大好き河津町!vol.9

河津橋

7月23日午前9時すぎ、まずは河津橋を渡り下田市との境界にある大字「逆川(さかさがわ)」を目指す。

橋を渡った直後には白地に赤文字で「大型車通行困難」の大きな看板。
この道は国道(414号線)と言うわりには道幅が狭いので、事前に案内看板が掲げられている。

幅員は狭いところで普通乗用車1.5台分ほど。非常に走りづらさを伴う道ではあるが、これが南伊豆地方の最大都市「下田市」につづく重要ルートだということもあって、交通量は決して少なくはない。

天川洞門をくぐり抜け、右に左にうねる道を抜けると、ようやくの分岐点。緊張感が解放されるのは「河津バガテル公園」の可憐な看板が目に入ってきたからでもあると思うが、それ以上に片側1車線という、十分な幅員区間にやっと入ることができたという安堵感にホッとしたためである。

ここからは河津バガテル公園前の急坂を登ってきたトラックを引き連れ、旧モーテル峰山前を通過。峰山トンネルをくぐればそこから先は下り坂となる。道路の路肩下を流れる稲梓川を見ながら坂を下っていくと、突如いなかの里山風景が乱れ、建設重機、ダンプカーが踊る土木開発地帯に突入した。

車から降り、背後くだってきた坂の方向を見れば稲梓川には太く立派な橋、さらにその先には真っ暗なトンネルがポカンと口を開けていた。

道は幅員狭し。
天川洞門
天川洞門前には注意喚起の電光掲示板。
河津トンネル逆川地区工事(開通後は伊豆縦貫道の一部区間に。)

最新鋭!

トンネルの入り口上には「河津トンネル逆川地区工事」の文字。同トンネルは現在地である河津町逆川より河津町小鍋へと抜ける予定らしい。

目下、鋭意開発中の伊豆縦貫道については、その最終地点となる下田市まで、出来うる限りの短縮ルートを取る必要があるため、一部区間において“山を掘り進める”という行為がなされている。これは河津町内の話しでは無いが、最きん開通した事例として、伊豆市天城北道路の佐野トンネル、雲金トンネルなどがある。

伊豆半島を南北に横断する道路を開通させるという目的の中で、伊豆の山々の存在は避けては通れない。

通常であれば目の前に立ちはだかる山に対して、現在利用している先人たちの遺産「旧道」を改良することで道路を整備していけばいいのであるが・・・。まぁ、

そうはならない。

車が走りやすいよう道路の線形を直線的にしたり、通過時間短縮の大義を達成するために経路を短くしたり、何より先住の地域住民の村家を守ったり、交通安全上の問題があったりする中で、旧道を改良するだけではそれらの用件をすべて満たすことが難しくなって来ているからだ。

そんなわけで、旧道を改良する。というよりも、その旧道から少し離れたところに“新しい道”を作ってしまおうという計画が生まれ、事業化ということになってくる。

では、

目の前に立ちはだかる山に対して、みどり色濃き森の木々を線形に刈り込んでいき「21世紀峠」を作れるものなのか?

開発中に木を切れば自然破壊だと罵られ、山の景観が道路の登場によって損なわれたとこれまた罵られ、道路が完成したとしても土砂崩れによるリスクがあったりで、開発の許可を出した当事者は散々な!?目に遭う事をお忘れ無く。

どうやら「21世紀峠」というのは難しいらしい。

では、どうすれば?

・・・?なんだか眠たくなってきた。

「トンネルを掘ればいいじゃない!
最新鋭の建設機械で、最新鋭の建設技術で、最新鋭を知る大手建設会社や大学のセンセイの指導でトンネルを掘りましょうよ!経済大国の日本なら、トンネルを掘る道具も技術も世界トップクラスに違いないでしょ。トンネルを掘って全て解決。やった。バンザーイ!」

!!!

ふと我に返る。私の眼前には懸命に働く建設重機、せかせかと土砂を運ぶダンプカーの姿。

おや、この山も・・・、

「最新鋭!最新鋭!」のかけ声で、穴を掘り進められていくのか?

しばらく工事の様子を見学したのち、逆川をあとにしたのが午前10時。

小鍋側の様子もうかがいに。

電波塔

その後、河津トンネルの開通先となる予定の河津町小鍋も見に行ったあと塩田屋で弁当を買い、国道414号線を新天城トンネル方面に向かって登った。河津七滝ループ橋、登尾トンネル、鍋失(なべうしない)トンネルを抜け、道路は東方向に大きくカーブ。「鍋失高架橋」を渡り終えたら右折する。

そのまままっすぐ走って携帯電話の電波塔を見つけたら、路肩に車を駐車する。ここが本日の入り口。

まずは先ほど塩田屋で購入した弁当を食べ、それから仮眠を取る。

つかの間の時が過ぎ、午前11時。ようやく眠気が取れたところで車を降り、準備を整える。今日これから歩く道は旧天城街道の廃道であるが、ここのところの雨によってぬかるんでいる可能性があるためウエーダーを履く。

そして旧天城街道の現道路から廃道区間に足を踏み入れることが出来たのが午前11時半。まずは直後にあるNTTドコモ電波塔のフェンス外ひだり側を通過する。

こういった施設の法律的なもの、土地の所有権のことはわからない。しかし、目の前にあるのは、“廃道”という字のごとく廃れた道と、現代社会の生活を生きていく上で無くてはならない先端ツールをささえる電波塔基地である。両者の時間的対比の大きさがもの凄い。

今日もご苦労様です。

電波塔をこえると樹木の回廊のような道が姿を現した。

ここで曲がる。
電柱と石の間が入り口。
電波塔の先の様子。

そして梅雨どきなのに

廃道を歩き進める。直後にはまたしても電波塔。取り付けられている看板の表記を見れば設置者はKDDIとある。先ほどのNTTドコモとはまた別な事業者のものだ。

廃道の活用方法として携帯電話の電波塔を立てるという行為はスタンダードなのか?土地を有効活用しているという反面、これに閉ざされて道は現役復帰の可能性を失ってしまっているところには残念さも感じる。

KDDIの電波塔も越えると、本格的に廃道っぽくなってきた。道の現役生活終了後に生えてきたと思われる樹木が見られるようになってきたからだ。道の中央にデーン!となんの遠慮も無く定位している。

ヨォ、偉いもんだな、お兄ちゃん。

現国道にある鍋失トンネルの開通年が昭和54年というから、ここに生える木はそれほど大先輩では無さそう。むしろ、年下かも知れない。また、道の中央からほぼ垂直に天に向かって伸びるケヤキの木などは人工的に植樹されたものなのかも知れない。

アスファルトが比較的きれいにハツリされていて、これが木の根の力によるものなのか?人工的な手助けによるものなのかがわからない。いずれにしても砂防効果や土砂災害予防効果は一定程度認められることと思う。

そして梅雨どきなのに完全に伏流してしまっている谷止工なども見ながら、ようやく現国道414号線鍋失トンネル南側口の前に出られたのが午後1時過ぎ。

道を塞ぐ樹木。
鍋失トンネル北側口を眼下に見る。
谷止工は落水みられず。
シラキ
鍋失トンネル南側口

最近のことだ。

国道414号線を注意しながら渡りきり、高さ2メートルくらいのコンクリート壁を越えると小さな沼が現れた。沼にはバシャバシャと水を供給する滝が見られる。沼を越え、その滝を登る。滝はナメ滝なので直登ではない。

午後1時半、ナメ滝を登りきるとようやくの目的地。水が極めて少ない。堤体の放水路天端下が申し訳程度にテカっている。

堤高は5メートルほど。しかし、立ち位置から見て斜め上方に位置する堤体は、基礎部分が自身の頭上よりも随分高い位置にある。堤高5メートルであったとしても“見かけ高さ”としては15メートル以上にもすることが出来、それを見上げて歌う楽しさが味わえる。

立ち位置を後退させればさせるほど、堤体の天端を高い位置に見ることができるのだ。

bluetoothスピーカーの電源を入れ、シューマンのMeine Roseを選ぶ。この曲はとても深い、人の心の悲しみをうたった歌である。とても美しくて、でも詩は深くて、生半可な気持ちでこの曲に取りかかるのは不謹慎だとさえも思っているのだが、

自然発生的に歌いたくなったための選曲。

聴衆を前に歌うという、現状一般的な環境ではMeine Roseは(自分自身としては)絶対にあり得ない曲だと思っている。歌い手による歌い手のための歌「砂防ダムの音楽」であるからこその選曲が出来た。

こうして、この日もまた砂防ダム音楽を楽しんだのであった。

ちなみに、この場所は今月の10日にも来ている。その時は画像が示すとおり7月23日よりもしっかりと水が流れている。いずれの日も梅雨期間中。およそ2週間という期間はけっして短いわけでは無いが、どうであろう?落水が不安定ではないかと思う。

堤体の直下すぐ西側には鍋失トンネルが掘られていて???

まだ、そういうことは断言するべきでは無いと思っているが、山の水の流れというのは単純では無いことを最近のマスコミ報道でいろいろ勉強させてもらっている。

砂防ダム音楽家として、河津町ふくめ伊豆半島各地のことを心配するようになったのは最近のことだ。

登尾沢第2号コンクリート谷止
画像左カジノキ属(不明)、画像右タマアジサイ
サカキ
シラカシ
立ち位置右横にも沢が流れている。
7月10日撮影
7月23日撮影

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