そばとさぼうのセット

推理する楽しさ

10月26日午後1時、賀茂郡西伊豆町、入渓点となる仁科本谷林道入り口ゲート前で昼食の準備。
駐車スペースの一角には芝生が植えられていたので、そこに普段ウエーダーの収納として使っている大型ボックスを置き、折りたたみ椅子をセット。

同町内、仁科川河口近くのコンビニエンスストアで買ってきたザルそばとおでんを大型ボックスの上に広げる。さらに健取水場の青い看板が目印「わさびの駅」で購入してきたミネラルウォーターと煮卵も加わる。

まずは、ザルそばの麺をほぐすために少量のミネラルウォーターを加え、軽く混ぜ合わせる。そしてめんつゆを専用の容器に出せばあっという間に準備完了。さっそく麺に箸をつける。

うまい。

ザルそばの麺はさすが大手コンビニチェーンの製品といった感じ。いつ食べても間違いなくうまい。もう10月も下旬になってしまったが、まだまだ屋外でこれが食べられるほどの暖かさは残っている。

※仁科川源流域のせせらぎを聞きながら錦秋前の山の昼食を楽しんだ。

※地理院地図の表記に従い、「仁科川」とした。呼び名が合計3コあり。詳しくは、以下本文にて。

天城深層水で麺をほぐす
この日の昼食。おでんのたまごは、
こちらから。
仁科本谷林道入り口ゲート
Go-To!ゴミバコキャンペーン

スダジイ

昼食を終えて、入渓。と、その前にわさびの駅で教えてもらった宮ヶ原・天神社のスダジイの見学に行くことに。

ザルそば、おでんの容器、残り汁などをまとめ、大型ボックス、折りたたみ椅子を車に積み込み、わさびの駅に向かう。そのままわさびの駅まえを通過し、200メートルほど走ると宮ヶ原公民館と防災無線の鉄塔が見えてくる。

車はそのあたりの道幅の広くなった所、かつ民家の真ん前を避けられるところを選び抜いて駐車し、神社に向かって歩いた。神社の前には西伊豆町教育委員会の名で案内の塔が立っており、塔を見つけたらそのまま南のほうに向かって小道に入る。

すぐに現れる神社の鳥居と石段を登り始めると、巨木の存在が確認できた。巨木の樹種、スダジイは石段を登りきって右側すぐのあたりに。幹は非常に力強く、太く、スポーツマンの手足に浮き出る筋繊維のような彫りを伴って高くのびている。

自身の頭のてっぺんが水平になるくらい首を曲げてもその葉が確認できるにはほど遠く、したがって幹の低いところから出ているひこばえの葉を観察する。ひこばえの葉がやたらと大きく見えるのは遠近の差でも何でもなくて、どうやら巨木の低いところほど大きな葉が付くことになっているようだ。

実際、幹の中段あたりから出ているひこばえの葉は中くらい、木の枝先、つまり一番高いところに位置する木の葉はどれも小さい。
低いところには大きな葉が付いて、上に行くにしたがって小さくなっていく。

上は光合成に対して余裕綽々だから小さくても良い。下は影になりやすく、光合成に対して必死だから大きな葉を付けないといけないといったところか?
木は何百年いきていても意識はしっかりしているようである。この地に根を下ろして村人の生を何世代も見守り続けてきたようだ。そしてそれは、これからも続くことなのであろう。

宮ヶ原・天神社のスダジイ
ひこばえを観察する。
幹を観察する。
昭和八年拾月 石段改築記念碑 こちらも見事。

呼び名が3コ

スダジイの見学を終え、再び登ってきた石段を降り、車に乗り込む。再び仁科本谷林道入り口ゲートを目指す。途中、名郷橋を渡って以降は仁科川の流れを右下に見ることになるのだが、今日はしっかりと水が流れている。

今日は・・・、というのはこれから冬のシーズンにかけてこのあたりが伏流することを言っている。このあたりは別名「音無川」と名が付くほど季節によっては水が無くなってしまうのだ。水は見えている川石よりもさらに低いところを流れる伏流水となって下流へとつづく。

そして面白いのが、伏流が起こるのはこの名郷橋(本谷川起点の看板有り。合計で呼び名が3コあることが発覚!)の周辺であるということ。これまで仁科川と県道59号線は、近くなったり遠くなったりしながらも概ね並行するように続いて来たのだが、県道59号線が東進から西進に変わるヘアピンカーブのあたりを境に両者は離ればなれになってしまう。

県道59号線にだけ沿って走るハイカーは「源流域」の「非常に乏しい流れ(というより伏流)」を見て、

あぁ、源流域ともなるとこんなものなのか・・・。

という思いに陥ってしまう!?のかもしれないが、実際のところはもう太平洋なのに地平線に沈む夕日を見せてしまう西伊豆町のこれまたスーパーイリュージョン・自然現象完全フェイクであって、県道59号線のヘアピンカーブを曲がらずに仁科川と並行するように続く林道に入っていくと、いつの間にかちゃんとせせらぎを鳴らす仁科川に再び会うことが出来る。

なかなか面白い現象だと思うのだがいかがであろうか?

当日の県道59号線と仁科川

グリーンモンスター

仁科本谷林道入り口ゲート前に到着。準備を整え、目指す谷に体の正面を向ける。地理院地図上の流れは2本。北東方向に川上を見る仁科川本流と南東方向に川上を見る一本の沢。過去に、前者には入ったことがあったので、後者を選んだ。

新規開拓の遡行。未知の領域に入っていくことになるのだが、恐怖心は無い。そこがスズメバチの激戦区であったとしても、今はもうその心配はしなくていいのだ。

午後2時半。まずは仁科川本流の流れを横断する。川石にはピンク色のスプレーで矢印がマーキングされていた。そのままマーキングに従って川を横断し、そこから続く廃道おぼしき道を進む。道は当初、沢と離れていたが進むにつれて接近。一基目の堤体を前に出会うことが出来た。

伏流。

水が流れていない。すぐに頭をよぎるのは先ほどの名郷橋周辺のこと。季節によっては伏流するはずの川にはしっかりと水が流れていた。全体的にいえば今は“川に水が流れているシーズン”のはずである。

そんな中での伏流。ならばこの沢は恐らく四季を通じてほとんど水が流れないそれであるということ。台風通過前後や梅雨時期などには流れている姿を見ることが出来るのかもしれないが、一年のほとんどは伏流で推移しているということが予想できた。

その事実を裏付けるかのように現れたのが二基目の堤体(冒頭の画像)。堤体の水裏にびっしりとコケを生やしたグリーンモンスターであった。

一日を通じてほとんど太陽の直射日光が当たらない、落水によって泥を被らないなどの好条件がそろわなければここまで綺麗なグリーンは見ることが出来ないであろう。
少なくとも直近数ヶ月~数年程度にその状態がつづいた結果が「色」の濃さとなって現れている。

矢印に従う
サンショ沢、大入沢との文字が。
一基目の堤体

丸腰の相手

歌うより前にふと堤体を巻いて水表側を見てみる。

満杯になった滞留土砂。

大雨時にはやはり砂防インフラとして機能しているということか?

年毎による砂防機能の発動回数が気になる。

取り付けられた銘板を見れば、堤体の建造は昭和57年。
およそ38年の歳月のうちに大規模な土砂の移動は何回おきているのであろうか?0回では無いことは満杯になった滞留土砂が物語っている。過去には、何回かそれがあって、でもここ最近はご無沙汰なのだということをこんどは堤体水裏のコケが物語っている。

一つの堤体が受けた境遇をまわりに転がるヒントを拾っていきながら推理していく。そんなことが何とも楽しい。

堤体に向かって声を出すと当然ながらガンガン声が響いた。落水などによって抗ってくることも無い堤体を相手に歌って何が楽しいかといえば、そっくりそのまま落水の無い状態での響きを確認できることが楽しい。

通常、落水という「武器」を持った相手と戦うことを砂防ダム音楽の主旨としているから、それらを全く身につけない丸腰の相手を前にして、事前に研究をしておくのは非常に有意義なことであるのだということが最近わかってきた。

これは戦いの序章で有り、でも今日の日の砂防ダム音楽を楽しんでいるということなのである。

途中休憩などを挟みながら午後4時までゲームをし、15分ほどの行程で駐車していた車まで戻った。そのあと、西伊豆町の大浜まで走って水平線に沈む夕日を眺めたのち、町営温泉施設の「なぎさの湯」に浸かって温まった体のまま、「茶房ぱぴよん」に立ち寄り夕食をいただく。

頼んだメニューは煮込み磯そば。

一日の締めくくりは本日2食目のそばと、茶房(さぼう)のセットで迎えた。

なぎさの湯
ぱぴよん
煮込み磯そば
山本敬三郎氏は第44~46代静岡県知事
アカメガシワ
堤体全景。

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