愛鷹広域公園

愛鷹広域公園

3月9日。自宅のある沼津市内の愛鷹広域公園に行ってきた。

公園の南駐車場に車を停めると、その植え込みはすぐにあった。
ドウダンツツジ。
駐車場の一段上には、陸上競技場とその外周コースがあって、そちらへは階段を登ると行けるのだが、階段以外のスペース、急坂の丘の上にはドウダンツツジが植えられている。
ほとんどはまだ春になっていなくて槍先のような冬芽の状態を見せているが、一部どういうわけかかなり青くなっている箇所を発見。

違いは?よくわからない・・・。

一部はなぜか芽吹いて成長していた。
ほとんどはこちらの状態であった。

4日前の3月5日。

話しは変わるがその4日前の3月5日、皮子沢砂防ダムのある「筏場支線林道」に新規開拓で入った。

伊豆市南東部、大見川最上流域にはワサビ田で有名な大字筏場(いかだば)があるが、ワサビ田にかかる「小嵐橋」、「水之入橋」を渡ってぐんぐん坂を上がっていくと道はやがてゲートで閉ざされる。ゲートより先は一般車両等通行止めのため、そこより先は歩いた。

ゲートから500メートルくらい歩くと道は二俣に分岐。右を選んでまもなく現れたのが筏場支線林道起点。地理院地図によれば林道はぐねぐねと曲がりながらおおむね南進するようである。

小嵐橋

アセビ

この筏場支線林道を歩いていて印象的だったのがアセビ。自分の背丈よりも全然低いアセビの低木が林道脇にずっと植えられている中を歩いた。林道は未舗装道路で、恐らくはその未舗装道路に使われている土が雨で流されたりしないようにといったことで植えられたのだと思う。

この低木の常緑樹は樹皮、枝、葉、花全てに毒があるようで、ニホンジカが増えまくる伊豆山中にあっても何のことやら関係なし。ほぼ完全体の樹勢を常に見せてくれた。アセビについて、もっとよく知ろうと自宅に帰ってからネットなどで調べたら、ドウダンツツジとよく似ていて見分けづらいとのことだったため、ホントかと冒頭のとおり比較に出掛けたのだった・・・。

結果はご覧のとおり。ドウダンツツジは落葉樹で葉がほとんど落ちており、比較は出来ず。
あと1ヵ月程度遅かったら、うまく比べられていたかもしれない。

アセビ
よく見ると鳥の巣が。
花はこんな感じ。

大きな音楽

堤体のほうであるが、皮子沢砂防ダムとその上流にある3本の堰堤を回った。時期的な問題があったか?落水は見ることが出来ず。

こんなことも新規開拓ではよくあることだ。また梅雨以降、夏にでも再びこの地を訪れようか?堤体がダメだったのは確かだったが、この場所で、この時期にしか見られない植物の姿をいろいろ見ることが出来たのは良かったと思う。

堤体を前に歌うという行為だけがこの音楽の醍醐味では無いということは、これまでの経験からすでに明らかなこと。今日、自分が歌う場所がどういう状態にあるかということももちろん大事だが、そこにたどり着くまでのプロセスというか、まずそこに行くまでに見られた景色をどれだけ楽しめたか、といったところからこの音楽は始まるような気がする。

自分自身のそれまでの知識や経験を材料に、そこで見たものが美しいとか、汚いとか判断をすれば良い。

今回はアセビという植物をずっと見ながら林道を歩いた。それに対して自分がどう思ったか?毒に対する不快感も、花に対して美しいと思う心も、鳥の巣から感じ取られる事もすべて自分の心に対して影響を与える要素であったと思う。

歌をうたうのにはまず自分の心があるはずだ。

山を歩いてその先で音楽をするという行為は、良くも悪くも安定していない。不安定だ。良い時もあれば、悪い時もある。であるからこそ、様々な条件が噛み合ってうまくいったときの快感は音楽室で得られるそれとは比べものにならないほどの強烈さがあって、私はこの音楽にハマっている。山を歩くなかで常に自然界の現実を見させられながら音楽を楽しんでいる。色々なものを見て、影響を受けながらその時の心でその時の音楽を楽しんでいる。

見たものから音楽表現上の栄養素をもらっているので、それをうまくエネルギーに変換していけるように体質改善していきたい。必要なものは教養だと思っている。教養が無ければ、今、目の前にあるものをまず栄養素として受け取ることが出来なくなってしまう。何時でもそこに待ち構えていた自然界の財産をなるべく受け流すようにすること無く、自分のものにして、それを音楽に反映させ、より充実度の高い大きな音楽を楽しんでいきたいものだ。

皮子沢砂防ダム

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