暑くなってきた。沼津市内の西部地域では田おこしも終わり、いよいよ田植えシーズンを迎える。
田おこしをした田んぼはよく乾かすことが重要だそうだ。これによって土の中にいる好気性微生物を活性化し、植物(イネ)が窒素を取り込みやすい環境を作る。専門的には乾土効果と呼んだりして、稲作をする上で非常に重要な作業として位置づけているそうだが、これが終われば今度は水張りがあり、代かきがあり、そして田植えがある。
農家の大変さが身にしみる。
全てはイネを最適な環境で育てるための努力ということであろう。稲作をうまく成功させるための理論があろうとも、それは自然条件の中で実現させていかなければならない。天気予報を見ながら、田おこしをする期間を決め、代かきをする日を決め、田植えをするその日に向けて苗を育てる。
世間が大型連休だと浮かれ、あちこちに出掛けている時、農業に向き合いプロとしてやるべき仕事をする。志が高くあったとしても相手は自然という中、何が起るか分からない中での仕事。プレッシャーを抱えながら、秋の収穫を夢見て圃場に苗に投資をし、汗水流しているのが農家だ。
農家の方々には敬意しかない。
荒原の棚田を見る。
5月9日は長野川に入った。その長野川に入る前、長野の集落内にあるジオスポットに立ち寄った。
ジオスポットの名は「荒原の棚田」。現場にはまだ比較的新しい看板が立っていた。
なぜここが“ジオ”なのかといえば、棚田となっている場所が、付近の山の火山活動で迫ってきた溶岩流によるものだということに加えて、長野川が運んだ土砂によって出来たものだからだという。自然活動の中で偶然的に作られた土台の上に、棚田はあるのだと看板は解説している。
ジオという自然遺産のその上に乗っかるかたちで、棚田という人工物が存在しているということが分かったが、そのことをよくよく考えればこれは非常に興味深い。ジオスポットとして認定されたもののそのほとんどは、本来人間の手が一切介入していない“自然のありのまま”というような条件があるような気がして、ここはいいの?と思ってしまうのである。
棚田という農業の舞台である以上、ある時は水の張られた田植え直後の状態であったり、ある時はたわわに実った稲穂が垂れている状態であったり、ある時は稲刈りが終わった刈りあとの状態であったりと様々に変化する。様々に変化するのはイネという植物の出来事だからしょうがないでしょう。と言っても、それは多分な人的介入を経ての結果なはずだ。
台風で畦(あぜ)が壊されたりしたら?どうする?直すのはアリ?
いろいろと疑問が出てくる。とまぁ、そんな風にいろいろツッコんで考えている自分自身をふと顧みてみると、この場所の持っている素晴らしさになんと気がついてしまう。ジオスポットというのは得てして地学などの専門家向けの解説になってしまう事が多い。
もともと火山とか岩とかそういった分野に興味を引かれている人にとっては、非常に楽しい講座になると思うのだが、ほとんどの一般市民にとっては無関心で退屈なものになりがちである。棚田というものは水田の一種であるし、それは日本中にあるものだし、なによりそこは米という、ご飯という「食べ物」を作っている舞台だからである。
棚田の基礎となった台地は溶岩や堆積土砂なのだが、その上に棚田がワンクッション置かれたことでずいぶんと、親しみやすい、引きつけられやすいジオの解説となった。おかげでかなりすんなりと入ってくる形で勉強することができた。ありがとう!棚田で良かった。
長野川で水温を測る
そんな荒原の棚田の画像を貼ってみて、これをご覧になり、おわかりいただけたと思うが、もうすでに水張りも、代かきも、田植えも当地は完了した状態であった。地理院地図によればこの場所の標高はちょうど300メートルほど。一方、沼津市西部は画像の柳沢もそうであるし、海抜にして10メートルにも満たないところが多い。
緯度は伊豆半島に属する伊豆市湯ヶ島長野の方が低いが、それだけの標高差また日照時間から考えれば、圧倒的に沼津市西部の方が暖かい気候だということがわかる。単純に考えて、一早く春を迎えた沼津の方こそ一早く田植えが行われるものだと考えそうなところであるが、そうではないあたりに米作りの奥深さが感じられる。
水温はどうか?水温は(もう田植えの終わっていた)5月9日に長野川で測ってみたところ、12℃ほどであった。なぜ長野川で計ったかと言えば、この地区の棚田はじめ、水田に使われている水は長野川から引き込んだ水だからである。
長野の集落よりも一段上に上がったところには「箒原」という集落がある。その箒原に堤高3メートルほどの低い堰堤があって、その堰堤が取水堰になって水を取り込んでいる。
箒原・長野地区は稲作が盛んな地域である。荒原の棚田以外にも地区の広い範囲で稲作が行われていることは実際に当地に行ってみれば分かることだが、その箒原・長野一帯の棚田、水田に水を供給しているのが長野川であり、その起点となるのが箒原の堰堤や長野第3砂防ダムなのだ。5月9日は現地で、砂防と砂防以外の目的で活躍する堤体を見てきた。
美しき村
箒原・長野にいつも行って思うのは、この地域が大変に水をうまく利用している地区だということ。長野川から引き込んだ水で稲作をはじめとした農業を行っている。他の地域でもそういう傾向は見られるが、この地区の場合は少し違う気がする。
何が違うのかと言えば、他の地区の場合、川から水を引き込んでいるその多くは「個人」を単位としているケースがほとんどであるような気がする。川から引き込んだ水の配管を追いかけていくと、一軒のお宅の庭やため池にたどり着くことが出来る。
「個人」の生活のために敷設された設備をこれまで見てきたということだが、この箒原・長野については「集落」単位で大々的に利用する目的をもって水を引き込んでいる。集落としてどうすれば皆がよりよい豊かな生活を送ることが出来るかということを考え、共同して生きている。ここにいつも行くたび、そんな当地の人々の気持ちを感じずにはいられない。
「荒原の棚田」というのは、ただの棚田にあらずそんな背景を含んでいる。この棚田が人々の共同の象徴としてここにあり続けてくれるのは、傍目に見ても大変に美しいことだ。今までも、そしてこれからも永遠(とわ)に美しくあり続ける箒原・長野であってほしいものである。