そばとさぼうのセット

推理する楽しさ

10月26日午後1時、賀茂郡西伊豆町、入渓点となる仁科本谷林道入り口ゲート前で昼食の準備。
駐車スペースの一角には芝生が植えられていたので、そこに普段ウエーダーの収納として使っている大型ボックスを置き、折りたたみ椅子をセット。

同町内、仁科川河口近くのコンビニエンスストアで買ってきたザルそばとおでんを大型ボックスの上に広げる。さらに健取水場の青い看板が目印「わさびの駅」で購入してきたミネラルウォーターと煮卵も加わる。

まずは、ザルそばの麺をほぐすために少量のミネラルウォーターを加え、軽く混ぜ合わせる。そしてめんつゆを専用の容器に出せばあっという間に準備完了。さっそく麺に箸をつける。

うまい。

ザルそばの麺はさすが大手コンビニチェーンの製品といった感じ。いつ食べても間違いなくうまい。もう10月も下旬になってしまったが、まだまだ屋外でこれが食べられるほどの暖かさは残っている。

※仁科川源流域のせせらぎを聞きながら錦秋前の山の昼食を楽しんだ。

※地理院地図の表記に従い、「仁科川」とした。呼び名が合計3コあり。詳しくは、以下本文にて。

天城深層水で麺をほぐす
この日の昼食。おでんのたまごは、
こちらから。
仁科本谷林道入り口ゲート
Go-To!ゴミバコキャンペーン

スダジイ

昼食を終えて、入渓。と、その前にわさびの駅で教えてもらった宮ヶ原・天神社のスダジイの見学に行くことに。

ザルそば、おでんの容器、残り汁などをまとめ、大型ボックス、折りたたみ椅子を車に積み込み、わさびの駅に向かう。そのままわさびの駅まえを通過し、200メートルほど走ると宮ヶ原公民館と防災無線の鉄塔が見えてくる。

車はそのあたりの道幅の広くなった所、かつ民家の真ん前を避けられるところを選び抜いて駐車し、神社に向かって歩いた。神社の前には西伊豆町教育委員会の名で案内の塔が立っており、塔を見つけたらそのまま南のほうに向かって小道に入る。

すぐに現れる神社の鳥居と石段を登り始めると、巨木の存在が確認できた。巨木の樹種、スダジイは石段を登りきって右側すぐのあたりに。幹は非常に力強く、太く、スポーツマンの手足に浮き出る筋繊維のような彫りを伴って高くのびている。

自身の頭のてっぺんが水平になるくらい首を曲げてもその葉が確認できるにはほど遠く、したがって幹の低いところから出ているひこばえの葉を観察する。ひこばえの葉がやたらと大きく見えるのは遠近の差でも何でもなくて、どうやら巨木の低いところほど大きな葉が付くことになっているようだ。

実際、幹の中段あたりから出ているひこばえの葉は中くらい、木の枝先、つまり一番高いところに位置する木の葉はどれも小さい。
低いところには大きな葉が付いて、上に行くにしたがって小さくなっていく。

上は光合成に対して余裕綽々だから小さくても良い。下は影になりやすく、光合成に対して必死だから大きな葉を付けないといけないといったところか?
木は何百年いきていても意識はしっかりしているようである。この地に根を下ろして村人の生を何世代も見守り続けてきたようだ。そしてそれは、これからも続くことなのであろう。

宮ヶ原・天神社のスダジイ
ひこばえを観察する。
幹を観察する。
昭和八年拾月 石段改築記念碑 こちらも見事。

呼び名が3コ

スダジイの見学を終え、再び登ってきた石段を降り、車に乗り込む。再び仁科本谷林道入り口ゲートを目指す。途中、名郷橋を渡って以降は仁科川の流れを右下に見ることになるのだが、今日はしっかりと水が流れている。

今日は・・・、というのはこれから冬のシーズンにかけてこのあたりが伏流することを言っている。このあたりは別名「音無川」と名が付くほど季節によっては水が無くなってしまうのだ。水は見えている川石よりもさらに低いところを流れる伏流水となって下流へとつづく。

そして面白いのが、伏流が起こるのはこの名郷橋(本谷川起点の看板有り。合計で呼び名が3コあることが発覚!)の周辺であるということ。これまで仁科川と県道59号線は、近くなったり遠くなったりしながらも概ね並行するように続いて来たのだが、県道59号線が東進から西進に変わるヘアピンカーブのあたりを境に両者は離ればなれになってしまう。

県道59号線にだけ沿って走るハイカーは「源流域」の「非常に乏しい流れ(というより伏流)」を見て、

あぁ、源流域ともなるとこんなものなのか・・・。

という思いに陥ってしまう!?のかもしれないが、実際のところはもう太平洋なのに地平線に沈む夕日を見せてしまう西伊豆町のこれまたスーパーイリュージョン・自然現象完全フェイクであって、県道59号線のヘアピンカーブを曲がらずに仁科川と並行するように続く林道に入っていくと、いつの間にかちゃんとせせらぎを鳴らす仁科川に再び会うことが出来る。

なかなか面白い現象だと思うのだがいかがであろうか?

当日の県道59号線と仁科川

グリーンモンスター

仁科本谷林道入り口ゲート前に到着。準備を整え、目指す谷に体の正面を向ける。地理院地図上の流れは2本。北東方向に川上を見る仁科川本流と南東方向に川上を見る一本の沢。過去に、前者には入ったことがあったので、後者を選んだ。

新規開拓の遡行。未知の領域に入っていくことになるのだが、恐怖心は無い。そこがスズメバチの激戦区であったとしても、今はもうその心配はしなくていいのだ。

午後2時半。まずは仁科川本流の流れを横断する。川石にはピンク色のスプレーで矢印がマーキングされていた。そのままマーキングに従って川を横断し、そこから続く廃道おぼしき道を進む。道は当初、沢と離れていたが進むにつれて接近。一基目の堤体を前に出会うことが出来た。

伏流。

水が流れていない。すぐに頭をよぎるのは先ほどの名郷橋周辺のこと。季節によっては伏流するはずの川にはしっかりと水が流れていた。全体的にいえば今は“川に水が流れているシーズン”のはずである。

そんな中での伏流。ならばこの沢は恐らく四季を通じてほとんど水が流れないそれであるということ。台風通過前後や梅雨時期などには流れている姿を見ることが出来るのかもしれないが、一年のほとんどは伏流で推移しているということが予想できた。

その事実を裏付けるかのように現れたのが二基目の堤体(冒頭の画像)。堤体の水裏にびっしりとコケを生やしたグリーンモンスターであった。

一日を通じてほとんど太陽の直射日光が当たらない、落水によって泥を被らないなどの好条件がそろわなければここまで綺麗なグリーンは見ることが出来ないであろう。
少なくとも直近数ヶ月~数年程度にその状態がつづいた結果が「色」の濃さとなって現れている。

矢印に従う
サンショ沢、大入沢との文字が。
一基目の堤体

丸腰の相手

歌うより前にふと堤体を巻いて水表側を見てみる。

満杯になった滞留土砂。

大雨時にはやはり砂防インフラとして機能しているということか?

年毎による砂防機能の発動回数が気になる。

取り付けられた銘板を見れば、堤体の建造は昭和57年。
およそ38年の歳月のうちに大規模な土砂の移動は何回おきているのであろうか?0回では無いことは満杯になった滞留土砂が物語っている。過去には、何回かそれがあって、でもここ最近はご無沙汰なのだということをこんどは堤体水裏のコケが物語っている。

一つの堤体が受けた境遇をまわりに転がるヒントを拾っていきながら推理していく。そんなことが何とも楽しい。

堤体に向かって声を出すと当然ながらガンガン声が響いた。落水などによって抗ってくることも無い堤体を相手に歌って何が楽しいかといえば、そっくりそのまま落水の無い状態での響きを確認できることが楽しい。

通常、落水という「武器」を持った相手と戦うことを砂防ダム音楽の主旨としているから、それらを全く身につけない丸腰の相手を前にして、事前に研究をしておくのは非常に有意義なことであるのだということが最近わかってきた。

これは戦いの序章で有り、でも今日の日の砂防ダム音楽を楽しんでいるということなのである。

途中休憩などを挟みながら午後4時までゲームをし、15分ほどの行程で駐車していた車まで戻った。そのあと、西伊豆町の大浜まで走って水平線に沈む夕日を眺めたのち、町営温泉施設の「なぎさの湯」に浸かって温まった体のまま、「茶房ぱぴよん」に立ち寄り夕食をいただく。

頼んだメニューは煮込み磯そば。

一日の締めくくりは本日2食目のそばと、茶房(さぼう)のセットで迎えた。

なぎさの湯
ぱぴよん
煮込み磯そば
山本敬三郎氏は第44~46代静岡県知事
アカメガシワ
堤体全景。

川金川

海名野橋

10月15日、賀茂郡西伊豆町仁科川沿いの県道59号線を大沢里方面に向かって走っていた時のこと。時刻は午前9時。
仁科川に架かる橋としては河口から数えて3本目となる「海名野橋」。その海名野橋の手前には道路に引かれた白線と、仁科川に沿うように設けられたガードレールが続いていて、両者の間に幅1メートル程度の比較的ひろくなったスペースがあった。

普通乗用車を駐車するには、少々窮屈(白線より内側にはみ出してしまう。)な幅。しかしそれ以下の車両については強引に駐車できてしまいそうなくらいに確保されている。そのスペースに老人の座るシニアカーが停車し、なにやら川のほうを覗き込んでいたのだった。

道路から川本体までは数メートルの落差があって、これは転落事故でも起きているのかと想像に背筋をヒヤリとさせたのだったが、自身も車を停車して道路を跨ぎ、確認に急ぐと河原には4人ほどの人がいて、椅子に腰掛ける姿が目に入ってきた。

手にはしっかりと釣竿が握られていて、目の前のチャラ瀬に何度も何度も仕掛けを振り込んでいる。流す浮子を見つめる目は真剣そのもの。時折その握った釣竿を反対側の手に渡しかえて今度は柄杓を持ち、やおら撒きエサをまいてはまた釣竿に持ち替える。

おぉ。

見るに、撒きエサが通常のコマセ状になっていないことには自身の釣り歴からすぐに明らかになった。

どうも撒きエサは磯釣り師などが海で使う“オキアミ汁”をここでは使っている様子。磯釣り師が使うオキアミ汁は、クロダイやメジナに食わせるための撒きエサを外道であるコッパ(メジナの幼魚)などが貪り尽くしてしまうために使用する。文字通り“水増し”したオキアミ汁で撒きエサの節約を図るのであるが、この汁には狙いの魚を臭いでしっかりと集めつつ、しかし付けエサをしっかりと食わせるための満腹感は相手に対して与えないというメリットがあり、釣りの対象魚によっては非常に有効な手段として用いることが出来る。

ちなみにこの場所での対象魚とは鮎(アユ)のことだとも目視で確認。で、あるものだから・・・、面白い。清流の女王とも言われる魚は、はるか1万キロ以上も遠くの海域で採れた南極産冷凍オキアミに狂ってしまっていたのである。

橋の下には大量のアユが。

近くで見てみたく

釣りの様子を近くで見てみたくなり、河原に降りることにした。車を近くの駐車スペースに置き、ウエーダーを履く。釣り人らが腰掛けているあたりは水路を跨いだ中洲になったところで、最低でも長靴を履かなければ行けない。

海名野橋を渡ってから上流方向に少し歩き、河原に降りられるスロープから入渓する。スロープの降りたところには横浜ナンバーのRV車が停められていた。
川の活況を知る者は、なにもこの地域の人々に限ったことではないようである。

橋の下をくぐって水路も渡りきり、中洲に立った。ほぼ等間隔に腰掛けた釣り人たちは、小さな浮子の付いた仕掛けを振り込んでは流し、また振り込むという動作を繰り返している。そして時折、釣竿を柄杓に持ち替えてはオキアミ汁をまいて、また仕掛けを振り込む。仕掛けなどは微妙に違っているのかもしれないが、河原に並んだ4人全員がいちようにこの釣法で同じように動作を繰り返す。

釣果的には、わずか数分の間隔を置いて4人のうちの誰かの竿が曲がるという好調ぶり。15センチくらいの型を中心に、時折20センチオーバーの良型も混じる。
釣り人の一人に話を伺う。

「自分もやったらどうだ?」

私が話しかけた地元師はその仕掛けからエサから釣り方から親切丁寧に教えてくれた。何も隠すことなく堂々と。
どうやら川に限らず海にもしょっちゅう繰り出す太公望のようで、今シーズンはイサキを500キロほど釣ったとも語ってくれた。
田舎に暮らせば、リアルに釣りバカ日誌のハマちゃんのような生活が出来るのだと、非常に甘い匂いを嗅がせてくれる「粋な」地元師に出会うことが出来た。

これから一色枕状溶岩を見に行こうと思ってます。

「あぁ、でも大して面白くないよ。」とは地元師。

流す浮子を見つめる目は真剣そのもの。水底を這うように流れるオキアミを頭の中でイメージしているのかもしれない。邪魔はこれ以上せぬようにとその場を立ち去ることにした。

釣れたばかりのアユ
ビクの中はご覧の通り
のんびりと

奥川金橋

アユ釣り見学を終えたあとは仁科川沿いをドライブ。
仁科川第三発電所の放水路を見たり、同第二発電所の取水口を見たり、「健」の看板が目を引く「わさびの駅」を見学したりした。

そうこうしているうちに午前中の時間はあっという間に過ぎてしまい、迎えた正午。伊豆半島ジオパークの一つである「一色枕状溶岩」見学者用駐車場でヴェルナー作曲のHeidenröslein(正午の時報)を聞くこととなった。

今日はここから約1.2キロの山道を歩いて堤体を目指す。その1.2キロの区間は特にゲートなどがあって車両封鎖されているわけでは無いのだけれど、山道が並行する川金川の渓谷美と付近に生える樹木の観察をじっくり行うことを目的として歩くことにした。

温度計を忘れてきてしまい気温は測ることが出来ないが、坂道を歩けばそれなりに暑くなるであろうことは予想できていたためウエーダーに半袖、その上にフローティングベスト、手にはウォーキングポールを握り、Vメガホンの入ったバックを背負った。さらに今回は前回の田沢川でほとんど活躍できなかったウエアラブルスピーカーを頭に装着。

もちろん今回こそはその実力を発揮してくれるものと期待しながらの装着であった。

一色枕状溶岩の見学者用駐車場前で一枚記念撮影をしてから歩きはじめる。川金川を左手に、山の切り立った斜面を右手に見ながら道は続く。
川沿いに生える木を見ていると全体的に多いのはやはりスギであるが、コナラも多い。

コナラはあまり幹の太くは無いスラッとしたものが多くて、これはどうやら人工的に植林されたもののようである。
針葉樹&広葉樹の人工林の下に延びる山道を歩き続けた。堤体直前地点にある「奥川金橋」には午後1時40分に到着。普通に歩いて来るよりもおそらく3倍以上の所要時間をかけて到着した。橋から川金川の谷を覗くと奥に堤体を1基確認することが出来る。

仁科川第三発電所
仁科川第二発電所(取水堰)
わさびの駅
見学者用駐車場から歩いてスタート

再検証してみると

この堤体が今回の目的地。そしてこの奥にさらにもう一基、堤体があるので今回はそちらも目指すこととする。
まずは手前側の一基。その堤体前に降り立つと、堤体までの距離が近すぎることがわかった。

堤体の水裏から最大離れようとしてせいぜい30メートルほど。これでは近すぎて良い響きを聞くことが出来ない。
実際声を出して確かめてみるとこれがまさに予想通りの結果で落胆した。

それではと今度は奥側の堤体へ向けて歩き出す。崩れかかっている斜面に注意しながら進み、一基目の堤体を巻くと2基目の堤体前に出ることができた。こちらはおおよそ100メートルほどの空間が確保されていて、その間で堤体までの距離を自由に設定することが出来る。

目測で水裏から40メートルほどの距離に立ち声を出してみると、こちらはうまく響いてくれていることがわかった。両岸とも比較的急な勾配が形成されていてとにかくその勾配の「上」に声を届けるようにして歌うのだが、期待通り山が響きを返してくれていることがわかった。

前回、不発だったウエアラブルスピーカーも見事に機能してくれていて非常に心地よい。上から降りてくる音(と言っても非常に速いものだが・・・。)を拾うのには、上だけに耳を澄ますように集中していたいのだ。それが出来ているという点で良かった。

この日は午後4時頃まで堤体前で過ごし、その後退渓。

さて、後日談になるのだが日付は10月19日。画像データの一部を誤って消去してしまったために再び当地を訪問することに。当日の天気は雨。画像撮影さえ出来れば十分であったが、やはり研究のために堤体前に立って声を出した。

対象とした堤体は1基目の堤体。奥川金橋の右岸側つけ根付近に立って声を出すと見事に響いてくれた。堤体本体からある程度の距離が確保されたことでようやく成果を上げることが出来たのだと思う。

これで1基目の堤体でも楽しめるのだということが、一応は(堤体が見え辛いのが難点。)確認できた。
砂防ダムの「どうせあるなら楽しんじゃおう派」としてはなるべく堤体を無駄にしなくていいようにと思っている。簡単にダメ!と言ってしまわないように検証はその時々でしっかりと行っていきたいものだと反省したのだった。

ハゼノキ
コクサギ
キブシ
奥川金橋
奥川金橋から堤体を臨む。(奥に見える白いものが落水。)
1基目の堤体
2基目の堤体
1基目の銘板。2基目は昭和41年完成。
一色枕状溶岩(再訪時)
奥川金橋の右岸側から(再訪時)



突かれながら、打たれながら

作る&体調不良で籠もった。

10月9日。外は台風14号通過前。体調不良もあって家に籠もった。
何をするかはもう決まっている。新しく導入するBluetoothスピーカーの初装着だ。

あらかじめ買っておいたBluetooth本体と通信販売で購入した帽子、手芸店で購入した綿テープなどの材料を集め、さらに裁縫セット、電気ミシンなども引っぱり出し制作の準備は万端。

あとはあったかいコタツがあれば完璧(作業台としても)なんだが・・・。

気が付けば、10月に入ってもう2週目。そしてその2週目も終わりに近づいている。日中の気温はここ一週間でぐっと下がり、気温を測ってみれば室内で19.5度。20度を下まわっている。

自身の服装もそうであるし、部屋の模様替えもそうであるし、そろそろ冬支度をしなければいけない。

今日は午前中~午後1時くらいまでは制作物づくりに時間を当てるこことし、そのあとは衣類や部屋まわりの冬準備にあてることで一日を過ごすことに決めた。(はずだった・・・。)

スピーカーはIPX4レベルの防水性も兼ね備える。

上。上。

さて、Bluetoothスピーカーであるが、今回は帽子に取り付ける。ご覧のような商品を用意したが、こちらは本来くびの後ろをまわして肩に掛けるようにして使う「ウエアラブルスピーカー」と呼ばれるものである。

ところで私自身、今年の6月にVメガホンを導入してから3ヵ月ほどが経った。音楽の楽しみ方はさらに幅広いものとなり、例えば声を発するときの「方向」には大きくこだわるようになった。

方向は多くのケースで「上」。

上を目指して歌うのはVメガホン導入前からのことであったが、導入以後は特に意識して取り組むようになった。

声を発するのも、上。
声を聞くのも、上。

そうしていく中で、伴奏の役割を果たしているBluetoothスピーカーが胸元にあるということだと、これがどうも都合が悪くなってきた。
声を発するという行動、声を聞くという行動、ついでに言うと視線の先には放水路天端や遠くの景色がある。

全ては自分の背丈よりも上にあるものを目指しているわけだが、それだけに伴奏の音だけが胸元という低い位置にポジションしているということが合わなくなってきていたのだった。

声を発するための「口」も、声を聞くための「耳」も、放水路天端・遠くの景色を見るための「目」も、全ては自身の「顔」という、つまり全身の一番高いところにあるのだから、Bluetoothスピーカーもなるべく高い位置で鳴ってくれるのがベストであると(仮説として)考えた上での変更。

制作にあたっては普段、裁縫道具なんて触りもしないものだから当然のごとく悪戦苦闘。それでもなんとか形にすることができて満足。これで次回の堤体が楽しみだ。

旧型。これを頭に乗せてやったりしてたので、必要性を感じていた。

やはり、・・・です。

午後1時半。自宅を出て車のエンジンを掛ける。さて、こんな急の寒さじゃあユニクロもニトリも人でいっぱいであろう・・・。それは良くない。
それに、何より

早く実戦で試してみたい!!

さきほど作ったばかりの制作物を持った体調不良者は、生活圏である沼津市を抜け、伊豆の国市、伊豆市と車を走らせた。
途中、やはり狩野川とコンタクトする場面が何度かあるのだけれど、それはそれはいかにも台風到来前で増水した川の姿を見ることになった。

まぁ、あそこなら入れるだろう・・・。

伊豆縦貫道は大平インターチェンジで降り、左折。田方南消防署前で右折。雨に叩かれながら県道349号線を南下し、しばらく走る。つい最近、社会問題が明らかになった柿木川であるがその川の出合も対岸から眺めつつ通過。そのまま雲金、矢熊と進み、田沢の集会所前、ヘアピンカーブのごとく折れる左折道で曲がり、坂を登った。

途中、田沢浄水場前で道路の一部が蛍光オレンジに染まっていてこれは何事かと驚いたのであったが、その上をちょいと見上げればキンモクセイの木。キンモクセイの花が派手に散らされてしまっていたのであった。

台風通過前、大地を叩く雨は決して弱くは無い。

田沢浄水場前のキンモクセイ

ジャラジャラ、ガラガラ

午後3時前、準備を整えいつものケヤキの木に向かう。ここは幅2メートルほどの水路に立ち入るとき、「木」に頼る。木は護岸の途中からニョキッと生えていて、それに足を掛けながら、幹に掴まりながら段差を降りるのだ。

水路に立つといつも以上に水が流れていることがわかる。台風通過前の降水で明らかに水量が増しており、その水が圧力を伴ってウエーダーのブーツを押してくる。音響的に言ってもかなりのお祭り騒ぎで、床止めに埋め込まれた割石のひとつひとつに水が絡まり、自然河川では瀬が発するようなジャラジャラともガラガラともつかない音をとても威勢よく、断続的に鳴らしている。

ケヤキの木から100メートルも遡れば堤体前だが、結局そこまで遡りきってもそのジャラジャラ、ガラガラは変わること無く、それどころか堤体の落水が床止めに直接打ち付ける(「水叩き」の)音がさらに加わり、非常ににぎやかな空間へ登場することとなった。

こんなんで本当に大丈夫か?

今日もお世話になります。
ジャラジャラ、ガラガラ
ヒノキの枝の下をくぐりながら進む。

台風通過前の渓

右岸側に落ちていた米俵サイズの石の上にVメガホンの入ったバックを降ろし、中身を取り出す。取り出したら組み立てて、取り敢えずは左脇に挟む。そして空いた右手で待望の!Bluetoothスピーカーの電源を入れ、さらに伴奏データの入ったボイスレコーダーも電源を入れる。
早速、ボイスレコーダーで「機器接続」してみると・・・?

ん?何も聞こえない・・・。

だが、どうやら機器接続は完了しているもよう。続いて曲を選び出して「再生」ボタンを押す。

何も聞こえない・・・。

スピーカーの右手側、ボリューム調整で「+」を押し続けるとようやくverborgenheit(フーゴ・ヴォルフ)が聞こえてきた。すかさず声を合わせてみると、

今度は全く響きが聞き取れない。

それも皆無!と言って良いほど。

これまでにこの堤体には何度も来ているが、こんなに響かないのは経験した覚えが無いというくらいのレベルの酷さ。スピーカーを被ることで、耳を傾けるのは上方向だけに集中できているというのにも関わらず、芳しい結果が返ってこない。

う~ん。原因は?

水が床止めの割石にぶつかる音が大きい。さらに水叩きの音も加わる。こういった音に自分自身の声が飲み込まれてしまっているからなのであろうか?うるさいことは確かだが、こんなにも響きが聞き取れないような音の力関係になったのは久しぶり。台風通過前の渓を完全にナメきっていた結果が出たか?

いやはや制作物のテストということで軽い気持ちで入った田沢川であったが、どんでん返しを食らうことになってしまった。自然界から放たれる音に完敗を喫するハメに。

こんなことがあるから砂防ダムの音楽はおもしろい。簡単に響きが作れるようだったらつまらない。

っていう、これが一つの醍醐味でもあるのだけれど・・・。

やはり全く声が響かないのではここまで来た甲斐が無いし、次の機会には苦手意識が残るような気がする。

午後4時、依然としてジャラジャラ、ガラガラ鳴り続ける水に耳を突かれながら、雨にも打たれながら敗戦の渓を後にした。

スピーカー正面から
スピーカー横から
インナーにはミドリ安全のINC-100を装着。
雨に対する耐候性は確認できた。
堤体前の床止め(護床工、帯工とも)
まだ紅葉には早い。(イロハモミジ)
堤体全景

大好き河津町!vol.10

9月26日午後3時、まずは河津川河口にて板きれを探すことに。

海は数日前、通過した台風12号(9月23日午後9時、八丈島の東130キロの海上を通過)の影響で大シケであったはず。
妙に期待して河津川河口右岸の駐車スペースに車を停めた。

うーん・・・。

予想に反して、漂流物(とくに木!)が少ない。ここは大雨の後だと流木が貯まりやすい印象であったが、当日は画像の通りの貧果!?

大雨?ん?

今回の台風では目立って雨が降らなかった。考えてみれば流木の供給源(山!森!木!)が豊かな河津町にあっても、肝心の輸送インフラが力無いようでは最終到達地点に物資が不足してくるのは明らか。これでは流木は少ないはず。川を専門としていながら、そこまできちんとイメージ出来ていなかった。

楽勝予想が一転、しゃかりきになって板きれを探すことに。

結局、板きれは見つけることが出来ず代わりに長さ30センチほどの角材を2本、なんとか見つけ出し河津川河口をあとにした。

河津川河口から今井浜方向を望む。
浜橋
大きすぎるベニヤ板をめくるも湯はあらず・・・。残念!

いつもそうなのだ。

河津川河口をあとにして次に向かったのがフードストアあおき河津店。今夜の食材を買いに店内に入ると自動演奏のピアノがお出迎え。そのピアノの脇を通って店内に進む。

鮮魚コーナーは店の入り口から入ってまっすぐ進んだところにある。そのあたりのショーケースにはいつもお造りが並んでいて、例えばウナギははそこから左に曲がったカドのあたりにいつも置いていて、そこからさらに右に曲がったところにはいつも頭付きの魚が置いてある。そうして頭付きの魚の売り場前に立つと、いつもそうなのだ。いつも深紅の魚がそこには並べられているのだ。

キンメダイ。

あおきの鮮魚コーナーのキンメダイはほかのアジなどと同様、発泡トレーに乗って売られている。大きなグリグリの目をしていて、色は深紅の赤。身が太くて、それでも若干強引に包装ラップを巻いてしまっているから、それはそれはショーケース内でひときわ目立つ存在だ。

そんなやつが1匹、2匹、数はその程度かと思いきや、5匹とか6匹とかそれ以上を常に並べているというからこれまた驚き。
サイズも中型、大型、変化をつけて揃える充実ぶり。ちなみにキログラムあたりの単価は違っている。大型のほうは脂の乗りが良いためより高価なのだ。

ここは都内の高級スーパーか!

初めはそう思ったが、今となってはこれを見なきゃあ「食文化のパラダイス」に来た気がしない。あおきのいちユーザーとしてこの店の看板はなんだろう?と考えたとき、おのおの考えはあると思うが、私にとってはこの魚こそがその称号を与えるにふさわしい、店を象徴するような商品であると今では感じるようになった。

初めて手にしてみたけれど、左手で掴まないとおっかないな・・・。

パックされた魚はみな顔を左に向けている。右手で掴み取ると魚の重みでトレーは若干グニャリとしなったのだ。トレーの重心は右側の尾のほうで無く、左側の頭のほうにあるから、これを手にするときは左手で掴まなければいけないのだ。

おお、勉強になった!

食文化のパラダイス

河津七滝オートキャンプ場

あおきを出たあと、塩田屋にも寄ってフルーツサンドを買ったのち堤体に向かった。本日入渓するのはおなじみ荻ノ入川。

場所は河津七滝オートキャンプ場より少し上流の地点にある「荻ノ入川砂防ダム」。塩田屋の駐車場を出て、国道414号線を新天城トンネル方面に。奥原川にかかる梨本橋をわたって道なりに少し上がっていくと河津七滝ループ橋を目前に右折ヵ所がある。

観光客向けに立てられたいくつもの看板が指し示すとおり、ここを曲がると河津七滝と河津七滝温泉。温泉街を抜け、初景橋、前之川橋をわたると道がほぼ直線状になった。荻ノ入川の流れを聞きながらそのまま河津七滝オートキャンプ場前も通過し、400メートルほど走ったところで現れるのが地蔵群。車は地蔵群を越えてから道幅の広くなったところを見つけて駐車した。(道は主にワサビ農家の方が往来するので、通行スペースを空けて。)

車を降りて準備に取りかかる。本日は夕方ゲームでの入渓である。
地蔵群の道を挟んで反対側には荻ノ入川砂防ダムが確認出来る。堤体の真横は傾斜がきつすぎるため僅かに下って、ガードレールの切れ目から、おそらく釣り人が付けた踏み跡にしたがって斜面を下りた。

堤体上にある銘板

三面護岸の壁面

斜面についた踏み跡は堤体のほうに向かって付いていた。川岸まで下りきると堤体までは目測100メートルほどの位置に。立ち位置として、ほどよい距離感のところにピタリと案内してもらった。

早速、Vメガホンをセットして声を出してみる。

川幅はおよそ20メートルで、両サイドの川岸にはすぐにスギの人工林。響きを作るための重要要素は遠すぎないレンジで歌い手に近寄ってきてくれているから、声は確実に(そのスギの木々に)届いているのだと信じて歌に臨みたい。

そしてここは堤体水裏より20~30メートルの区間が三面護岸化されている。護岸の底面には不思議と川石が乗っておらず、壁面は両サイド異物なくガラ空きであるが、ここの壁面も声を響かせるための重要な要素であると認識しながら歌い進める。

基本的な響き作りは渓畔林だけを用いるのが上級者であると思うが、響きが作り辛かったら無理なく三面護岸の壁面を利用して。事実、私の場合はここの三面護岸に頼りっぱなしで、補助的に機能してもらうというよりは声の当てどころとしてここばかり使っていた。

せっかく自然の中で歌うのだから、コンクリートの壁に向かって声を当てていくのは正直いっておもしろくないとも思うが、何よりまずは「歌」に対してリラックスして臨むことが大切であると思ったゆえ、響きが楽に作れる方をえらんだ。

つまりこの荻ノ入川砂防ダムは歌い手に対して「響きの場」を誰にでも、選ばず、平等に、用意してくれている。あせらず、無理せず、じっくりと堤体前空間での音楽を楽しめれば良いのではないか?音楽家でなかったとしても同付近を訪れた際はぜひここに立ち寄って、歌にチャレンジしてみることをおすすめしたい。

堤体全景。(当日)

ヘッドライトの光

辺りは徐々に暗くなり、午後5時半に退渓。駐車スペースまで戻って平服に着替えた後、荻ノ入川砂防ダムより下流側に引き返して「大滝七滝オートキャンプ場」に入庫。実は今回の砂防ダム行脚の終わりにキャンプをして帰ろうということで数日前、ここを予約しておいた。

受付で申込用紙に必要事項を記入し、予約していたサイトへ。

時刻はもう午後6時前。まわりのキャンパーはもうすでにコンロで火をたいたり、専用の釜に薪をくべるなどしてバーベキューをしている様子。
自分もそれに続け・・・、とも思ったがまずはその前にカニ滝(かにだる)を見学しに行くことに。

普段フローティングベストの背中ポケットに隠し持っているヘッドライトをやおら取り出し、頭にセットしてから温泉街のほうに向かって歩きだした。暑くも無い、寒くもない荻ノ入川の谷風を背中に受けながら、真っ暗な夜道をヘッドライトの光ひとつ頼りに歩き続けた。道は初景橋をわたり終えてから直後の出合茶屋前を左折。100メートルほど歩き、河原に下りられる階段をくだるとカニ滝の目前まで出ることができた。

ライトアップされるカニ滝。ライトのカラーはブルー。ブルーは医療従事者に感謝する気持ちを表しているという。
砂防ダムと滝とでは内容が違うが、同じ「落水」を取り扱ったパフォーマンスである。ライトアップの方法含め、しっかりと自分の目で確認した。

その後、オートキャンプ場に向かう帰路をたどる。途中、生えている樹木などもヘッドライトで照らして観察しながら、退屈することなくオートキャンプ場まで戻った。

フヨウの花
ヤブニッケイの実はパープライトのよう
赤くなり始めてきた。(ベニカナメモチ)
キブシ
カニ滝

暑苦しくない季節

オートキャンプ場に戻ると料理の準備。料理と言っても丸焼きの魚を作るだけ。魚はもちろん、

キンメダイ。(←あおきで買ってきた。)

河津川河口で拾ってきた角材を地べたの上に並べ、そこにイワタニ「炉端焼き大将」をセットする。炉端焼き大将は居酒屋アルバイトでのスキル向上のために購入したもので、ときどき自宅で貝や魚を焼いている。今日は過去最高サイズの魚で豪快に丸焼きを作る。ワクワクした。それでも、

あせらず、無理せず、じっくりと。

暗闇に光るガス火の炎を眺めながら両面合わせて40分。表面に少し焦げが付いたところで消火。

味は・・・、言うまでも無いほどの超絶品。

デザートとして用意していた塩田屋のフルーツサンドも美味しくいただき、その後は場内の温泉に入ったりしてゆっくりと過ごした。

就寝には寝袋を使って。もうこれでも暑苦しくない季節がやって来た。寝袋に巻かれながら思うのはまた次の堤体のこと。

次はどこに行こうか?

眠りの前、堤体前に落ちた一人の男は顔がニヤけていた。

キンメダイはあおきにて購入。
塩田屋
フルーツサンド
しっかり焼けた。
荻ノ入川砂防ダムの堤体全景。(晴れた日)

遠くの景色

画像左端にうっすらと利島、新島

9月21日、午前中は賀茂郡東伊豆町白田川河口のゴロタ浜に立つ。
正午までの天気予報は雨であった。しかし、天気予報によれば、そこからは晴れるという。とりあえずは、釣りをしながら陽気が差すのを待つことに。

以外と簡単に見えるもんだな。

海が穏やかで、遠くには伊豆大島、利島、新島などが見える。近視で眼鏡を掛けている自分、このテの「見える系」の話しは苦手なのだが、そんな私の目でもってしても見えてしまう見通しの良さが今日の海にはあった。

沖合には一艘の船。遊漁船と思われる。なにやらフルスロットルで走りはじめた。“鷹の目をもつ男”が鳥山を発見したか?

鷹の目をもつ男とは話が噛み合わない。一人、遠くの景色を楽しみ始めるのが常だ。

あぁ、鳥山が見える・・・。ナブラが・・・。
あぁ、シイラが泳いでる・・・。
おっ、釣ったな・・・。

・・・。見えないよ。全然。

私の目にも分かるのはあの船にはスパンカーが付いている。だからキャスティングのルアー船では無いということ。鳥山やナブラを見つけて航走しているのでは無いということ。事実ふねは熱川方向にむかって走り去って行った。

なにも釣れぬまま時刻は11時。午前船は沖揚がり、自分もゴロタ浜を揚がることにした。

伊豆大島はこんなにもはっきりと
熱川方向。白い建物は南熱川しおさい館
逆の稲取方向。伊豆急行が走っていたので一枚。

爆音!

白田川河口に植えられたクロマツを軽く観察したのち、河口部を離れる。
国道135号線まで出て、白田橋に向かって走った。その橋にさしかかる直前、黄色っぽい3階建てビルの様子をうかがうと、入り口前には小さな文字で書かれたホワイトボード、それに「営業中」のノボリが確認出来た。

いったん橋をわたり終えて、ぐるっとまわってUターン。さきほど確認したビルの駐車場に頭からツッ込ませて駐車した。

車から降りて入り口ドアを開けると、
掃除機の爆音!
これには拍子抜け・・・。
初見の店の緊張感もどこかへ消えてしまったところで2階に上がるよう案内された。

窓から見える白田川が綺麗だったので窓際の席に決め、椅子に腰掛ける。

窓の外には見下ろすように国道135号線と白田川と白田橋。今日は明らかに道路がにぎやかである。車上のルーフキャリアに積まれたサーフボードのフィンが風を切って通り抜けていく。
マリンジェットを引いた大きなRV車も。ややあって、今度はツーリングの一団が綺麗に隊形乱さずやって来た。

白田橋の南側には「白田」の信号があって、それが赤になったり青になったり切り替わるものだから、車もバイクも止まったり、そこからノロノロと進み始めたりする。
一時的に橋の上に小さな渋滞のような車列が形成されるが、運転者の表情はみな至って晴れやかだ。

気まずい顔など無い。隠れるように観光地に向かってた先月までとは違う。

堂々と橋をわたって、堂々とその場所その場所に赴くことが出来る。待っているのは晩夏に最大色濃くなった伊豆の緑と蒼の海。こんなにも美しいものを「自粛」の二文字で放り投げておくのはナンやらの持ち腐れである。

今日は自然の恵みを無駄にすることなくいただこうではないか!

この店の大女将おぼしき女性の手によって小舟が運ばれてきた。自身で頼んでおきながら、その小舟に高々と積み上げられた自然の恵みには心底おどろいたのだったが、気持ちを落ち着かせ、無駄にすることなく全て平らげた。

たらふくの余韻に浸る間もなく、ふとここで眼下の駐車場を見下ろすと、すでに駐車場が満車である様子が目に入ってきた。そういえば、まわりの席を見ればみんな人で埋まっている。大女将はじめこの店の人たちは生業のさなかであることに気がつき、車の移動へと1階に急いだ。代金を払って店を出たら空は先ほどより明るくなっていた。時刻は午後0時半。

30分遅れで天気予報が当たったことを確認したのだった。

地魚料理磯亭
国道135号線と白田川と白田橋。
定食

白仙橋

駐車場を出て、堤体を目指す。今日入るのは先月“横綱の右腕”として入渓した堰口川だ。

白田川左岸の「白田」信号からは北西方向に。
やがて対岸に白い建屋が現れる。よく見れば山の上から1本、水圧管路が降りてきているのがわかるが、これが白田川発電所。堰口橋をわたれば至近距離で施設を見ることが出来る。

橋は渡らずそのまま左岸側を100メートルほど直進し、今度は右斜め前方に東伊豆町白田浄水場。現在、浄水場前には看板が立ててあり、「この先 白仙橋付近災害のため通行止め」の文字。

浄水場わきを越えたところから道は林道の様相を呈すが、この林道、ずうっと奥まで走って左岸から右岸にチェンジする地点には白仙橋。現況としては白仙橋の数百メートル手前に林道上を塞ぐように倒木が、電柱の破壊を伴って発生している。

昨年の大型台風の爪痕が今も残っているという形だ。

ここ堰口川は、伊豆半島内で最も多くの堤体を構える河川である。(東の堰口、西の宇久須。宇久須川も多い。)堰堤につづく林道が通行止めではやはり利便が良くない。一刻も早い復旧が望まれるところである。

交通量はゼロ

1時間半ほどは車中で待機した。それにしても1時間半も林道沿いに停めた車内に居て、

交通量はゼロ。

夏の終わりを告げるツクツクボウシの鳴き声と堰口川のせせらぎの音だけが森を鳴らし続けていた。

午後2時20分、車を降りて入渓の準備をする。下半身にはウエーダー、上半身には長袖シャツとフローティングベスト。手にはウォーキングポールを1本。Vメガホンの入ったバッグも背負った。

ヤブはあまりきつくない。とくにスギの木の密生するその下は。林業素人の目では分からないところなのだが、どうやらこれではまだ林床に届く光は光量不足ということらしい。

肯定的な感情も持ち合わせながら一歩一歩踏みしめ下りて行くと、堰口川の河原に出ることができた。あたりにはソフトボール大の石が敷き詰められた空間が広がる。
これから目指すのは、下から(堰口橋から)数えて4番目の堤体。今自分が立っているのは下から数えて3番目の堤体に滞留した土砂の上。

川の傾斜はほとんど感じられず、ソフトボール大の石をゴロゴロ鳴らしながら歩いていけば、ここはどこかの自然公園なのかという錯覚を覚える。
砂防ダムが出来たことによって滞留土砂の広がる空間が形成されました。という事実について、現物を見ておのおの判断すれば良いと思う。わたしにとってはここは、

美しい。

なんてもんじゃないほどの

超絶景!

ニホンジカに

車から降りて20分後の午後2時40分、ようやく堤体前に到着。

ここの堤体はおおよそ西北西向き。それに対して落水後の川はほぼ北西に川上を見る。南東-北西方向に形成される川に対して、堤体は90°でクロスすること無く全体的に右岸側(向かって左側)を若干こちらに突き出すようなかたちで形成されている。

そのためか、川の左岸側(向かって右側)の河岸にかなり負担がかかるようで、建造時に積み重ねるようにして施工した側壁護岸のブロックがきれいそのままに露出しているという状況が目に入った。

石や土砂は吹っ飛んでしまったか?左岸側に詰め寄る。

あちこちの堤体に行っていて、ここがどうであったかという正確な記憶はもともと持ち合わせていない。しかし、少なくとも側壁護岸がこんなにも元の建造時の姿を見せた堤体は覚えが無い。縦方向には副堤からの水の落ち込みによって深く、飛び込みプールほどまでに洗われたボトム(底)が確認出来て、そこに魚が張り付いているかと覗き込むほどであった。

恐るべしパワー、横綱の右腕。

川の中央にもどって音楽に目を向ける。広い川幅に広い空間ができているが、そこよりさらに外側の両サイド、渓畔林は申し分ない。
自然界から放たれる音の出どころは本堤の落水、副堤の落水、これより川下に転がる川石の落水の水の音。

それら落水による音が届かない「高い空間」にVメガホンを向けて声を放つ。なるべく力まないように。(←自分が一番苦手としているところではあるが・・・。)

堤体の放水路天端の向こうには山の斜面に植えられたスギの樹冠が広がるが、そういった遠くの景色を楽しみながら歌えれば、体は自然とリラックス出来ると思う。実際に立って目にしてみれば分かるが、そこに太陽の光が当たっているか、当たっていないかでは大きな違い。幸い、当日の午後0時半からは晴天で、表現をする環境としては大きくプラスとなった。

午後4時、まだまだスギの樹冠が明るく照らされている状況であったが堤体前を離れることに。
もう9月も下旬であるから、ぼちぼち暗くなるかな?と。
下流側に向かって歩くとほどなくしてまたしても超絶景の滞留土砂の上に出た。カキノキがあったので観察していると、

キャン!キャン!

左岸側の遠くで警告音が響いた。鷹の目をもつ男ではないし、そもそも森の中から鳴いているから(きっと誰の目にも)ヤツは見えない。遠くの景色の木々の中から鳴き声だけがこちらに届く。
もう夕暮れは早いぞと咎めるニホンジカの声を聞きながら渓をあとにしたのだった。

ごっそりといってしまっている
若干斜め向きの堤体
遠くの景色
副堤上に落ちていたアブラギリの実
カバノキ科の葉はヤシャブシか?
クズの花がチラリ。
高木が多く、拾いもので同定する。コナラ。
カキノキ
堤体全景。

虹の郷

ユリノキの葉

9月14日午後2時27分カナダ村のネルソン駅のゲートを出た。
眼前にはクーテニ湖が、頭上にはユリノキの樹冠が、後方には今のってきたロムニー鉄道の車両とネルソン駅の駅舎が見える。

本国カナダのネルソン市にはネルソン駅というものは実在しないらしい。

実際、市の領地を横断するように線路は走っているものの、通過するはカナダ大陸横断鉄道で駅は無く(観光客向けの路面電車はあるようだが・・・。)、つまりのところネルソン市というのは非常に田舎の町ということのようである。

自分たちの町に線路を敷かれながら、駅舎も作らず車があれば交通インフラはOK(?)というカナダ人の感覚には正直おどろいてしまうが、よくよく考えれば同国と日本とでは※国土の面積というものに大きな隔たりがあって、日本人のように狭い土地の中にせかせかと都市開発をしようなんて思想自体がそもそも存在しないのでは?とも思った。

相手は多文化主義的とも言われる社稷である。それがウケてか年々移民が増加。世界が求めているものが分かる。これからの時代、いろいろな人のいろいろな考え方の違いに柔軟に対応出来なかったところで恥をかくハメに遭うのは自分自身であろう。気をつけなければいけない・・・。

ところで何故、伊豆市のテーマパーク「修善寺虹の郷」にカナダ村とかネルソン駅といったアトラクションスペースが作られているのかといえば、この界隈、旧田方郡修善寺町が同国ブリティツシュ・コロンビア州のネルソン市と姉妹都市提携をしているところに因んでいる。

調印が1987年(昭和62年)ということなので今年で33年目。虹の郷開園が1990年(平成2年)というから、その(昭和→平成)改元前後、当地ではかなりの“カナダブーム”があったと思われる。

カナダブームなんて言うと人によっては非常に病的なワードに聞こえるかもしれないが、その当時がバブル経済の真っ只中であったことを考えると、戦略的に言えばこれは

攻め!

の姉妹都市提携&虹の郷計画であったと思われる。伊豆半島各地で大型宿泊施設や商業施設が作られる中で、修善寺町の町政として何か他には無い、競争に負けない観光インフラを作っていこうという中で計画されたテーマパークであったに違いない。

※日本およそ37万キロ㎡、カナダおよそ998万キロ㎡、その差およそ27倍。

ユリノキの樹皮
アメリカハナノキ
アメリカハナノキの樹皮

大きな箱を造らなかった!

当時のバブル真っ只中を社会人として生きていた人たちがこれを最初見てどう思ったかはわからないが、このテーマパーク内には“大きな箱”が無い。

例えば事案として巨大なプールを作るとか、ウィンタースポーツ(標高が高いから可能性あった!?)の施設を作るとか、大きな宿泊施設やレストラン、映画館、プラネタリウムを併設するとかいったことをやりがちなような気がするが、ここは全くそれらをしていない。

そもそも園内のほとんどが傾斜地で、箱自体が作れなかったのかもしれないが、それが正解だったのだと分かるバブル崩壊以降の感覚をよくも冷静に、当時の人たちは判断されたのだと開園から30年経ったアニバーサリーイヤーの今年になって思う。

園内の北東側に広がるもみじ林は1924年(大正13年)に植樹されたもので(もともと修善寺自然公園との境界線は無かった。)、それらを伐採せず、生かしたことは先見の明に尽きない。

とくに岐阜県揖斐郡徳山村から移築してきたという古民家をそのもみじ林にうまく融合し、「匠の村」としたあたりはじつに見事である。古民家を置くだけだったら、他のテーマパークにも全然出来そうな所であるが、樹齢60年(当時)以上経過した木々を自然な感じに配す形での景観づくりが出来たことについては、他にとって

「真似をしたくても真似が出来ない芸当」であったと思う。

メジャーをあてて測る。
アメリカフウの樹皮
カナダ村エリアには何本も植樹されている。

アメリカフウ

さて、9月14日であるが午後2時台にネルソン駅前に降り立って、まずはプリンセスローズハウス前の大きなアメリカフウ(モミジバフウ)の木の観察を行った。アメリカフウについてはすでにロムニー鉄道乗車時にその車窓(オープンデッキなので窓は無いのだが・・・、)から見つけていたが、こちらの木のほうが断ぜん巨木であったため改めて間近で見ることに。

喫茶のローズ・レ・カフェの方向に向かって長く伸びた枝の先には格段大きな葉が付いていて、持っていたメジャーで計測したところその葉身は19センチメートルもあった。このような星形の分裂葉の中ではもちろん今まで見てきた中で最大。

北中米原産の同種は木の幹の表面、つまり樹皮についても在来種のイロハモミジなどとは違っていて、表面がコルク状でごつごつしている。また葉の付き方についても在来種はどれも対生であるのに対してアメリカフウの葉は互生している。

一枚一枚の葉が大きいだけにこの木が作る木陰は非常に立派なもので、プリンセスローズハウス前のバス停ベンチにしばらくのあいだ腰掛けた。もちろんこれは園内を走るトレーラーバスの往来を待つための行為であったのだが、肝心、ようやく目の前に現れた同車両は進行方向がどう見てもおかしかった。

「匠の村へ行きたいの?あと30分後だよ。これはイギリス村のほうに行くやつだから・・・。」

ハウチワカエデ
エンコウカエデ(手前の大きく写る木)
ミニ図鑑

灯を永遠に

いやいやこれは大汗かく展開でしょ。と思いつつロイヤル・ローズ・ガーデン、しゃくなげの森、菖蒲ヶ池まで歩いて降りる。コイのえさやり自販機の前でヤツらが集団でバクバクしていたが、女の子の集団がちょうど楽しんでいる様子であったためコイをスルーし、もみじ林の坂を駆け上がる。

探していたもみじのミニ図鑑の看板にも無事たどり着くことが出来て一枚。ちなみに前回のエピソードでは「イタヤカエデ種」としてペタしたものが確認できると思うが、この看板に従えば(この一帯に植樹した種について言っているので)それはエンコウカエデのことである。

このイタヤカエデ種の同定には相対的な比較経験が無いとなかなか難しいようで、看板でお墨付きをやってくれたことについては非常にありがたい。しかも看板のすぐそばには手で触れられる高さの枝を備えたエンコウカエデがいてくれて、その木で大いに観察ができた。

ほかにも前回、修善寺自然公園で見つけることが出来なかったハウチワカエデなども見ることが出来て大満足。坂の一番上にある匠の村まで登ったら何やら作業服を着た人たちが高所作業中。

彼らの触るわら縄を見渡せば進行方向にはまだ何もついておらず、その逆側には丸形提灯の列。どうやら今週末に開催されるイベント「匠の村always昭和横丁」の準備らしい。

元気にイベントやってるね!

今からおよそ30年前、当時の世の中はイケイケであったようであるが、そんな中でも冷静に、あとさき残る物を見抜いて設計し、造成させた人たちがここ修善寺虹の郷にはいた。

この灯を永遠に消してはならない。

自分に出来ることは何かと考えながら、悩みながら菖蒲門の前まで下りて「このはな亭」前の長い階段を登り、虹の郷エントランスゲートを抜けたのが閉園1時間前となる午後4時のことであった。

堤体には翌朝入った。
湯舟川支流の桂谷へ
リョウブ①
リョウブ②
樹皮が同定のポイントになった。
アブラチャンの実
透過型もなんのその。
逆に勉強になるくらいだと最近思うようになった。
堤体全景。

3冊合わせて2.2センチ

9月3日午前9時半、伊豆市青羽根、JA伊豆の国狩野支店となりにある「青埴神社(あをはにじんじゃ)」の鳥居をくぐる。
そのまま坂を登っていくと木は左手方向にあった。

なんともあっけない対面。青埴神社のシダレイロハカエデ。

木は一段上がったところにある石垣の上から、東の方向に向かってもくもくと、最近よく見かける積乱雲のように、そして流れ落ちるように樹形を見せてくれた。

ネットで見たものと同じ。それにしてもあっけない。

木は樹齢200年以上とも言われるこの神社の顔。臨む前は非常に神聖なイメージを持っていただけに、もっと奥まったところにひっそりと根を下ろしているのかと想像していたが存外、見つけるのは早かった。

石垣の下の段からは葉を、階段上って中段あたりからは株元を観察する。その後いったん階段を登りきってから社殿を見たのち、また下に戻って境内を見回す。すると何やらほとんど文字が消えかかった案内板の存在に気がついた。もはや文字なのか木目なのか判別しにくい線の羅列を詰まりながら読んでみる。

〔静岡県指定 天然記念物 青埴神社のシダレイロハカエデ
この枝垂れイロハカエデはカエデ科に属する。落葉高木で、カエデ(広義)・モミジ・イロハモミジ・タカオモミジともいわれる。
枝が垂れる品種で樹齢は推定一四〇年~一八〇年、枝垂れの高さは七・七メートルもあり当地方最大のものである。
昭和五十八年九月二十七日 指定〕

イロハモミジだそうだ。植物図鑑の和名で言うところ。

もくもくと
イロハモミジ(切れ込みはあまり深くないが鋸歯が粗い。)
階段から(画像右端は狩野ドーム)
消えかかった案内板

アオツヅラフジ

事前に仕入れていた情報によれば「シダレイロハカエデ」というカタカナ表記であったこの木。独立した種であり、その葉には何か他とは違う特徴的なものがあるのかと期待していたのだったが結局のところ、

イロハモミジ

ということで違いないらしい。たしかにその葉はふだん渓行しているときに一番よく見かける、最もポピュラーな種類で間違いは無かった。

〔切れ込みが深く先は尾状にのびる。鋸歯は重鋸歯で粗く不ぞろい。葉の質はやや薄い。 文一総合出版カエデ識別ハンドブック猪狩貴史著より〕

ハンドブックを取り出して一応その説明と目の前の木の葉の特徴を照らし合わせてみた。
それでは全体像としてはどうか?木は東に向かってきれいに流れ落ちるような樹形をしている。これならば特に午前中の時間帯については光合成が効率的に行われているように思われ、そのおかげもあってか、木は老木にしては非常に元気であるような気がする。

まぁ管理面のこともあるだろう。

地域住民の思いというか?
通常「神社」であったらその維持管理は建築が中心になると思うが、その入り口にこんなにもどデカく、全体の顔として木が鎮座しているのであれば管理不届きというわけにはいかないであろう。

看板を立てて観光名所化したものの、かえって収まりがつかなくなり現在ではかなり「苦労」の面が大きいのでは?正直なところ?
木が荒れている、支えのやぐらが傷んでいる、境内にゴミが落ちているという事象は見られない。維持管理する者の苦労がしのばれる。

他の神社だったらやらなくてもいい努力をここはやっていると思う。他の神社の2倍、3倍労力を使って“全体”を維持しているように思った。木を育てるということ。に対して、

木を飼う。

なんて言ったら怒られるかもしれないが、最後までそれは続くのであろう。

飽きてしまったらもうダメだ。と再訪を誓い、坂の下にある鳥居に向かって歩き出す。坂を降りていくと、途中には何やら学校の校門のような石柱を一対みつけることが出来た。刻まれていた文字を見れば向かって左には「狩野保育園」、右には「狩野幼稚園」。

石柱の向こうにあったであろう往時の景色を想像する。未就学児らによってさんざん踏みつけられた木床の建物と、そこから外に飛び出すと子どもの目にはなんとも広い園庭。現在では建物も外もすべてが無くなった。土の更地が広がる。

大きな虚無感に襲われたが、石柱のすぐ横にはそんな心を癒やすようにつる性の植物と青いろの実、未成熟のみどりの実がフェンスからぶら下がっていた。

たまたま持ち合わせていたハンドブックにはそれが載っていて「アオツヅラフジ」であることを知る。種子散布期は来月10月から12月までという。その頃にはほとんどが完熟した青いろの実に変わっているということか?

来月以降が楽しみだ。

なんて思って読み進めていくと最後には、〔※アルカロイドを含み有毒〕と。

なんだ、食えないのか・・・。

※文一総合出版 身近な草木の実とタネハンドブック 多田多恵子著より

狩野保育園(左に刻印)
狩野幼稚園
アオツヅラフジ
身近な草木の実とタネハンドブック
雲金橋

神社を離れる

坂の下の鳥居をくぐり抜け、国道136号線を横断し、狩野ドームに向かって歩く。そのまま狩野ドーム前を通過し、雲金橋をわたって駐車していた車に乗り込む。

園の入り口に毒の実の植物が生えていたのはなぜか?子どもが口にしたらどうするつもりであったか?それともあの場所に生えてきたのは閉園後か?

車中で先ほどのアオツヅラフジのことをいろいろ考えながら北上。深まる永遠の謎とともに大平インターチェンジを通過。伊豆縦貫道に乗り、本立野トンネル1034メートルを抜けると直後の修善寺インターチェンジで降りた。西進し、修善寺温泉方面に。五葉館前で右折。神戸川(ごうどがわ)に沿って坂を登り、桂谷トンネル入り口前、修善寺ニュータウン入り口も直進。

静岡県きのこ総合センターの前も通過して、道が大きく左にカーブするところを逆に右に向かって逸れる。駐車場に車を停め、トイレに駆け込んだ。

修善寺自然公園もみじ林案内図

修善寺自然公園

修善寺自然公園のトイレから出た。散策を始めることに。
北西の方角に向かって伸びる坂を登りながら木を一本一本見ていくとほとんどがイロハモミジであることがわかった。その他に多いのはオオモミジであるが、これらは図鑑で調べると樹高についてはたいてい小高木~中高木と書かれている。

樹冠の高さが低くても3~5メートル程度はあるということだが、気になるのは手の届く範囲であるかどうか。
出来ることなら木の枝まで手を伸ばして、その葉が何であるのかをしっかり見極め、実際に手で触れて感触をおぼえていくことが大切だと思ったからである。

幸い、実際に葉にさわって感触を確かめられた木は何本もあった。背伸びをしてギリギリ手の届くぐらいの枝を掴んで、眼前まで引いてきて観察する。終わったら枝を解き放ち木を離れる。手から離れた枝は弾力によって大きくしなりながら、揺れながら、元あった位置に戻ろうとする。

こんなことが出来るのも・・・。今だけ。あと2ヵ月もすればシーズンインの号砲が鳴り、ここに多くの観光客が大挙することになるだろう。その頃にはある程度、TPOというか行動が制限されてくることになると思う。

今ならば自由(木を傷めるまでは出来ないが。)。あれこれ手で触りながら、ゆっくり、じっくり自然公園の木々を観察していった。

その後は停めていた車まで戻り、微睡む。

オオモミジ
ハナノキ
モミジイチゴ
イタヤカエデ種
カエデ識別ハンドブック

湯舟川第2堰堤

車の中で目を覚ました。腕時計を見る。

時刻は午後3時。う~ん。

虹(の郷)はパスだな。

当初の予定ではこのあと修善寺虹の郷へ行く予定であった。しかし、閉園時間も近くなっていたためそちらはあきらめることに。駐車場を出て、虹の郷前をスルー。そのまま4.6キロほど戸田峠方面に向かって走る。

「広域基幹林道達磨山線」の青い看板を見ると吸い込まれるように左折し、ぐねぐねと曲がる林道を約4キロ走る。「牧場橋」という赤い欄干の橋が見えたらその手前で左折し、2.2キロ坂を下りて行く。

当ブログで以前にも紹介したことのある「湯舟川ふれあい公園」はそのまま車をバックさせて入った。(たぶん交通上の“すれ違い確率”は何百万分の一くらいなのだけど、いちおう注意して。)

車を前進に切り替え、床固工4基分を通り越すと公園最奥部となり、これ以上車では行けなくなった。それではこのあたりに駐車し、入渓の準備を整える。

蒸すような小雨がパラついている。

湯舟川第6号床固工の上流部より入渓し遡行を始めると、10分もかからない程度で目的地に到着。堤体の名は「湯舟川第2堰堤」。堤高は5.5メートルとある。

渓畔林は川の中央に立ってしまえば完全に切れているが、周辺全体的(堤体前空間)として見るとあたりは針公混交でしっかりと木々に囲まれている。シンボルツリーとして見られるのが堤体天端右側のクヌギ、同左側のイロハモミジ。さっそく近づいて葉を見ると、

小さい!

さきほどまで見ていた植樹モノとは明らかに違う。育成条件の整った中で、栽培管理されてきた個体では無い。こちらは野生ものだ。自然界の空間上に枝が伸びて展葉するときの緊張感(ストレス)がある。ここは堰堤の真横で常に落水がドバドバと音を鳴らしているような環境だ。

流されないように、倒されないように、根も葉も気持ちで踏ん張って緊張感に打ち勝っている。

強く生きる姿に「心(しん)」を感じた。流石!

その後は、立ち位置を決め歌を楽しんだのだった。

ん?

この日は、あまり長く歌っていられなかった。突然、雨が強くなってきたのだ。

やはり強い、雨に濡れて尚いっそう輝きを増すイロハモミジを見ながら現場を立ち去った。

湯舟川(湯舟川第6号床固工から撮影。)
野生もの
強い。
木は重要な渓畔林に
銘板
堤体全景。

目ん玉バッチリ

8月26日午前0時、目が覚めた。

寝巻からベルトの通ったズボンに履き替え、自宅を抜け出す。

車のエンジンを掛ける。

駐車場から出庫し、沼津市内、山に向かって坂を登る。まだ電気の点いている住居が何軒もある。受験勉強か?

子どもの数が随分と増えたなぁ・・・。

外を出歩く者はいないか?

幸い、歩行者、自転車は見あたらない。猫の心配だけすれば良い。

坂を登りきると明るかった。足高のアンナバンの上を一台の乗用車が転がる。

ETCは無言であった。いつもカードのことには口うるさいのに。

時速100キロの制限速度になり、嬉々としたのもつかの間、辺りはいちめんトロ箱の世界になった。

トロ箱の世界を右に左に逃げながら進んだ。ちょっと調子に乗って。けっして捕らえられることはなかった。だが、いつの間にやらそのトロ箱同士で出来た部屋に迷い込んでしまい、抜け出すことが出来なくなってしまった。

魚は自分の体の何倍も大きいトロ箱の壁に囲まれながら、逃げ道を探した。しかし、それは無かった。以降しばらくは状況かわらず。

続く膠着状態。

魚の脳で悩むのか?

悩まなければいけないのか?と、ここで急に左が明るくなりコースをフェードアウト。

あぁ、よかった・・・。

その後、フードコートまで歩いて。

券売機でチケットを買い、震える小機をもらってしばらく待った。

ようやく出てきて口にすることが出来たのは午前1時。

深夜のカレーうどんは格別だった。

東名高速道路足柄サービスエリア上り線

冷房はかけない派

ようやく寝惚けまなこから立ち直ることが出来た。
カレーうどん完食後、サービスエリア周辺をウロウロ。カブトムシがいるかな?と思って常夜灯のまわりを探し回ったが見つけることが出来ず、やることも無くなり、車に戻ることにした。

!!!車に戻るとびっくり。こちらは普通乗用車。その隣には5トンくらいのトラックが乗用車の駐車スペース5台分くらいを利用して、真横を向くように駐車している。

どうやら、大型車両駐車スペースが埋まっていてはじき出された車がやむなくこちらに進出してきている様子。当然ながら中には人がいるようで、アイドリングしながら、車内ではおそらく冷房をかけて寝ているようだ。

こんなことが日常茶飯事なのか?

気にせず、こちらも睡眠を取ることにした。さほど暑さも感じなかったので冷房は使わず上着を一枚かけてアイマスクをし、シートに身を預けたのが午前2時過ぎ。

はやおき

午前6時50分、車内の暑さに目が覚めた。もう外ではセミが鳴いている?ようであるが、その音もガラガラと鳴り続ける隣のトラックのアイドリング音によってかき消されている。

取り敢えずは車を降りてトイレに行き、そのあとコンビニに立ち寄ろうかと思うもテナントのレストランが朝定食をやっているようだったのでそちらに立ち入り、「足柄はやおき定食」をいただく。

こちらの“はやおき定食”であるが、どうやら午前10時までオーダーが可能な様子。早起きした人も、別段そうでなかった人もその恩恵に浴することが出来るようなのだがとうてい私自身、

はやおき

したなんて自覚は無くて、

まだオッケーですか?

と尋ねたくなった。
太陽熱に蒸された車内でやっと目覚めさせられた。のであったから。むしろ寝坊したくらいに思っていた。

まだまだ寝ぼけた舌に定食の味噌汁が沁みる。

ETCで退場

車に戻ると時刻は午前8時。ドアを開けるとマイカーの車内はさらに暑くなっていた。

この場から逃げよう。

半夜世話になった駐車マスを外れ、通路上に引かれた矢印の線と案内板に従う。
案内板はみどりと紫があるうち紫に従うこととし、レーンに合流してくる車両に注意しながら進み続けた。

さてゲート越えであるが、本来午前1時前には通過となるはずのところおよそ7時間以上も遅れてしまっている。ゲートには監視カメラとスピーカーが付いていて、遠隔でやりとりができるところ、オペレーターにツッ込まれてしまうかとドキドキしたが(あちらもいろいろ忙しいであろう。不正通行の監視等で。)何事も無く通過。通行料金は深夜に入場したため割引が適用されていた。

一般道に出てからは東を目指した。昼の太陽光同然のそれから一刻も早く逃れるには一番近い山が良いはずだ。

JR御殿場線桑木踏切を渡り、直後の新金時橋も越える。山久荘前の丁字路を左折し、金時向平橋を渡るとあまり見通しの良くない山道に入り、それでも進んだ先に現れたのがギャツビイゴルフクラブ。
そのクラブハウス直前。従業員駐車場の裏に金時山登山道入り口となる未舗装道路があってそこをガラガラ音を立てながら進むと、

ありえないくらいの暗がりにゴール!

ここが一番涼しくて、太陽光を避けられるのだけれどそのままグイグイと突き進んで針公混公林、谷川に向かって斜めに伸びるコナラの大木前で車を停めた。

まだ寝ている。

車から降りると木々のすき間から金時川の砂防ダムが確認出来た。

入渓の準備を整え、さっそく谷の様子をうかがう。堤体前の谷は急斜面でなおかつ、岸際には浮石がゴロゴロしている。ここをすぐに降りてしまうのは危険と判断し、いったん下流側にそのまま向かうことにした。

針公混交林、だけれどほとんどスギという木々の下を谷川の法肩に沿うようにして歩く。するとほどなくして川面まで安全に降りられそうな斜面を発見することが出来、それを伝って下まで降りた。ようやくの入渓。
そして再び下流まで下がってきた分を取り戻すように遡行すると、堤体前に出た。

やっぱりまだ寝ている。

時刻は午前9時前。
先ほどまで足柄サービスエリアでマイカーを熱され、ここまで逃げてきたことが嘘のよう。
堤体は副堤の側壁護岸の一部にはカケラ程度に日が当たっているが、それ以外の本堤天端、水裏、副堤天端、水裏、そして落水すべてにまだ太陽の日が当たっていない。

起きるのを待とうか?

堤体全景。午前8時50分頃。

残暑の疲れに要注意!

堤体の放水路天端上の水に太陽の日が当たり始めたのは午前9時20分頃。

Vメガホンをセットし声を出し始める。

あるのは「違和感」の三文字。

放水路天端上の水が主役であってほしいのに、副堤の側壁護岸のほうが強くギラギラと光っている。視界内にある堤体において明らかに、
「光っていてほしいところ」

「影になっていてほしいところ」のバランスが悪い。

これでは楽しめないと光る側壁護岸が見えなくなるようにするための移動。立ち位置を変える。自分自身の目と側壁護岸の間に大石が一つ挟まるようにして対処した。すると側壁護岸の光をみごと死角に封じ込めることに成功。

これで解決!

以降は午前10時半頃まで休んだりまた声を出したりでちょっとダラダラしながら歌を楽しんだ。そして退渓後は林道沿いに生える樹木を同定し、全く暑くない車内に戻ってやはり冷房をつけること無く昼寝をしたあと山を降りたのが午後1時。

目ん玉バッチリで帰りの高速路を走り抜けた。

ダンコウバイ
ウリカエデ
キブシ
高木のミズキは林道上から至近撮影。
平行四辺形(懐かし。)に光るのが側壁護岸
堤体全景。午前9時50分頃。

吊り橋

船原川

8月20日は船原川に入った。

朝5時、伊豆市月ヶ瀬にある下船原トンネルのアーチをくぐり、延長わずか208メートルの暗がりを抜けると下船原の平(たいら)地区に出ることができた。

直後の左手には、船原川に架かる吊り橋。

トンネル含めこの道が出来てからおよそ1年7ヵ月。それより以前、旧道の「出口」三叉路から平地区へ進んでいた頃には、ここに吊り橋があるなんて知る由も無かったが、新道の開通によるルート変更では、今まで見ることが出来なかった景色が顔を出した。

とりあえずは今日もその前を通過。

朝一番のチャンス前という時間、入渓点に急いだ。
そこからおよそ2キロ先にある船原桟道橋ちょく前でハンドルを左に切り湯端橋を渡る。旧船原ホテル裏の堰堤前に到着したのが午前5時すぎ。

そそくさと準備を済ませ、入渓し、歌を楽しんだのち退渓したのが午前8時すぎ。

湯端橋

気になっていた吊り橋に

今日は行って見てみるか?

気になっていた件の吊り橋であるが、行って確かめてみることにした。来た道を戻るようにして東へ進む。「宝蔵院」という寺の前を通過すると3階建ての比較的大きな集合住宅があって、その集合住宅を過ぎたあたりが旧道との合流点。

左折し旧道に入ったら「原の前」バス停手前の右折道。

ここかな?

と、曲がってみるとビンゴ!新道をくぐり抜けられるガードを発見。陽はすでに高く、ジリジリと照りつけてくるので、そのガード下に車を停め、歩いて吊り橋に向かった。

橋は幅20メートル程度。桁がしっかりとしていてほとんど揺れることがない。橋の上から上流方向を見渡せば、新道を保護するようにガッシリ固められた護岸が並んでいる。また、立っている橋のほぼ真下には高さ1メートルにも満たない床固工が作られていて落水している。

それらがジリジリと照りつける太陽によって光る。

眩しい眩しいと言いながらガード下に駐車した車に逃げ込んだ。

吊り橋(伊豆市下船原平)
船原川は床固工が随所に見られる。
橋から上流方向を臨む。
新道からの吊り橋

ギャラリーの橋

吊り橋と言ったらねぇ・・・、やっぱり。

今度は別な橋、狩野川に架かる「松ヶ瀬橋」を目指すことにした。マツセ、マツセと気分が陽気になり、出口三叉路から道を間違えて国道414線を南下(正しくは北上する。)する。ようやく嵯峨沢館の前を通過する頃になって、

あっ・・・。

と気がついて嵯峨沢橋をそのまま渡り、市山の丁字路から北上。せっかくここまで来たのだからと“チョウズバの神様”こと「明徳寺」参道入り口にある茶屋に寄って草餅を買い、再出発。5キロほど走って松ヶ瀬橋前に到着。

到着したはいいが、今日は画像を撮ったりで暫時ここに留まる必要があるため車をしっかりとした所に停めなければならない。しかし、駐車スペースを見つけられず。困ったあげく近くにあったおとり鮎店の「旭水園」に駐車料金を払って停めるつもりで交渉したところなんと、

タダでいいよ!

と。

ありがたく駐車させてもらい、歩いて松ヶ瀬橋に向かった。橋にはものの数分で到着。ここはアユ釣りの名所で、吊り橋がそのギャラリーになるという不思議な場所。昼前の時間だったため丘に上がって休んでいる釣り人が多かったが、それでも川の中にはまだ数人のアユ師が残っていて竿を振っている。

こちらは、いったん橋から下がって近くの土手に腰掛ける。先ほどチョウズバの神様目前で購入した草餅を取り出してかぶり付く。

コンロの火で熱々にしてもらった草餅は、ここに来るまでの道のりの間にだいぶ熱が抜けてしまっているが、まだ温もり程度にはあたたかさが残っており、そのおかげか非常に甘く感じられる。表面の皮が固くなった感じも、真夏の暑さの中では張り付くような感じが無くて逆に心地よく、非常にさわやかな感触をを満喫することができた。

その後橋の上に戻ってしばらくのギャラリー。連掛けのアユが宙舞う瞬間に期待して見続けたが、どうやら渋いようで見るのは叶わず。退散することにした。旭水園まで戻り、お礼を言ってから駐車場をあとにした。

松ヶ瀬橋
下流側
上流側。黄色い建物は近藤鋼材、その隣が旭水園。
草餅

どうせならばと3本目

さて、どうせならばと3本目。
県道349号線を戻るように南下する。市山の丁字路まで戻って左折。国道414号線に切り替わるとまずは旧天城湯ヶ島支所前を通過。さらにひなと丸、浅田わさび店前などを通過し、簀子橋を渡って“奇跡の店”ことセブンイレブン天城湯ヶ島店に立ち寄る。

前々から気になっていて一度も買ったことがなかったアイスコールド・コカコーラを買い、試してみると確かに凍った。その場で飲むことは無く、店を出て次に向かったのはマルゼン精肉店。

イノシシコロッケは現在販売休止中ということで、和豚コロッケとホタテクリームコロッケを買い、店を出る。

そのままさらに南下をし、旧眠雲閣落合楼玄関前で右折し坂を下る。坂をズルズルくだり、瑞祥橋を渡り直後を左折。そこから100メートルも走れば吊り橋が姿を現す。車は橋を過ぎて少しのところに、道幅の広くなったところがあったためそちらに置いた。

道路から下へと続く階段を降り、橋に降り立つ。橋の規模は下船原よりは長く、しかし松ヶ瀬には及ばないくらい。前に渡った2本同様、安定していてほとんど揺れることが無い。そのかわり橋の中間で分けて西側と東側。西側には渓畔林による影が落ちていて涼を得ることが出来る。

依然として太陽の光がジリジリと照りつけていたため、これには助けられた。橋の東側に立てかけられていたハシゴを使って川岸に降り、川に転がる大石をジャンプして日陰のある西側へ移る。

やはり購入したコロッケを取り出し、川石の上に座って食す。コロッケの脂が美味い。ここは少し上流には水恋鳥広場という親水公園があるほどの清流。泳いだって問題ないくらいの水質を前に食すジャンクフード(←2個も食べるからこうなる・・・。)の脂に妙に安心感を得る。

あっという間に完食し、それから川岸をウロウロ。ゴロゴロ転がる川石の上を歩いていると視界の中をチョロッとしたヤツが横切った。これはこれは日光浴を邪魔してしまったと相手を植物に切り替える。橋のすぐ上流側にはタマアジサイが咲いていた。

真冬の一番寒い日を一年の基点と考えれば、この花の開花はその一年のちょうど折り返し地点。まだまだ暑い日は続くだろうが、これからは秋・冬に向かうことになる。夏を満喫した今日の日に感謝し、これからのシーズンの準備をしようということでもういいかと退渓することにした。その後はようやく帰路に。

吊り橋(伊豆市湯ヶ島大滝)
橋の半分は影が落ちる。
左が和豚コロッケ、右がホタテクリームコロッケ
チョロッとしたヤツ
タマアジサイ

35分。

今回のエピソードの最後にこの日の朝、旧船原ホテル裏での歌のことを書こうと思う。

やはり真夏のシーズン中にあった今回も時間帯にこだわった。画像Ⓐ~Ⓕまで用意したが、結論から先に言ってしまうと実際つかいものになったのはⒷ~Ⓕの間だけ。(早朝のチャンスタイムに関しては。)

Ⓐは日の光が当たる前。白く落水する水の形状を見ることができるが、これではもの足りない。もっと涼しいシーズン中であればこれでハマる時もあるが、外気温が24度もある中でのこれは温度感覚的に合わない。午前5時50分撮影。

Ⓑは日の光の照射範囲が山の上から降りてきて、ようやく落水の一部を照らしはじめた頃。指差す先がその状態になっている。
照射範囲は徐々に広くなるので、それを待てば良いと思う。午前6時40分撮影。

Ⓒ~Ⓔの状態。ここがいちばん楽しめるとき。
ⒸとⒹはよく見るとその違いが分かると思う。ⒸよりもⒹのほうが若干明るい。ⒹとⒺはほぼ同じ。撮影時間的には10分間の開きがあるが、Ⓔに関しては早朝のラストチャンス的な局面なので(焦ってはいないが)もう、そろそろかな?と思いながら歌っている。
Ⓒは6時46分(Ⓑ~Ⓒ間わずか6分でこの変化!)、Ⓓは6時57分、Ⓔは7時07分にそれぞれ撮影。

Ⓕであるが、チャンスタイム終了の状態。堤体から落ちる落水は魚屋に並ぶ魚たちのヌメりのような生々しい光でしかしながら鋭く輝く。この光をこの形状で見たのならば、歌を楽しむ時間は終わったと考えれば良い。以降の時間は、海水浴に行くなり観光施設に行くなりして有意義に過ごせば良いので別に残念がる必要は無い。Ⓕは7時15分に撮影。

まとめるとⒷ~Ⓕまでその間35分。決して長いとは言い切れない早朝のチャンスタイムであるが、夏の朝はやく、さわやかな気分の中で楽しむ歌は最高であった。気温条件的にも「寒い」ということが無く、快適に過ごせることも他のシーズンより魅力的であると付け加えたい。

山あいの川の中で、誰にも迷惑を掛けず歌う早朝の音楽の楽しさ。今しか出来ないその楽しさを満喫した朝であった。

横綱の右腕

白田川河口から相模湾を臨む。

8月13日午前4時50分。黎明の時、まずは賀茂郡東伊豆町、白田川河口右岸に立ち寄り川、海に挨拶。

本日はよろしくお願いします。

車に乗り込み、伊豆急行片瀬白田駅わきのガードレールをくぐり抜けクスノキの街路樹ならぶ駅前道路を抜けると、国道135号線白田信号へ。
赤信号が青に切り替わるのを待つ間、見るのは右手すぐにあるコンビニエンスストア。

店は早朝の時間帯にもかかわらず、海水浴客の来店によって異様に賑わっている。

信号は青に切り替わり、上を目指して走り始める。本日入るのは、伊豆半島の東の横綱である白田川。その右腕の「堰口川(せきぐちがわ)」である。

東伊豆最強と恐れられるこの右腕の上流には堰堤銀座と硫黄坑、水力発電施設といった数多くの功績が刻まれ、その過去の栄光のみならず流れは一年通じて水量豊富、また大小の岩石でゴツゴツしていて表情豊か。隠そうにも隠せない“豪腕”は見る者を圧倒する。

今日は胸を借りる。じゃなくて、腕を借りる。ことになるのだが、くれぐれもぶっ飛ばされて死なないように注意したい。
なんでもこの東の横綱は昨秋、過去に類を見ないほどの大暴れしたというではないか。大暴れしすぎて自らの※両腕には無数の傷がいまだ完治せず残っているそうだが、その辺も気になっている。(これが人々に対する“報復行為”であるのならば、非常に申し訳なく思う。)

特別養護老人ホーム湯ヶ岡の郷、東京発電白田川発電所、東伊豆町白田浄水場前を抜けると入渓点の水路が現れた。

その位置を感じとして例えると、右腕の肩と上腕二頭筋の突き出しの間くらい。

※左腕側の流れは川久保川という。

欄干が新しくなっていた。(堰口橋)
橋から上流方向を見る。
これじゃあ半詰まり状態・・・。

カツカツ。

車から降りる。時刻は午前5時20分。海の方角からは、一段と明るい光が差し込んできているのがわかる。自分がいま立っているところにはまだまだという感じだが、川沿いに走る林道より内側の一部には、もう自然界最強の光が差し込んできていて、あまり太すぎることは無いスギの木の一部連中がすでに温まりはじめている。

アケボノに照らされるヒョロリたち。

いやいや、そんな悠長に見て楽しんでいる暇なんて無い。今日のテーマは「早朝に照らされる堤体の落水」である。
朝一番の暑すぎない気温条件のなか、スギと広葉樹の渓畔林に囲まれた環境下、光る落水を見ながら歌を楽しむつもりでここ堰口川までやってきたはずだ。

時間があまりにも押してしまうと、チャンスタイムを逃してしまうことになる。急がねばと準備をはじめる。と、

カツカツ。

カツカツ。

先ほどから我が愛車に頭を何度もぶつけているヤツがいる。アブだ。
好奇心旺盛なヤツで、夏場はどこに行ってもコイツはつきものだが、そんなにカツカツ、カツカツぶつからなくてもいいだろう。

早朝ぶつかり稽古か?

そろそろ相撲のくだりもやめたいと思っていたのに・・・!

でも会いに来てくれてありがとう。

時短

午前5時半。乾ききった水路をものの数分でクリアし、堰口川本流に出た。

左手側が上流、右手側が下流。
その下流側。初めて来た時、その美しさに感動したことを覚えている。

当時は、まだ入渓点なんて分かっていなかったからこれよりだいぶ下流の堰口川橋のあたりから入渓したのだった。

今はどうなっているかわからないがその時は、瀬と深い淵が連続するような渓で、ウエーダーでも行けそうなコースを右に左に選びながら上を目指して歩いた。

このあたりは堰口川全体として見れば最下流部。しかし、いわゆるボサ川とはならず石がデカいの小さいのゴロゴロしていて、両岸みどり豊かで清冽な流れの中の遡行を楽しむことができた。

とくに入渓点の水路と堰口川の合流するところの少し下流は、大型トラックほどもある大きな石とその落ち込みによって出来た深めの淵、それを取り巻くように転がる大きすぎない川石とでとても美しかったような記憶がある。

宮崎県の高千穂ってこんな感じ?

今は堤体前に入ることだけを目的として動いているから、新規開拓のその日以降はショートカットして堤体を目指すばかりという状況で、そのことによって「時短」を獲得している反面、美しい渓を歩く楽しさを忘れてしまっているかな?と思う。

知らぬが仏。知らなかったから仏。かつて時間を掛けて取り組んでいた頃と、今が違っているというところには残念さもある。

さあ、今日は?

あまり時間が無いことを思い出す。時短というメリットを無駄にしないよう堤体に向かって急ぎ気味に遡行し、目的地に到着したのが午前5時50分。

2017年3月撮影
冬~春むきの堤体なのかもしれない。

“まげ”にとは思いがけず

堤体を見てすぐに分かったのが、昨秋の大暴れ痕。

副堤の砂底の上に巨大なコンクリートの塊が2個、埋め込まれている。これが何の塊なのかはわからないが、運んできた川のパワーには驚いた。昨秋の大暴れの後半戦にあたる台風19号時には「氾濫注意情報」がラジオのアナウンサーによって何度も連呼されていたが、こういうことだったのかと納得。

美しき渓もその顔を豹変させる時があるのだと・・・。

副堤に上がって画像を撮ったりしたのち、朝日の到来を待つ。朝の6時台に落水を太陽の光が照らしてくれれば、きっと美しいに違いない。

天端右側(向かって左側)はもうすでに太陽の光が届いている。この光が徐々に天端左側(向かって右側)に移ってきてくれれば良いあんばいだ。

6時15分、30分、45分、7時・・・。

ダメ。

その後7時台も待っていると落水のところどころをスポットライトのように照らす光が差してきた。残念。

なんとも生々しい光である。それは相模湾の水面上ギリギリの水蒸気のなかを這うように透過してきた朝日の光とは種類が違う。

照らしているのは明確に昼の太陽の光に同じ。いまごろ海沿いでは海水浴客が「待ってました!」とばかりに大騒ぎしはじめている頃か?

こちらは後方、下流側を振り返れば堰口川と川久保川の合流点付近の山。太陽の光は横綱の頭部“まげ”のあたりに引っかかりながら、いまだに影を残しながら堤体の落水に届いている。

ここで真夏の朝うたうのは不可。

残念ながら、その事実を心得る。光の質に難があって、歌うという気になれなかったということだ。

鳴々・・・、

そんな中でも堤体そのものの頑丈、堅牢さには拍手。昨秋の大暴れのみならず幾度の大荒れにも放水路天端は壊れること無く、しっかりとしたエッジを残している。落水は周波数を低くすること無く響いており、左右に幅広く落ちる水の形状もあいまってその持ち味は生かされている。渓畔林も垂直方向の先には濃く、申し分ない。

これならば季節を改め、また時間帯も改めれば楽しめる堤体に激変するかもしれない。

収穫が何も無かったわけではなかった。その時季に現地に赴いて、見て聞いて知り得た情報もあったのである。
午前8時すぎには堤体前を離れた。帰りは大汗かきながら、しかし体で覚えた堤体のデータに(心の中では)ガッツポーズしながら退渓をした。

本日は稽古を付けていただきありがとうございました。金星は付きませんでしたが、東の横綱の片腕に挑戦できただけで幸せです。また、よろしくお願いします。

ごっつあんです。

美しかった副堤上も、
同じ画が撮れなくなってしまった。
重いヨォ・・・。
後方を見る。早朝の時間の太陽光が届かなかった。
イヌビワ
アオキ(葉が大きかった。)
フジ
堤体のカドはしっかり残っていた。
午前7時50分頃撮影したもの。