
こんなに長い公園ははじめてだ。
南アルプス市、御勅使(みだい)南公園。
甘利山、千頭星山、櫛形山。名だたる山々を西に見る公園は、ごくごくわずかに登り坂になっている。
公園に平行するのは御勅使川。この川もところどころ堰堤階段を伴いながら少しずつゆるやかに登っている。
ウォーキングロードと言ってもよさそうな「クロスカントリーコース」。
わずかな傾斜は歩いていてもほとんど気がつくことがない。
御勅使南公園だけで東西およそ2.2キロメートル。隣接する御勅使川福祉公園がおよそ1.4キロメートル。
足せば単純計算、3.6キロメートル。
長い。
まずは片方だけでも。御勅使南公園をあるいた。

冬アベリア
1月13日、午前8時。散歩のスタート地点としたのは、御勅使南公園第一駐車場。
気温はマイナス2.4度。底冷えするような寒さだ。
第一駐車場から御勅使川の土手までは200メートルほど離れている。まずは車を降りて土手まで向かう。
スタート直後、土手まで向かう途中。Aグラウンド横の植栽。
アベリアが!
紅く色付く葉に、毬状になった萼。
もうとっくに散ってしまった花びら。萼だけは頑丈らしく、枝先にほころんだまま、整ったまま付いている。
これが金色とも茶色ともつかない色に。朝日だ。
これはこれは。
さあ。
いいもの見れた。
帰ろう!



寒い!
帰りたくなるほどの寒さであったが、もう少し頑張ることにした。
クロスカントリーコース。道は植樹された木に恵まれている。
ケヤキ、クヌギ。常緑ではシラカシ、アラカシ、マテバシイ。アカマツが全体的に多い。
トチノキ。どういうわけか、山梨の公園というのはトチノキが多い。県の木なのかな?とおもって調べてみたら県の木は「カエデ」とのことであった。
ムクゲ。ムクゲもやっぱり多い。これはかの国の国花。政界が大混乱らしいが、その元気の良さだけはある意味うらやましくもある。
木は全部に・・・、とはいかないものの一部には樹名板がついていて何の木かと見ることが出来る。
ながいながい散歩道も見るものが多く、飽きずに楽しむことができる。




両手いっぱいの
午前10時、ながい散歩道では考えごとをしがちである。だいぶ西のエリアまでやってきた。場所は、山梨県立わかば支援学校や第三駐車場があるあたり。
このあたりは背の高いアカマツが見事だ。
両手いっぱいの量を集めるのにそうそう時間は掛からなかった。松ぼっくりごとき。ごとき松ぼっくり。これをただただ拾い集めるだけ。
こんなこと。
これっぽっちのこと。
なのにまぁ、こんなことにさえ及んでいないのだという現状。
歌い手がこの日本でどれだけいるというのか。歌う人らのパワーによって、何が出来ているというのだろうか。歌うことに端を発して、外部に発信できていることはあるか。
松ぼっくり拾いを知る人のほうが多いし、実際、松ぼっくり拾いをする人のほうが多い。
勝てていない。
負けている。
こんな。
こんなぽっちのことにさえ。
数が多けりゃいいってもんじゃないが。
砂防ダム音楽家のことだ。




立ち寄る
午前10時半、第一駐車場までもどって自家用車に乗り込む。駐車場を出庫。
宮入バルブ製作所まえを左折。下った先の丁字路を右折。
南アルプス市六科から南アルプス市有野へ。
「源」の信号交差点では右折。
すぐにあらわれたのがローソン南アルプス街道店。何の変哲もないただのローソンである。しかしこれよりさき、芦安・夜叉神ヒュッテ方面へ向かうにはこちらが最終コンビニとなる。
駐車場に車を停め、店内へ。
忍ばせの品を購入し、店を出る。
午前10時35分、ふたたび車に乗り込み出発。
御勅使川の流れを遡るようにつづく道は「南アルプス街道」。南アルプス街道に沿ってひたすら西進する。
午前10時50分、南アルプス市駒場浄水場まえを通過。
午前11時、上新倉橋まえを通過。
午前11時5分、「なとり屋」まえ(ここは道路はさんで反対側にトイレ有り。)を通過。
午前11時20分、芦安堰堤まえ着。





芦安堰堤
芦安堰堤。
石碑によれば竣工は大正15年(1926年)とのことである。当年起算とすれば来年に歳を100とする歴史ある堤体だ。
堤体のおよそ40メートル上流に架かる瀬戸大橋は、竣功昭和61年(1986年)。ということでこちらは来年40周年。
両者とも記念すべき年を迎えるに当たってか?現場はちょっと騒がしい状況にある。
アーチ式の天端のうち、放水路天端部分には鉄板が置かれている。また、芦安堰堤、瀬戸大橋両者を見ることが出来る施設(展望台)は、改良工事のまっただ中という状況。
放水路天端部分に置かれた「鉄板」について。自身が大注目している部分である。この鉄板が置かれる以前にも見た覚えはある。しかしその姿はまぁ・・・。
美しいとは言い難かった。
堤体の放水路天端部分の石張りが崩落していることに起因する、落水の荒れ。
堤体本体のうち放水路天端というのは最も美しくあって欲しい部分だ。石張りの天端ならば石が剥がれていないこと。コンクリートの露出する天端ならば当該部分が欠けていないこと、削れていないこと。
放水路天端が美しい状態に保たれていると、その下流カドの部分から水がきれいに落ちてくれる。逆にここが欠けていたり、削れていたりすると、その部分にだけ水が集まって棒状あるいは櫛状に落ちるようになる。
集まった水はヨジれながら落下し、水タタキ・水褥池に到達するころには大きく暴れて接地する。崩れに崩れて形が変わり、下方へ向かう水のすがたは何とも哀れだ。
重たく叩きつけるように接地した水は周波数の低いノイズを発生させる。ノイズそのものの発生周期も粗く、声との混じりが良くない。
美しくない見ためは外観のみならず音にも影響するのだ。
理想的なのは水が最後落ちきるところまでしっかりデザインされている状態。
大型の貯水ダムなどはその注目度からけっこう気にして見てもらえるが、砂防とか治山くらいの規模だとまだまだそこまで(というより全く)話しが及んでいないのが実情。
しかしこちらももともとは人間が作ったもの。人工物なのである。作り替えるということが許されている。手を加えて、理想の形にすることができる。
ならばやっぱり改良されたい。
天然記念物化されることがないのは逆に強みだ。
日本全国同様に見るも無惨な堤体というのがあるかもしれないが、絶対にあきらめるべきではないと考える。
価値のないものは直してゆけば良い。
付加価値が生じれば商品となることを忘れてはならない。
一部の声だけ参考にして、負の遺産と決めつけてしまうのはまだまだ早い。






金山沢砂防ダム
午後11時50分、瀬戸大橋まえを出発。
瀬戸大橋の一本上流に架かる沓沢橋をわたり御勅使川左岸へ。車のヘッドライトを点灯させ道形にすすむと金山沢温泉まえを通過。直後のY字分岐を右へすすみ、ガードレール製欄干の橋をわたる以前に左折する。
正午に「金山沢砂防ダム」の堤体前に到着した。
北西向きの堤体。
天候、晴れ。
堤体水裏(堤体の下流側)を太陽の光がものの見事に照らしている。
堤体本体、堤体前の空間。ともに明るすぎる。
もう少し時間を待ちたい。日が西に傾いて、右岸側の山にもっと近付いてくれれば堤体に影がかかる。
影がかかって、よけいな眩しさが無くなってからが歌の時間だ。
それまでは車内待機。幸い、この場所は車から降りてすぐに歌うことが出来る。
寝て待てばよい。午前中にしっかり歩いた御勅使川南公園の疲労回復も考え、車内に留まることとした。





軽装で楽しめる
午後2時20分、堤体水裏をしっかり影が覆ったことを確認し、準備にとりかかる。
準備とは言っても本日の場合、ほとんどやることがない。
車から降りてすぐという環境で、堤体前の音楽を楽しむことが出来る。ウエーダーは履かなくてよいし、ヘルメットも被らない。
昼寝から目覚めたそのまんまの格好で、歌うことが出来る。
自作メガホンをセットし、声を入れてみる。
鳴っている。
堤体前。つまり堤体本体と左右両岸、広く壁状になった空間の中を声が響いている。
ノイズの発生源は主に3ヵ所。
・主堤の水裏、副堤の水タタキ付近。
・副堤下流の護床工区間。
・金山沢川水力発電所。
3ヵ所いずれも立ち位置からかなり離れているため、影響が少ない。水力発電所についてはどちらかと言えばこれは簡易的なもの。最小規模といえる大きさで、生成される機械音も規模に準じてあまり大きくはない。
ノイズによって音が聞きとりにくくなるという状態にはならない。視覚情報として、水の摩擦が起きている箇所をいくつも見ることができるが、耳への刺激は少なめ。音としてはかなりおとなしいという印象の堤体前。
入れてゆく声が聞き取りやすいという条件のなか、音楽を楽しむことが出来る。





現場での集中力
結局この日は、午後5時まで堤体前で過ごした。
堤体前が常に鳴ってくれる状態にあって、そこでどんなものを展開するのか。
声の聞き取りやすさ。これが保証される中でなにをやっていくか。
ときに対面する、ノイズに負けてまったく音楽にならないようなシチュエーション。そういった時にはいつもどのようにすれば響かせられるのかを必死に考えるわけである。堤体前という空間で楽しむために。
そういった努力を常におこなっていくことで砂防ダム音楽家としてレベルアップしていきたい。現場の環境に流され、あまりにも簡単に考えてしまうと逆に失うものがある。
現場での集中力。
うるさい堤体前では得られている集中力。
ある意味、自然界の発するノイズから貰っているプレゼントであるとも言える。
音に静かになることによって、受け取るものを失うことがある。
静かすぎて逆に難しかったという印象を得たゲームとなった。
今年もまた、いろんな所へ行き歌うという展開になるだろう。どこの堤体前でも目指すことは一緒。音に集中し、歌い手自身が楽しめる音楽をするということ。
大きな堤体、小さな堤体。
うるさい堤体、静かな堤体。
自力をつけ、どんな堤体でもしっかり楽しめるようにしたい。



