狩野川、アユの川

三田鮎店の「鮎のひもの」

10月21日、この日は朝から秋雨前線の停滞の影響で空がどんよりと曇っていた。昼間の時間帯であるにも関わらず外は異様に暗く、とてもじゃないが砂防ダムに行けるようなコンディションでは無かった。空から降りそそぐ日の光と砂防ダム空間を取り囲むようにして生える渓畔林がもたらしてくれる暗がり、その両者の明滅差を楽しむという砂防ダム音楽の性質からすれば、とてもじゃないがこんな暗い日には現場に向かおうなどという気にはなれなかった。天気の回復を待って午前中は自宅待機、時計は12時を回り、午後になり・・・、あきらめた。

釣り

そうだ、釣りに行こう!となった。季節は完全に秋めいてきた。最近下見をしていた場所があって、そこにはかなりの数、カラスが群れていた。川の中の中洲になっているところで、あのカラスたちはもしや・・・。と、期待していたのである。
自宅を出たのは午後1時過ぎ。市内を流れる狩野川の釣り場を目指してハンドルを握った。そこは海から4.6キロほど遡った地点。完全に川のはずなのであるが、今日狙うのは海の魚、スズキである。

釣りを開始したのは午後2時過ぎ。相変わらず空は暗く、まるで※夕まずめの時のようである。それならばチャンスタイムなのだとはりきり、ルアーをキャストし始めた。が、期待に反して魚からの反応は返ってこない。堆積した砂利によって出来た川岸を下流方向に歩きながら、キャストを繰り返すも、魚にカスりもせずルアーが帰ってくる。やがて下流方向に下がることの出来る限界点まで達したため、今度は折り返し、上流方向に歩きながらキャストを続けた。

※夕暮れ時。あらゆる魚においてよく釣れる時間帯とされている。

今回入った釣り場

スズキさん

魚を掛けることが出来たのは午後4時すぎ。弱ったアユを演出するつもりでルアーを川の流心に流し込んでいくと、突然、握っていた竿が重量感に襲われた。しばしのやりとりで上がったのが画像にある通りのスズキ。本当にアユを食べていて、このような様であるのかは定かでは無いが、でっぷりと太っていて、釣り人的に言えば大満足の一尾であった。この魚は食べればうまいのであるが、本来ならば今日の日は砂防ダムに行って歌を楽しんでいたところの、脱線しての釣行である。突然の予定変更でノコノコやって来た“にわか釣り師”を楽しませてくれた川のスズキさんに対してはもう感謝、感謝の念で胸が一杯で、ありがとうの気持ちを込めて再び川に解き放った。

スズキ

落ちアユ

秋のこの時期のスズキは(ウグイやボラももちろん追いかけていると思うが。)流れ下ってくるアユを食べている。“落ちアユ”と呼ばれる産卵を終えたアユで基本的には皆、弱っているだけで泳ぐことは出来るものの、流れに逆らって上流を目指すほどの遊泳能力を持ってはおらず、これらはどんどん下流へ流されていってしまうという運命をたどる。アユは時に“年魚”という字が充てられたりするが、その生涯は1年と短く、そうやって流されていく過程も1年のうちの一幕で、無残さこの上ないのだが、自然界の常習としてはこの魚の瀕死は他の動物たちの食物として受容される。水中で追うのはスズキなどの肉食魚類。また、カワウなどの餌食にもなる。空中からはトビなどがこの魚を狙う。狩野川の場合ことにアユの多い川なので、あのカラスまでもがこの時期は落ちアユ拾いに精を出すのだ。下見でこの場所を見た時にカラスたちを見つけ、もしや・・・。と思ったのはこのためである。

天然アユは幼魚期を海で過ごす。(狩野川河口)

看板

普段、砂防ダムを目指して狩野川沿いを走ることが多いが、この川の流域は本当にアユという魚と密接な関わりを持った川なのだということがよくわかる。夏に川を上下に見渡せば、必ずと言っていいほどアユ釣り師の姿を見かけるし、そのアユ釣り師を相手に商いをするオトリ店や民宿などの看板がしょっちゅう目に入ってくる。アユそのものの料理や加工品を観光客に提供する店もやはり多く、もはや狩野川を語るのにアユという魚は欠かすことが出来ない。

大仁神社にて その1
大仁神社にて その2
大仁神社にて その3

渓畔林とアユ

アユの適水温、つまりアユが川の中で生活していく上で最も快適な水温はおよそ20℃~25℃の間らしい。伊豆半島は標高の高い山々がそびえ立ち、その頂上付近は当然気温が低い。また、その高い山にともなっては険しい谷が形成され、しかもその谷の多くは渓畔林によって囲まれている。渓畔林によって囲まれた谷を流れる沢の水は太陽光を遮断され、温められることなく下流へ流れ続け、最後、狩野川本流へ流れ込む。その冷たく保たれた沢の水によって形成された狩野川がアユたちにとって本当に棲みよい環境であるのかどうかは魚たちに聞いてみなければ解らないが、少なくとも、川の中を覗けば水中がチビ鮎たちで埋め尽くされている光景はよく見かけるし、地上ではその水産資源を利用した人々の生活文化が当たり前に育まれている。流域住民の生活文化を維持していくのにアユという魚は欠かすことが出来ない存在で、そのアユに対して最適の環境を用意出来ているかどうかはわからないものの、現状を維持していけばとりあえずはこの魚と未来永劫つきあい続けていくことが出来るはずである。求められるものは現状維持。この地域の環境を自然的にも、人為的にも大きく変化させてしまった時、その結果は川に、魚に現れてくることと思う。

オトリ店を示す看板
天城北道路下のオトリ店
狩の川屋
入漁場としての狩野川“の、ちょっと上”にあるダイダルウェーブ堰堤(と、勝手に呼んでいる水恋鳥流路工。)

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