、予想は外れた。

声を入れたときに、響き作りをアシストしてくれる岩壁が左右両岸に待っていてくれたのである。

白く泡立っているあたりは、かなりのノイズであるのだが・・・。
右岸側
左岸側
渓畔林によってもたらされるのは天井。

正確な予想ができるようになると

結局、この日は午後5時まで堤体前で過ごした。

とにかく今回は、堤体前の見ためから受ける印象と、実際声を入れてみた時とのギャップが大きい堤体であった。

あちこちの堤体に出掛け、歌うという行為を繰り返していても、まだまだわからないことが多い。

砂防ダム音楽家という専門であるならば、堤体前における響き作りについて、その時どのような展開が待っているのかを判別できるスキルが必要であると日々感じている。もちろんこれは、実際声を入れてみてということではなく、その堤体前の様子を見ただけで結果を予想できるスキルということである。

正確な予想ができるようになれば、

新たに待つ世界。

響くのか?響かないのか?

正確な予想ができるようになりたい。そのもととなるのは観察力。

水がどう流れている。

木がどう生えている。

岩がどうなっている。

風がどう吹いている。

いろいろなものをよく観察することで、予想が正確になる。予想が正確になるということは、予想が当たるようになるということ。

予想が当たる。このことは堤体の音楽の新たな楽しみに繋がるのではないだろうか。

その領域に到達するために。

堤体前に立って歌うことが楽しく、さらにプラスして、予想が当たるという新たな楽しみが待っているはずだ。

こうして見ていても、鳴ったという事実が信じがたい。
ヤマツツジ
チドリノキ
ミズナラ
ヤマボウシ

大好き河津町!vol.23

小さな湖

10月13日、午前8時。荻ノ入川砂防ダム横駐車スペース。

この日のために用意した虫捕り網と虫かごを車内から取り出し、ウエーダーを履いて堆積地に向かう。

気温は日なた27.7度、日かげ21.5度。

予報では今日一日晴れるらしい。

さわやかな秋晴れの一日に期待しつつ、積み上げられた土砂で出来たスロープを降りた。

荻ノ入川砂防ダムの堆積地

堆積地に立つ

午前8時すぎ、荻ノ入川砂防ダムの堆積地。

ほぼ真っ平らに見える堆積地は、わずかな傾斜があり上流から下流に向かって水が流れている。

川のほぼ中央にできた瀬から、堤体方向にむかって流れる水。

流れが堤体区間に差し掛かるだいぶ前では、川は右岸側に分流し小さな湖を形成している。

通常、湖は静まりかえる。だが、上流に出来た瀬と、天端から一気に流れ落ちる水によって生じたノイズで辺りは騒がしい。

情景と音にミスマッチな湖。

しかし、そのような光景を見てほくそ笑んだ人物とは自身のこと。

湖の水。と、上流から下流へ途切れることなく流れる水。両者は堤体本体を通過する区間、しっかりと放水路天端を覆い込むように流れている。

天端の下流にできたカドまでは鏡のような水面。しかし、カドを越えた瞬間、マジックのように消息を絶つ水。水は下に向かって落ち、景色の中から突如として消える。

これは堆積地に立ち、堤体本体側を向いていると見える光景。

だが、このような状況を当たり前に思ってはいけない。

今回おとずれている荻ノ入川砂防ダムのような重力コンクリート式の堤体は、ほとんどの場合「水抜き」と呼ばれる穴が堤体本体に付いている。

上流より流れてきた川の水はすべて堤体の放水路天端上を通過するのではなく、そのうち幾らかを水抜きによって逃がしている。

問題となるのはその逃がしている水の割合で、上流より流れてきた水の全量。つまり100パーセントを水抜きによって通過させている堤体というのが多く存在する。

透過型と呼ばれる形式の堰堤・砂防ダム。その通常稼働状況を見ているといってよいが、放水路天端上を覆い込むように流れる(湛水という。)ときと、こういった場合とでは落水によるノイズに大きく違いが生じる。

・水が堤体の放水路天端上を湛水し、通過している場合。

・水が全量水抜き(水抜きの穴は通常、2個以上複数ついている。)にて堤体を通過している場合。

水が堤体区間を通過するときの2つのパターン。歌い手として、いま現在、堤体と堤体区間を通過する水との関係が、この2つのパターンいずれの状態であるのかをしっかり予測した上で堤体前に立つようにしたい。

理由は、落水により生じるノイズに大きく違いがあるから。

・音の発生周期の違い。

・音の周波数の違い。

・音の発生場所の違い。

ノイズという音環境の違いのみならず、落水そのものの見ための違いがあることを加味すれば、歌い手の心情におよぼす影響として、その差はさらに大きいものだということがわかる。

落水の状況を予測すること。予測にはその堤体の過去の訪問歴を用いるほか、グーグルマップの航空写真でも確認することができる。(確認できる場合がある。)

そして落水の状況がある程度予測できた後に、堤体選択の段階に移ることが出来る。

軽いノイズ、重いノイズ。

やわらかいノイズ、かたいノイズ。

弱いノイズ、屈強なノイズ。

いずれの音。どんな音がノイズとして欲しいのか?

どういった音環境のなかで音楽を楽しみたいのか?

堤体をおとずれる計画段階のうちから歌い手自身の理想をイメージし、それに見合った堤体を選び出すことから旅ははじまる。

堤体本体側を向いていると見える風景
銘板
左が全量水抜きから抜けている場合、右が湛水の場合。
透過する水では棒状放水。湛水では帯状に放水。

気持ちに余裕

午後0時。

午前中いっぱいは虫捕りをして遊んだ。やはり予報に違わぬ晴天の空のもと、残り少ない暖かな季節の空気を感じながら、堤体の堆積地に立って遊ぶことが出来た。

こんな風に余裕でいられるのも、水がしっかりと放水路天端を覆い込むように流れているその光景を確実にその目で確認しているからである。

午後0時半、昼食のため堆積地を上がることに。ふたたび積み上げられた土砂で出来たスロープを登り、駐車スペースへ。

持ち出した虫捕り網と虫かごを車に積み込み、ウエーダーから靴に履き替えエンジンをかける。

車を河津七滝の温泉街に向けた。

虫捕り網と虫かご
オオカマキリ
ミヤマアカネ
モンシロチョウ
カナヘビ

出合茶屋へ

午後1時10分、河津七滝・町営駐車場まえ。

この日は3連休の中日ということもあり、町営駐車場まえは駐車待ちの車で渋滞状態。「満車」と書かれた立て看板。さらに赤い棒を持ったガードマンが立って、駐車場へと上がる坂の前にて車を誘導している。

午後1時20分、渋滞をクリアしなんとか駐車マスに車を停めることが出来た。車を降りて出合茶屋に向かう。

午後1時25分、出合茶屋に到着。しかし、店は“オーダーストップ”とのこと。とりあえず店員に確認し、いったん店を出ることにした。

この日は、昼食後に初景滝まえで記念撮影を予定していた。しかし、店のオーダーストップを受け、予定変更。急きょそちらへ向かうことにした。

午後2時、初景滝まえに到着。無事、記念撮影をすることができた。

午後2時20分、ふたたび出合茶屋へ。テラス席にて昼食をとる。このタイミングで食事が出来たのはおよそ1時間前に店に来たとき、しっかり店員に確認したからである。郷に入りては郷にしたがう。店員の話はよく聞く。ネット情報には16時閉店とあるが、宛てにしないでまずは自分の口でしっかり尋ねるようにしたい。

出合茶屋
猪汁わさび丼セット
初景滝まえ
11月20日は滝まつり。
おすすめは出合茶屋!

転ばぬ先の杖

午後3時半、ふたたび荻ノ入川砂防ダム横駐車スペースに戻った。
車から降りて入渓の準備。靴からウエーダーに履き替え、上半身にはフローティングベストを纏う。

本日の重要アイテムとしては片手に携える登山用ポール。荻ノ入川砂防ダムの下流部は流路形状に直線的で流れが衰えにくい。さらに、川底に沈む乱形スリのような石はフェルト底のウエーダーであってもかなり滑りやすい。

“転ばぬ先の杖”である登山用ポールの補助を受けることで、より安定性高く川の中を歩くことが出来る。

午後3時50分、荻ノ入川砂防ダム横の林道から堤体前に向かって斜面を降りる。斜面には踏み跡がついている。釣り人や野生動物によって付けられた踏み跡だ。

午後3時55分に堤体前着。

放水路天端を湛水する水。
湛水することで横一線、帯状になって落ちる。
放水路天端の下流カドに隙間ができている。
北西向きの堤体。

「瀬」とは

水はたっぷりと流れている。

今、この場所に降りてくる前、堤体のほぼ真横から水が放水路天端の底を切って空中に投げ出される様子を確認してから来ている。

天端の下流カドに隙間ができていた。それほど水の流れは厚い。

水タタキに落ちてからの水はいったん側壁護岸のなかにプールされる。プール内にはノイズ要因となるような瀬は一切見られない。瀬がはじまるのは主堤から50ヤード下ってからの区間。

建設重機タイヤサイズ大の石が転がる区間は、減水時には蛇行。しかし、本日ほど水量が多ければ、頭の低い石については丸ごと飲み込むようにして水は流れる。

川の流路は直線的になり、また、石を飲み込んだすぐ下流にはピンポイントで水の落ち込みができる。そして落ち込みができた場所にはノイズが発生。

ノイズの発生源が多数見られる。それらを複数まとめて面になった場所が「瀬」である。

足元からの騒がしさは保証された。渓流区間のノイズのなかで鳴らす音楽の楽しみをじっくり堪能できることが期待される。

果たして?

荻ノ入川のたっぷりとした水の流れに対して、人の声で響きが作り出せるかどうか?

これから実際、声を入れてみて検証することとなる。

堤体前のようす
堤体前にできた瀬
スギ
タブノキ
ケヤキ
両岸のスギが高く、光をしっかりと遮断してくれている。

声は渓畔林を迂回する

自作メガホンをセットし声を入れてみる。

一番最初に立ち位置として選んだのは堤体から78.8ヤードの地点。

鳴らない。

やや右岸寄り。水面に露出した石の上から挑んでみたが、全く声が響いている感じがしない。

立ち位置のすぐななめ後ろでは、この堤体前で最も有力な瀬がノイズを放っている。やはり影響力は相当大きいようで、迫ってきていている音によって自身の耳は耳栓状態になってしまっている。

歌っているにも関わらず、その声が響きとして聞き取れない。立ち位置を変えてみる。

次に立った場所は堤体から87ヤードの位置。

主要な瀬よりも下流側に立った。ふたたび声を入れてみる。

堤体前に広がるノイズ。その音のデカさ。しかし、そんななかで声は残ってちゃんと響いている。

両岸には渓畔林。

堤体前の直線的な空間のなかで響く声は、歌い手の口から放たれて広く横(両岸側)を迂回している。

声が渓畔林に当たっている。とくに左岸側は勾配がスローで林密度も高すぎない針葉樹の林。いかにも風通しの良さそうな林のなかに声がスムーズに入っていく印象が強い。

ノイズの強かった瀬。
右岸側
左岸側
最初に立った位置が78.8ヤード。
風は吹いたり、止まったりという展開。

変化する堤体前

結局、午後6時まで堤体前で遊んだ。

この日は、一日のほとんど多くの時間を荻ノ入川砂防ダムとともに過ごした。印象的だった出来事といえば、朝一番の堤体本体のインスペクション。

堤体の放水路天端をしっかりと湛水する水。その様子を見てとることが出来て安心した。

じつは今回おとずれた荻ノ入川砂防ダムについて、今春にはすでに来ていて、そのときには水は湛水していなかった。水は堤体本体に設けられた10ヵ所の水抜きから全て抜けきっている状態で、穴から棒状放水したのち、下の水タタキに向かって激しく打ちつけている光景を目の当たりにしていたのだった。

それから季節が過ぎ、春から秋へ。

この10月までの間に当地では台風を筆頭に多くの雨が降り、それに伴って多くの土砂が堤体上流の堆積地に供給された。結果、現在は堤体本体について水が湛水しやすい状態が形成されている。

自身好みのことをいえば、いま現在の放水路天端から湛水している状況というのが、ノイズの質についても、落水そのものの見ためにおいても心惹かれる堤体のすがたである。自分自身に嗜好があるなか、今回はそのような状況のなかで歌えて非常にラッキーであった。

変化する堤体前。

やはり、自然を相手にしている以上「運」がつきものであるということを忘れてはならない。

水の量、風の吹き方・強さ、渓畔林の葉の量、つる性植物、草本、天気、太陽の位置。太陽の位置が変わるならば堤体前の明るさも変化する。あとは滅多に変わらないけれど石が動いて渓相が変わったり、護岸が崩れたり、斜面が崩れたり、倒木が生じたりする。

つねに状況が変化するなかで、まずは自分自身が歌いたいと思うような堤体前に立つことが出来てよかった。

この川については今後、冬に向かって徐々に降水量が減り、水の量も減少の一途をたどるであろう。

そうすればまた、堤体通過時の水が棒状放水の状態に戻ってしまうことも十分に考えられる。

湛水する堤体で遊びたいならば今がチャンス。

歌のプレーヤーにとっていちばん好きな堤体に出会うために。演奏施設となる堤体前の「いま」を予測したのち、実際に現地をおとずれてみたい。

この秋のシーズン。良い状態の良い堤体で良い歌を。すばらしきミュージックライフが展開されることをを祈っている。

78.8ヤードの立ち位置。さすがにノイズ源が近すぎる。

透明人間

ドイツトウヒの木。勝沼中央公園にて。

ドイツ・リートというジャンルが好きなもので、堤体前で歌うのは専らドイツ・リートである。

したがって歌で扱う言語はすべてドイツ語。

これが難しい。

一つ一つの名詞に性が付くこと。男性名詞、女性名詞、中性名詞のうちいずれか一つ。

名詞にいずれかの性が付くことが分かったところで、冠詞が格によって変化すること。

同様に、名詞にいずれかの性が付くことが分かったところで、つづく動詞、形容詞が人称や格によって変化すること。

名詞の性によって変化した冠詞はさらに前置詞にくっついて融合形をなすこと。

複合語を理解すること。

この言語の難しさのなぜを一つ、二つ、と挙げていくと止まらなくなってしまう。

歌曲の元になった詩が一体なにを言わんとしているのか?詩が伝えようとする想いや情景を理解したいという願望あってはじめた語学学習も、目下休止中という状況である。

今まで自分が歌ったことのない歌に取りかかるときだけ、あらためて単語を理解しようと翻訳アプリの結果に注視したりはする。

おおざっぱに詩を解釈しようと程度には頑張るけれども、例えばドイツ語検定のような認定試験を通じて、語学基礎能力全般を向上させようといった取り組みには全くもって疎くなってしまった。そもそも、

ドイツ語が出来るようになりたいか?

という問いに対して自分自身、明快に「はい。」と返事が出来るような性格には到底、おもえない。苦悩するのは、出来るようになりたいか?という問いに対して単純回答すればいいところしかし、前述した言いわけのような文句を脳内再生あれやこれやといちいち応戦してしまうことにある。

こういったところは自信満々、「はい。」とすっきり返事ができる人のほうが清々しくてよい。今現在どれだけこの言語の語学力を有しているか如何にかかわらず、そういった人はすごいと思うし、ならばすでにこれは才能持ちであると言ってよいのではないかとも思う。

語学が出来るようになりたいという願望をしっかり学びの機会へとつなげられる人。

学びへの意欲という才能。

簡単なようであって、しかし、誰もが持っているわけではないもの。

意欲というたったそれだけのこと。しかし持ち合わせるのは容易でない。

うらやましき才能である。

勝沼中央公園

勝沼中央公園

9月7日、午前8時。山梨県甲州市勝沼町、勝沼中央公園。

ここは中央公園というだけあってちょっと広めな公園。

公園といえば公園樹。公園樹といえば樹木観察。樹木観察といえば図鑑。

図鑑を持って樹木の同定にスタート!

樹の名前を知ること。樹の名前を知ることといえば、普段フィールドで行っていることと同じだ。

自身が堤体前、もしくはそこにたどり着くまでのあいだに見た樹木について、その名が分からないときには図鑑を開いてどんな樹か?と調べるようにしている。(ただし、これは時間に余裕があるときだけ。)

これが砂防ダム音楽家にとって本当に必要なスキルなのかどうかはわからない。そもそも、歌うために堤体前に立つこと。その大義は遊びであり、遊びという絶対的決まりに照らし合わせてやっていいことなのか、ダメなのか?そこは慎重に判断されなければならないはずだ。

学問やりに来ました。勉強しに来ました。みたいなことを現場で言うのがそもそも嫌だ。

植物学は不要。

したがって、堤体前に繋がる日常生活の樹木。たとえば公園樹や街路樹、庭木などを用いて樹木に造詣を深めること。予備学習として、公園に生える木を観察したりする行為は基本的に必要ないといえる。

つまりのところ必要ないことをやっているということ。必要ないとしながらも続けているのは、

学びへの意欲?

木を見ると、この木はなんという木なのか知りたくなる。

観察の場所を変えるたびにいろいろな木と出会う。

あの場所にあった同じ木がここにもあるという偶然に出会ったり、似たような木なのだけれど生育する温度帯の違いで、異なる種類であったりすることがおもしろい。

例えば、使用している図鑑の著者が北海道で撮影したという写真の葉と同じものを山梨で見つけたりすることがおもしろい。

もちろん、今まで見たことの無かった新しい木に出会うことはめちゃくちゃ楽しい。

いろいろな木が知りたいという願望を学びの機会へとつなげられている。

・・・、

才能か?

南エリアはシラカシ並木。
勝沼中学校側はミニ学習林の様相。
ちょっとした遊具もある。
トイレは最新機種に入替え済みで新しい。
勝沼中央公民館側のトウカエデ並木。

慶千庵

午前10時50分、勝沼中央公園を離れ、昼食に向かうことにした。

気温35度。猛烈な暑さのなか選んだ昼食は「ほうとう」。(暑さに負けないように、温かいものを食べよう!)

中央公園ちかくに「慶千庵」という店があることをスマートフォンで調べ、歩いて向かうことにした。

午前11時10分、慶千庵に到着。店の門をくぐり抜け中に入ると、すでにヒトダカリ状態ができあがっていた。

店の姐さんが客の名を呼んでいる。どうやらこの店は入り口のところにウエイティングボードがあるらしく、さっそく記帳しに行ったのであるが、驚いた。

入り口玄関のすぐ横に氏名を書くバインダーがちょこんと置かれている。

バインダーの紙には罫線マスで区切られた紙が挟まっている。また、罫線マスの一番左側には1~20の番号が振られていている。問題は、もうすでに16までの数字が氏名で埋まっているということだ。

17の右に「モリヤマ」と記入し、待つことに。

やれやれ・・・、

この待ち時間が飽きなかった。門から玄関までの通路は30メートルほど。その通路と両サイドは見事な庭である。庭というのだからもちろん木もある。

木のことは先ほど中央公園で一区切りやってきたつもりであったが・・・。

結局ここでまた“再スタート”することになり、脳を活性化され、適度な疲労感とともに時間をつぶすことになった。おかげで腹が減った!

その後は名を呼ばれ、無事ほうとうにも逢りつくことができた。

店を退店する際、依然として多い来客には心底びっくりしたが、逆を言えばそれだけ大勢の人が、この見事な庭に接しているということ。味にも見映えにも儲けさせてくれる店であった。

昼食は慶千庵へ。
大きなウメの木
ナルコラン
ヤブラン
カリブラコア?
かぼちゃほうとう

堤体に向かう

午後0時20分、堤体に向かう。

慶千庵の門を出て、南へ200メートルほど歩いた。目の前には本日入渓する日川。ぶどう橋より日川の様子をチェックする。

異常なし。

ぶどう橋より再び慶千庵の店の前を通って、勝沼中央公園駐車場(勝沼中央公民館駐車場)へ向かう。

午後1時10分、勝沼中央公民館駐車場にて車に乗り込み駐車場を出庫。「勝沼地域総合局入口」信号交差点から旧甲州街道を東へ。

午後1時20分、「柏尾」三叉路より国道20号線に連絡し東京方面へ。

午後1時半、国道20号線「景徳院入口」信号より左折し、山梨県道218号線に入る。

山梨県道218号線にしたがって進み、砥草庵まえ、日川渓谷レジャーセンターまえ、天目トンネルなどを通過。

午後1時45分、やまと天目山温泉の日帰り入浴施設入り口にある「天目橋」のさらにもう一本上流側「六本杉橋」をわたってから700メートルで天目山駐車場。(ここはトイレがある。)

天目山駐車場からは4.1キロの行程。天目山荘、高山荘、嵯峨塩館といった民宿・旅館の前を経由して到着するのは川に降りられるスロープの入り口。当日はスロープに立ち入り禁止の紙が貼られたバリケードがあったため、さらに100メートルほど進んで道幅の広くなったところに車を駐車した。

ぶどう橋
ぶどう橋から日川
堤体に向かう。
山梨県道218号線を行く。
日川に沿って山道を登ってゆく。

観察センター

午後2時、車から降りて入渓の準備・・・、いや、眠い!

やっぱり今日は頭を使いすぎている。頭の中にある樹木名を取り出したり、また取り入れたり。名をすでに知っている樹木であっても、図鑑に書かれた生態のことを読んだりしていて、さすがに疲れた。

木を見ることは楽しいのだけれど、やっぱりあれこれ頭を使うので疲れる。ここだけはどうしても避けて通れない難しいところだ。

車のシートをリクライニングにし、午睡をむさぼった。

午後2時20分、むくっと起き上がり入渓の準備。

車の後部ドアを開け、バックルストッカーからウエーダーを取り出す。おもむろにウエーダーに履き替えると、履いていたスニーカーを車内へ。

空を見ると曇っている。

夏山はいつだって安心できない。履いていた靴ぐらい干してから出発したいところであるが、突然雨が降ってくることもあるので空には見せられない。隠してから行く。

午後2時50分、ウエーダー以外の装備も整ったところで出発。まずは道路を歩いて銘板を撮りに向かう。

山梨県道218号線の道路路肩沿いには谷から生えた木々の枝葉がちょうど同じ高さで延びている。あれやこれや樹木の観察センター状態になってしまっていて、ここでついつい足が止まる。

ん?

なんとよくよく見てみれば、ブナとイヌブナという二つの似て非なるものが揃って展示されているという偶然が!ホントにこれが自然散布によるものなのかどうか疑いたくなるくらい優秀な観察センターである。

午後3時20分、銘板の撮影と観察センターの見学を終え、いよいよ谷を降りるときが来た。

谷は登山用ポールの補助を借りながら降下する。目に見えているルートを行くこと、大きな石には決して乗らないことを条件にあせらずゆっくり行けば誰にだって降りられそうな坂だ。とにかくあせらずゆっくり・・・。

寸刻、下り坂と格闘したのち河原まで降りることが出来た。

銘板
道路の高さと枝葉の高さがちょうど良い。
もはや観察センター状態に。ミズナラ。
ブナ
イヌブナ

ゴー!

午後3時半、川を見て驚いた。激流。

当地点からおよそ3キロ上流には上日川ダム。川の様子から察するに本日は上日川ダムのゲートが開いている。しかも、暫く水を貯めてからの解放であることが目の前の状況から推察される。

放水路天端から落ちる水によって発生する、爆音ならぬ瀑音があたりを包んでいる。

ゴー!

とも

ドー!

ともつかない音によって。

いや、音というよりも空気の振動そのものに全身が包まれているような感覚に近い。

全身に迫ってくる震動は、耳には音の耳栓を嵌めたように作用している。

これでは堤体前を鳴らすとか、鳴らさないとかそういうレベルの話しには到底ならないだろう。無理だ。

河床の洗掘にともなって側面崩れたあたりは若干えぐれていて、音が和らぐか?と思い対岸に移ってみた。しかし、全くそのような効果は得られなかった。

これはダメだろう?

とにかく、今日は歌って空間を鳴らせるような状況にはない。

上流より襲来する水の多さを眺めつつ、途方に暮れる。

嵯峨塩4号堰堤

どうにもならない状況

午後3時40分、自作メガホンをセットし声を入れてみる。

すでに歌う前からどうにもならない状況であることはわかりきっているところ、それでもやってみようという気持ちが失われず準備をしてみた。

声を入れてみる。

が、

やっぱり・・・、鳴らない。

声を発する楽しさは得られていようか?とりあえずは声が出せている。大いなる相手を前にして。

歌うという行為そのものはいつも通り出来ている。

しかしいつもと違うのは、音が鳴らないという状況。と、鳴らない状況をつくっている原因が、圧倒的な水の量にあるということ。

たしかに鳴らない。しかし鳴らないけれど歌えなくなるわけではない。

北方系。日が堤体を直接照らさない時間が良さそう。
高い堤体では長めに距離を取る。
空気は程よく動いている。
強い流れ。下流側。

これはもったいない?

結局、この日は午後5時半まで堤体前で過ごした。

いやはや、こんなタイミングで現場を訪れることになろうとは思ってもみなかった。

ノイズ・・・、というより空気の振動に全身が包まれているような環境で声を入れていくという体験が出来たことはよかった。

しかし、声を入れるからには響きとして音が還ってくるような状況の方がありがたい。

これが、通常、音楽的な楽しみかた。

プラス!

では、与えられた状況下そこから遊びを作り出すという工夫ができるかどうかが、今後の課題なのではないかと思った。

歌えなくなるわけではない。ということが再確認できたなかで、ならばその状況で歌い手が持ちうる限りの能力を用いて、道具の力も借りて、こんな日でもゲームとして成立させていけるかどうか。

物理的なもの、精神的なもの。解決にはどちらが必要か?もしくは両者ともに必要なのか?

演奏施設である堤体前を無駄なく使えているか?

歌い手自身、堤体前がときに遊びのベースを違った形で提供してくれることに気がついていなかったらこれはもったいない。こういった状況下でいかに遊べるようにするかもプレーヤー側は問われているかもしれない。

激流の日であった。

無理だ。ダメだと言った。しかし、

もしかしたら逃してしまった大いなるチャンスだったかもしれない?!

学びへの意欲という才能。

とは、冒頭のはなし。自分じゃ絶対に無理だと思ったことをやってのける人がいるのもまた世の中のおもしろさ。たのもしさ。

ならば、常にもっともっと上に人物がいることを想定して挑まなければならない。こういった状況下で声を入れていくような音楽というのが未来の世の中にはあるのかもしれないということを忘れず。

ここで遊べない。という事実に何となくさせているのは、その「情報」をつくっている「時代」というたったそれだけのこと。

損をするべからず。

チャンスを逃すべからず。

こんな場所でさえ遊べてしまう透明人間の存在をその背中を追いかけてみたい。

透明人間を追いかけよ。
サワシバ
コハウチワカエデ
シナノキ
バッコヤナギ

北杜市へ

山梨県立フラワーセンターハイジの村

今回は山梨県峡北地方、北杜市へ出かけてみた。

北杜市といえば八ヶ岳が有名だ。八ヶ岳南麓に広がる自然豊かな地域は、観光スポットの多い非常に魅力的なフィールドである。

そして今回、事前に入手した情報によればいまの時期は「明野のヒマワリ」が当地の名物であるという。

ヒマワリといえば黄色に咲く大輪の花を思い浮かべるところ。広大な畑に咲いている大輪のお花見とあっては大きく期待感が持てる。一面に広がるヒマワリの大海原を夢見て北杜市へと車を走らせた。

北杜市明野へ

明野サンフラワーフェス

8月16日、午前9時15分。北杜市明野サンフラワーフェス駐車場。

なんと雨が降っている。

この日は台風7号が千葉県沖に接近中ということで、午前中はあまり良くない予報であった。

ひとまずは車内待機を決め込み、カールーフに当たる雨粒を聞くことに。

雨に加えて風も。しかし、風はさほど強くないようである。駐車場に何人かいる係員の人たちは透明なレインコートを着てせっせと車の誘導に精を出している。と、そこへ入場してきた車からは到着するや否やさっそく傘を差し、元気よく畑の方へ飛び出していく人らがいる。

外へは出ようと思えば出られるくらい。

けっして弱いとはいえない雨で、かといって激しすぎるわけでもない。

今ここに来るまでには長い登り坂を上がってきた。そして、八ヶ岳山麓の小さな丘にまでようやくたどり着いたという安心感。

妙に金持ち気分になって留まる精神的余裕。快適性優先の車内で過ごす。

午前10時。雨が小康状態になってきたため車外に出てみた。

視界は良い。

うす雲に覆われた空は太陽を遮り、その雲は遠く川(釜無川)の対岸、鳳凰三山、アサヨ峰、甲斐駒ヶ岳といった山の頂を隠すように延びている。群青色の山に雲の白いライトが当たって、少し色褪せたようになっている様子がはっきりと見える。

色褪せた山を見つつ、引き寄せられつつ。

フラワーフェス駐車場を横断すれば一気に視界が開けた。

一面のヒマワリ畑。

下の畑まで降りられるスロープを近くに見つけ、さっそく下まで降りてみる。

丈は成人の身長ほど。また、それより高いものでは2メートルほどのところに掲げられた花もある。ヒマワリ以外の草花は一切植えられていない単一圃場だ。それがまるで壁のようになって連なっている。

壁のすき間からは、またその奥に植えられた花が顔をのぞかせる。

目の前にも奥にも黄色いヒマワリ。

目線を上げてもジャンプしても全てヒマワリの花。

よくこの場所にこれほど多くのヒマワリを持ってきたと。もちろんそのときの経過は明らかではない。しかしながら、よく見れば一輪一輪の花はまるでそのマスクが異なっている。花の中央部、筒状花と呼ばれるところの咲き具合が一本一本異なっているからだ。

さらに筒状花は咲き具合が違うのと同時に、それを円形ひとまとめにして、出っ張り形状がまた一本一本違っている。

きれいな球体のようなもの、真っ平らに近いもの、途中一回だけ波打つもの。

栄養状態の似通った条件で育つとなりあう花たち。気象条件的に近い環境で育った花たち。それでもなぜか似ても似つかず皆全てが違っているという不思議。

個性がある。

さらにご丁寧にも、吹いている風は花をユラユラ揺らしてくれていて、手前側にある顔も奥側にある顔もまんべんなくその違いを見させてくれる。

一面のヒマワリ畑
高いのは目立つ。
まん中の円形(筒状花)の感じが一本一本ちがっている。
風はおよそ2メートルほど。
来客者用の椅子席も用意されている。
トイレもしっかりしたものが用意されている。

ハイジの村へ

午前11時40分、車に乗り込んだ。

向かう先は「山梨県立フラワーセンターハイジの村」。

フラワーフェス駐車場を出発し、茅ヶ岳広域農道を韮崎市方面へ。すると、ものの100メートル走っただけでハイジの村入り口に到着。

そして入り口看板から坂を上がっていったところにある第一駐車場に向かうと、あっという間に到着することができた。

駐車マスに車を置きエントランスへ。

エントランスでは多くのツバメが入場を出迎えてくれた。入場料を支払い中へと入る。

入ってすぐの広場には剪定されたバラをはじめ、多くの花苗が並べられている。

前に来たときもこんなだったっけ?

ここは何ヶ月か前に来たことがある。冬だったと思う。そのときには雪が降っていて、誰もお客がいないようなときであった。

花はなにも咲いておらず、ヤギの小屋に行けばヤギは怪我の療養中とのことで会うことが出来ず、ゆいいつ元気にしていた魚にエサやりをして帰ってきたことを覚えている。

魚の池に行こう。

さて、どこにあったっけ?

入場券と一緒にもらった地図を見ながら魚の池(虹の池)に向かう。記憶の中に微かに残っている情景とくらべれば、今は圧倒的にみどりが多い。足もとに生える草も、頭上を覆っている木々も色濃く立派な葉を付けている。セミの鳴き声がすごいが、これも冬に来たときには無かったものだ。

園内の坂を下って行く。するとようやく虹の池に到着することが出来た。

池の前に設置してある自動販売機に100円玉を投入する。さらに矢印の書かれたダイヤルを回してやると、最中に包まれた鯉用のエサ(ペレット)が落ちてきた。自動販売機から最中を取り出し、桟橋に向かう。

魚といえど脳は学習能力に満ちている。人が桟橋に乗っただけでいろいろ理解するようで、水面にワラワラと寄ってきた。

さっそく最中をちぎって池に投入すると一気に活性が上がった。水面に鯉が集まりすぎて、陸地が出来ている。陸地のド真ん中にエサを落としてやると競ってエサを取りに行く。

他方、ちょっと離れたところの水面に投げ入れてやれば、そこに向かって一目散突進してくる。他の魚に取られないよう焦って突っ込んでくる。は、いいが焦って空振り・・・。

そしてエサを落とさないでいると。

「はよぅ」

とばかり、水面でパクパクねだってくる。

まったくかわいいヤツらだ。やっぱ魚が一番だ。魚は裏切らない。

今日もまた魚にエサをやった。

魚に遊んでもらった。

次に来たときにはもっとウマそうなものをご馳走してあげよ。ペレットじゃなくて熊太郎とかバイオぶどう虫とか。

魚との再会を誓い、池をあとにした。

エントランスで迎えてくれたツバメ。
虹の池に向かう。
虹の池に到着。
ワラワラと集まってきた。
エサを投げ入れるとこのありさま。
はいよ~
ここの池にはニジマスも泳いでいる。

堤体に向かう

午後2時、ハイジの村を出発。堤体に向かう。

まずはハイジの村駐車場から茅ヶ岳広域農道に出てフラワーフェス駐車場に再入場する。

そういえば朝からなにも食べていない。

フラワーフェス駐車場に出店していた八ヶ岳スモークの店でくんせいのセットを購入。これをキッチンカーのすぐ横、特設で用意されたテーブル席で食べようとしたら、しかし風が少し強くなってきた。

これはせっかくの食事を風で飛ばされてしまっては堪らないので、車内へと避難することにし、再度ヒマワリ畑に降りて風を測ってから車内へと戻った。

ようやくの食事。

車外から見ると依然としてフラワーフェス駐車場には車両が入場してくる。午後になっても活気は衰えていない。台風接近中という予報であるものの、当地へやってくる人たちにとってはあまり気にならない情報のようである。

花に対する欲望には勝てず?

各々、冷静に分析した結果と思う。台風といえどその低気圧の中心は、遠くここより直線距離にて200キロメートル以上も離れたところの海上にあるという話しだ。まったく影響が無いかといえば、午前中より吹く風のとおりであるが、それによって欲望を我慢しなければいけないほどの天災が控えているわけでもない。

気象条件に関するワードに対して、冷静な判断をすることが求められているだろう。

八ヶ岳スモークのセットを完食し、車を発進させた。茅ヶ岳広域農道を北進する。

午後3時15分、朱色欄干の橋「孫女橋」を渡って道は丁字路に。右折し、みずがき湖方面に向かう。

午後3時半、みずがき湖のすぐ手前まで来た。みずがき湖ビジターセンター前の丁字路で右折。塩川トンネルをくぐり、通仙峡トンネルを迂回(通行止めのため)。その後、日影橋、東橋の二本の橋をわたると、道は増富ラジウム温泉の旅館街に入る。

そのまま旅館街を通過し、塩川の流れを縫うように遡っていくと「みずがき山リーゼンヒュッテ」前。このリーゼンヒュッテ前からさらに400メートルほど進むと三叉路が現れるので左折し、700メートルほど坂を登った。

午後4時15分、本日の目的地である「人神橋(ひとがみはし)」に到着。

八ヶ岳スモーク
くんせいのセット
再び計測するとやはり強くなっていた。
堤体に向かう。
孫女橋と丁字路
増富ラジウム温泉峡付近
塩川の流れを縫うように遡る。
堤体と人神橋

金山沢荒廃砂防ダム

外は雨が降っている。この雨はつい数分前から降りはじめたものだ。

レインジャケットをはおり、車外に出る。

ウエーダーを履き、フローティングベストを着用する。ほかヘルメット、グローブ、登山用ポールなどはいつも通り。

さて、本日は人神橋の上流およそ80ヤード上流にある堤体で歌う。

堤体名は「金山沢荒廃砂防ダム」。ここは橋の上から直接堤体に向かって歌うこともでき、また沢に降りて下から歌って楽しむこともできる。

二通りの楽しみ方ができる優秀な堤体だ。では二通りの選択肢の中から本日は沢に降りて歌うことを選択。橋の下流側に向かう。

人神橋の下流側すぐの道路から土手を伝って金山沢に入り、橋の下をくぐる。するとすぐに堤体前に立つことが出来た。

堤体を見上げる。

主堤と副堤。二段構成になった堤体は目立った欠損なども無く、きれいに左右バランス良く水が落ちている。

降雨による著しい増水は見られない。水は透きとおっていて、その下に敷かれた黄土の砂れき上を歩く感触が心地よい。

新雪を踏むような柔らかさが気持ち良く、しかし途端に水が濁ってしまうのであるが、その濁りも川上から絶え間なくつづく新しい水によってすぐに払われてくれる。

そして、気持ち良いものといえば底質のほか、頭上を覆う渓畔林もまた。左右両岸、高さ5メートル以上はあろうかという高い護岸の上には渓畔林が伐られること無く残されている。

樹木の構成の大部分はヤマハンノキ。この木々が堤体前の暗がり作りに大きく貢献している。

立ち位置正面には堤体本体。左右は高い護岸によってできた壁。頭上には渓畔林の枝葉によってできた屋根。

歌うための部屋はすでに出来上がっている。

あとは実際、声を入れて楽しむだけだ。

金山沢荒廃砂防ダム
金山沢荒廃砂防ダムを下から。
右岸側(壁)
左岸側(壁)
屋根となる渓畔林

特徴的な響き

自作メガホンをセットし、声を入れてみる。

全く響いている感じが得られないので立ち位置を変えてみる。

ここで選び直した立ち位置は堤体からおよそ60ヤードの地点。下がれるところまで下がってみた。これより後ろに下がることは出来ない。堤体に対して“ななめ撃ち”に声を入れることになるからだ。

川が護岸もろとも大きく左岸側に向かってカーブしている。しかし堤体より下流すぐのところ、60ヤード以内の立ち位置に入れば問題ない。堤体に対して真正面に正対することを意識すれば、これが最大限とることのできる距離なのである。

再び声を入れてみると、なんとか。どうにか。響いてくれた。

左右の護岸に覆われた内側、外側では響きを聞くことが出来ない。

響きを聞くことができるのは堤体の放水路天端向こうにある堆積地の方と、自身の背後に控えている人神橋からである。

堤体本体に接触した声はそのまま跳ね返って橋まで届いている。

響いているのは前と後ろだけ。

横はほとんど響いている感じがしない。

距離は最も下がってこれくらい。
これはときおりビューッと吹く風。無風の時間が長い。
北方系。日中は反射の光がキツいか?
銘板その1
銘板その2

事故れないということ

結局この日は午後6時半まで堤体前で過ごした。

雨の中のゲームであったところ、思いのほか楽しむことが出来た。雨中のゲーム、霧中のゲームでは空を覆う雲等の影響によって空間が白っぽく、明るくなることが厄介なのであるが、今回はそういった類いの光りにほとんど悩まされることがなかった。

立ち位置の左右には高さ5メートル以上の高い護岸があり、これが効果的に働いてくれたとおもう。

横方向からの光の侵入。雨中のゲーム、霧中のゲームでは最も避けて通りたい物質を高い壁は見事に断絶してくれた。響きの面では不自由を食った面もあるところ、堤体前の暗がり作りという点では大きなアドバンテージを与えてもらった。

ゲームは天気という与えられた条件のなかで行うという特性上、管理制御の効かないことにも接することとなる。そのなかで堤体選びからはじまるゲームプランがあり、あとは入渓の時間調整であったり、明るさ調整であったりという、逆に管理制御できるものによって遊びの質を上げていくことができる。

また、今回もまたフラッシュフラッド(鉄砲水)対策をおこなった上で入渓することが出来た。こちらは難しく考えず、渓行ツールとして準備が万全にできていれば良いというもの。フローティングベストとヘルメット。

着ているだけでよい。被っているだけでよい。

また、この日は台風7号接近というワードがニュースを駆けめぐるなか山へ出かけた。よくよく分析してみれば当地とは直線距離で200キロメートル以上も離れたところに台風の目があり、暴風域よりさらに外側、強風域は神奈川県東部まで。

さらに台風本体より西側に、本日おとずれたエリアは位置している。台風の描く円のうち左側半分は可航半円だという論もあるなかで冷静に分析してもらった上で、ここへやってきている。

だからこそ、絶対に事故れないということ。

あ~、あの人ったら台風の日になんて行くから・・・。

残念ながら便乗して、一つのワードでまとめにかかるのが世間だ。遠く東の海上で起きている事象に対して、それを取り消すということは出来ない。なんの日に行ったのかと論ずれば、やはり当人は台風の日に山へ向かったのだと言われてしまう。

台風の日の山の事故。ということにされてしまう。

この日は、いつも以上に慎重に慎重に歩かせてもらった。道路のアスファルトの上を歩くとき、金山沢へ入渓する直前、土手を歩くとき、また入渓をしてから。もちろん例によって“転ばぬさきの杖”、登山用ポールを使用した渓行を行ったことは言うまでもない。

こういう日だから。ということでは無いけれども装備は万全に!

歌い手はみなアスリートと同じくチャレンジャーだ。勇気を持って挑むチャレンジャーが馬鹿にされるようなことがあってはならないはずだ。

歌いやすい堤体だった。
ヤマハンノキ
カツラ
シラカバ
オニグルミ