台風19号

スリップを発見。(長野川最下流部にて)

台風19号が過ぎ去った翌々日となる10月14日、堰口川の谷止工に砂防ダム行脚したことを書こうと思う。

10月14日、この日は自家用車のオイル交換を済ませる必要があったため、まずは朝一、そちらに着手。エンジンのオイルフィラーキャップを開けて、エンジンオイルを注ぐのだが、今日の交換ではその手順がやや慎重にならざるを得なかった。なんと、「さぁ、交換だ!」と作業を始めようとしたら、霧雨程度の細かい雨粒が降り始めてきたのだ。エンジン本体内に雨の水滴が入らないよう、ボンネットを屋根代わりにしてガードしながら、できる限り素早く、エンジンオイルを注ぎ入れた。どうやら今日はあまり天気が良くないようである。

情報を元に各地に立ち寄る

エンジンオイルの交換を終え、自宅を午前8時頃、出発。まず向かったのは、田方郡函南町にある道の駅「伊豆ゲートウェイ函南」。事前に床上浸水したとの情報があったため、被害状況の確認ということで訪れた。国道136号線を伊豆中央道、江間トンネル方向に向かって走り、建物本体を確認。一番先に目に入ってくる道の駅内のコンビニ「セブンイレブン道の駅伊豆ゲートウェイ函南店」は窓から、入り口から、全て白色のブラインドが降りており、閉店していることがわかった。その後、すぐに現れる水色の左折レーンを曲がり、駐車場に入場する。トイレは通常通り“営業”しているようで使用することが出来たが、ゲートウェイ本部のインフォメーション窓口、各テナントが入る建物内部は封鎖されていて入ることが出来なかった。結局、トイレだけ借りて終了、という形でゲートウェイを出発。南下のルートをたどり、伊豆中央道、修善寺道路、天城北道路を経由。次に向かったのは伊豆市市山の旧天城湯ヶ島支所周辺。台風通過当日、私は台風関連の情報をラジオにて収集していたのだが、ここ伊豆市市山がそのラジオのアナウンサーにより何度も連呼されていたのだ。連呼されていた理由は、その爆発的な降水量からで、最終的には12日当日の日降水量は688ミリ、24時間降水量は717ミリ(同観測所における観測史上最多)という数字を叩き出した。その伊豆市市山はどんな状況になっているかとのことで車を降りてみたのだが、国道414号線沿線付近は特に被害らしきものは見られなかった。しかしながら、それだけの猛烈な水の空爆が当日はこの地に降り注がれたのである。市山含め、この天城湯ヶ島周辺の街中もそうであるし、山においては山林、林道内のどこかしらが破損していることが想像できる。事実、その市山にて狩野川に合流する長野川のその最下流部、小川橋~簀子橋間の山の斜面で土砂崩れが確認できた。こういった、あまり規模の大きくないスリップと呼ばれる程度の土砂崩れは、各所で起きているであろう。であるが、今回はその台風の被災範囲の広さと、それに伴っての被災箇所の多さから、この程度の土砂崩れ一つ一つは当然のことながら報道されない。砂防ダム音楽家として、この地域含め、伊豆半島各地の山林、林道、河川構造物等の被災状況が気になっているのであるが、それらに関する情報は自分であちこち出向いて見つけていくしか無いというのが現実だ。このような悩みを持つのは私だけでは無いであろう。山歩きをする人、釣り人、職業者としては自治体の職員、山の調査を行っている人たちなど皆、そうであると思う。伊豆は、国有林も多い。今頃は、関東森林管理局の職員もあちこち飛び回っているはずだ。この令和の時代、情報網が発達した世の中にあっても、山の中の出来事というのは、平成、昭和のころと何ら変わらぬ方法を持ってしか知り得ることが出来ない。事実を知りたいのであれば、自分で“歩いて”探し回るしか方法が無いという不便さが今も昔も変わりない。

しばらく留まったのち市山を離れ、新天城トンネルを目指す。途中、国道414号線でいつも気になっている「出水橋」に立ち寄る。ここは、砂防ダムが・・・、と言うことでは無くて沢の水が道路を跨ぐような感じで越流していることが多い箇所だ。まさしく名前の通りの“出水”なのだが、今回の台風で沢の水が土砂を含んで越流するなどして被害が出ていないかと心配であったため、こちらをチェックポイントとし、立ち寄った。思いのほか、とくに目立った被害も無く安心する。その後は、新天城トンネルを抜け、河津町に入ってからも同様、目立った被害は見られずスムーズに堰口川のある東伊豆町まで行くことが出来た。

市山丁字路。
嵯峨沢橋から上流部。まだ水量が収まっていない。
旧天城湯ヶ島支所。さらに昔は天城湯ヶ島町役場。
出水橋。橋では無く奥側の林道入り口付近が越流しやすい。

最も渓畔林の元気な時期

谷止工の現場に入れたのは正午すぎであった。ここは前回、3月の砂防ダム行脚の記事「また今日も雨降り」で来て以来の再訪である。記事によれば前回来た時はレインスーツを上下に着ていたとあるが、今回もまた同じようにレインスーツである。今日はこのスタイルで丁度よい感じだが、これが1~2週間前であったら暑くて堪らなかったであろう。一夏を超えて季節は秋となり、また春の頃の気温が戻ってきたのだ。と、ここでふと考える。前回来た時と同じ点があるとすれば、服装のこと。前回来た時と違う点があるとすれば、それは森の状態。3月のこの場所は、上から多くの針葉樹が樹冠で覆ってくれている状態であったが、その樹冠よりも下の部分が今よりもスカスカで、そのスカスカの隙間から多くの光が縦横無尽に降り注がれている状態であった。今日とは明らかに違う状態であった。今日は、前回と同様、晴天に恵まれること無く空からは「白い」光が差し込む状態であるが、その時とは違い、歌がうまく歌えている。台風の風によってちぎり取られた枝葉は道路上に散らばっているが、それ以外の多くは見事、台風の猛威に耐え抜き、木から、枝から元気な緑色を見せてくれている。
―今は、一年の内で最も渓畔林の元気な時期である。―
歌というものに無くてはならない“詩”。その詩の世界に深く入り込んでいくためには、渓畔林のもたらす暗がりは欠かすことが出来ない。渓畔林が一年のうちで最も元気なのであるから、それによって形成される暗がりも一年のうちで最大規模なのだ。その最大規模の暗がりの中、今、自分は歌えている。
今日の日の砂防ダム行脚は大成功であった。大成功にいくように導いてくれた森の木々に感謝したい。

白田橋より。画像右端に注目。
ラジオでは、避難指示と言っていたので相当凄かったのだと思う。
林道上を覆うスギの葉
落ちている葉をしらべる。
どうやらこれはバクチノキの葉のようである。
堰口川脇の谷止工

北又川の砂防ダム

三ツ石橋

北又川上流部の砂防ダムについて紹介しようと思う。まずは場所について。スタートは例によって伊豆中央道、修善寺道路を使っての伊豆半島南下からはじまる。修善寺道路は修善寺トンネルを過ぎた後すぐにある修善寺インターチェンジにて降り、インター下にある信号を左折、修善寺温泉街方向に向かう。コスモ石油、ファミリーマート、JA伊豆の国前などを通過した後、左手方向に「修善寺総合会館」が現れる。この修善寺総合会館前に、400m先、戸田港・西伊豆スカイライン方面は右折、という旨の案内標識があるのだが、今回使用したいルートはこれであるため標識に従い400メートルほどそのまま直進する。右折時、目印となるのは「五葉館」という赤い外壁の旅館で、その五葉館前まで来たら丁字路を右折する。ここから目指すのは、「広域基幹林道 達磨山線」の入り口。右折後、6.8km先にあるのだが、その入り口まではダラダラと登り坂中心に道が続く。ここの登り主体の坂で伊豆の思い出を作る人は多い。どこか遠くから来たであろう、学校、スポーツ少年団、ボーイスカウトなどの団体、個人ではオートバイ、ロードバイク乗りの者も多い。長く、アップダウンの続く坂を行くことに価値があるというということなのであろう。ロードハイキング、ツーリングといったことを麓にある温泉と併せて楽しめるというのだから、修善寺はじつに魅力ある財産を抱えた観光地なのであるということがわかる。そのアップダウンの途中には「虹の郷」や「伊豆国際カントリークラブ」などの広大な敷地を持った観光施設がある。注意したいのはその伊豆国際カントリークラブ以降の区間で、見通しが悪いカーブの続く道になる。前述の通り、この道を歩いたり走ったりしているのだから、そういった人たちとの事故には十分に気をつけたい。注意しながら進み、「広域基幹林道 達磨山線」入り口を迎える。名称に達磨山線とあるが、この道は達磨山の中腹を横断するようにして続く林道で、※最終地点は中伊豆~西伊豆の最主要ルート、船原峠の道、国道136号線である。そして入り口より林道に入ると、目的地はいよいよ近い。林道に入ってから、一番最初に現れる橋「三ツ石橋」がそうであるからだ。三ツ石橋まで行くことが出来たら、そのまま橋を渡って通過し、道幅の広くなったところへ車を停める。

※正式には国道136号線手前で途切れる。

修善寺インター下
五葉館
林道入り口
広域基幹林道 達磨山線

朱く塗られた橋

さて、北又川の砂防ダムであるが、多分、三ツ石橋を渡った時点でもう見つけられていると思う。何せ、その三ツ石橋よりわずか50メートルほど上流に堤体があるからだ。ここは橋と砂防ダムをセットで楽しむことが出来る場所だ。楽しむ・・・などと言ったって、そんな感覚の持ち主はモリヤマさんあなただけですよ!と、言われてしまうかもしれないが、いやいや、そうでも無いようである。画像にある通り、この三ツ石橋はわざわざガードレール製の欄干を朱色に塗装し、景観を良くしようとしているのだ。三ツ石橋から川をのぞき込めば、誰でも砂防ダムの堤体に目をやるのは明らかであるから、橋を朱く塗ることを“設計”した者の意図としては、「橋と砂防ダムのセットをどうぞお楽しみください。」ということなのであろう。またその橋と砂防ダムを取り囲むようにして生える樹木も伐採すること無く残されている。橋と砂防ダムのみならず、渓畔林も添えて演出するあたりに景観設計の技術的なものを感じずにはいられないのだが、これは私だけであろうか?砂防ダムと、またそれを取り囲む周辺環境について、どうすれば美しく見えるか。ということについて考えられていて、極めてプラス思考である。土砂災害防止のためのインフラとしてある砂防ダムをもっと多くの人に見てもらい、楽しんでもらおうという、心が感じられるのだ。建設関係者と一般市民がお互いに近づくことが出来、理解し合えるものをここに作った!ということに私自身、未来を感じている。

三ツ石橋と堤体。
北又川は修善寺川ともいうらしい。

美しさに反しての難所

この場所の音響的な特徴としては、なんといっても後方に橋が構えられているという事であろう。10月3日当日は、夕方5時に入って6時過ぎ、暗くなってからの検証も行った。暗闇の中、音に集中してこの場所を検証することが出来、大変有意義な砂防ダム行脚となった。結論としては、砂防ダムの堤体にぶつかった自分の声が、反射してそのまま橋桁、橋台に当たって響くという音環境なのであるということがわかった。普段、行っているような渓畔林だけで響かせるような場所とは違って、音の返りが早く、聞き取りづらさを伴うのだが、楽しみのバリエーションを増やすという意味では、また新たなものが手に入れられたと思う。今後はさらに、いろいろな砂防ダムに行き、このような音の返りが早い難所でも音楽をしっかり楽しめるよう、経験を積んでいきたい。他とは異なる場所ゆえ、ここで歌えるようになれば砂防ダム音楽の楽しみの幅はさらに広がるはずだ。未来を感じさせてくれる同地に対し、恥ずかしくない音楽を出来るようレベルアップして帰ってきたい。そんな決意を持った今回の砂防ダム行脚であった。

コケの生えた石と側壁護岸。堤体のサイド側も美しい。
堤体と三ツ石橋の桁。

ハウスみかんを獲得〈続編〉

道の駅「くるら戸田」

今回の記事は先月、当ブログに書いた「ハウスみかんを獲得」の続編である。そのとき使用した沼津市内浦~戸田峠のルートを今回、実際にたどって砂防ダム行脚にチャレンジした。

9月25日、炉端焼き店のアルバイトを終え、その後自宅に戻り就寝。翌26日は午前8時に起床した。この日はホームセンター、炉端焼き店とともに仕事が休みであったためゆっくりとした朝であった。布団をたたみ、服を着替える。本日目指すのは、自宅と同じ沼津市を自治体とする沼津市戸田。自宅と同じ沼津市・・・、と言ってもその目的地までの道のりは長く、一時間以上を要する。また本日は、内浦重須(うちうらおもす)でみかんを買ってから、現場を目指すという予定を組み立てていた。けっして急いで現場に向かう、という感じではない。ゆっくりとした行程で、残り少ない夏の日を満喫しようという算段で自宅を出発した。

緑色みかんを獲得

沼津市内、千本浜の松林を走り、沼津港前を通過したのち港大橋を渡る。玉江町交差点を右折し、国道414号線に入る。それから島郷、静浦へと続く。9月ももう残すところあと数日であるというのに、今日もまた暑い。途中、右手に見た静浦の防波堤上には多くの釣り人が並んでいた。ここは、静岡県内屈指の人気釣り場である。本日は穏やかであるが、連日の台風報道で釣り場の様子はいかがなものかと心配していたが、その必要は全く無用であったようである。今日の日の夏の暑さを満喫しているようで、そんな心配はかえって魚が散ってしまう余計なお節介であった。静浦を過ぎその後、多比第二トンネルを抜け「口野放水路交差点」で右折、道は県道17号線に入る。「マルカ」にはあっという間についた。露地栽培ものの緑色みかんは台の上の左側の方に並んでいた。車を降り、すぐさま狙いをゲットする。一袋500円。緑色・・・。と、みかんの色を形容するのは、いささか違和感を感じるかもしれないが、これはもう確実に緑色である。太陽の光を一杯に浴びて育ったこの地のみかんが放つその緑はたいへんに力強い。青々としている・・・、などという“国語的な”言い方はふさわしくないように思えるのだ。ようやく大好物の「緑色みかんを獲得」である。

緑色みかんを獲得!

少し変わっている。

「マルカ」を出発し、西浦木負の丁字路を左折する。この海抜わずか数メートルしか無い西浦木負から標高およそ700メートルの戸田峠まで一気に坂を登る。その前半戦はみかん畑地帯といった感じでそれなりに人影を感じるのだが、途中にある「←戸田峠4.8km」の看板以降の後半戦からは少し変わっている。両側二車線で全区間、センターラインの引かれたきれいなアスファルトの道が続くのだが、その道路の綺麗さに反して交通量が極端に少ない。というより、なにも走っていない。超閑散としていて異様である。道路を管轄する側はそのことを知ってか知らずか?どうであろう、どうせ車なんてほとんど走らないから、とばかりに道路の幅の両端に積もった落ち葉を片付けること無く放置したりしている。また、明らかに車道の建築限界を侵している樹木の枝も剪定されること無く放置されているし、いったいこの道路は何なんだ!?と言いたくなる異様さである。そして最後のトドメ!2本の電灯の全く点いていないトンネルをくぐり抜けると戸田峠すぐの十字路に出るので、ここで登り坂が終わる。ここから戸田方面に行きたい場合は右折、修善寺方面に行きたい場合は左折する。今回は戸田に行くため右折した。それにしても、異様な道路である。異様なオーラを放ちすぎて、これは嬉しいことなのか?ゴミすら全然落ちていないのであった。本当に通りの少ない道路なのであると思う。

ずうっーとシャッターチャンスという条件の中で撮った一枚。
異様さを倍増させる動物注意シカバージョン。

御浜岬

戸田へは途中の寄り道が少なかったこともあって午前中のうちに到着した。あまりの暑さに、日が高いうちの現場入りをあきらめ、午前中は戸田もてなしの里公園、午後は、御浜岬周辺でそれぞれ過ごした。御浜岬では、外海側にも戸田湾側にも静浦同様に釣り人がいてキャストをくり返していた。ベタナギの海から照り返される太陽の光を浴びながら私も釣り人も残り少ない夏を満喫したのであった。

今日はこのあたりで歌う。
御浜岬は伊豆半島ジオパークに指定されている。
岬よりも少し内側、小舟ヶ浜
食べ物をくれないやつはいらないニャー(御浜岬にて)

残り少ない夏の日を満喫したのであった。

午後4時。現場に入るため戸田大川に沿って県道18号線を東へ進む。戸田大川の右岸沿いをこの県道18号線に従っていくと最後、「達磨橋」という橋で対岸側に離れるのだが、そのまま右岸側をキープするように直進し、林道に入る。この林道に入った地点からおよそ300メートルのところにY字の分岐があるため、その分岐周辺に通行のじゃまにならないよう車を停める。ここの入渓点は竹ヤブだ。Y字分岐よりわずかに山側、そこに「落石注意」の看板があり、その看板から約10メートルほど手前の竹ヤブを降りる。竹ヤブは密度が濃く、降りにくい所であるがほどなくして戸田大川に降り立つことが出来る。当日は午後5時から短い間であったがここで音楽を楽しんだ。夏の夕暮れ時の歌は特有の風情があって良い。竹ヤブを降りてくる時に、待ち構えていた蚊たちを刺激してしまったのか顔のあちこちがかゆい。こういった特有の風情も蚊たちの猛攻も、あと1ヵ月もすれば失われゆくであろう。今はまだそのことには気づかない。今日の日の日中に襲われる暑さにブーブー文句を言い、顔がかゆいと小さな虫を相手取って恨んだりする。そのことの幸せに全く気がついていないのだ。川に入って1時間後の午後6時、限界の暗さになり終了。―夜のおとずれもずいぶん早くなったものだ。―その後、戸田大川を上がり、再び戸田港方向に向かって車を走らせた。今日は一杯汗をかいた。その汗を流すべく、道の駅「くるら戸田」内にある温泉「壱の湯」を目指したのだ。

温泉から上がり、入り口にある自動販売機でつめた~いジュースを買い、一気に飲み干す。ほかの温泉客も地元民と見られる人たちも、あぁ、いい湯だったと満足げに帰って行く。私もほかの方たちも家族連れの子どもも皆、半袖という出で立ちで通過する「くるら戸田」の正面玄関であった。

砂防ダムの位置はこのあたり
画像右端の林道に入る。
Y字分岐
落石注意の看板
堤体全景。

チャンスタイムは早朝である。

Ⓐ鉄骨製の覆い

Ⓐの画像をご覧いただきたい。ここは私の住む町、沼津市の西隣に位置する富士市内のとある場所である。道路を跨ぐようにして落石等から身を守るための鉄骨製の覆いがあるのがわかる。この鉄骨製の覆い、地元富士市民であればかなり知名度の高い場所であろうと思う。周りの景色がヒントになっていると思うが、とある野外活動スポットの山道を撮影したものだ。これがたかだか山道の覆いなのであるが、非常に有名なところなので「あぁ、あそこね・・・滝の。」と、なると思う。

もう今年は終わってしまったが

静岡県民というのはとかく川遊びが好きな県民であると思う。もう今年は終わってしまったが、夏休み期間中に川沿いを走っていると、川で水遊びやらバーベキューをやっている人々をよく見かける。家族連れで大きなテントやタープを張って本格的にやっているような集団も見かけるし、全員学生風の者たちが自転車数台で乗りつけて河原で遊んでいる姿、こちらもよく見かける。どうせ学生同士で集まるのなら、川では無くて海に行けばいいのに・・・。とも思うのだが、より水の冷たい川水に刺激を求めてか、静岡の元気な子たちは川に全員集合!と相成るようである。私は幸か不幸か学生の頃よりやせ形ボディであったため、いくら夏とはいえ水温の低い川の水の中に入って遊ぶなんて事はできるわけがなかった。川は苦手。(ただし釣りは別。)川派ではなく海派であったのだ。もっとも私の場合、出身が新潟県の内陸部の町であったため、海は滅多に行けない憧れの場所として意識づけられたので海派であったのだと思う。実際、海へ行くとなると自転車の場合は片道2時間以上こぎ続ければならなかったし、他力に頼るのであれば父親の運転する車ということになる。あとの手段は公共交通機関があったが、学生の頃なんてそんなにお金を持っていなかったから、この手段はあってないようなもの。そんなわけで自分の生活圏から海というのはとても遠いものであったし、憧れたし、その空間で過ごせる時間というものはたいへん貴重なものであった。その時間を言葉で言い表すのならば「非日常」であったと思う。

“非”海沿い地域の出身者の思い

さて、静岡県民はどうであろうか?静岡と言ったって広いから一概には言えないが、東西に長い海岸線をもつ静岡県でのことである。海辺に住む者たちを中心に、川にこそ「非日常」があったのではないか?

自分が仮に海沿いの地域の出身者だったら、と考えてみた。
自分が仮に海沿いの地域の出身者だったとしたらまず、海そのものを見ること。この事に別に何の感動も無かったと思う。新潟県は海に接した県であるが、前途したとおり自分の生活圏からは遠いものであったから、海を見る。というそれだけの行為にただただ感動したものだ。自転車でも父親の運転する車でも電車でも、一番海側にある低い丘を越えて、視界にバッと海の青、水平線が入ってきた時のその感動はなんとも言い難いものがある。そして海沿いの地域の日常、つまり浜の日常というものに非常に憧れた。自分の住む世界とは違い過ぎて、なにもかもがめずらしく、新鮮であった。民家の軒先に漁具がぶら下がっている光景、松の林、道路上に散らばる砂、浜にただよう生臭い匂い、海沿いというのは工場も多いし、夕方の5時とかに鳴る防災無線のチャイムですらかっこよく、全てが憧れであった。また、海辺でよく見かける、自転車にクーラーボックスをくくりつけ、ウキの付いた釣り竿やら、でかいタモ網を握りしめて自宅と釣り場の間とを行き来する人、これが本当にうらやましかった。自分もいつかはそういう暮らしをしてみたい。と、そう思った。

海沿い地域の出身者の思い

だがよく考えてみると、それらがその地に生を受けた者として「あたりまえの毎日」であったらどうだったであろうか?そんなのは、田舎くさくて嫌だ!となりそうもなくはない。また、海というものは全てのものが“流れ着く”場所でもある。海岸線でも河口付近でもとにかくゴミが落ちていて汚い。それらも、生活圏として見た時にはマイナスポイントなのかもしれない。そのような環境に日常的に身を置いていたとしたならば、海なんて別に魅力的でも何でも無い。むしろ汚いし、臭いもするし、大嫌いになる可能性すら含んでいる・・・。 
自分が海沿いの地域の出身者でだったとしたら・・・。もはや想像の域を超えることは出来ないが、透き通った水の流れる川に憧れる。そして、そこで遊んだり、食事をしたり、寝泊まりしたりすることに「非日常」を感じ、行動する人たちに対して自分も少しは近づくことが出来てきたように思う。

憩いの場

透き通った水の流れる川、富士市北東部山中を流れる須津川もまた、そのように多くの人々から認められ、愛され、利用されている川であると思う。この川に関していう利用とはズバリ「憩いの場」である。静岡県内屈指の工業都市、富士市の工場ジャングルの中で、生産第一!と、昼に夜に汗水流して働いている人は多い。そういった富士市民、のみならずまた市外からの訪問者を受け入れ、楽しませ、自然を感じさせ、思い出を提供する「憩いの場」をこの川はわれわれ人間に与えてくれている。例年、夏休み期間中は川遊び、バーベキュー、キャンプで川沿いは大賑わいとなりその盛況ぶりに驚かされる。そして、なんといっても忘れてはならないのが、その最奥部(一般車両が入れる最奥部)にある、大棚の滝だ。

このトイレ付近がキャンプに人気。

大棚の滝、下流の砂防ダム

冒頭の画像Ⓐはその大棚の滝前の歩道の様子を撮影したものである。そしてⒷの画像が、その落石防止用の覆いの中から撮影した大棚の滝である。砂防ダムはそれよりも数百メートル下流にある。ここは川幅があり、川の中心部においては空からの光を遮るものが乏しい。しかし、こういった場所でもやはり渓畔林の下に入ることにこだわって立ち位置を決定したい。当日は両岸の岸際から生えた木の中から、左岸側に幾分伸びていたイロハモミジの木の下を選び出し、そこから堤体に向かって歌った。Ⓒの画像の私が立っているところでは無くて、カメラが置いてあるあたり、つまり堤体からおよそ100メートルほど後方に下がったあたりも崖に生える渓畔林の働きがあってこれまた楽しめる。とにかく、暗くなったところを見つけるのが、歌の世界に入り込むためのコツだ。ここは須津山休養林として開発された土地であるため、そのエントリーのしやすさも音楽表現をするにあたり有利にはたらいてくれる。気軽に入れるところであるから、気持ちの面で負担が少ないのだ。しかしそういった意味で逆を言ってしまうと、日中の時間帯は人が多い。ただ場所に関して言えば、幸い、この堤体付近ではキャンプを張る人が少ないので、そのことを生かして早い時間帯に入ってしまえば別段、問題に直面することは無いであろう。チャンスタイムは早朝である。

鉄骨製の覆いまでは徒歩で行くことになる。
須津川休養林
Ⓑ画像中央の吊り橋から見ると滝はより近い。
イロハモミジの木の下から
Ⓒ堤体全景。上部にあるのは須津渓谷橋。

大好き河津町!vol.4

煉瓦は韮山反射炉建立にも使われたらしい。

台風15号が伊豆半島、東伊豆地域を通過したのが今月8日から9日の未明にかけて。その被災状況はすでに多くの報道でなされている通り。賀茂郡河津町においては、河津筏場、峰間に架かる峰橋(通称かっぱ橋)が崩落するなどの被害が出た。報道によればもともとこの峰橋は長い年月の使用によりかなり老朽化していて、通行止めという使用禁止措置が今年の春頃よりとられていたそうであるが、町の景観の一部としての“機能”をもった橋がわずか数時間、同町を通過した1本の台風によって丸ごと無くなってしまったというのは、町外在住者である私にとっても非常に残念でならない。夏場は地元では有名な「飛び込みスポット」であったというこの橋。解体工事によって人為的に取り壊すにしても、関係者にしてみれば小さな式典の一つもあげてやりたかったのでは無かろうか?また、この峰橋の上流側100メートルほどには峰大橋という県道14号線に架かる橋があるのだが、その峰大橋から湯ヶ野方面にかけては、現在進行形で数年前より歩道の拡幅工事の真っ最中である。完成した折りには小学生が安全に登下校出来るようになるらしい。
本当に狭い地域のごく限られた人にしか当てはまらないのかもしれないが、川、橋、道路を含んだ日常の景色というものが、現実と思い出との比較で大きく変わったものになろうとしている・・・。十年一昔という言葉に怖さを感じる今日この頃である。

峰橋跡
大鍋では土砂崩れも

怖さ

今回は、怖さとともに荻ノ入川支流の砂防ダムへと向かった。河津七滝温泉街を荻ノ入川と平行に遡るようにして進むと、「河津七滝オートキャンプ場」の入り口前に出る。そこからさらに登り続けること1.6キロで丁字路の分岐に出る。ここを直進すると、大好き河津町!の第1回で紹介した砂防ダムに行くことが出来る(現在は、画像の通り土砂に埋もれて通行不可。)のだが、今回の行き先は、この分岐を左折、橋を渡ったのち、1.8キロ登ったところにある。登っていく途中にはワサビ田があったり、また丁字路から700メートルの地点には煉瓦の洞遺跡(入り口)があったりする。なお、この丁字路からの道はなかなかの悪路である。文頭にある怖さとは乗っている車のタイヤがパンクしないかどうかということである。

キャンプ場入り口
丁字路
直進側は通行不可であった。

煉瓦の洞遺跡に向かう

煉瓦の洞遺跡入り口には画像Ⓐにあるような標識がある。この標識の手前側すぐに駐車スペースがあるためそちらへ車を停め、歩いて遺跡に向かう。坂を下り、橋を渡り、案内標識に従い、蚊に刺されながら進むと屋根に保護された遺跡を見つけることができた。この屋根に保護された側が焼成窯のAで、向かって左隣には焼成窯のBがある。Bの方は屋根などで保護がされておらず雨風が吹きさらしの状態であり、窯本体にはコケが生え、シダが繁茂している。窯はA,Bともに斜面の上方向に向かって段々になっており、その段々の下部にはなにやら意味ありげな穴が開いている。意味ありげな穴とはタテヨコ15~20センチくらいの不揃いな正方形断面のトンネル様の穴のこと。これがAの場合、段々の最前列では6個、次列以降は何個構えられているのかよくわからなかったのだが同じように続いている。焼成の際必要となる酸素供給のための穴か、薪をくべるための穴なのかは定かではないが、その意匠感というか工夫にこの窯を作った先人の魂を感じた。河津町教育委員会の解説※によればこの窯含め周囲一帯は130年以上前の遺跡という事であるが、その間にどういった意図であろう?遺跡をかすめることに何の躊躇も無くスギが植林されている。窯のすぐ横に植えられた苗木が大きく育ち、恐らくは文化財として保護される際に切り倒されてできあがったであろう切り株などが普通にあるのだ。当時、この地で樹木の伐採、またそのあとのスギの植林に関わった“山の者”たちはいったいなにを考えてこのようなことをしたのであろう?猫も杓子も材生産とばかりに、とにかく木を植えまくることを最重視していたのか、それとも、木が大きく育った時、その幹、樹冠の大きさによって大事な自分たちの村の文化財を保護してやろうと考えたのか?ここは山中とは言え、伊豆半島南東沿岸部に位置する河津町での出来事である。台風はもちろん、そうで無くても雨風の強い日があるであろう。後者の思いであったのだと勝手ながら推測したい。

※以下、〔 〕内は河津町教育委員会作成の案内板より引用
〔湯ヶ野村の板垣助四朗氏の先代がここに陶土を発見、陶器の製造を始めた。(弘化2年)
耐火煉瓦の材料として山中の白土が利用され煉瓦を焼き始めた。(安政元年)
登り窯A、Bの築造と本格的な操業は明治6年以降で工部省製作寮によるものと推定される。
当時、梨本製の耐火煉瓦は良質のものが生産され好評で、各地に送られ溶鉱炉の築造にまた、洋風建築に大いに利用された。
明治16年に官営による営業は廃止されしばらく民営により行われたが、のち閉鎖された。〕 

画像Ⓐ
橋とワサビ田
窯とスギ

“山の者”たちの思い

前述の通り、計算すると砂防ダム本体は煉瓦の洞入り口より1.1キロ登ったあたりにある。荻ノ入川支流がいったん林道から離れ、それが再び接近、林道と平行するようになってからまもなくのところにあるので川を目で追っていれば車で走りながらでも堤体を見つけることが出来る。一年のうちそのほとんどは水が伏流していて落水する様を見ることが出来ないのだが、当日は台風通過3日後という条件のなか、見事落水する中で音楽を楽しむことができた。

自分たちの大事な村を・・・。悪路を登っていった先にこの場所はあるのだが、この砂防ダムを作った“山の者”たちもまたそういう思いを抱きながら完成までの間、ここで作業し続けていたに違いない。

銘板。この川は“小川”というらしい。
渓畔林を見上げる。
落水がめずらしい同所。

3ヵ月したら

小野自動車

―3ヵ月したらまた持ってきます。―
そう言って瓜生野の小野自動車を出庫したのが3ヵ月前の6月。当時のことを思えば、
―あぁ、良かった・・・。―
これに尽きると思う。

6月20日。その日も私は伊豆の砂防ダムを行脚していた。西伊豆方面を数カ所回ったのち、今度は中伊豆の吉奈方面を探ろうと車を走らせていた時のこと。どうも車の調子が悪い。走行中に急にエンジンが止まってしまうのだ。このまま無理して山中を走って、そのあと一歩も動けなくなってしまったでは大変だとやむなく帰路をたどることにしたのだが、その走行中、サイドミラーに目をやると自車のマフラーからは煙がモクモクと上がっているような状態。 
―これはヤバいな。― 
と思ったものの、そんな車の不調の現状を認めたくない自分がおり、とりあえずは、まずは家に、という気持ちでとにかく車を沼津方面へと走らせていた。伊豆縦貫道を北上し、長岡北ICを降りる。狩野川放水路、長塚橋向かいのデイリーヤマザキ前を通り過ぎ、口野トンネル、口野橋と進んだあと多比第二トンネル、そしてその出口へと差しかかった時の事だった。このとき不意に車のメーターに目をやったのはおそらく、トンネル走行時にちゃんとヘッドライトが点いているかということを確認する為だったからであろう。
―あぁ、もうダメだ・・・。―
これまで何の根拠も無く大丈夫なんだと期待感と希望的観測とともに頑張ってきた自分自身であったが、そのいつもとは違う異様な光景を目の当たりにした時、あきらめがついた。無情にも冷却水の温度を示す水温計の針が、まっすぐ上にある「H」の方向に向かってきれいに伸びていたのである。とりあえずはトンネルを抜け、すぐにある信号を左折。ほぼ直後にある多比防潮堤前の駐車スペースに停車。釣り目的でしか来たことの無かったこの場所に、そのいつもとは真逆の、なんとも言い難い「負」の精神状態を持ち合わせた自分が今日はおりたっている。不安な気持ち、しかし、やけどをしてはいけないと警戒するなか、恐る恐るボンネットを開ける。明らかにおかしいのは、Vベルトが1本外れているということ。のちに小野自動車の親方に教えてもらったのだが、このVベルトは車のウォーターポンプを回すためのVベルトで、これが外れてしまうとエンジンを冷やすための冷却水はラジエーターに行くことが出来ない。ラジエーターに行くことが出来なくなり熱を逃がせないまま超熱湯状態ほどにまでなった冷却水は当然のことながら冷却機能を失っていて、その冷却機能を失った冷却水を受けるエンジンはそのまま高温となり、ついにはオーバーヒート。心優しき親方はこれ以上言わなかったが、最悪なところエンジン使用不能という事態に陥るらしい。(幸い今回はそこまで行かなかった・・・。)

多比防潮堤の高く続いた階段を見上げながら、損保会社のロードサービスに電話をかける。どこにいる相手にかかっているのだか、地元、沼津の人間ならほとんど誰でも通じるであろう「多比の防潮堤」が通じない。オペレーターが番地で答えてくれと言うので、車内に置いてあった紙の道路地図を広げ、近くの民家に振ってある番地で答える。

多比の防潮堤

スズメ

それから30分ほどであったか?防潮堤前の駐車スペースでレッカーを待った。その助けは防潮堤本体とは反対側にある国道414号線を介してここにやってくる。国道を上下線に通り過ぎる何台、何十台という車を見ながら、時折現れる大型車に(レッカーではないかと・・・)ドキッとしながらそこで待ち続けた。国道手前側には野球場の内野一面分くらいの空き地があり、砂利と雑草で放置されている。その放置の上を数匹のスズメが食べ物がないかどうかとしきりについばんでいる。車という移動手段を失った自分とは対照的でスズメは元気いっぱい旺盛であった。スズメのような小さな小さな鳥さえもがその時はうらやましく思えた・・・。

防潮堤には、レッカー、レンタカー会社の順で到着した。保険商品のレンタカー特約で借りた軽自動車に乗り、伊豆市瓜生野まで引き返し、車の修理を申し込む。その後、敏腕工場長の手により車は数日のうちに修繕されたが、私自身のスケジュールが合わなかったため、結局車を取りに行けたのは1週間後の6月27日。その時に親方からブレーキパッドを心配する声をいただいていたため、3ヵ月後にまた車を入庫させるということでお願いし、その日は帰った。今回再び小野自動車に車を持ってきたのはそのためであったのだ。

川千代水産、野村水産などの看板もぼんやりと眺めていた。

常に車

いやはや、車は大事に乗らないといけないのだと今回の入庫でまた改めて感じさせられた。あちこちの砂防ダムを行脚する私であるが、その移動手段というのは常に車である。車が無ければ砂防ダムに行くことは出来ないし、たとえ行けたとしても車が健全な状態で無ければ、その行った先から今度は帰ってくることが出来なくなってしまう。車というものに命を預けているということを今一度確認し、それ相応に取り扱っていくということが必須となる。日々、車の状態をチェックしながら乗ることはもちろん、定期的にはプロの目での点検を受けること、消耗品管理は適切に行っていくこととし、車にとって良くない使用方法(シビアコンディションというものにより近い使い方)にはなるべくならないようにし、何より安全運転で、車をこれからも長く使い続けていきたいものである。

車を引き取り後、中伊豆を東へ
八幡の三叉路
今回は菅引川に入ることにした。
菅引第2砂防ダム

ハウスみかんを獲得

ハウスみかんを獲得

前回、食と温泉を加えてお伝えした梅ヶ島の砂防ダム行脚であったが、今回は場所を伊豆半島に変えてお届けしたい。それも、来月9月頃に楽しめそうなルートを私なりに考えたつもりなので、まずは記事だけでも読んでいただければ幸いに思う。

内浦・西浦エリア

9月の伊豆半島でおすすめしたい場所は、北西部にある内浦・西浦エリアだ。交通アクセスであるが、東名沼津インターもしくは新東名長泉沼津インターからだといずれの場合も伊豆縦貫道を利用して南下するのがとにかくわかりやすくて良いと思う。伊豆縦貫道は三島市や田方郡函南町を経由することになり、東側に大きくふくらむため、遠回りにはなるが、この道が一番迷わなくていい。その田方郡函南町にある「伊豆ゲートウェイ函南」を過ぎれば、有料区間の「伊豆中央道」に入るので江間トンネルをくぐったあとその先すぐにある料金所で通行料金を支払う。通行料金は普通車が¥200円、軽自動車が¥160円だ。料金所を過ぎたらあとは直進し、これまた道の駅風の商業施設「いちごプラザ」前を通過、その次のインターチェンジ「長岡北IC」で伊豆縦貫道を降りる。降りたら西方向に向かって右折し、狩野川放水路を反対車線側に見ながら直進、「口野トンネル」という短いトンネルをくぐる。すると画像にある「口野放水路」という交差点に出るのでそのまま直進する。

口野放水路交差点

ドライブスルー型青果店

この口野放水路交差点から先が内浦・西浦のエリアの内浦となり、道路は県道17号線となる。県道17号線は内浦三津にある「三津シーパラダイス」あたりまでは南下し、その先にある富士見トンネルのトンネル内で進路を西側に変え、それから大瀬崎入り口を経由したのち再び南下し、終点土肥中浜三叉路まで続く。その間、約45.1㎞。そのうちあざ名に内浦と付くのは長井崎トンネルまでのおよそ5.5㎞の区間でその長井崎トンネルより先、大瀬崎までの区間約12㎞が西浦となる。この県道17号線沿いには多くの船宿や民宿があるのだが、伊豆の他地域と比べて異なるのはその多くが温泉とは結びつかない沸かし湯を提供する宿であるということだ。内浦三津にある旅館数軒は温泉を引いているが、それ以外はほとんど温泉とは無関係で、当然、日帰り温泉施設などもってのほかである。それでも民宿として生業を成立させているのは、接客サービスの質のみならず、新鮮な地魚が食べられるという事と、海との距離が近く、そのことが付加価値を生じているからであろう。内浦・西浦ともに地理的には駿河湾最奥部に位置し、一年を通じて海が静かであるため、海により近い場所に建物を建築することが出来る。今回ランチで訪れた西浦久連の「駿陽荘やま弥」もご多分にもれず道を挟んで直ぐが海、魚は超絶品という内容であった。また、同じく“食”をテーマに言うとすれば、これから9月はウンシュウミカンが楽しみである。冒頭で「9月頃に楽しめそうな・・・」と言ったのは、このためである。内浦重須には県道17号線沿いに2軒のミカン直売所があるのだが、面白いのは有限会社マルカ。県道17号線に面した倉庫の軒先をそのまま直売所としているので、車に乗りながらにして(しかし事故には注意!)、遠巻きではあるが商品を品定め出来てしまうという、言わばドライブスルー型青果店なのだ。こういった田舎の道路沿いの直売所はどうも苦手だという方もぜひ立ち寄ってみて欲しい。しつこく「買いませんか?」などと張り付いてくることは一切無いので安心して寄ることが出来る。これから9月は私の大好きな極早生品種の「日南1号」などの緑色みかんが店頭に並ぶことになる。残念ながら今回はフライングとなってしまってハウスみかん獲得となったが、これが露地栽培の緑色ミカンに切り替わる瞬間が今から待ち遠しくて仕方ない。

日南1号。土の上に落ちているのは摘果されたもの。
西浦木負の河内川河口。海に浮かんでいるのは養殖いけす。
駿陽荘やま弥
名物の鯛丼
店内にはコラボグッズがたくさん!

戸田or修善寺

さて、肝心の砂防ダムであるが、この内浦・西浦エリアにあまり良い場所は無い。これだけ多くの魅力を持った同地で音楽が出来ないというのは残念でならないが、西浦木負にある丁字路を南方向に曲がったあと、画像にある通り進んでみて欲しい。このルートを使って戸田峠まで上がったのち、戸田側が良ければ西へ、修善寺側が良ければ東へ降りれば良い。内浦・西浦エリアでおいしいものをたくさん食べ、養殖いけすやミカン畑などの経済文化を学び、動物注意の林道を走り、峠を越え、砂防ダムで歌い、最後、温泉に入って(これはおまけ!)帰るというルートである。いかがであろうか?尚、一番最後の画像にある北又川の砂防ダムは戸田峠からそう遠くは無い距離にある。今後、機会を改めて紹介しようと思うので乞うご期待!

西浦木負の丁字路。ここからとにかく市民の森に向かう。
市民の森前の分岐。ここを右に逸れる。
ここを左折。
動物注意リスバージョン。他にシカバージョンもある。
最後トンネルを2本抜けると戸田峠。
北又川の砂防ダム。

梅ヶ島のいちじつの思い出

今回は静岡市まで足を延ばした。

8月19日。翌日は8月20日。いよいよ8月が今年も20の大台に突入である。この20の大台に達した時から以降10日間ほどは今年の8月はどうだった、どうだったとやたらと振り返る不思議な自分が毎年いるのであるが、もう丁年をとっくに過ぎいい年した自分である。ダメな、ろくでもなかったこれまでの期間を取り返せとばかりに、今からでも遅くは無い、挽回するのだ。小学生の頃より様々な社会的権利を与えられているではないか。頭を使え。と自分に言い聞かせ、8月の残り約10日間を濃密に過ごそうとするのである。いやはや、こんなにも8月という月にこだわるのはどう考えてみてもその小学生の頃から、最終学歴である高校3年時に与えられた夏休みの影響であるように思えて他ならない。学校生活という管理された空間から、どうぞご自由に、というフリーランスの空間に放たれた自分。その自分がこの1ヶ月のあいだしっかりと予定を立て、その日その日やるべき課題を確実にこなし、そしてまた翌日を迎えるという日々の繰り返しがしっかり出来ていたかということをしきりに振り返ったりするのである。そしてそういった癖が昔、学生時代に付いてしまったらしく8月という期間に対してやたら充実感だの思い出だのを求める自分がいる。8月。他と何ら変わりないただの1ヶ月間なのになにか特別なもののようにして扱う自分がいて、しかもそれが質の高いもので無かったとすると自己嫌悪に陥ったり、そうなるまいと焦ったりするなんとも落ち着きの無い今日この頃なのである。

防護柵

ということで、やっぱり焦った。なにか、この夏休み期間(ではないのだが・・・)のうちになにか思い出を作ろうと。せっかくの機会、たまには伊豆半島以外のところに行こう。ということになり、静岡市北東部の梅ヶ島を目指すことにした。
8月19日。午前7時に自宅を出て、まずは新東名高速道路、駿河湾沼津SAにあるスマートICに向かう。久々の活躍となるETC車載器は大丈夫なのかという心配をよそにETCゲートのバーは難なく上昇し、スマートICを通過する。新東名に乗るとともに、まずは新静岡ICを目指す。と、ここですぐに異変を感じる。高速道路の一番外側の白線さらにすぐの所に、延々とガードレールと高さ2メートルほどのネットが伸びていて、運転するのに非常に抵抗を感じるのだ。―ニホンジカか?―この駿河湾沼津SA付近は道路そのものが愛鷹山のすそのに接するように出来ていて、ニホンジカが頻繁に見られる区間である。近くのゴルフ場付近にいる個体などはもはや住民票取得レベルに一般化しているが、最初はそのニホンジカの道路侵入を防ぐ防護柵なのかと思っていた。しかしそれはどうやら違うようで、これらの柵は本年4月より着手している新東名の6車線化工事の現場作業員、作業車両用の防護柵であることがすぐにわかった。高速道路会社によれば8月21日より制限速度を一部区間80km/hに設定してドライバーの安全面に配慮するようであるが、それでも一般道の制限速度60km/hをゆうに超える速さで防護柵からそれほど離れていないところをビュンと行くのは若干の怖さがある。オリンピックという祭典を前にしたその関連事業で、死傷者が発生するなどということがくれぐれも起きないようにとこれには願うばかりであり、そしてまた、運転に自信が無い方においては、新東名の利用そのものを控えた方が良いのではと感じたので、ここに記して発信しておきたい。

ガチ通せんぼ

件の防護柵との接触も無く無事通行することが出来、新静岡インターで新東名を降りる。インターを降りてからは県道27号線をひたすら北上することになるため、案内標識に従って県道27号線方向に向かう。―腹が空いたなぁ・・・―ここでインター降りてすぐのところにあるコンビニに立ち寄り、腹ごしらえをする。時間は午前8時。店内はクーラーが効いていて涼しいが外はもう朝から猛暑のまっ只中。そんな暑さに打ち勝とうとして購入したカツカレーがうまい。食事を済ませると一路、梅ヶ島を目指す。と、すぐに、「林道豊岡梅ヶ島線通行止」の看板標識がありドキッとする。まさか・・・、と思ったのであるが、これは梅ヶ島以降、山梨方面に抜ける林道の通行止めを言っているのだということがわかりホッと胸をなで下ろす。このことは決して冗談を言っているのでは無い。過去には同じ静岡市内で“ガチ通せんぼ”を食らい、目的地に行けなかったことがあるからだ。あぁ良かったという思いとともに再び目的地の梅ヶ島行きに気持ちを切り替える。それからはあちこちの写真撮影を楽しみながら、約2時間ほどの行程で目的地に着くことが出来た。

玉機橋右岸
大河内郵便局
平野橋から上流側を見る
大河内橋(右側は建設中)
金山砂防ダムと金山トンネル
梅ヶ島温泉街

adelaide

画像にあるのが今回の目的地となった「湯の島第2砂防ダム」である。梅雨の間からの潤沢な降水量に支えられて、当日はご覧の通りドカンである。ある程度予想はしていたものの、前回来た時のその様子から比べれば違いは歴然。冬と夏では砂防ダムはこんなにも違うのだと驚いた。堤体より落下した水は激流となって、そのすぐ下にある滝に吸い込まれている。川の本流に入ってしまえばその激流の餌食になるばかりなので、しかしそれでもなるべく低くなったところ、岸際の大きめの石に寄りかかれるようになったところを選び歌を楽しむ。選曲は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベンのadelaide。ここのところの天候不順によって全然砂防ダムに来られていなかったということもあり、歌っていて楽しいことこの上ない。私の歌声を安倍川源流のドカンが呑み込んでいる。自然の大きさ、猛々しさを感じながら、落水のドカンによって発生した水しぶきを浴びながら、歌を楽しむことが出来た。堤体すぐ近くに停めた車の上には、それを覆うようにしてフサザクラの枝葉が伸びている。誘惑に負けてその木陰の下の車内で昼寝をする。そしてまた、ムクッと起きては歌を楽しむ。そんなこんなでこの場所で過ごしたのは3時間半ほどであった。

フサザクラ

湯元屋

午後2時前、歌を終えて湯の島第2砂防ダムを離れる。今日は直(ちょく)には帰らない。梅ヶ島温泉の茶屋「湯元屋」に寄ると決めていたのだ。店のすぐ裏にある駐車場に車を停め中に入る。安倍川のせせらぎと対岸の緑が心地よい。盆のハイシーズンが抜けたこともあって店内は空いていた。実は当日は天気予報が雨予報であったのでそのことも影響していたのかもしれない。おでん5本+冷やしとろろそば+温泉入浴締めて¥2,000円のセットをいただく。まずは食事を済ませ、そして入浴。中に人がいなくて、貸し切り状態だったので電気を消して(というより消えていた。)内湯を楽しむ。明かりとなるのは外から差し込む日の光だけ。普段、渓畔林のその下の暗さのことをくり返しくり返し説いている私であるが、温泉の湯に浸かる時までこのありさまである。嘲笑していただければ幸いだ。ちなみに露天風呂もあるのでそちらもおすすめしておきたい。温泉から上がり、湯元屋をあとにしたのは午後3時頃であった。
―さぁ、帰ろうか。―このとき雨が降っていたのだが、店のご主人が傘を貸してくれるとのこと。駐車場にある車まではそれほど離れていなかったのでありがとうを伝え、しかし傘はお断りし、今日これまでの充実感に襲われ、雨のシャワーに濡らされひとりニヤニヤしながら駐車場まで走り、車に飛び乗った。梅ヶ島のいちじつの思い出である。

絶望的にうまいおでん
湯元屋
2018年2月撮影。
当日撮影した「湯の島第2砂防ダム」

あちこち

魅力がたくさんの観光地、伊豆半島。

最近、飲食の仕事を始めた。ホームセンターの仕事が終わってから約4~5時間、炉端焼きの店で夕方からラストにかけてのシフトで週に数回アルバイトとして働くことになった。沼津市内の主に観光客向けの炉端焼き店で、任された業務としてはキッチンとホール両方をやって欲しいとの事なので、ある時は厨房内で食べ物を準備したり、ある時は、提供スペースに出て行って接客をしたりと、店内をあちこち動き回っている。ホームセンターで7時間やったあとの勤務とあって、疲れはあるのだが、充実した日々が過ごせていると思う。

職場で欠かせないと思っていること

私は、このブログのタイトルにもある通り、本職は砂防ダム音楽家である。自宅のある静岡県沼津市を拠点として、主に県内伊豆半島を中心に、そのほか静岡県内各地、山梨方面、神奈川方面にあちこち足を延ばして活動している。
よく身近にいる人たちには、「明日は山に行ってくるよ。」と言って出掛けるのだが、「山?森山さん、なに山に登るの?」と返ってくることが多い。やはり山に行く、などと言うと大それた名前の付いた○○山なるところのその頂上目指して行くことをイメージする方が多いようで、これをテンポ良くうまく説明することが難しい。かといって、「砂防ダムに・・・」なんて言うと、「ダム?この辺にダムなんてあったっけ?」と来るので、これまたどうも調子が良くない。(←これは貯水ダムであると認識しているせいもあるため・・・)山でもダムでも無い、なにか一言で伝わるうまい言い方がないものかと思うのだが、逆にそこから、「あぁ、○○さん、砂防ダムって言うのは土砂災害を防ぐためのダムで・・・、そこで歌を・・・、モーツァルトとかベートーベンを・・・。」と、あれこれ説明するのは実は楽しい。お互いに時間があるような、ゆっくりとものごとを伝えられるような、そんなときには私の普段の活動について話をし、相手が自分について少しでも理解出来るよう努めているつもりである。私の通うホームセンターは従業員数がそれなりに多く、その中で業務を効率的に円滑に進めて行くには普段のコミュニケーションが欠かせないと思っているのだが、私の得意分野はは砂防ダムの話しである!他の人たちは、男性陣は車、サッカー、ゲーム、釣り、食べ物屋の話しなどでお互いを深め合っている。パチスロなどギャンブルの話しをする人は、商人の集まりにしては意外にも、少ない。女性陣についてはここに書くとなんとなく姐さん方から怒られそうなので割愛させていただくことにする・・・。家庭と仕事を両立する素敵な、魅了的な、そして何より強い!女性の集まりである。

賀茂郡東伊豆町の川久保川にて。8月8日撮影。

町と砂防ダム

そんなこんな、「明日は山に行ってくるよ。」と宣言してからの日々の砂防ダム行脚である。その日その日めざすのは大それた名前の○○山の頂上では無く、山の中でひっそり孤独にその役割を全うしている砂防ダムだ。砂防ダムの役割とは言うのはもちろん土砂災害の防止ということを言っていて、その流れる先には必ず家や田畑、道路などがあり、場合によっては大都市が控えている。つまり砂防ダムの下流側には必ず「町」というものが存在し、その町に対して砂防ダムが本当に土砂災害の防止に役立っているのかということについて一つ一つ、本来ならば丁寧に調べていかなければならない。砂防ダムこそ、造ってしまえばもうそれで終わりの建設物では無いのだ。よく砂防ダムが出来たことによって、サケ科の魚やウナギ、モクズガニなどが遡上できなくなったという話しを耳にするが、それまで、砂防ダムが建設される前までその上流域で魚を捕っていた人にとって、これほど恨みになる話しはない。また、魚に対してさほど興味が無かったとしても、砂防ダム含め流域見わたす限り一面が災害対策の名のもと護岸工事されてしまい、景観が大きく変わってしまった。という流域住民も各地に少なくないであろう。自分が幼かった頃と比べて大きく、悪い方向に景色が変わってしまったというのであればそれはそれは悲しいことだ。砂防ダムのみならず河川構造物を建設することは、そういった流域住民の感情的なマイナス面のリスクを伴うことであるし、であるからこそ、その感情の対価としてそれらの建設物が、大雨などの災害危険時にきちんとその役割を果たせているか、という評価はたいへんに気になるところである。町というものと砂防ダム(河川構造物)というものは近い関係にある。

同じく東伊豆町の白田川。一観光客として見て成功事例に思えるが地元民はどうか・・・?

観光産業

私のこれまでの砂防ダム行脚の記事を見ていただければわかる通り、その活動の中心地は伊豆半島である。伊豆半島は西も東も多くは温泉地を抱えていて、その温泉地の温泉という自然の恵みは地元民のみならず多くの観光客の愉しみとなっている。そんな多くの観光客が愉しむ観光地というものとの関わりを日々の砂防ダム行脚の中で考える機会が多くなり、観光産業を学びたいという気持ちが芽生えてきた。前述した通り、砂防ダムとその下流域の町というものは近い関係にあって、伊豆半島の場合はその町は皆どこも温泉を抱える観光地なのである。伊豆半島各地を車で走っていて、あぁこんな店があるな。とかこんな旅館、ホテルがあるな、というところからさらにもう一歩踏み込んで、中にあるものをまずは自分が学び、その内容について少しでもお伝えして行ければ。と思っている。
今まで通りホームセンターで、砂防ダム音楽に欠かせない渓畔林のその一本一本の元となる“植物”について学びたいという思いも持ち続けているから、この沼津の観光客向け炉端焼き店の仕事はトリプルワークの3番目という事になる。サザエ!ホタテ!ホンビノス!生ビール!と今日も店内をあちこち駆けずり回っている。

温泉で有名な湯河原の藤木川支流

社内販売製品

うまいよね!コレ。

ある日のこと。会社の休憩室でいつものように昼食後に米菓をポリポリやっていると、青物系釣り師兼売り場担当のI氏から声がかかった。「森山さん、それどこで買ったんスか?」 私「えっ、これは○○(近所のスーパー)ですよ!」 I氏「そうじゃなくて、ウチじゃ無いところで買ったんスか?」と。なるほど。売り場の光景を思い出してみればそうである。最近のホームセンターというのは私の勤務しているところに限らず、やたらと菓子やらカップラーメンやら飲料やらの加工食品を販売しているではないか!自分自身幼かった頃を思い返してみると、まだその頃はホームセンターが食品を取り扱っていることなど無かったような気がする。それがいつの間にか、本当に、気がついたときにはそういった加工食品を置くのが当たり前になって、犬用、猫用、人間用すべての食べ物をホームセンターが用意していることが現在では何もオカシい事では無くなっていた・・・。比較的広い売り場面積を生かして商品をドカンと大量に、中には外梱のダンボール箱のままどうぞ!とやっているものもあり、店全体の売上げ対における比率も決して小さくはない。ホームセンターとはどんな業態ですか?と聞かれたら、幼少時代であったら「食品以外のありとあらゆる生活雑貨を取り扱うお店です。」みたいな感じで説明がついたのかもしれないが、こんな現在の様子では言葉で表現のしようが無い。たかが小売業といえど、時代とともに変化をしていかないと生き残れないようなのである・・・。
ちなみに、このI氏との席に同席していた、ラージマウス系釣り師兼売り場担当のM氏は同一地域、ライバル社の某ホームセンターでショッピングカート一杯にしたビールを押していたところを自店幹部のT氏にブッキングしてしまい、ジロリとやられてしまったそうである・・・。I氏はとてもユニークな方、M氏は器の大きい方、T氏はコミュニケーション能力に長けた方なので、私の件も、M氏の件もおたがい苦笑い程度で済んでしまうのであるが、いやはや世間は狭い。社内販売製品を他社で買うときは要注意である。

接触冷感素材

最近、他社で買ったものに接触冷感素材のシャツとタイツがある。ホームセンターはご存じの通り、作業服関連も取り扱っている。当然のことながら接触冷感素材のシャツもタイツもその商品群の一部で勤務先の店舗にも置いている社内販売製品だ・・・。これらは自宅から近いところに作業衣料専門店があるためそちらで購入した。接触冷感素材の衣料についてだが、実は私自身恥ずかしながら今回初めてこちらを購入させてもらった。よって、これを着るのも今回が人生で初である。接触冷感という名の通り、生地に触れたときに冷たい感触が得られるようなのでこれからの夏の砂防ダム行脚に役に立つのではないかと思い、製品のことがよくわからないながらも導入しようと決めた次第である。まぁ、実際店頭で触ってみたときの感触として「これは行ける!」というのがあったのだが、一応購入後にネットで調べてみた内容としては、〔①繊維中に水分を多く含むこと。②熱伝導率、熱拡散率が高いこと。③触ったときに少し硬く感じる(シャリ感)こと。日本化学繊維協会HPより。〕とある。これら3点の原理によって生地に触れたとき冷たく感じるようなのであるが、実際フィールドで使ったときにどうなのであろうか?殊に砂防ダム空間という渓流での使用が前提となり、ウェーダーとの併用が必須となるためその相性というのがとても気になるところである。

接触冷感素材のシャツとタイツ
サイズは大きめのものを選んだ

ズブズブ

これまで私自身が釣り人の立場でウェーダーを履いてきたことはすでに当ブログに書かせてもらった通りであるが、夏場のウェーダーというのは本当に暑くてしんどい。なにせ、水の侵入を防ぐためにこのウェーダーという工業製品は足先を布が包み込むようになっているのだ。よく元プロボクサーのタレントさんがテレビで僕のサウナスーツは痩せますよ!みたいに薦めている光景を思い出すのであるが、アレってこんな感じなのかな?と思うくらい、夏場のウェーダー内は汗でズブズブになってしまう。そういった状態に陥ることから少しでも遠ざかるべくウェーダーと肌との間に接触冷感素材の生地を一枚はさむ。ということをやってみようとなったのであるが、夏の太陽が照りつける炎天下の中ではどうなのであろうか?そもそもそのような状態にあっては音楽家としての歌心というか、歌に対する気持ちの面で表現が困難な状態になるというのは過去の経験から明らかであるから、敢えてそういった条件を選ぶことは必要ないであろう。フィールドテストは早朝の涼しい時間帯をねらって前回も入った河原小屋沢で行った。

ポケットが無いためハーフパンツを1枚履いた。
+ウェーダー

実に軽やかなものであった

8月1日、河原小屋沢に向かって自宅を出た。件の接触冷感素材のシャツとタイツであるが汗が一切付いていない状態からのテストがしたかったため今回は自宅で装着せず、現地で着替えて身につけることとした。

猫越川右岸側林道の道幅が広くなったところに車を置き、そこで着替える。

「おぉ!」と言ったか言わなかったかはもう今となっては覚えていないが、その時その冷たい感触には非常に驚いた。上半身下半身ともに体表が冷たいものに触れ続けているような感覚でとても心地よい。タイツの方は表面がつるつるしていて引っかかりが無く、これならウェーダーの内部生地との干渉によるトラブルも少ないであろう。すねの外側部分が一部メッシュ生地となっていてそれ以外の部分がいかに素晴らしいのかがわかる。メッシュの所は生地の隙間が大きく、風によって空気が肌によく当たるはずなのであろうに、それ以外の接触冷感素材部分の方が圧倒的に冷たいのだ。wunderbar!
ではウェーダーとの相性はどうか?下半身にウェーダー、上半身にフローティングベストを纏う。いやはや、驚いた。冷たい感触は全く変化しなかった。このあとのことを言えば、ウェーダー内、つまり接触冷感素材に対して汗をかいたのだが、その汗をかいてからの方がさらに冷たさ、涼しさが倍増して感じられた。当日この装備で河原小屋沢の林道を歩いた時間は往復で1時間弱。早朝の時間であったため、より汗を多くかく炎天下の中でのテストではなかったが、そもそもの目的は音楽である。敢えてそのような条件下でやる必要は無い。接触冷感素材のもつひんやり感に包まれながら快適に行き帰りの行程を楽しむことが出来た。また、他社で買った社内販売製品を共にしたこともあいまって、この日の砂防ダム歩きは普段の仕事を忘れさせてくれる、精神的に解放された実に軽やかなものであった事もそれに付け加えておきたい。

盆栽岩の砂防ダム上の様子。河床が一気に持ち上がる。
↑の河床にある低い堰堤。2017年3月。
入り口ゲートから25分くらいの地点にある堰堤。(今回の目的地。)