画像は、前回入ることの無かった大沢川の林道入り口である。足柄峠から約4.0キロメートル下りてきた地点にあるゲートだが、気になったため今回はこちらに入ってみることに。見えづらいが画像右端にある林道名は「林道大沢線」である。地理院地図を用いて俯瞰すればすでに明らかであるが、ゲート入り口すぐには名前にある「大沢(大沢川)」を見ることは出来ない。本日はここから1キロも無いくらい、ぐねぐねに曲がった林道を歩き、とりあえずは大沢川に出会ってからという感じで始めてみようと思った。
2月20日、午前。ゲート左端のすき間から林道内に入る。直後には2台のグラップルがお出迎え。
そういえば前回、ここに来た時、もうしばらくは入れないか?と思っていた。ここに重機が置いてあるということは、今現在この林道が何らかの作業中であることを意味しているのだと勘ぐったからである。前回は、すでに書いたとおり午前中に結構な雨が降っていたので、その雨に影響されて現場が作業中止になり、停車中の重機を見たのだと思いこんでいたのだった。
それでは、通常の晴天時にここに来ればくだんの重機は絶賛稼働中で、砂防ダム音楽などというレジャーの人間はたちまち排除されてしまうのだろう、と考えていたが、当日はご覧の通り休止中。どうやら今日このタイミングにおいては林道内に立ち入っていくことはできそうである。
二重線の連続
ゲートから歩きはじめて15分ほどで、水のしっかりと流れている沢に出会うことが出来た。間違いない、これが大沢川だ。しかも地理院地図には描かれていなかった橋も見つけることができたため、ここから下流方向にも楽々進んでいくことが出来る。
下流側に行くか?上流側に行くか?
今一度地理院地図を見てみると、上流側には二重線の連続がある。これは階段工の可能性ありということで、今回は下流方向に歩くことにした。砂防ダム音楽家の悲しい性(さが)とでも言おうか、やはり日常的に大きな堤体を目指してしまうものなのである。階段工もときには大変見事なものに出会うことがあり、こちらも決して無視は出来ないが、はっきりと本堤だけ、もしくは本堤+副堤だけでドーン!と構えている堤体がやはり好きなのである。
大きな堤体に期待感を抱きながら歩を進める。
林道大沢線の印象
林道大沢線の印象。なんて偉そうに書いてしまったが、これはもうお隣りの滝沢川沿いの林道とあまり違いは無い。今回もいろいろ画像を撮ってきたが、見ていただいてのとおりである。
今回、この大沢線を下流の基点までフルに歩いてきて、林道上への倒木、土砂の流出、林道そのものの洗掘など多数見てきた。酷い、というよりは前回の滝沢川含め、これが当地の山の“個性”なのかなと思った。決して優しいばかりで無く、荒れるときは荒れる。人間とは平穏に共存していくことが出来ない難しい山だと思ったのだが、別にそれが嫌であるとか、改良しろとかいう風には思わない。
当地に居住しているわけでも無い、全くの“よそ者”ならではの極めて楽観的な言い分に聞こえるかもしれないが、このような個性に触れることが出来て正直、幸せを感じた。林道の決して短くは無い区間の洗掘から判断して、これを仮に全面復旧するとすれば莫大な労力を要するであろう。
そんなことをする必要があるだろうか?きれいさっぱり改良しました!という林道でも河川構造物でも、とても残念なところを今までいくつも目にしてきている。物理的に通れるだとか、スムーズに流れるだとかいうことも確かに大事であるとは思うが、人の心に対して不安感を与えるような、近寄りがたい雰囲気を醸し出すような山こそ排除していくべきだと思っている。
土砂災害が全く起らない完全体の山など要らないし、作る必要も無い。
大沢川沿いには車の走れない極めて不便な林道が続いていることがわかった。でもそれはこの山の個性から発揮される極めて素直な道の姿であって、その姿に感動を覚える人は結構いるのかもしれない。少なくとも、私にとってはいい思い出が出来たのだということをここに記しておきたい。
やめられない。
結局、歩きに関しては林道大沢線基点を越えて東名高速上り線高架下の通行止め看板(前回見た地点)まで行ったあと折り返して、再び最初のゲートまで戻った。途中、看板を見つけて「遊女の滝」に下りたり、歌は滝から数えて2つ上流側の堤体で楽しんだりした。
堤体を前に音楽をしに行っているのだけれど、やっぱり楽しみはそれだけでは無いということが再確認出来た砂防ダム行脚となった。その場所に行くまでに色々なものを見たり、感じたりすることの出来る楽しさがこの音楽にはある。練習室やホールで歌うのではこういったことはなかなか味わえないのではないか?
こうなると砂防ダムの音楽はやめられない。