遠くの景色

画像左端にうっすらと利島、新島

9月21日、午前中は賀茂郡東伊豆町白田川河口のゴロタ浜に立つ。
正午までの天気予報は雨であった。しかし、天気予報によれば、そこからは晴れるという。とりあえずは、釣りをしながら陽気が差すのを待つことに。

以外と簡単に見えるもんだな。

海が穏やかで、遠くには伊豆大島、利島、新島などが見える。近視で眼鏡を掛けている自分、このテの「見える系」の話しは苦手なのだが、そんな私の目でもってしても見えてしまう見通しの良さが今日の海にはあった。

沖合には一艘の船。遊漁船と思われる。なにやらフルスロットルで走りはじめた。“鷹の目をもつ男”が鳥山を発見したか?

鷹の目をもつ男とは話が噛み合わない。一人、遠くの景色を楽しみ始めるのが常だ。

あぁ、鳥山が見える・・・。ナブラが・・・。
あぁ、シイラが泳いでる・・・。
おっ、釣ったな・・・。

・・・。見えないよ。全然。

私の目にも分かるのはあの船にはスパンカーが付いている。だからキャスティングのルアー船では無いということ。鳥山やナブラを見つけて航走しているのでは無いということ。事実ふねは熱川方向にむかって走り去って行った。

なにも釣れぬまま時刻は11時。午前船は沖揚がり、自分もゴロタ浜を揚がることにした。

伊豆大島はこんなにもはっきりと
熱川方向。白い建物は南熱川しおさい館
逆の稲取方向。伊豆急行が走っていたので一枚。

爆音!

白田川河口に植えられたクロマツを軽く観察したのち、河口部を離れる。
国道135号線まで出て、白田橋に向かって走った。その橋にさしかかる直前、黄色っぽい3階建てビルの様子をうかがうと、入り口前には小さな文字で書かれたホワイトボード、それに「営業中」のノボリが確認出来た。

いったん橋をわたり終えて、ぐるっとまわってUターン。さきほど確認したビルの駐車場に頭からツッ込ませて駐車した。

車から降りて入り口ドアを開けると、
掃除機の爆音!
これには拍子抜け・・・。
初見の店の緊張感もどこかへ消えてしまったところで2階に上がるよう案内された。

窓から見える白田川が綺麗だったので窓際の席に決め、椅子に腰掛ける。

窓の外には見下ろすように国道135号線と白田川と白田橋。今日は明らかに道路がにぎやかである。車上のルーフキャリアに積まれたサーフボードのフィンが風を切って通り抜けていく。
マリンジェットを引いた大きなRV車も。ややあって、今度はツーリングの一団が綺麗に隊形乱さずやって来た。

白田橋の南側には「白田」の信号があって、それが赤になったり青になったり切り替わるものだから、車もバイクも止まったり、そこからノロノロと進み始めたりする。
一時的に橋の上に小さな渋滞のような車列が形成されるが、運転者の表情はみな至って晴れやかだ。

気まずい顔など無い。隠れるように観光地に向かってた先月までとは違う。

堂々と橋をわたって、堂々とその場所その場所に赴くことが出来る。待っているのは晩夏に最大色濃くなった伊豆の緑と蒼の海。こんなにも美しいものを「自粛」の二文字で放り投げておくのはナンやらの持ち腐れである。

今日は自然の恵みを無駄にすることなくいただこうではないか!

この店の大女将おぼしき女性の手によって小舟が運ばれてきた。自身で頼んでおきながら、その小舟に高々と積み上げられた自然の恵みには心底おどろいたのだったが、気持ちを落ち着かせ、無駄にすることなく全て平らげた。

たらふくの余韻に浸る間もなく、ふとここで眼下の駐車場を見下ろすと、すでに駐車場が満車である様子が目に入ってきた。そういえば、まわりの席を見ればみんな人で埋まっている。大女将はじめこの店の人たちは生業のさなかであることに気がつき、車の移動へと1階に急いだ。代金を払って店を出たら空は先ほどより明るくなっていた。時刻は午後0時半。

30分遅れで天気予報が当たったことを確認したのだった。

地魚料理磯亭
国道135号線と白田川と白田橋。
定食

白仙橋

駐車場を出て、堤体を目指す。今日入るのは先月“横綱の右腕”として入渓した堰口川だ。

白田川左岸の「白田」信号からは北西方向に。
やがて対岸に白い建屋が現れる。よく見れば山の上から1本、水圧管路が降りてきているのがわかるが、これが白田川発電所。堰口橋をわたれば至近距離で施設を見ることが出来る。

橋は渡らずそのまま左岸側を100メートルほど直進し、今度は右斜め前方に東伊豆町白田浄水場。現在、浄水場前には看板が立ててあり、「この先 白仙橋付近災害のため通行止め」の文字。

浄水場わきを越えたところから道は林道の様相を呈すが、この林道、ずうっと奥まで走って左岸から右岸にチェンジする地点には白仙橋。現況としては白仙橋の数百メートル手前に林道上を塞ぐように倒木が、電柱の破壊を伴って発生している。

昨年の大型台風の爪痕が今も残っているという形だ。

ここ堰口川は、伊豆半島内で最も多くの堤体を構える河川である。(東の堰口、西の宇久須。宇久須川も多い。)堰堤につづく林道が通行止めではやはり利便が良くない。一刻も早い復旧が望まれるところである。

交通量はゼロ

1時間半ほどは車中で待機した。それにしても1時間半も林道沿いに停めた車内に居て、

交通量はゼロ。

夏の終わりを告げるツクツクボウシの鳴き声と堰口川のせせらぎの音だけが森を鳴らし続けていた。

午後2時20分、車を降りて入渓の準備をする。下半身にはウエーダー、上半身には長袖シャツとフローティングベスト。手にはウォーキングポールを1本。Vメガホンの入ったバッグも背負った。

ヤブはあまりきつくない。とくにスギの木の密生するその下は。林業素人の目では分からないところなのだが、どうやらこれではまだ林床に届く光は光量不足ということらしい。

肯定的な感情も持ち合わせながら一歩一歩踏みしめ下りて行くと、堰口川の河原に出ることができた。あたりにはソフトボール大の石が敷き詰められた空間が広がる。
これから目指すのは、下から(堰口橋から)数えて4番目の堤体。今自分が立っているのは下から数えて3番目の堤体に滞留した土砂の上。

川の傾斜はほとんど感じられず、ソフトボール大の石をゴロゴロ鳴らしながら歩いていけば、ここはどこかの自然公園なのかという錯覚を覚える。
砂防ダムが出来たことによって滞留土砂の広がる空間が形成されました。という事実について、現物を見ておのおの判断すれば良いと思う。わたしにとってはここは、

美しい。

なんてもんじゃないほどの

超絶景!

ニホンジカに

車から降りて20分後の午後2時40分、ようやく堤体前に到着。

ここの堤体はおおよそ西北西向き。それに対して落水後の川はほぼ北西に川上を見る。南東-北西方向に形成される川に対して、堤体は90°でクロスすること無く全体的に右岸側(向かって左側)を若干こちらに突き出すようなかたちで形成されている。

そのためか、川の左岸側(向かって右側)の河岸にかなり負担がかかるようで、建造時に積み重ねるようにして施工した側壁護岸のブロックがきれいそのままに露出しているという状況が目に入った。

石や土砂は吹っ飛んでしまったか?左岸側に詰め寄る。

あちこちの堤体に行っていて、ここがどうであったかという正確な記憶はもともと持ち合わせていない。しかし、少なくとも側壁護岸がこんなにも元の建造時の姿を見せた堤体は覚えが無い。縦方向には副堤からの水の落ち込みによって深く、飛び込みプールほどまでに洗われたボトム(底)が確認出来て、そこに魚が張り付いているかと覗き込むほどであった。

恐るべしパワー、横綱の右腕。

川の中央にもどって音楽に目を向ける。広い川幅に広い空間ができているが、そこよりさらに外側の両サイド、渓畔林は申し分ない。
自然界から放たれる音の出どころは本堤の落水、副堤の落水、これより川下に転がる川石の落水の水の音。

それら落水による音が届かない「高い空間」にVメガホンを向けて声を放つ。なるべく力まないように。(←自分が一番苦手としているところではあるが・・・。)

堤体の放水路天端の向こうには山の斜面に植えられたスギの樹冠が広がるが、そういった遠くの景色を楽しみながら歌えれば、体は自然とリラックス出来ると思う。実際に立って目にしてみれば分かるが、そこに太陽の光が当たっているか、当たっていないかでは大きな違い。幸い、当日の午後0時半からは晴天で、表現をする環境としては大きくプラスとなった。

午後4時、まだまだスギの樹冠が明るく照らされている状況であったが堤体前を離れることに。
もう9月も下旬であるから、ぼちぼち暗くなるかな?と。
下流側に向かって歩くとほどなくしてまたしても超絶景の滞留土砂の上に出た。カキノキがあったので観察していると、

キャン!キャン!

左岸側の遠くで警告音が響いた。鷹の目をもつ男ではないし、そもそも森の中から鳴いているから(きっと誰の目にも)ヤツは見えない。遠くの景色の木々の中から鳴き声だけがこちらに届く。
もう夕暮れは早いぞと咎めるニホンジカの声を聞きながら渓をあとにしたのだった。

ごっそりといってしまっている
若干斜め向きの堤体
遠くの景色
副堤上に落ちていたアブラギリの実
カバノキ科の葉はヤシャブシか?
クズの花がチラリ。
高木が多く、拾いもので同定する。コナラ。
カキノキ
堤体全景。

虹の郷

ユリノキの葉

9月14日午後2時27分カナダ村のネルソン駅のゲートを出た。
眼前にはクーテニ湖が、頭上にはユリノキの樹冠が、後方には今のってきたロムニー鉄道の車両とネルソン駅の駅舎が見える。

本国カナダのネルソン市にはネルソン駅というものは実在しないらしい。

実際、市の領地を横断するように線路は走っているものの、通過するはカナダ大陸横断鉄道で駅は無く(観光客向けの路面電車はあるようだが・・・。)、つまりのところネルソン市というのは非常に田舎の町ということのようである。

自分たちの町に線路を敷かれながら、駅舎も作らず車があれば交通インフラはOK(?)というカナダ人の感覚には正直おどろいてしまうが、よくよく考えれば同国と日本とでは※国土の面積というものに大きな隔たりがあって、日本人のように狭い土地の中にせかせかと都市開発をしようなんて思想自体がそもそも存在しないのでは?とも思った。

相手は多文化主義的とも言われる社稷である。それがウケてか年々移民が増加。世界が求めているものが分かる。これからの時代、いろいろな人のいろいろな考え方の違いに柔軟に対応出来なかったところで恥をかくハメに遭うのは自分自身であろう。気をつけなければいけない・・・。

ところで何故、伊豆市のテーマパーク「修善寺虹の郷」にカナダ村とかネルソン駅といったアトラクションスペースが作られているのかといえば、この界隈、旧田方郡修善寺町が同国ブリティツシュ・コロンビア州のネルソン市と姉妹都市提携をしているところに因んでいる。

調印が1987年(昭和62年)ということなので今年で33年目。虹の郷開園が1990年(平成2年)というから、その(昭和→平成)改元前後、当地ではかなりの“カナダブーム”があったと思われる。

カナダブームなんて言うと人によっては非常に病的なワードに聞こえるかもしれないが、その当時がバブル経済の真っ只中であったことを考えると、戦略的に言えばこれは

攻め!

の姉妹都市提携&虹の郷計画であったと思われる。伊豆半島各地で大型宿泊施設や商業施設が作られる中で、修善寺町の町政として何か他には無い、競争に負けない観光インフラを作っていこうという中で計画されたテーマパークであったに違いない。

※日本およそ37万キロ㎡、カナダおよそ998万キロ㎡、その差およそ27倍。

ユリノキの樹皮
アメリカハナノキ
アメリカハナノキの樹皮

大きな箱を造らなかった!

当時のバブル真っ只中を社会人として生きていた人たちがこれを最初見てどう思ったかはわからないが、このテーマパーク内には“大きな箱”が無い。

例えば事案として巨大なプールを作るとか、ウィンタースポーツ(標高が高いから可能性あった!?)の施設を作るとか、大きな宿泊施設やレストラン、映画館、プラネタリウムを併設するとかいったことをやりがちなような気がするが、ここは全くそれらをしていない。

そもそも園内のほとんどが傾斜地で、箱自体が作れなかったのかもしれないが、それが正解だったのだと分かるバブル崩壊以降の感覚をよくも冷静に、当時の人たちは判断されたのだと開園から30年経ったアニバーサリーイヤーの今年になって思う。

園内の北東側に広がるもみじ林は1924年(大正13年)に植樹されたもので(もともと修善寺自然公園との境界線は無かった。)、それらを伐採せず、生かしたことは先見の明に尽きない。

とくに岐阜県揖斐郡徳山村から移築してきたという古民家をそのもみじ林にうまく融合し、「匠の村」としたあたりはじつに見事である。古民家を置くだけだったら、他のテーマパークにも全然出来そうな所であるが、樹齢60年(当時)以上経過した木々を自然な感じに配す形での景観づくりが出来たことについては、他にとって

「真似をしたくても真似が出来ない芸当」であったと思う。

メジャーをあてて測る。
アメリカフウの樹皮
カナダ村エリアには何本も植樹されている。

アメリカフウ

さて、9月14日であるが午後2時台にネルソン駅前に降り立って、まずはプリンセスローズハウス前の大きなアメリカフウ(モミジバフウ)の木の観察を行った。アメリカフウについてはすでにロムニー鉄道乗車時にその車窓(オープンデッキなので窓は無いのだが・・・、)から見つけていたが、こちらの木のほうが断ぜん巨木であったため改めて間近で見ることに。

喫茶のローズ・レ・カフェの方向に向かって長く伸びた枝の先には格段大きな葉が付いていて、持っていたメジャーで計測したところその葉身は19センチメートルもあった。このような星形の分裂葉の中ではもちろん今まで見てきた中で最大。

北中米原産の同種は木の幹の表面、つまり樹皮についても在来種のイロハモミジなどとは違っていて、表面がコルク状でごつごつしている。また葉の付き方についても在来種はどれも対生であるのに対してアメリカフウの葉は互生している。

一枚一枚の葉が大きいだけにこの木が作る木陰は非常に立派なもので、プリンセスローズハウス前のバス停ベンチにしばらくのあいだ腰掛けた。もちろんこれは園内を走るトレーラーバスの往来を待つための行為であったのだが、肝心、ようやく目の前に現れた同車両は進行方向がどう見てもおかしかった。

「匠の村へ行きたいの?あと30分後だよ。これはイギリス村のほうに行くやつだから・・・。」

ハウチワカエデ
エンコウカエデ(手前の大きく写る木)
ミニ図鑑

灯を永遠に

いやいやこれは大汗かく展開でしょ。と思いつつロイヤル・ローズ・ガーデン、しゃくなげの森、菖蒲ヶ池まで歩いて降りる。コイのえさやり自販機の前でヤツらが集団でバクバクしていたが、女の子の集団がちょうど楽しんでいる様子であったためコイをスルーし、もみじ林の坂を駆け上がる。

探していたもみじのミニ図鑑の看板にも無事たどり着くことが出来て一枚。ちなみに前回のエピソードでは「イタヤカエデ種」としてペタしたものが確認できると思うが、この看板に従えば(この一帯に植樹した種について言っているので)それはエンコウカエデのことである。

このイタヤカエデ種の同定には相対的な比較経験が無いとなかなか難しいようで、看板でお墨付きをやってくれたことについては非常にありがたい。しかも看板のすぐそばには手で触れられる高さの枝を備えたエンコウカエデがいてくれて、その木で大いに観察ができた。

ほかにも前回、修善寺自然公園で見つけることが出来なかったハウチワカエデなども見ることが出来て大満足。坂の一番上にある匠の村まで登ったら何やら作業服を着た人たちが高所作業中。

彼らの触るわら縄を見渡せば進行方向にはまだ何もついておらず、その逆側には丸形提灯の列。どうやら今週末に開催されるイベント「匠の村always昭和横丁」の準備らしい。

元気にイベントやってるね!

今からおよそ30年前、当時の世の中はイケイケであったようであるが、そんな中でも冷静に、あとさき残る物を見抜いて設計し、造成させた人たちがここ修善寺虹の郷にはいた。

この灯を永遠に消してはならない。

自分に出来ることは何かと考えながら、悩みながら菖蒲門の前まで下りて「このはな亭」前の長い階段を登り、虹の郷エントランスゲートを抜けたのが閉園1時間前となる午後4時のことであった。

堤体には翌朝入った。
湯舟川支流の桂谷へ
リョウブ①
リョウブ②
樹皮が同定のポイントになった。
アブラチャンの実
透過型もなんのその。
逆に勉強になるくらいだと最近思うようになった。
堤体全景。

3冊合わせて2.2センチ

9月3日午前9時半、伊豆市青羽根、JA伊豆の国狩野支店となりにある「青埴神社(あをはにじんじゃ)」の鳥居をくぐる。
そのまま坂を登っていくと木は左手方向にあった。

なんともあっけない対面。青埴神社のシダレイロハカエデ。

木は一段上がったところにある石垣の上から、東の方向に向かってもくもくと、最近よく見かける積乱雲のように、そして流れ落ちるように樹形を見せてくれた。

ネットで見たものと同じ。それにしてもあっけない。

木は樹齢200年以上とも言われるこの神社の顔。臨む前は非常に神聖なイメージを持っていただけに、もっと奥まったところにひっそりと根を下ろしているのかと想像していたが存外、見つけるのは早かった。

石垣の下の段からは葉を、階段上って中段あたりからは株元を観察する。その後いったん階段を登りきってから社殿を見たのち、また下に戻って境内を見回す。すると何やらほとんど文字が消えかかった案内板の存在に気がついた。もはや文字なのか木目なのか判別しにくい線の羅列を詰まりながら読んでみる。

〔静岡県指定 天然記念物 青埴神社のシダレイロハカエデ
この枝垂れイロハカエデはカエデ科に属する。落葉高木で、カエデ(広義)・モミジ・イロハモミジ・タカオモミジともいわれる。
枝が垂れる品種で樹齢は推定一四〇年~一八〇年、枝垂れの高さは七・七メートルもあり当地方最大のものである。
昭和五十八年九月二十七日 指定〕

イロハモミジだそうだ。植物図鑑の和名で言うところ。

もくもくと
イロハモミジ(切れ込みはあまり深くないが鋸歯が粗い。)
階段から(画像右端は狩野ドーム)
消えかかった案内板

アオツヅラフジ

事前に仕入れていた情報によれば「シダレイロハカエデ」というカタカナ表記であったこの木。独立した種であり、その葉には何か他とは違う特徴的なものがあるのかと期待していたのだったが結局のところ、

イロハモミジ

ということで違いないらしい。たしかにその葉はふだん渓行しているときに一番よく見かける、最もポピュラーな種類で間違いは無かった。

〔切れ込みが深く先は尾状にのびる。鋸歯は重鋸歯で粗く不ぞろい。葉の質はやや薄い。 文一総合出版カエデ識別ハンドブック猪狩貴史著より〕

ハンドブックを取り出して一応その説明と目の前の木の葉の特徴を照らし合わせてみた。
それでは全体像としてはどうか?木は東に向かってきれいに流れ落ちるような樹形をしている。これならば特に午前中の時間帯については光合成が効率的に行われているように思われ、そのおかげもあってか、木は老木にしては非常に元気であるような気がする。

まぁ管理面のこともあるだろう。

地域住民の思いというか?
通常「神社」であったらその維持管理は建築が中心になると思うが、その入り口にこんなにもどデカく、全体の顔として木が鎮座しているのであれば管理不届きというわけにはいかないであろう。

看板を立てて観光名所化したものの、かえって収まりがつかなくなり現在ではかなり「苦労」の面が大きいのでは?正直なところ?
木が荒れている、支えのやぐらが傷んでいる、境内にゴミが落ちているという事象は見られない。維持管理する者の苦労がしのばれる。

他の神社だったらやらなくてもいい努力をここはやっていると思う。他の神社の2倍、3倍労力を使って“全体”を維持しているように思った。木を育てるということ。に対して、

木を飼う。

なんて言ったら怒られるかもしれないが、最後までそれは続くのであろう。

飽きてしまったらもうダメだ。と再訪を誓い、坂の下にある鳥居に向かって歩き出す。坂を降りていくと、途中には何やら学校の校門のような石柱を一対みつけることが出来た。刻まれていた文字を見れば向かって左には「狩野保育園」、右には「狩野幼稚園」。

石柱の向こうにあったであろう往時の景色を想像する。未就学児らによってさんざん踏みつけられた木床の建物と、そこから外に飛び出すと子どもの目にはなんとも広い園庭。現在では建物も外もすべてが無くなった。土の更地が広がる。

大きな虚無感に襲われたが、石柱のすぐ横にはそんな心を癒やすようにつる性の植物と青いろの実、未成熟のみどりの実がフェンスからぶら下がっていた。

たまたま持ち合わせていたハンドブックにはそれが載っていて「アオツヅラフジ」であることを知る。種子散布期は来月10月から12月までという。その頃にはほとんどが完熟した青いろの実に変わっているということか?

来月以降が楽しみだ。

なんて思って読み進めていくと最後には、〔※アルカロイドを含み有毒〕と。

なんだ、食えないのか・・・。

※文一総合出版 身近な草木の実とタネハンドブック 多田多恵子著より

狩野保育園(左に刻印)
狩野幼稚園
アオツヅラフジ
身近な草木の実とタネハンドブック
雲金橋

神社を離れる

坂の下の鳥居をくぐり抜け、国道136号線を横断し、狩野ドームに向かって歩く。そのまま狩野ドーム前を通過し、雲金橋をわたって駐車していた車に乗り込む。

園の入り口に毒の実の植物が生えていたのはなぜか?子どもが口にしたらどうするつもりであったか?それともあの場所に生えてきたのは閉園後か?

車中で先ほどのアオツヅラフジのことをいろいろ考えながら北上。深まる永遠の謎とともに大平インターチェンジを通過。伊豆縦貫道に乗り、本立野トンネル1034メートルを抜けると直後の修善寺インターチェンジで降りた。西進し、修善寺温泉方面に。五葉館前で右折。神戸川(ごうどがわ)に沿って坂を登り、桂谷トンネル入り口前、修善寺ニュータウン入り口も直進。

静岡県きのこ総合センターの前も通過して、道が大きく左にカーブするところを逆に右に向かって逸れる。駐車場に車を停め、トイレに駆け込んだ。

修善寺自然公園もみじ林案内図

修善寺自然公園

修善寺自然公園のトイレから出た。散策を始めることに。
北西の方角に向かって伸びる坂を登りながら木を一本一本見ていくとほとんどがイロハモミジであることがわかった。その他に多いのはオオモミジであるが、これらは図鑑で調べると樹高についてはたいてい小高木~中高木と書かれている。

樹冠の高さが低くても3~5メートル程度はあるということだが、気になるのは手の届く範囲であるかどうか。
出来ることなら木の枝まで手を伸ばして、その葉が何であるのかをしっかり見極め、実際に手で触れて感触をおぼえていくことが大切だと思ったからである。

幸い、実際に葉にさわって感触を確かめられた木は何本もあった。背伸びをしてギリギリ手の届くぐらいの枝を掴んで、眼前まで引いてきて観察する。終わったら枝を解き放ち木を離れる。手から離れた枝は弾力によって大きくしなりながら、揺れながら、元あった位置に戻ろうとする。

こんなことが出来るのも・・・。今だけ。あと2ヵ月もすればシーズンインの号砲が鳴り、ここに多くの観光客が大挙することになるだろう。その頃にはある程度、TPOというか行動が制限されてくることになると思う。

今ならば自由(木を傷めるまでは出来ないが。)。あれこれ手で触りながら、ゆっくり、じっくり自然公園の木々を観察していった。

その後は停めていた車まで戻り、微睡む。

オオモミジ
ハナノキ
モミジイチゴ
イタヤカエデ種
カエデ識別ハンドブック

湯舟川第2堰堤

車の中で目を覚ました。腕時計を見る。

時刻は午後3時。う~ん。

虹(の郷)はパスだな。

当初の予定ではこのあと修善寺虹の郷へ行く予定であった。しかし、閉園時間も近くなっていたためそちらはあきらめることに。駐車場を出て、虹の郷前をスルー。そのまま4.6キロほど戸田峠方面に向かって走る。

「広域基幹林道達磨山線」の青い看板を見ると吸い込まれるように左折し、ぐねぐねと曲がる林道を約4キロ走る。「牧場橋」という赤い欄干の橋が見えたらその手前で左折し、2.2キロ坂を下りて行く。

当ブログで以前にも紹介したことのある「湯舟川ふれあい公園」はそのまま車をバックさせて入った。(たぶん交通上の“すれ違い確率”は何百万分の一くらいなのだけど、いちおう注意して。)

車を前進に切り替え、床固工4基分を通り越すと公園最奥部となり、これ以上車では行けなくなった。それではこのあたりに駐車し、入渓の準備を整える。

蒸すような小雨がパラついている。

湯舟川第6号床固工の上流部より入渓し遡行を始めると、10分もかからない程度で目的地に到着。堤体の名は「湯舟川第2堰堤」。堤高は5.5メートルとある。

渓畔林は川の中央に立ってしまえば完全に切れているが、周辺全体的(堤体前空間)として見るとあたりは針公混交でしっかりと木々に囲まれている。シンボルツリーとして見られるのが堤体天端右側のクヌギ、同左側のイロハモミジ。さっそく近づいて葉を見ると、

小さい!

さきほどまで見ていた植樹モノとは明らかに違う。育成条件の整った中で、栽培管理されてきた個体では無い。こちらは野生ものだ。自然界の空間上に枝が伸びて展葉するときの緊張感(ストレス)がある。ここは堰堤の真横で常に落水がドバドバと音を鳴らしているような環境だ。

流されないように、倒されないように、根も葉も気持ちで踏ん張って緊張感に打ち勝っている。

強く生きる姿に「心(しん)」を感じた。流石!

その後は、立ち位置を決め歌を楽しんだのだった。

ん?

この日は、あまり長く歌っていられなかった。突然、雨が強くなってきたのだ。

やはり強い、雨に濡れて尚いっそう輝きを増すイロハモミジを見ながら現場を立ち去った。

湯舟川(湯舟川第6号床固工から撮影。)
野生もの
強い。
木は重要な渓畔林に
銘板
堤体全景。

目ん玉バッチリ

8月26日午前0時、目が覚めた。

寝巻からベルトの通ったズボンに履き替え、自宅を抜け出す。

車のエンジンを掛ける。

駐車場から出庫し、沼津市内、山に向かって坂を登る。まだ電気の点いている住居が何軒もある。受験勉強か?

子どもの数が随分と増えたなぁ・・・。

外を出歩く者はいないか?

幸い、歩行者、自転車は見あたらない。猫の心配だけすれば良い。

坂を登りきると明るかった。足高のアンナバンの上を一台の乗用車が転がる。

ETCは無言であった。いつもカードのことには口うるさいのに。

時速100キロの制限速度になり、嬉々としたのもつかの間、辺りはいちめんトロ箱の世界になった。

トロ箱の世界を右に左に逃げながら進んだ。ちょっと調子に乗って。けっして捕らえられることはなかった。だが、いつの間にやらそのトロ箱同士で出来た部屋に迷い込んでしまい、抜け出すことが出来なくなってしまった。

魚は自分の体の何倍も大きいトロ箱の壁に囲まれながら、逃げ道を探した。しかし、それは無かった。以降しばらくは状況かわらず。

続く膠着状態。

魚の脳で悩むのか?

悩まなければいけないのか?と、ここで急に左が明るくなりコースをフェードアウト。

あぁ、よかった・・・。

その後、フードコートまで歩いて。

券売機でチケットを買い、震える小機をもらってしばらく待った。

ようやく出てきて口にすることが出来たのは午前1時。

深夜のカレーうどんは格別だった。

東名高速道路足柄サービスエリア上り線

冷房はかけない派

ようやく寝惚けまなこから立ち直ることが出来た。
カレーうどん完食後、サービスエリア周辺をウロウロ。カブトムシがいるかな?と思って常夜灯のまわりを探し回ったが見つけることが出来ず、やることも無くなり、車に戻ることにした。

!!!車に戻るとびっくり。こちらは普通乗用車。その隣には5トンくらいのトラックが乗用車の駐車スペース5台分くらいを利用して、真横を向くように駐車している。

どうやら、大型車両駐車スペースが埋まっていてはじき出された車がやむなくこちらに進出してきている様子。当然ながら中には人がいるようで、アイドリングしながら、車内ではおそらく冷房をかけて寝ているようだ。

こんなことが日常茶飯事なのか?

気にせず、こちらも睡眠を取ることにした。さほど暑さも感じなかったので冷房は使わず上着を一枚かけてアイマスクをし、シートに身を預けたのが午前2時過ぎ。

はやおき

午前6時50分、車内の暑さに目が覚めた。もう外ではセミが鳴いている?ようであるが、その音もガラガラと鳴り続ける隣のトラックのアイドリング音によってかき消されている。

取り敢えずは車を降りてトイレに行き、そのあとコンビニに立ち寄ろうかと思うもテナントのレストランが朝定食をやっているようだったのでそちらに立ち入り、「足柄はやおき定食」をいただく。

こちらの“はやおき定食”であるが、どうやら午前10時までオーダーが可能な様子。早起きした人も、別段そうでなかった人もその恩恵に浴することが出来るようなのだがとうてい私自身、

はやおき

したなんて自覚は無くて、

まだオッケーですか?

と尋ねたくなった。
太陽熱に蒸された車内でやっと目覚めさせられた。のであったから。むしろ寝坊したくらいに思っていた。

まだまだ寝ぼけた舌に定食の味噌汁が沁みる。

ETCで退場

車に戻ると時刻は午前8時。ドアを開けるとマイカーの車内はさらに暑くなっていた。

この場から逃げよう。

半夜世話になった駐車マスを外れ、通路上に引かれた矢印の線と案内板に従う。
案内板はみどりと紫があるうち紫に従うこととし、レーンに合流してくる車両に注意しながら進み続けた。

さてゲート越えであるが、本来午前1時前には通過となるはずのところおよそ7時間以上も遅れてしまっている。ゲートには監視カメラとスピーカーが付いていて、遠隔でやりとりができるところ、オペレーターにツッ込まれてしまうかとドキドキしたが(あちらもいろいろ忙しいであろう。不正通行の監視等で。)何事も無く通過。通行料金は深夜に入場したため割引が適用されていた。

一般道に出てからは東を目指した。昼の太陽光同然のそれから一刻も早く逃れるには一番近い山が良いはずだ。

JR御殿場線桑木踏切を渡り、直後の新金時橋も越える。山久荘前の丁字路を左折し、金時向平橋を渡るとあまり見通しの良くない山道に入り、それでも進んだ先に現れたのがギャツビイゴルフクラブ。
そのクラブハウス直前。従業員駐車場の裏に金時山登山道入り口となる未舗装道路があってそこをガラガラ音を立てながら進むと、

ありえないくらいの暗がりにゴール!

ここが一番涼しくて、太陽光を避けられるのだけれどそのままグイグイと突き進んで針公混公林、谷川に向かって斜めに伸びるコナラの大木前で車を停めた。

まだ寝ている。

車から降りると木々のすき間から金時川の砂防ダムが確認出来た。

入渓の準備を整え、さっそく谷の様子をうかがう。堤体前の谷は急斜面でなおかつ、岸際には浮石がゴロゴロしている。ここをすぐに降りてしまうのは危険と判断し、いったん下流側にそのまま向かうことにした。

針公混交林、だけれどほとんどスギという木々の下を谷川の法肩に沿うようにして歩く。するとほどなくして川面まで安全に降りられそうな斜面を発見することが出来、それを伝って下まで降りた。ようやくの入渓。
そして再び下流まで下がってきた分を取り戻すように遡行すると、堤体前に出た。

やっぱりまだ寝ている。

時刻は午前9時前。
先ほどまで足柄サービスエリアでマイカーを熱され、ここまで逃げてきたことが嘘のよう。
堤体は副堤の側壁護岸の一部にはカケラ程度に日が当たっているが、それ以外の本堤天端、水裏、副堤天端、水裏、そして落水すべてにまだ太陽の日が当たっていない。

起きるのを待とうか?

堤体全景。午前8時50分頃。

残暑の疲れに要注意!

堤体の放水路天端上の水に太陽の日が当たり始めたのは午前9時20分頃。

Vメガホンをセットし声を出し始める。

あるのは「違和感」の三文字。

放水路天端上の水が主役であってほしいのに、副堤の側壁護岸のほうが強くギラギラと光っている。視界内にある堤体において明らかに、
「光っていてほしいところ」

「影になっていてほしいところ」のバランスが悪い。

これでは楽しめないと光る側壁護岸が見えなくなるようにするための移動。立ち位置を変える。自分自身の目と側壁護岸の間に大石が一つ挟まるようにして対処した。すると側壁護岸の光をみごと死角に封じ込めることに成功。

これで解決!

以降は午前10時半頃まで休んだりまた声を出したりでちょっとダラダラしながら歌を楽しんだ。そして退渓後は林道沿いに生える樹木を同定し、全く暑くない車内に戻ってやはり冷房をつけること無く昼寝をしたあと山を降りたのが午後1時。

目ん玉バッチリで帰りの高速路を走り抜けた。

ダンコウバイ
ウリカエデ
キブシ
高木のミズキは林道上から至近撮影。
平行四辺形(懐かし。)に光るのが側壁護岸
堤体全景。午前9時50分頃。

吊り橋

船原川

8月20日は船原川に入った。

朝5時、伊豆市月ヶ瀬にある下船原トンネルのアーチをくぐり、延長わずか208メートルの暗がりを抜けると下船原の平(たいら)地区に出ることができた。

直後の左手には、船原川に架かる吊り橋。

トンネル含めこの道が出来てからおよそ1年7ヵ月。それより以前、旧道の「出口」三叉路から平地区へ進んでいた頃には、ここに吊り橋があるなんて知る由も無かったが、新道の開通によるルート変更では、今まで見ることが出来なかった景色が顔を出した。

とりあえずは今日もその前を通過。

朝一番のチャンス前という時間、入渓点に急いだ。
そこからおよそ2キロ先にある船原桟道橋ちょく前でハンドルを左に切り湯端橋を渡る。旧船原ホテル裏の堰堤前に到着したのが午前5時すぎ。

そそくさと準備を済ませ、入渓し、歌を楽しんだのち退渓したのが午前8時すぎ。

湯端橋

気になっていた吊り橋に

今日は行って見てみるか?

気になっていた件の吊り橋であるが、行って確かめてみることにした。来た道を戻るようにして東へ進む。「宝蔵院」という寺の前を通過すると3階建ての比較的大きな集合住宅があって、その集合住宅を過ぎたあたりが旧道との合流点。

左折し旧道に入ったら「原の前」バス停手前の右折道。

ここかな?

と、曲がってみるとビンゴ!新道をくぐり抜けられるガードを発見。陽はすでに高く、ジリジリと照りつけてくるので、そのガード下に車を停め、歩いて吊り橋に向かった。

橋は幅20メートル程度。桁がしっかりとしていてほとんど揺れることがない。橋の上から上流方向を見渡せば、新道を保護するようにガッシリ固められた護岸が並んでいる。また、立っている橋のほぼ真下には高さ1メートルにも満たない床固工が作られていて落水している。

それらがジリジリと照りつける太陽によって光る。

眩しい眩しいと言いながらガード下に駐車した車に逃げ込んだ。

吊り橋(伊豆市下船原平)
船原川は床固工が随所に見られる。
橋から上流方向を臨む。
新道からの吊り橋

ギャラリーの橋

吊り橋と言ったらねぇ・・・、やっぱり。

今度は別な橋、狩野川に架かる「松ヶ瀬橋」を目指すことにした。マツセ、マツセと気分が陽気になり、出口三叉路から道を間違えて国道414線を南下(正しくは北上する。)する。ようやく嵯峨沢館の前を通過する頃になって、

あっ・・・。

と気がついて嵯峨沢橋をそのまま渡り、市山の丁字路から北上。せっかくここまで来たのだからと“チョウズバの神様”こと「明徳寺」参道入り口にある茶屋に寄って草餅を買い、再出発。5キロほど走って松ヶ瀬橋前に到着。

到着したはいいが、今日は画像を撮ったりで暫時ここに留まる必要があるため車をしっかりとした所に停めなければならない。しかし、駐車スペースを見つけられず。困ったあげく近くにあったおとり鮎店の「旭水園」に駐車料金を払って停めるつもりで交渉したところなんと、

タダでいいよ!

と。

ありがたく駐車させてもらい、歩いて松ヶ瀬橋に向かった。橋にはものの数分で到着。ここはアユ釣りの名所で、吊り橋がそのギャラリーになるという不思議な場所。昼前の時間だったため丘に上がって休んでいる釣り人が多かったが、それでも川の中にはまだ数人のアユ師が残っていて竿を振っている。

こちらは、いったん橋から下がって近くの土手に腰掛ける。先ほどチョウズバの神様目前で購入した草餅を取り出してかぶり付く。

コンロの火で熱々にしてもらった草餅は、ここに来るまでの道のりの間にだいぶ熱が抜けてしまっているが、まだ温もり程度にはあたたかさが残っており、そのおかげか非常に甘く感じられる。表面の皮が固くなった感じも、真夏の暑さの中では張り付くような感じが無くて逆に心地よく、非常にさわやかな感触をを満喫することができた。

その後橋の上に戻ってしばらくのギャラリー。連掛けのアユが宙舞う瞬間に期待して見続けたが、どうやら渋いようで見るのは叶わず。退散することにした。旭水園まで戻り、お礼を言ってから駐車場をあとにした。

松ヶ瀬橋
下流側
上流側。黄色い建物は近藤鋼材、その隣が旭水園。
草餅

どうせならばと3本目

さて、どうせならばと3本目。
県道349号線を戻るように南下する。市山の丁字路まで戻って左折。国道414号線に切り替わるとまずは旧天城湯ヶ島支所前を通過。さらにひなと丸、浅田わさび店前などを通過し、簀子橋を渡って“奇跡の店”ことセブンイレブン天城湯ヶ島店に立ち寄る。

前々から気になっていて一度も買ったことがなかったアイスコールド・コカコーラを買い、試してみると確かに凍った。その場で飲むことは無く、店を出て次に向かったのはマルゼン精肉店。

イノシシコロッケは現在販売休止中ということで、和豚コロッケとホタテクリームコロッケを買い、店を出る。

そのままさらに南下をし、旧眠雲閣落合楼玄関前で右折し坂を下る。坂をズルズルくだり、瑞祥橋を渡り直後を左折。そこから100メートルも走れば吊り橋が姿を現す。車は橋を過ぎて少しのところに、道幅の広くなったところがあったためそちらに置いた。

道路から下へと続く階段を降り、橋に降り立つ。橋の規模は下船原よりは長く、しかし松ヶ瀬には及ばないくらい。前に渡った2本同様、安定していてほとんど揺れることが無い。そのかわり橋の中間で分けて西側と東側。西側には渓畔林による影が落ちていて涼を得ることが出来る。

依然として太陽の光がジリジリと照りつけていたため、これには助けられた。橋の東側に立てかけられていたハシゴを使って川岸に降り、川に転がる大石をジャンプして日陰のある西側へ移る。

やはり購入したコロッケを取り出し、川石の上に座って食す。コロッケの脂が美味い。ここは少し上流には水恋鳥広場という親水公園があるほどの清流。泳いだって問題ないくらいの水質を前に食すジャンクフード(←2個も食べるからこうなる・・・。)の脂に妙に安心感を得る。

あっという間に完食し、それから川岸をウロウロ。ゴロゴロ転がる川石の上を歩いていると視界の中をチョロッとしたヤツが横切った。これはこれは日光浴を邪魔してしまったと相手を植物に切り替える。橋のすぐ上流側にはタマアジサイが咲いていた。

真冬の一番寒い日を一年の基点と考えれば、この花の開花はその一年のちょうど折り返し地点。まだまだ暑い日は続くだろうが、これからは秋・冬に向かうことになる。夏を満喫した今日の日に感謝し、これからのシーズンの準備をしようということでもういいかと退渓することにした。その後はようやく帰路に。

吊り橋(伊豆市湯ヶ島大滝)
橋の半分は影が落ちる。
左が和豚コロッケ、右がホタテクリームコロッケ
チョロッとしたヤツ
タマアジサイ

35分。

今回のエピソードの最後にこの日の朝、旧船原ホテル裏での歌のことを書こうと思う。

やはり真夏のシーズン中にあった今回も時間帯にこだわった。画像Ⓐ~Ⓕまで用意したが、結論から先に言ってしまうと実際つかいものになったのはⒷ~Ⓕの間だけ。(早朝のチャンスタイムに関しては。)

Ⓐは日の光が当たる前。白く落水する水の形状を見ることができるが、これではもの足りない。もっと涼しいシーズン中であればこれでハマる時もあるが、外気温が24度もある中でのこれは温度感覚的に合わない。午前5時50分撮影。

Ⓑは日の光の照射範囲が山の上から降りてきて、ようやく落水の一部を照らしはじめた頃。指差す先がその状態になっている。
照射範囲は徐々に広くなるので、それを待てば良いと思う。午前6時40分撮影。

Ⓒ~Ⓔの状態。ここがいちばん楽しめるとき。
ⒸとⒹはよく見るとその違いが分かると思う。ⒸよりもⒹのほうが若干明るい。ⒹとⒺはほぼ同じ。撮影時間的には10分間の開きがあるが、Ⓔに関しては早朝のラストチャンス的な局面なので(焦ってはいないが)もう、そろそろかな?と思いながら歌っている。
Ⓒは6時46分(Ⓑ~Ⓒ間わずか6分でこの変化!)、Ⓓは6時57分、Ⓔは7時07分にそれぞれ撮影。

Ⓕであるが、チャンスタイム終了の状態。堤体から落ちる落水は魚屋に並ぶ魚たちのヌメりのような生々しい光でしかしながら鋭く輝く。この光をこの形状で見たのならば、歌を楽しむ時間は終わったと考えれば良い。以降の時間は、海水浴に行くなり観光施設に行くなりして有意義に過ごせば良いので別に残念がる必要は無い。Ⓕは7時15分に撮影。

まとめるとⒷ~Ⓕまでその間35分。決して長いとは言い切れない早朝のチャンスタイムであるが、夏の朝はやく、さわやかな気分の中で楽しむ歌は最高であった。気温条件的にも「寒い」ということが無く、快適に過ごせることも他のシーズンより魅力的であると付け加えたい。

山あいの川の中で、誰にも迷惑を掛けず歌う早朝の音楽の楽しさ。今しか出来ないその楽しさを満喫した朝であった。

横綱の右腕

白田川河口から相模湾を臨む。

8月13日午前4時50分。黎明の時、まずは賀茂郡東伊豆町、白田川河口右岸に立ち寄り川、海に挨拶。

本日はよろしくお願いします。

車に乗り込み、伊豆急行片瀬白田駅わきのガードレールをくぐり抜けクスノキの街路樹ならぶ駅前道路を抜けると、国道135号線白田信号へ。
赤信号が青に切り替わるのを待つ間、見るのは右手すぐにあるコンビニエンスストア。

店は早朝の時間帯にもかかわらず、海水浴客の来店によって異様に賑わっている。

信号は青に切り替わり、上を目指して走り始める。本日入るのは、伊豆半島の東の横綱である白田川。その右腕の「堰口川(せきぐちがわ)」である。

東伊豆最強と恐れられるこの右腕の上流には堰堤銀座と硫黄坑、水力発電施設といった数多くの功績が刻まれ、その過去の栄光のみならず流れは一年通じて水量豊富、また大小の岩石でゴツゴツしていて表情豊か。隠そうにも隠せない“豪腕”は見る者を圧倒する。

今日は胸を借りる。じゃなくて、腕を借りる。ことになるのだが、くれぐれもぶっ飛ばされて死なないように注意したい。
なんでもこの東の横綱は昨秋、過去に類を見ないほどの大暴れしたというではないか。大暴れしすぎて自らの※両腕には無数の傷がいまだ完治せず残っているそうだが、その辺も気になっている。(これが人々に対する“報復行為”であるのならば、非常に申し訳なく思う。)

特別養護老人ホーム湯ヶ岡の郷、東京発電白田川発電所、東伊豆町白田浄水場前を抜けると入渓点の水路が現れた。

その位置を感じとして例えると、右腕の肩と上腕二頭筋の突き出しの間くらい。

※左腕側の流れは川久保川という。

欄干が新しくなっていた。(堰口橋)
橋から上流方向を見る。
これじゃあ半詰まり状態・・・。

カツカツ。

車から降りる。時刻は午前5時20分。海の方角からは、一段と明るい光が差し込んできているのがわかる。自分がいま立っているところにはまだまだという感じだが、川沿いに走る林道より内側の一部には、もう自然界最強の光が差し込んできていて、あまり太すぎることは無いスギの木の一部連中がすでに温まりはじめている。

アケボノに照らされるヒョロリたち。

いやいや、そんな悠長に見て楽しんでいる暇なんて無い。今日のテーマは「早朝に照らされる堤体の落水」である。
朝一番の暑すぎない気温条件のなか、スギと広葉樹の渓畔林に囲まれた環境下、光る落水を見ながら歌を楽しむつもりでここ堰口川までやってきたはずだ。

時間があまりにも押してしまうと、チャンスタイムを逃してしまうことになる。急がねばと準備をはじめる。と、

カツカツ。

カツカツ。

先ほどから我が愛車に頭を何度もぶつけているヤツがいる。アブだ。
好奇心旺盛なヤツで、夏場はどこに行ってもコイツはつきものだが、そんなにカツカツ、カツカツぶつからなくてもいいだろう。

早朝ぶつかり稽古か?

そろそろ相撲のくだりもやめたいと思っていたのに・・・!

でも会いに来てくれてありがとう。

時短

午前5時半。乾ききった水路をものの数分でクリアし、堰口川本流に出た。

左手側が上流、右手側が下流。
その下流側。初めて来た時、その美しさに感動したことを覚えている。

当時は、まだ入渓点なんて分かっていなかったからこれよりだいぶ下流の堰口川橋のあたりから入渓したのだった。

今はどうなっているかわからないがその時は、瀬と深い淵が連続するような渓で、ウエーダーでも行けそうなコースを右に左に選びながら上を目指して歩いた。

このあたりは堰口川全体として見れば最下流部。しかし、いわゆるボサ川とはならず石がデカいの小さいのゴロゴロしていて、両岸みどり豊かで清冽な流れの中の遡行を楽しむことができた。

とくに入渓点の水路と堰口川の合流するところの少し下流は、大型トラックほどもある大きな石とその落ち込みによって出来た深めの淵、それを取り巻くように転がる大きすぎない川石とでとても美しかったような記憶がある。

宮崎県の高千穂ってこんな感じ?

今は堤体前に入ることだけを目的として動いているから、新規開拓のその日以降はショートカットして堤体を目指すばかりという状況で、そのことによって「時短」を獲得している反面、美しい渓を歩く楽しさを忘れてしまっているかな?と思う。

知らぬが仏。知らなかったから仏。かつて時間を掛けて取り組んでいた頃と、今が違っているというところには残念さもある。

さあ、今日は?

あまり時間が無いことを思い出す。時短というメリットを無駄にしないよう堤体に向かって急ぎ気味に遡行し、目的地に到着したのが午前5時50分。

2017年3月撮影
冬~春むきの堤体なのかもしれない。

“まげ”にとは思いがけず

堤体を見てすぐに分かったのが、昨秋の大暴れ痕。

副堤の砂底の上に巨大なコンクリートの塊が2個、埋め込まれている。これが何の塊なのかはわからないが、運んできた川のパワーには驚いた。昨秋の大暴れの後半戦にあたる台風19号時には「氾濫注意情報」がラジオのアナウンサーによって何度も連呼されていたが、こういうことだったのかと納得。

美しき渓もその顔を豹変させる時があるのだと・・・。

副堤に上がって画像を撮ったりしたのち、朝日の到来を待つ。朝の6時台に落水を太陽の光が照らしてくれれば、きっと美しいに違いない。

天端右側(向かって左側)はもうすでに太陽の光が届いている。この光が徐々に天端左側(向かって右側)に移ってきてくれれば良いあんばいだ。

6時15分、30分、45分、7時・・・。

ダメ。

その後7時台も待っていると落水のところどころをスポットライトのように照らす光が差してきた。残念。

なんとも生々しい光である。それは相模湾の水面上ギリギリの水蒸気のなかを這うように透過してきた朝日の光とは種類が違う。

照らしているのは明確に昼の太陽の光に同じ。いまごろ海沿いでは海水浴客が「待ってました!」とばかりに大騒ぎしはじめている頃か?

こちらは後方、下流側を振り返れば堰口川と川久保川の合流点付近の山。太陽の光は横綱の頭部“まげ”のあたりに引っかかりながら、いまだに影を残しながら堤体の落水に届いている。

ここで真夏の朝うたうのは不可。

残念ながら、その事実を心得る。光の質に難があって、歌うという気になれなかったということだ。

鳴々・・・、

そんな中でも堤体そのものの頑丈、堅牢さには拍手。昨秋の大暴れのみならず幾度の大荒れにも放水路天端は壊れること無く、しっかりとしたエッジを残している。落水は周波数を低くすること無く響いており、左右に幅広く落ちる水の形状もあいまってその持ち味は生かされている。渓畔林も垂直方向の先には濃く、申し分ない。

これならば季節を改め、また時間帯も改めれば楽しめる堤体に激変するかもしれない。

収穫が何も無かったわけではなかった。その時季に現地に赴いて、見て聞いて知り得た情報もあったのである。
午前8時すぎには堤体前を離れた。帰りは大汗かきながら、しかし体で覚えた堤体のデータに(心の中では)ガッツポーズしながら退渓をした。

本日は稽古を付けていただきありがとうございました。金星は付きませんでしたが、東の横綱の片腕に挑戦できただけで幸せです。また、よろしくお願いします。

ごっつあんです。

美しかった副堤上も、
同じ画が撮れなくなってしまった。
重いヨォ・・・。
後方を見る。早朝の時間の太陽光が届かなかった。
イヌビワ
アオキ(葉が大きかった。)
フジ
堤体のカドはしっかり残っていた。
午前7時50分頃撮影したもの。

真夏のゲーム問題。解法のヒント

西伊豆町

真夏のゲーム問題。

天候、晴れ。気温、30度越え。セミが鳴いている。現場にたどり着くまでに紺碧の海と海盤車のように手足を広げて走り回る海水浴客を見ながら海岸線を走ってきた。

そりゃあもう、ドイツ歌曲やらアリアをこれから歌います。とはなかなかなりづらい。

そもそも暑さの中では熱中症という健康リスクの問題がまず出てくる。そして、それを(渓畔林の下に入るなどして)クリア出来たとしても、次に来る問題として、音楽の詩や曲の持っている世界とまわりの環境が全く合わないという問題が生じてくる。

ヨーロッパの音楽と日本の真夏、猛暑の相性の悪さ。

そんななかでも日々の生活を豊かにしていきたいとか、慢性ストレスを解消したいとか、自然環境の中から様々な学びを得ていきたいといった願望があるのならば、やはり砂防ダムの音楽は捨てるべきでは無い。

自分自身においては過去の経験から対策を打って現場に入るようにしている。人それぞれ感覚の違い、好みはあると思うが、真夏のゲームをどのように展開すればよいか?そのヒントになりそうなことを書いてみる。

宇久須港とテッポウユリ

光の強さは変わっていない。

まず自分自身の視界の中にあるもの。視界の中に映る景色。それらほとんどは「発光体」ではない。太陽の光や照明器具によって反射された光によって映し出された姿だということを今ここで思い返す。

海のあお、遠く沖合を航行する船、砂浜のしろ、濡れているけれど真っ黒に焼けた子どもの背中、どれもみんな写しているのは太陽の光。

太陽の光が全てを照らして、その全てが空間を伝わって、自分の目に届いて、「あぁ、海だな。」とか「あぁ、砂浜だな。」と認識をしているのだ。

向かう車の車窓から眺めた風景はどれもギラギラと光っていて、冷房の効いた車中からだと、

うわっ・・・、

と思ってしまうのであるが、よくよく考えればこれは(海岸線に関して言えば)冬の頃に見ていた景色と実はほとんど変わっていない。
冬の頃と変わっているのは地面の温度。太陽熱と地熱との間にいる自分自身がどうやら騙されてしまっているようなのである。

たしかに暑くはなっている、冬の頃より。でも、

光の強さは変わっていない。という事実。

これを強く認識することが大事。

宇久須港

見に行かなければ分からない

ギラギラと光る車外の風景を見て脳が、“ヤラれてしまっている”ところであるが、そんな脳でどんな対処法があるものかと考えてみる。
暑さ、つまり温度のことはいったんどこかに置いておいて「光」という要素に集中してみる。

まず光があること(光が存在していること)は変えることが出来ない。
それでは、そのまま為す術も無くギラギラする太陽光線を浴び続け、自分は干からびてしまえばいいのか?

否、そんなことは無い。光を、

①視野の中のできるだけ狭い範囲に閉じ込める。

もしくは、

②その光が勢力を増す前と後を狙う。

この二つの対処法がある。これらは、
砂防ダムというものを実際見に行ったことが無い人にとっては???だと思う。とくに①に関して。

砂防ダムをある程度見に行ったことがある人ならば、もしかしたら分かるかも?

ある程度という領域をこえて何本も行ったことがある人・・・、ではほとんどが分かると思う。

宇久須港

太陽が相手なので

天に向かって手を思いっきり突き出して、太陽の背中に付いている「照度調節ツマミ」を回してやって、明るさ調節をする・・・、なんてことがもちろん出来ない。

光の量、光の大きさは変えられないということ。

暑さはどうか?

暑さの元になった「熱量」という要素。

やっぱりこれも変えることが出来ない。

光も熱量も変えられない中でなにをやるの?

格段の気を使って対処する

光も熱量も変えられない中でやる事。

①堤体を見る「方角」を選ぶ。

②堤体を見る「時間帯」を選ぶ。

この二つ。

堤体というのは山奥の森の中で「方角(ほうがく)」という概念が通用する唯一の存在である。水平にピシッと型取りされた放水路天端による「直線(ちょくせん)」は自然界には存在しない正に不自然な人工物。このことは同時に、

「直線を引いた。森の中に。」

と言っているのと同じ。その直線に分度器をあてて90度を測って線を引き、それを方位磁針で計測してしまえば堤体の方角が一丁上がりとなる。

これは大発見。なぜなら、方角がわかった所でその次に考えられるのが、堤体と太陽との光の関係であるからだ。
この堤体はこの方角を向いているから、午前中はこんなふうに光が当たるし、午後はこんなふうに光が当たる。といったことが実際、現地に赴かなくても“おおよそ”地図上でわかってしまうようになる。

“おおよそ”としているのは、やま本体が落とす影であったり、太陽高度の季節変化があったりするためで、常に一定とはならないから念のため。

それらをだいたいで計算して、ベストタイミングのちょっと前に堤体前に入れたらというのが理想型。

で、入渓の計画を立てる。

春夏秋冬どんな季節でもそういった計算はある程度しておいた方が良いが、とくに音楽的に困難が生じやすい真夏の場合、そこに格段の気を使って対処する必要があるということを述べておきたい。

これらはもちろん、他ならぬ私自身がそのようにしているからだ。

宇久須川と松ヶ坂トンネル

楽しい半ドンの一日

袋を開けてガリガリと。

半ドンの頃が懐かしい。

半ドンとは土曜日に午前中だけ会社や学校に行き、仕事や勉強を行うこと。午後は業務外時間や放課後となるので自由に過ごせる。かつては土曜日も学校に通っていたことを思い出した。

まず半ドンの土曜日というのは、ワクワク感に満ちている。午前中は学校へ行き、1限から3限まで勉強をすればいい。たったの3限で学校から帰れるということ。そして学校内にいる時間中はいろんな友達に会うことが出来る。

3限の授業で勉強を終え、クラスで帰りの会をしたのち下校。まだ、自分の真上に位置する太陽の射光に照らされながら、家までの道のりを歩く。通学路には虫や草や川などさまざまな誘惑がノキを連ねるが、今日はその誘惑にはハマらない。

まだ、昼ご飯を食べていないのだ。

自分もそうだしまわりの友達も、大声ではしゃぎながら前を見たり後ろを見たりなのだが、体はつねに家の方向に向かって動いている。そんなにも家路を急ぐのは腹が減っている半分、遅れたら親に怒られるからであろう。

家では母親の作った飯が待っていて、そのあとには午後の自由な時間が待っていて、しかも日はまだ高い。いっぱい遊べる。

なんというワクワク感の連続。

半ドンは第2土曜日だけ全休とか第4土曜日も全休とか、紆余曲折へながら義務教育の9年間、そのあと高校3年までつづいた。

あまからや店内。扇風機、カキノキ、アジサイ、シャクナゲ

半ドンの日の昼メシ

7月25日土曜日、中伊豆「あまからや」で昼メシを食べようということで自宅を出た。

この日の天気は大雨。さすがに今日は砂防ダムには行くまいと腹をくくったが、せめて昼メシだけでも“いいところ”に行こうと中伊豆まで赴くことにした。

朝は当ブログに下書きを寄稿し、そのあと午前10時に自宅を出発。出発時間が妙に早いのは例のウイルスの影響をみたから。開店時間すぐに店に入って早めに食事を済ませたい。それでもこの日は静浦~長岡北~熊坂~横瀬のゆとりルートで中伊豆を目指す。

店の前の駐車場に到着したのは、午前11時すぎ。自分は一番手では無く、もうすでに横浜ナンバーのハリアーが停められていた。自分も駐車場に車を停め、さっそく店に入る。

民家のお宅の引き戸をサーッと開けると「いらっしゃいませ」の声。

ここは民家系(って言葉はあるのか?)のラーメン屋である。引き戸を開けてすぐには10坪くらいの土間があって、その土間の左側に一段上がって畳の敷かれた座敷、それが合計3部屋ほど。それぞれには複数台の座卓、座布団が備えられている。

一番手前側の座敷に案内され、ラーメンを注文するとすぐにそれが出てきた。

久しぶりにありつけた味に夢中になって麺をすする。

畳の部屋、座卓に座布団、ラーメン。

小学校の頃に母親の作ってくれていた半ドンの日の昼メシを思い出す。

夢中になってすすったラーメンはものの数分で平らげた。この頃になると後発の客が続々と来店し始めたので、代金を払ってそそくさと店を出る。

時刻はまだ正午前。

ガリガリ。ガリガリ。

さて、今日は昼飯だけで十分だと、直で帰ることにした。

中伊豆路、増水する大見川を見ながら北に向かって走る。

アイスでも食うか?

中伊豆八幡(はつま)の三叉路信号を過ぎてすぐのローソンに立ち寄る。店内のショーケースの中でひときわ光っていたボウズ頭を選び抜き、それだけ持ってレジへ。
会計を済ませ、店を出て車中に戻る。

袋を開けてガリガリと。

ガリガリ。ガリガリ。

ガリガリしていた錯覚か、車の屋根を叩いていた大雨が弱まってきたような気がした。

・・・。

行くか?

車を再び八幡の三叉路信号に向け、左を選択。八幡東の信号を過ぎ、伊豆スカイライン冷川IC前を右ななめ前方にクリアー、冷川大橋を渡って信号を右に。徳永川を平行にして登り、冷川トンネル前を直進。中伊豆グリーンクラブ前も通り過ぎてカジカ沢に架かる大幡野橋を渡り、およそ200メートルで市野沢橋直前、運転席から見て右側に「徳永第3砂防ダム」が姿を現した。

徳永第3砂防ダム

こりゃあダメだ・・・。

雨の日にこの場所に来たのは初めて。
堤体は4階建てになっていて2階と3階から落水をしている。

この場所に来る前のイメージであるが、4階部分から今季の長梅雨と当日の大雨の影響によって落水しているのでは?と踏んでいた。
4→3・3→2・2→1階の大迫力、3段の落水を想像していたということ。しかし、最上段の4階は当日までの大雨にはビクともせず、3・2階だけの落水によって梅雨の襲撃を軽々とあしらっていた。

よし。

車から降りて、まずは上下にレインスーツを着こむ。あとはbluetoothスピーカーと曲のデータが入っているボイスレコーダーを持ち、さらにVメガホンをセットして堤体前の小さな広場に立つ。

落水の最上部が低めなのは、専門的に言って「目のやり場に困る」ところであるが、それでも最上段4階部分にある鋼製スリットを意識するようにして、なるべく高いところめがけて声を放つ。

ブー!!!バシャバシャバシャ・・・

ん?

音がした方向をふと振り返ると、雨の中を猛スピードで走り抜けていく車。
気にせず続けようと思ったが、またしても

バシャバシャバシャ・・・

立ち位置の後方を走る県道112号線は中伊豆~伊東市南部方面の抜け道である。しかもこの日は土曜日ということもあって、普段よりも交通量が多い。

こりゃあダメだ・・・。

ここがイメージと違った。
歌い始めたものの・・・
堤体前に立てられた看板。2017年4月撮影。

急きょ新規開拓に

こんなところでは、音楽に集中出来ないとその場をあきらめることにした。

さて、どうするか?巻くか?

時刻は午後2時。未開の地に入ることには不安も感じたが、急きょ新規開拓に取りかかることで決定した。

レインスーツをズボン側だけ脱ぎ、ウエーダーに履き替える。上半身にはやはりフローティングベストを装着し、手には愛用のウォーキングポールを握りしめた。

辺りを見回すと堤体に向かって右側に材木置き場のような広いスペースがあり、その奥に林道の登り坂が見えた。
しかも、どうやら林道は堤体の方向に向かって伸びているようす。さっそくその坂を登り始めると、なんともあっけなく堤体を巻けてしまった。しかも階段がある。

堤体の水裏側(さきほど眺めていた側)に付けられたその階段をまずは降りると、堤体が透過型として機能していることを確認。これならば落水は臨めないのだと納得。つづいて本題となる水表側への進入を試みる。

すると、今度は釣り人が付けたと思われる道を発見することが出来た。それを伝って渓まで降りることに成功。早速、遡行を開始する。

渓は若干にごっている。雨水が針葉樹の森からの山土を幾ぶん運んでいるようで、源流部と言って良いだろう徳永川の水から透明という色を奪っている。

堤体を探しているため、視線は足元を見たり前を見たりで交互に。
そんな手探り状態での遡行だったが、歩きはじめて15分。徳永第3砂防ダムを巻いてまだ1キロも歩いていないだろうという地点、なんと落水する堤体を発見した。

4階部分は水抜き穴から抜けていた。
銘板

庭師ごっこ

堤体の規模は堤高5メートルにも満たない小さな堰堤。それでも、手前側には小さな小さな副堤が付いていて、本堤の落水を援護するように音を奏でている。

下流部に位置する堤体、徳永第3砂防ダムに比べれば堤高の迫力には劣るが、こちらはしっかりとその最上段から落水している。しかも手前側にはヒノキの人工林が広がっていて、渓畔林としての一つの機能「暗がり」を提供してくれており、明暗のコントラストがしっかりとしている。

さきほどは「目のやり場に困る」などという状況であったが、こちらについてはそんな心配は無用である。むしろ、雨天という悪条件の中でこれだけの明暗のコントラストを出すことのできる堤体というのは貴重な存在であると思った。

bluetoothスピーカーの電源を入れ、フーゴ・ヴォルフの「庭師」を選ぶ。庭師の庭は城の姫に仕えた、馬がポッカポッカ歩くような庭のことで、こんな山奥のヒノキ林とは意味合い的に全然ちがっているのだが、

Nimm tausend für eine, Nimm alle dafür!(お取りください、1000の花を。お取りください、ここにある全てを!)という庭師の、切なる願いを込めて歌うあたりはシチュエーション的にあっていると思う。

堤体の上に(光るほどに美しい)お姫様が白馬に跨がってそこにいると見立て、その光に向かって思いっきり気持ちを込めて歌ったらめちゃくちゃ楽しかった!

思えば今日は大雨の中、中伊豆に昼メシを食いに来ただけであった。それが、旧知の砂防ダムの今日の状態を知ることになったり、その上にある知らなかった堤体を見つける結果になったり。想像以上に今日という日を楽しく過ごすことが出来た。

帰る前に最後もう一回の「庭師」。

職人になったつもりで・・・、

庭師ごっこ。

楽しい半ドンの一日だった。

ヒノキ
アブラチャン
コナラ
流域全体にウツギが多かった。
堤体全景。

大好き河津町!vol.9

河津橋

7月23日午前9時すぎ、まずは河津橋を渡り下田市との境界にある大字「逆川(さかさがわ)」を目指す。

橋を渡った直後には白地に赤文字で「大型車通行困難」の大きな看板。
この道は国道(414号線)と言うわりには道幅が狭いので、事前に案内看板が掲げられている。

幅員は狭いところで普通乗用車1.5台分ほど。非常に走りづらさを伴う道ではあるが、これが南伊豆地方の最大都市「下田市」につづく重要ルートだということもあって、交通量は決して少なくはない。

天川洞門をくぐり抜け、右に左にうねる道を抜けると、ようやくの分岐点。緊張感が解放されるのは「河津バガテル公園」の可憐な看板が目に入ってきたからでもあると思うが、それ以上に片側1車線という、十分な幅員区間にやっと入ることができたという安堵感にホッとしたためである。

ここからは河津バガテル公園前の急坂を登ってきたトラックを引き連れ、旧モーテル峰山前を通過。峰山トンネルをくぐればそこから先は下り坂となる。道路の路肩下を流れる稲梓川を見ながら坂を下っていくと、突如いなかの里山風景が乱れ、建設重機、ダンプカーが踊る土木開発地帯に突入した。

車から降り、背後くだってきた坂の方向を見れば稲梓川には太く立派な橋、さらにその先には真っ暗なトンネルがポカンと口を開けていた。

道は幅員狭し。
天川洞門
天川洞門前には注意喚起の電光掲示板。
河津トンネル逆川地区工事(開通後は伊豆縦貫道の一部区間に。)

最新鋭!

トンネルの入り口上には「河津トンネル逆川地区工事」の文字。同トンネルは現在地である河津町逆川より河津町小鍋へと抜ける予定らしい。

目下、鋭意開発中の伊豆縦貫道については、その最終地点となる下田市まで、出来うる限りの短縮ルートを取る必要があるため、一部区間において“山を掘り進める”という行為がなされている。これは河津町内の話しでは無いが、最きん開通した事例として、伊豆市天城北道路の佐野トンネル、雲金トンネルなどがある。

伊豆半島を南北に横断する道路を開通させるという目的の中で、伊豆の山々の存在は避けては通れない。

通常であれば目の前に立ちはだかる山に対して、現在利用している先人たちの遺産「旧道」を改良することで道路を整備していけばいいのであるが・・・。まぁ、

そうはならない。

車が走りやすいよう道路の線形を直線的にしたり、通過時間短縮の大義を達成するために経路を短くしたり、何より先住の地域住民の村家を守ったり、交通安全上の問題があったりする中で、旧道を改良するだけではそれらの用件をすべて満たすことが難しくなって来ているからだ。

そんなわけで、旧道を改良する。というよりも、その旧道から少し離れたところに“新しい道”を作ってしまおうという計画が生まれ、事業化ということになってくる。

では、

目の前に立ちはだかる山に対して、みどり色濃き森の木々を線形に刈り込んでいき「21世紀峠」を作れるものなのか?

開発中に木を切れば自然破壊だと罵られ、山の景観が道路の登場によって損なわれたとこれまた罵られ、道路が完成したとしても土砂崩れによるリスクがあったりで、開発の許可を出した当事者は散々な!?目に遭う事をお忘れ無く。

どうやら「21世紀峠」というのは難しいらしい。

では、どうすれば?

・・・?なんだか眠たくなってきた。

「トンネルを掘ればいいじゃない!
最新鋭の建設機械で、最新鋭の建設技術で、最新鋭を知る大手建設会社や大学のセンセイの指導でトンネルを掘りましょうよ!経済大国の日本なら、トンネルを掘る道具も技術も世界トップクラスに違いないでしょ。トンネルを掘って全て解決。やった。バンザーイ!」

!!!

ふと我に返る。私の眼前には懸命に働く建設重機、せかせかと土砂を運ぶダンプカーの姿。

おや、この山も・・・、

「最新鋭!最新鋭!」のかけ声で、穴を掘り進められていくのか?

しばらく工事の様子を見学したのち、逆川をあとにしたのが午前10時。

小鍋側の様子もうかがいに。

電波塔

その後、河津トンネルの開通先となる予定の河津町小鍋も見に行ったあと塩田屋で弁当を買い、国道414号線を新天城トンネル方面に向かって登った。河津七滝ループ橋、登尾トンネル、鍋失(なべうしない)トンネルを抜け、道路は東方向に大きくカーブ。「鍋失高架橋」を渡り終えたら右折する。

そのまままっすぐ走って携帯電話の電波塔を見つけたら、路肩に車を駐車する。ここが本日の入り口。

まずは先ほど塩田屋で購入した弁当を食べ、それから仮眠を取る。

つかの間の時が過ぎ、午前11時。ようやく眠気が取れたところで車を降り、準備を整える。今日これから歩く道は旧天城街道の廃道であるが、ここのところの雨によってぬかるんでいる可能性があるためウエーダーを履く。

そして旧天城街道の現道路から廃道区間に足を踏み入れることが出来たのが午前11時半。まずは直後にあるNTTドコモ電波塔のフェンス外ひだり側を通過する。

こういった施設の法律的なもの、土地の所有権のことはわからない。しかし、目の前にあるのは、“廃道”という字のごとく廃れた道と、現代社会の生活を生きていく上で無くてはならない先端ツールをささえる電波塔基地である。両者の時間的対比の大きさがもの凄い。

今日もご苦労様です。

電波塔をこえると樹木の回廊のような道が姿を現した。

ここで曲がる。
電柱と石の間が入り口。
電波塔の先の様子。

そして梅雨どきなのに

廃道を歩き進める。直後にはまたしても電波塔。取り付けられている看板の表記を見れば設置者はKDDIとある。先ほどのNTTドコモとはまた別な事業者のものだ。

廃道の活用方法として携帯電話の電波塔を立てるという行為はスタンダードなのか?土地を有効活用しているという反面、これに閉ざされて道は現役復帰の可能性を失ってしまっているところには残念さも感じる。

KDDIの電波塔も越えると、本格的に廃道っぽくなってきた。道の現役生活終了後に生えてきたと思われる樹木が見られるようになってきたからだ。道の中央にデーン!となんの遠慮も無く定位している。

ヨォ、偉いもんだな、お兄ちゃん。

現国道にある鍋失トンネルの開通年が昭和54年というから、ここに生える木はそれほど大先輩では無さそう。むしろ、年下かも知れない。また、道の中央からほぼ垂直に天に向かって伸びるケヤキの木などは人工的に植樹されたものなのかも知れない。

アスファルトが比較的きれいにハツリされていて、これが木の根の力によるものなのか?人工的な手助けによるものなのかがわからない。いずれにしても砂防効果や土砂災害予防効果は一定程度認められることと思う。

そして梅雨どきなのに完全に伏流してしまっている谷止工なども見ながら、ようやく現国道414号線鍋失トンネル南側口の前に出られたのが午後1時過ぎ。

道を塞ぐ樹木。
鍋失トンネル北側口を眼下に見る。
谷止工は落水みられず。
シラキ
鍋失トンネル南側口

最近のことだ。

国道414号線を注意しながら渡りきり、高さ2メートルくらいのコンクリート壁を越えると小さな沼が現れた。沼にはバシャバシャと水を供給する滝が見られる。沼を越え、その滝を登る。滝はナメ滝なので直登ではない。

午後1時半、ナメ滝を登りきるとようやくの目的地。水が極めて少ない。堤体の放水路天端下が申し訳程度にテカっている。

堤高は5メートルほど。しかし、立ち位置から見て斜め上方に位置する堤体は、基礎部分が自身の頭上よりも随分高い位置にある。堤高5メートルであったとしても“見かけ高さ”としては15メートル以上にもすることが出来、それを見上げて歌う楽しさが味わえる。

立ち位置を後退させればさせるほど、堤体の天端を高い位置に見ることができるのだ。

bluetoothスピーカーの電源を入れ、シューマンのMeine Roseを選ぶ。この曲はとても深い、人の心の悲しみをうたった歌である。とても美しくて、でも詩は深くて、生半可な気持ちでこの曲に取りかかるのは不謹慎だとさえも思っているのだが、

自然発生的に歌いたくなったための選曲。

聴衆を前に歌うという、現状一般的な環境ではMeine Roseは(自分自身としては)絶対にあり得ない曲だと思っている。歌い手による歌い手のための歌「砂防ダムの音楽」であるからこその選曲が出来た。

こうして、この日もまた砂防ダム音楽を楽しんだのであった。

ちなみに、この場所は今月の10日にも来ている。その時は画像が示すとおり7月23日よりもしっかりと水が流れている。いずれの日も梅雨期間中。およそ2週間という期間はけっして短いわけでは無いが、どうであろう?落水が不安定ではないかと思う。

堤体の直下すぐ西側には鍋失トンネルが掘られていて???

まだ、そういうことは断言するべきでは無いと思っているが、山の水の流れというのは単純では無いことを最近のマスコミ報道でいろいろ勉強させてもらっている。

砂防ダム音楽家として、河津町ふくめ伊豆半島各地のことを心配するようになったのは最近のことだ。

登尾沢第2号コンクリート谷止
画像左カジノキ属(不明)、画像右タマアジサイ
サカキ
シラカシ
立ち位置右横にも沢が流れている。
7月10日撮影
7月23日撮影

メガソーラー発電所

「森山君、コレ・・・」
と言って渡されたのはどんな用紙だったかまでは覚えていないのだが、自分の名前を記入したことは覚えている。

依頼主は私の敬愛するH女史。
「今度ねぇ、函南(かんなみ)町にメガソーラー発電所の建設が予定されていて・・・」

話しを始めたH女史の口から、突じょ市民活動的な内容がこぼれてきたことについては心底驚いたが、話しを聞き進めるうち、どうやら話しの出どころはH女史本人なのでは無く、H女史が普段やっているクラブ活動の師匠によるものだということが判明した。

話しは店の勤務が終わっての時間帯、ちょっと忙しい夕方でのこと。

それほど深い意味合いも考えず、H女史から手渡された署名用紙に急ぎで名前を記入し、そそくさとその場を立ち去ったものの、話しの中に出てきた「軽井沢」については悲しいかな、私の脳の中の“重要案件取り扱い欄”に完全にインプットされてしまった。

―いやいやH女史、余計なことを言わなさんな・・・。―

自分の中ではこのあとの展開が予測出来ていた。

―まあねぇ・・・、函南だったらそんなに遠くは無いけどなぁ。―

不惑に陥る、ちょうど一年前の私。その日の天気がどうだったかまでは覚えていない。

やっぱりこうなる・・・。

野次馬

変わって翌日、天気はくもり。一転して天気の確かな記憶があるのは当日に外出をしているから。外出先はもちろん、

田方郡函南町軽井沢。

地図をたよりに、スマートフォンをたよりに、メガソーラー発電所の建設予定地を目指した。

ちなみに当初、私の予想した現場というのは、
「建設、断固反対!」とか「メガソーラー発電所を作るな!」といった非常に物々しい横断幕が踊る建設予定地だったが、じっさい現場に行ってみると非常に静かな、何事もないただの山林が当地にはあった。(横断幕も無かった。)

唯一というか、特徴があるとすればジメジメとした梅雨時期ならではの山林。建設重機の動く音などすることも無く、ひっそりと静まりかえっている。時折耳に入ってくるのは鳥の鳴き声。

本当になにも無い薄暗い山の中の林を見たのだった。

さて、帰るか・・・、それにしても・・・、

この日、建設予定地のことよりも気になったのが現場に行くまでに使った道路。ファミリーマートのある「平井」の信号から左折し、熱海峠に向かうかたちで軽井沢を目指したのだが、アップダウンの激しい道でカーブはそこかしこに、という道のり。非常に見通しの悪い道を走るハメになった。

これじゃあ、いつ事故ってもおかしくないな・・・。

全くもって地元の慣れた人向けの道に踏み込んでしまったのだと後悔。なんと言っても、自分自身はメガソーラー発電所の建設予定地を見に来ただけの野次馬である。厄介な事を起こして地元住民に迷惑を掛けてはいけないと、帰りは熱函道路(静岡県道11号線熱海函南線のバイパス道路)をなるべく多く使用するルートを模索し、より安全なルートを確保したのち帰路に就いたのだった。

これは昨年、軽井沢で撮った画像。

梅雨のゲームプラン

早いものでそれから1年。

軽井沢のメガソーラー問題がいまだ解決にいたってないということは、報道各社の記事によってすでに把握しているが、実際の現地では何が起きているのか?ということが気になっていた。

自身のスケジュールを確認し、行けると踏んだ日付は7月13日。一年前、函南町軽井沢を訪れた、その前々日にあたる日である。

日付は決まった。あとは行くだけ。ゆいいつ心配なことと言えばやはり、

雨。

それではと今回はメガソーラー発電所建設予定地に入るより前に、「堤体に入ること」を条件とし、現地に入ることで調整。

いくら何でも、歌は外せないでしょ!

どうやら梅雨の時期は、空模様により気をつけながらゲームプランを立てなければいけないようである。

あの橋の奥に堤体がある。

周回道路

7月13日、午前8時すぎ。沼津市内の自宅を出発。まずは、国道1号線で三島市内まで向かい、南二日町ICにて国道136号線に切り替える。
南進し、大場川にかかる「大場川橋」を渡れば、ひとまずの函南町入り。

その直後に現れる「大場川南」信号より伊豆縦貫道のガード下に沿って走り、ショッピングセンターLUPIA入り口の直後に現れる交差点名は「大土肥」。その次が「熱函入口」(なんとストレートなネーミング!)。

ここを右折するかたちで県道11号線に切り替えると、あとはひたすら道なりに進む。

軽井沢への行き方であるが、ポイントとなるのは2軒のファミリーマート。手前側の店舗「函南平井店」側でバイパスを降りてしまうと、前回同様の失敗を経験するハメになる。

そのままバイパスを降りることなく我慢し、以降4キロほど先にある「函南丹那店」直前の丁字路にてようやくバイパスを降りる。
降りた先にはほどなくして一時停止の丁字路を迎えるが、その左右を形成する道は丹那盆地の周回道路(1周約3.3キロ)。

周回道路の内側にはほとんど田畑しか無くて、逆にその外側は山を背負うかたちで民家や当地の基幹産業、酪農牛舎などがある。

当日はまず堤体に入る予定だったため、周回道路を反時計回りに進んだ。

そして今回入渓した沢であるが「小谷之沢」という沢で、周回道路より画像Ⓐ→Ⓑ→Ⓒ→Ⓓの順路で進むと行くことが出来る。(画像は後日撮影したもの。)林道は特にあかみち等では無いが、地元民に出会ったら一声掛けて。当日も畑仕事をする方とすれ違ったため、いったん車を停止させ、堤体に行くことを告げてから再発進し、山に向かって登った。

林道を進み、小谷之沢橋の下に車を停め、歩いて堤体前に下りたのが午前11時のこと。

Ⓐため池の前で右折
Ⓑ左折し、橋を渡る。
Ⓒ石垣の切れ目を右折。
ⒹY字は右側に。
小谷之沢橋

アジサイの花

歌を楽しんだあと、退渓したのが午後1時半。これからメガソーラー発電所の建設予定地を目指して走る。

周回道路まで下り、今度は時計回りに進んだのち、酪農王国オラッチェ前、農協ガソリンスタンド前などを通り過ぎると、まもなくあらわれるY字分岐を左に逸れる。丹那盆地を離れるかたちで坂を登り、進んだ先に現れたのが軽井沢の集落。

メガソーラー発電所の建設予定地はこれよりさらに奥の山林地帯。止まること無く進む。

やがて進んだ先に現れた看板には「好評販売中 宝谷山南箱根墓苑」の文字。道路は東向きに大きくカーブし、そのカーブの途中、前方まっすぐを見ればスギの生える人工林。

ようやく現れた建設予定地。

昨年来た時と何か変わったところはあるかと確かめたが、特に変化は無い様子。

そこにあるのは昨年と変わらずジメジメとした梅雨時期ならではの山林。建設重機の動く音などもちろんすること無く、ひっそりと静まりかえっている。時折耳に入ってくるのは鳥の鳴き声。

それでもなにか無いものかと、さらに奥につづく薄暗い林の下の道路も抜け、熱海峠まで探ってみた。しかしながら、メガソーラー発電所の建設に関するものは一切見つけることが出来なかった。
見つけられることが出来たとすれば、

道ばたに横たわる一本の木に付いたアジサイの花。

そういえば・・・。

鮮やかな青

そういえば、去年もここにアジサイの花があった。(間違いない!)花は建設予定地となる林の道路挟んで反対側の道ばたに。

光るようなその青色がとても美しい。

強烈な色でその個性を主張してくれていたので、一年経った今の今まで覚えていることが出来た。
こんなにも人間を惹きつける絶大なアピール力。薄暗い林の下で鮮やかな青を発色させるその姿を見たのだった。

それにしてもこのアジサイは、

自らの生える道路を挟んだ反対側は今、こんな大変な事になっているということを知っているのか?

???

知らないのか?

ただこの場所で一生懸命花を咲かせているだけ。そして、

この場所で生きたい。と思っているだけ、

まぁ・・・、それだけであろう。

そしてこの地でこれからどんな事が起こるのかは、われわれ人間側もほとんど誰も予想する事が出来ない。だがしかし、そんな中でも忘れてはならないだろう。「現状を変える。」ということ、それはわれわれ人間だけに及ぶ問題ではないということを。

では以後、ここにあるものは何か?

今のようにひっそりと静まりかえる林か?建設重機の鳴り響く山か?はたまたそれ以外のトンデモナイ出来事か?

薄暗い林の下でアジサイは見ている・・・。ということ。それをお忘れ無く。

以下、小谷之沢の樹木たち。ネムノキ。
アカメガシワ
ヌルデ
エノキ
堤体全景。