持越川

なんだかドクタースランプアラレちゃんに出てきそうな車。

11月23日、午前8時。奇跡の店ことセブンイレブン天城湯ヶ島店でカップラーメンを購入する。
そのまま湯を入れず店を出て、車に乗り込む。国道414号線をあまご茶屋まで戻って左折。本日も猫越川沿いを走り抜ける。

途中にあるのは天城湯ヶ島温泉。
今年の夏、ホタルの舞う姿を鑑賞した「出合い橋」付近の今日はどうなっているのか?今週の天気のことが気になる。

目立って荒れたのは20日金曜日の風。そして前日22日にはあまり強くはないが雨が降った。
今はアレの季節だから・・・。

紅葉狩り


紅葉狩り。
古くは平安時代の貴族がはじめたのがのが起源という。当時の身なりで気温20度にも満たない寒空の下をたかだか木の葉のためによくも山行したなと、早くもアンダーウェア装着で完全装備の現代人は思っているが、その先人たちの苦労は脈々と受け継がれ、現代には「お金に変わる文化」となって、様々な分野で有効利用されている。

天城湯ヶ島温泉もまた。紅葉狩りの季節。であるから、そこに終止符を打つ荒天は不快でならない。

せっかく色づいた落葉樹の葉を吹き飛ばしたり、雨で叩いて枝から落としてしまう。
赤や黄色に色づいた紅葉の葉たちはまだ残っているのかと、今さら急いでもしょうが無いのだけれど急いだ。

出合い橋に寄ることもなく、あせび野、旧湯川屋、白雲楼といった銘館前を通過。前回左折した水抜橋を渡ったあとの丁字路。本日は県道59号線に沿う形で右折し、持越川を並行するように走った。やがて眼前に現れる「中外鉱業持越工場」を目指して。

午前8時半、工場の看板をようやく見ることが出来た。さらに進んで渡るのが持越川に架かる八千代橋。今回はこの八千代橋を起点として、その先約1キロ、宇久須沢林道の入り口Y字路までの区間を紅葉狩りスポットとして楽しむ予定。

工場付近はほとんど私有地で駐車できず。さらにソロリソロリと進んで「小沢橋」手前、道幅が広くなったところに車を駐車した。

八千代橋

針公混交ならでは

午前9時前、車を降りて辺りを散策する。
周辺には2基の堰堤と小さな滝があったりする。
主役の葉はどうか?

満開ではない。しかし、
美しい。
とくに良いのが針公混交、つまり針葉樹と広葉樹が混ざったところ。

持越川の川水によって散布されたか?イロハモミジがそのまま川沿いの低いところに根を下ろしているのがわかる。そして時間軸的には恐らくそのあと、人の手によって植樹されたと見られるスギの木々がその周りを取り囲む。

割合的にはスギの方が多くて、しかもそれは川沿いの斜面に植えられているものだからもともとの根の位置が高い。
植えられたスギの木々たちは、高いところにある樹冠で空からの光を遮る。

よくスギの木々が間伐されていないと「林床が暗い。下草が育たない。」と言って非難する人がいるが、やっぱりここも完全に暗い、とまではいかないものの若干暗め。そんな暗さが広葉樹イロハモミジの“色”を猛烈に引き立てているのだ。

いま歩いている県道59号線からスギの樹冠の下を覗き込むように見ると、その暗がりの下でイロハモミジの黄色やオレンジがもの凄く光って見える。
手前側もそして対岸側もほぼ似たように。そして全体的に見ても山の傾斜自体がかなり急で、そのことも「暗がり作り」によく作用している。

惜しむらくはイロハモミジが若干落葉気味であったこと。やはりここ数日の荒天によって枝から振り落とされてしまったか?
河原にも路上にもじゅうたんになるほどの落ち葉が散らばっていた。

綺麗に見えるメカニズムがわかった。
周辺には低めの堰堤が2基ある。
こちらは「持越川起点」看板裏の堰堤。
怪我の功名。滝がバッチリ見えるかたちに。
“持越国有林”では無いのか・・・。

テルメいづみ園

午前11時、ここでいったん天城湯ヶ島温泉まで戻ることに。先ほど走ってきた道を引き返す。
「テルメいづみ園」に到着したのは午前11時15分。

入り口で入場料とタオルの購入代金を払い、さっそく入湯。本日はあまり熱くは無い。ここの湯も各地の温泉がそうであるように日によって温度が変化する。湯ヶ島温泉は雨が降った日だと湯が熱くなるなんて言ったりする人がいるので、もっと頻繁に通って真偽のほどを確かめてみたい。

露天風呂、内湯の順で満喫したのち湯から上がる。
脱衣場で再び衣服に着替えたあとは、休憩室。と行きたいところだったのだが、例のウイルスの影響を受けて休憩室は使用不可。

代わりに案内された中庭で休憩を取ることに。中庭にはかなりの太さのケヤキの木が一本そそり立っている。そしてそのケヤキの木の根元にガーデンテーブルとベンチがポツンと置かれていた。

昼食はそのガーデンテーブルで摂ることに。ちなみにここの温泉施設は飲食物の持ち込みが可能。朝、買ってきたカップラーメンにお湯を入れて3分待った後にいただいた。
ケヤキの大木の葉はもう全部散ってしまっていて、空からはじかに青の光が差し込む。暑くも寒くもない快適な温度環境の中で昼食を楽しむことが出来た。

飲食物の持ち込みが可能。キッチン(有料)もある。

綺麗なんだけどなぁ・・・。

じっくり休んで午後1時。いづみ園を出発。再び県道59号線を八千代橋方面に向かって走った。走った距離は7.2キロほど。県道59号線の宇久須沢林道入り口Y字路を越えた位いからあたりは本格的なスギの針葉林の様相を呈すが、駐車スペースもちょうどその針葉林の樹冠の下にある。

具体的には、幅1メートル程度の伏流沢を跨ぐ「松ノ木橋」という橋があるのでそれを渡ってすぐ。駐車スペースは堤体の落水の音が聞こえるほど近いところにある。

車を降りて、準備を整え、歩きはじめる。綺麗に間伐された針葉樹の森を横断すると、あっという間に持越川に出ることができた。
さて、歌の立ち位置決め。堤体まで40メートルほどの位置に決め、Vメガホンをセット。さっそく声を入れてみる。

はぁ?今日もか・・・。

今日もまた。
いや、恐らくは(森は)きちんと鳴ってくれている。

全体的に大きな石がゴロゴロしていて、その石のすき間から水がタルんでいるところが何カ所も見られる。

堤体本体からの落水は水褥池と化した堤体水裏にサラサラと落ちているだけなのだが、そこから手前側がうるさすぎる。

うるさすぎる空間で頑張って声を張っても無駄に疲れるばかりでなんとかならないかと思う。
あ~鳴らない、鳴らない。

景色は綺麗なんだけどなぁ・・・。

この日は持越川沿いの紅葉狩りをやっただけでほぼ終わってしまった。
まぁ、こうしてこの地に来ることが出来て美しいものをいろいろ見られたのは良かったと思っているのだが・・・。
音楽的には不十分だった反面、この土地の魅力を感じることができた一日となった。

また来よう。

次こそはと誓って渓を後にした。

0.0m/sだが空気の動いている感じはあった。
落水はサラサラと。
持越川追No.11玉石コンクリート堰堤
う~ん・・・。
イヌシデが多かった。
この季節ならではの色。
堤体全景。

ウイテマテ

午前中は、安全講習に参加した。

11月15日、日曜日。
午前中は、安全講習に参加した。講習のテーマは「水の防災」。
静岡県内の河川管理を担当する専門機関や消防署の担当者を講師として、水の事故に遭わないためにはどうすれば良いか?また、水の事故にもし遭遇してしまったらどうすれば良いか?といったことを学べる講座に参加した。

沼津河川国道事務所

まず、はじめは国土交通省中部地方整備局 沼津河川国道事務所の担当者のお話。同局は河川に詳しい方ならご存じの通り、国を管理者としている「一級河川」の地方担当事務所である。

これまでの私の経験からいえば同局(以下、沼津河川国道事務所)とは「狩野川」というワードで繋がってくる。
今、沼津河川国道事務所のホームページを見ながら書いているが、その「河川事業」のタブをクリックすると以下のような文言が出てくる。

〔狩野川は、伊豆半島中央部の静岡県伊豆市の天城山系に源を発し、大小の支川を合わせながら北流し、田方平野から駿河湾に注ぐ幹川流路延長46㎞、流域面積852㎞2の一級河川です。
昭和42年6月に一級河川として指定され、このうち本支川(狩野川24.9km、黄瀬川2.7km、柿田川1.2km、大場川2.6km、来光川1.5km、柿沢川0.9km)の直轄管理区間(計33.8km)及び狩野川放水路(3.0km)について、河川改修及び維持管理を行っています。〕

狩野川本流であれば伊豆市修善寺の修善寺橋より下流、黄瀬川であれば寿橋(国道1号線から見下ろせるかなりネンキの入ったコンクリート橋)より下流を管轄しているようだ。
どちらかといえば流れの速い上流部というより、流れが淀んでくる中・下流部を担当しているわけだから、彼らの仕事の主要は「とにかく早く海に流す。(水を)流しきれない分は堤防や水門で守る。」といったところであろうか?(←いや、わからないけどね。)

当日、お話をしてくださった担当者の鈴木さんからは狩野川の堤防、人口水路である「狩野川放水路」に関する説明のほか、気象庁と共同で「洪水予報」を発表したり、ハザードマップの改良などを行っているとの説明をいただいた。

また、洪水から命を守るには建設物・構造物によるハード対策と、情報発信や避難の呼びかけ、防災教育などのソフト対策の両立が欠かせず、それらを行うのが沼津河川国道事務所の仕事なのだとも仰っていた。ちなみに、

「うるせぇ。オレは溺れたりなんかしねぇよ。」

という方にも、そうで無い方にも、今の時代に対応して“ヤバい時”には緊急速報メールが、「洪水情報のプッシュ型配信」として手持ちのケータイ&スマートフォンに強制的に送られてくるらしい。

受信したらまず素直に、冷静に、避難行動を取れば良いと思う。

今回は実際に「防災教育」を受けた形だ。

スマートフォンのチューニング

次には、3つのグループに分かれて順番に講座を受けることに。。
私の参加したグループが入ったのは、ライフジャケットを使って実際に水面上に浮いてみるという内容のもの。

講師は海上保安庁第三管区 海上保安本部 清水海上保安部の担当者小林さん。
まずはライフジャケットの体験に先立って、スマートフォンの取り扱いについてお話をいただいた。

小林さんによれば現在、市販されているスマートフォンはそのほとんどが防水機能を備えたものであるが、レジャーなどで持ち出す際は、これを必ず防水ケースに入れて欲しいという。防水ケースも「防水」で無ければいけないと言い、「防滴」ではその役目がしっかりと果たせないという。

さらに、これも現在のスマートフォン事情が絡んでいて、防水ケースにそのまま入れているだけではスマートフォンが沈んでしまう(大型画面化によって重くなっているため。)ため、ポケットティッシュなど浮力体になるものを防水ケースに一緒に詰めるなどして、はじめて現場でスマートフォンが使用できるのだと教えてくれた。

なぜこれほどまでにスマートフォンを珍重するのかといえば、言わずもがな、救助を呼ぶためである。落水者が自分自身である場合、自分以外の者である場合、いずれにしてもパーティ内の人間の力で解決できなければ、然るべき機関に救助を要請しなければならない。

海上保安庁は118番。警察は110番。実際の事故の現場に遭遇するとパニックに陥ってこんな事すら判別がつかなくなってしまうらしいが、小林さんによれば通報先はどちらでもOKとの事。両者は事故の情報を連携して取り扱っているからだという。

防水ケースは浮力体になるものを詰めて使う。

セウキ!

清水海上保安本部の講座のあとは、駿東伊豆消防本部沼津南消防署静浦分署(以下、第一方面)佐藤さんによる講座、NPO法人グロウワイズ森田恵美子さんによる講座へと続いた。

第一方面の佐藤さん、森田さんの講座に共通していたのは助ける側の人間が、「大きな声で指示を出す」ということ。

救助の必要な人に対して大きな声で指示を出すのはもちろんのこと、救助に「協力してくれる人」を請うために大声を出すことも重要だという(佐藤さんより)。

そして、溺れてしまいそうな人に対しては「セウキ!(背浮き!)」と指示することで、仰向けになって浮いてくれるという(森田さんより)。

また、実際の救助に際してはモノを投げ入れるのが有効だということで、ペットボトルやランドセルを投げ入れる体験を行った。
ペットボトルに関しては、空のものよりも少し水を入れたもののほうが飛距離が出て、なおかつコントロールがしやすい。
ランドセルについては、空の状態より少し教科書が入っていた方が、ランドセル本体の浮き姿勢が安定するなどのメリットが出るという。

そして、いずれの場合もなるべく「水に飛び込まない。」。合言葉は「ウイテマテ(浮いて待て)」。

ペットボトルは少量の水が入っている方が有利。

無事故で終わりたい

午前中に安全講習を終え、午後には猫越川となったのだが、今回はいつも以上に渓に下りる時も、入渓してからも気を使って行動した。

自身は砂防ダムを主戦場としていて、それはやっぱり川で行われることで、川は水で出来ている。

講座で第一方面の佐藤さんが仰っていたこと、「助ける側の人間の安全をまず確保することが大事。」だそうだが、実際の現場で助けられる側の立場になってしまった時、それが洪水などの自然災害で運悪く被災してしまったのと、遊びのためにわざわざ危険とも言われるフィールドに出向いていった末路の結果だというのでは意味合いが全く違う。

自分自身が事故に遭うことで、助ける側にも危険がおよぶという事。これを特に理解して行動しなければいけない。
その踏み出す一歩は正解なのか?

そして、たかだかスマートフォン一つが、「一般使用」用では全く役に立たないということ。実際、事故に遭った時の状態をしっかりイメージしてチューニングされていないと役に立たないということも学んだ。

一つ一つの行動、モノで(変な言い方、)いくらでも危険な目に遭うことが出来るということを知った安全講習となった。

そういえば、2020年もあと2ヵ月。
今年中にやらなければならないことはまだまだあるわけで、それらに果敢にチャレンジしていきたい。
もちろん全て無事故で終わりたいと思っている。

ライフジャケットの講座にて
午後は猫越川に。
世古橋
世古橋から下(世古峡)を覗き込む。
水抜橋
水抜橋から下を覗き込む。
カーブミラー前
指定地看板の範囲は広い。
マダケの渓畔林を下りる。
堤体前に下りきったところ
猫越川一号堰堤
堤体全景。

格上

本日はあの山の向こう、戸田を目指す。

11月9日午前9時、まずは千本浜へ。
沼津の港から富士市方面へと永遠と続く堤防上に腰掛ける。視界は良好。西には清水の三保が、東には金冠山、真城山、大瀬崎などが見渡せる。
早速ポケットから取り出したのは風速計。

「MODE」ボタンを長押しすると液晶画面に数字が現れた。一番大きく表示されている数字が風速。右上にはm/sとあるので風は秒速で表示してくれるようである。

右手に持って風がよく当たるように自身が立ち上がると、期待通りに本体上部に取り付けられたプロペラがガラガラと回り始めた。

風は強くなったり弱くなったりで、数字は0.0から1.0くらいまでの間を行き来する。表示が0.2とか0.5とか増えていくのは面白くて、見続けていると急降下して0.0になったりする。

いたずらで本体を持っている腕を水平にグイグイ動かしてムリヤリ数値を上げてみる。上がった数字はそのまま風の援護を受けて、今度は一定の数値でキープされたりする。

この日の風は、沼津港のほうから海岸の堤防に沿うように富士市方面に吹いていた。示した数値は最大で3.0m/sほど。もっと長く観測していればさらなる記録更新も狙えたが、風速計がまず回ってくれるか?数値を示してくれるか?というテスト目的での風速計であったため、とりあえずはオッケーということで千本浜をあとにした。

新たに導入した風速計。

気にしたことが無い

車に乗り込み、戸田を目指す。
玉江町の交差点から国道414号線、香貫通りをいつも通り南下。島郷、志下、馬込と海岸集落の中をすり抜けて行く。

小中一貫校の静浦中前を通り過ぎ、さらに防潮堤のゲート(国道がゲートを跨いでいる不思議なところ)も通過すると、右手側に海が見えるようになる。このあたりは獅子浜(ししはま)を町名とする地区で、やはり獅子(ライオン)の頭部のごとく岬状に陸地が飛び出している。

カーナビのモニターに目をやればきちんとその地形が確認できるのだが、実際に道路を走っていれば不思議とその感覚にとらわれることは無い。右手側に見続けることができる駿河湾の海に飛び出た岬であっても、どの方向にもたいていの場合は穏やかであるからだ。これまで波のことも風のことも気にしたことが無い。

気にすることがあるとすれば、土木資材を運び出す岸壁がライオンの鼻っつらの一番大事なところに陣取っているため、それを横目に少々複雑な気持ちを抱きながら通過をさせられることだ。

岬の先端から海越しに見ることが出来たかもしれない、紅く色づきはじめた山などはもういいと先を急ぐ。

2本のトンネルをくぐって口野放水路交差点を右折、県道17号線を内浦~西浦と進む。
西浦古宇の大谷石油まえを通過し、レストラン井里絵直前を左折。真城峠をこえてドン突きの丁字路を右折。戸田名物の一つと言っても過言で無かろう急坂を下りていくとカーフレンドするがというクルマ屋があるので、そこからさらに100メートルほど下って、「戸田饗の里公園」看板前を左折。

直後に現れる大耕地橋を渡ってからは、幅員狭し。地元農家の邪魔にならないように気をつけながら、戸田饗の里公園右折の看板をスルーして直進。ダラ登りの坂を上がって行くと、ようやく現れたのが目的地、戸田しんでん梅林公園駐車場。

ナイススポット

車から降りて、準備を急いだ。時刻は午前11時。
ここの堤体は、見た目上午前中が美しい。堤体の水表側がおおよそ東の方向を向いており、放水路天端上の水が午前中の太陽の光を受けてキラキラ光り、それをそのさき遠くの山のみどりともども眺めながら歌えるナイススポットなのだ。

急勾配の坂を下りると堤体前に出ることができた。

・・・。

放水路天端が光っていない。
遠くに見える山のみどりもここのシンボルツリーである右岸側の大きなエノキの木もいつもと変わりないのに、肝心の太陽の光が放水路天端に届いていない。

曇っているわけでは無い。影が落ちてしまっていた。
どうやら来月21日に冬至を迎える北半球の日本の沼津市戸田はその光の元となる太陽の高度が不足しているらしく、放水路天端の一番いいところを照らすことが出来ずにいた。

堤体の南側に何も無ければ、とうぜん太陽光は届いている。
しかし、堤体の南側には山が。さらにスギの人工林が広がっていて、それらがお日様の光を遮っている。

念のため、滞留土砂の上に乗って確認したが、やはり原因は太陽の高度不足。

ここの堤体を知らなすぎた・・・。

ルームサービス

腕時計を見る。いつの間にか過ぎていた正午。普段から聞き慣れている沼津市歌の防災無線がカケラも聞こえなかったのは風向きのせいか?

滞留土砂上の風は達磨山から海のほうに向かって吹いている。風は2.0m/s位いになったり0.0m/sになったりを繰り返している。堤体前にまた下りることも考えたが、とりあえずはメシにするかと山を下りることにした。

向かった先は、丸吉食堂。
入り口で消毒と検温を済ませ、2階に上がらせてもらう。窓の外にはこれ以上無いくらいに青く光る戸田湾の海が見える。
大好物のメギスが誘った「ドン底丼」をオーダーし、出来上がるのを待つ。

となりの席ではまだ幼稚園の年少さんにも満たないような子どもが母親、父親といっしょにバカでかいタカアシガニを食べている。この店の姐さんがしっかり横について、キッチンばさみを片手にカニの身を露出させては手渡し、夫婦子どもが順番にそれを平らげていく。

「食堂」の名を冠した店で姐さんの装いはエプロン姿だが、やっているサービスは高級ホテルのルームサービスに何ら変わりは無い。自分も人生の成功者になったら、アレを食べることにしよう。

やがてこちらにはドン底丼が運ばれてきた。期待を裏切らないウマさだった。大好物だもの。
高級品もリーズナブル品も揃う店がわかったところで、ドン底丼を完食したところで代金を支払い、退店。車に乗り込み、再び山を登った。戸田しんでん梅林公園駐車場まで再び戻り、車を停め、入渓は午後3時頃にすることとし、それまでは車の中で休むことにした。

丸吉食堂
ドン底丼
戸田湾

午後3時

午後3時。準備を整え、再び急勾配の坂を下りる。

沢に入渓すると、風が感じられる。風速計を取り出して計測すると風は2.0m/sから4.0m/sほど。
「2.0m/sから」というのが午前中と異なっているところで、今回は「断続的に」吹いている。

風速計をフローティングベストのポケットに仕舞い、今度はVメガホンをバックから取り出す。セットして声を出してみると、

鳴らない。

鳴っているという感覚が得られない。

放水路天端から落ちる水の音、堤体前を吹く向かい風、自然環境が生み出す物理エネルギーに自分の声が負けてしまっているのか、全く声が響かない。

そういえば午前中の風速計測の折りに銘板の画像撮影もしていて、その時この堤体が高さ14.0メートルであったことを思い出した。

いままで、この堤体について見た目上の美しさばかりを気にしていてその「大きさ」のことをあまり考えてこなかったが、その数字(高さという)を意識すると、そうとう上背あるものを相手に勝負を挑んでしまっているのだということがようやく自分の中で理解できてきた。

堤体が鳴らなくて、その事をわかって、何が原因かと考えればやっぱり相手が格上であるということ。

鳴らぬ堤体前に呆然と立ち尽くし、構えていたVメガホンを降ろす。為す術なくなった音の敗者は堤体をただただ見上げる。

勝者となった堤体はそんな呆然と立ち尽くす一人の男のことなどお構いなしに、水を落しつづけ、風を吹き下ろし、悠然と構えた。時折、渓畔林として生える木々の梢を揺らしながら、遊んでいるようであった。

こちらは勝負を真剣に挑んだつもり。しかし、相手にとっては鎧袖一触の敵だったようで、もはやケンカにすらならなかった。

午後4時半。これ以上ここにいてもどうしようも無いと思い、退渓。
リベンジ、というにはちょっと力の差がありすぎるような相手。
さて、どうするか?

風は断続的に吹いていた。
雉ヶ尾沢川第4号堤
このようなタルの音がさらに加わる。
堤体全景。

吹く風。

10月30日金曜日の夕方。いつものように居酒屋のアルバイトである。

金曜日の夕方の居酒屋というのは忙しい。翌土曜日が休みだというお客が大挙してやってくるため、その対応に追われるからだ。

今日は立派な社会の労働者、明日は転じて家でダラダラ瘋癲(ふうてん)のように過ごしていたって構わない。

焼酎、ウイスキー、サワーはあちらのサーバーからどうぞ!

酔いつぶれるほどの、天頂から浴びるほどの酒が用意されている中、飲み放題の宣告を受け、お客の気分はハイテンションモードに突入!
翌日の心配が無くて、酒は無限にあって、肴はサザエやら牡蠣やらホンビノスやらホタテが控えている。

好き放題、飲み放題、騒ぎ放題の店内。

お客に出す食材を用意したり、テーブルまで行って案内をしたり、予約の電話を受けたり(←コレ、いま政府がやっているGo-To!ナントカでかなりややこしい。間違えて代金取りっぱぐれなど起こさないように注意!)といろいろ大変なのだが、お客の喜ぶ表情を見ながら、元気付けられながら、今日もありがたく働かせてもらっている。

微臭。

そんなこんなで今週金曜日も店は大繁盛。そして最後のお客も帰り、無事閉店。閉店後は後片付けが待っているのだが、金曜日の夜は翌土曜日の準備も兼ねているため、他の曜日と若干やることが異なってくる。それらを順番に一つ一つこなし、どうにかこうにか全て終わらせることが出来てさぁ時計を見れば!?

時刻は午前0時。
日付は変わって10月31日。
勤務先で迎えた日付変更。

外に出れば、
微風。
今日は?
微臭。

これは、自身の衣服に染み付いた魚介類の煙のことでは無くて、まわりの空気のこと。

静岡県東部、人口およそ18万人のまち沼津市。田園都市には町の風景と田舎の風景が混在する。町の風景としてはJR東海道線沼津駅前の商業地とそのまわりに散らばる大手企業の工場&住宅地。

田舎の風景としては海に隣接する地域(内浦・西浦・戸田)の漁村の風景、そこから山の急傾斜地を見上げればあっちの山もこっちの山もミカン畑。狩野川を挟んで海沿いには玉砂利の浜とクロマツの防砂林が続いていて、そこから内陸部に入り込んでいくと沼川を挟んで水田地帯が広がり、さらに行くと今度は愛鷹山山麓の茶畑。

これだけじゃ無い。まだまだある。

目には見えない田舎の風景

畜舎の匂いがする。

今日はこれが微かに匂う微臭程度。日によって全然匂わないときもあれば、強く匂うときもある。

沼津市は首都圏からの観光客も多い。私のような田舎者がその首都圏に出掛けたとき、立ち並ぶマンションや高層ビル群、その間をすり抜けるように進む鉄道網、下車すれば駅ビルなんだか商業施設なんだか境目のよくわからないエリアがあって、そこを当たり前のように行き来する人々。いつも思う。

よくこんなところに住んでるな。と。

でも逆にそんな首都圏に住む人々が、観光でこの地を訪れ、この匂いを嗅いだらどんな反応を示すのか?

生まれてこの方、(もしかしたら!)これを嗅いだことの無い平成二桁生まれの子たちもこれからはもう立派な社会人だ。
近くのコンビニエンスストアに駆け込んで、

「外で妙な匂いがします!」

くらいだったら良いけれど、

「すみません、警察ですか?外で刺激臭がします!」

なんてことにはならない?

ん~、夜では写らない。

最近、教えられたこと。

全然匂いがしなかったり、微かに匂ったり、強く匂ったりが日によって異なるのは何故か?

風。

やっぱりこれ。海に隣接する沼津市というのは、気象学的に言うと海陸風(かいりくふう)という風が吹く。
基本的には夜の風は山から海に向かって吹き下ろすのがセオリーとなっていて、畜舎の匂いもその海陸風によって山の上から運ばれてくる。

強く匂いのする日というのは気象学の教科書通りに自然現象が進行し、なおかつその風向きがぴったり合っているということ。

逆に匂いがしない日は海陸風がうまく吹かないような気圧配置になっていたり、風向きが幾らかずれているということ。

風を理論上では知っていた。しかし、それをリアルな台地の上でイメージすることにはまだまだ未熟であった。

最近、教えられたこと。
~海陸風でも日によって吹く方向が異なる。~

なので夕方、海陸風を探しに出掛けた。我入道海岸。
狩野川河口
港大橋から
黒瀬橋から
香貫大橋から
黄瀬川橋から

山の、堤体前を

牛様、酪農家様、ありがとう。

自身は砂防ダム音楽家。

音を扱うことについてプロでなければならない。
音は空気の振動だから、空気についてプロでなければならない。
空気について、「ただし、無風状態に限る。」といった、但し書きが果たして現実の山の環境中で通用するのかどうか?

???

これからは気温の低くなる季節を迎える。山の中では木も草も土も温度が低くなるし、谷沿いでは川の水が、石が、堤体本体が、渓畔林が低い温度で推移する。みんな冷たくなるというのだ。なのに、であるのに、

冬って、よく晴れる・・・。

太陽光がその低い温度で存在するものたちを急激に温める。すぐに温まってしまう比熱の小さいものと、太陽光が当たれど照らせどびくともしない比熱の大きなものが山の環境中には混在する。そうなればどうなるかといま考えているところ。

???どうなる?

山の、
堤体前を
吹く風。

河原小屋沢

そばとさぼうのセット

推理する楽しさ

10月26日午後1時、賀茂郡西伊豆町、入渓点となる仁科本谷林道入り口ゲート前で昼食の準備。
駐車スペースの一角には芝生が植えられていたので、そこに普段ウエーダーの収納として使っている大型ボックスを置き、折りたたみ椅子をセット。

同町内、仁科川河口近くのコンビニエンスストアで買ってきたザルそばとおでんを大型ボックスの上に広げる。さらに健取水場の青い看板が目印「わさびの駅」で購入してきたミネラルウォーターと煮卵も加わる。

まずは、ザルそばの麺をほぐすために少量のミネラルウォーターを加え、軽く混ぜ合わせる。そしてめんつゆを専用の容器に出せばあっという間に準備完了。さっそく麺に箸をつける。

うまい。

ザルそばの麺はさすが大手コンビニチェーンの製品といった感じ。いつ食べても間違いなくうまい。もう10月も下旬になってしまったが、まだまだ屋外でこれが食べられるほどの暖かさは残っている。

※仁科川源流域のせせらぎを聞きながら錦秋前の山の昼食を楽しんだ。

※地理院地図の表記に従い、「仁科川」とした。呼び名が合計3コあり。詳しくは、以下本文にて。

天城深層水で麺をほぐす
この日の昼食。おでんのたまごは、
こちらから。
仁科本谷林道入り口ゲート
Go-To!ゴミバコキャンペーン

スダジイ

昼食を終えて、入渓。と、その前にわさびの駅で教えてもらった宮ヶ原・天神社のスダジイの見学に行くことに。

ザルそば、おでんの容器、残り汁などをまとめ、大型ボックス、折りたたみ椅子を車に積み込み、わさびの駅に向かう。そのままわさびの駅まえを通過し、200メートルほど走ると宮ヶ原公民館と防災無線の鉄塔が見えてくる。

車はそのあたりの道幅の広くなった所、かつ民家の真ん前を避けられるところを選び抜いて駐車し、神社に向かって歩いた。神社の前には西伊豆町教育委員会の名で案内の塔が立っており、塔を見つけたらそのまま南のほうに向かって小道に入る。

すぐに現れる神社の鳥居と石段を登り始めると、巨木の存在が確認できた。巨木の樹種、スダジイは石段を登りきって右側すぐのあたりに。幹は非常に力強く、太く、スポーツマンの手足に浮き出る筋繊維のような彫りを伴って高くのびている。

自身の頭のてっぺんが水平になるくらい首を曲げてもその葉が確認できるにはほど遠く、したがって幹の低いところから出ているひこばえの葉を観察する。ひこばえの葉がやたらと大きく見えるのは遠近の差でも何でもなくて、どうやら巨木の低いところほど大きな葉が付くことになっているようだ。

実際、幹の中段あたりから出ているひこばえの葉は中くらい、木の枝先、つまり一番高いところに位置する木の葉はどれも小さい。
低いところには大きな葉が付いて、上に行くにしたがって小さくなっていく。

上は光合成に対して余裕綽々だから小さくても良い。下は影になりやすく、光合成に対して必死だから大きな葉を付けないといけないといったところか?
木は何百年いきていても意識はしっかりしているようである。この地に根を下ろして村人の生を何世代も見守り続けてきたようだ。そしてそれは、これからも続くことなのであろう。

宮ヶ原・天神社のスダジイ
ひこばえを観察する。
幹を観察する。
昭和八年拾月 石段改築記念碑 こちらも見事。

呼び名が3コ

スダジイの見学を終え、再び登ってきた石段を降り、車に乗り込む。再び仁科本谷林道入り口ゲートを目指す。途中、名郷橋を渡って以降は仁科川の流れを右下に見ることになるのだが、今日はしっかりと水が流れている。

今日は・・・、というのはこれから冬のシーズンにかけてこのあたりが伏流することを言っている。このあたりは別名「音無川」と名が付くほど季節によっては水が無くなってしまうのだ。水は見えている川石よりもさらに低いところを流れる伏流水となって下流へとつづく。

そして面白いのが、伏流が起こるのはこの名郷橋(本谷川起点の看板有り。合計で呼び名が3コあることが発覚!)の周辺であるということ。これまで仁科川と県道59号線は、近くなったり遠くなったりしながらも概ね並行するように続いて来たのだが、県道59号線が東進から西進に変わるヘアピンカーブのあたりを境に両者は離ればなれになってしまう。

県道59号線にだけ沿って走るハイカーは「源流域」の「非常に乏しい流れ(というより伏流)」を見て、

あぁ、源流域ともなるとこんなものなのか・・・。

という思いに陥ってしまう!?のかもしれないが、実際のところはもう太平洋なのに地平線に沈む夕日を見せてしまう西伊豆町のこれまたスーパーイリュージョン・自然現象完全フェイクであって、県道59号線のヘアピンカーブを曲がらずに仁科川と並行するように続く林道に入っていくと、いつの間にかちゃんとせせらぎを鳴らす仁科川に再び会うことが出来る。

なかなか面白い現象だと思うのだがいかがであろうか?

当日の県道59号線と仁科川

グリーンモンスター

仁科本谷林道入り口ゲート前に到着。準備を整え、目指す谷に体の正面を向ける。地理院地図上の流れは2本。北東方向に川上を見る仁科川本流と南東方向に川上を見る一本の沢。過去に、前者には入ったことがあったので、後者を選んだ。

新規開拓の遡行。未知の領域に入っていくことになるのだが、恐怖心は無い。そこがスズメバチの激戦区であったとしても、今はもうその心配はしなくていいのだ。

午後2時半。まずは仁科川本流の流れを横断する。川石にはピンク色のスプレーで矢印がマーキングされていた。そのままマーキングに従って川を横断し、そこから続く廃道おぼしき道を進む。道は当初、沢と離れていたが進むにつれて接近。一基目の堤体を前に出会うことが出来た。

伏流。

水が流れていない。すぐに頭をよぎるのは先ほどの名郷橋周辺のこと。季節によっては伏流するはずの川にはしっかりと水が流れていた。全体的にいえば今は“川に水が流れているシーズン”のはずである。

そんな中での伏流。ならばこの沢は恐らく四季を通じてほとんど水が流れないそれであるということ。台風通過前後や梅雨時期などには流れている姿を見ることが出来るのかもしれないが、一年のほとんどは伏流で推移しているということが予想できた。

その事実を裏付けるかのように現れたのが二基目の堤体(冒頭の画像)。堤体の水裏にびっしりとコケを生やしたグリーンモンスターであった。

一日を通じてほとんど太陽の直射日光が当たらない、落水によって泥を被らないなどの好条件がそろわなければここまで綺麗なグリーンは見ることが出来ないであろう。
少なくとも直近数ヶ月~数年程度にその状態がつづいた結果が「色」の濃さとなって現れている。

矢印に従う
サンショ沢、大入沢との文字が。
一基目の堤体

丸腰の相手

歌うより前にふと堤体を巻いて水表側を見てみる。

満杯になった滞留土砂。

大雨時にはやはり砂防インフラとして機能しているということか?

年毎による砂防機能の発動回数が気になる。

取り付けられた銘板を見れば、堤体の建造は昭和57年。
およそ38年の歳月のうちに大規模な土砂の移動は何回おきているのであろうか?0回では無いことは満杯になった滞留土砂が物語っている。過去には、何回かそれがあって、でもここ最近はご無沙汰なのだということをこんどは堤体水裏のコケが物語っている。

一つの堤体が受けた境遇をまわりに転がるヒントを拾っていきながら推理していく。そんなことが何とも楽しい。

堤体に向かって声を出すと当然ながらガンガン声が響いた。落水などによって抗ってくることも無い堤体を相手に歌って何が楽しいかといえば、そっくりそのまま落水の無い状態での響きを確認できることが楽しい。

通常、落水という「武器」を持った相手と戦うことを砂防ダム音楽の主旨としているから、それらを全く身につけない丸腰の相手を前にして、事前に研究をしておくのは非常に有意義なことであるのだということが最近わかってきた。

これは戦いの序章で有り、でも今日の日の砂防ダム音楽を楽しんでいるということなのである。

途中休憩などを挟みながら午後4時までゲームをし、15分ほどの行程で駐車していた車まで戻った。そのあと、西伊豆町の大浜まで走って水平線に沈む夕日を眺めたのち、町営温泉施設の「なぎさの湯」に浸かって温まった体のまま、「茶房ぱぴよん」に立ち寄り夕食をいただく。

頼んだメニューは煮込み磯そば。

一日の締めくくりは本日2食目のそばと、茶房(さぼう)のセットで迎えた。

なぎさの湯
ぱぴよん
煮込み磯そば
山本敬三郎氏は第44~46代静岡県知事
アカメガシワ
堤体全景。

川金川

海名野橋

10月15日、賀茂郡西伊豆町仁科川沿いの県道59号線を大沢里方面に向かって走っていた時のこと。時刻は午前9時。
仁科川に架かる橋としては河口から数えて3本目となる「海名野橋」。その海名野橋の手前には道路に引かれた白線と、仁科川に沿うように設けられたガードレールが続いていて、両者の間に幅1メートル程度の比較的ひろくなったスペースがあった。

普通乗用車を駐車するには、少々窮屈(白線より内側にはみ出してしまう。)な幅。しかしそれ以下の車両については強引に駐車できてしまいそうなくらいに確保されている。そのスペースに老人の座るシニアカーが停車し、なにやら川のほうを覗き込んでいたのだった。

道路から川本体までは数メートルの落差があって、これは転落事故でも起きているのかと想像に背筋をヒヤリとさせたのだったが、自身も車を停車して道路を跨ぎ、確認に急ぐと河原には4人ほどの人がいて、椅子に腰掛ける姿が目に入ってきた。

手にはしっかりと釣竿が握られていて、目の前のチャラ瀬に何度も何度も仕掛けを振り込んでいる。流す浮子を見つめる目は真剣そのもの。時折その握った釣竿を反対側の手に渡しかえて今度は柄杓を持ち、やおら撒きエサをまいてはまた釣竿に持ち替える。

おぉ。

見るに、撒きエサが通常のコマセ状になっていないことには自身の釣り歴からすぐに明らかになった。

どうも撒きエサは磯釣り師などが海で使う“オキアミ汁”をここでは使っている様子。磯釣り師が使うオキアミ汁は、クロダイやメジナに食わせるための撒きエサを外道であるコッパ(メジナの幼魚)などが貪り尽くしてしまうために使用する。文字通り“水増し”したオキアミ汁で撒きエサの節約を図るのであるが、この汁には狙いの魚を臭いでしっかりと集めつつ、しかし付けエサをしっかりと食わせるための満腹感は相手に対して与えないというメリットがあり、釣りの対象魚によっては非常に有効な手段として用いることが出来る。

ちなみにこの場所での対象魚とは鮎(アユ)のことだとも目視で確認。で、あるものだから・・・、面白い。清流の女王とも言われる魚は、はるか1万キロ以上も遠くの海域で採れた南極産冷凍オキアミに狂ってしまっていたのである。

橋の下には大量のアユが。

近くで見てみたく

釣りの様子を近くで見てみたくなり、河原に降りることにした。車を近くの駐車スペースに置き、ウエーダーを履く。釣り人らが腰掛けているあたりは水路を跨いだ中洲になったところで、最低でも長靴を履かなければ行けない。

海名野橋を渡ってから上流方向に少し歩き、河原に降りられるスロープから入渓する。スロープの降りたところには横浜ナンバーのRV車が停められていた。
川の活況を知る者は、なにもこの地域の人々に限ったことではないようである。

橋の下をくぐって水路も渡りきり、中洲に立った。ほぼ等間隔に腰掛けた釣り人たちは、小さな浮子の付いた仕掛けを振り込んでは流し、また振り込むという動作を繰り返している。そして時折、釣竿を柄杓に持ち替えてはオキアミ汁をまいて、また仕掛けを振り込む。仕掛けなどは微妙に違っているのかもしれないが、河原に並んだ4人全員がいちようにこの釣法で同じように動作を繰り返す。

釣果的には、わずか数分の間隔を置いて4人のうちの誰かの竿が曲がるという好調ぶり。15センチくらいの型を中心に、時折20センチオーバーの良型も混じる。
釣り人の一人に話を伺う。

「自分もやったらどうだ?」

私が話しかけた地元師はその仕掛けからエサから釣り方から親切丁寧に教えてくれた。何も隠すことなく堂々と。
どうやら川に限らず海にもしょっちゅう繰り出す太公望のようで、今シーズンはイサキを500キロほど釣ったとも語ってくれた。
田舎に暮らせば、リアルに釣りバカ日誌のハマちゃんのような生活が出来るのだと、非常に甘い匂いを嗅がせてくれる「粋な」地元師に出会うことが出来た。

これから一色枕状溶岩を見に行こうと思ってます。

「あぁ、でも大して面白くないよ。」とは地元師。

流す浮子を見つめる目は真剣そのもの。水底を這うように流れるオキアミを頭の中でイメージしているのかもしれない。邪魔はこれ以上せぬようにとその場を立ち去ることにした。

釣れたばかりのアユ
ビクの中はご覧の通り
のんびりと

奥川金橋

アユ釣り見学を終えたあとは仁科川沿いをドライブ。
仁科川第三発電所の放水路を見たり、同第二発電所の取水口を見たり、「健」の看板が目を引く「わさびの駅」を見学したりした。

そうこうしているうちに午前中の時間はあっという間に過ぎてしまい、迎えた正午。伊豆半島ジオパークの一つである「一色枕状溶岩」見学者用駐車場でヴェルナー作曲のHeidenröslein(正午の時報)を聞くこととなった。

今日はここから約1.2キロの山道を歩いて堤体を目指す。その1.2キロの区間は特にゲートなどがあって車両封鎖されているわけでは無いのだけれど、山道が並行する川金川の渓谷美と付近に生える樹木の観察をじっくり行うことを目的として歩くことにした。

温度計を忘れてきてしまい気温は測ることが出来ないが、坂道を歩けばそれなりに暑くなるであろうことは予想できていたためウエーダーに半袖、その上にフローティングベスト、手にはウォーキングポールを握り、Vメガホンの入ったバックを背負った。さらに今回は前回の田沢川でほとんど活躍できなかったウエアラブルスピーカーを頭に装着。

もちろん今回こそはその実力を発揮してくれるものと期待しながらの装着であった。

一色枕状溶岩の見学者用駐車場前で一枚記念撮影をしてから歩きはじめる。川金川を左手に、山の切り立った斜面を右手に見ながら道は続く。
川沿いに生える木を見ていると全体的に多いのはやはりスギであるが、コナラも多い。

コナラはあまり幹の太くは無いスラッとしたものが多くて、これはどうやら人工的に植林されたもののようである。
針葉樹&広葉樹の人工林の下に延びる山道を歩き続けた。堤体直前地点にある「奥川金橋」には午後1時40分に到着。普通に歩いて来るよりもおそらく3倍以上の所要時間をかけて到着した。橋から川金川の谷を覗くと奥に堤体を1基確認することが出来る。

仁科川第三発電所
仁科川第二発電所(取水堰)
わさびの駅
見学者用駐車場から歩いてスタート

再検証してみると

この堤体が今回の目的地。そしてこの奥にさらにもう一基、堤体があるので今回はそちらも目指すこととする。
まずは手前側の一基。その堤体前に降り立つと、堤体までの距離が近すぎることがわかった。

堤体の水裏から最大離れようとしてせいぜい30メートルほど。これでは近すぎて良い響きを聞くことが出来ない。
実際声を出して確かめてみるとこれがまさに予想通りの結果で落胆した。

それではと今度は奥側の堤体へ向けて歩き出す。崩れかかっている斜面に注意しながら進み、一基目の堤体を巻くと2基目の堤体前に出ることができた。こちらはおおよそ100メートルほどの空間が確保されていて、その間で堤体までの距離を自由に設定することが出来る。

目測で水裏から40メートルほどの距離に立ち声を出してみると、こちらはうまく響いてくれていることがわかった。両岸とも比較的急な勾配が形成されていてとにかくその勾配の「上」に声を届けるようにして歌うのだが、期待通り山が響きを返してくれていることがわかった。

前回、不発だったウエアラブルスピーカーも見事に機能してくれていて非常に心地よい。上から降りてくる音(と言っても非常に速いものだが・・・。)を拾うのには、上だけに耳を澄ますように集中していたいのだ。それが出来ているという点で良かった。

この日は午後4時頃まで堤体前で過ごし、その後退渓。

さて、後日談になるのだが日付は10月19日。画像データの一部を誤って消去してしまったために再び当地を訪問することに。当日の天気は雨。画像撮影さえ出来れば十分であったが、やはり研究のために堤体前に立って声を出した。

対象とした堤体は1基目の堤体。奥川金橋の右岸側つけ根付近に立って声を出すと見事に響いてくれた。堤体本体からある程度の距離が確保されたことでようやく成果を上げることが出来たのだと思う。

これで1基目の堤体でも楽しめるのだということが、一応は(堤体が見え辛いのが難点。)確認できた。
砂防ダムの「どうせあるなら楽しんじゃおう派」としてはなるべく堤体を無駄にしなくていいようにと思っている。簡単にダメ!と言ってしまわないように検証はその時々でしっかりと行っていきたいものだと反省したのだった。

ハゼノキ
コクサギ
キブシ
奥川金橋
奥川金橋から堤体を臨む。(奥に見える白いものが落水。)
1基目の堤体
2基目の堤体
1基目の銘板。2基目は昭和41年完成。
一色枕状溶岩(再訪時)
奥川金橋の右岸側から(再訪時)



突かれながら、打たれながら

作る&体調不良で籠もった。

10月9日。外は台風14号通過前。体調不良もあって家に籠もった。
何をするかはもう決まっている。新しく導入するBluetoothスピーカーの初装着だ。

あらかじめ買っておいたBluetooth本体と通信販売で購入した帽子、手芸店で購入した綿テープなどの材料を集め、さらに裁縫セット、電気ミシンなども引っぱり出し制作の準備は万端。

あとはあったかいコタツがあれば完璧(作業台としても)なんだが・・・。

気が付けば、10月に入ってもう2週目。そしてその2週目も終わりに近づいている。日中の気温はここ一週間でぐっと下がり、気温を測ってみれば室内で19.5度。20度を下まわっている。

自身の服装もそうであるし、部屋の模様替えもそうであるし、そろそろ冬支度をしなければいけない。

今日は午前中~午後1時くらいまでは制作物づくりに時間を当てるこことし、そのあとは衣類や部屋まわりの冬準備にあてることで一日を過ごすことに決めた。(はずだった・・・。)

スピーカーはIPX4レベルの防水性も兼ね備える。

上。上。

さて、Bluetoothスピーカーであるが、今回は帽子に取り付ける。ご覧のような商品を用意したが、こちらは本来くびの後ろをまわして肩に掛けるようにして使う「ウエアラブルスピーカー」と呼ばれるものである。

ところで私自身、今年の6月にVメガホンを導入してから3ヵ月ほどが経った。音楽の楽しみ方はさらに幅広いものとなり、例えば声を発するときの「方向」には大きくこだわるようになった。

方向は多くのケースで「上」。

上を目指して歌うのはVメガホン導入前からのことであったが、導入以後は特に意識して取り組むようになった。

声を発するのも、上。
声を聞くのも、上。

そうしていく中で、伴奏の役割を果たしているBluetoothスピーカーが胸元にあるということだと、これがどうも都合が悪くなってきた。
声を発するという行動、声を聞くという行動、ついでに言うと視線の先には放水路天端や遠くの景色がある。

全ては自分の背丈よりも上にあるものを目指しているわけだが、それだけに伴奏の音だけが胸元という低い位置にポジションしているということが合わなくなってきていたのだった。

声を発するための「口」も、声を聞くための「耳」も、放水路天端・遠くの景色を見るための「目」も、全ては自身の「顔」という、つまり全身の一番高いところにあるのだから、Bluetoothスピーカーもなるべく高い位置で鳴ってくれるのがベストであると(仮説として)考えた上での変更。

制作にあたっては普段、裁縫道具なんて触りもしないものだから当然のごとく悪戦苦闘。それでもなんとか形にすることができて満足。これで次回の堤体が楽しみだ。

旧型。これを頭に乗せてやったりしてたので、必要性を感じていた。

やはり、・・・です。

午後1時半。自宅を出て車のエンジンを掛ける。さて、こんな急の寒さじゃあユニクロもニトリも人でいっぱいであろう・・・。それは良くない。
それに、何より

早く実戦で試してみたい!!

さきほど作ったばかりの制作物を持った体調不良者は、生活圏である沼津市を抜け、伊豆の国市、伊豆市と車を走らせた。
途中、やはり狩野川とコンタクトする場面が何度かあるのだけれど、それはそれはいかにも台風到来前で増水した川の姿を見ることになった。

まぁ、あそこなら入れるだろう・・・。

伊豆縦貫道は大平インターチェンジで降り、左折。田方南消防署前で右折。雨に叩かれながら県道349号線を南下し、しばらく走る。つい最近、社会問題が明らかになった柿木川であるがその川の出合も対岸から眺めつつ通過。そのまま雲金、矢熊と進み、田沢の集会所前、ヘアピンカーブのごとく折れる左折道で曲がり、坂を登った。

途中、田沢浄水場前で道路の一部が蛍光オレンジに染まっていてこれは何事かと驚いたのであったが、その上をちょいと見上げればキンモクセイの木。キンモクセイの花が派手に散らされてしまっていたのであった。

台風通過前、大地を叩く雨は決して弱くは無い。

田沢浄水場前のキンモクセイ

ジャラジャラ、ガラガラ

午後3時前、準備を整えいつものケヤキの木に向かう。ここは幅2メートルほどの水路に立ち入るとき、「木」に頼る。木は護岸の途中からニョキッと生えていて、それに足を掛けながら、幹に掴まりながら段差を降りるのだ。

水路に立つといつも以上に水が流れていることがわかる。台風通過前の降水で明らかに水量が増しており、その水が圧力を伴ってウエーダーのブーツを押してくる。音響的に言ってもかなりのお祭り騒ぎで、床止めに埋め込まれた割石のひとつひとつに水が絡まり、自然河川では瀬が発するようなジャラジャラともガラガラともつかない音をとても威勢よく、断続的に鳴らしている。

ケヤキの木から100メートルも遡れば堤体前だが、結局そこまで遡りきってもそのジャラジャラ、ガラガラは変わること無く、それどころか堤体の落水が床止めに直接打ち付ける(「水叩き」の)音がさらに加わり、非常ににぎやかな空間へ登場することとなった。

こんなんで本当に大丈夫か?

今日もお世話になります。
ジャラジャラ、ガラガラ
ヒノキの枝の下をくぐりながら進む。

台風通過前の渓

右岸側に落ちていた米俵サイズの石の上にVメガホンの入ったバックを降ろし、中身を取り出す。取り出したら組み立てて、取り敢えずは左脇に挟む。そして空いた右手で待望の!Bluetoothスピーカーの電源を入れ、さらに伴奏データの入ったボイスレコーダーも電源を入れる。
早速、ボイスレコーダーで「機器接続」してみると・・・?

ん?何も聞こえない・・・。

だが、どうやら機器接続は完了しているもよう。続いて曲を選び出して「再生」ボタンを押す。

何も聞こえない・・・。

スピーカーの右手側、ボリューム調整で「+」を押し続けるとようやくverborgenheit(フーゴ・ヴォルフ)が聞こえてきた。すかさず声を合わせてみると、

今度は全く響きが聞き取れない。

それも皆無!と言って良いほど。

これまでにこの堤体には何度も来ているが、こんなに響かないのは経験した覚えが無いというくらいのレベルの酷さ。スピーカーを被ることで、耳を傾けるのは上方向だけに集中できているというのにも関わらず、芳しい結果が返ってこない。

う~ん。原因は?

水が床止めの割石にぶつかる音が大きい。さらに水叩きの音も加わる。こういった音に自分自身の声が飲み込まれてしまっているからなのであろうか?うるさいことは確かだが、こんなにも響きが聞き取れないような音の力関係になったのは久しぶり。台風通過前の渓を完全にナメきっていた結果が出たか?

いやはや制作物のテストということで軽い気持ちで入った田沢川であったが、どんでん返しを食らうことになってしまった。自然界から放たれる音に完敗を喫するハメに。

こんなことがあるから砂防ダムの音楽はおもしろい。簡単に響きが作れるようだったらつまらない。

っていう、これが一つの醍醐味でもあるのだけれど・・・。

やはり全く声が響かないのではここまで来た甲斐が無いし、次の機会には苦手意識が残るような気がする。

午後4時、依然としてジャラジャラ、ガラガラ鳴り続ける水に耳を突かれながら、雨にも打たれながら敗戦の渓を後にした。

スピーカー正面から
スピーカー横から
インナーにはミドリ安全のINC-100を装着。
雨に対する耐候性は確認できた。
堤体前の床止め(護床工、帯工とも)
まだ紅葉には早い。(イロハモミジ)
堤体全景

大好き河津町!vol.10

9月26日午後3時、まずは河津川河口にて板きれを探すことに。

海は数日前、通過した台風12号(9月23日午後9時、八丈島の東130キロの海上を通過)の影響で大シケであったはず。
妙に期待して河津川河口右岸の駐車スペースに車を停めた。

うーん・・・。

予想に反して、漂流物(とくに木!)が少ない。ここは大雨の後だと流木が貯まりやすい印象であったが、当日は画像の通りの貧果!?

大雨?ん?

今回の台風では目立って雨が降らなかった。考えてみれば流木の供給源(山!森!木!)が豊かな河津町にあっても、肝心の輸送インフラが力無いようでは最終到達地点に物資が不足してくるのは明らか。これでは流木は少ないはず。川を専門としていながら、そこまできちんとイメージ出来ていなかった。

楽勝予想が一転、しゃかりきになって板きれを探すことに。

結局、板きれは見つけることが出来ず代わりに長さ30センチほどの角材を2本、なんとか見つけ出し河津川河口をあとにした。

河津川河口から今井浜方向を望む。
浜橋
大きすぎるベニヤ板をめくるも湯はあらず・・・。残念!

いつもそうなのだ。

河津川河口をあとにして次に向かったのがフードストアあおき河津店。今夜の食材を買いに店内に入ると自動演奏のピアノがお出迎え。そのピアノの脇を通って店内に進む。

鮮魚コーナーは店の入り口から入ってまっすぐ進んだところにある。そのあたりのショーケースにはいつもお造りが並んでいて、例えばウナギははそこから左に曲がったカドのあたりにいつも置いていて、そこからさらに右に曲がったところにはいつも頭付きの魚が置いてある。そうして頭付きの魚の売り場前に立つと、いつもそうなのだ。いつも深紅の魚がそこには並べられているのだ。

キンメダイ。

あおきの鮮魚コーナーのキンメダイはほかのアジなどと同様、発泡トレーに乗って売られている。大きなグリグリの目をしていて、色は深紅の赤。身が太くて、それでも若干強引に包装ラップを巻いてしまっているから、それはそれはショーケース内でひときわ目立つ存在だ。

そんなやつが1匹、2匹、数はその程度かと思いきや、5匹とか6匹とかそれ以上を常に並べているというからこれまた驚き。
サイズも中型、大型、変化をつけて揃える充実ぶり。ちなみにキログラムあたりの単価は違っている。大型のほうは脂の乗りが良いためより高価なのだ。

ここは都内の高級スーパーか!

初めはそう思ったが、今となってはこれを見なきゃあ「食文化のパラダイス」に来た気がしない。あおきのいちユーザーとしてこの店の看板はなんだろう?と考えたとき、おのおの考えはあると思うが、私にとってはこの魚こそがその称号を与えるにふさわしい、店を象徴するような商品であると今では感じるようになった。

初めて手にしてみたけれど、左手で掴まないとおっかないな・・・。

パックされた魚はみな顔を左に向けている。右手で掴み取ると魚の重みでトレーは若干グニャリとしなったのだ。トレーの重心は右側の尾のほうで無く、左側の頭のほうにあるから、これを手にするときは左手で掴まなければいけないのだ。

おお、勉強になった!

食文化のパラダイス

河津七滝オートキャンプ場

あおきを出たあと、塩田屋にも寄ってフルーツサンドを買ったのち堤体に向かった。本日入渓するのはおなじみ荻ノ入川。

場所は河津七滝オートキャンプ場より少し上流の地点にある「荻ノ入川砂防ダム」。塩田屋の駐車場を出て、国道414号線を新天城トンネル方面に。奥原川にかかる梨本橋をわたって道なりに少し上がっていくと河津七滝ループ橋を目前に右折ヵ所がある。

観光客向けに立てられたいくつもの看板が指し示すとおり、ここを曲がると河津七滝と河津七滝温泉。温泉街を抜け、初景橋、前之川橋をわたると道がほぼ直線状になった。荻ノ入川の流れを聞きながらそのまま河津七滝オートキャンプ場前も通過し、400メートルほど走ったところで現れるのが地蔵群。車は地蔵群を越えてから道幅の広くなったところを見つけて駐車した。(道は主にワサビ農家の方が往来するので、通行スペースを空けて。)

車を降りて準備に取りかかる。本日は夕方ゲームでの入渓である。
地蔵群の道を挟んで反対側には荻ノ入川砂防ダムが確認出来る。堤体の真横は傾斜がきつすぎるため僅かに下って、ガードレールの切れ目から、おそらく釣り人が付けた踏み跡にしたがって斜面を下りた。

堤体上にある銘板

三面護岸の壁面

斜面についた踏み跡は堤体のほうに向かって付いていた。川岸まで下りきると堤体までは目測100メートルほどの位置に。立ち位置として、ほどよい距離感のところにピタリと案内してもらった。

早速、Vメガホンをセットして声を出してみる。

川幅はおよそ20メートルで、両サイドの川岸にはすぐにスギの人工林。響きを作るための重要要素は遠すぎないレンジで歌い手に近寄ってきてくれているから、声は確実に(そのスギの木々に)届いているのだと信じて歌に臨みたい。

そしてここは堤体水裏より20~30メートルの区間が三面護岸化されている。護岸の底面には不思議と川石が乗っておらず、壁面は両サイド異物なくガラ空きであるが、ここの壁面も声を響かせるための重要な要素であると認識しながら歌い進める。

基本的な響き作りは渓畔林だけを用いるのが上級者であると思うが、響きが作り辛かったら無理なく三面護岸の壁面を利用して。事実、私の場合はここの三面護岸に頼りっぱなしで、補助的に機能してもらうというよりは声の当てどころとしてここばかり使っていた。

せっかく自然の中で歌うのだから、コンクリートの壁に向かって声を当てていくのは正直いっておもしろくないとも思うが、何よりまずは「歌」に対してリラックスして臨むことが大切であると思ったゆえ、響きが楽に作れる方をえらんだ。

つまりこの荻ノ入川砂防ダムは歌い手に対して「響きの場」を誰にでも、選ばず、平等に、用意してくれている。あせらず、無理せず、じっくりと堤体前空間での音楽を楽しめれば良いのではないか?音楽家でなかったとしても同付近を訪れた際はぜひここに立ち寄って、歌にチャレンジしてみることをおすすめしたい。

堤体全景。(当日)

ヘッドライトの光

辺りは徐々に暗くなり、午後5時半に退渓。駐車スペースまで戻って平服に着替えた後、荻ノ入川砂防ダムより下流側に引き返して「大滝七滝オートキャンプ場」に入庫。実は今回の砂防ダム行脚の終わりにキャンプをして帰ろうということで数日前、ここを予約しておいた。

受付で申込用紙に必要事項を記入し、予約していたサイトへ。

時刻はもう午後6時前。まわりのキャンパーはもうすでにコンロで火をたいたり、専用の釜に薪をくべるなどしてバーベキューをしている様子。
自分もそれに続け・・・、とも思ったがまずはその前にカニ滝(かにだる)を見学しに行くことに。

普段フローティングベストの背中ポケットに隠し持っているヘッドライトをやおら取り出し、頭にセットしてから温泉街のほうに向かって歩きだした。暑くも無い、寒くもない荻ノ入川の谷風を背中に受けながら、真っ暗な夜道をヘッドライトの光ひとつ頼りに歩き続けた。道は初景橋をわたり終えてから直後の出合茶屋前を左折。100メートルほど歩き、河原に下りられる階段をくだるとカニ滝の目前まで出ることができた。

ライトアップされるカニ滝。ライトのカラーはブルー。ブルーは医療従事者に感謝する気持ちを表しているという。
砂防ダムと滝とでは内容が違うが、同じ「落水」を取り扱ったパフォーマンスである。ライトアップの方法含め、しっかりと自分の目で確認した。

その後、オートキャンプ場に向かう帰路をたどる。途中、生えている樹木などもヘッドライトで照らして観察しながら、退屈することなくオートキャンプ場まで戻った。

フヨウの花
ヤブニッケイの実はパープライトのよう
赤くなり始めてきた。(ベニカナメモチ)
キブシ
カニ滝

暑苦しくない季節

オートキャンプ場に戻ると料理の準備。料理と言っても丸焼きの魚を作るだけ。魚はもちろん、

キンメダイ。(←あおきで買ってきた。)

河津川河口で拾ってきた角材を地べたの上に並べ、そこにイワタニ「炉端焼き大将」をセットする。炉端焼き大将は居酒屋アルバイトでのスキル向上のために購入したもので、ときどき自宅で貝や魚を焼いている。今日は過去最高サイズの魚で豪快に丸焼きを作る。ワクワクした。それでも、

あせらず、無理せず、じっくりと。

暗闇に光るガス火の炎を眺めながら両面合わせて40分。表面に少し焦げが付いたところで消火。

味は・・・、言うまでも無いほどの超絶品。

デザートとして用意していた塩田屋のフルーツサンドも美味しくいただき、その後は場内の温泉に入ったりしてゆっくりと過ごした。

就寝には寝袋を使って。もうこれでも暑苦しくない季節がやって来た。寝袋に巻かれながら思うのはまた次の堤体のこと。

次はどこに行こうか?

眠りの前、堤体前に落ちた一人の男は顔がニヤけていた。

キンメダイはあおきにて購入。
塩田屋
フルーツサンド
しっかり焼けた。
荻ノ入川砂防ダムの堤体全景。(晴れた日)

遠くの景色

画像左端にうっすらと利島、新島

9月21日、午前中は賀茂郡東伊豆町白田川河口のゴロタ浜に立つ。
正午までの天気予報は雨であった。しかし、天気予報によれば、そこからは晴れるという。とりあえずは、釣りをしながら陽気が差すのを待つことに。

以外と簡単に見えるもんだな。

海が穏やかで、遠くには伊豆大島、利島、新島などが見える。近視で眼鏡を掛けている自分、このテの「見える系」の話しは苦手なのだが、そんな私の目でもってしても見えてしまう見通しの良さが今日の海にはあった。

沖合には一艘の船。遊漁船と思われる。なにやらフルスロットルで走りはじめた。“鷹の目をもつ男”が鳥山を発見したか?

鷹の目をもつ男とは話が噛み合わない。一人、遠くの景色を楽しみ始めるのが常だ。

あぁ、鳥山が見える・・・。ナブラが・・・。
あぁ、シイラが泳いでる・・・。
おっ、釣ったな・・・。

・・・。見えないよ。全然。

私の目にも分かるのはあの船にはスパンカーが付いている。だからキャスティングのルアー船では無いということ。鳥山やナブラを見つけて航走しているのでは無いということ。事実ふねは熱川方向にむかって走り去って行った。

なにも釣れぬまま時刻は11時。午前船は沖揚がり、自分もゴロタ浜を揚がることにした。

伊豆大島はこんなにもはっきりと
熱川方向。白い建物は南熱川しおさい館
逆の稲取方向。伊豆急行が走っていたので一枚。

爆音!

白田川河口に植えられたクロマツを軽く観察したのち、河口部を離れる。
国道135号線まで出て、白田橋に向かって走った。その橋にさしかかる直前、黄色っぽい3階建てビルの様子をうかがうと、入り口前には小さな文字で書かれたホワイトボード、それに「営業中」のノボリが確認出来た。

いったん橋をわたり終えて、ぐるっとまわってUターン。さきほど確認したビルの駐車場に頭からツッ込ませて駐車した。

車から降りて入り口ドアを開けると、
掃除機の爆音!
これには拍子抜け・・・。
初見の店の緊張感もどこかへ消えてしまったところで2階に上がるよう案内された。

窓から見える白田川が綺麗だったので窓際の席に決め、椅子に腰掛ける。

窓の外には見下ろすように国道135号線と白田川と白田橋。今日は明らかに道路がにぎやかである。車上のルーフキャリアに積まれたサーフボードのフィンが風を切って通り抜けていく。
マリンジェットを引いた大きなRV車も。ややあって、今度はツーリングの一団が綺麗に隊形乱さずやって来た。

白田橋の南側には「白田」の信号があって、それが赤になったり青になったり切り替わるものだから、車もバイクも止まったり、そこからノロノロと進み始めたりする。
一時的に橋の上に小さな渋滞のような車列が形成されるが、運転者の表情はみな至って晴れやかだ。

気まずい顔など無い。隠れるように観光地に向かってた先月までとは違う。

堂々と橋をわたって、堂々とその場所その場所に赴くことが出来る。待っているのは晩夏に最大色濃くなった伊豆の緑と蒼の海。こんなにも美しいものを「自粛」の二文字で放り投げておくのはナンやらの持ち腐れである。

今日は自然の恵みを無駄にすることなくいただこうではないか!

この店の大女将おぼしき女性の手によって小舟が運ばれてきた。自身で頼んでおきながら、その小舟に高々と積み上げられた自然の恵みには心底おどろいたのだったが、気持ちを落ち着かせ、無駄にすることなく全て平らげた。

たらふくの余韻に浸る間もなく、ふとここで眼下の駐車場を見下ろすと、すでに駐車場が満車である様子が目に入ってきた。そういえば、まわりの席を見ればみんな人で埋まっている。大女将はじめこの店の人たちは生業のさなかであることに気がつき、車の移動へと1階に急いだ。代金を払って店を出たら空は先ほどより明るくなっていた。時刻は午後0時半。

30分遅れで天気予報が当たったことを確認したのだった。

地魚料理磯亭
国道135号線と白田川と白田橋。
定食

白仙橋

駐車場を出て、堤体を目指す。今日入るのは先月“横綱の右腕”として入渓した堰口川だ。

白田川左岸の「白田」信号からは北西方向に。
やがて対岸に白い建屋が現れる。よく見れば山の上から1本、水圧管路が降りてきているのがわかるが、これが白田川発電所。堰口橋をわたれば至近距離で施設を見ることが出来る。

橋は渡らずそのまま左岸側を100メートルほど直進し、今度は右斜め前方に東伊豆町白田浄水場。現在、浄水場前には看板が立ててあり、「この先 白仙橋付近災害のため通行止め」の文字。

浄水場わきを越えたところから道は林道の様相を呈すが、この林道、ずうっと奥まで走って左岸から右岸にチェンジする地点には白仙橋。現況としては白仙橋の数百メートル手前に林道上を塞ぐように倒木が、電柱の破壊を伴って発生している。

昨年の大型台風の爪痕が今も残っているという形だ。

ここ堰口川は、伊豆半島内で最も多くの堤体を構える河川である。(東の堰口、西の宇久須。宇久須川も多い。)堰堤につづく林道が通行止めではやはり利便が良くない。一刻も早い復旧が望まれるところである。

交通量はゼロ

1時間半ほどは車中で待機した。それにしても1時間半も林道沿いに停めた車内に居て、

交通量はゼロ。

夏の終わりを告げるツクツクボウシの鳴き声と堰口川のせせらぎの音だけが森を鳴らし続けていた。

午後2時20分、車を降りて入渓の準備をする。下半身にはウエーダー、上半身には長袖シャツとフローティングベスト。手にはウォーキングポールを1本。Vメガホンの入ったバッグも背負った。

ヤブはあまりきつくない。とくにスギの木の密生するその下は。林業素人の目では分からないところなのだが、どうやらこれではまだ林床に届く光は光量不足ということらしい。

肯定的な感情も持ち合わせながら一歩一歩踏みしめ下りて行くと、堰口川の河原に出ることができた。あたりにはソフトボール大の石が敷き詰められた空間が広がる。
これから目指すのは、下から(堰口橋から)数えて4番目の堤体。今自分が立っているのは下から数えて3番目の堤体に滞留した土砂の上。

川の傾斜はほとんど感じられず、ソフトボール大の石をゴロゴロ鳴らしながら歩いていけば、ここはどこかの自然公園なのかという錯覚を覚える。
砂防ダムが出来たことによって滞留土砂の広がる空間が形成されました。という事実について、現物を見ておのおの判断すれば良いと思う。わたしにとってはここは、

美しい。

なんてもんじゃないほどの

超絶景!

ニホンジカに

車から降りて20分後の午後2時40分、ようやく堤体前に到着。

ここの堤体はおおよそ西北西向き。それに対して落水後の川はほぼ北西に川上を見る。南東-北西方向に形成される川に対して、堤体は90°でクロスすること無く全体的に右岸側(向かって左側)を若干こちらに突き出すようなかたちで形成されている。

そのためか、川の左岸側(向かって右側)の河岸にかなり負担がかかるようで、建造時に積み重ねるようにして施工した側壁護岸のブロックがきれいそのままに露出しているという状況が目に入った。

石や土砂は吹っ飛んでしまったか?左岸側に詰め寄る。

あちこちの堤体に行っていて、ここがどうであったかという正確な記憶はもともと持ち合わせていない。しかし、少なくとも側壁護岸がこんなにも元の建造時の姿を見せた堤体は覚えが無い。縦方向には副堤からの水の落ち込みによって深く、飛び込みプールほどまでに洗われたボトム(底)が確認出来て、そこに魚が張り付いているかと覗き込むほどであった。

恐るべしパワー、横綱の右腕。

川の中央にもどって音楽に目を向ける。広い川幅に広い空間ができているが、そこよりさらに外側の両サイド、渓畔林は申し分ない。
自然界から放たれる音の出どころは本堤の落水、副堤の落水、これより川下に転がる川石の落水の水の音。

それら落水による音が届かない「高い空間」にVメガホンを向けて声を放つ。なるべく力まないように。(←自分が一番苦手としているところではあるが・・・。)

堤体の放水路天端の向こうには山の斜面に植えられたスギの樹冠が広がるが、そういった遠くの景色を楽しみながら歌えれば、体は自然とリラックス出来ると思う。実際に立って目にしてみれば分かるが、そこに太陽の光が当たっているか、当たっていないかでは大きな違い。幸い、当日の午後0時半からは晴天で、表現をする環境としては大きくプラスとなった。

午後4時、まだまだスギの樹冠が明るく照らされている状況であったが堤体前を離れることに。
もう9月も下旬であるから、ぼちぼち暗くなるかな?と。
下流側に向かって歩くとほどなくしてまたしても超絶景の滞留土砂の上に出た。カキノキがあったので観察していると、

キャン!キャン!

左岸側の遠くで警告音が響いた。鷹の目をもつ男ではないし、そもそも森の中から鳴いているから(きっと誰の目にも)ヤツは見えない。遠くの景色の木々の中から鳴き声だけがこちらに届く。
もう夕暮れは早いぞと咎めるニホンジカの声を聞きながら渓をあとにしたのだった。

ごっそりといってしまっている
若干斜め向きの堤体
遠くの景色
副堤上に落ちていたアブラギリの実
カバノキ科の葉はヤシャブシか?
クズの花がチラリ。
高木が多く、拾いもので同定する。コナラ。
カキノキ
堤体全景。

虹の郷

ユリノキの葉

9月14日午後2時27分カナダ村のネルソン駅のゲートを出た。
眼前にはクーテニ湖が、頭上にはユリノキの樹冠が、後方には今のってきたロムニー鉄道の車両とネルソン駅の駅舎が見える。

本国カナダのネルソン市にはネルソン駅というものは実在しないらしい。

実際、市の領地を横断するように線路は走っているものの、通過するはカナダ大陸横断鉄道で駅は無く(観光客向けの路面電車はあるようだが・・・。)、つまりのところネルソン市というのは非常に田舎の町ということのようである。

自分たちの町に線路を敷かれながら、駅舎も作らず車があれば交通インフラはOK(?)というカナダ人の感覚には正直おどろいてしまうが、よくよく考えれば同国と日本とでは※国土の面積というものに大きな隔たりがあって、日本人のように狭い土地の中にせかせかと都市開発をしようなんて思想自体がそもそも存在しないのでは?とも思った。

相手は多文化主義的とも言われる社稷である。それがウケてか年々移民が増加。世界が求めているものが分かる。これからの時代、いろいろな人のいろいろな考え方の違いに柔軟に対応出来なかったところで恥をかくハメに遭うのは自分自身であろう。気をつけなければいけない・・・。

ところで何故、伊豆市のテーマパーク「修善寺虹の郷」にカナダ村とかネルソン駅といったアトラクションスペースが作られているのかといえば、この界隈、旧田方郡修善寺町が同国ブリティツシュ・コロンビア州のネルソン市と姉妹都市提携をしているところに因んでいる。

調印が1987年(昭和62年)ということなので今年で33年目。虹の郷開園が1990年(平成2年)というから、その(昭和→平成)改元前後、当地ではかなりの“カナダブーム”があったと思われる。

カナダブームなんて言うと人によっては非常に病的なワードに聞こえるかもしれないが、その当時がバブル経済の真っ只中であったことを考えると、戦略的に言えばこれは

攻め!

の姉妹都市提携&虹の郷計画であったと思われる。伊豆半島各地で大型宿泊施設や商業施設が作られる中で、修善寺町の町政として何か他には無い、競争に負けない観光インフラを作っていこうという中で計画されたテーマパークであったに違いない。

※日本およそ37万キロ㎡、カナダおよそ998万キロ㎡、その差およそ27倍。

ユリノキの樹皮
アメリカハナノキ
アメリカハナノキの樹皮

大きな箱を造らなかった!

当時のバブル真っ只中を社会人として生きていた人たちがこれを最初見てどう思ったかはわからないが、このテーマパーク内には“大きな箱”が無い。

例えば事案として巨大なプールを作るとか、ウィンタースポーツ(標高が高いから可能性あった!?)の施設を作るとか、大きな宿泊施設やレストラン、映画館、プラネタリウムを併設するとかいったことをやりがちなような気がするが、ここは全くそれらをしていない。

そもそも園内のほとんどが傾斜地で、箱自体が作れなかったのかもしれないが、それが正解だったのだと分かるバブル崩壊以降の感覚をよくも冷静に、当時の人たちは判断されたのだと開園から30年経ったアニバーサリーイヤーの今年になって思う。

園内の北東側に広がるもみじ林は1924年(大正13年)に植樹されたもので(もともと修善寺自然公園との境界線は無かった。)、それらを伐採せず、生かしたことは先見の明に尽きない。

とくに岐阜県揖斐郡徳山村から移築してきたという古民家をそのもみじ林にうまく融合し、「匠の村」としたあたりはじつに見事である。古民家を置くだけだったら、他のテーマパークにも全然出来そうな所であるが、樹齢60年(当時)以上経過した木々を自然な感じに配す形での景観づくりが出来たことについては、他にとって

「真似をしたくても真似が出来ない芸当」であったと思う。

メジャーをあてて測る。
アメリカフウの樹皮
カナダ村エリアには何本も植樹されている。

アメリカフウ

さて、9月14日であるが午後2時台にネルソン駅前に降り立って、まずはプリンセスローズハウス前の大きなアメリカフウ(モミジバフウ)の木の観察を行った。アメリカフウについてはすでにロムニー鉄道乗車時にその車窓(オープンデッキなので窓は無いのだが・・・、)から見つけていたが、こちらの木のほうが断ぜん巨木であったため改めて間近で見ることに。

喫茶のローズ・レ・カフェの方向に向かって長く伸びた枝の先には格段大きな葉が付いていて、持っていたメジャーで計測したところその葉身は19センチメートルもあった。このような星形の分裂葉の中ではもちろん今まで見てきた中で最大。

北中米原産の同種は木の幹の表面、つまり樹皮についても在来種のイロハモミジなどとは違っていて、表面がコルク状でごつごつしている。また葉の付き方についても在来種はどれも対生であるのに対してアメリカフウの葉は互生している。

一枚一枚の葉が大きいだけにこの木が作る木陰は非常に立派なもので、プリンセスローズハウス前のバス停ベンチにしばらくのあいだ腰掛けた。もちろんこれは園内を走るトレーラーバスの往来を待つための行為であったのだが、肝心、ようやく目の前に現れた同車両は進行方向がどう見てもおかしかった。

「匠の村へ行きたいの?あと30分後だよ。これはイギリス村のほうに行くやつだから・・・。」

ハウチワカエデ
エンコウカエデ(手前の大きく写る木)
ミニ図鑑

灯を永遠に

いやいやこれは大汗かく展開でしょ。と思いつつロイヤル・ローズ・ガーデン、しゃくなげの森、菖蒲ヶ池まで歩いて降りる。コイのえさやり自販機の前でヤツらが集団でバクバクしていたが、女の子の集団がちょうど楽しんでいる様子であったためコイをスルーし、もみじ林の坂を駆け上がる。

探していたもみじのミニ図鑑の看板にも無事たどり着くことが出来て一枚。ちなみに前回のエピソードでは「イタヤカエデ種」としてペタしたものが確認できると思うが、この看板に従えば(この一帯に植樹した種について言っているので)それはエンコウカエデのことである。

このイタヤカエデ種の同定には相対的な比較経験が無いとなかなか難しいようで、看板でお墨付きをやってくれたことについては非常にありがたい。しかも看板のすぐそばには手で触れられる高さの枝を備えたエンコウカエデがいてくれて、その木で大いに観察ができた。

ほかにも前回、修善寺自然公園で見つけることが出来なかったハウチワカエデなども見ることが出来て大満足。坂の一番上にある匠の村まで登ったら何やら作業服を着た人たちが高所作業中。

彼らの触るわら縄を見渡せば進行方向にはまだ何もついておらず、その逆側には丸形提灯の列。どうやら今週末に開催されるイベント「匠の村always昭和横丁」の準備らしい。

元気にイベントやってるね!

今からおよそ30年前、当時の世の中はイケイケであったようであるが、そんな中でも冷静に、あとさき残る物を見抜いて設計し、造成させた人たちがここ修善寺虹の郷にはいた。

この灯を永遠に消してはならない。

自分に出来ることは何かと考えながら、悩みながら菖蒲門の前まで下りて「このはな亭」前の長い階段を登り、虹の郷エントランスゲートを抜けたのが閉園1時間前となる午後4時のことであった。

堤体には翌朝入った。
湯舟川支流の桂谷へ
リョウブ①
リョウブ②
樹皮が同定のポイントになった。
アブラチャンの実
透過型もなんのその。
逆に勉強になるくらいだと最近思うようになった。
堤体全景。