夜が明けない。
7月2日午前4時、場所は伊豆市筏場。
夏至をすぎてまだ10日ほどしか経っていないにも関わらず、空がまだこんなにも暗いのは夜半まで降り続いた雨の影響か?
車の助手席側は土地が開けているはずで、ならば山によって空からの光が遮断されているわけでも無いが。
片側1車線に広く改良された農道の左端に車を停め、夜が明けるのを待った。
ようやく。
ようやくデジカメでしっかり撮影出来そうな明るさになったのは、午前5時半すぎ。車を降りる。
開けた土地に広がるのは広大なワサビ田。きれいに四角く区切られた棚田が延々と連なり、その棚田ひとつひとつに生えるのはワサビの葉。黄変してしまっている葉が多く見られるのは、ここのところの優れない天気の影響か?
摘み取りの手を待つような状態のワサビ苗。
それは美しいとも言い難く・・・。
せっかく待ち望んだシャッターチャンスの不発に肩を落とし、ふたたび車に乗り込んだ。林道奥にある駐車スペースを目指す。
救世主となるか?
午前6時20分、林道奥の駐車スペースに到着。本日はここから林道を1.2キロほど歩いて堤体に向かう予定。
車から降りて準備をはじめた。フローティングベスト、ヘルメットを身につけるあたりはいつもと変わりない。いつもと違うことといえば、背負子を用意した。
林道を1.5キロほど歩いたのが、前回のエピソード「堰口川の朝ゲーム」でのこと。
歩きの行程としてはおよそ40分ほどであったが、そのあたりに大失敗を犯している。
まず・・・、とにかく暑い。
長く袋状に縫製された胴長靴の中では、通気性がすこぶる悪い。歩行運動によって温められた体の熱はウエーダー内で一切といっていいくらい抜けることができない。
かいた汗は多量の水分となって溜まり、不快感が高い。さらに抜けることがない体の熱によって、必要以上に体力を消耗してしまった。
さらに体力の消耗といえば、
歩きにくさ。
先端部分がレインブーツのように作られたウエーダーは若干の歩行困難が生じた。一歩・・・、二歩・・・、という程度の移動距離では“若干の”といったあたりを笑っていられるが、これを100メートル、1キロと長い距離に続けようとすればするほど感じる歩行性能の悪さ。
何故にスニーカーを持って来なかったんだ?
目的地にもスタート地点にも遠い林道の途中で大きく困り果てたとしてもあとの祭り。かといって裸足で歩くわけにもいかず・・・。
解決方法を探ったのは後日談。
果たして今日は?と用意したのは背負子。救世主となるか?
ウエーダーは背負子にくくりつけた。足元を固めるのはスニーカー。タウンユースの歩行となんら変わりない出立ちで、本日は林道歩きをスタートすることにした。
晴れる。
午前6時45分、林道歩きをスタート。
カーブが続く道を歩いていると日が出てきた。「晴れる。」と言っていた天気予報のとおりになりそうだ。
ゲーム内容は良くなるに違いない。
あとはいい風が欲しい。
スギの木立のあいだから降りてくる日の光を見ていると、なんとなくではあるが気温も上がっているような気がしてくる。
・・・、心には余裕しかない。
本日はウエーダーを履いていない。下半身を見ればズボンの裾口、くるぶしを覆う靴下、足先をがっちりサポートするスニーカーへと続く。
元気よく前に進もうと意識すればするほどに、ズボンの裾口からは新鮮な空気が外から内から出入りする。
前回のそれとは比べものにならないほどの快適性を手に入れた林道歩き。過去の自分自身に対して言えば優越感しかない。
途中、休憩を挟みながら歩き続け、入渓点には午前7時半に到着した。
それが無くとも油断せず
入渓点となるのは「唐沢橋」。橋上から渓を覗き込む。
予想に反して全く水が流れていない。
渓の水が川石を叩くような音が一切せず、それゆえに先ほどまでの林道歩きでうすうす気づいてはいたが、沢が完全に伏流してしまっている。
橋の名前が唐沢=涸れ沢というあたりに、ちゃんと先人たちがこの沢の何たるかを説明してくれていたところ、それに反発して本日、降雨後に来てみたのだが全くもって意に介さず。天城山北陵に広がる当地は、多量の雨水を完全に地下水へと処理していたのだった。
入渓しよう。
背負っていた背負子を降ろし、スニーカーからウエーダーに履き替える。水が流れてもいない沢でいちいちウエーダーを履くのは、川石にびっしりと生えた苔で滑らないようにするためと、圧倒的に優れる防虫効果のため。
靴底に張られたフェルトによって、苔の生えた石に乗っても滑りにくい。また、足元を完全に袋状に覆いこむことで、肌にちょくせつ虫が付くことを物理的に防いでくれることができるとあって、ウエーダーを履くことの利便性は高い。
晴天による暑さはなんとかなるであろう。本日は前回と同様、午前中だけ遊んで帰るつもりであるし、ここの堤体は渓畔林が素晴らしいはずであるから、木陰によって直射日光から守ってもらえばいいだろう。
やはり重要なのはアレ。
午前8時、水の無い沢に入渓する。
堤体は入渓直後に現れる。名称は「菜畑川第8号コンクリート谷止」。供用は昭和55年ということで、建設からは40年と少し経っている。
40年のあいだには上流から運ばれた土砂によって堆積地ができたり、下流側に洗掘ができたり、他所からの散布によって植物が生えてきたり、堤体本体や川石に苔が生えたりと様々な変化が起きている。
堤体だけが人の手によって作られた人工物で、そのあとまわりにあるものは全て自然物だ。堤体本体を中心として出来た自然物の変化を見ることが楽しい。
取り出して確かめるほどでもない無風の風を風速計で確かめてから、自作メガホンをセットし声を入れてみる。
自身の声に対抗してくるようなノイズは一切無く、ただただ反響板としてはたらく堤体本体と渓畔林に、声を入れてみては返って来てのくり返し。無抵抗な環境に対して声を入れていくことに起因する、物足りなさのようなものは正直無いとも言うことが出来ない。
そして、そんななかでも気づかされる無風による響きの悪さ。
声が森の深く向こうまで到達している感じがまったく見受けられない。非常に狭い範囲で響いているせいか、自身の耳までに到達するまでの時間も早く、響きとして声が聞き取りづらい。
これだったら水がガラガラ鳴っているような渓において、風もそれなりに吹いている状況下であるほうが歌を楽しみやすいはずだ。
全てがゲーム
全天を覆うほどの渓畔林の下、午前10時まで過ごした。
その間は断続的に晴れていたが、とくに目立って暑さを感じたりすることもなく過ごせた。
「暑い。」ということは経験上、歌う場所探しにおいて負の要因としてはたらく。歌いやすい場所というのは、出来るだけ気温が低く、また暗いところがいい。
たとえば気温の面、照度の面、両者を兼ね備えた場所を探すために自然界を駆け回ったとすれば、人は最終的に岩陰のような所に到達するはずだ。
大きな岩の塊の下に深いえぐれがあって、その中に人が入り込んだ時、最大の気温の低さ、最高の暗さを手に入れることが出来るであろう。
まるで建物の中にでも居るかのように。
一方、今回入った堤体前のように、「全天を覆うほどの渓畔林」というくらいでは、到底そのレベルに太刀打ちすることはできない。
しかしながら、堤体前の空間というのは堤体本体によって壁が出来ていたり、河床の洗掘作用によってサイド方向にも壁が出来ている。
上方には屋根となる渓畔林の樹冠があることから、これまた建物の中にでも居るような感覚で過ごすことができる。
さらにいえば、岩の塊のときには無かった「方位」という概念が存在することで、太陽の位置との関係を意識するようになり、その場所で「いつ過ごすのか?」といった計画性が生まれる。
このあたりは、直線を伴って設計された人工物であるところの恩恵が大きい。
つまりはゲーム性があるということだ。
この日入った堤体は水が完全に伏流してしまっていた。しかし、これはゲームを構成する一つの要素である。
今回、当地に降雨後に来れば地表水となった水が見られるのか?との予想(訪れようとする動機)があってこの場所に来たわけだし、実際に来てみて伏流する沢の姿を見るという予想外の出来事があり、音響ノイズの全くない無抵抗な堤体相手に歌ったり、その中でも無風という自然条件が歌い手に立ちはだかったりという一連の展開があった。
全てがゲームなのであると思う。計画→実行→現状把握→対処といった一連のゲーム展開がある。そして、予想もしていなかった状況が目の前に現れる「現状把握」の段階そのものは、ゲームのストーリー性を格段に高め、都度プレーヤーに対して大きな課題を与えてくれる。
予想の付かないことが目の前に起きていて、その事に対してこれまでの経験をもとに対処していく。また、技術でダメなら道具に頼る。
今回の経験がまた、自分にとってはプラスになっていくであろう。今後に展開する砂防ダムの音楽において、さらにゲームをおもしろいものにしていくためのヒントにしていきたい。
午前10時すぎ、爽快な気分とともに退渓。ふたたびウエーダーからスニーカーに履き替える。帰りの林道は行きと同様、快適性とともに歩み続けた。