たかだか川の名前なのだが

ゲートと猫越川橋

1月19日。この日は河原小屋沢に入った。河原小屋沢は猫越岳~三蓋山にかかる尾根の中間にある手引頭(標高1,014m)、長沢頭(標高1,022m)あたりを水源として始まり、最終的には猫越川、そして狩野川に合流する中伊豆山中の川である。

伊豆市猫越集落の最奥地点で道路がY字に分岐しているところがあり、左に進むと河原小屋沢への入り口となるゲートと猫越川橋が現れる。ゲートを越え、猫越川橋を渡り林道を使って堤体を目指す。ちなみに猫越川橋の下を流れるのは猫越川。河原小屋沢はまもなく現れるカーブミラーより東側を流れる川のほうである。

林道をそのまま進んだ場合、標高460メートルほどの地点に舗装路と砂利道の分岐が現れるが、ここで左を選択すると道は桐山林道となり、右側を選択すると猫越林道となる。桐山林道はほどなくして洞川橋(ほらかわばし)で河原小屋沢をわたる形になるが、河原小屋沢全体の堤体(河原小屋沢本川の堤体)の数について解説すると、この洞川橋より下流側には5本、上流側には4本の堤体がある。

林道の分岐点すぐにある看板。
洞川橋

どちらの名が正しいのか?

洞川橋というのだから、何が起きてしまっているのかというと、河原小屋沢に洞川という別名があるということが発覚してしまった。いや、むしろ洞川こそがこの川の元々の、地元民や古くからのビジターに通った名前なのかもしれない。
そもそもなぜ私がこの川を河原小屋沢と称しているのかといえば、

―地理院地図にそう書いてあったから・・・。―

というだけなのである。しかもこの川は何度も訪れているが河原小屋沢名義で書かれた看板等は一度も見たことが無い。ほんとに合っているのか?

そういえば以前、当ブログで修善寺の北又川に架かる三ツ石橋の表記を見た時にそこには北又川ではなく修善寺川とあった。同じく中伊豆東部の西川で河川の基点を示す看板に大見西川と表記されていたことなどはじめ、似たような事例が非常に多く思い当たる・・・。

で、どうするか?

ブログに記述するにはどうしたらいいのか?と迷ったが、ここは地元民には該当しない“よそ者”である自分自身がへりくだる形で、地理院地図にある通り呼んでいこうと思う。この川は河原小屋沢だ!

ここで地理院地図の発行元である国土地理院にお願いしたいことがある。言うまでも無く正確な調査に基づいた河川名、その名を地図に反映させて欲しいということ。事実誤認や、誤った職権によって本来あるはずの河川名が無くなってしまうのは、川の歴史そのものを歪めていることになる。その地に先祖代々、住居を構える人々が○○と呼んでいたものを地図という影響力によって変えてしまうなんてことはあってはならないし、もし万が一あったとしたら、こんな悲しいことはない。

同地図を渓流歩きの基礎情報として使用している自分自身であるから、そういったことを切に願っているのだが、対するものの多くは“山奥の川”という極めてローカルなものであるため、なかなか資料も少ないのかなとも思う。

忌憚なくコメントを

そう思うとたかだか河川の名前なのだが、実はそれだけでも正確性を期そうとすればかなり難しいのだということがわかる。一本の川のことを多くの人が見ている。自治体職員、国家公務員(これは国土交通省系もいるし、農林水産省系もいる。)、その地域に住む地元民。地元民のなかでもその川の間近に住む人と、あるていど距離を置いた所に住む人で呼称が違うかもしれない。

インターネットの時代で、多数決的に多くの人が書いたり、呼んだりしているものが正しいとされ、少数派の言うものは間違いとされる。多数派の呼び名はどんどん増殖し、少数派の言った名は廃れ、それだけで無く(少数派の)あなたのは間違いだからと訂正を求められたりまでする。

そこに本来あるべき真の姿を見ようとするための事実確認は無い・・・。

前述の通り私は今後も地理院地図に沿う形で書いていこうと思うが、もしかしたらそれが誤っていることもあるかもしれない。そうした事実を見つけた場合は、忌憚なくコメントを寄せていただければと思う。

一番下流部にある堤体。低いが副堤つき。
2番目の堤体。
これは洞川橋より下流すぐにある5番目の堤体。
洞川橋から見える最初の堤体。

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