離島に来てしまった気分

展望台から望む。

4月6日、正午すぎ、戸田しんでん梅林公園を訪れた。展望台のある一番高いところを目指して坂を駆け上がる。斜面に生える梅の木は新葉の季節で、それらが海風に吹かれてさらさらと揺れている。

展望台に上がると、旧戸田村の集落が一望出来た。集落は手前側もそうだし、南北が山に囲まれていて、一部は死角となっているのだが、これでほぼ全域を望んでいる。人口は3千人と少しらしい。“村”の中央を流れる戸田大川のせせらぎの音が聞こえる。あとは県道18号線の坂を上り下りしていく車の音が時折聞こえる。

そんなふうに耳からはいろいろな情報が入ってくる。でも、やっぱりこの村は静かだ。今、日本中の観光地が閑散状態と化しているようであるが、こちらに関しては・・・、

いつも通り!

の静けさで迎えてくれている。今、ここに来るまでに、たしかに陸続きの道を自家用車で走ってきたはずだ。だけれども、これはどうやら離島に来てしまったような気分になっている。

戸田港

海苑

時刻は12時台。午前中に使った体力、ここに車で来るまでに消費した体力があった。体は遡行前の食事を要求し、それではと海苑に寄ることにした。

いつもの壁向かいのカウンター席に座った。今日は女将さんと、もう一人、男の方の2人で切り盛りしていた。もう少し若い男が厨房にいることもあるが、今日はいなかった。女将さんは村外の人間である私に対しても、いつもやさしく接してくれる。こちらは気まぐれで登場する、一見さんであるというのにも関わらず、嫌な顔をされたことが無い。

客観的に見れば今は自治体を同じくした沼津市の客へのもてなしになるのだが、この店の“商圏”を実質的に考えた時、その有効レンジはめちゃくちゃ広いと思う。日本の首都、東京と言ったってけっして遠すぎはしない。地図アプリで調べてみたらその距離は166キロ(東京日本橋~沼津市戸田地区センター)で、所要時間は2時間23分だという。

これは近い!

と言うのが、戸田を知るものとしての感想。東京都内というか、首都圏に住んでいて、毎週末を戸田で過ごす週末型村人というのも、必ずやいるはずであろう。戸田を知らない人に説明すると、戸田というのはそういうところなのである。ここは伊豆半島という陸続き地形の中にある一つの村であるが、まるで離島にいるような、それも気候も人も本当に暖かい風土がここにはある。依存症になる。本当に、ここは・・・。

暖かいラーメンが運ばれてきた。余計な手出しはすまいと静かに麺をすする。ゆっくりしていたいけれど、今日はそれが出来ない。ここへ来て、食べさせてもらっただけで本当にありがたいことなのだ。足早に完食し、代金を渡して店を出た。

海苑

腹も満たされ

腹も満たされたところで、午前中の疲労感も抱えたまま県道18号線を戸田峠方向に向かって走る。今から何をするかはもう決まっている。遡行前・・・の、

昼寝タイム!

入渓点前の駐車スペースに車を停め、スマートフォンのタイマーを15分にセットする。もうちょっと長く寝ていたい気もするが、先ほど海苑で食べたラーメンの味がまだ口の中に残っている。そして今日のこの春の陽気。幸せすぎて、眠ったまま最後二度と起きられなくなるのではないかという心配があるので、15分で強制終了することを条件に車のシートに身を預けた・・・。

15分は意外と長く、実質眠っていたのは前半10分くらい。あとの5分はあえて目をつむったままポカポカ陽気を満喫した。

入渓点

800メートル

午後2時前、車から降り、入渓前の準備を行う。これまでのシーズンではズボンの下にアンダータイツを一枚履いていたが、今日はもう要らないだろうということで脱ぎ去った。上半身もこれまでより一枚少ない格好にして行くことに。気温は18℃ほど。暖かいことに間違いは無いのだが、時折海の方から吹き込んでくる風はまだまだ冷たい。

準備を済ませいよいよ入渓する。入渓点はまず見える堤高3メートルほどの堰堤を巻いてからはじまる。すんなりとこれをかわし、沢を登り始める。入渓点にあった指定地看板によれば、この沢は六郎木沢というらしい。戸田の中心を流れる「戸田大川」があってその支流「北山川」があって、その北山川起点よりさらに上流の区間がこの沢なのであろう。

川幅は1メートルから広いところでも2、3メートルほどしか無い。しかし、水は割としっかり流れており申し分ない。金冠山という標高816メートルの山に端を発した沢であるとの事だが、やはりこの800メートルぐらいからを境に沢というのは、水の安定供給という面で分かれてくる。これより低くなってしまうと、伏流を見ることが多い。

今のような冬~梅雨前までの季節は特にそうなりやすいので、遡行時に水を見続けるかたちで登っていきたいのであれば、まずは標高の数値を気にして場所を選定すると良いと思う。ちなみにこの旧戸田村東部の頂はほかに達磨山(982メートル)がある。つまり旧戸田村の東部山麓であれば、基本的にはどこでも一年中、伏流する事無く流れる沢を見続ける事が出来るということである。

しっかりと水が流れている沢

くるみの木

堤体であるが、入渓点から40分ほどのところに1本、それから20分ほどのところに1本、さらに1時間ほどのところに1本見ることが出来た。自分の中で最も楽しめたのは2本目の堤体で、堤体の2階部分にヤマザクラの木を見る事が出来た。当初は全然この歌を歌う予定に無かったのだが、そこで選んだのがシューマンのくるみの木。

さくらの木に対してくるみの木を歌うのは、おかしなことだという意見もあろう。だがこの曲の中には実質的な主人公となるくるみのBlüten(花々)がNeigend(傾ける)したりBeugend(曲げる)したりするとある。くるみという樹種にこだわってイメージすることも大事かもしれないが、その詩の言葉から感じ取られた「柔らかさ」を表現するのにヤマザクラの花や新葉は最適と言って余りあるものであった。

なにより、このくるみの木という曲に対して、入渓の段階では全く歌うことを予想していなかったところで、自然発生的に自分の中でやりたくなったというあたりが、すでに痛快そのものなのである。
―今日はこんな感じで登って、あそこでこんな景色を見ながら誰々の作曲した○○を歌ってみよう。―といった事前計画に基づいた歌でないことのおもしろさ、負担なき軽快さはお解りいただけるであろうか?

自然環境が選曲のヒントを与えてくれ、イメージを与えてくれ、渓畔林となって響きを作ってくれている。砂防ダム音楽家としてこれ以上の幸せは無いのではないか。

2本目の堤体を前に歌いながら過ごすこと1時間。港町の時報が鳴ってしまうと慌てて(それでも慎重に)沢を降りた。

入渓点。(退渓時に撮影したもの)
イヌガヤとそれに絡みつくアケビ
1本目の堤体。左岸側のデカいのはおそらくムクノキ
3本目の堤体。上に林道が走っている。
海風に揺れる新葉と花(ヤマザクラ)
ヤマザクラと堤体
2本目の堤体前で歌っているところ

大好き河津町!vol.7

このギャグがお分かりだろうか?

上の画像をご覧いただきたい。この場所は河津町河津筏場、多目的広場のトイレ前で撮った一枚。地面を指さして、なにを面白がっているのかと言えば、この一帯に敷かれている砂利が「岩滓(がんさい)」と呼ばれる形質のものだからである。別名をスコリアという。

自分が勤務するホームセンターのエクステリア部門ではこのスコリアを取り扱っていて、お客から訊ねられる事が多い。使い方として、こんなふうに駐車場に敷いたり、庭に敷いたりする目的で買っていくようである。また、ホームセンターという個人向け以上の使用量を要するところには、路盤材として使われるようだ。

多孔質で水分をよく吸収するため、透水性に優れた、つまり水はけの良い舗装路面が出来上がる。なおかつ、その吸収した水分についてはそのまま保持されるため、夏の猛暑の時などは地面の温度を比較的低くおさえる事が出来る。

さらに上の画像にあるような赤色のものであればなかなかおしゃれであるとも思う。グレーカラーの砕石には無い、暖かみのようなものが感じられる。

鉢ノ山

確認作業

一方でこちらは多目的広場を別角度から撮ったもの。真ん中でデーン!としているのは「鉢ノ山」である。

鉢ノ山もたしか・・・

自宅にある伊豆半島関連の資料を探してみたところ、「東伊豆半島ドライブジオマップ」というパンフレットにたどりついた。DM折りされたパンフレットをていねいに開くと、〔鉢ノ山 3万6000年前にできたスコリア丘(東伊豆半島ドライブジオマップより)〕とある。

やはり鉢ノ山はスコリア丘であったのだ。冒頭の画像だが、スコリア丘を眼前とする多目的広場トイレ前にスコリアを敷くというギャグは誰が考えたのか?と面白がっていたのである。(ギャグじゃないかもしれないが・・・。)

東伊豆半島ドライブジオマップ

佐ヶ野地区

この鉢ノ山および多目的広場であるが、河津町内では佐ヶ野地区に属する。同町に佐ヶ野という住所は存在しないが、近辺を南北に横断するのが佐ヶ野川でその最下流部には下佐ヶ野、そこより少し上流部には上佐ヶ野という地区がある。

伊豆中央の大動脈、国道414号線が南西方向にカクッと折れ曲がるのが河津町内下佐ヶ野の信号。信号名を言うより特徴的なのがセブンイレブン下佐ヶ野店。そのセブンイレブン前の信号を北東方向に曲がると、佐ヶ野地区に入る事が出来る。

道なりに進めば、あおきフード物流センター、上佐ヶ野公民館、河津浜病院などがあり、下佐ヶ野の信号より3.8キロ地点にあるのが前述の多目的広場。この多目的広場には駐車場があるため(画像を見ての通り。)、鉢ノ山に登る際はこちらに車を停める。

そして、この多目的広場以降のレジャースポットとしては2軒のオートキャンプ場と三段の滝がある。ゆっくり時間を掛けて佐ヶ野を満喫したいのであれば前者、限られた時間の中で名所を見たいというのであれば後者といったところであろう。

ミカンの実が黄色に輝く。
品種は甘夏、ニューサマー、福原など
三筋山のウインドファームが見える。
こちらにも駐車場はある。
三段の滝

左官屋

3月26日、入渓点を三段の滝とし、そこから約1キロほど上流にある堰堤を目指した。この日はスタートが午後になってしまったのだが、その午後の時間は超快晴。太陽が佐ヶ野川の水面をギラギラ照らすなか、遡行する事が出来た。

三段の滝ももちろん見事なのだが、それより上流部もまた見事であるということに気付かされる。一枚岩の上を水が滑り落ちていくナメのヵ所が多く、それらが緊張感を和らげてくれる。滑ってケガをすることも考えられるため、けっして侮ってはいけないナメだが、石の取り除かれた平滑な面を水が通り抜けていくその様を見ていると、どう見てもこれは“人工物に違いない”と思うのだ。

左官屋が来て、きれいに仕立ててくれたのだとしか思えない。足跡の無い渓を歩くことは緊張感を伴うものだが、そうやって誰かが「やってくれた。」と「勘違い。」しながら歩けるなんて、なんて幸せなヤツなんだと我ながら思う。

堰堤には入渓から40分ほどで到着した。

深い淵
洗濯槽みたいなタルミ
ヒサカキの花

ハイブリッドの堰堤

ここの堰堤は鋼鉄とコンクリートのハイブリッド。鋼鉄が川の下流側に向かってせり出しているため、樹木が引っかかったりすること無くきれいに保たれている。銘板を見れば昭和53年製ということで、私の人生よりも長く生きている。

スズキのジムニーという車に例えれば、SJ型の頃の話しであるから驚きだ。ジムニー、鋼鉄製堰堤ともに現役であったとしてもジムニーの場合はメカニックが介入している。鉄くずと化さぬように自動車整備士の手で大事に大事に管理されたものだけが公道上を今も走り続けているのであろう。

かたや、こちらの堰堤はどうか?佐ヶ野川上流域でほとんど忘れ去られながら時を過ごしている。森林管理局の職員や一部の釣り人などはこの地を訪れるであろうが、そのほかの訪問者はほぼいないのでは無いかと思う。誰の手も借りずに、幾度の嵐に耐えながら生きているということは、その下流の倒木などを見れば明らかなことだ。

bluetoothスピーカーの電源を入れる。選択したのは、シューベルト作曲のLachen und Weinen(D777,Op.59,No4)
本来の歌詞の意味から言えばこの曲は恋歌の一種なのだが、今回私は自分なりに違うテーマを持って歌った。掲げたテーマは「春への戸惑い」。冬が過ぎ、土も十分温まり、命が芽吹く季節を迎えた。

年々、Lachen(笑い)とWeinen(涙)のうち、むしろWeinenが分からなくなってきているような気がする。歳を重ねるごとに様々な経験を積み、対処が出来るようになってきている。
Weinenという言葉をどのように歌ったら良いのか?

春という季節を単純に喜べるようになってきていて、ほんとにこれでいいのか?と思えてしまう。春って、もっと心が不安定になる季節じゃ無かったっけ?

逆にこの有節歌曲2番の後半、
und warum du erwachen kannst am Morgen mit Lachenと歌うが、最後を思い切り「ラッヘン!」と歌えるようになってきている。

完全に自己満足の歌になってきているような気もするが、これでいいと思っている。佐ヶ野川上流部の自然に私の歌を受けてもらっている。そのことに対して感謝の気持ちしか無い。

太陽が傾き、落水を照らしていた直射日光が見られなくなった頃、遡ってきた渓を引き返した。

渓畔林が豊か。画像はモミの大木。
イロハモミジ
正式名は佐ヶ野本沢第1号鋼製堰堤
放水路天端以下がすべて鋼鉄、袖はコンクリート
堤体前にもナメが。
何に見える?熊に見える?
堤体全景。

増補改訂樹木の葉

増補改訂樹木の葉

最近、植物図鑑を購入した。
タイトルは「山渓ハンディ図鑑14 増補改訂樹木の葉 実物スキャンで見分ける1300種類 林将之著」
出版は山と渓谷社で、この増補改訂版の出版が2020年1月。まだ2ヵ月ほどしか経っていない新書だ。それより以前は同タイトルの初版本が同じく林将之著で出ている。こちらは、掲載種が1100とのことなので今回の増補改訂で200種が追加されたことになる。

今回の増補改訂を良い機会に、ということで購入した。ちなみに私はこれの初版は持っていない。しかし、この林将之を著者とする植物図鑑はすでに数冊目となっており、その林本(はやしぼん)の最新刊ということで、かなり期待に胸を膨らませて購入ボタンをポチさせてもらった。

やはり、掲載種1300というのはダテではない。今、手元に同書があり実寸計ってみたが、その厚さは3センチほどもある。同定しようとしている目の前の植物に対して、焦りながらページをバラバラさせてもこの図鑑の場合はなかなか該当の種までたどりつけない。同書の冒頭部にある「本書の使い方」の項目には〔調べたい葉の科や属が分からない場合は、p.13の総検索表から、葉の形態4項目、すなわち「葉形」「葉序」「葉縁」「落葉・常緑」を調べることで、候補種を検索出来ます。〕とある。

せっかちに挑むのではなく、その葉の特徴をまずはしっかり確認するところから同定を始めていきたい。

今回は岩尾支線林道に入った。2020年3月撮影。

例えばこんなふうに

例えばこんなふうに、植物を見つけた時に葉を見る。葉はギザギザのない全縁。今の時期にこれだけの活力を見せていることから判断すればこの植物は常緑樹である。

実際には同書はほかに分裂葉(もみじのような切れ込みがある?)であるかどうか、対生か互生(葉が枝やつるに対して交互についているかどうか?)かということも含めて探せるようになっている。さらに言えばその植物がつる性(ほかの植物などに巻きついたりするかどうか?)であるかどうかも親切に問うてくれているので、手順を追ってじっくりと時間を掛けてていねいに探せば、かなり高確率で目的の掲載ページにたどり着けることと思う。

「樹木の葉」を用いた同定の結果、上記の画像の植物は「オニシバリ」であることがわかった。

オニシバリの花。2020年3月5日、伊豆市筏場。

オニシバリ

このオニシバリという植物、じつは私のなかでかなり長い間不明の植物であった。

山中で谷を吹き抜ける風にビュービュー吹かれながら、その中で図鑑を片手にページを前に後ろにバラバラめくり続けるも、どうしても見つけることが出来ない。ヤマモモじゃないし、なんだこれ?寒いし、こちとら堤体目指して歩いているんだから、もう!という感じでかなり困っていた。

この植物自体は伊豆半島(御殿場地方でも)のあちこちでよく見かけていたので、決して珍しい種ではないと思っていたのだが、くだんの「樹木の葉」によれば、〔東北南部~九州の主に暖温帯に自生。丘陵~山地の乾いた落葉樹林内や岩場にやや稀。関東南部~東海東部に多い。〕とある。

やや稀。そして東海東部には多いか・・・。

私としては伊豆半島ばかりに出掛け、あちこちで当たり前のように見かけていたため、この植物に対しては当然のことながら“やや稀”という感覚がなかった。他の地方では珍しかったか?

そんな「?マーク」が確信と言えば良いのか、認定された、と言えば良いのか、再度よくよく自分が砂防ダム行脚に持ち込んでいた図鑑を確認してみたら、なんと“掲載されていなかった。”ということが発覚した。

2019年11月5日、河津町大鍋。

家に置いておく

掲載されていなかったことが偶然なのか、必然なのかは、図鑑という一工業製品の消費者である私には分からない。自分が山に持ち込んでいる図鑑もかなり同類製品のなかでは有力と言われているもので、これまで多くの植物を同定することでお世話になってきている。今回、不本意にも自分がこれまで頼りにしてきた図鑑に掲載もれがあることが発覚してしまったわけだが、これからどうしていくのか?

「樹木の葉」に切り替えるか?

いやいや、そんなことはない。こちらは探しやすさに長けた作りになっていて、自分自身気に入って使わせてもらっている。「樹木の葉」に比べれば、内容がややライトであることは(○○○種を掲載!というその数字を見ればそんなことは)すでに明らかであるが、それはそれでメリットでもある。

砂防ダム行脚という自然活動のなかでの携帯性を考えれば、重さの面でも、厚さの面でも「軽い」ということは有利にはたらくといえる。製品としての特徴、使い慣れた事による「探しやすさ」があって、そのことと内容面での厚すぎない程度、ちょうど良さがバランス良く共存しているところに使い勝手の良さを感じている。

単純に掲載量が多ければ良いというのではないというのが、今のところの図鑑に関する考え方。もちろん、情報量が少ないとなると上記に書いた件同様、目の前にある植物が、掲載もれのせいで何なのか分からずじまいに。という事態にも繋がりかねない。

現地でその時その場所ですぐに行うのが同定の然るべきやり方だと思っているが、それが出来ないのであれば「樹木の葉」のようなスーパー図鑑を一冊家に置いておき、あとで調べるのも手なのかな?と思った。帰ってきてから,あのとき見たのは何という植物だったかと、ゆっくり確認作業するのもなかなか楽しいやり方かもしれない。

以下の画像は3月19日の砂防ダム行脚。
前回のリベンジということで、
岩尾支線林道をひた歩いた。
そういったシチュエーションではなかなか、
ゆっくり本を開いている時間がなかったりする。
長野川と岩尾支線林道のクロス地点にはなんとか、
到着することが出来た。(伏流していた。)
沢は滝のちょっと上より湧き出ていた。
奥に堤体、手前に湧き水の構図。
いつも、当ブログに来てくれてありがとうございます。

昔の人はよく歩いたのだなと。

スタート地点。

3月12日は長野川上流域に入った。

午前8時過ぎ、車の中でスマートフォンの画面をタップする。電波は通じていることが確認出来た。本日は、夕方までに電話を一本入れておかなければならない用事があったので、まずはその件をここで済ませておいた。

電話の用件はあまりノリ気になれるような内容では無かったのだが、早めに終わらせることが出来て良かった。朝では無く夕方、山を降りてから連絡しようかとも思っていたので、これで焦らず、ゆとりを持って行動が出来る。

危険リスクを一つ減らせた。

それにしても、伊豆市湯ヶ島(長野)の林道最奥地から東京都内のオフィスビルに向けて業務連絡を行うという“スーパーギャップ電話”を体験出来て良かった。
自身の生まれた頃には、ほとんど普及していなかった携帯電話であるが、技術が発展し、普及し、今は一人一台という時代。山奥と都市部をつなぐ技術は今後もさらに進歩していくことと思うし、そしてそれは何よりも山奥で歌を楽しむという砂防ダムの音楽にとってプラス要素でしか無いと思っている。

今後の技術進化によっては、野外での芸術活動に、革命のような出来事が起るのでは?と期待しながら、今日もスマートフォンを見つめている。

入渓点右俣。

遡行をスタート。

午前9時に遡行をスタート。地理院地図によれば今回遡っていった先には二重線が一ヵ所、ほかに水の淀みで表した堤体が二ヵ所確認出来ている。標高およそ650メートルからスタートして、標高1000メートル付近にある岩尾(いわび)支線林道までの区間を新規開拓する予定だ。

スタート直後にある落差3メートルほどの小滝を超えて進む。沢よりだいぶ高いところには収穫用のモノレールが走っているが、どうやら現在は使われていない模様。倒木がドスンと乗っかった状態から判断して、放置状態にされている廃線軌道だ。この廃線軌道が意味することとしては、これより上流部にワサビ田があるということ。そしてそのワサビ田が今は使われなくなった“廃田”である可能性が高いということだ。

廃田であるかどうかは登ってみないとわからない。もしかしたら、昔の人のように歩いて通っているということも考えられる。伊豆半島は本当に本当に沢の奥地でワサビを栽培していて、驚かされることが少なくない。こんな山奥だれも来ないだろうと思っていたところ、突然現れたりすることが少なくない。現役のワサビ田の場合もあるし、廃田のワサビ田の場合もある。

いずれにしても、ある一定時期、その場所にある農家がワサビ栽培のために通い詰めたという事実がわかるのだから、これは敬服に値する以外なにものもない。ワサビを栽培する事そのものも本当に大変なことであると思うが、その前段階としての必然、まずは石垣作りの重労働があることと思う。夏の台風にも耐えられるように、大きな石を運んで組み上げた手造りの石垣。ワサビ田の主(あるじ)が丹精込めて築き上げた魂のこもった石垣。私自身においてはその上を時々歩くことがあるが、踏みしめる第一歩目はやはり躊躇をするものだ。

先人が苦労して積み上げた石垣の上を歩くという行為が非常にためらわれる。どこからか、私のことを見ているかな?と思いながら歩くし、本当に失礼の無いように、でも先人たちの作ったその文化遺産をよりダイレクトに理解するため、しょっちゅうありがたく利用させてもらっている。

今回は無かったが、現役のワサビ田。

青が水色に見え、

午前10時30分、ワサビ田の廃田が現れた。畳石式と呼ばれる階段状になったワサビ田だ。これより以前、遠目に発見した時には防風ネットの青が水色に見え、堤体発見か?と焦ってしまった。

防風ネットが破け、ダランと垂れ下がっている光景は見ていてやはり少し気持ちが悪い・・・。

沢との境目となる石垣のところどころは風雨によって破壊され、その上を歩くのはどう見ても危険な状況。ワサビ田の一番山側の端を歩き続けた。ただ、こんな状況でもワサビ田本体への導水管はきちんと機能しているようで、水はチョロチョロと流れ続けている。遡りながら、これまたあまり気持ちの良くないドロのようなそれに覆われたワサビ田を見続けながら歩いていたのだが、ふと山側に目をやれば、なんとスタート地点で確認し、その後いったんは離れていたモノレール軌道とここで再会することが出来た。

そこからは、沢、ワサビ田、モノレール軌道の三本に沿って進み、午前11時前、最初の堤体前に到着することが出来た。

画像右側にあるのが廃田。奥には格子状鋼鉄製の堰堤とケヤキの大木。

ワサビ田農家が毎日見ていたもの

堤体は格子状に組まれた鋼鉄製、堤高は最下部から計測しても6メートル程度とさほど高さはない。特に印象的なのは堤体前のすぐに樹齢???年もののケヤキの木が圧倒的な存在感と共に鎮座していることであった。また、その大ケヤキのすぐ右岸側には非常に美しいミツマタの木が植えられている。樹勢が果樹園の樹木のようにきれいに整えられていて、なんといっても花が咲いていて彩り豊かであった。

ここのワサビ田農家は毎日これらの木を見ながら、朝から晩までこの地で汗を流し続けたというのであろう。その後、歳月は流れ、木はここに居続けたが、農家は残念ながら去ってしまった。私自身、大きな空虚感に襲われたが、堤体の落水が近くにいてくれて良かった。「この沢の水だって恒久あるものでは無い。この水の流れも時の流れも現実はこうだ!」と誰かに教えられたような気がした。

午前11時20分、鋼鉄製の堤体を巻いた後さらに30分ほど遡れば、今度は同サイズの重量コンクリート式堰堤が現れた。これは上流部からの土砂が多いようで、左岸側の袖天端から直接落水してしまっている箇所が印象的であった。その堰堤も巻いてさらに二俣があって左俣側、見た目上だとけっこう高く、しかし6メートルほどの堰堤を見た。こちらは画像撮影したのちに離れて、右俣側を遡った。(最終目的地の岩尾支線林道はこちら側にあるため。)

ミツマタ

どこで引き返すか?の判断が難しい。

その後、遡り続けるとまたしても廃田があり、廃田を見ながら進むと一本の滝が現れた。見た感じの落差は10メートルほどもある、大きな滝であった。この時ふと時計を見れば、時刻は午後1時前。スタートからは4時間弱も歩いていた。ここで滝を巻くかどうかは非常に迷った。事前の計画では前述の通りもう一本上に(多分あるはずの、)堰堤に行くことにしていた。だが、ここまで充分歩いたという満足感もあった。どうしようか?

スマートフォンをタップして地図アプリを開くと、もう岩尾支線林道のすぐ手前まで来ていることがわかった。

・・・。ここで引き返すことに決定。それならば林道は見ない方がいいと判断して撤収を決意した。岩尾支線林道は一般車両について、入り口のゲートから先は入れないことはすでに明らかであるが、関係車両(林業系とか調査機関とか工事車両)などはおそらく頻繁に出入りしている“現在進行形の林道”だ。

ここまで、まったく人の気配の無い沢をケガせぬよう注意しながら、緊張感を保ち続けながら歩いてきたという自負があった。この緊張感が途切れるとするならば、それは今から人に出会ったり、新しく点けられた足跡(タイヤ痕)を見ることだと想像したのだ。イージーなものを見て気持ちが緩むことは危険への入り口になると判断し、引き返すため遡ってきた沢をUターンすることに。

よし、行こう。

帰り道はケガをしないように、無理をしないように一歩ずつ歩を進めた。そんな中でも2番目に見つけた重量コンクリートの堰堤では止まって歌を楽しんだりした。自分がなぜ沢を遡るのか?というその意義を自覚することはケガの防止には効果的だと常々思っているし、ただ単に堤体を前にやっぱり体が勝手に反応した。ということが大きい。

結局、往復の復路は1時間と少しで終了。スタート地点に戻ってくることが出来た。滝までよく歩いたなぁ。という心地よい疲労感に包まれていた中、ふと思った。

この沢でワサビ田をやっていた先人たちはこれを毎日やっていたのだ。

その健脚ぶりには脱帽。昔の人はよく歩いたのだなと。歴史を造ってきた人たちは、まず、歩いていたようである。毎日、体を動かして、結果を得ていったということだ。技術進化。それも良いがその前にまずやることがあるのではないか?スマートフォンを見つめ、変化に対して受動的に期待しているだけでは時代は変えられないのかもしれないと思った砂防ダム行脚であった

こんなのや、
こんなのもあるなかで
見つけた滝。
これも堤高6メートルほど。ミツマタの花がやはり美しい。
袖天端から落水している堤体。

愛鷹広域公園

愛鷹広域公園

3月9日。自宅のある沼津市内の愛鷹広域公園に行ってきた。

公園の南駐車場に車を停めると、その植え込みはすぐにあった。
ドウダンツツジ。
駐車場の一段上には、陸上競技場とその外周コースがあって、そちらへは階段を登ると行けるのだが、階段以外のスペース、急坂の丘の上にはドウダンツツジが植えられている。
ほとんどはまだ春になっていなくて槍先のような冬芽の状態を見せているが、一部どういうわけかかなり青くなっている箇所を発見。

違いは?よくわからない・・・。

一部はなぜか芽吹いて成長していた。
ほとんどはこちらの状態であった。

4日前の3月5日。

話しは変わるがその4日前の3月5日、皮子沢砂防ダムのある「筏場支線林道」に新規開拓で入った。

伊豆市南東部、大見川最上流域にはワサビ田で有名な大字筏場(いかだば)があるが、ワサビ田にかかる「小嵐橋」、「水之入橋」を渡ってぐんぐん坂を上がっていくと道はやがてゲートで閉ざされる。ゲートより先は一般車両等通行止めのため、そこより先は歩いた。

ゲートから500メートルくらい歩くと道は二俣に分岐。右を選んでまもなく現れたのが筏場支線林道起点。地理院地図によれば林道はぐねぐねと曲がりながらおおむね南進するようである。

小嵐橋

アセビ

この筏場支線林道を歩いていて印象的だったのがアセビ。自分の背丈よりも全然低いアセビの低木が林道脇にずっと植えられている中を歩いた。林道は未舗装道路で、恐らくはその未舗装道路に使われている土が雨で流されたりしないようにといったことで植えられたのだと思う。

この低木の常緑樹は樹皮、枝、葉、花全てに毒があるようで、ニホンジカが増えまくる伊豆山中にあっても何のことやら関係なし。ほぼ完全体の樹勢を常に見せてくれた。アセビについて、もっとよく知ろうと自宅に帰ってからネットなどで調べたら、ドウダンツツジとよく似ていて見分けづらいとのことだったため、ホントかと冒頭のとおり比較に出掛けたのだった・・・。

結果はご覧のとおり。ドウダンツツジは落葉樹で葉がほとんど落ちており、比較は出来ず。
あと1ヵ月程度遅かったら、うまく比べられていたかもしれない。

アセビ
よく見ると鳥の巣が。
花はこんな感じ。

大きな音楽

堤体のほうであるが、皮子沢砂防ダムとその上流にある3本の堰堤を回った。時期的な問題があったか?落水は見ることが出来ず。

こんなことも新規開拓ではよくあることだ。また梅雨以降、夏にでも再びこの地を訪れようか?堤体がダメだったのは確かだったが、この場所で、この時期にしか見られない植物の姿をいろいろ見ることが出来たのは良かったと思う。

堤体を前に歌うという行為だけがこの音楽の醍醐味では無いということは、これまでの経験からすでに明らかなこと。今日、自分が歌う場所がどういう状態にあるかということももちろん大事だが、そこにたどり着くまでのプロセスというか、まずそこに行くまでに見られた景色をどれだけ楽しめたか、といったところからこの音楽は始まるような気がする。

自分自身のそれまでの知識や経験を材料に、そこで見たものが美しいとか、汚いとか判断をすれば良い。

今回はアセビという植物をずっと見ながら林道を歩いた。それに対して自分がどう思ったか?毒に対する不快感も、花に対して美しいと思う心も、鳥の巣から感じ取られる事もすべて自分の心に対して影響を与える要素であったと思う。

歌をうたうのにはまず自分の心があるはずだ。

山を歩いてその先で音楽をするという行為は、良くも悪くも安定していない。不安定だ。良い時もあれば、悪い時もある。であるからこそ、様々な条件が噛み合ってうまくいったときの快感は音楽室で得られるそれとは比べものにならないほどの強烈さがあって、私はこの音楽にハマっている。山を歩くなかで常に自然界の現実を見させられながら音楽を楽しんでいる。色々なものを見て、影響を受けながらその時の心でその時の音楽を楽しんでいる。

見たものから音楽表現上の栄養素をもらっているので、それをうまくエネルギーに変換していけるように体質改善していきたい。必要なものは教養だと思っている。教養が無ければ、今、目の前にあるものをまず栄養素として受け取ることが出来なくなってしまう。何時でもそこに待ち構えていた自然界の財産をなるべく受け流すようにすること無く、自分のものにして、それを音楽に反映させ、より充実度の高い大きな音楽を楽しんでいきたいものだ。

皮子沢砂防ダム

夕日の滝

神聖なる滝に敬意を表して、画像は掲載しないこととした。

今回の行き先であるが、「夕日の滝」なる名瀑があるところだという。神奈川県の西部には名川、酒匂川が流れているがその酒匂川以西のなだらかな丘陵地~山地にかけて位置する自治体に南足柄市(ほかに足柄上郡開成町)がある。

市は富士フイルムやアサヒビールなどの製造業が有名で、それらの製造工程にはどうやらきれいな水というものが欠かせないらしい。そういった市の主力産業を支えるきれいな水が欠かせないところで、また生活水源として市内各地の湧水ほか、当ブログで最近熱くなっている金時山以北、以南の尾根に端を発する各河川(狩川、内川、上総川など)からの清らかな水の供給があるようである。

夕日の滝に関しては南足柄市北西部の山中を下る「内川」の一部となっていて、地理院地図によればこの夕日の滝より上流部にいくつかの二重線が見られる。

滝の近くと聞いて張り切ったというのは言うまでも無い。

これまで静岡県東部を中心に各地の砂防ダムを見てきたが、概して滝の近くでは魅力的な堤体に出会っている。縦に長くて、水がドカン!と落ちていて、水質も大変クリアなものに数多く出会ってきている気がするのは勘違いでは無いはずだ。

当地の男たちは大きな落差の滝に対抗して「自分たちも!」と堤体を建立するのであろうか?地殻変動はじめとしたスケールの大きな“大地の動き”によって作られた自然物をまるで友達が砂遊びで作った山の大きさよろしくライバル視して、人間としての威厳を見せたいと大変な労力と莫大な資金を投じて、大きな滝に負けず劣らずの堤体を作り上げるようである。

大の大人が、砂遊びじゃあるまい・・・。と一般人はあきれるかもしれないが、これを現代の遊びに利用しない手は無いと思っている。山中に作り忘れ去られた、巨大壁を前に今日も歌うことでその必要意義は土砂災害防止だけでは無いのだということを確認し、次の世代に前向きな形で砂防ダムを繋げていきたいと思っている“どうせあるなら楽しんじゃおう派”の意見の記入欄として、当ブログを今後も続けていこうと思っている。

林道入り口。金時山登山道入り口でもある。

ハッピーマンデー

2月24日午前10時15分。林道入り口にちょこんと置いてある柵の横を通過する。駐車場はこの柵の手前側4フロアに分割する形であるのでいずれかに停めればいいはず。そんなところで、この日私は一番下のフロアに駐車した。(いずれも駐車料金は無料。)上の3フロアはなんとなく有料のキャンプ場および宿泊施設sotosotodaysCAMPGROUNDSの利用者優先かな?と思ったためである。

この日はハッピーマンデー。前日からの宿泊客おぼしき家族連れなどでけっこう賑わっていた。その賑わいを横目に林道入口を通過。このときもうすでに夕日の滝は見終わったあと。落差23メートルの滝はなかなか見応えがあった。

滝の余韻に浸りながら、林道を進む。決して荒れすぎているともいえないが、平穏とも言えない感じの林道。崩落ヵ所多数で軽四駆自動車でも通行不可、モトクロスバイクなら通行可能といったところか。崩落によって道幅の狭くなっている箇所が点在する。

林道入り口から15分。最初の堤体を発見。小躍りしたくなるようなサイズ感だったがとりあえずキープということでさらに上を目指した。

早くも堤体を発見。

四阿が付いている。

最初の堤体のもう一つ上の堤体が珍しかった。なんと四阿が付いている。これまであちこち堤体を見てきたが、堤体の真横に四阿があるのを見たのは今回が初めて。砂防事業、もしくは治山事業として堤体セットで整備されたのか?見た感じでは四阿は後付けという感じでかなり新しい。堤体近くということで湿気が多いため塗装はしっかりとしているが、耐久性はどうか?

砂防ダム、治山ダムを「見る」ものとして意識していることがわかる。ここに立ち入ってどうぞご覧ください、休憩してください。という意図で作られている。四阿の下流側にはヤマザクラの木が2本植えられていて、花のつぼみは今にももうはじけてしまいそうだ。

ここで背中に携えていた昼食を取り出し、しばしの食事休憩。水叩きに打ちつける落水の音を聞きながらにぎりめしを貪った。それにしてもまさか砂防ダム行脚をしていて、その堤体の真横で昼食のとれるところが用意されてるとは全くもって想像していなかった。

いつも通り堤体前に入って、
ふと上を見上げると、
四阿を発見。
溜まるエネルギー。

好適なところを発見。

さらに上流域の堤体も見てきた。内川はこの四阿のある堤体よりさらに上流側にちょっと低めの堰堤が1本あって、さらに上に行くと二俣がある。直進と左俣に分かれ、いずれもそのあと堤高3メートル程度の堰堤が現れるが、気に入ったのは左俣側。分岐すぐの堰堤を巻いたところがなだらかな丘のようになっていてその中央部分をチョロチョロよりも少し多いぐらいの水が流れている。

なだらかな丘が形成されているのは先ほど巻いた堰堤による効果で、滞留土砂で作られた小公園(しょうこうえん)のようになっており、左右を取り巻く渓畔林もあいまって大変に心地よい。この空間を作り上げた上と下には“堰堤”という自然界には存在しない“異物”があるが、その両者間は(植林ではあるものの)樹木や石といった自然物で形成されているため、そのりきみの無さ、まさに自然体がこの場所にはある。

水量的にも荒々しさが無く、かなり静かであって、でも堤体は生きていて落水による音を主張してくれる。音楽的には静かな曲から盛り上がる曲まで幅広く楽しめると思うので、砂防ダムの音楽をやるにはかなり好適な場所であると思う。

ここはかなり良かった。

ポスターを発見

午後2時すぎ。歌い終えて件の好適なところを出発した。分岐までまずは戻り、それから下流側へと歩を進めた。目指したのは一番最初に見つけてキープしておいた堤体。気を引き締めて堤体前まで降り、見上げるとかなり大きな砂防ダムであることが改めてわかる。

落差23メートルの名瀑に対抗して大きなものを作りたくなってしまったのか?

堤高は10メートルクラス。放水路天端から落水地点までの距離は7メートルといったところか?23メートルに対して7メートルでは、差がありすぎるように感じるかもしれないが、世の中の堰堤、砂防ダムと呼ばれる河川構造物の標準から見れば十分大きいクラスに入ると思う。
水は先般の分岐からの、つまり二方向からの合計となるので豊富だ。流れ下った先にある夕日の滝では※滝行を行ったりするそうであるが、にわかに信じがたい。

先ほどの堰堤を「静」とすればこちらは「動」と対比することができると思う。盛り上がるタイプの曲を歌ったり、歌い手別でいえばパワーのある方向けといったところになるだろう。ここでも小一時間歌った。

午後3時に退渓。再び崩落気味で狭くなった林道を歩き、駐車場まで戻った。すると、先ほどは掲示されていなかったポスターを発見。来月は夕日の滝前の広場でイベントが開催されるようである。

水の落ちるとこにはやっぱり人が来るのか・・・

滝自体久しぶりで、そもそも人を寄せ付けるような魅力を持った物質を相手にしていたのだということを忘れていた。公園が整備されていればイベントを催したりすることも出来るのだと納得。
「2020年3月21日(土)9:00~夕日の滝広場へキッチンカーやショップの搬入が開始されます!車両が入りますのでご注意ください。」と。

頑張ろう。砂防ダムだって、可能性は無限大なはず。

※この日は滝行が開催されていないことを確認した上で入渓した。

イベントは3月21日に開催される。
もう春でっせ~
ミヤマシキミ
一番最初に見つけた堤体。

林道大沢線

林道入り口。重機は前回も見ていたのだった。

画像は、前回入ることの無かった大沢川の林道入り口である。足柄峠から約4.0キロメートル下りてきた地点にあるゲートだが、気になったため今回はこちらに入ってみることに。見えづらいが画像右端にある林道名は「林道大沢線」である。地理院地図を用いて俯瞰すればすでに明らかであるが、ゲート入り口すぐには名前にある「大沢(大沢川)」を見ることは出来ない。本日はここから1キロも無いくらい、ぐねぐねに曲がった林道を歩き、とりあえずは大沢川に出会ってからという感じで始めてみようと思った。
2月20日、午前。ゲート左端のすき間から林道内に入る。直後には2台のグラップルがお出迎え。

そういえば前回、ここに来た時、もうしばらくは入れないか?と思っていた。ここに重機が置いてあるということは、今現在この林道が何らかの作業中であることを意味しているのだと勘ぐったからである。前回は、すでに書いたとおり午前中に結構な雨が降っていたので、その雨に影響されて現場が作業中止になり、停車中の重機を見たのだと思いこんでいたのだった。

それでは、通常の晴天時にここに来ればくだんの重機は絶賛稼働中で、砂防ダム音楽などというレジャーの人間はたちまち排除されてしまうのだろう、と考えていたが、当日はご覧の通り休止中。どうやら今日このタイミングにおいては林道内に立ち入っていくことはできそうである。

ででーん!とグラップルが2台。

二重線の連続

ゲートから歩きはじめて15分ほどで、水のしっかりと流れている沢に出会うことが出来た。間違いない、これが大沢川だ。しかも地理院地図には描かれていなかった橋も見つけることができたため、ここから下流方向にも楽々進んでいくことが出来る。

下流側に行くか?上流側に行くか?

今一度地理院地図を見てみると、上流側には二重線の連続がある。これは階段工の可能性ありということで、今回は下流方向に歩くことにした。砂防ダム音楽家の悲しい性(さが)とでも言おうか、やはり日常的に大きな堤体を目指してしまうものなのである。階段工もときには大変見事なものに出会うことがあり、こちらも決して無視は出来ないが、はっきりと本堤だけ、もしくは本堤+副堤だけでドーン!と構えている堤体がやはり好きなのである。

大きな堤体に期待感を抱きながら歩を進める。

地図には描かれていなかった橋

林道大沢線の印象

林道大沢線の印象。なんて偉そうに書いてしまったが、これはもうお隣りの滝沢川沿いの林道とあまり違いは無い。今回もいろいろ画像を撮ってきたが、見ていただいてのとおりである。

今回、この大沢線を下流の基点までフルに歩いてきて、林道上への倒木、土砂の流出、林道そのものの洗掘など多数見てきた。酷い、というよりは前回の滝沢川含め、これが当地の山の“個性”なのかなと思った。決して優しいばかりで無く、荒れるときは荒れる。人間とは平穏に共存していくことが出来ない難しい山だと思ったのだが、別にそれが嫌であるとか、改良しろとかいう風には思わない。

当地に居住しているわけでも無い、全くの“よそ者”ならではの極めて楽観的な言い分に聞こえるかもしれないが、このような個性に触れることが出来て正直、幸せを感じた。林道の決して短くは無い区間の洗掘から判断して、これを仮に全面復旧するとすれば莫大な労力を要するであろう。

そんなことをする必要があるだろうか?きれいさっぱり改良しました!という林道でも河川構造物でも、とても残念なところを今までいくつも目にしてきている。物理的に通れるだとか、スムーズに流れるだとかいうことも確かに大事であるとは思うが、人の心に対して不安感を与えるような、近寄りがたい雰囲気を醸し出すような山こそ排除していくべきだと思っている。

土砂災害が全く起らない完全体の山など要らないし、作る必要も無い。

大沢川沿いには車の走れない極めて不便な林道が続いていることがわかった。でもそれはこの山の個性から発揮される極めて素直な道の姿であって、その姿に感動を覚える人は結構いるのかもしれない。少なくとも、私にとってはいい思い出が出来たのだということをここに記しておきたい。

やめられない。

結局、歩きに関しては林道大沢線基点を越えて東名高速上り線高架下の通行止め看板(前回見た地点)まで行ったあと折り返して、再び最初のゲートまで戻った。途中、看板を見つけて「遊女の滝」に下りたり、歌は滝から数えて2つ上流側の堤体で楽しんだりした。

堤体を前に音楽をしに行っているのだけれど、やっぱり楽しみはそれだけでは無いということが再確認出来た砂防ダム行脚となった。その場所に行くまでに色々なものを見たり、感じたりすることの出来る楽しさがこの音楽にはある。練習室やホールで歌うのではこういったことはなかなか味わえないのではないか?

こうなると砂防ダムの音楽はやめられない。

画像奥の堤体による河床低下も一因
ゴロゴロ
洗掘中の林道
こちらの堤体前もご覧のとおり
30年以上経って未だ河床が安定しないということ。
大沢川

ヒキガエル

今日は足柄SAからスタート。

今日(2月13日)は足柄SAからスタート。

午前中は雨が降っていた。それも昨日の夜から断続的にである。午後からは雨がやんで、一転晴れるというので足柄SA下り線に待機していたのだった。

祈るような思いとともに迎えた午後0時。空は予報通り、突然、快晴となった。前回、寒沢川と金時川に入っているが、今回は金時川のさらに北側のエリアを攻めるつもりで来ている。天気が回復してくれたことで、気分的には少し楽になった。

これならば目的地までのドライブだけでも楽しむことは出来そうである。問題があるとすればそこから先で、午前中まで元気に降っていた雨の影響をうけ、渓行が思ったように出来ないのではないかという不安を抱えている。

足柄SAを出発。桑木の集落に向かって坂を下り、JR御殿場線を見る。いったん桑木踏切をわたり、直後の新金時橋前で車を停車。橋から鮎沢川の様子をうかがうと、水量はそれほどではないものの水が濁っている。やはり渓行は厳しいか?それならば路上から谷止工相手に歌おうかと考える。

―沢を歩くのが危険というならば、沢に降りなければ良い。―

川をチェックしたあと、1枚画像を撮った。鮎沢川は金時山山麓北側を回り込んで酒匂川となり、最後相模湾に流れ出す静岡→神奈川の越境河川である。水の流れとしては県境に向かっているので不思議な画が撮れた。川が山の方向に向かって流れているように見える。

鮎沢川

コースの一部

新金時橋前を出発し、JR御殿場線に寄り添うようなかたちで北に向かって車を走らせる。前回、行脚した金時川より北側には順番に、山沢川、地蔵堂川、滝沢川、大沢川といった川が控える。どれも流れに太さの無い、川というよりは沢に近い程度のものであることは地理院地図の情報からすでに明らかであるが、期待感は決して低いものでは無い。

新規開拓では何が起るかわからないはずだ。

であるから、本当は山沢川に入らなくてはいけなかった。しかし今回はパスすることに。地理院地図を見れば川の流域の大部分がギャツビーゴルフクラブにかかっていて、これはもはやコースの一部というような体で描かれている。別に遠慮することも無いと思ったが、雨後で渓行出来ない可能性ありという点含めて鑑みるとここは素通りするのが吉と判断して通過した。

さらに北に向かって走り、地蔵堂川を目指す。

足柄峠

地蔵堂川へはJR御殿場線の竹之下踏切を渡り、直後に現れる看板のとおり「足柄山古道」経由で進む予定であった。しかし、その看板前の丁字路、足柄山古道方面には「林道通行止め」の看板が。
それならばと、もう一つの地蔵堂川ルートである県道78号線ルートを使おうと右折したのだが、その先のY字分岐でもこれまた全面通行止の文字。

どうやら、地蔵堂川へは入れないようである。こちらの川もパスすることに。

少し焦りながら次に選んだのが県道365号線のルート。地図上に沢は全く描かれていないが、この道は静岡、神奈川両県の県境「足柄峠」へと続く重要なルートのため、谷止工が見つけられるかもしれないという思いで登り始めた。ここでは結局、一番上の足柄峠まで登って、しかし谷止工発見とはならなかったが、峠から下りてきて約4.0キロ地点に大沢川、滝沢川へと続く入り口をそれぞれ発見した。

大沢川の入り口はがっちりゲートで閉鎖されていたため進入出来なかったが、そこからちょっと降りたところにある滝沢川入り口には入ることができる状態であった。

―よし、行こう。―

林道に入ってからは、滝沢川に沿うようなかたちで降りていくことができた。降り始めてすぐにわかったのが、かなり森が傷んでいるということ。土砂崩れの復旧跡はあちこちに見られ、どちらかと言えばその復旧跡の壁のすき間をかろうじて通り抜けている感じ。林道本体が沢からの浸食を受けている箇所があったりして、ヒヤヒヤしながら坂を降りた。

上流部に堰堤を見つけることが出来たが、伏流していたためその後は大して期待していなかった。だが・・・、

地蔵堂川には入れず
滝沢川の伏流していた堰堤

だが・・・、

堤体は突然現れた。それは林道脇の土砂崩れ跡が見られなくなり始めた頃のことであった。高さは堤高10メートル程度といったところか?ちゃんと落水も見られる。

悩んだ・・・。というのもここまで降りてくる時に林道から、その脇の滝沢川から酷い土砂崩れ痕を見ていたからだ。気分的にどうも乗り気になれなかった。

ここはいったん「キープ」という判断で、次の堤体を目指すことに。一本東側を流れる大沢川に下から入ろうということで、駿河小山駅前まで降りて800メートルほど東進。入り口には「遊女の滝」の看板があり、かなり整備された道を走れるのでは?と期待したが、まもなく現れた東名高速道路上り線の高架下で、またしても「通行止め」の看板。沢の感じとしてもかなり荒れている様子。

あきらめて滝沢川に戻ることにした・・・。

発見時に撮影。

用水路にふと目をやると

先ほどキープした滝沢川の堤体まで戻った。堤体付近には駐車スペースが無かったため、堤体前を通過しさらに100メートルほど上流の道幅の広くなった所に車を置いた。
車を降りる。
すると、堤体の方から動物の鳴き声がする。普段よく聞くニホンジカの「キャン!」というものではない。断続的に「ケケケケ!」と鳴いているのだ。
―ははぁ、竹の節間同士が擦れる音だなこれは。だましやがって!・・・―

準備を済ませ、堤体に向かって歩く。林道沿いの用水路にふと目をやると、水たまりの中でなにかがピュッと逃げた。イワナかと思ってその逃げたあたりをウォーキングポールで突いてやると足の生えたイワナが下手くそな泳ぎでズズズッと水たまりの反対側に突進した。

ヒキガエルだった・・・。1匹の。

やれやれと用水路を見限り、その後堤体上に到着。

ヒキガエルだった・・・。おびただしい数の。

おびただしい数の。

冬眠から覚めて

たしかにもう立春を9日ほど過ぎ、暦の上では春である。それにしたってまだ2月。寒くて朝おきるのがつらい日もある。屋内だってそんなであるのに、ここは屋外、自然の中。冬眠から目覚めて、元気に鳴きまくっている猛者達のその姿には唖然となった。携えていた温度計で計測してみれば気温15度、水温は10度という条件下での出来事であった。

ヒキガエルの画像を撮り終え、今度は自分が歌うため堤体下に降りる。ヒキガエルたちの旺盛に鳴く姿に触発されてこちらも俄然やる気が出てきた。

選んだ曲はシューベルト作曲のDie schöne Müllerinから数曲。この曲集は私のなかでは冬限定。水車職人の娘に片思いした青年がその自身の溢れる気持ちを表現した詩から曲が出来ている。今年はどれだけこの曲集を歌うのだろうか?と期待して迎えた冬であったが、意外にも出番が少なかった。

堤体を前にしてどんな曲を歌うかは事前に決めていることが無く、その時、その場所で得た気分によって選曲している。素晴らしいとわかっている曲であっても、そのときのシチュエーションに合致しなければパスすることとなる。気分で選んでいるので旧知でおとずれた堤体と新規開拓でおとずれた堤体ではやはり差が出てしまう。

もしかするとDie schöne Müllerinは新規開拓ならではの歌なのかもしれない。

今日は午前中まで雨が降り続いた。そんななかで堤体を前にして歌うことがまず出来た。そこを評価したい。しかも実際に滝沢川という川に来て、その土砂崩れ痕から一時やる気を失ってしまったが、なんとか取り戻すことが出来た。そんな自分自身がなれた、というのはやはりここで待ち構えてくれていたあの早起きヤツらのおかげだと思っている。

ヒキガエルたちに心から感謝したい。

よく見ると立派な脚をしている
こちらはホオノキの葉のじゅうたん。
水裏、側壁、水叩き
上流域の土砂崩れ痕
滝沢川

金時川

御殿場市内から見た富士山(御殿場市深沢)

2月3日。この日は、自宅のある沼津市から北を目指してハンドルを握った。行き先は御殿場方面。沼津市岡宮から始まる伊豆縦貫道にまずは入り、(伊豆縦貫道)長泉ICを目指す。今日は朝の出発が少し遅れてしまったせいもあってか、新東名長泉沼津インター過ぎてすぐの片側2車線→1車線合流地点は難なくクリアー出来た。

―最近、ここは大丈夫になったのか?―
この道を午前中走るのは久しぶりな気がする。もしかしたら、1年以上走っていないかもしれない。御殿場方面自体かなりご無沙汰となってしまっていたので、ここの名物渋滞が最近どうなのか把握できていない状況であった。

直後の長泉ICからは国道246号線に乗る。この先はずっと片側2車線の道が続いていて快適だ。空はさわやかな晴天で気分は上々である。

途中、御殿場市萩原で国道138号線に乗り換え、東名高速御殿場インター下をくぐったのち東山湖の土手を左手に見ながら進んだあと、深沢西の旧国道入り口にて右折。直後、左手に現れる林道入り口に車を置いた。

深沢西の信号

寒沢川

午前中は車を置いた所から寒沢川に入った。ここは、以前来たことのある場所なのだが、その時は何かのついでで立ち寄ったために装備が疎かで、堤体までたどり着く前に途中で断念している。かなりこぢんまりとした沢であるが、ここ数日間の晴天続きに冬場という条件下であっても水は途切れること無くしっかりと流れている。

実は自宅のある沼津市を中心として色んな川を見てきたが、同市以北の地域に関して私はかなり苦手意識が大きい。特に裾野市、御殿場市方面の沢に関しては溶岩層の多孔質部分(クリンカー)のはたらきによって、雨水がガンガン吸水されてしまうという特性があるため、せっかく現地に赴いたものの、
「沢が無い!」
という事態に何度も出くわしている。

この傾向が沼津市北部の愛鷹山から、山梨県の山中湖村ぐらいまで続いているため、いつしか、
「富士山麓はダメだ・・・。」
という苦手意識が生まれ、堤体を探したりすることそのものをあきらめてしまっていた。

そんななかで、でもこの冬の新規開拓のシーズンに御殿場方面でいいところを見つけておきたいな。ということで今回寒沢川を目指した。結果としては地理院地図にある“せき”マークは堤高5メートル程度の低い堰堤であるということが判明したが、流れる水も大変きれいで渓行の楽しさを味わえたと思う。川の上流には何か?があるようで、かなり整備された道を発見できたが余計なところでケガをするまい。ということで虻蜂取らず引き返した。

寒沢川

午後は金時川へ

寒沢川の低い堰堤では満足出来ず、午後は自治体界を跨いで駿東郡小山町に入ることにした。目指したのは金時川。こちらもやはり新規開拓で、地図で道を確認しながら向かうことになった。経由地として「ホテルGOLF」、「鮎沢川」、「紅葉橋」などが出てきたためそれらの位置をしっかり確認しながら進むと、直前の通過ポイント「ギャツビーゴルフクラブ」前に出ることが出来た。

そこから、金時山登山道の案内標識に従って進むと簡易水道施設が現れ、さらに少し進んだところで林道山側斜面の崩落に遭遇。これ以上車では進めないため、そこからは歩いて堤体を目指した。

崩落ヵ所から堤体までは歩いて5分ほどであった。堤高10メートルクラスの大型砂防ダムに歓喜。さっそく林道から沢まで降りる。沢に降りる前段階から河床が不安定なことが見て取れたため、最後水辺に降りる直前はかなり気を遣った。右岸側は針葉樹(スギ)、左岸側は広葉樹(?)によって出来た空間で、かなり明るい。

今の時期であれば、夕方の薄暗い時間が良いのではないかと思った。もうちょっと暖かくなって左岸側の渓畔林が回復してくれれば日中でもいけるかもしれない。明るすぎる環境の中、それでもなるべく暗い所をということで針葉樹の右岸側に寄って歌うと、なんとか楽しめた。

崩落に遭遇。

“怪しい記述”を目指した。

同地は15分ほどの早さでいったん退渓。再び林道まで上がり、もう一本上流にある“怪しい記述”を目指すことにした。通常、地理院地図は砂防ダム等を二重線マーク(前述の“せき”マーク)で示すが、時折どういうわけかそれを違う記述で表すことがある。どんな記述法かといえば一本線で表していた沢をある地点で突然広げたりする方法。

地図上には沢の途中に小さな湖のようなものが出来る。それが今いる砂防ダムより上流に確認出来ていたので行ってみることにした。

雨水によってかなり削られた林道に驚きながら進むと、目的の場所に到着。正体は巨大な鋼鉄製透過型砂防ダムであった。鋼鉄が小学校の体育館にある肋木(ろくぼく)のような形に仕上げられているのは、土砂を余計に貯留することを防ぐためであろう。排砂が必要なくなるという点において重力コンクリート式とは性格を異にする。メンテナンスフリーで人が来なくてもいいというメリット反面、ここまでの林道を見てわかる通り山林は放置されている。

いずれにせよ、これでは歌えない。

削れていると言うよりも穴が開いたに近い。
鋼鉄は肋木のような形状

今日は節分

来た道を折り返すようにして林道の(これはもはや)落とし穴に落ちないよう進み、車に戻った。その後、昨年3月にオープンしたはずの東名高速足柄SAスマートインターを確認しようということで、同所を目指した。鮎沢川に架かる新金時橋、JR御殿場線桑木踏切などを通過するとあっという間にSAに到着。

盛り土を固めて作った真新しいスマートインターは見事に仕事をしていた。有人の料金所と比べると実にシンプル。通行車両の運転手は、ETC車載器の作動音とともに虚しく開いたゲートを通過するのであろう。旅行での料金所通過を一つのイベントとして捉えるならば、近くの御殿場インターチェンジを使った方がいいかもしれない。

普段、伊豆中央道やら修善寺道路で現金決済をしているが、料金所の回収係も人という一つの立派なインフラなのかもしれないと思った。人が立っているかどうかで、その観光地の競争力に影響が出る。これは、普段勤めているホームセンターで上司からよく言われていることと似ている。その上司いわく小売業も人が立っているほうがよく売れるのだという。

腹も空いたので何か買って帰るか、と下り線側のSAに立ち寄ったらあの「柿次郎」が今日は恵方巻きを売っていた。そうか、今日は節分であったか!うまそうだったので、ついゲットしてしまったがよく考えなかった。
―フードコートじゃ恥ずかしくて食えない・・・、車中も見つかるかもしれん。―

足柄SAを出て、空腹に耐えながら帰路を走り続けたのだった。

足柄SAスマートインター(画像は下り線側)
柿次郎
柿次郎の恵方巻き
寒沢川の堰堤
金時川の砂防ダム





大好き河津町!vol.6

修善寺駅からはバスで移動。

今回は、電車・バスを使っての河津町入りについて書こうと思う。

普段、あちこちの砂防ダムに訪れていることを記しているのだが、それは何のためかといえばこのページを見てくれた方が実際にその場所に行ってみたいと思った時に、少しでも参考になってくれれば・・・。という思いが私自身の中にある。

いろいろなところで、美しい砂防ダムを見てきて紹介しているのに、そのどれもが自家用車を用いなければ行けないという条件付きであったならば、本当に多くの方に利益となる情報を出せていないな。ということを考え、今回は電車・バスを乗り継いで河津町に行ってみた。

出発前の気持ちとしては、ただ堤体を訪れる。ということだけなのだけれど普段とは違う公共交通機関を利用して、ということで非常にワクワクしていた。結果的にもなんとか堤体までたどり着いて歌ってくることが出来たので、今回はその時のエピソードとしたい。

修善寺駅までは電車移動。

天城路フリーパス

1月23日午前6時5分。まずは沼津駅から電車に乗って三島駅を目指す。三島駅にはわずか4分ほどで到着。と、ここでいきなりの時間調整。じつは本日はフリー切符を利用しての移動を考えていた。

フリー切符の名は「天城路フリーパス」。(株)新東海バス・(株)南伊豆東海バス発行のフリー切符で、これさえあれば修善寺駅~河津駅間の路線バスが2日間乗り降り自由になるという大変便利なものがあるという。
フリー切符はおとな2,400円。(小人は1,200円)これを修善寺駅前の東海バスターミナル案内所で購入する必要があったのだ。案内所の営業時間は午前8時から。

修善寺駅に、あまりにはやく着いても行くところが無く困ってしまうのではないかと、三島駅にて時間調整をすることとした。

実際に買うことが出来た天城路フリーパス。有効期間は2日間。

若人の足いずっぱこ

午前7時34分。伊豆箱根鉄道駿豆線下り列車に乗り、修善寺駅を目指した。この日は木曜日。朝のラッシュ時とあって学生が多い。いずっぱこ(同路線の地元での愛称)は平日こうして地元民の学校への足となっている。

これも休みの日はあの“ねずみ~ランド”への足となっているのであろうか?こんな正真正銘の田舎の線路でも日本各地、そしてあの舞浜駅に続いていることを考えると、なかなかロマンがあると思う。
それにしても最近はどういうわけか、よく“ねずみ~”に行ってきたという思い出話を聞くのである。今年の干支がねずみだからなのか?

修善寺駅には8時9分に到着。今日の目的地は自動販売機すら置いていないところなので、駅内のコンビニでペットボトルのお茶を購入する。このあと起きる展開なども知らずに至ってのんきにしていたのだった・・・。

東海バスターミナル

1時間40分待ち

結論から言えば、田舎の路線バスに対してもっとシビアにとらえておくべきだったと反省した。河津駅行きのバスは8時15分修善寺駅前発があり、その次は9時55分修善寺駅前発。その出車間隔1時間40分。まぁ、恐らくコンビニで会計をしていた頃には出車していたのであろう。後悔先に立たずというより、ちゃんとバスの時間くらい確認しておきなさい!が的確である・・・。

落胆する私であったがバスターミナルの受付のお姉さんはとても親切であった。9時00分発の昭和の森会館行きのバスに乗って、浄蓮の滝など見学してみては?などと、いろいろアドバイスしてくれた。

結局、これまた修善寺駅内にある観光案内所が午前9時にオープンしたので、そこに設置してあったパンフレットなどを読んで伊豆の情報収集。

9時55分発のバスを待って、ようやく乗車した。

観光案内所で見つけたパンフレット。地元はオリンピックに沸いている!?

二階滝バス停下

バスはいったん東海バス修善寺温泉バス停に寄り道したあと、一路かわづ駅を目指した。ちなみに今日の目的地の堤体は「二階滝バス停下」。

伊豆半島中央を南北に横断する国道414号線は、途中標高643m地点で新天城トンネルに入るが、その新天城トンネルを抜けて、最初にあるバス停が二階滝バス停だ。修善寺駅からの所要時間はバスの運行時間帯によっても異なるが、およそ50分ほどの行程となる。

いつもの見慣れた風景をバスのフロントガラス越しに見ながら進む。この日は雨が降っていたので、座席横の窓は露で曇って見えなかった。

“にかいだる”と読む。

ミニパーキングエリア

二階滝バス停には10時46分に到着。ここのバス停は乗用車数十台が止められる広い駐車場と、ちょっと大きめの水洗トイレがある。同地を一度でも訪れたことのある人ならばここにトイレがあることは、はっきりと誰しもわかっているであろう。国道沿いのミニパーキングエリア(ただし、売店はおろか自動販売機すらない。ベンチとテーブルを備えた四阿が一棟ある。)といった感じである。

乗用車で訪れる際も、参考にしていただければと思う。

今日は、この広い駐車場から見て一段上にある旧天城街道(踊子歩道)にいったん移って、その道路沿いを入渓点とする。堤体そのものはバス停より南南西方向に数百メートル行ったヵ所の河津川流域内にあり、その河津川は国道から見てさらに低いところにあることから、ここでいったん上に登るのはかなり面倒くさくなる感じもするが、直接バス停から国道414号線沿いを歩いて堤体に向かうのは交通安全上どう考えても危険である。

安全策として、なるべく国道414号線に接しない形で堤体にたどり着きたいため、回り道を選択。まずは駐車場裏の階段を登った。

バス停にある駐車場。まずは階段を登る。
階段を登りきったら右に曲がる。

植物を傷つけないように降りる。

旧天城街道(踊子歩道)に出たら、南南西方向に歩を進める。そして、しばらく歩いたのち山側に「静岡県」と書かれた反射体付きのポールが現れるのだが、その反対側、谷側斜面の柵の切れ目が入渓点となる。入渓点といっても、国道からはいったん登ってきているため川は遠くなっている。

気を引き締め、道路の柵の切れ目から降り始める。
ここは梨本国有林林地内であるため、生えている植物を極力傷つけないようにしながら坂を下りたのであるが、本当に難なく国道まで降りられてしまった。気を遣っているというのに林床を歩く時の障害物、それに本来なるであろう下草があまりにも生えて無さすぎる。冬場とはいえ、これは・・・。

天城一帯に増えまくるニホンジカの影響なのか?

旧天城街道から降り始めておよそ20分ほどの行程で堤体にたどりついた。

旧天城街道沿いにはこのような谷止工が連続している。
このポール際に深い貯め升状の穴がある。
柵の切れ目から降り始める。

公共交通機関素人の旅

ここの堤体の特徴はなんといっても、その上すぐを国道が走っているという点にあるだろう。堤体の二階部分より上が非常に明るく開けていて、光が降ってくる。また時折、車の走行音が聞こえる。

水については河津川の本流らしくしっかりと流れていて、堤体の一段下にある落差1メートルほどの小滝とともにかなり大きな音を出している。そのような大きな音に対し、渓畔林の力を借りながらなんとか響かせようと試みたのだが、その形勢は多くの時間、堤体側優位であった。

音のことに関していえば―ダメだった。―というのが正直なところ。スギの木がしっかりと生えている環境下であったのに、それをうまく生かせなかった。

悪天候であったことも影響してあまり曲に対してあまり集中できていなかったような気もする。もっと、暗い所に入れたら響いてないながらも最低限きもちよく歌えてたかもしれない。

結局、1時間も持たないで退渓。再び二階滝バス停に戻った。午後2時すぎの河津駅行きのバスに再び乗車し、踊子温泉会館前で下車。温かい湯に浸かったあと、修善寺駅行きのバスの時刻をしっかりと確認し、バス停にて待機。
時刻表どおり計画的に動いたところ、数分の待ち時間でバスは到着。

公共交通機関素人の旅は教訓ばかりで幕を閉じた。

国道まで降りきったところ。登坂の車もこのスピード感。
ガードレールの外側をへつるようにして進む。
この看板が目印。ここに来たら河津川に向かって降りる。
薄緑色のシラカシが雨に映える。
当日の様子。
晴れている日の同地。