駐車スペースをどうするか。
いろいろな目的地に行くときに、毎回どこに車を停めるのかということに迷う。
目的地とは堤体のことであったり、観光施設であったり、店であったり。
行き先が観光施設や店であったら、専用駐車場にそのまま駐車すればよい。
対して、行き先が堤体の場合。行き先が堤体の場合は、駐車スペースについて、ほとんどの場合が道路上となる。
堤体といえば、山間地域の交通量少ないところにあるもの。ならば車を通過させる。車を駐める。いずれの場合にしても、あまり競争のようにはならない。
たいていのところは路上駐車というものにあまりシビアでは無く、お好きな場所へどうぞという感が強い。
事業主や省庁が管理するような区域であれば、この限りではない。しかし山間地域全般、道路というものに対してはどこもおおむね寛容で、駐車禁止エリアのようなものは少ない印象を受ける。
自由に停められる場所が多い。
自由の許すかぎりの範囲で、法(刑事)、民事ともに犯さないような場所に停めることが出来ればよいであろう。
では実際、車を停めるときにどうするのか。
いちばんに目指すものといえば、堤体の至近に車を停めること。
堤体至近に車を停めることが出来れば、車を降車したあとの「歩き」の行程を最小限に抑えることができる。
なるべく歩く距離を少なくして、楽をしてやろうという算段だ。
まず、道路をよく見る。
道路をよく見て、車がきちんとすれ違えるような場所を見つける。
もちろんこれは堤体至近がいい。できる限り堤体に近い場所で。
そして、その見つけたところ道幅ギリギリに車を進入させ、駐車する。駐車ができたら車を降りて確認する。
後続する車両、すれ違う車両が問題なく通行できるような状況になっていれば、駐車は完了だ。
超短編小説〔盗橙〕
10月27日、午前9時。山梨県南巨摩郡富士川町箱原。
やはり今回も駐車場所に迷った。
迷った末、車は大柳川右岸の未舗装区間に駐車することに。ここは集落の外れのような場所だ。
たとえばこんな話し・・・。
〔盗橙〕
ある町に一本の柿の木があった。
季節は秋。
柿の木は跳ねるような枝に、瑞々しい、ずっしりとした実を付けている。
ある朝のこと。
朝日を受けて橙に光る柿の実。
橙の明かり。その明かりに吸い寄せられるように一人の男がやってきた。
男は寒いのか、上着に来ているジャンパーのポケットに手を突っ込んでいる。
寒いわけはない。きょうは朝とはいえ、すでに気温が21.4度もある。
男は柿の木の下に立つと、何かを注視するように遠くを見ながら、小さく独りごとを言っている。
金襖子が虫を食む瞬間はとても早いらしい。
突然、男は自分の頭上にある橙に手を掛け、腕の力で引きよせるようにその実を枝ごと強引に引っ張った。と、次の瞬間には力強く実を手折ったのだった。
男は、鋭く引きよせた腕をジャンパーのポケットに仕舞い込む。
近くに停めてある車のハザードランプが光った。男の車だ。
男は静かに歩み出すと、次の瞬間にはもうすでに運転席の中にいた。
車のエンジンが掛かり、走り出す車。
男の車の後部座席には、横一列きれいに並べられたコンテナと、満杯の柿の実が同乗していたのであった。
完
駐車スペース選びというのは正確な予想が必要であると考える。
単に車がきちんとすれ違えるようになっていれば良いというものではない。
地域住民の気持ちを読むこと。その場に置かれている車を見て、その地域に住む人々がなんと思うのかを予想する。
正確な予想は難しい。
自分自身にとっては毎日乗って見慣れている自家用車であっても、地域住民にとっては見慣れない車。不審車両が停められているという判断を下されてしまうかもしれない。
怪しい車に間違われないために。
できる限りの努力。
集落の外れに駐車した。
大柳川の谷に分け入る
午後0時。
柿ドロボウではなく、この日は魚捕りに出かけていたのだった。
午前中いっぱい遊んだ魚捕り。
午後0時半、富士川町箱原を出発。
石鹸か?ハンドソープか?
自家用車のハンドルを握る手からは猛烈な匂いがしている。
これは異臭騒ぎに該当するような匂いではない。幼少期にはよく嗅いでいた匂いだ。
手にべっとりと付いたアブラハヤのぬめりを嗅ぎながら、大柳川の谷に分け入った。
午後1時。富士川町かじかの湯に到着。
真っ先にトイレへと駆け込んだ。
ハンドソープだった。
流水で匂いが消えるまでしっかりと手を洗った。
本日は新規開拓
午後1時50分、かじかの湯を出発。
申し遅れた。今日の堤体は、新規開拓の堤体だ。
なるべく早くに到着して、現場の状況をいち早く把握したいという思いがある。かじかの湯はたしかに建物内に入った。しかし、浴場ののれんはくぐっていない。ハンドソープで手を洗ったことと、昼食を摂っただけ。これで充分。先を急いだ。
午後2時、「十谷入口」バス停前を通過。
午後2時5分、つくたべかん前を通過。ここは当地域の伝統食「みみ」が出されることで有名らしい。今回はお預けとなったが、また機会を見てぜひ訪問してみたい。
午後2時10分、民宿「山の湯」まえを通過。
午後2時15分、林道五開茂倉線林道ゲート前に到着。
着衣のもの足りなさ
車から降りて入渓の準備。
川へ立ち入る際に必要なウエーダー。ウエーダーはどのタイミングで履くかということを考える。
この場ですぐに履き替えるというのが一つの作戦。
もう一つの作戦は、まずとにかく靴を履いたまま堤体に向かう。肝心のウエーダーはアルミ製の背負子にくくりつけてせおい、堤体の直前にたどり着いたタイミングで履き替えるというもの。
目指す堤体は、林道ゲートよりおよそ1.5キロ歩いたあたりにある。
測ってみれば気温は17.2度。肌感覚的にはTシャツ1枚でちょっと寒いくらいだ。
この場でウエーダーに履き替えることにした。
但しこれも条件つき。
上半身は半袖のまま行くこと。何となく想像できるのが、上半身長袖を着たあとに待っている大汗ダラダラの展開。ちょっと寒いと感じる着衣のもの足りなさ。しかしそれを歩行運動にともなう体温上昇によって補完することが狙いだ。
ほか、フローティングベスト、ヘルメット、動物よけのホイッスル等を身につけ、さらに登山用ポールを片手に握ったところで準備完了。
午後2時35分、林道ゲートを越えたところで歩きをスタート。
林道はゲートから500メートルくらいの区間で針葉樹の下を歩く。500メートルを越えたあたりで堤体(堤体名不明)の堆積地を見下ろすようにあるき、それと同時に木は広葉樹に変化する。
林道のカーブに差しかかる手前では動物よけのホイッスルを吹く。吹き方については目下研究中である。
ところどころ紅葉で色づく木々を見ながら目的の堤体を目指した。
午後3時25分、林道と大柳川が平行する地点にて堤体(堤体名不明)を発見。
扇子状に広がっていく空間
林道ガードレール下およそ20メートルのところに大柳川の河床があり、そこから上流100メートルほどに堤体。堤体は二段構成で、上段は目視で分かるほど方位が反時計回りにズレている。
両者が副堤、主堤の関係であるのかは定かではない。しかし、距離的にもほとんど離れていないことと、左右両岸、岩壁でひとまとめに覆われていることからすると、二基一組と考えて声を入れていくのが妥当といえそうだ。
堤体二基をまるまる飲み込むほど岩壁は鈍角にもり上がり、上層部分には渓畔林を配している。
いちばん下には狭い水路。そこから上に行くにしたがって扇子状に広がっていく空間。空間は最後、広葉樹の枝葉によって天井が仕立てられ、適度に空からの光を遮断する。
難点が唯一。唯一、下段側の一基の放水路天端に割れが見られる。
放水路天端の下流カドが割れてしまっていて、その部分に左右両岸側から水が集まるように流れ込んでしまっている。
割れの影響として、本来湛水で帯状に落ちるはずの水が、棒状に変化してしまっている。
堤体前が全体的ににぎやかということもあり、棒状放水によるノイズ面での影響はほとんど感じられないが、落水そのものの見ためとして、暴れるように落ちていく様が決して美しいとは言い難い。
予想は・・・、
自作メガホンをセットし、声を入れてみる。
良く鳴る。
両岸にもり上がる岩壁は、入れた声を素早く返してくれる。
声をしっかり拾ってくれ、
拾った声を失わないで返してくれる堤体前ができ上がっている。
空間は水のノイズでにぎやかな状態であるのに、そのなかで声を響かせて歌をしっかり歌うことができる。
空間の扇子の芯の部分について、その狭くしぼられた水路にともなう激流ノイズでは、中できちんと声が響いてくれるという不思議。
大きな岩壁の中に転がり込んで、入れた声のすべてがノイズに飲み込まれてしまうくらいの状況を予想したのであったが、予想は外れた。
声を入れたときに、響き作りをアシストしてくれる岩壁が左右両岸に待っていてくれたのである。
正確な予想ができるようになると
結局、この日は午後5時まで堤体前で過ごした。
とにかく今回は、堤体前の見ためから受ける印象と、実際声を入れてみた時とのギャップが大きい堤体であった。
あちこちの堤体に出掛け、歌うという行為を繰り返していても、まだまだわからないことが多い。
砂防ダム音楽家という専門であるならば、堤体前における響き作りについて、その時どのような展開が待っているのかを判別できるスキルが必要であると日々感じている。もちろんこれは、実際声を入れてみてということではなく、その堤体前の様子を見ただけで結果を予想できるスキルということである。
正確な予想ができるようになれば、
新たに待つ世界。
響くのか?響かないのか?
正確な予想ができるようになりたい。そのもととなるのは観察力。
水がどう流れている。
木がどう生えている。
岩がどうなっている。
風がどう吹いている。
いろいろなものをよく観察することで、予想が正確になる。予想が正確になるということは、予想が当たるようになるということ。
予想が当たる。このことは堤体の音楽の新たな楽しみに繋がるのではないだろうか。
その領域に到達するために。
堤体前に立って歌うことが楽しく、さらにプラスして、予想が当たるという新たな楽しみが待っているはずだ。