真夏のゲーム問題。解法のヒント

西伊豆町

真夏のゲーム問題。

天候、晴れ。気温、30度越え。セミが鳴いている。現場にたどり着くまでに紺碧の海と海盤車のように手足を広げて走り回る海水浴客を見ながら海岸線を走ってきた。

そりゃあもう、ドイツ歌曲やらアリアをこれから歌います。とはなかなかなりづらい。

そもそも暑さの中では熱中症という健康リスクの問題がまず出てくる。そして、それを(渓畔林の下に入るなどして)クリア出来たとしても、次に来る問題として、音楽の詩や曲の持っている世界とまわりの環境が全く合わないという問題が生じてくる。

ヨーロッパの音楽と日本の真夏、猛暑の相性の悪さ。

そんななかでも日々の生活を豊かにしていきたいとか、慢性ストレスを解消したいとか、自然環境の中から様々な学びを得ていきたいといった願望があるのならば、やはり砂防ダムの音楽は捨てるべきでは無い。

自分自身においては過去の経験から対策を打って現場に入るようにしている。人それぞれ感覚の違い、好みはあると思うが、真夏のゲームをどのように展開すればよいか?そのヒントになりそうなことを書いてみる。

宇久須港とテッポウユリ

光の強さは変わっていない。

まず自分自身の視界の中にあるもの。視界の中に映る景色。それらほとんどは「発光体」ではない。太陽の光や照明器具によって反射された光によって映し出された姿だということを今ここで思い返す。

海のあお、遠く沖合を航行する船、砂浜のしろ、濡れているけれど真っ黒に焼けた子どもの背中、どれもみんな写しているのは太陽の光。

太陽の光が全てを照らして、その全てが空間を伝わって、自分の目に届いて、「あぁ、海だな。」とか「あぁ、砂浜だな。」と認識をしているのだ。

向かう車の車窓から眺めた風景はどれもギラギラと光っていて、冷房の効いた車中からだと、

うわっ・・・、

と思ってしまうのであるが、よくよく考えればこれは(海岸線に関して言えば)冬の頃に見ていた景色と実はほとんど変わっていない。
冬の頃と変わっているのは地面の温度。太陽熱と地熱との間にいる自分自身がどうやら騙されてしまっているようなのである。

たしかに暑くはなっている、冬の頃より。でも、

光の強さは変わっていない。という事実。

これを強く認識することが大事。

宇久須港

見に行かなければ分からない

ギラギラと光る車外の風景を見て脳が、“ヤラれてしまっている”ところであるが、そんな脳でどんな対処法があるものかと考えてみる。
暑さ、つまり温度のことはいったんどこかに置いておいて「光」という要素に集中してみる。

まず光があること(光が存在していること)は変えることが出来ない。
それでは、そのまま為す術も無くギラギラする太陽光線を浴び続け、自分は干からびてしまえばいいのか?

否、そんなことは無い。光を、

①視野の中のできるだけ狭い範囲に閉じ込める。

もしくは、

②その光が勢力を増す前と後を狙う。

この二つの対処法がある。これらは、
砂防ダムというものを実際見に行ったことが無い人にとっては???だと思う。とくに①に関して。

砂防ダムをある程度見に行ったことがある人ならば、もしかしたら分かるかも?

ある程度という領域をこえて何本も行ったことがある人・・・、ではほとんどが分かると思う。

宇久須港

太陽が相手なので

天に向かって手を思いっきり突き出して、太陽の背中に付いている「照度調節ツマミ」を回してやって、明るさ調節をする・・・、なんてことがもちろん出来ない。

光の量、光の大きさは変えられないということ。

暑さはどうか?

暑さの元になった「熱量」という要素。

やっぱりこれも変えることが出来ない。

光も熱量も変えられない中でなにをやるの?

格段の気を使って対処する

光も熱量も変えられない中でやる事。

①堤体を見る「方角」を選ぶ。

②堤体を見る「時間帯」を選ぶ。

この二つ。

堤体というのは山奥の森の中で「方角(ほうがく)」という概念が通用する唯一の存在である。水平にピシッと型取りされた放水路天端による「直線(ちょくせん)」は自然界には存在しない正に不自然な人工物。このことは同時に、

「直線を引いた。森の中に。」

と言っているのと同じ。その直線に分度器をあてて90度を測って線を引き、それを方位磁針で計測してしまえば堤体の方角が一丁上がりとなる。

これは大発見。なぜなら、方角がわかった所でその次に考えられるのが、堤体と太陽との光の関係であるからだ。
この堤体はこの方角を向いているから、午前中はこんなふうに光が当たるし、午後はこんなふうに光が当たる。といったことが実際、現地に赴かなくても“おおよそ”地図上でわかってしまうようになる。

“おおよそ”としているのは、やま本体が落とす影であったり、太陽高度の季節変化があったりするためで、常に一定とはならないから念のため。

それらをだいたいで計算して、ベストタイミングのちょっと前に堤体前に入れたらというのが理想型。

で、入渓の計画を立てる。

春夏秋冬どんな季節でもそういった計算はある程度しておいた方が良いが、とくに音楽的に困難が生じやすい真夏の場合、そこに格段の気を使って対処する必要があるということを述べておきたい。

これらはもちろん、他ならぬ私自身がそのようにしているからだ。

宇久須川と松ヶ坂トンネル

楽しい半ドンの一日

袋を開けてガリガリと。

半ドンの頃が懐かしい。

半ドンとは土曜日に午前中だけ会社や学校に行き、仕事や勉強を行うこと。午後は業務外時間や放課後となるので自由に過ごせる。かつては土曜日も学校に通っていたことを思い出した。

まず半ドンの土曜日というのは、ワクワク感に満ちている。午前中は学校へ行き、1限から3限まで勉強をすればいい。たったの3限で学校から帰れるということ。そして学校内にいる時間中はいろんな友達に会うことが出来る。

3限の授業で勉強を終え、クラスで帰りの会をしたのち下校。まだ、自分の真上に位置する太陽の射光に照らされながら、家までの道のりを歩く。通学路には虫や草や川などさまざまな誘惑がノキを連ねるが、今日はその誘惑にはハマらない。

まだ、昼ご飯を食べていないのだ。

自分もそうだしまわりの友達も、大声ではしゃぎながら前を見たり後ろを見たりなのだが、体はつねに家の方向に向かって動いている。そんなにも家路を急ぐのは腹が減っている半分、遅れたら親に怒られるからであろう。

家では母親の作った飯が待っていて、そのあとには午後の自由な時間が待っていて、しかも日はまだ高い。いっぱい遊べる。

なんというワクワク感の連続。

半ドンは第2土曜日だけ全休とか第4土曜日も全休とか、紆余曲折へながら義務教育の9年間、そのあと高校3年までつづいた。

あまからや店内。扇風機、カキノキ、アジサイ、シャクナゲ

半ドンの日の昼メシ

7月25日土曜日、中伊豆「あまからや」で昼メシを食べようということで自宅を出た。

この日の天気は大雨。さすがに今日は砂防ダムには行くまいと腹をくくったが、せめて昼メシだけでも“いいところ”に行こうと中伊豆まで赴くことにした。

朝は当ブログに下書きを寄稿し、そのあと午前10時に自宅を出発。出発時間が妙に早いのは例のウイルスの影響をみたから。開店時間すぐに店に入って早めに食事を済ませたい。それでもこの日は静浦~長岡北~熊坂~横瀬のゆとりルートで中伊豆を目指す。

店の前の駐車場に到着したのは、午前11時すぎ。自分は一番手では無く、もうすでに横浜ナンバーのハリアーが停められていた。自分も駐車場に車を停め、さっそく店に入る。

民家のお宅の引き戸をサーッと開けると「いらっしゃいませ」の声。

ここは民家系(って言葉はあるのか?)のラーメン屋である。引き戸を開けてすぐには10坪くらいの土間があって、その土間の左側に一段上がって畳の敷かれた座敷、それが合計3部屋ほど。それぞれには複数台の座卓、座布団が備えられている。

一番手前側の座敷に案内され、ラーメンを注文するとすぐにそれが出てきた。

久しぶりにありつけた味に夢中になって麺をすする。

畳の部屋、座卓に座布団、ラーメン。

小学校の頃に母親の作ってくれていた半ドンの日の昼メシを思い出す。

夢中になってすすったラーメンはものの数分で平らげた。この頃になると後発の客が続々と来店し始めたので、代金を払ってそそくさと店を出る。

時刻はまだ正午前。

ガリガリ。ガリガリ。

さて、今日は昼飯だけで十分だと、直で帰ることにした。

中伊豆路、増水する大見川を見ながら北に向かって走る。

アイスでも食うか?

中伊豆八幡(はつま)の三叉路信号を過ぎてすぐのローソンに立ち寄る。店内のショーケースの中でひときわ光っていたボウズ頭を選び抜き、それだけ持ってレジへ。
会計を済ませ、店を出て車中に戻る。

袋を開けてガリガリと。

ガリガリ。ガリガリ。

ガリガリしていた錯覚か、車の屋根を叩いていた大雨が弱まってきたような気がした。

・・・。

行くか?

車を再び八幡の三叉路信号に向け、左を選択。八幡東の信号を過ぎ、伊豆スカイライン冷川IC前を右ななめ前方にクリアー、冷川大橋を渡って信号を右に。徳永川を平行にして登り、冷川トンネル前を直進。中伊豆グリーンクラブ前も通り過ぎてカジカ沢に架かる大幡野橋を渡り、およそ200メートルで市野沢橋直前、運転席から見て右側に「徳永第3砂防ダム」が姿を現した。

徳永第3砂防ダム

こりゃあダメだ・・・。

雨の日にこの場所に来たのは初めて。
堤体は4階建てになっていて2階と3階から落水をしている。

この場所に来る前のイメージであるが、4階部分から今季の長梅雨と当日の大雨の影響によって落水しているのでは?と踏んでいた。
4→3・3→2・2→1階の大迫力、3段の落水を想像していたということ。しかし、最上段の4階は当日までの大雨にはビクともせず、3・2階だけの落水によって梅雨の襲撃を軽々とあしらっていた。

よし。

車から降りて、まずは上下にレインスーツを着こむ。あとはbluetoothスピーカーと曲のデータが入っているボイスレコーダーを持ち、さらにVメガホンをセットして堤体前の小さな広場に立つ。

落水の最上部が低めなのは、専門的に言って「目のやり場に困る」ところであるが、それでも最上段4階部分にある鋼製スリットを意識するようにして、なるべく高いところめがけて声を放つ。

ブー!!!バシャバシャバシャ・・・

ん?

音がした方向をふと振り返ると、雨の中を猛スピードで走り抜けていく車。
気にせず続けようと思ったが、またしても

バシャバシャバシャ・・・

立ち位置の後方を走る県道112号線は中伊豆~伊東市南部方面の抜け道である。しかもこの日は土曜日ということもあって、普段よりも交通量が多い。

こりゃあダメだ・・・。

ここがイメージと違った。
歌い始めたものの・・・
堤体前に立てられた看板。2017年4月撮影。

急きょ新規開拓に

こんなところでは、音楽に集中出来ないとその場をあきらめることにした。

さて、どうするか?巻くか?

時刻は午後2時。未開の地に入ることには不安も感じたが、急きょ新規開拓に取りかかることで決定した。

レインスーツをズボン側だけ脱ぎ、ウエーダーに履き替える。上半身にはやはりフローティングベストを装着し、手には愛用のウォーキングポールを握りしめた。

辺りを見回すと堤体に向かって右側に材木置き場のような広いスペースがあり、その奥に林道の登り坂が見えた。
しかも、どうやら林道は堤体の方向に向かって伸びているようす。さっそくその坂を登り始めると、なんともあっけなく堤体を巻けてしまった。しかも階段がある。

堤体の水裏側(さきほど眺めていた側)に付けられたその階段をまずは降りると、堤体が透過型として機能していることを確認。これならば落水は臨めないのだと納得。つづいて本題となる水表側への進入を試みる。

すると、今度は釣り人が付けたと思われる道を発見することが出来た。それを伝って渓まで降りることに成功。早速、遡行を開始する。

渓は若干にごっている。雨水が針葉樹の森からの山土を幾ぶん運んでいるようで、源流部と言って良いだろう徳永川の水から透明という色を奪っている。

堤体を探しているため、視線は足元を見たり前を見たりで交互に。
そんな手探り状態での遡行だったが、歩きはじめて15分。徳永第3砂防ダムを巻いてまだ1キロも歩いていないだろうという地点、なんと落水する堤体を発見した。

4階部分は水抜き穴から抜けていた。
銘板

庭師ごっこ

堤体の規模は堤高5メートルにも満たない小さな堰堤。それでも、手前側には小さな小さな副堤が付いていて、本堤の落水を援護するように音を奏でている。

下流部に位置する堤体、徳永第3砂防ダムに比べれば堤高の迫力には劣るが、こちらはしっかりとその最上段から落水している。しかも手前側にはヒノキの人工林が広がっていて、渓畔林としての一つの機能「暗がり」を提供してくれており、明暗のコントラストがしっかりとしている。

さきほどは「目のやり場に困る」などという状況であったが、こちらについてはそんな心配は無用である。むしろ、雨天という悪条件の中でこれだけの明暗のコントラストを出すことのできる堤体というのは貴重な存在であると思った。

bluetoothスピーカーの電源を入れ、フーゴ・ヴォルフの「庭師」を選ぶ。庭師の庭は城の姫に仕えた、馬がポッカポッカ歩くような庭のことで、こんな山奥のヒノキ林とは意味合い的に全然ちがっているのだが、

Nimm tausend für eine, Nimm alle dafür!(お取りください、1000の花を。お取りください、ここにある全てを!)という庭師の、切なる願いを込めて歌うあたりはシチュエーション的にあっていると思う。

堤体の上に(光るほどに美しい)お姫様が白馬に跨がってそこにいると見立て、その光に向かって思いっきり気持ちを込めて歌ったらめちゃくちゃ楽しかった!

思えば今日は大雨の中、中伊豆に昼メシを食いに来ただけであった。それが、旧知の砂防ダムの今日の状態を知ることになったり、その上にある知らなかった堤体を見つける結果になったり。想像以上に今日という日を楽しく過ごすことが出来た。

帰る前に最後もう一回の「庭師」。

職人になったつもりで・・・、

庭師ごっこ。

楽しい半ドンの一日だった。

ヒノキ
アブラチャン
コナラ
流域全体にウツギが多かった。
堤体全景。

大好き河津町!vol.9

河津橋

7月23日午前9時すぎ、まずは河津橋を渡り下田市との境界にある大字「逆川(さかさがわ)」を目指す。

橋を渡った直後には白地に赤文字で「大型車通行困難」の大きな看板。
この道は国道(414号線)と言うわりには道幅が狭いので、事前に案内看板が掲げられている。

幅員は狭いところで普通乗用車1.5台分ほど。非常に走りづらさを伴う道ではあるが、これが南伊豆地方の最大都市「下田市」につづく重要ルートだということもあって、交通量は決して少なくはない。

天川洞門をくぐり抜け、右に左にうねる道を抜けると、ようやくの分岐点。緊張感が解放されるのは「河津バガテル公園」の可憐な看板が目に入ってきたからでもあると思うが、それ以上に片側1車線という、十分な幅員区間にやっと入ることができたという安堵感にホッとしたためである。

ここからは河津バガテル公園前の急坂を登ってきたトラックを引き連れ、旧モーテル峰山前を通過。峰山トンネルをくぐればそこから先は下り坂となる。道路の路肩下を流れる稲梓川を見ながら坂を下っていくと、突如いなかの里山風景が乱れ、建設重機、ダンプカーが踊る土木開発地帯に突入した。

車から降り、背後くだってきた坂の方向を見れば稲梓川には太く立派な橋、さらにその先には真っ暗なトンネルがポカンと口を開けていた。

道は幅員狭し。
天川洞門
天川洞門前には注意喚起の電光掲示板。
河津トンネル逆川地区工事(開通後は伊豆縦貫道の一部区間に。)

最新鋭!

トンネルの入り口上には「河津トンネル逆川地区工事」の文字。同トンネルは現在地である河津町逆川より河津町小鍋へと抜ける予定らしい。

目下、鋭意開発中の伊豆縦貫道については、その最終地点となる下田市まで、出来うる限りの短縮ルートを取る必要があるため、一部区間において“山を掘り進める”という行為がなされている。これは河津町内の話しでは無いが、最きん開通した事例として、伊豆市天城北道路の佐野トンネル、雲金トンネルなどがある。

伊豆半島を南北に横断する道路を開通させるという目的の中で、伊豆の山々の存在は避けては通れない。

通常であれば目の前に立ちはだかる山に対して、現在利用している先人たちの遺産「旧道」を改良することで道路を整備していけばいいのであるが・・・。まぁ、

そうはならない。

車が走りやすいよう道路の線形を直線的にしたり、通過時間短縮の大義を達成するために経路を短くしたり、何より先住の地域住民の村家を守ったり、交通安全上の問題があったりする中で、旧道を改良するだけではそれらの用件をすべて満たすことが難しくなって来ているからだ。

そんなわけで、旧道を改良する。というよりも、その旧道から少し離れたところに“新しい道”を作ってしまおうという計画が生まれ、事業化ということになってくる。

では、

目の前に立ちはだかる山に対して、みどり色濃き森の木々を線形に刈り込んでいき「21世紀峠」を作れるものなのか?

開発中に木を切れば自然破壊だと罵られ、山の景観が道路の登場によって損なわれたとこれまた罵られ、道路が完成したとしても土砂崩れによるリスクがあったりで、開発の許可を出した当事者は散々な!?目に遭う事をお忘れ無く。

どうやら「21世紀峠」というのは難しいらしい。

では、どうすれば?

・・・?なんだか眠たくなってきた。

「トンネルを掘ればいいじゃない!
最新鋭の建設機械で、最新鋭の建設技術で、最新鋭を知る大手建設会社や大学のセンセイの指導でトンネルを掘りましょうよ!経済大国の日本なら、トンネルを掘る道具も技術も世界トップクラスに違いないでしょ。トンネルを掘って全て解決。やった。バンザーイ!」

!!!

ふと我に返る。私の眼前には懸命に働く建設重機、せかせかと土砂を運ぶダンプカーの姿。

おや、この山も・・・、

「最新鋭!最新鋭!」のかけ声で、穴を掘り進められていくのか?

しばらく工事の様子を見学したのち、逆川をあとにしたのが午前10時。

小鍋側の様子もうかがいに。

電波塔

その後、河津トンネルの開通先となる予定の河津町小鍋も見に行ったあと塩田屋で弁当を買い、国道414号線を新天城トンネル方面に向かって登った。河津七滝ループ橋、登尾トンネル、鍋失(なべうしない)トンネルを抜け、道路は東方向に大きくカーブ。「鍋失高架橋」を渡り終えたら右折する。

そのまままっすぐ走って携帯電話の電波塔を見つけたら、路肩に車を駐車する。ここが本日の入り口。

まずは先ほど塩田屋で購入した弁当を食べ、それから仮眠を取る。

つかの間の時が過ぎ、午前11時。ようやく眠気が取れたところで車を降り、準備を整える。今日これから歩く道は旧天城街道の廃道であるが、ここのところの雨によってぬかるんでいる可能性があるためウエーダーを履く。

そして旧天城街道の現道路から廃道区間に足を踏み入れることが出来たのが午前11時半。まずは直後にあるNTTドコモ電波塔のフェンス外ひだり側を通過する。

こういった施設の法律的なもの、土地の所有権のことはわからない。しかし、目の前にあるのは、“廃道”という字のごとく廃れた道と、現代社会の生活を生きていく上で無くてはならない先端ツールをささえる電波塔基地である。両者の時間的対比の大きさがもの凄い。

今日もご苦労様です。

電波塔をこえると樹木の回廊のような道が姿を現した。

ここで曲がる。
電柱と石の間が入り口。
電波塔の先の様子。

そして梅雨どきなのに

廃道を歩き進める。直後にはまたしても電波塔。取り付けられている看板の表記を見れば設置者はKDDIとある。先ほどのNTTドコモとはまた別な事業者のものだ。

廃道の活用方法として携帯電話の電波塔を立てるという行為はスタンダードなのか?土地を有効活用しているという反面、これに閉ざされて道は現役復帰の可能性を失ってしまっているところには残念さも感じる。

KDDIの電波塔も越えると、本格的に廃道っぽくなってきた。道の現役生活終了後に生えてきたと思われる樹木が見られるようになってきたからだ。道の中央にデーン!となんの遠慮も無く定位している。

ヨォ、偉いもんだな、お兄ちゃん。

現国道にある鍋失トンネルの開通年が昭和54年というから、ここに生える木はそれほど大先輩では無さそう。むしろ、年下かも知れない。また、道の中央からほぼ垂直に天に向かって伸びるケヤキの木などは人工的に植樹されたものなのかも知れない。

アスファルトが比較的きれいにハツリされていて、これが木の根の力によるものなのか?人工的な手助けによるものなのかがわからない。いずれにしても砂防効果や土砂災害予防効果は一定程度認められることと思う。

そして梅雨どきなのに完全に伏流してしまっている谷止工なども見ながら、ようやく現国道414号線鍋失トンネル南側口の前に出られたのが午後1時過ぎ。

道を塞ぐ樹木。
鍋失トンネル北側口を眼下に見る。
谷止工は落水みられず。
シラキ
鍋失トンネル南側口

最近のことだ。

国道414号線を注意しながら渡りきり、高さ2メートルくらいのコンクリート壁を越えると小さな沼が現れた。沼にはバシャバシャと水を供給する滝が見られる。沼を越え、その滝を登る。滝はナメ滝なので直登ではない。

午後1時半、ナメ滝を登りきるとようやくの目的地。水が極めて少ない。堤体の放水路天端下が申し訳程度にテカっている。

堤高は5メートルほど。しかし、立ち位置から見て斜め上方に位置する堤体は、基礎部分が自身の頭上よりも随分高い位置にある。堤高5メートルであったとしても“見かけ高さ”としては15メートル以上にもすることが出来、それを見上げて歌う楽しさが味わえる。

立ち位置を後退させればさせるほど、堤体の天端を高い位置に見ることができるのだ。

bluetoothスピーカーの電源を入れ、シューマンのMeine Roseを選ぶ。この曲はとても深い、人の心の悲しみをうたった歌である。とても美しくて、でも詩は深くて、生半可な気持ちでこの曲に取りかかるのは不謹慎だとさえも思っているのだが、

自然発生的に歌いたくなったための選曲。

聴衆を前に歌うという、現状一般的な環境ではMeine Roseは(自分自身としては)絶対にあり得ない曲だと思っている。歌い手による歌い手のための歌「砂防ダムの音楽」であるからこその選曲が出来た。

こうして、この日もまた砂防ダム音楽を楽しんだのであった。

ちなみに、この場所は今月の10日にも来ている。その時は画像が示すとおり7月23日よりもしっかりと水が流れている。いずれの日も梅雨期間中。およそ2週間という期間はけっして短いわけでは無いが、どうであろう?落水が不安定ではないかと思う。

堤体の直下すぐ西側には鍋失トンネルが掘られていて???

まだ、そういうことは断言するべきでは無いと思っているが、山の水の流れというのは単純では無いことを最近のマスコミ報道でいろいろ勉強させてもらっている。

砂防ダム音楽家として、河津町ふくめ伊豆半島各地のことを心配するようになったのは最近のことだ。

登尾沢第2号コンクリート谷止
画像左カジノキ属(不明)、画像右タマアジサイ
サカキ
シラカシ
立ち位置右横にも沢が流れている。
7月10日撮影
7月23日撮影

メガソーラー発電所

「森山君、コレ・・・」
と言って渡されたのはどんな用紙だったかまでは覚えていないのだが、自分の名前を記入したことは覚えている。

依頼主は私の敬愛するH女史。
「今度ねぇ、函南(かんなみ)町にメガソーラー発電所の建設が予定されていて・・・」

話しを始めたH女史の口から、突じょ市民活動的な内容がこぼれてきたことについては心底驚いたが、話しを聞き進めるうち、どうやら話しの出どころはH女史本人なのでは無く、H女史が普段やっているクラブ活動の師匠によるものだということが判明した。

話しは店の勤務が終わっての時間帯、ちょっと忙しい夕方でのこと。

それほど深い意味合いも考えず、H女史から手渡された署名用紙に急ぎで名前を記入し、そそくさとその場を立ち去ったものの、話しの中に出てきた「軽井沢」については悲しいかな、私の脳の中の“重要案件取り扱い欄”に完全にインプットされてしまった。

―いやいやH女史、余計なことを言わなさんな・・・。―

自分の中ではこのあとの展開が予測出来ていた。

―まあねぇ・・・、函南だったらそんなに遠くは無いけどなぁ。―

不惑に陥る、ちょうど一年前の私。その日の天気がどうだったかまでは覚えていない。

やっぱりこうなる・・・。

野次馬

変わって翌日、天気はくもり。一転して天気の確かな記憶があるのは当日に外出をしているから。外出先はもちろん、

田方郡函南町軽井沢。

地図をたよりに、スマートフォンをたよりに、メガソーラー発電所の建設予定地を目指した。

ちなみに当初、私の予想した現場というのは、
「建設、断固反対!」とか「メガソーラー発電所を作るな!」といった非常に物々しい横断幕が踊る建設予定地だったが、じっさい現場に行ってみると非常に静かな、何事もないただの山林が当地にはあった。(横断幕も無かった。)

唯一というか、特徴があるとすればジメジメとした梅雨時期ならではの山林。建設重機の動く音などすることも無く、ひっそりと静まりかえっている。時折耳に入ってくるのは鳥の鳴き声。

本当になにも無い薄暗い山の中の林を見たのだった。

さて、帰るか・・・、それにしても・・・、

この日、建設予定地のことよりも気になったのが現場に行くまでに使った道路。ファミリーマートのある「平井」の信号から左折し、熱海峠に向かうかたちで軽井沢を目指したのだが、アップダウンの激しい道でカーブはそこかしこに、という道のり。非常に見通しの悪い道を走るハメになった。

これじゃあ、いつ事故ってもおかしくないな・・・。

全くもって地元の慣れた人向けの道に踏み込んでしまったのだと後悔。なんと言っても、自分自身はメガソーラー発電所の建設予定地を見に来ただけの野次馬である。厄介な事を起こして地元住民に迷惑を掛けてはいけないと、帰りは熱函道路(静岡県道11号線熱海函南線のバイパス道路)をなるべく多く使用するルートを模索し、より安全なルートを確保したのち帰路に就いたのだった。

これは昨年、軽井沢で撮った画像。

梅雨のゲームプラン

早いものでそれから1年。

軽井沢のメガソーラー問題がいまだ解決にいたってないということは、報道各社の記事によってすでに把握しているが、実際の現地では何が起きているのか?ということが気になっていた。

自身のスケジュールを確認し、行けると踏んだ日付は7月13日。一年前、函南町軽井沢を訪れた、その前々日にあたる日である。

日付は決まった。あとは行くだけ。ゆいいつ心配なことと言えばやはり、

雨。

それではと今回はメガソーラー発電所建設予定地に入るより前に、「堤体に入ること」を条件とし、現地に入ることで調整。

いくら何でも、歌は外せないでしょ!

どうやら梅雨の時期は、空模様により気をつけながらゲームプランを立てなければいけないようである。

あの橋の奥に堤体がある。

周回道路

7月13日、午前8時すぎ。沼津市内の自宅を出発。まずは、国道1号線で三島市内まで向かい、南二日町ICにて国道136号線に切り替える。
南進し、大場川にかかる「大場川橋」を渡れば、ひとまずの函南町入り。

その直後に現れる「大場川南」信号より伊豆縦貫道のガード下に沿って走り、ショッピングセンターLUPIA入り口の直後に現れる交差点名は「大土肥」。その次が「熱函入口」(なんとストレートなネーミング!)。

ここを右折するかたちで県道11号線に切り替えると、あとはひたすら道なりに進む。

軽井沢への行き方であるが、ポイントとなるのは2軒のファミリーマート。手前側の店舗「函南平井店」側でバイパスを降りてしまうと、前回同様の失敗を経験するハメになる。

そのままバイパスを降りることなく我慢し、以降4キロほど先にある「函南丹那店」直前の丁字路にてようやくバイパスを降りる。
降りた先にはほどなくして一時停止の丁字路を迎えるが、その左右を形成する道は丹那盆地の周回道路(1周約3.3キロ)。

周回道路の内側にはほとんど田畑しか無くて、逆にその外側は山を背負うかたちで民家や当地の基幹産業、酪農牛舎などがある。

当日はまず堤体に入る予定だったため、周回道路を反時計回りに進んだ。

そして今回入渓した沢であるが「小谷之沢」という沢で、周回道路より画像Ⓐ→Ⓑ→Ⓒ→Ⓓの順路で進むと行くことが出来る。(画像は後日撮影したもの。)林道は特にあかみち等では無いが、地元民に出会ったら一声掛けて。当日も畑仕事をする方とすれ違ったため、いったん車を停止させ、堤体に行くことを告げてから再発進し、山に向かって登った。

林道を進み、小谷之沢橋の下に車を停め、歩いて堤体前に下りたのが午前11時のこと。

Ⓐため池の前で右折
Ⓑ左折し、橋を渡る。
Ⓒ石垣の切れ目を右折。
ⒹY字は右側に。
小谷之沢橋

アジサイの花

歌を楽しんだあと、退渓したのが午後1時半。これからメガソーラー発電所の建設予定地を目指して走る。

周回道路まで下り、今度は時計回りに進んだのち、酪農王国オラッチェ前、農協ガソリンスタンド前などを通り過ぎると、まもなくあらわれるY字分岐を左に逸れる。丹那盆地を離れるかたちで坂を登り、進んだ先に現れたのが軽井沢の集落。

メガソーラー発電所の建設予定地はこれよりさらに奥の山林地帯。止まること無く進む。

やがて進んだ先に現れた看板には「好評販売中 宝谷山南箱根墓苑」の文字。道路は東向きに大きくカーブし、そのカーブの途中、前方まっすぐを見ればスギの生える人工林。

ようやく現れた建設予定地。

昨年来た時と何か変わったところはあるかと確かめたが、特に変化は無い様子。

そこにあるのは昨年と変わらずジメジメとした梅雨時期ならではの山林。建設重機の動く音などもちろんすること無く、ひっそりと静まりかえっている。時折耳に入ってくるのは鳥の鳴き声。

それでもなにか無いものかと、さらに奥につづく薄暗い林の下の道路も抜け、熱海峠まで探ってみた。しかしながら、メガソーラー発電所の建設に関するものは一切見つけることが出来なかった。
見つけられることが出来たとすれば、

道ばたに横たわる一本の木に付いたアジサイの花。

そういえば・・・。

鮮やかな青

そういえば、去年もここにアジサイの花があった。(間違いない!)花は建設予定地となる林の道路挟んで反対側の道ばたに。

光るようなその青色がとても美しい。

強烈な色でその個性を主張してくれていたので、一年経った今の今まで覚えていることが出来た。
こんなにも人間を惹きつける絶大なアピール力。薄暗い林の下で鮮やかな青を発色させるその姿を見たのだった。

それにしてもこのアジサイは、

自らの生える道路を挟んだ反対側は今、こんな大変な事になっているということを知っているのか?

???

知らないのか?

ただこの場所で一生懸命花を咲かせているだけ。そして、

この場所で生きたい。と思っているだけ、

まぁ・・・、それだけであろう。

そしてこの地でこれからどんな事が起こるのかは、われわれ人間側もほとんど誰も予想する事が出来ない。だがしかし、そんな中でも忘れてはならないだろう。「現状を変える。」ということ、それはわれわれ人間だけに及ぶ問題ではないということを。

では以後、ここにあるものは何か?

今のようにひっそりと静まりかえる林か?建設重機の鳴り響く山か?はたまたそれ以外のトンデモナイ出来事か?

薄暗い林の下でアジサイは見ている・・・。ということ。それをお忘れ無く。

以下、小谷之沢の樹木たち。ネムノキ。
アカメガシワ
ヌルデ
エノキ
堤体全景。

水恋鳥広場

伊豆市まるごとガイドMAP(表面)

月も変わり7月。

本格的に夏のシーズンを迎える。

そういえば先月、「呪文を唱える合唱曲」こと鮎の歌の取材で修善寺温泉に行った時、竹林の小径内にある観光案内所で「伊豆市まるごとガイドMAP」なるものをもらってきた。

伊豆のことをいろいろ調べたりしている自身にとって観光パンフレット一つでもそれはそれは貴重な情報源となる。特に伊豆市は、平成の大合併によって生まれた自治体で、大変に広い面積を有している〔県の面積の4.1%を占め、現在、浜松市・静岡市・川根本町に次いで4番目に広い基礎自治体である。Wikipediaより〕ため、その全てをうかがい知るということがなかなか難しい。

パンフレットは伊豆市観光協会発行ということで、単純に伊豆市の面白いところを選抜した内容になっており、通常のガイドブックに載らないような非常にローカルな内容も多く含まれている。

餅は餅屋・・・、というか観光情報に長けているのは、実際その土地に住んでいる人なのだということを改めて思った次第だ。

伊豆市まるごとガイドMAP(裏面)

めくって裏面

「伊豆市まるごとガイドMAP」をめくって裏面。上から修善寺、中伊豆、土肥、天城湯ヶ島と大きな字で書かれている。そう、これは伊豆市の合併前の自治体名、田方郡修善寺町、田方郡中伊豆町、田方郡土肥町、田方郡天城湯ヶ島町に分けてそれぞれ観光スポットを解説しているのだ。

そして、その合併前の自治体を解説しているのが伊豆市キャラクター「伊豆乃四姉妹」。それぞれ修善寺は長女、伊豆乃紫(いずのゆかり)、中伊豆は三女の伊豆乃翠(いずのみどり)、土肥は四女の伊豆乃桜(いずのさくら)、天城湯ヶ島は次女の伊豆乃葵(いずのあおい)が担当している。

もちろん春夏秋冬の四季に分けて紹介。

これは伊豆市という自治体が大変に自然豊かな環境にあることに起因している。やはり見どころと言ってもその多くは季節限定なのである。修善寺梅まつりを見るにしても、中伊豆で田植体験をするにしても、土肥でとびうおすくいをするにしても、時期が限定されている。

時期を限定して、一年のうちにその時しか楽しめないことを催すのは当地に住居を構えた地元民たち。

ふところ大きく、自分たちだけで無くよそから来た人たちにも喜んでもらおうと、各催しににそれぞれ「実行委員会」を設けて、組織をして、人員配備した現地で観光客を迎え撃つ。

人を迎える仕事は人がする。なんと素晴らしいことか!

今年の入り込み客数はどんなだと、期待にむね弾ませる・・・、

はずだった。

でもどうやら今期は、

非常に厳しいようである。

夏、川あそび

貴重な川の水遊びエリア

せめて川遊びくらいと思うのである。

7月5日早朝、伊豆市の水恋鳥広場に降り立った。ここは伊豆市旧天城湯ヶ島の大滝地区に作られた堤高4メートルほどの堰堤(個人的呼称はダイダルウエーブ堰堤)よりすぐ上流に設けられた、親水公園である。

流れる川は本谷川、与市坂川の2本。メインの流れとなる本谷川は狩野川本流の上流域での呼び名。流れは分厚い。
その分厚い流れにさらに加わるかたちで、与市坂川は合流している。

そして狩野川本流の上流域と言ってしまったとおり、ここは本来であれば分厚い流れがゴロゴロした石を叩くようにしてつづく渓流区間になるところなのであるが、※堰堤の滞留土砂によって川の勾配は緩やかになり、川の東岸側に幅の広い洲を形成している。

その洲を有効利用するかたちで作られたのは親水公園。

水恋鳥広場(みずこいどりひろば)と名付けられたこの親水公園は、バーベキューエリア、魚獲りエリア、野外ステージ、シャワー、トイレ、売店完備、ペットOKという完璧さ。そして、おそらく普通乗用車20台程度は軽々停められてしまうであろう駐車場を併設していると言えば、ここの洲の広さを想像してもらえるか?

伊豆市観光協会天城支部公認で、本谷川の清流をまるで流れるプールのごとく楽しむことが出来る。昨今の世の中で、水の事故が危険危険と言って禁止にもできるであろう、そんな中にあって認可をされた貴重な川の水遊びエリアがここにはあるのだ。

どうか、このようなアウトドアレジャースポットを有効活用することで、観光業の新しい未来を築いて行けないものかと考えていた矢先であった。

風通しの良さなんてバッチリでしょ。

それでも・・・、

今年は開催中止ということで、決定。

せめて川遊びくらいと思うのである。

※印は事実誤認の可能性あり。

水恋鳥広場(芝生面)、本谷川(中央)、与市坂川(右下)
川の勾配がゆるやかになるのは堰堤(水恋鳥流路工)の滞留土砂による効果。
予定では7月13日~で行くつもりだったよう。

堤体は与市坂川

堤体へは与市坂川を使って。

砂防ダム(与市阪砂防堰堤)は、国道414号線「猿橋」の上流約100メートルほどのところにある。
この堤体は落葉樹による渓畔林が濃く、ゆえにこれから夏のシーズンがおもしろい。

流れは一年通してしっかりしているが、特に今のような梅雨の時期が良いのでは?と思う。水質面を考慮しての判断だ。

与市坂のドカンに向かって声を響かせると、高さ3~4メートルほどの護岸が両岸に入っていて、声をカキーン!と返してくれる。

歌の鋭く響かせるようなフレーズ部分では、かなり楽しませてもらった。そういえば、今回は前回の「梅雨の工作大会」で作ったVメガホンを持ち込んだ。

使用感は上々。ドカンに対して、対抗出来るような武器を手に入れたことが心強い。


今回何かのきっかけで私のこのページにたどり着いてしまったというアナタ。伊豆の水恋鳥広場に行く機会がもしも設けられたら・・・、与市阪砂防堰堤を前に・・・、

大声で自分の大好きな歌を歌ってみて欲しい!

意外と、楽しいかも知れませんよ。

これを書いた現在は2020年7月。読んでいるその年は通常営業されますように。

猿橋
現在はこんなだが、冬~春シーズンは橋上から落水が臨める。
広場への入り口。
与市坂川に入った。
渓畔林はフサザクラ、アカメガシワ、ヤマグワ、ウツギ類など
崩落防止の護岸がしっかり入っている。
堤体全景。

梅雨の工作大会

まずは材料と工具を用意する。

砂防ダム音楽家として日常やらなければならない事とは何か?という問題がある。

一つは砂防ダムに行く事。
一つは新しく砂防ダムを見つける事。
一つは砂防ダム音楽を楽しむための方法を研究する事。
一つは砂防ダムへ出掛け、安全に帰ってくる方法を研究する事。

ちょっと考えただけでも出てくる「やらなければならない事」。

私の住む静岡県沼津市は今月10日に梅雨入りを迎えた。雨の降る日が多くなった。雨が降る中でのゲームを研究するのも一つの手。

こんな時だからこそ楽しまなきゃいけない堤体があるのではないか?

いや、こんな時はあきらめて家にこもるのも一つの手。

たまには家にこもって、出来る事を。より充実した砂防ダム音楽ライフを実現していくために。

左は切り花用の花筒、右はインクリーザと呼ばれる配管用部品。
インクリーザの型番。
花筒をひっくり返して、底に穴を開けていく。

掲げた四項目をどのように、

家にこもって出来る事を考えてみた。
一つは砂防ダムに行く事。←砂防ダムに行く計画を立てる。

一つは新しく砂防ダムを見つける事。←砂防ダムがどこにあるのか?ということを調査する。地理院地図を使って。グーグルマップの航空写真を使って。

一つは砂防ダム音楽を楽しむための方法を研究する事。←その砂防ダムが持っている魅力は何なのか?もっと広い範囲で見て、砂防ダムの置かれている環境。観光インフラ含めて。

一つは砂防ダムへ出掛け、安全に帰ってくる方法を研究する事。←安全運行には経験が欠かせない。砂防ダムに行った経験を整理すること。危ない目に遭ったとか、逆にこんなことをして危険リスクを減らせたとか。

穴は円形に。
円形に開けた穴をニッパーでつなげていく。
すると底を切り取ることが出来る。

水が好きな同士

一番目と二番目は日常的に出来ている気がする。

ダメなのは三番目と四番目。
先に四番目に関して言うと、もっと日々、振り返っておく必要があるように思う。
砂防ダム周辺はそもそも危険箇所であるということを忘れてはならない。

危険箇所に入って行くことには責任があると思う。自分が大けがをするにしたって、命を落とすにしたって、それらが現実となった時には「片付ける」人手が必要になる。踏みしめる一歩一歩が慎重で無ければならないのは、自分自身の体がもはや自分自身だけの体では無いのだということを自覚する必要がある。

ひとに迷惑をかけないように!

また、私の行動をマネて砂防ダムへ行き、大けがをしたとか、それ以上の目に遭ったとか言われても、それに対して責任を負う気はさらさら無いが、できる限り不幸が発生しないように、日々情報発信していくことはできると思う。

砂防ダムに行くことを楽しいと思うには、まずやはり「水」という物質がかなり好きでなければいけない。水が好きで、その水を見に行きたいと行動する人。そんな人は私にとって“同士”である。水が好きな同士(同じ仲間)として仲良く、協力して、情報交換して明るい未来を拓いていけたらな、と思う。

切り取って出来た穴を金工ヤスリで拡張する。
穴の拡張はインクリーザがギリギリはまる大きさになるまで。
しっかりはまることを確認したら、いったん取り外す。

始めた頃からの思い

三番目の、
一つは砂防ダム音楽を楽しむための方法を研究する事。について。

観光インフラなんて書いたが、これはかなり重要な要素であると思う。砂防ダムというのは本当にあちこちにあって、そこにたどり着くまでに何があったか?もそうであるし、その帰りに何があったかも、いちレジャーとして重要なファクターであるのだ。

観光インフラ無しに砂防ダム音楽は語れない。と言っても過言では無いくらいに重要なことであると思う。

それだったら、砂防ダムへ行って歌ってきたなんてエピソードはいらないから、観光情報だけ書いておいてくれればいいよ・・・。という方へ。
いやいや、私も砂防ダム音楽家として始めた頃からの思いがある。

砂防ダム音楽を楽しむために何をすればいいのか?

考えてきたことはこれに尽きる。

砂防ダム音楽を楽しむためのメソッドとして渓畔林を使うということはこれまで何度も書いてきたが、その渓畔林の持つ音楽的資源をより効果的に利用していくために、道具を使っていくことを決めた。

道具とは「Vメガホン」のこと。

ご覧の通り、冒頭より画像にてVメガホンの作り方を解説させてもらったのでぜひ参考にしていただければと思う。
より充実した砂防ダム音楽を実現していくために考えた、私のアイデアである。

砂防ダム音楽の楽しさ、その追求に終わりは無い!

もう1個の花筒も同様に。
次に、インクリーザにちょうつがいを取り付ける。
ちょうつがいを取り付けるための穴を開けたところ。
取り付けにはキャップねじ+ナイロンナットを使用。
二つのインクリーザをつなぐことが出来た。
花筒をはめればVメガホンの完成。
Vメガホンの使い方。

箱根峠

6月23日は、昨年も入った黒岩橋下流の床固工群に。

今回のエピソードも日没前のゲーム。

6月23日午後5時すぎ。ホームセンターの駐車場を出発し、箱根峠を目指した。利用する道路は国道1号線。日本の大動脈だ。

この国道1号線、とにかく交通量が多い。普通乗用車もそうだが、大型車両の通行が目立つ。夕方の時間帯はさほど多さは感じないが、深夜や早朝などは何台ものトラック、ダンプ、タンクローリーいった車両が鉄の軋む音を鳴らしながら走る姿を特に見かける。“巨体”はそれに似つかぬ猛スピードで我々市民の目の前を通過し、瞬く間に遠く彼方へ消えてゆく・・・。

こちらの在住は静岡県東部地区(沼津市。ほかに三島市、裾野市、御殿場市等)。これら大型車両は、同範囲内を出発地、目的地として走っているものももちろん含んでいるが、多くは都道府県を越えて移動している長距離輸送の車である。車のナンバーを見れば、北は北海道から南は沖縄まで実に多彩だ。

北海道も沖縄も離島でしょ。どうやって来たの?

このような日常の光景は、静岡神奈川両県県境に位置する静岡県東部地区ならではの出来事だと思う。そして国道1号線(とくに上石田インター以東)で見かける県外ナンバーの車両は「箱根峠越え」に多くが関わっている。

標高846メートルにある県境、箱根峠を越えてやって来た、あるいはそこを目指してこれから坂を登るという車両の面々。
市街地で制止しているトラックのドライバーは何を思うか?赤信号が切り替わるのを待つその姿を見ていても、ほとんどそこまで想像する事は無いが、これから先にあるのは峠道。

緊張か?それとも楽観か?

大型は運転した事が無いのでわからない・・・。

こちらは普通乗用車で今から。僅かに感じる緊張感とともに、坂を登り始めた。

三島塚原IC交差点

三ツ谷工業団地

この日は、神奈川県足柄下郡箱根町を流れる須雲川、黒岩橋下流の床固工群を目指しての箱根峠。伊豆縦貫道(東駿河湾環状道路)との交差地点である三島塚原ICを通過し、以降は登り主体の道が始まる。三島塚原IC通過直後には、道は大きく右にカーブしながら伊豆フルーツパーク前を通過。

塚原橋をわたり、一番亭前、富士食堂前、三島青果市場前などを通過すると、道の左端に登坂車線が現れる。スイスイと軽快に登って行ける車用に、今までの車線を譲るかたちでそちらに逸れる。このあたりは三ツ谷バイパスと呼ばれる区間である。

大型車両の通行も多い国道1号線なだけに、バイパスはなるべく歪(いびつ)なラインにならないよう、なるべく直線的に、カーブは大きな円を描くようにしながら上へと続く。

地元有力物流企業であるアオイトランスポートの前を通過すると、右手側には区画整理された真っ更な土地が見えてくる。このあたりは三ツ谷工業団地と言うそうで、最近では鹿児島資本の業務用食品の会社が営業所を作った。

三ツ谷工業団地も越え、馬坂口バス停を過ぎればやたらと長い直線区間が現れる。
―ここは変わったなぁ・・・。―

やさしく走ろう箱根路

大曲

変わったのはその長い直線区間の最後のほう。今までの道路はこの長い直線から大きく左方向に曲がるヘアピンカーブを介して急激な登り坂を迎えていた。どうやら直線区間でスピードを上げる車が多かったようで、ヘアピンカーブの存在を注意喚起する大きな看板や道路上の舗装が特に印象的であったが、今はそれらも消され、物々しかった雰囲気を無くしている。

左にカーブして登った先には「杉崎商店」という名の酒屋があって、その看板を見るたびにとある美人アナウンサーの顔を連想したものだったが、今ではそんなことも無くなってしまった。現在、杉崎商店方向に行くには元ヘアピンカーブがあったあたりに出来た「大曲」信号を左折して坂を登ることになる。

そして、箱根峠を目指す車は大曲信号をそのまま直進するよう変更に。信号を越えてからは山を削って作られた新区間を行くことになる。新区間の名称は笹原山中バイパス。総延長約4.3km。かなりの規模で山を削ったということは、周囲を見れば容易に分かることだが、この笹原山中バイパスはその事業着手年がなんと昭和63年であるという。

そして実際くるまが走るようになったのがめぐりめぐって今年の2月。
およそ30年以上もの時を経て供用開始に至ったまでの経緯は知る由も無い(用地買収?難工事?)が、そこに莫大な資金と人手が投入されたということは想像に難くない。

大型車両および一般車両が事故を起こすことを防ぐために作られたバイパスの新区間は想像以上に、ドデカい公共事業であったようだ。

新しく出来た大曲信号交差点。箱根峠へは直進するようになった。

インスペクション

山中城1号トンネルを抜け、笹原山中バイパスの区間も過ぎると、箱根峠までの登りはおよそ中間点越え。以降も右に左にぐねぐね曲がる道を進みながら峠を目指す。このあたりは今の時期であれば路面の(凍結の)心配はする必要が無いが、霧による視界不良が怖い。

最大に危険と感じるのは登りきった箱根峠を過ぎてからで、国道1号線が芦ノ湖方面と箱根新道に分岐する「箱根峠IC」のあたり。静岡→神奈川方面へのインターチェンジ越えは道がそれほど複雑では無いため難なく越せるのだが、反対車線の通行時、つまり神奈川→静岡方面への移動は濃霧時において格段の注意を払いたい。

現在でも一番リスクが高くなるであろうインターチェンジの合流は悲しいかな、ほとんど有効と思われる対策がなされていない。良くも悪くも信号機が無い。日本の大動脈上に信号機を付けて安易に経済活動を妨げてはならないということか?徐行運転をするなどして各自解決せよ。ということになっているようだ。

案内板を掲示するために立てられた鉄柱やガードレールの袖ビーム(ガードレールの端にクルッと付いている鉄板のこと)との衝突にも注意をする必要がある。

箱根峠ICを初めて通過する、もしくは初めてで無くとも久しぶりにここを通るというのであれば事前にインターネットというツールを利用してインスペクションしておくのも手では無いかと思った。

グーグルマップのストリートビューを利用すれば、道路の形状を把握しておくことが出来る。

ここは霧の名所。要注意。(画像は別日に撮影したもの。)

富士食堂

6月23日は午後6時40分に入渓。つかの間の歌を楽しみ、午後7時20分に退渓。

帰りは霧の発生にドキドキしながら、箱根峠ICに向かって走ったが、幸いにも、困難に直面することも無く無事通過してくることが出来た。そのまま箱根峠も越えて、笹原山中バイパス、三ツ谷バイパスと来た道を戻る。

とここで、前々から気になっていた「富士食堂」に立ち寄る。箱根に行った帰りと言えばたいてい「味の終着駅」こと次郎長に立ち寄るのだが、この日はそれより以前にある富士食堂で腹を満たすことにした。

店に入り、迷うことも無く注文したのはモツ煮定食。店にはこの店のママと、常連おぼしき夫婦がいて、その夫婦の姐さんとママがおしゃべりをしている。
やがて、料理が運ばれて来た。すると手の空いたママが話しかけてくる。

「お兄ちゃん、トラックの運転手?でも無さそうな体型だねぇ・・・。」

今日は箱根に行った帰りだと、また昼間はホームセンターで園芸の仕事をして、それが終わったあとの箱根だったと告げるとママ、姐さん共々大喜び。

「あぁ、そうなのぉ。こんど行ったら声かけるねぇ。」と。やっぱり女の人はどの人も花が好きだなぁ。
温かいモツ煮を食べながら、安心感に浸ることができた。峠を下りてきたという安心感に。

富士食堂
床固工群への道。樹木で回廊のようになっている。
コアカソ
コクサギ
フサザクラ
護岸によってコース状になっている。
堤体全景。

猫2

猫2

帰ろう・・・。その白を見て思ったのだった。

6月10日、時刻は午後7時半のこと。場所は猫越第2砂防堰堤。略して猫2。

画像の通りドカンの砂防ダムである。堤体の上流には猫越川本流と河原小屋沢(洞川)の2本の流れがあって、その2本が合流することで分厚い流れが生まれ、水の塊のようになって押し寄せた先にあるのがここの落水だ。

猫2と言えば夏の夕方、日没前に入るのが面白い。
ルアーマンが1日釣りを終えて、さあこれから帰りますという頃、こちらはウエーダーを履いて意気揚々と猫越集落の農道を闊歩する。

「おい、兄ちゃん。アマゴならもうオレが散々叩いたからスレきってるぜ・・・。」なんて言わんばかりの視線を浴びながら、堤体横の階段を目指して歩く。車は足澤橋手前の三叉路あたりに置いて、そこから5分程度上流側に行けば目的の階段を見る事ができる。

階段から渓畔林に降りて、さらに川に降りる。駐車場所からトータルしても10分ほどの行程で入れる、入渓にはお手軽な堤体である。

ツブラジイ
クヌギ
ニガイチゴ
ビワ

広い空間

そんな入渓に時間のかからない猫2なのであるが、先月14日夕方の入渓であることを閃いてしまった。もともとここは猫越集落のかなり奥地にあり、豊かな自然環境を見ることが出来るような山の中の堤体であるが、それはせいぜい“奥地”という段階であり、もう民家が全く見当たらなくなるような“最奥地”とは若干異なる。

エリアの広くは山に囲まれていて、それよりも内側、堤体に近いところは水田、休耕田、荒地が多く、日中は太陽光が(地面に対して)比較的広い範囲で降り注ぐ。また、猫2の堤体上は、両岸の岸沿いに渓畔林が茂っているものの、中央部分は数本の木が生えているだけ。ほぼ土砂で埋め尽くされていて、これまた広い空間が出来ている。

これに対し、最奥地の猫越川本流や河原小屋沢とそこにある堤体は、両岸近くに斜面が迫っており、その(どちらかといえば)圧迫感を楽しむような堤体めぐりをすることができる。

猫2はまだまだ中流域と言ってもいいかもしれない。一帯は空の方向にも横方向にも空間が長く広がっていて、しかしながら響き作りには無くてはならない渓畔林に関して、しっかり生えているというイメージを私は持っている。

先の14日も夕方5時すぎに、猫2堤体前に入ってフーゴ・ヴォルフなどを楽しみ、同7時に退渓をした。その退渓時間となった午後7時であったが、
―まだまだ全然イケるんじゃねえの?―
と正直おもった。

特に放水路天端上の空間から差し込む空の光が明るく、これならばこのあと8時台、9時台も“あの条件”を見方に付ければやれるのではないかと思っていた。 

水抜橋
足澤橋前の三叉路。画像右端ジャリのあたりに車を置く。
猫2堤体横。あたりは広い空間に包まれている。

“あの条件”

“あの条件”を見方に付ければやれるのではないかと思っていた。

ところで、以前にもここに書いたことがあるが、海の魚のスズキをルアーで釣る「シーバスフィッシング」が私の趣味だということがある。最近では回数こそ減っているものの、定期的にシーバスゲームをたしなみ程度、通って楽しんでいる。

過去にはこれにハマって頻繁に夜の釣りに出掛けることもあった。一般的に、スズキという魚は夜行性であるゆえ、どちらかと言えば昼よりも夜にこれを狙って出掛けるのがシーバスフィッシングの通例とされている。私においては、その夜の釣りで「満月の夜」に数多くの空振りを経験してきたのである。一匹も魚が釣れなかったということだ。

釣れないと分かっているのに、ムキになって挑戦し、何も釣れない釣行を何度も何度も繰り返した。そんなときは決まって、帰る頃には気も抜けて、懐中電灯も点けることなく肩を落としながら、煌々と照らす月の光のなかを家路に就くのだった。

だがそういった釣りでも、名人と呼ばれる人や、満月でも関係なく釣ってしまう釣り人というのが世の中には巨万といるそうで、それはそれは敬服に値する。その人たちにとっては何でも無いことなのであろうと思うのだが、私の場合は殊に満月との相性が悪い。

―チクショウ、満月じゃ釣れねえよ!だいたい夜なのになんでこんなに明るいんだぁ?―

「満月の夜」の空は青白く光り、100メートルも200メートルも先の水面の様子が見えてしまう。海のそれほど深くない場所では、底の方まで丸見えになってしまい、昼の海と比べてもかえって水中の謎をどんどん解き明かし、海の神秘性を希薄なものにしていった。

自分の中で「月の光」こそが全てを映し出すものだというイメージが、釣りでの経験によって培われたような気がするが、そんなイメージがあったことを思い出し、今回はそれを川というフィールドで、砂防ダムの音楽に利用してやろうと考えたのだった。

2020年5月の満月は7日だったことを同月14日に気が付いた。それならば次のチャンスは翌月6日だ!

6月6日、伊豆縦貫道。大仁料金所前。

迎えた6月6日

6月6日、午後5時すぎに沼津市内の自宅を出発。伊豆縦貫道を経由し、一路猫越川に向かった。その自宅を出る際、気になったのが空模様。空はねずみ色の雲に覆われ、とてもじゃないが満月の夜の世界など想像することが出来なかった。

それでも、これは沼津市内でのこと。伊豆半島という別地へ行けば悪天候も良いように変わってくれるだろうと希望的観測に全てを委ね、祈るような思いで車を南に向かって走らせた。伊豆中央道、修善寺道路、大平IC、旭日橋、矢熊、市山と進む間も常に、晴れることを信じて走り続けた。

途中、天城湯ヶ島のセブンイレブンに寄る。買い物の所要時間があった分、期待させてもらったが、結局入った時と出た時で空は何一つ変わっていなかった。数分程度では当たり前であろう。ワラにもすがるとはこのことか?

本当に嫌な予感しか無い。そしてそのまま車に乗り込み、湯ヶ島温泉街を抜け、水抜橋も渡ってしまった。猫2はもう近い。

橋を渡って丁字路。迷わず猫越川とは逆方向の右に向かって折れる。
―うぅ・・・、今から持越のCに肝試しに行ってくるから、ここへ戻ってきた頃には煌々の月明かりで照らしてくれておくれ。―
と、持越川方面に車を向けたのだった。

煌々の月明かりで照らされる。という前提で行動しているはずなのに、肝試しをしに行くというちぐはぐさ。支離滅裂の思考になるほど追い詰められていた。

そして迎えた時刻は午後7時半。段階的に暗さを増し続ける空が、ある一定のところでキープされるのだろうとその瞬間を待ち続けていたら、空は無情にもそのまま闇夜の領域に突入してしまった。

本当に真っ暗で怖すぎるCの前で記念撮影をしてから水抜橋に戻ったが、やはり暗すぎる。これではダメだ・・・。猫2そのものにも行く気になれず、橋を渡って引き返した。

そしてそのまま湯ヶ島温泉に行き、中止になったはずの「湯ヶ島ほたる祭り」を多くの観光客と一緒に見学した(人が多くて結局お祭り状態だった。)のち、共同浴場の「河鹿の湯」に浸かって家路に就いた。

河鹿の湯

ゲーム

それから4日後の6月10日。気象庁が東海地方の梅雨入りを発表したその日、今度こそはと猫2に入った。午後5時すぎにホームセンターを出発し、足澤橋手前の三叉路に車を停めたのが午後6時半。そこから歩いてやはり10分で猫2の堤体へ。

この日は曇りどころか雨が降っていた。6日よりもさらなる悪天候。今日はどうなるか?

とりあえずは「夕方~暗くなるまで」という時間的限定を設けて、思いきりエンジョイするつもりで入渓した。どの程度暗くなるまでかは、具体的に決めていない中であったが、なんとかなるだろう・・・。

bluetoothスピーカーの電源を入れ、フーゴ・ヴォルフを選ぶ。落水の状態がドカンだからスピーカーの音量を上げて対処する。堤体の二階にポッカリ空間が出来ていて、そこに歌を乗せてやるつもりで声を放つ。音はドカンの堤体前空間の中で微かに響いているか、いないか程度に返ってくる。

パワーバランス的に言ってこれくらいが丁度良い。これぞ砂防ダム音楽の楽しみだという力関係の中で“ゲーム”を展開した。猫越川中流域の分厚い流れの中で、自分の出せるかぎりの声を出す。大きな大きな水の塊に、自分の「歌」の相手をしてもらった。

しかしそんな一時も惜しいかな。楽しい時間はあっという間に過ぎるようで、あたりはどんどん暗くなる一方。時が止まらない。確実にせまり来る夜を待つ中でゲームを楽しんだ。

あたりが段々と暗くなってゆく。6日と同様、段階的に暗さを増し続ける空が、ある一定のところでキープされる・・・。なんてこともなく闇夜の領域に突入してしまった。

この日は堤体前で闇夜を迎えることになった。いつになったら帰ろうか?

堤体からの落水は相変わらず白く光っていた。闇夜の中でも落水は白には白で見ることが出来た。しかしその白は、おおよそ砂防ダムの音楽が出来る白とは違っていた。濃く、深く、重たい白で、昼間とは違う顔を見せてくれた。危険な白、息を止めようかという白、命を奪おうかという白であった。

帰ろう・・・。その白を見て思ったのだった。

堤体全景。

川下で遊び、川上で遊ぶ。

沼津市西浦河内を流れる西浦河内川。(十二田橋より)

6月4日午前11時すぎ、河内公民館前にて気温を測る。

29。5℃。暑い・・・。

日なたに居るのが辛い。渓畔林があるところに行こうと、公民館裏に避難を決める。

今日は公民館裏で歌うのか?

いや・・・。今日は釣りをしに来た。それはもう先月のことであるが、西浦河内川沿いで気になる看板を見つけたのだ。
「西浦河内川における魚介類採捕の制限について」

看板の内容は川の漁期を示している。アマゴ釣りは3月1日~、アユ釣りは6月1日~、うけ禁止。投網、コロガシ禁止。入漁券の記述が無い事から、入川自体については自由に出来るようだ。

看板はずいぶん以前からあったようだが気がつかなかった。

一台のトラック

公民館裏にて入渓の準備をする。普段砂防ダム行脚に使用しているウエーダーを履き、そのほか準備を整える。暑いのにウエーダーなんて履くか?と言われそうだが、大小の川石はツルツルの藻でびっしりで、その上をサンダル履きで歩き回るのはどう考えたって賢明で無い。

ここは公民館の真裏。公民館の隣には民家。滑って、転んでバシャーン!では迷惑が掛かってしまう。
道楽モノは静かに遊んでいたいのだ。

ふと見れば、公民館の駐車場に一台のトラックが入ってきた。そして駐車場のド真ん中に車を停め、サイドブレーキを引く音。えっ、漁協の人?

いやいや、車から降りてきたのはゴミ出しに来た農家風の女性。あたまには大きなリボンの麦わら帽子を被り、長袖、長ズボンに長靴、口にはマスクをしている。まさに農家の女性のデフォルトスタイル。
ここでは“農家”じゃ足りないか?“ミカン農家”の女性が正しい。

大変な土地に嫁ぎましたな。ミカン栽培は農薬が大変でしょう?

公民館裏のゴミ捨て場

入水!

女性はゴミを出し終えると、すぐさま出て行ってしまった。もう昼も近かったから農作業の合間の時間であったか?こんなに暑いのに大変だなと思いつつ、自分は今日ここでケガせぬようにと集中する。

川に入るには2メートル程度の段差を降りる必要があるため、公民館裏の護岸に打ち込んであるハシゴを利用する。今日はバケツやら、エサのミミズやら釣竿やらで道具が多い。それらを何回かに分けて運ぶとようやく川の中に降りることが出来た。

そして、まずやったこと。
入水!
ウエーダーの気密性から来る風通しの悪さ、それに伴う暑さからはようやく解放された。数分ぐらいはただただそれが嬉しくて、意味も無く水中をバシャバシャしていた。そうしていると今度は、適温ぐらいになってくれてむしろ気持ちよくなってきた。

測ってみれば水温は19.5℃。これは涼しい。上から垂れ下がる渓畔林のおかげもあると思う。来て良かった!


釣りの仕掛けをセットする。竿というよりロッドはバス用の1.8メートル。ベイトキャスティングリールを付けて、糸の先には大きめの袖針をセットする。ハリスは1号。針の上10センチほどのところにガン玉を一つ付けてとりあえずはミミズがちゃんと沈んでくれるようにする。

・・・、
どう考えてもアマゴにはたどり着けないであろう太仕掛け&ショートロッド。竿は家にあった適当なものを持ってきた。リールも同様。
港町の男は適当な釣り具で魚捕りをするのだ!という訳の分からない持論を呟きつつ釣りを開始する。

大きな川石の下のえぐれたところに狙いを定め、ミミズを落としてゆく。何も反応が無ければ次の川石の下、また次、その次とテンポ良く探ってゆく。

上から垂れ下がる木の下、涼しく快適な環境の中で水中生物たちと遊んだ。

釣果の程は、バス用ミディアムライトアクションのロッドが小物どものアタリを見事に弾き弾きで苦戦を強いられる中、なんとか3匹のテナガエビと1匹のオオヨシノボリを引っこ抜いて完結。納竿となった。

河内公民館前にて気温を測る。
川石の下を探る。
このあと川にお還りいただいた。

「市民の森」

午後3時すぎ、車に戻り、いったん内浦三津のコンビニに立ち寄ったあと、再び西浦河内を登り始める。向かう先は沼津市市民の森駐車場。ミカン畑を抜け、集落を抜け、そしてまたミカン畑、さらにミカン畑を抜けるとようやく広葉樹の森が広がり、それも抜けて市民の森駐車場にたどり着く事が出来た。

駐車場に車を停め、早速おりる。暑さもだいぶ和らいだ。気温は20℃。

まずは虫除けスプレーを肌が露出しているところに噴きかけ、しっかりすりこむ。これをやっておくことで害虫から身を守る事ができる。(一応、ここの“注意喚起”に準じて対策施したつもり。)

それからウエーダーを履き、フローティングベスト、帽子といつも通り準備する。もう夕方になってくれたおかげもあって、ウエーダースタイルでも暑く無い。さて、今から向かう先は市民の森入り口の橋から上流100メートルほどにある堰堤である。

おあつらえ沢に降りられそうなところを見つけ入渓すると、すぐに堰堤にたどり着く事が出来た。
堤高は5メートルほど。堤体の横幅を示す堤長も土に隠れて正確には分からないが、10メートルちょっとといった程度であろう。さほど大きな堰堤でも無い。

堤体の水裏(手前側の壁面)には正方形断面、長方形断面で出来たジグソーパズルのような模様が入っており、その断面の四角形に水がまとわりつくようにしながら落水をしている。

「市民の森仕様」いかにも。

設計会社、建設会社による景観配慮型デザインは渾身の力作であろうか?

さて、歌のほうであるが堤体左右を取り巻く渓畔林は幹の細い広葉樹中心に構成されており、音がそれらに絡みつくようにしてから(イメージだが、)抜けてくれる。特にジグソーパズルのような水裏はその壁にぶつかった音を横方向にも縦方向にもかなり放出するようで、一つの堤体前空間としてはかなり良く響く。

音響的には申し分ない。そして歌い手の立場として言ってもこの場所は大変に歌いやすい。

これは常々のことだが、歌というものは上手であれ、下手であれ、「歌」という一つの文化を取り扱っていると思っている。その文化の活動の支えとなる公共施設の存在は大変にありがたい。これまでキャンプファイアーなり各種ミーティングなりで多くの人々の「声」を受けてきた森に、今日は自分の歌声を受けてもらっている。


なんだかベテラン教師に自分の歌声を聞いてもらっているような安心感と、しかもそれが学校のような教育施設でやっているオフィシャル感があるところ、それがいつもの堤体と違う。たまにはこんな場所での歌もある。

リラックスしつつ、音楽を楽しむことができた。

ちなみにここは西浦河内川の上流域にあたるところ。同じ川で遊んでいた。
川下で遊び、川上で遊ぶ。そんな一日だった。

市民の森へは公式ルートで。
一帯はミカン畑ばかり
公式ルートでも見通し悪い所が多数。安全運転を。
タニウツギ
ヒメコウゾ
ガクウツギ
ミツバウツギ
エゴノキ
モリアオガエルの卵が、
べちょべちょ
堤体全景。

呪文を唱える合唱曲〈後編〉

鮎の歌 湯山昭
二の小屋川を示す看板

つづいて〔二の小屋〕について。二の小屋とは二の小屋川のことで、こちらは伊豆市吉奈、吉奈温泉付近を流れる。“付近”というよりさらに解りやすく表現させてもらえば、

二の小屋川は吉奈温泉“内”を流れている。

吉奈温泉には現在、そして当時も「さか屋」と「東府や」の2大旅館があり、両旅館は県道124号線を挟む形で向き合うようにして玄関を構えている。その県道124号線から一本北側に入ったところの狭い道路沿いに二の小屋川は見ることが出来る。

こちらもまた火の沢川同様、幅1メートルほどの小川だ。現在については、「土石流危険渓流」の看板が立てられているあたりも共通している。

位置関係的に両旅館に大変近く、「これはウチの旅館庭園の遣り水です。」と言われても、不思議じゃないくらいのところを流れている。
吉奈温泉内を流れている。という書き方をしても全く問題の無い距離感だ。

そして、二の小屋川は最後、吉奈温泉のシンボルスポットの一つ「登橋」下流側すぐのところで、鮎の歌の〔吉奈〕こと吉奈川に合流しているあたりも火の沢川によく似ている。両者とも狩野川には直接流れ込むのではなく、船原川や吉奈川を介しているのだ。

二の小屋川

どういうわけか皆沢を挟む

〔二の小屋〕と〔吉奈〕はこのように、吉奈温泉と密接な関係にある。そんな吉奈温泉ヒタヒタな二つのワードに挟まるようなかたちで、〔皆沢〕は何故か?登場する。

じつはこの皆沢について、狩野川支流の河川としては2本存在する。1本目は狩野川東岸、伊豆市矢熊を流れる下り沢川のこと。別名:皆沢川。もう1本は狩野川西岸、伊豆市門野原を流れる皆沢川(みなざわがわ)のこと。

私個人の見解として有力なのが、伊豆市門野原の皆沢川。皆沢川のある伊豆市門野原は吉奈温泉のある伊豆市吉奈に隣接する大字で、一本の山道でつながっている距離的にも大変近い集落だ。

前述の県道124号線をさか屋、東府や方向に向かって走ると、それより以前のところに東府やの日帰り温泉客用駐車場があるが、その駐車場手前の丁字路を南に向かって左折し、小高い丘を少しのぼり下りすると、一本南側の谷に出ることができる。

この谷を流れるのが、皆沢川。小高い丘を越えるのはさほどきついことでは無く、谷も谷というほど深いものでは無い。お散歩コースというレベルの山越えである。

詩人の関根栄一が取材時に、この小高い丘を越えたのかどうかは定かではないが、少なくとも狩野川東岸という、全くあさっての方角にある伊豆市矢熊、皆沢川をこの並びにもってくるというよりは、吉奈温泉にほど近い本川を入れ込んでくるということのほうが自然である。

消去法的に言って、吉奈川と隣り合った方の皆沢川を言っているのだと判断したということ。ちなみに、狩野川東岸とか狩野川西岸とかいう言い方をしたが、くだんの呪文部分のトップにある〔猫越〕と一番最後にある〔桂川〕も狩野川西岸に属する。

これらもまた、まず猫越のワードの元になった猫越川は湯ヶ島温泉に隣接し、桂川は修善寺温泉に隣接する。さらに下衆で余計なことかもしれないが、皆沢川の流れる伊豆市門野原も嵯峨沢温泉がある点について付け加えておく。

駐車場前の丁字路。吉奈温泉の看板が目印。
小高い丘の峠付近。詩人も歩いたか?
小高い丘を越えると皆沢川はある。

ヒステリー

ここまで温泉、温泉と散々書かせてもらったから、もうお気づきになったことと思う。

狩野川の本流にそそぐ・・・。なんて言っているけれど、一連の呪文のような詩の部分は

・・・、暗に伊豆の温泉を宣伝しているのでは?

それが意図的な事なのか、偶然的な事なのかということについてはわからない。しかし何者かのように、この歌の詩に興味を持って一本一本の川や沢を調べ、腰を上げて行動した暁には、最終的には「鮎の歌」の導いた温泉地へその者は立つことになる。

そこには温泉宿や土産物店という商業施設が待っていて、「お客さん、旅の疲れにひとっ風呂どうですか?」とか「美味しいお土産ありますよ。」なんて訴えてくるのである。そうなってしまったら・・・?

その流れに身を任せ、現地の湯や美味しいものを満喫すれば良いではないか。まさに「だまされたと思って」リアルな旅のおもしろさがそこにはあると思う。

「お~い、〔狩野川の本流にそそぐ流れ〕だったら、流域で長さ最長の黄瀬川とか、東洋一の湧水量と言われた柿田川があるし、三島市内の合唱団委嘱だったら大場川や境川も必要だら?」などというクレームはここでは受け付けない。ただただ湯に浸かって、心穏やかに時間を過ごしてほしいと思う。一説には船原温泉の効能の一つには「ヒステリー」というものがあるらしい。

「ヒステリー」に覚えのある音楽家は、どうぞご利用くださいまし・・・。

水垢のしっかり付いた狩野川
狩野川に流れ込む吉奈川(右上)

日本全国どこでも楽しむ事が出来る

詩というのは文学の一種である。その文学の世界にもきっとトレンドというか、流行みたいなものがあるのだと思う。

高度経済成長も終焉して以降の昭和47年。当時は私の生まれる前だが、その頃からすでに「都市開発だけで無く、田舎の鄙びた風景も大事にしていこうよ。」といった種の動きがあり、様々な媒体を通じて各地の田舎の風景や古い町並み、その中の商店や旅館が宣伝されていたようである。文学の分野では実在する地名、温泉地、温泉宿を物語に組み込むということが流行って、「鮎の歌」もそういった流行に幾らか影響を受けてしまったか?と思う。

いやいやそんなことは無く、これは純粋に、詩人が自分の足で歩き、自分の目で見て確かめたものだけを作品中に取り込んでいこうとした結果、特定の地域が集中的に書き込まれてしまったのだ!と主張するか?

私は関根栄一の書いた「景色がわたしを見た」や「もえる緑をこころに」という作品が大好きである。したがって、これ以上の詮索はやめておこうと思うが、詩人の名誉のためにもこれだけは言っておきたいということがあり、それは「鮎の歌」に関して、地名という、実在する固有名詞を用いたのはくだんの呪文の部分だけであるということ。

鮎の歌は正式には「合唱組曲鮎の歌(全5曲からの構成。)」の5曲目にあたる曲で、呪文の部分以外はすべて組曲全曲通して普遍的に通じる言葉、つまり日本全国どこでも当てはめて考えることができるような景色、動物、植物をうたっている。

これならば、この歌を日本全国どこでも楽しむ事が出来る。

そして日本の景色を詩で歌うという行為に関して、私の知るかぎりでは、関根栄一の右に出る者はいないと常々思っている。この大詩人が書き残してくれた詩の舞台に日常的に接し、砂防ダム音楽家として活動出来ている今の状況については大いに感謝し、幸せをかみしめていきたい。

今回、鮎の歌のことについて書こうと思ったのは、最近起こったある出来事に基づいているのだが、世の中がどのような状況に変化しようとも、愛する歌には残り続けていって欲しいと思っているところである。合唱の曲というのは決して簡単なものでは無いが、人々を感動させる力を持っている。

郷土の美しい自然を歌った愛する歌を残していくために、合唱という素晴らしい文化を残していくために、これからも沢を登り続けていこう!

いつまでも呪文を聴く事が出来るように。

吉奈温泉のシンボルスポット「登橋」
登橋から撮影。吉奈川と左上は二の小屋川。
こちらは神亀橋から覗いた吉奈川
皆沢川に入った。
皆沢川の堰堤①
皆沢川の堰堤②