愛鷹広域公園

愛鷹広域公園

3月9日。自宅のある沼津市内の愛鷹広域公園に行ってきた。

公園の南駐車場に車を停めると、その植え込みはすぐにあった。
ドウダンツツジ。
駐車場の一段上には、陸上競技場とその外周コースがあって、そちらへは階段を登ると行けるのだが、階段以外のスペース、急坂の丘の上にはドウダンツツジが植えられている。
ほとんどはまだ春になっていなくて槍先のような冬芽の状態を見せているが、一部どういうわけかかなり青くなっている箇所を発見。

違いは?よくわからない・・・。

一部はなぜか芽吹いて成長していた。
ほとんどはこちらの状態であった。

4日前の3月5日。

話しは変わるがその4日前の3月5日、皮子沢砂防ダムのある「筏場支線林道」に新規開拓で入った。

伊豆市南東部、大見川最上流域にはワサビ田で有名な大字筏場(いかだば)があるが、ワサビ田にかかる「小嵐橋」、「水之入橋」を渡ってぐんぐん坂を上がっていくと道はやがてゲートで閉ざされる。ゲートより先は一般車両等通行止めのため、そこより先は歩いた。

ゲートから500メートルくらい歩くと道は二俣に分岐。右を選んでまもなく現れたのが筏場支線林道起点。地理院地図によれば林道はぐねぐねと曲がりながらおおむね南進するようである。

小嵐橋

アセビ

この筏場支線林道を歩いていて印象的だったのがアセビ。自分の背丈よりも全然低いアセビの低木が林道脇にずっと植えられている中を歩いた。林道は未舗装道路で、恐らくはその未舗装道路に使われている土が雨で流されたりしないようにといったことで植えられたのだと思う。

この低木の常緑樹は樹皮、枝、葉、花全てに毒があるようで、ニホンジカが増えまくる伊豆山中にあっても何のことやら関係なし。ほぼ完全体の樹勢を常に見せてくれた。アセビについて、もっとよく知ろうと自宅に帰ってからネットなどで調べたら、ドウダンツツジとよく似ていて見分けづらいとのことだったため、ホントかと冒頭のとおり比較に出掛けたのだった・・・。

結果はご覧のとおり。ドウダンツツジは落葉樹で葉がほとんど落ちており、比較は出来ず。
あと1ヵ月程度遅かったら、うまく比べられていたかもしれない。

アセビ
よく見ると鳥の巣が。
花はこんな感じ。

大きな音楽

堤体のほうであるが、皮子沢砂防ダムとその上流にある3本の堰堤を回った。時期的な問題があったか?落水は見ることが出来ず。

こんなことも新規開拓ではよくあることだ。また梅雨以降、夏にでも再びこの地を訪れようか?堤体がダメだったのは確かだったが、この場所で、この時期にしか見られない植物の姿をいろいろ見ることが出来たのは良かったと思う。

堤体を前に歌うという行為だけがこの音楽の醍醐味では無いということは、これまでの経験からすでに明らかなこと。今日、自分が歌う場所がどういう状態にあるかということももちろん大事だが、そこにたどり着くまでのプロセスというか、まずそこに行くまでに見られた景色をどれだけ楽しめたか、といったところからこの音楽は始まるような気がする。

自分自身のそれまでの知識や経験を材料に、そこで見たものが美しいとか、汚いとか判断をすれば良い。

今回はアセビという植物をずっと見ながら林道を歩いた。それに対して自分がどう思ったか?毒に対する不快感も、花に対して美しいと思う心も、鳥の巣から感じ取られる事もすべて自分の心に対して影響を与える要素であったと思う。

歌をうたうのにはまず自分の心があるはずだ。

山を歩いてその先で音楽をするという行為は、良くも悪くも安定していない。不安定だ。良い時もあれば、悪い時もある。であるからこそ、様々な条件が噛み合ってうまくいったときの快感は音楽室で得られるそれとは比べものにならないほどの強烈さがあって、私はこの音楽にハマっている。山を歩くなかで常に自然界の現実を見させられながら音楽を楽しんでいる。色々なものを見て、影響を受けながらその時の心でその時の音楽を楽しんでいる。

見たものから音楽表現上の栄養素をもらっているので、それをうまくエネルギーに変換していけるように体質改善していきたい。必要なものは教養だと思っている。教養が無ければ、今、目の前にあるものをまず栄養素として受け取ることが出来なくなってしまう。何時でもそこに待ち構えていた自然界の財産をなるべく受け流すようにすること無く、自分のものにして、それを音楽に反映させ、より充実度の高い大きな音楽を楽しんでいきたいものだ。

皮子沢砂防ダム

夕日の滝

神聖なる滝に敬意を表して、画像は掲載しないこととした。

今回の行き先であるが、「夕日の滝」なる名瀑があるところだという。神奈川県の西部には名川、酒匂川が流れているがその酒匂川以西のなだらかな丘陵地~山地にかけて位置する自治体に南足柄市(ほかに足柄上郡開成町)がある。

市は富士フイルムやアサヒビールなどの製造業が有名で、それらの製造工程にはどうやらきれいな水というものが欠かせないらしい。そういった市の主力産業を支えるきれいな水が欠かせないところで、また生活水源として市内各地の湧水ほか、当ブログで最近熱くなっている金時山以北、以南の尾根に端を発する各河川(狩川、内川、上総川など)からの清らかな水の供給があるようである。

夕日の滝に関しては南足柄市北西部の山中を下る「内川」の一部となっていて、地理院地図によればこの夕日の滝より上流部にいくつかの二重線が見られる。

滝の近くと聞いて張り切ったというのは言うまでも無い。

これまで静岡県東部を中心に各地の砂防ダムを見てきたが、概して滝の近くでは魅力的な堤体に出会っている。縦に長くて、水がドカン!と落ちていて、水質も大変クリアなものに数多く出会ってきている気がするのは勘違いでは無いはずだ。

当地の男たちは大きな落差の滝に対抗して「自分たちも!」と堤体を建立するのであろうか?地殻変動はじめとしたスケールの大きな“大地の動き”によって作られた自然物をまるで友達が砂遊びで作った山の大きさよろしくライバル視して、人間としての威厳を見せたいと大変な労力と莫大な資金を投じて、大きな滝に負けず劣らずの堤体を作り上げるようである。

大の大人が、砂遊びじゃあるまい・・・。と一般人はあきれるかもしれないが、これを現代の遊びに利用しない手は無いと思っている。山中に作り忘れ去られた、巨大壁を前に今日も歌うことでその必要意義は土砂災害防止だけでは無いのだということを確認し、次の世代に前向きな形で砂防ダムを繋げていきたいと思っている“どうせあるなら楽しんじゃおう派”の意見の記入欄として、当ブログを今後も続けていこうと思っている。

林道入り口。金時山登山道入り口でもある。

ハッピーマンデー

2月24日午前10時15分。林道入り口にちょこんと置いてある柵の横を通過する。駐車場はこの柵の手前側4フロアに分割する形であるのでいずれかに停めればいいはず。そんなところで、この日私は一番下のフロアに駐車した。(いずれも駐車料金は無料。)上の3フロアはなんとなく有料のキャンプ場および宿泊施設sotosotodaysCAMPGROUNDSの利用者優先かな?と思ったためである。

この日はハッピーマンデー。前日からの宿泊客おぼしき家族連れなどでけっこう賑わっていた。その賑わいを横目に林道入口を通過。このときもうすでに夕日の滝は見終わったあと。落差23メートルの滝はなかなか見応えがあった。

滝の余韻に浸りながら、林道を進む。決して荒れすぎているともいえないが、平穏とも言えない感じの林道。崩落ヵ所多数で軽四駆自動車でも通行不可、モトクロスバイクなら通行可能といったところか。崩落によって道幅の狭くなっている箇所が点在する。

林道入り口から15分。最初の堤体を発見。小躍りしたくなるようなサイズ感だったがとりあえずキープということでさらに上を目指した。

早くも堤体を発見。

四阿が付いている。

最初の堤体のもう一つ上の堤体が珍しかった。なんと四阿が付いている。これまであちこち堤体を見てきたが、堤体の真横に四阿があるのを見たのは今回が初めて。砂防事業、もしくは治山事業として堤体セットで整備されたのか?見た感じでは四阿は後付けという感じでかなり新しい。堤体近くということで湿気が多いため塗装はしっかりとしているが、耐久性はどうか?

砂防ダム、治山ダムを「見る」ものとして意識していることがわかる。ここに立ち入ってどうぞご覧ください、休憩してください。という意図で作られている。四阿の下流側にはヤマザクラの木が2本植えられていて、花のつぼみは今にももうはじけてしまいそうだ。

ここで背中に携えていた昼食を取り出し、しばしの食事休憩。水叩きに打ちつける落水の音を聞きながらにぎりめしを貪った。それにしてもまさか砂防ダム行脚をしていて、その堤体の真横で昼食のとれるところが用意されてるとは全くもって想像していなかった。

いつも通り堤体前に入って、
ふと上を見上げると、
四阿を発見。
溜まるエネルギー。

好適なところを発見。

さらに上流域の堤体も見てきた。内川はこの四阿のある堤体よりさらに上流側にちょっと低めの堰堤が1本あって、さらに上に行くと二俣がある。直進と左俣に分かれ、いずれもそのあと堤高3メートル程度の堰堤が現れるが、気に入ったのは左俣側。分岐すぐの堰堤を巻いたところがなだらかな丘のようになっていてその中央部分をチョロチョロよりも少し多いぐらいの水が流れている。

なだらかな丘が形成されているのは先ほど巻いた堰堤による効果で、滞留土砂で作られた小公園(しょうこうえん)のようになっており、左右を取り巻く渓畔林もあいまって大変に心地よい。この空間を作り上げた上と下には“堰堤”という自然界には存在しない“異物”があるが、その両者間は(植林ではあるものの)樹木や石といった自然物で形成されているため、そのりきみの無さ、まさに自然体がこの場所にはある。

水量的にも荒々しさが無く、かなり静かであって、でも堤体は生きていて落水による音を主張してくれる。音楽的には静かな曲から盛り上がる曲まで幅広く楽しめると思うので、砂防ダムの音楽をやるにはかなり好適な場所であると思う。

ここはかなり良かった。

ポスターを発見

午後2時すぎ。歌い終えて件の好適なところを出発した。分岐までまずは戻り、それから下流側へと歩を進めた。目指したのは一番最初に見つけてキープしておいた堤体。気を引き締めて堤体前まで降り、見上げるとかなり大きな砂防ダムであることが改めてわかる。

落差23メートルの名瀑に対抗して大きなものを作りたくなってしまったのか?

堤高は10メートルクラス。放水路天端から落水地点までの距離は7メートルといったところか?23メートルに対して7メートルでは、差がありすぎるように感じるかもしれないが、世の中の堰堤、砂防ダムと呼ばれる河川構造物の標準から見れば十分大きいクラスに入ると思う。
水は先般の分岐からの、つまり二方向からの合計となるので豊富だ。流れ下った先にある夕日の滝では※滝行を行ったりするそうであるが、にわかに信じがたい。

先ほどの堰堤を「静」とすればこちらは「動」と対比することができると思う。盛り上がるタイプの曲を歌ったり、歌い手別でいえばパワーのある方向けといったところになるだろう。ここでも小一時間歌った。

午後3時に退渓。再び崩落気味で狭くなった林道を歩き、駐車場まで戻った。すると、先ほどは掲示されていなかったポスターを発見。来月は夕日の滝前の広場でイベントが開催されるようである。

水の落ちるとこにはやっぱり人が来るのか・・・

滝自体久しぶりで、そもそも人を寄せ付けるような魅力を持った物質を相手にしていたのだということを忘れていた。公園が整備されていればイベントを催したりすることも出来るのだと納得。
「2020年3月21日(土)9:00~夕日の滝広場へキッチンカーやショップの搬入が開始されます!車両が入りますのでご注意ください。」と。

頑張ろう。砂防ダムだって、可能性は無限大なはず。

※この日は滝行が開催されていないことを確認した上で入渓した。

イベントは3月21日に開催される。
もう春でっせ~
ミヤマシキミ
一番最初に見つけた堤体。

林道大沢線

林道入り口。重機は前回も見ていたのだった。

画像は、前回入ることの無かった大沢川の林道入り口である。足柄峠から約4.0キロメートル下りてきた地点にあるゲートだが、気になったため今回はこちらに入ってみることに。見えづらいが画像右端にある林道名は「林道大沢線」である。地理院地図を用いて俯瞰すればすでに明らかであるが、ゲート入り口すぐには名前にある「大沢(大沢川)」を見ることは出来ない。本日はここから1キロも無いくらい、ぐねぐねに曲がった林道を歩き、とりあえずは大沢川に出会ってからという感じで始めてみようと思った。
2月20日、午前。ゲート左端のすき間から林道内に入る。直後には2台のグラップルがお出迎え。

そういえば前回、ここに来た時、もうしばらくは入れないか?と思っていた。ここに重機が置いてあるということは、今現在この林道が何らかの作業中であることを意味しているのだと勘ぐったからである。前回は、すでに書いたとおり午前中に結構な雨が降っていたので、その雨に影響されて現場が作業中止になり、停車中の重機を見たのだと思いこんでいたのだった。

それでは、通常の晴天時にここに来ればくだんの重機は絶賛稼働中で、砂防ダム音楽などというレジャーの人間はたちまち排除されてしまうのだろう、と考えていたが、当日はご覧の通り休止中。どうやら今日このタイミングにおいては林道内に立ち入っていくことはできそうである。

ででーん!とグラップルが2台。

二重線の連続

ゲートから歩きはじめて15分ほどで、水のしっかりと流れている沢に出会うことが出来た。間違いない、これが大沢川だ。しかも地理院地図には描かれていなかった橋も見つけることができたため、ここから下流方向にも楽々進んでいくことが出来る。

下流側に行くか?上流側に行くか?

今一度地理院地図を見てみると、上流側には二重線の連続がある。これは階段工の可能性ありということで、今回は下流方向に歩くことにした。砂防ダム音楽家の悲しい性(さが)とでも言おうか、やはり日常的に大きな堤体を目指してしまうものなのである。階段工もときには大変見事なものに出会うことがあり、こちらも決して無視は出来ないが、はっきりと本堤だけ、もしくは本堤+副堤だけでドーン!と構えている堤体がやはり好きなのである。

大きな堤体に期待感を抱きながら歩を進める。

地図には描かれていなかった橋

林道大沢線の印象

林道大沢線の印象。なんて偉そうに書いてしまったが、これはもうお隣りの滝沢川沿いの林道とあまり違いは無い。今回もいろいろ画像を撮ってきたが、見ていただいてのとおりである。

今回、この大沢線を下流の基点までフルに歩いてきて、林道上への倒木、土砂の流出、林道そのものの洗掘など多数見てきた。酷い、というよりは前回の滝沢川含め、これが当地の山の“個性”なのかなと思った。決して優しいばかりで無く、荒れるときは荒れる。人間とは平穏に共存していくことが出来ない難しい山だと思ったのだが、別にそれが嫌であるとか、改良しろとかいう風には思わない。

当地に居住しているわけでも無い、全くの“よそ者”ならではの極めて楽観的な言い分に聞こえるかもしれないが、このような個性に触れることが出来て正直、幸せを感じた。林道の決して短くは無い区間の洗掘から判断して、これを仮に全面復旧するとすれば莫大な労力を要するであろう。

そんなことをする必要があるだろうか?きれいさっぱり改良しました!という林道でも河川構造物でも、とても残念なところを今までいくつも目にしてきている。物理的に通れるだとか、スムーズに流れるだとかいうことも確かに大事であるとは思うが、人の心に対して不安感を与えるような、近寄りがたい雰囲気を醸し出すような山こそ排除していくべきだと思っている。

土砂災害が全く起らない完全体の山など要らないし、作る必要も無い。

大沢川沿いには車の走れない極めて不便な林道が続いていることがわかった。でもそれはこの山の個性から発揮される極めて素直な道の姿であって、その姿に感動を覚える人は結構いるのかもしれない。少なくとも、私にとってはいい思い出が出来たのだということをここに記しておきたい。

やめられない。

結局、歩きに関しては林道大沢線基点を越えて東名高速上り線高架下の通行止め看板(前回見た地点)まで行ったあと折り返して、再び最初のゲートまで戻った。途中、看板を見つけて「遊女の滝」に下りたり、歌は滝から数えて2つ上流側の堤体で楽しんだりした。

堤体を前に音楽をしに行っているのだけれど、やっぱり楽しみはそれだけでは無いということが再確認出来た砂防ダム行脚となった。その場所に行くまでに色々なものを見たり、感じたりすることの出来る楽しさがこの音楽にはある。練習室やホールで歌うのではこういったことはなかなか味わえないのではないか?

こうなると砂防ダムの音楽はやめられない。

画像奥の堤体による河床低下も一因
ゴロゴロ
洗掘中の林道
こちらの堤体前もご覧のとおり
30年以上経って未だ河床が安定しないということ。
大沢川

ヒキガエル

今日は足柄SAからスタート。

今日(2月13日)は足柄SAからスタート。

午前中は雨が降っていた。それも昨日の夜から断続的にである。午後からは雨がやんで、一転晴れるというので足柄SA下り線に待機していたのだった。

祈るような思いとともに迎えた午後0時。空は予報通り、突然、快晴となった。前回、寒沢川と金時川に入っているが、今回は金時川のさらに北側のエリアを攻めるつもりで来ている。天気が回復してくれたことで、気分的には少し楽になった。

これならば目的地までのドライブだけでも楽しむことは出来そうである。問題があるとすればそこから先で、午前中まで元気に降っていた雨の影響をうけ、渓行が思ったように出来ないのではないかという不安を抱えている。

足柄SAを出発。桑木の集落に向かって坂を下り、JR御殿場線を見る。いったん桑木踏切をわたり、直後の新金時橋前で車を停車。橋から鮎沢川の様子をうかがうと、水量はそれほどではないものの水が濁っている。やはり渓行は厳しいか?それならば路上から谷止工相手に歌おうかと考える。

―沢を歩くのが危険というならば、沢に降りなければ良い。―

川をチェックしたあと、1枚画像を撮った。鮎沢川は金時山山麓北側を回り込んで酒匂川となり、最後相模湾に流れ出す静岡→神奈川の越境河川である。水の流れとしては県境に向かっているので不思議な画が撮れた。川が山の方向に向かって流れているように見える。

鮎沢川

コースの一部

新金時橋前を出発し、JR御殿場線に寄り添うようなかたちで北に向かって車を走らせる。前回、行脚した金時川より北側には順番に、山沢川、地蔵堂川、滝沢川、大沢川といった川が控える。どれも流れに太さの無い、川というよりは沢に近い程度のものであることは地理院地図の情報からすでに明らかであるが、期待感は決して低いものでは無い。

新規開拓では何が起るかわからないはずだ。

であるから、本当は山沢川に入らなくてはいけなかった。しかし今回はパスすることに。地理院地図を見れば川の流域の大部分がギャツビーゴルフクラブにかかっていて、これはもはやコースの一部というような体で描かれている。別に遠慮することも無いと思ったが、雨後で渓行出来ない可能性ありという点含めて鑑みるとここは素通りするのが吉と判断して通過した。

さらに北に向かって走り、地蔵堂川を目指す。

足柄峠

地蔵堂川へはJR御殿場線の竹之下踏切を渡り、直後に現れる看板のとおり「足柄山古道」経由で進む予定であった。しかし、その看板前の丁字路、足柄山古道方面には「林道通行止め」の看板が。
それならばと、もう一つの地蔵堂川ルートである県道78号線ルートを使おうと右折したのだが、その先のY字分岐でもこれまた全面通行止の文字。

どうやら、地蔵堂川へは入れないようである。こちらの川もパスすることに。

少し焦りながら次に選んだのが県道365号線のルート。地図上に沢は全く描かれていないが、この道は静岡、神奈川両県の県境「足柄峠」へと続く重要なルートのため、谷止工が見つけられるかもしれないという思いで登り始めた。ここでは結局、一番上の足柄峠まで登って、しかし谷止工発見とはならなかったが、峠から下りてきて約4.0キロ地点に大沢川、滝沢川へと続く入り口をそれぞれ発見した。

大沢川の入り口はがっちりゲートで閉鎖されていたため進入出来なかったが、そこからちょっと降りたところにある滝沢川入り口には入ることができる状態であった。

―よし、行こう。―

林道に入ってからは、滝沢川に沿うようなかたちで降りていくことができた。降り始めてすぐにわかったのが、かなり森が傷んでいるということ。土砂崩れの復旧跡はあちこちに見られ、どちらかと言えばその復旧跡の壁のすき間をかろうじて通り抜けている感じ。林道本体が沢からの浸食を受けている箇所があったりして、ヒヤヒヤしながら坂を降りた。

上流部に堰堤を見つけることが出来たが、伏流していたためその後は大して期待していなかった。だが・・・、

地蔵堂川には入れず
滝沢川の伏流していた堰堤

だが・・・、

堤体は突然現れた。それは林道脇の土砂崩れ跡が見られなくなり始めた頃のことであった。高さは堤高10メートル程度といったところか?ちゃんと落水も見られる。

悩んだ・・・。というのもここまで降りてくる時に林道から、その脇の滝沢川から酷い土砂崩れ痕を見ていたからだ。気分的にどうも乗り気になれなかった。

ここはいったん「キープ」という判断で、次の堤体を目指すことに。一本東側を流れる大沢川に下から入ろうということで、駿河小山駅前まで降りて800メートルほど東進。入り口には「遊女の滝」の看板があり、かなり整備された道を走れるのでは?と期待したが、まもなく現れた東名高速道路上り線の高架下で、またしても「通行止め」の看板。沢の感じとしてもかなり荒れている様子。

あきらめて滝沢川に戻ることにした・・・。

発見時に撮影。

用水路にふと目をやると

先ほどキープした滝沢川の堤体まで戻った。堤体付近には駐車スペースが無かったため、堤体前を通過しさらに100メートルほど上流の道幅の広くなった所に車を置いた。
車を降りる。
すると、堤体の方から動物の鳴き声がする。普段よく聞くニホンジカの「キャン!」というものではない。断続的に「ケケケケ!」と鳴いているのだ。
―ははぁ、竹の節間同士が擦れる音だなこれは。だましやがって!・・・―

準備を済ませ、堤体に向かって歩く。林道沿いの用水路にふと目をやると、水たまりの中でなにかがピュッと逃げた。イワナかと思ってその逃げたあたりをウォーキングポールで突いてやると足の生えたイワナが下手くそな泳ぎでズズズッと水たまりの反対側に突進した。

ヒキガエルだった・・・。1匹の。

やれやれと用水路を見限り、その後堤体上に到着。

ヒキガエルだった・・・。おびただしい数の。

おびただしい数の。

冬眠から覚めて

たしかにもう立春を9日ほど過ぎ、暦の上では春である。それにしたってまだ2月。寒くて朝おきるのがつらい日もある。屋内だってそんなであるのに、ここは屋外、自然の中。冬眠から目覚めて、元気に鳴きまくっている猛者達のその姿には唖然となった。携えていた温度計で計測してみれば気温15度、水温は10度という条件下での出来事であった。

ヒキガエルの画像を撮り終え、今度は自分が歌うため堤体下に降りる。ヒキガエルたちの旺盛に鳴く姿に触発されてこちらも俄然やる気が出てきた。

選んだ曲はシューベルト作曲のDie schöne Müllerinから数曲。この曲集は私のなかでは冬限定。水車職人の娘に片思いした青年がその自身の溢れる気持ちを表現した詩から曲が出来ている。今年はどれだけこの曲集を歌うのだろうか?と期待して迎えた冬であったが、意外にも出番が少なかった。

堤体を前にしてどんな曲を歌うかは事前に決めていることが無く、その時、その場所で得た気分によって選曲している。素晴らしいとわかっている曲であっても、そのときのシチュエーションに合致しなければパスすることとなる。気分で選んでいるので旧知でおとずれた堤体と新規開拓でおとずれた堤体ではやはり差が出てしまう。

もしかするとDie schöne Müllerinは新規開拓ならではの歌なのかもしれない。

今日は午前中まで雨が降り続いた。そんななかで堤体を前にして歌うことがまず出来た。そこを評価したい。しかも実際に滝沢川という川に来て、その土砂崩れ痕から一時やる気を失ってしまったが、なんとか取り戻すことが出来た。そんな自分自身がなれた、というのはやはりここで待ち構えてくれていたあの早起きヤツらのおかげだと思っている。

ヒキガエルたちに心から感謝したい。

よく見ると立派な脚をしている
こちらはホオノキの葉のじゅうたん。
水裏、側壁、水叩き
上流域の土砂崩れ痕
滝沢川

金時川

御殿場市内から見た富士山(御殿場市深沢)

2月3日。この日は、自宅のある沼津市から北を目指してハンドルを握った。行き先は御殿場方面。沼津市岡宮から始まる伊豆縦貫道にまずは入り、(伊豆縦貫道)長泉ICを目指す。今日は朝の出発が少し遅れてしまったせいもあってか、新東名長泉沼津インター過ぎてすぐの片側2車線→1車線合流地点は難なくクリアー出来た。

―最近、ここは大丈夫になったのか?―
この道を午前中走るのは久しぶりな気がする。もしかしたら、1年以上走っていないかもしれない。御殿場方面自体かなりご無沙汰となってしまっていたので、ここの名物渋滞が最近どうなのか把握できていない状況であった。

直後の長泉ICからは国道246号線に乗る。この先はずっと片側2車線の道が続いていて快適だ。空はさわやかな晴天で気分は上々である。

途中、御殿場市萩原で国道138号線に乗り換え、東名高速御殿場インター下をくぐったのち東山湖の土手を左手に見ながら進んだあと、深沢西の旧国道入り口にて右折。直後、左手に現れる林道入り口に車を置いた。

深沢西の信号

寒沢川

午前中は車を置いた所から寒沢川に入った。ここは、以前来たことのある場所なのだが、その時は何かのついでで立ち寄ったために装備が疎かで、堤体までたどり着く前に途中で断念している。かなりこぢんまりとした沢であるが、ここ数日間の晴天続きに冬場という条件下であっても水は途切れること無くしっかりと流れている。

実は自宅のある沼津市を中心として色んな川を見てきたが、同市以北の地域に関して私はかなり苦手意識が大きい。特に裾野市、御殿場市方面の沢に関しては溶岩層の多孔質部分(クリンカー)のはたらきによって、雨水がガンガン吸水されてしまうという特性があるため、せっかく現地に赴いたものの、
「沢が無い!」
という事態に何度も出くわしている。

この傾向が沼津市北部の愛鷹山から、山梨県の山中湖村ぐらいまで続いているため、いつしか、
「富士山麓はダメだ・・・。」
という苦手意識が生まれ、堤体を探したりすることそのものをあきらめてしまっていた。

そんななかで、でもこの冬の新規開拓のシーズンに御殿場方面でいいところを見つけておきたいな。ということで今回寒沢川を目指した。結果としては地理院地図にある“せき”マークは堤高5メートル程度の低い堰堤であるということが判明したが、流れる水も大変きれいで渓行の楽しさを味わえたと思う。川の上流には何か?があるようで、かなり整備された道を発見できたが余計なところでケガをするまい。ということで虻蜂取らず引き返した。

寒沢川

午後は金時川へ

寒沢川の低い堰堤では満足出来ず、午後は自治体界を跨いで駿東郡小山町に入ることにした。目指したのは金時川。こちらもやはり新規開拓で、地図で道を確認しながら向かうことになった。経由地として「ホテルGOLF」、「鮎沢川」、「紅葉橋」などが出てきたためそれらの位置をしっかり確認しながら進むと、直前の通過ポイント「ギャツビーゴルフクラブ」前に出ることが出来た。

そこから、金時山登山道の案内標識に従って進むと簡易水道施設が現れ、さらに少し進んだところで林道山側斜面の崩落に遭遇。これ以上車では進めないため、そこからは歩いて堤体を目指した。

崩落ヵ所から堤体までは歩いて5分ほどであった。堤高10メートルクラスの大型砂防ダムに歓喜。さっそく林道から沢まで降りる。沢に降りる前段階から河床が不安定なことが見て取れたため、最後水辺に降りる直前はかなり気を遣った。右岸側は針葉樹(スギ)、左岸側は広葉樹(?)によって出来た空間で、かなり明るい。

今の時期であれば、夕方の薄暗い時間が良いのではないかと思った。もうちょっと暖かくなって左岸側の渓畔林が回復してくれれば日中でもいけるかもしれない。明るすぎる環境の中、それでもなるべく暗い所をということで針葉樹の右岸側に寄って歌うと、なんとか楽しめた。

崩落に遭遇。

“怪しい記述”を目指した。

同地は15分ほどの早さでいったん退渓。再び林道まで上がり、もう一本上流にある“怪しい記述”を目指すことにした。通常、地理院地図は砂防ダム等を二重線マーク(前述の“せき”マーク)で示すが、時折どういうわけかそれを違う記述で表すことがある。どんな記述法かといえば一本線で表していた沢をある地点で突然広げたりする方法。

地図上には沢の途中に小さな湖のようなものが出来る。それが今いる砂防ダムより上流に確認出来ていたので行ってみることにした。

雨水によってかなり削られた林道に驚きながら進むと、目的の場所に到着。正体は巨大な鋼鉄製透過型砂防ダムであった。鋼鉄が小学校の体育館にある肋木(ろくぼく)のような形に仕上げられているのは、土砂を余計に貯留することを防ぐためであろう。排砂が必要なくなるという点において重力コンクリート式とは性格を異にする。メンテナンスフリーで人が来なくてもいいというメリット反面、ここまでの林道を見てわかる通り山林は放置されている。

いずれにせよ、これでは歌えない。

削れていると言うよりも穴が開いたに近い。
鋼鉄は肋木のような形状

今日は節分

来た道を折り返すようにして林道の(これはもはや)落とし穴に落ちないよう進み、車に戻った。その後、昨年3月にオープンしたはずの東名高速足柄SAスマートインターを確認しようということで、同所を目指した。鮎沢川に架かる新金時橋、JR御殿場線桑木踏切などを通過するとあっという間にSAに到着。

盛り土を固めて作った真新しいスマートインターは見事に仕事をしていた。有人の料金所と比べると実にシンプル。通行車両の運転手は、ETC車載器の作動音とともに虚しく開いたゲートを通過するのであろう。旅行での料金所通過を一つのイベントとして捉えるならば、近くの御殿場インターチェンジを使った方がいいかもしれない。

普段、伊豆中央道やら修善寺道路で現金決済をしているが、料金所の回収係も人という一つの立派なインフラなのかもしれないと思った。人が立っているかどうかで、その観光地の競争力に影響が出る。これは、普段勤めているホームセンターで上司からよく言われていることと似ている。その上司いわく小売業も人が立っているほうがよく売れるのだという。

腹も空いたので何か買って帰るか、と下り線側のSAに立ち寄ったらあの「柿次郎」が今日は恵方巻きを売っていた。そうか、今日は節分であったか!うまそうだったので、ついゲットしてしまったがよく考えなかった。
―フードコートじゃ恥ずかしくて食えない・・・、車中も見つかるかもしれん。―

足柄SAを出て、空腹に耐えながら帰路を走り続けたのだった。

足柄SAスマートインター(画像は下り線側)
柿次郎
柿次郎の恵方巻き
寒沢川の堰堤
金時川の砂防ダム





大好き河津町!vol.6

修善寺駅からはバスで移動。

今回は、電車・バスを使っての河津町入りについて書こうと思う。

普段、あちこちの砂防ダムに訪れていることを記しているのだが、それは何のためかといえばこのページを見てくれた方が実際にその場所に行ってみたいと思った時に、少しでも参考になってくれれば・・・。という思いが私自身の中にある。

いろいろなところで、美しい砂防ダムを見てきて紹介しているのに、そのどれもが自家用車を用いなければ行けないという条件付きであったならば、本当に多くの方に利益となる情報を出せていないな。ということを考え、今回は電車・バスを乗り継いで河津町に行ってみた。

出発前の気持ちとしては、ただ堤体を訪れる。ということだけなのだけれど普段とは違う公共交通機関を利用して、ということで非常にワクワクしていた。結果的にもなんとか堤体までたどり着いて歌ってくることが出来たので、今回はその時のエピソードとしたい。

修善寺駅までは電車移動。

天城路フリーパス

1月23日午前6時5分。まずは沼津駅から電車に乗って三島駅を目指す。三島駅にはわずか4分ほどで到着。と、ここでいきなりの時間調整。じつは本日はフリー切符を利用しての移動を考えていた。

フリー切符の名は「天城路フリーパス」。(株)新東海バス・(株)南伊豆東海バス発行のフリー切符で、これさえあれば修善寺駅~河津駅間の路線バスが2日間乗り降り自由になるという大変便利なものがあるという。
フリー切符はおとな2,400円。(小人は1,200円)これを修善寺駅前の東海バスターミナル案内所で購入する必要があったのだ。案内所の営業時間は午前8時から。

修善寺駅に、あまりにはやく着いても行くところが無く困ってしまうのではないかと、三島駅にて時間調整をすることとした。

実際に買うことが出来た天城路フリーパス。有効期間は2日間。

若人の足いずっぱこ

午前7時34分。伊豆箱根鉄道駿豆線下り列車に乗り、修善寺駅を目指した。この日は木曜日。朝のラッシュ時とあって学生が多い。いずっぱこ(同路線の地元での愛称)は平日こうして地元民の学校への足となっている。

これも休みの日はあの“ねずみ~ランド”への足となっているのであろうか?こんな正真正銘の田舎の線路でも日本各地、そしてあの舞浜駅に続いていることを考えると、なかなかロマンがあると思う。
それにしても最近はどういうわけか、よく“ねずみ~”に行ってきたという思い出話を聞くのである。今年の干支がねずみだからなのか?

修善寺駅には8時9分に到着。今日の目的地は自動販売機すら置いていないところなので、駅内のコンビニでペットボトルのお茶を購入する。このあと起きる展開なども知らずに至ってのんきにしていたのだった・・・。

東海バスターミナル

1時間40分待ち

結論から言えば、田舎の路線バスに対してもっとシビアにとらえておくべきだったと反省した。河津駅行きのバスは8時15分修善寺駅前発があり、その次は9時55分修善寺駅前発。その出車間隔1時間40分。まぁ、恐らくコンビニで会計をしていた頃には出車していたのであろう。後悔先に立たずというより、ちゃんとバスの時間くらい確認しておきなさい!が的確である・・・。

落胆する私であったがバスターミナルの受付のお姉さんはとても親切であった。9時00分発の昭和の森会館行きのバスに乗って、浄蓮の滝など見学してみては?などと、いろいろアドバイスしてくれた。

結局、これまた修善寺駅内にある観光案内所が午前9時にオープンしたので、そこに設置してあったパンフレットなどを読んで伊豆の情報収集。

9時55分発のバスを待って、ようやく乗車した。

観光案内所で見つけたパンフレット。地元はオリンピックに沸いている!?

二階滝バス停下

バスはいったん東海バス修善寺温泉バス停に寄り道したあと、一路かわづ駅を目指した。ちなみに今日の目的地の堤体は「二階滝バス停下」。

伊豆半島中央を南北に横断する国道414号線は、途中標高643m地点で新天城トンネルに入るが、その新天城トンネルを抜けて、最初にあるバス停が二階滝バス停だ。修善寺駅からの所要時間はバスの運行時間帯によっても異なるが、およそ50分ほどの行程となる。

いつもの見慣れた風景をバスのフロントガラス越しに見ながら進む。この日は雨が降っていたので、座席横の窓は露で曇って見えなかった。

“にかいだる”と読む。

ミニパーキングエリア

二階滝バス停には10時46分に到着。ここのバス停は乗用車数十台が止められる広い駐車場と、ちょっと大きめの水洗トイレがある。同地を一度でも訪れたことのある人ならばここにトイレがあることは、はっきりと誰しもわかっているであろう。国道沿いのミニパーキングエリア(ただし、売店はおろか自動販売機すらない。ベンチとテーブルを備えた四阿が一棟ある。)といった感じである。

乗用車で訪れる際も、参考にしていただければと思う。

今日は、この広い駐車場から見て一段上にある旧天城街道(踊子歩道)にいったん移って、その道路沿いを入渓点とする。堤体そのものはバス停より南南西方向に数百メートル行ったヵ所の河津川流域内にあり、その河津川は国道から見てさらに低いところにあることから、ここでいったん上に登るのはかなり面倒くさくなる感じもするが、直接バス停から国道414号線沿いを歩いて堤体に向かうのは交通安全上どう考えても危険である。

安全策として、なるべく国道414号線に接しない形で堤体にたどり着きたいため、回り道を選択。まずは駐車場裏の階段を登った。

バス停にある駐車場。まずは階段を登る。
階段を登りきったら右に曲がる。

植物を傷つけないように降りる。

旧天城街道(踊子歩道)に出たら、南南西方向に歩を進める。そして、しばらく歩いたのち山側に「静岡県」と書かれた反射体付きのポールが現れるのだが、その反対側、谷側斜面の柵の切れ目が入渓点となる。入渓点といっても、国道からはいったん登ってきているため川は遠くなっている。

気を引き締め、道路の柵の切れ目から降り始める。
ここは梨本国有林林地内であるため、生えている植物を極力傷つけないようにしながら坂を下りたのであるが、本当に難なく国道まで降りられてしまった。気を遣っているというのに林床を歩く時の障害物、それに本来なるであろう下草があまりにも生えて無さすぎる。冬場とはいえ、これは・・・。

天城一帯に増えまくるニホンジカの影響なのか?

旧天城街道から降り始めておよそ20分ほどの行程で堤体にたどりついた。

旧天城街道沿いにはこのような谷止工が連続している。
このポール際に深い貯め升状の穴がある。
柵の切れ目から降り始める。

公共交通機関素人の旅

ここの堤体の特徴はなんといっても、その上すぐを国道が走っているという点にあるだろう。堤体の二階部分より上が非常に明るく開けていて、光が降ってくる。また時折、車の走行音が聞こえる。

水については河津川の本流らしくしっかりと流れていて、堤体の一段下にある落差1メートルほどの小滝とともにかなり大きな音を出している。そのような大きな音に対し、渓畔林の力を借りながらなんとか響かせようと試みたのだが、その形勢は多くの時間、堤体側優位であった。

音のことに関していえば―ダメだった。―というのが正直なところ。スギの木がしっかりと生えている環境下であったのに、それをうまく生かせなかった。

悪天候であったことも影響してあまり曲に対してあまり集中できていなかったような気もする。もっと、暗い所に入れたら響いてないながらも最低限きもちよく歌えてたかもしれない。

結局、1時間も持たないで退渓。再び二階滝バス停に戻った。午後2時すぎの河津駅行きのバスに再び乗車し、踊子温泉会館前で下車。温かい湯に浸かったあと、修善寺駅行きのバスの時刻をしっかりと確認し、バス停にて待機。
時刻表どおり計画的に動いたところ、数分の待ち時間でバスは到着。

公共交通機関素人の旅は教訓ばかりで幕を閉じた。

国道まで降りきったところ。登坂の車もこのスピード感。
ガードレールの外側をへつるようにして進む。
この看板が目印。ここに来たら河津川に向かって降りる。
薄緑色のシラカシが雨に映える。
当日の様子。
晴れている日の同地。

たかだか川の名前なのだが

ゲートと猫越川橋

1月19日。この日は河原小屋沢に入った。河原小屋沢は猫越岳~三蓋山にかかる尾根の中間にある手引頭(標高1,014m)、長沢頭(標高1,022m)あたりを水源として始まり、最終的には猫越川、そして狩野川に合流する中伊豆山中の川である。

伊豆市猫越集落の最奥地点で道路がY字に分岐しているところがあり、左に進むと河原小屋沢への入り口となるゲートと猫越川橋が現れる。ゲートを越え、猫越川橋を渡り林道を使って堤体を目指す。ちなみに猫越川橋の下を流れるのは猫越川。河原小屋沢はまもなく現れるカーブミラーより東側を流れる川のほうである。

林道をそのまま進んだ場合、標高460メートルほどの地点に舗装路と砂利道の分岐が現れるが、ここで左を選択すると道は桐山林道となり、右側を選択すると猫越林道となる。桐山林道はほどなくして洞川橋(ほらかわばし)で河原小屋沢をわたる形になるが、河原小屋沢全体の堤体(河原小屋沢本川の堤体)の数について解説すると、この洞川橋より下流側には5本、上流側には4本の堤体がある。

林道の分岐点すぐにある看板。
洞川橋

どちらの名が正しいのか?

洞川橋というのだから、何が起きてしまっているのかというと、河原小屋沢に洞川という別名があるということが発覚してしまった。いや、むしろ洞川こそがこの川の元々の、地元民や古くからのビジターに通った名前なのかもしれない。
そもそもなぜ私がこの川を河原小屋沢と称しているのかといえば、

―地理院地図にそう書いてあったから・・・。―

というだけなのである。しかもこの川は何度も訪れているが河原小屋沢名義で書かれた看板等は一度も見たことが無い。ほんとに合っているのか?

そういえば以前、当ブログで修善寺の北又川に架かる三ツ石橋の表記を見た時にそこには北又川ではなく修善寺川とあった。同じく中伊豆東部の西川で河川の基点を示す看板に大見西川と表記されていたことなどはじめ、似たような事例が非常に多く思い当たる・・・。

で、どうするか?

ブログに記述するにはどうしたらいいのか?と迷ったが、ここは地元民には該当しない“よそ者”である自分自身がへりくだる形で、地理院地図にある通り呼んでいこうと思う。この川は河原小屋沢だ!

ここで地理院地図の発行元である国土地理院にお願いしたいことがある。言うまでも無く正確な調査に基づいた河川名、その名を地図に反映させて欲しいということ。事実誤認や、誤った職権によって本来あるはずの河川名が無くなってしまうのは、川の歴史そのものを歪めていることになる。その地に先祖代々、住居を構える人々が○○と呼んでいたものを地図という影響力によって変えてしまうなんてことはあってはならないし、もし万が一あったとしたら、こんな悲しいことはない。

同地図を渓流歩きの基礎情報として使用している自分自身であるから、そういったことを切に願っているのだが、対するものの多くは“山奥の川”という極めてローカルなものであるため、なかなか資料も少ないのかなとも思う。

忌憚なくコメントを

そう思うとたかだか河川の名前なのだが、実はそれだけでも正確性を期そうとすればかなり難しいのだということがわかる。一本の川のことを多くの人が見ている。自治体職員、国家公務員(これは国土交通省系もいるし、農林水産省系もいる。)、その地域に住む地元民。地元民のなかでもその川の間近に住む人と、あるていど距離を置いた所に住む人で呼称が違うかもしれない。

インターネットの時代で、多数決的に多くの人が書いたり、呼んだりしているものが正しいとされ、少数派の言うものは間違いとされる。多数派の呼び名はどんどん増殖し、少数派の言った名は廃れ、それだけで無く(少数派の)あなたのは間違いだからと訂正を求められたりまでする。

そこに本来あるべき真の姿を見ようとするための事実確認は無い・・・。

前述の通り私は今後も地理院地図に沿う形で書いていこうと思うが、もしかしたらそれが誤っていることもあるかもしれない。そうした事実を見つけた場合は、忌憚なくコメントを寄せていただければと思う。

一番下流部にある堤体。低いが副堤つき。
2番目の堤体。
これは洞川橋より下流すぐにある5番目の堤体。
洞川橋から見える最初の堤体。

一日を終えたあとのうまい延長戦

書店に行くと誰でも目にすると思う。こんな雑誌を。

「究極のラーメンぴあ静岡版」というムック本らしい。中を開けば、この表紙にあるような画像の連続で、とにかくラーメンばかりを掲載している。

私はラーメンのことにはあまり詳しくは無い。なんとなく食べてみて、魚介だなとか鶏ガラだなとかいうことがわかるのだけれども、それ以上はただ「うまい!」としか言いようがない。全くもってグルメという方面の知識に疎いのだけれども、最近ラーメンでいい思いをしたことがあったのでその時のことを書いておこうと思う。

下校時刻より早く

1月16日。この日は中伊豆天城山北麓を行脚した。時間のほとんどを菅引川の探険に費やし、残りは大見川、地蔵堂川の様子見に使い一日を終えた。

空からの光があることで成立する砂防ダムの音楽は、日没を迎えてしまえば以降は楽しむことが出来ない。今の時期だとだいたい夕方5時前には外はかなり暗くなってしまうので、それより前に退渓して帰路をたどることになる。

この日も、最後の地蔵堂川の様子見を午後3時頃に終えた。5時までは残り2時間程度あったが、ギリギリまで粘ること無く早めに切り上げる。これが理想形である。こちらは石がゴロゴロした渓を歩くのが常であるため、万が一のアクシデントを想定しているからだ。途中で足をくじいたとして、その直後に闇が訪れるようでは危険すぎる。突然、その場から身動きがとれなくなったときに冷静に対処するには、まずは何より時間的余裕が確保されていることが条件であると思う。

今の時期は計画段階から、午後の2時とか3時を退渓の時間として設定するのが通例。夕方狙いで後に伸びることもあるが、そういう楽しみ方をするのは稀。
「一日を終えるはずの時間」はもはや、小学生の下校時刻より早いのだ。

菅引川の入渓点「樫の木橋」
天城山北麓の川は大きな石がゴロゴロしている。(画像は菅引川)
菅引第6を巻いてみたりしたが、以降は渓がきつすぎて断念した。
河床が不安定なところがまだまだ多い。(菅引川)

きょうはノボリが

ということでの、一日を終える午後3時。地蔵堂川でまだまだ一心に働くワサビ農家さんたちを尻目に川沿いの坂を下りはじめ、万城の滝入り口看板のある滝川橋を渡る。以降、原保、戸倉野、宮上を経由し、八幡東(はつまひがし)の交差点を左折。県道12号線を西に向かって進む。

そういえば・・・。

そういえば、来る時にこの道を通ってラーメン屋のノボリが立っていたことを思い出した。じつは以前から、ここにラーメン屋があったことは知っていたのだが、私の通過したタイミングが悪かったのであろう。店は営業している様子が無く、いつもはスルーしていた。だが、きょうはノボリが立っている。

―おぉ、やる気があるでは無いか!―(本当に申し訳ない。誠に失礼ながらもそう思ってしまった・・・。)
店はどうやら午後5時から夜の営業を再開するようなので、それまでは近くのホームセンターに寄ってみたり、仮眠を取ったりしてオープンを待った。

時がきた。

午後5時すぎ、県道12号線を走りながら店の看板が点灯していることを確認。Uターンして店のあるアパートの駐車場に車を止める。

明らかに自分以外に客がいない。

駐車場が空であったのだ。だが、腹はもう決まっている。どんなにヤバそうな店だったとしても、今日はここでラーメンを1杯注文して食べてから帰る。

店の引き戸を開け中に入った。予想に反して店は超キレイ。外はもう真っ暗なので、余計に店内のカウンター、壁、天井の清潔さが引き立つ。入り口すぐには券売機がありそこで食券を買い、店主に手渡す。
しばし待った後、ラーメンが登場。薄緑色のどんぶりにキャベツ、チャーシュー、ホウレンソウ、海苔とともに麺が盛られている。

早速食すと、一口目からうまいということがわかった。食べ続けてもその印象は変わらず、どんどん箸が進む。この頃になると、ほかのお客さんが続々と来店して賑やかになってきた。最初じぶんしかいなかったのは夕方5時のオープン直後であったからのようである。店らしい雰囲気に完全になったところでこちらの気分も緩み、ぬるくなったどんぶりのスープを最後無くなるまで楽しんだ。

店を出て、また冬の空気に触れる。鼻から抜ける息もひんやり爽やかであった。伊豆半島内で一日遊んだ後に、まっすぐ家まで帰るのもいいが、こうして当地で作られた食べ物とともに一日を締めくくるのもなかなかいいなと思った。

この日、一日を終えたあとのうまい延長戦であった。

うまいに似合わずひっそりと営業している。
思えば、これも当地の「水」で作られた食べ物だ。
菅引第5砂防ダム
菅引第6砂防ダム

沼津正月

千本浜

年が明けた1月2日。新年のワクワク感とともにとりあえず外へ出てみることにした。車には釣り道具を積み込み、海でも見に行こうと市内の千本浜に向かって車を走らせた。外は快晴。気持ちのいい朝の出発であった。

自分自身は新潟出身とあって、冬のこの時期は天気の荒れる日が多い。雨が降ったり、雪が降ったりでたいていは外で遊べない日を過ごすこととなる。特に西高東低の冬型の気圧配置になった日の海沿いなどは風がビュービューと吹いて、海面は低くなった気圧に持ち上げられて大シケとなり、ドカンドカンとうねりが砕ける光景を目にする。
そんな新潟日本海の海とは似ても似つかず、この日の静岡駿河湾は大変に穏やかでまるで湖のようであった。

どこから来たのであろうか?今日もまた海に沿って伸びる堤防上にも、またそこから下へと続く階段、砂利浜の上にも人がちらほらと見られる。
多くは観光客であろう。

―あなたの地元はどんな海ですか?―

当初はここで初釣りを堪能する予定であった。しかし、この穏やかな海を見ているうちにただそれが満足感となって、釣りをやる気も失せて、竿は閉まったままにしておいた。新年初釣りにこだわる必要は無い。自分自身に収まる価値観のなかで、新しい年を喜び、その中で釣りが出来れば十分であろうと思う。

堤防の陸側。中央に見えるのが富士山。

鉄道、バスと

千本浜を後にし、沼津港へと車を走らせる。ほどなくして沼津港に到着。きのうは元日で今日は2日。正月休み最盛期の港を歩く。

ここは在来線の最寄り駅「沼津駅」からはだいぶ離れているが、にもかかわらず多くの歩行者で賑わっていることに驚かされる。駐車スペースにはたしかに県外ナンバーの車がずらりと並べられた光景が確認できたが、それだけでは無いはずで、“公共交通機関組み”も多いであろう。鉄道、バスと乗り継いでまでしてこの沼津港を訪れたかったのか?

行動力のある人がいるもんだなと感心するとともに、ありがたさを感じ、そしてなによりも魅力溢れる観光地に自分は在住しているのだということを再認識した。

みなと生鮮館に入り「千漁家」でメギスの干物を購入したのち沼津港を出発した。

沼津港
千漁家
メギスの干物

愛鷹と書いてあしたか

その後、いったん自宅まで戻り、干物を冷凍庫にしまったのち昼食をとるため愛鷹パーキングエリアに移動。ここでもまた観光客のなかに混じる。券売機のボタンを見れば「あしたか牛入りもやし炒め定食」とあったのでそれに決め、出来上がりを待つ。

食券を渡す時にご飯大盛りでオーダーしたため、呼ばれて取りに行った時には山盛りのそれが用意されていた。後半、白飯だけがのこったため(これは大誤算!)それを「たかぼーふりかけ」で締める。たかぼーとはこのパーキングエリアのイメージキャラクターのことでオリジナルグッズなども販売されている。

食堂内にあるテレビには、箱根駅伝のランナーが映し出されていた。自分も学生時代は陸上競技の競技者であった。学生ランナーなどという華々しい肩書きにはほど遠い実力ではあったが、今はそれを飯をかきこみながら見るような立場となった。

懸命に走る箱根ランナーに対し、偉くなったもんだと反省しつつ愛鷹パーキングエリアを後にした。

ここは高速道路の施設であるが、下からも入れる。
あしたか牛入りもやし炒め定食

高橋川に入渓す

その後、愛鷹パーキングエリアを出てまっすぐ坂を登った。目指したのは高橋川の入渓点。新東名の上にかかる高架橋をわたり「新沼津カントリークラブ」を東側から回り込むようにして進むと駐車場所に到着。食後の眠気に襲われ、しばし微睡んでから出発することとし、車のシートをリクライニングモードに。時間は午後2時。やはり晴れていて暖かい。

15分ほどの仮眠ののち起きて準備を整える。気を引き締め、堤体に向かって斜面を降りる。

斜面を降りはじめてから15分ほどで堤体に到着。早速目に飛び込んできたのは渇水しきった河床。岩も石も酸化した鉄分によって赤く染まって、その色が流されること無く留まっている。水が流れていないから辺りは本当に静かで、小鳥のさえずる声以外ほぼ物音がしない。

bluetoothスピーカーに電源を入れ、曲を選ぶ。シューベルト作曲のganymedを選び出し、音を流す。この曲は速くやっても演奏時間6分を越える長いものであるが、自然界のなかで歌えば不思議とあっという間に終わってしまう。そういったことは水の流れの影響などもあってのことなのかと思っていたが、この日ここに来て歌ってみてわかったのは、そうでも無いということ。水が流れていても、流れていなくても変わらないようである。

この日は新春早々の歌い初めであった。

今年もまた、いろいろな砂防ダムへ行き、音楽をやっていきたいと思っている。もうすでにかなりこの音楽を楽しめていると思うが、これをさらにもっと楽しいものにするにはどうすれば良いのかを研究し、開発を進めていきたい。まだまだ世の中には見たことも無い美しい砂防ダムが数多くあるはずであろうと思う。そういった「美」を発見しながら、同時にその場所にあった音楽を見つけだして、曲の持っている魅力を引き出していきたいと思っている。

砂防ダム音楽の楽しさ、その追求に終わりは無い。

入渓点の目印となる看板
テイカカズラ
高橋川

勘三郎沢

今回はかなりの藪こぎをした。それにしてもこれは何だろう???

ある日のこと。ホームセンターにて箒を使っているとなにやら出所不明の赤い実を見つけた。大小ごちゃ混ぜの泥まじりの落ち葉をガサガサとどかしていると、ひときわ目立つ“赤玉”が一つ、シダ箒にはじかれてコロコロと転がった。
これは何の実だろうか?
ふと、周りを見渡す。ん?
気がつけば周囲には、赤い実をつける植物がそこかしこに。確かめてみればヤブコウジ、センリョウ、マンリョウ、ナンテン、ウメモドキ、オウゴンモチ、チェッカーベリー、セイヨウヒイラギなど。今の時期は、クリスマス&正月前のシーズンとあって、売り場は赤い実をつける植物だらけであったのだ。

いろいろ見比べてみた結果、赤い実はチェッカーベリーの実であることが判明した。

チェッカーベリー

そういえば

そういえば、あの沢の流域には赤い実をつける低木がたくさん生えていたな。と思い出した。神奈川県足柄下郡、湯河原町を流れる藤木川の支流にアケジ沢という沢があって、そのアケジ沢の流域にはどういうわけか、その赤い実をつける低木がよく生えていたのだ。低木の名前は不詳。
―わからないときは調べなきゃ。―と思いつつも、砂防ダム探しに夢中になっているとついついこんなことをしてしまう。図鑑をパッと開けば答えが載っているというのに、上に行くことばかりに心酔していて、同定作業が疎かになってしまっていたのだ。

売り場でふと考えた。もちろん結論としては、その赤い実を調べに行くということ。湯河原行きを決定した。尚、今回はすでに行った事のあるアケジ沢を最後まで行くのでは無く、途中から合流する支流の「勘三郎沢」に移って遡ることにした。つまりのところ新規開拓。勘三郎沢はほんの一部であるが、箱根-湯河原間をつなぐ自動車専用道路「湯河原パークウェイ」と並行している区間があり、じつは以前、この湯河原パークウェイを走行していた際に上から覗き込むようなかたちではあるものの、2本、堤体を発見していたのだ。以来ずっと行って、下からも見てみたいと思っていたのだが実現できていなかったため、今回はその確認作業となる。

クリスマスイブ前日の12月23日。行くなら今日だと経由地の箱根峠を目指した。

前回アケジ沢に行った時の様子

シーズンを迎えていた

23日午前9時すぎ、「箱根峠」信号を南東方向に右折し、「湯河原峠」バス停直後にある湯河原パークウェイ料金所を目指す。途中、道端が白くなっていたので車を止めてよく見れば、なんと雪。前日、沼津市内では雨が降っていたが、この地ではもう積雪シーズンを迎えていたようである。再発進しバス停前を通過。左折してすぐにあるパークウェイ料金所にて通行料金を支払い、坂を下りはじめる。

「エンジンブレーキ併用!」の看板が示す通り、ここの坂はなかなか勾配がきつい。本格的に雪が降ってしまえば、通行止めの措置がとられるそうであるが、そんな状態にあっては、そもそも坂を下りることがはばかられると思う。
―昨日じゃ無くて良かった・・・。―などと思いながら坂を下りていくとあっという間にパークウェイが終了。奥湯河原温泉街に出た。その後「加満田」の看板前丁字路を右折。車が入っていけるところまで入っていくと入渓点が現れた。

上下線ともに料金所は山の上にある。

群生しているのか?

―あった、あった。―アケジ沢の入渓点に表れたのは記憶にあった通りの赤い実。粒の大きさはアーモンドの種くらいあって、店にあるものたちよりも細長くて大きい。早速図鑑で調べると、アオキの実であることが判明。
それにしても、このアオキの実たちはこんなにも堂々と空に向かって「どや!」とアピールしているのに、野生動物の食害をほとんど受けることも無くきれいに残っている。アケジ沢の流域のみならず奥湯河原一帯に広く群生しているのか、ターゲットになりにくい環境にあるようだ?しっかりとした赤で、これだけの粒と色を出すのには、さぞかし体力を使ったことであろうと思う。ちぎり取られる痛さはあるかもしれないが、頑張った甲斐も無く散布の恩恵を受けられないのは、不本意なのではないか?

アオキの画像を撮り終え、時計を見れば午前11時。準備を済ませスタートする。橋を渡り直後の堰堤を巻いたあと、ここで初めて水に入る。昨日の雨(雪)の影響もあって、水量は豊富だ。水道用の水車小屋がある前の堰堤を巻いたあと、次の堰堤も巻き、合流点に差しかかった。

入渓点にある橋と堰堤
アオキ
葉は外用薬、健胃薬に利用されるという。

右側の沢へ

直進がアケジ沢、右側が勘三郎沢。過去には直進して砂防ダムを見てきたことがある。藪を漕いだり、大きな滝があったりなどしてかなりきつかった思い出があるがそれだけに、今回の勘三郎沢もかなり手こずるのではないかと緊張する。

午前11時半、緊張と新規開拓の期待感とともに勘三郎沢に入る。合流点すぐの低い堰堤を巻き、進む。川の規模としては沢と言うにふさわしい具合。こんな沢を上がっていって本当に砂防ダムがあるのかとも思うのだが、今回は堤体そのものについては確認が取れている。幅の極めて狭まった区間からは「渓谷」の感が強く感じられるが、パークウェイから投棄されたと思われるゴミが散乱していたりする所には不気味さを感じる。
勘三郎沢に入ってから40分ほどの行程で、画像Ⓐの砂防ダムに到着。なかなか雰囲気は良かったが、今回の目的地はパークウェイ沿いの2本と決めていたためここでは歌わずにパスすることとした。

アケジ沢と勘三郎沢の合流点
水中に見えた時、金か!と思ってしまった・・・。
画像Ⓐ

1本目の砂防ダム

Ⓐの砂防ダムを越えると、目的の砂防ダムはもう近かった。パークウェイ沿い1本目の砂防ダムの登場である。堤体に幾つか開けられた水抜き穴の一番下から水が流れ落ちていて透過型砂防ダムとして機能している。もはや排水口に近い。これでは音楽など楽しめないと画像を撮り終え、すぐさま堤体左から巻き始める。かなり手こずったが登り終え、天端上の右側に移ったあと堤体の上流側側面をおりる。透過型砂防ダムというのは滞留土砂を持たないため、堤体を巻くときの後半に降りるという作業が発生し、しかもここでは大変に苦労した。

1本目の寸前。右岸上方からはパークウェイを走る車の音が時折聞こえる。
1本目の砂防ダム。堤高13メートルとの刻印があった。

2本目の砂防ダム

降りきってから遡行を再開し、10分ほどで2本目の砂防ダムに到着。遠巻きに目に入ってきた時、もう理解できていた。パークウェイ沿い2本目の砂防ダムも透過型であったのだ。

ここまで来るのにスタートから2時間40分。当初の予定通りここが本日のゴール地点。そのまま引き返すかと思ったが、せっかくだからとbluetoothスピーカーの電源を入れる。シューベルトのganymedを再生させると、歌えてしまった。途中、
Ruft drein die Nachtigall Liebend nach mir aus dem Nebeltal.
(呼ぶ、そのなかへ、ナイチンゲールが、愛する私に霧の谷から)という部分があるのだが、たしかにナイチンゲールではないものの何かの鳥がピーピーと鳴いている声が聞こえた。選曲はあっていたようだ。

小一時間、水抜き穴から流れ落ちる3本の白いすじを見ながら歌って、楽しんだ。今回は、苦労して上がってきて結果、これであったのだが、残念な気持ちなどは無い。自身の気持ちに対して素直になりここまで来られたと思う。探究心を持って沢に挑めたと思う。新規開拓できたという喜びの方が大きかった。

令和初の年もそろそろ幕を閉じる。来年も元気に積極的に、好奇心旺盛にどんどん新しい砂防ダムにチャレンジしていきたい。

ゴール地点にもいた。
湯河原パークウェイ沿い2本目の砂防ダム