4月6日、正午すぎ、戸田しんでん梅林公園を訪れた。展望台のある一番高いところを目指して坂を駆け上がる。斜面に生える梅の木は新葉の季節で、それらが海風に吹かれてさらさらと揺れている。
展望台に上がると、旧戸田村の集落が一望出来た。集落は手前側もそうだし、南北が山に囲まれていて、一部は死角となっているのだが、これでほぼ全域を望んでいる。人口は3千人と少しらしい。“村”の中央を流れる戸田大川のせせらぎの音が聞こえる。あとは県道18号線の坂を上り下りしていく車の音が時折聞こえる。
そんなふうに耳からはいろいろな情報が入ってくる。でも、やっぱりこの村は静かだ。今、日本中の観光地が閑散状態と化しているようであるが、こちらに関しては・・・、
いつも通り!
の静けさで迎えてくれている。今、ここに来るまでに、たしかに陸続きの道を自家用車で走ってきたはずだ。だけれども、これはどうやら離島に来てしまったような気分になっている。
海苑
時刻は12時台。午前中に使った体力、ここに車で来るまでに消費した体力があった。体は遡行前の食事を要求し、それではと海苑に寄ることにした。
いつもの壁向かいのカウンター席に座った。今日は女将さんと、もう一人、男の方の2人で切り盛りしていた。もう少し若い男が厨房にいることもあるが、今日はいなかった。女将さんは村外の人間である私に対しても、いつもやさしく接してくれる。こちらは気まぐれで登場する、一見さんであるというのにも関わらず、嫌な顔をされたことが無い。
客観的に見れば今は自治体を同じくした沼津市の客へのもてなしになるのだが、この店の“商圏”を実質的に考えた時、その有効レンジはめちゃくちゃ広いと思う。日本の首都、東京と言ったってけっして遠すぎはしない。地図アプリで調べてみたらその距離は166キロ(東京日本橋~沼津市戸田地区センター)で、所要時間は2時間23分だという。
これは近い!
と言うのが、戸田を知るものとしての感想。東京都内というか、首都圏に住んでいて、毎週末を戸田で過ごす週末型村人というのも、必ずやいるはずであろう。戸田を知らない人に説明すると、戸田というのはそういうところなのである。ここは伊豆半島という陸続き地形の中にある一つの村であるが、まるで離島にいるような、それも気候も人も本当に暖かい風土がここにはある。依存症になる。本当に、ここは・・・。
暖かいラーメンが運ばれてきた。余計な手出しはすまいと静かに麺をすする。ゆっくりしていたいけれど、今日はそれが出来ない。ここへ来て、食べさせてもらっただけで本当にありがたいことなのだ。足早に完食し、代金を渡して店を出た。
腹も満たされ
腹も満たされたところで、午前中の疲労感も抱えたまま県道18号線を戸田峠方向に向かって走る。今から何をするかはもう決まっている。遡行前・・・の、
昼寝タイム!
入渓点前の駐車スペースに車を停め、スマートフォンのタイマーを15分にセットする。もうちょっと長く寝ていたい気もするが、先ほど海苑で食べたラーメンの味がまだ口の中に残っている。そして今日のこの春の陽気。幸せすぎて、眠ったまま最後二度と起きられなくなるのではないかという心配があるので、15分で強制終了することを条件に車のシートに身を預けた・・・。
15分は意外と長く、実質眠っていたのは前半10分くらい。あとの5分はあえて目をつむったままポカポカ陽気を満喫した。
800メートル
午後2時前、車から降り、入渓前の準備を行う。これまでのシーズンではズボンの下にアンダータイツを一枚履いていたが、今日はもう要らないだろうということで脱ぎ去った。上半身もこれまでより一枚少ない格好にして行くことに。気温は18℃ほど。暖かいことに間違いは無いのだが、時折海の方から吹き込んでくる風はまだまだ冷たい。
準備を済ませいよいよ入渓する。入渓点はまず見える堤高3メートルほどの堰堤を巻いてからはじまる。すんなりとこれをかわし、沢を登り始める。入渓点にあった指定地看板によれば、この沢は六郎木沢というらしい。戸田の中心を流れる「戸田大川」があってその支流「北山川」があって、その北山川起点よりさらに上流の区間がこの沢なのであろう。
川幅は1メートルから広いところでも2、3メートルほどしか無い。しかし、水は割としっかり流れており申し分ない。金冠山という標高816メートルの山に端を発した沢であるとの事だが、やはりこの800メートルぐらいからを境に沢というのは、水の安定供給という面で分かれてくる。これより低くなってしまうと、伏流を見ることが多い。
今のような冬~梅雨前までの季節は特にそうなりやすいので、遡行時に水を見続けるかたちで登っていきたいのであれば、まずは標高の数値を気にして場所を選定すると良いと思う。ちなみにこの旧戸田村東部の頂はほかに達磨山(982メートル)がある。つまり旧戸田村の東部山麓であれば、基本的にはどこでも一年中、伏流する事無く流れる沢を見続ける事が出来るということである。
くるみの木
堤体であるが、入渓点から40分ほどのところに1本、それから20分ほどのところに1本、さらに1時間ほどのところに1本見ることが出来た。自分の中で最も楽しめたのは2本目の堤体で、堤体の2階部分にヤマザクラの木を見る事が出来た。当初は全然この歌を歌う予定に無かったのだが、そこで選んだのがシューマンのくるみの木。
さくらの木に対してくるみの木を歌うのは、おかしなことだという意見もあろう。だがこの曲の中には実質的な主人公となるくるみのBlüten(花々)がNeigend(傾ける)したりBeugend(曲げる)したりするとある。くるみという樹種にこだわってイメージすることも大事かもしれないが、その詩の言葉から感じ取られた「柔らかさ」を表現するのにヤマザクラの花や新葉は最適と言って余りあるものであった。
なにより、このくるみの木という曲に対して、入渓の段階では全く歌うことを予想していなかったところで、自然発生的に自分の中でやりたくなったというあたりが、すでに痛快そのものなのである。
―今日はこんな感じで登って、あそこでこんな景色を見ながら誰々の作曲した○○を歌ってみよう。―といった事前計画に基づいた歌でないことのおもしろさ、負担なき軽快さはお解りいただけるであろうか?
自然環境が選曲のヒントを与えてくれ、イメージを与えてくれ、渓畔林となって響きを作ってくれている。砂防ダム音楽家としてこれ以上の幸せは無いのではないか。
2本目の堤体を前に歌いながら過ごすこと1時間。港町の時報が鳴ってしまうと慌てて(それでも慎重に)沢を降りた。