たかだか川の名前なのだが

ゲートと猫越川橋

1月19日。この日は河原小屋沢に入った。河原小屋沢は猫越岳~三蓋山にかかる尾根の中間にある手引頭(標高1,014m)、長沢頭(標高1,022m)あたりを水源として始まり、最終的には猫越川、そして狩野川に合流する中伊豆山中の川である。

伊豆市猫越集落の最奥地点で道路がY字に分岐しているところがあり、左に進むと河原小屋沢への入り口となるゲートと猫越川橋が現れる。ゲートを越え、猫越川橋を渡り林道を使って堤体を目指す。ちなみに猫越川橋の下を流れるのは猫越川。河原小屋沢はまもなく現れるカーブミラーより東側を流れる川のほうである。

林道をそのまま進んだ場合、標高460メートルほどの地点に舗装路と砂利道の分岐が現れるが、ここで左を選択すると道は桐山林道となり、右側を選択すると猫越林道となる。桐山林道はほどなくして洞川橋(ほらかわばし)で河原小屋沢をわたる形になるが、河原小屋沢全体の堤体(河原小屋沢本川の堤体)の数について解説すると、この洞川橋より下流側には5本、上流側には4本の堤体がある。

林道の分岐点すぐにある看板。
洞川橋

どちらの名が正しいのか?

洞川橋というのだから、何が起きてしまっているのかというと、河原小屋沢に洞川という別名があるということが発覚してしまった。いや、むしろ洞川こそがこの川の元々の、地元民や古くからのビジターに通った名前なのかもしれない。
そもそもなぜ私がこの川を河原小屋沢と称しているのかといえば、

―地理院地図にそう書いてあったから・・・。―

というだけなのである。しかもこの川は何度も訪れているが河原小屋沢名義で書かれた看板等は一度も見たことが無い。ほんとに合っているのか?

そういえば以前、当ブログで修善寺の北又川に架かる三ツ石橋の表記を見た時にそこには北又川ではなく修善寺川とあった。同じく中伊豆東部の西川で河川の基点を示す看板に大見西川と表記されていたことなどはじめ、似たような事例が非常に多く思い当たる・・・。

で、どうするか?

ブログに記述するにはどうしたらいいのか?と迷ったが、ここは地元民には該当しない“よそ者”である自分自身がへりくだる形で、地理院地図にある通り呼んでいこうと思う。この川は河原小屋沢だ!

ここで地理院地図の発行元である国土地理院にお願いしたいことがある。言うまでも無く正確な調査に基づいた河川名、その名を地図に反映させて欲しいということ。事実誤認や、誤った職権によって本来あるはずの河川名が無くなってしまうのは、川の歴史そのものを歪めていることになる。その地に先祖代々、住居を構える人々が○○と呼んでいたものを地図という影響力によって変えてしまうなんてことはあってはならないし、もし万が一あったとしたら、こんな悲しいことはない。

同地図を渓流歩きの基礎情報として使用している自分自身であるから、そういったことを切に願っているのだが、対するものの多くは“山奥の川”という極めてローカルなものであるため、なかなか資料も少ないのかなとも思う。

忌憚なくコメントを

そう思うとたかだか河川の名前なのだが、実はそれだけでも正確性を期そうとすればかなり難しいのだということがわかる。一本の川のことを多くの人が見ている。自治体職員、国家公務員(これは国土交通省系もいるし、農林水産省系もいる。)、その地域に住む地元民。地元民のなかでもその川の間近に住む人と、あるていど距離を置いた所に住む人で呼称が違うかもしれない。

インターネットの時代で、多数決的に多くの人が書いたり、呼んだりしているものが正しいとされ、少数派の言うものは間違いとされる。多数派の呼び名はどんどん増殖し、少数派の言った名は廃れ、それだけで無く(少数派の)あなたのは間違いだからと訂正を求められたりまでする。

そこに本来あるべき真の姿を見ようとするための事実確認は無い・・・。

前述の通り私は今後も地理院地図に沿う形で書いていこうと思うが、もしかしたらそれが誤っていることもあるかもしれない。そうした事実を見つけた場合は、忌憚なくコメントを寄せていただければと思う。

一番下流部にある堤体。低いが副堤つき。
2番目の堤体。
これは洞川橋より下流すぐにある5番目の堤体。
洞川橋から見える最初の堤体。

一日を終えたあとのうまい延長戦

書店に行くと誰でも目にすると思う。こんな雑誌を。

「究極のラーメンぴあ静岡版」というムック本らしい。中を開けば、この表紙にあるような画像の連続で、とにかくラーメンばかりを掲載している。

私はラーメンのことにはあまり詳しくは無い。なんとなく食べてみて、魚介だなとか鶏ガラだなとかいうことがわかるのだけれども、それ以上はただ「うまい!」としか言いようがない。全くもってグルメという方面の知識に疎いのだけれども、最近ラーメンでいい思いをしたことがあったのでその時のことを書いておこうと思う。

下校時刻より早く

1月16日。この日は中伊豆天城山北麓を行脚した。時間のほとんどを菅引川の探険に費やし、残りは大見川、地蔵堂川の様子見に使い一日を終えた。

空からの光があることで成立する砂防ダムの音楽は、日没を迎えてしまえば以降は楽しむことが出来ない。今の時期だとだいたい夕方5時前には外はかなり暗くなってしまうので、それより前に退渓して帰路をたどることになる。

この日も、最後の地蔵堂川の様子見を午後3時頃に終えた。5時までは残り2時間程度あったが、ギリギリまで粘ること無く早めに切り上げる。これが理想形である。こちらは石がゴロゴロした渓を歩くのが常であるため、万が一のアクシデントを想定しているからだ。途中で足をくじいたとして、その直後に闇が訪れるようでは危険すぎる。突然、その場から身動きがとれなくなったときに冷静に対処するには、まずは何より時間的余裕が確保されていることが条件であると思う。

今の時期は計画段階から、午後の2時とか3時を退渓の時間として設定するのが通例。夕方狙いで後に伸びることもあるが、そういう楽しみ方をするのは稀。
「一日を終えるはずの時間」はもはや、小学生の下校時刻より早いのだ。

菅引川の入渓点「樫の木橋」
天城山北麓の川は大きな石がゴロゴロしている。(画像は菅引川)
菅引第6を巻いてみたりしたが、以降は渓がきつすぎて断念した。
河床が不安定なところがまだまだ多い。(菅引川)

きょうはノボリが

ということでの、一日を終える午後3時。地蔵堂川でまだまだ一心に働くワサビ農家さんたちを尻目に川沿いの坂を下りはじめ、万城の滝入り口看板のある滝川橋を渡る。以降、原保、戸倉野、宮上を経由し、八幡東(はつまひがし)の交差点を左折。県道12号線を西に向かって進む。

そういえば・・・。

そういえば、来る時にこの道を通ってラーメン屋のノボリが立っていたことを思い出した。じつは以前から、ここにラーメン屋があったことは知っていたのだが、私の通過したタイミングが悪かったのであろう。店は営業している様子が無く、いつもはスルーしていた。だが、きょうはノボリが立っている。

―おぉ、やる気があるでは無いか!―(本当に申し訳ない。誠に失礼ながらもそう思ってしまった・・・。)
店はどうやら午後5時から夜の営業を再開するようなので、それまでは近くのホームセンターに寄ってみたり、仮眠を取ったりしてオープンを待った。

時がきた。

午後5時すぎ、県道12号線を走りながら店の看板が点灯していることを確認。Uターンして店のあるアパートの駐車場に車を止める。

明らかに自分以外に客がいない。

駐車場が空であったのだ。だが、腹はもう決まっている。どんなにヤバそうな店だったとしても、今日はここでラーメンを1杯注文して食べてから帰る。

店の引き戸を開け中に入った。予想に反して店は超キレイ。外はもう真っ暗なので、余計に店内のカウンター、壁、天井の清潔さが引き立つ。入り口すぐには券売機がありそこで食券を買い、店主に手渡す。
しばし待った後、ラーメンが登場。薄緑色のどんぶりにキャベツ、チャーシュー、ホウレンソウ、海苔とともに麺が盛られている。

早速食すと、一口目からうまいということがわかった。食べ続けてもその印象は変わらず、どんどん箸が進む。この頃になると、ほかのお客さんが続々と来店して賑やかになってきた。最初じぶんしかいなかったのは夕方5時のオープン直後であったからのようである。店らしい雰囲気に完全になったところでこちらの気分も緩み、ぬるくなったどんぶりのスープを最後無くなるまで楽しんだ。

店を出て、また冬の空気に触れる。鼻から抜ける息もひんやり爽やかであった。伊豆半島内で一日遊んだ後に、まっすぐ家まで帰るのもいいが、こうして当地で作られた食べ物とともに一日を締めくくるのもなかなかいいなと思った。

この日、一日を終えたあとのうまい延長戦であった。

うまいに似合わずひっそりと営業している。
思えば、これも当地の「水」で作られた食べ物だ。
菅引第5砂防ダム
菅引第6砂防ダム

沼津正月

千本浜

年が明けた1月2日。新年のワクワク感とともにとりあえず外へ出てみることにした。車には釣り道具を積み込み、海でも見に行こうと市内の千本浜に向かって車を走らせた。外は快晴。気持ちのいい朝の出発であった。

自分自身は新潟出身とあって、冬のこの時期は天気の荒れる日が多い。雨が降ったり、雪が降ったりでたいていは外で遊べない日を過ごすこととなる。特に西高東低の冬型の気圧配置になった日の海沿いなどは風がビュービューと吹いて、海面は低くなった気圧に持ち上げられて大シケとなり、ドカンドカンとうねりが砕ける光景を目にする。
そんな新潟日本海の海とは似ても似つかず、この日の静岡駿河湾は大変に穏やかでまるで湖のようであった。

どこから来たのであろうか?今日もまた海に沿って伸びる堤防上にも、またそこから下へと続く階段、砂利浜の上にも人がちらほらと見られる。
多くは観光客であろう。

―あなたの地元はどんな海ですか?―

当初はここで初釣りを堪能する予定であった。しかし、この穏やかな海を見ているうちにただそれが満足感となって、釣りをやる気も失せて、竿は閉まったままにしておいた。新年初釣りにこだわる必要は無い。自分自身に収まる価値観のなかで、新しい年を喜び、その中で釣りが出来れば十分であろうと思う。

堤防の陸側。中央に見えるのが富士山。

鉄道、バスと

千本浜を後にし、沼津港へと車を走らせる。ほどなくして沼津港に到着。きのうは元日で今日は2日。正月休み最盛期の港を歩く。

ここは在来線の最寄り駅「沼津駅」からはだいぶ離れているが、にもかかわらず多くの歩行者で賑わっていることに驚かされる。駐車スペースにはたしかに県外ナンバーの車がずらりと並べられた光景が確認できたが、それだけでは無いはずで、“公共交通機関組み”も多いであろう。鉄道、バスと乗り継いでまでしてこの沼津港を訪れたかったのか?

行動力のある人がいるもんだなと感心するとともに、ありがたさを感じ、そしてなによりも魅力溢れる観光地に自分は在住しているのだということを再認識した。

みなと生鮮館に入り「千漁家」でメギスの干物を購入したのち沼津港を出発した。

沼津港
千漁家
メギスの干物

愛鷹と書いてあしたか

その後、いったん自宅まで戻り、干物を冷凍庫にしまったのち昼食をとるため愛鷹パーキングエリアに移動。ここでもまた観光客のなかに混じる。券売機のボタンを見れば「あしたか牛入りもやし炒め定食」とあったのでそれに決め、出来上がりを待つ。

食券を渡す時にご飯大盛りでオーダーしたため、呼ばれて取りに行った時には山盛りのそれが用意されていた。後半、白飯だけがのこったため(これは大誤算!)それを「たかぼーふりかけ」で締める。たかぼーとはこのパーキングエリアのイメージキャラクターのことでオリジナルグッズなども販売されている。

食堂内にあるテレビには、箱根駅伝のランナーが映し出されていた。自分も学生時代は陸上競技の競技者であった。学生ランナーなどという華々しい肩書きにはほど遠い実力ではあったが、今はそれを飯をかきこみながら見るような立場となった。

懸命に走る箱根ランナーに対し、偉くなったもんだと反省しつつ愛鷹パーキングエリアを後にした。

ここは高速道路の施設であるが、下からも入れる。
あしたか牛入りもやし炒め定食

高橋川に入渓す

その後、愛鷹パーキングエリアを出てまっすぐ坂を登った。目指したのは高橋川の入渓点。新東名の上にかかる高架橋をわたり「新沼津カントリークラブ」を東側から回り込むようにして進むと駐車場所に到着。食後の眠気に襲われ、しばし微睡んでから出発することとし、車のシートをリクライニングモードに。時間は午後2時。やはり晴れていて暖かい。

15分ほどの仮眠ののち起きて準備を整える。気を引き締め、堤体に向かって斜面を降りる。

斜面を降りはじめてから15分ほどで堤体に到着。早速目に飛び込んできたのは渇水しきった河床。岩も石も酸化した鉄分によって赤く染まって、その色が流されること無く留まっている。水が流れていないから辺りは本当に静かで、小鳥のさえずる声以外ほぼ物音がしない。

bluetoothスピーカーに電源を入れ、曲を選ぶ。シューベルト作曲のganymedを選び出し、音を流す。この曲は速くやっても演奏時間6分を越える長いものであるが、自然界のなかで歌えば不思議とあっという間に終わってしまう。そういったことは水の流れの影響などもあってのことなのかと思っていたが、この日ここに来て歌ってみてわかったのは、そうでも無いということ。水が流れていても、流れていなくても変わらないようである。

この日は新春早々の歌い初めであった。

今年もまた、いろいろな砂防ダムへ行き、音楽をやっていきたいと思っている。もうすでにかなりこの音楽を楽しめていると思うが、これをさらにもっと楽しいものにするにはどうすれば良いのかを研究し、開発を進めていきたい。まだまだ世の中には見たことも無い美しい砂防ダムが数多くあるはずであろうと思う。そういった「美」を発見しながら、同時にその場所にあった音楽を見つけだして、曲の持っている魅力を引き出していきたいと思っている。

砂防ダム音楽の楽しさ、その追求に終わりは無い。

入渓点の目印となる看板
テイカカズラ
高橋川

勘三郎沢

今回はかなりの藪こぎをした。それにしてもこれは何だろう???

ある日のこと。ホームセンターにて箒を使っているとなにやら出所不明の赤い実を見つけた。大小ごちゃ混ぜの泥まじりの落ち葉をガサガサとどかしていると、ひときわ目立つ“赤玉”が一つ、シダ箒にはじかれてコロコロと転がった。
これは何の実だろうか?
ふと、周りを見渡す。ん?
気がつけば周囲には、赤い実をつける植物がそこかしこに。確かめてみればヤブコウジ、センリョウ、マンリョウ、ナンテン、ウメモドキ、オウゴンモチ、チェッカーベリー、セイヨウヒイラギなど。今の時期は、クリスマス&正月前のシーズンとあって、売り場は赤い実をつける植物だらけであったのだ。

いろいろ見比べてみた結果、赤い実はチェッカーベリーの実であることが判明した。

チェッカーベリー

そういえば

そういえば、あの沢の流域には赤い実をつける低木がたくさん生えていたな。と思い出した。神奈川県足柄下郡、湯河原町を流れる藤木川の支流にアケジ沢という沢があって、そのアケジ沢の流域にはどういうわけか、その赤い実をつける低木がよく生えていたのだ。低木の名前は不詳。
―わからないときは調べなきゃ。―と思いつつも、砂防ダム探しに夢中になっているとついついこんなことをしてしまう。図鑑をパッと開けば答えが載っているというのに、上に行くことばかりに心酔していて、同定作業が疎かになってしまっていたのだ。

売り場でふと考えた。もちろん結論としては、その赤い実を調べに行くということ。湯河原行きを決定した。尚、今回はすでに行った事のあるアケジ沢を最後まで行くのでは無く、途中から合流する支流の「勘三郎沢」に移って遡ることにした。つまりのところ新規開拓。勘三郎沢はほんの一部であるが、箱根-湯河原間をつなぐ自動車専用道路「湯河原パークウェイ」と並行している区間があり、じつは以前、この湯河原パークウェイを走行していた際に上から覗き込むようなかたちではあるものの、2本、堤体を発見していたのだ。以来ずっと行って、下からも見てみたいと思っていたのだが実現できていなかったため、今回はその確認作業となる。

クリスマスイブ前日の12月23日。行くなら今日だと経由地の箱根峠を目指した。

前回アケジ沢に行った時の様子

シーズンを迎えていた

23日午前9時すぎ、「箱根峠」信号を南東方向に右折し、「湯河原峠」バス停直後にある湯河原パークウェイ料金所を目指す。途中、道端が白くなっていたので車を止めてよく見れば、なんと雪。前日、沼津市内では雨が降っていたが、この地ではもう積雪シーズンを迎えていたようである。再発進しバス停前を通過。左折してすぐにあるパークウェイ料金所にて通行料金を支払い、坂を下りはじめる。

「エンジンブレーキ併用!」の看板が示す通り、ここの坂はなかなか勾配がきつい。本格的に雪が降ってしまえば、通行止めの措置がとられるそうであるが、そんな状態にあっては、そもそも坂を下りることがはばかられると思う。
―昨日じゃ無くて良かった・・・。―などと思いながら坂を下りていくとあっという間にパークウェイが終了。奥湯河原温泉街に出た。その後「加満田」の看板前丁字路を右折。車が入っていけるところまで入っていくと入渓点が現れた。

上下線ともに料金所は山の上にある。

群生しているのか?

―あった、あった。―アケジ沢の入渓点に表れたのは記憶にあった通りの赤い実。粒の大きさはアーモンドの種くらいあって、店にあるものたちよりも細長くて大きい。早速図鑑で調べると、アオキの実であることが判明。
それにしても、このアオキの実たちはこんなにも堂々と空に向かって「どや!」とアピールしているのに、野生動物の食害をほとんど受けることも無くきれいに残っている。アケジ沢の流域のみならず奥湯河原一帯に広く群生しているのか、ターゲットになりにくい環境にあるようだ?しっかりとした赤で、これだけの粒と色を出すのには、さぞかし体力を使ったことであろうと思う。ちぎり取られる痛さはあるかもしれないが、頑張った甲斐も無く散布の恩恵を受けられないのは、不本意なのではないか?

アオキの画像を撮り終え、時計を見れば午前11時。準備を済ませスタートする。橋を渡り直後の堰堤を巻いたあと、ここで初めて水に入る。昨日の雨(雪)の影響もあって、水量は豊富だ。水道用の水車小屋がある前の堰堤を巻いたあと、次の堰堤も巻き、合流点に差しかかった。

入渓点にある橋と堰堤
アオキ
葉は外用薬、健胃薬に利用されるという。

右側の沢へ

直進がアケジ沢、右側が勘三郎沢。過去には直進して砂防ダムを見てきたことがある。藪を漕いだり、大きな滝があったりなどしてかなりきつかった思い出があるがそれだけに、今回の勘三郎沢もかなり手こずるのではないかと緊張する。

午前11時半、緊張と新規開拓の期待感とともに勘三郎沢に入る。合流点すぐの低い堰堤を巻き、進む。川の規模としては沢と言うにふさわしい具合。こんな沢を上がっていって本当に砂防ダムがあるのかとも思うのだが、今回は堤体そのものについては確認が取れている。幅の極めて狭まった区間からは「渓谷」の感が強く感じられるが、パークウェイから投棄されたと思われるゴミが散乱していたりする所には不気味さを感じる。
勘三郎沢に入ってから40分ほどの行程で、画像Ⓐの砂防ダムに到着。なかなか雰囲気は良かったが、今回の目的地はパークウェイ沿いの2本と決めていたためここでは歌わずにパスすることとした。

アケジ沢と勘三郎沢の合流点
水中に見えた時、金か!と思ってしまった・・・。
画像Ⓐ

1本目の砂防ダム

Ⓐの砂防ダムを越えると、目的の砂防ダムはもう近かった。パークウェイ沿い1本目の砂防ダムの登場である。堤体に幾つか開けられた水抜き穴の一番下から水が流れ落ちていて透過型砂防ダムとして機能している。もはや排水口に近い。これでは音楽など楽しめないと画像を撮り終え、すぐさま堤体左から巻き始める。かなり手こずったが登り終え、天端上の右側に移ったあと堤体の上流側側面をおりる。透過型砂防ダムというのは滞留土砂を持たないため、堤体を巻くときの後半に降りるという作業が発生し、しかもここでは大変に苦労した。

1本目の寸前。右岸上方からはパークウェイを走る車の音が時折聞こえる。
1本目の砂防ダム。堤高13メートルとの刻印があった。

2本目の砂防ダム

降りきってから遡行を再開し、10分ほどで2本目の砂防ダムに到着。遠巻きに目に入ってきた時、もう理解できていた。パークウェイ沿い2本目の砂防ダムも透過型であったのだ。

ここまで来るのにスタートから2時間40分。当初の予定通りここが本日のゴール地点。そのまま引き返すかと思ったが、せっかくだからとbluetoothスピーカーの電源を入れる。シューベルトのganymedを再生させると、歌えてしまった。途中、
Ruft drein die Nachtigall Liebend nach mir aus dem Nebeltal.
(呼ぶ、そのなかへ、ナイチンゲールが、愛する私に霧の谷から)という部分があるのだが、たしかにナイチンゲールではないものの何かの鳥がピーピーと鳴いている声が聞こえた。選曲はあっていたようだ。

小一時間、水抜き穴から流れ落ちる3本の白いすじを見ながら歌って、楽しんだ。今回は、苦労して上がってきて結果、これであったのだが、残念な気持ちなどは無い。自身の気持ちに対して素直になりここまで来られたと思う。探究心を持って沢に挑めたと思う。新規開拓できたという喜びの方が大きかった。

令和初の年もそろそろ幕を閉じる。来年も元気に積極的に、好奇心旺盛にどんどん新しい砂防ダムにチャレンジしていきたい。

ゴール地点にもいた。
湯河原パークウェイ沿い2本目の砂防ダム

新規開拓の季節到来。

今回も宇久須川のエピソード

宇久須川に初めて行った頃のことを書こうと思う。デジタルカメラの画像に付いた日付によれば、それはどうやら2016年の11月頃のことのようである。きっかけは当時の勤務先に、本屋でアルバイトしているという方がいて、その方に地理院地図を探してもらい購入したことから始まる。その後は専ら地理院地図の情報をたよりに、伊豆半島各地の砂防ダムに行っては歌っていたことがデジタルカメラのデータからわかるが、中でも宇久須川水系の堤体の画像が非常に多い。もうこれは地理院地図を見れば当たり前のことなのだが、伊豆半島西部、駿河湾に流れ出す各河川を比較したとき、砂防ダムなどを表す二重線マークが多いのは、圧倒的に西伊豆町を流れる宇久須川水系である。二重線は宇久須川の本流に多数見られるだけで無く、その支流河川である不動尊川、大久須川、赤川の3河川にも数多く描かれているため、全部合計すると相当な数になる。(そして地図に描かれていない堤体も存在するため、実際の総合計はさらに大きくなる。)

宇久須川での初堰堤

ウハウハ

どこであったか?という初入渓の場所は記憶に間違いは無く、上流部であった。宇久須川を県道410号線に沿って登っていくと画像Ⓐの堰堤が目に入ってくるが、その周辺、道路が大きくカーブしているあたりが道幅も広いため、当時もそのあたりに駐車したことであろう。

「一帯」という言葉の定義の仕方によっても異なってくるが、デジタルカメラのデータによれば、この一帯だけで画像Ⓐの堰堤も含めて7本もの堰堤を発見している。堤高5メートル未満の低めの堰堤ばかりであるが、いずれの堤体もその側面を自然のまま(側壁護岸を伴わない)としているため、雰囲気としてはなかなか趣がある。敷設からの年数も長いようで、堤体本体がしっかり黒くなっていることは、スギの渓畔林によって生じる暗がりをいっそう引き立て、歌うときにより詩の世界に入り込んでいけるのではないか?そのような雰囲気の中、当時どの程度まで音楽を楽しめていたのかは記憶していないのだが、初めて経験する連続の堰堤群に、気分はウハウハだったように記憶している。

画像Ⓐ
黒が映える。
完全に土の上からやっているめずらしい画。

砂防ダム探しのメソード

一方下流部はどうであろうか?下流部には翌月の12月に初入渓したようである。下流部の堤体へは、上流部への時と同様に県道410号線を使用してアクセスする。県道410号線は宇久須川をほぼ平行に登って行ける道なので、車を運転しながら川の様子をうかがうことが出来る。そして私は3年前、偶然にもこの宇久須の地で「砂防ダム探しのメソード」を修めたのであった。

このように道路のすぐ横に堤体がある。

川が階段状になっている

川が階段状になっている。ということを発見したことが大きかった。

これは登り、の時のことでは無く、車で下っていた時に気づいたことなのだが、宇久須川とほぼ並行に引かれた県道410号線より川を覗きこみながら走ると、あるところで川は突然、水平に近い状態となる。これは砂防ダムの堤体上で溜まった土砂によるものであると理解するのが、さらにその地点から下り続けた数秒後のこと。堤体が現れ、なるほど。せき止められた土砂なのか・・・。となる。そしてその直後に川の落水の様子を目撃する。
自分自身が見たかったのはその落水の様子。やはり気になるのは堤高の規模なので、ここでは落差が大きいほど嬉しさがある。大きな落差に期待して、自然と堤体の下流側の様子も見ることが出来ていたのだ。全体的には、川が水平に近い状態になった所から、堤体を境にストンと落ちてまた流れ始めるという、一つの堤体を中心とした川の高さの変化を見たのだった。

堤体を境に河床の高さが異なっていることがわかる。

あることに気がついた。

そのまま坂を下り続ければ、また次の堤体の箇所に入るため再度、水平になって、ストンと落ちる変化が見られる。次回以降もそうで、また水平になってストンとなる様子を見る。以降もこれのくり返しである。堰堤、砂防ダムの連続した宇久須であるからこそ、遭遇することが出来た光景であった。

ここでふと思ったのは、一つ一つの堤体によって出来た変化を合わせると全体的には川が階段状になっているということ。それぞれの堤体同士の間隔は決して短くはないものの、川は堤体という人工物によって、これまた人工物である階段のような形に変形させられていたのである。そしてその変形を見た時に私はあることに気がついたのである。
―川が階段状に変形することを察知するのに、堤体本体はあまり関係しないということ。―

落水を伴いながら一段一段下がる。

どういうことか?

水平に近い状態となった川は、面積的にはかなり広い範囲で見ることが出来る。一方の堤体本体はその幅およそ1メートルの“区間”でしかない。ゆえに前者は見つけやすく、後者は見つけづらい。実際の階段に例えれば、溜まった土砂によって形成された広い範囲は、階段の足を乗せる部分で、堤体本体は階段の“縁(ふち)の部分”でしかないのだ。

この事に気がついたことは以降の砂防ダム行脚において非常に役に立った。堤体を上流側から見つけようとする時、幅が1メートル程度しか無い堤体を探そうとしてもこれはなかなか難しい。ましてや、自然界の中では樹木や草によって視界が遮られるため尚更だ。堤体本体がただあるだけでは満足できず、その周辺に生える渓畔林の存在を大切にしている自身にとって、基本的に目指す先はそんな視界が遮られてやまないようなところばかりであるはずだから、見つけようと頑張ってみても困難な現状に直面することが多いはずで、事実、実際の現場でそうなることは多い。

水通し天端と袖は非常に短い区間。

探さなければならないのは

探さなければならないのは、見つけやすい、水平に近い状態になった川である。大きな石がゴロゴロ転がっていて、大小の轟音を放つ渓流区間のはずであるのに、あまり大きくは無い石が乾いていて広く溜まっている所。妙に流れの幅が狭くなって、すじ状になったところ。樹木が生えているが、その付け根には全然根を見ることが出来ずに土や石が覆いかぶさっているところ。川でこれらを見つけたら近くに堤体がある可能性が高い。上記のような変化は、流されてきた土砂の蓄積で、川の傾斜が水平に近くなったところによく見られる光景だからである。

川と道路がほぼ並行に走っていること、堤体そのものの数が多いこと、様々な偶然が重なりあったおかげで、宇久須では大変な勉強をさせてもらったと感謝している。前回のエピソードでは、無性に歩きたい!となったとあるが、きっとそれはこの川で得ることができた「学び」による感動を再び味わいたくなったからなのではないかと自分では思っている。

いよいよ冬が本格化するが、以降は、これまで視界を遮っていた草木の多くが枯れ、視界が最も開けるという季節に突入する。山の中の様子が見やすくなる中で、どんどん新しい場所にチャレンジして数多くの堤体を発見したいと、自身に対しワクワクしている。
探そうではないか、砂防ダムを。冒険しようではないか、山を。
新規開拓の季節到来。である。

堤体上に溜まった土砂を見つけるほうがわかりやすい。
宇久須川下流部の堤体。

ルアーフィッシング情報

ルアーフィッシング情報

ルアーフィッシング情報という雑誌が手元にある。西暦2000年の12月号とのことなので、自分が高校生の頃に買ったものである。

その雑誌の中にある連載記事。記事の内容を要約すると、ナレーターを本職とする筆者が仕事のオフを急きょもらうことになり、西伊豆に釣行。昼はヒラアジ類の幼魚(メッキ)を岸から狙い、夜は船からバラムツ(深海魚)釣りを楽しんだのち、下船して、再度岸から釣りをして帰宅したという内容。記事の内容はメッキ釣りのこともバラムツ釣りのことも大変詳しく書かれていて、読み手であるこちらを大いにワクワクさせてくれるのだが、それにも増して話が最高潮に盛り上がるのがクライマックスの部分。釣りそのものの出来事になるが、メッキ釣り用に用意した非常に華奢な釣りの仕掛けに、体長80センチはあろうかという大型のヒラスズキが掛かり、為す術も無く糸を切られて逃してしまった。というところ。記事は筆者の歯を軋ませるような言葉とともに結ばれている。

記憶のページを開く。

かつて憧れの地に降り立つ

当時の自分自身にとって大型のスズキ(シーバス)を釣り上げることは大きな夢であったため、この記事は非常に印象に残っていた。使用していた釣り糸の太さやルアー、掛けた魚の大きさもそうであったし、その釣りの舞台となった地である宇久須港もきちんとルビが振られていたため、しっかり“うぐす”と読んで記憶していたのであった。

まさかその西伊豆町宇久須の地で自分が今回、仕事をするなどとは思ってもみなかったのであるが、現実となってしまった。高校生当時は新潟県に住んでいたのだから尚更である。日本海、では無く太平洋沿岸のかつて憧れの地に、砂防ダム音楽家として訪れたのが雑誌の発売日から19年後の2019年、12月16日のことである。

歩きたい!という衝動に駆られ

件の宇久須への行き方であるが、伊豆半島西部を南北に結ぶ国道136号線を南下していくと、やがて恋人岬の看板を見ることが出来るが、そこから数えて3本目のトンネル「賀茂トンネル」を抜けたところからが賀茂郡西伊豆町で、その賀茂トンネル直後の小洞トンネルという短いトンネルを抜けたところ、海上にテトラポッドが並べられているあたりが早速の「宇久須」のクリスタルビーチである。今回入りたい宇久須川はその先の「松ヶ坂トンネル」通過直後にいきなり現れるが慌てず、右手側には農協、左手側にはセブンイレブンとなる「宇久須南」の信号までそのまま進み、「ラーメン幸華」の矢印看板に吸い込まれるように左折すれば良い。あとは道なりに進んでいけばやがて宇久須川に出会うことが出来るため、これに沿って堤体を探せば良い。

12月16日、当日は正午前から宇久須川に入り、午後5時前まで宇久須川を歩いた。当初の予定では、宇久須川を真横に見ながら遡ることが出来る県道410号線から一本良さそうな堤体を見つけ出し、歌を楽しんで終わらせる予定であったのだが、実際に同地へ来てみたところ、無性に歩きたい!という衝動に駆られてしまって、結局7本の堤体を回った・・・。

宇久須川の堤体例その1
宇久須川の堤体例その2

双方を両立

普段はこのようなことをあまりやらない。堤体を「安全に」行き来することも砂防ダム行脚の楽しさの一つと考えている自分自身にとって、あちこちの堤体をまるで居酒屋をハシゴするように歩き回ることが一番の危険行為だと考えているからだ。

例えば、その日スタート地点に立った時に保持していた集中力が100であったとする。スタート地点から一本目の堤体に向かうまでに幾らかの集中力を消費しながら見事到着した。途中、ケガなどのハプニングも無かったため、では次の、二本目の堤体を目指そう。となったとしよう。その一本目の堤体を離れてから二本目の堤体にたどり着くまでに消費することができる集中力の最大値は「スタート地点から堤体」までのあいだに消費した集中力の“残り”であり、100ではない。それも終わり今度は二本目の堤体を離れ三本目に向かう。三本目の堤体に向かうまでに消費することが出来る集中力の最大値は「スタート地点から二本目の堤体」までに消費した集中力の残りであり、100はおろか、大きく(一本目までの分+二本目までの分)マイナスした数となる。そのようにしていけば以降四本目、五本目と向かう堤体の数が多くなるにつれて、より少ない集中力でクリアしていかなければならないことになる。(・・・と、考えている。)

堤体の寸前に非常に解りづらい危険要素が隠れていたとしよう。その堤体がその日一番最初のものであったので、大きな集中力を持って挑み、みごと回避出来た。となれば良いが、今回のようにその日の七本目の堤体寸前にこれを迎えていたらどうなっているのか?百発百中きちんと気が付くことが出来るのか?

そしてもちろん、堤体を前に歌って終わりでは無い。最後に訪れた堤体から今度は車の置いてある所まで戻らなければならないという使命が常に毎回発生する。このときに必要な集中力もやはり“残り”で対処しなければならない。そう考えると、その日何本堤体を訪れるのか。という計画段階から、その本数が多ければ多いほど、ケガ無く帰ってこられる可能性は低くなるということが言えるし、逆に、その本数が少ないほど安全に帰って来られる可能性は高くなると考える。

好奇心旺盛に新しい砂防ダムを見つけていく楽しさ。砂防ダムを安全に行脚し、最後必ず帰って来なければならないという絶対的ルールにより生じる楽しさ。双方を両立することはなかなか大変ではあるが、砂防ダム音楽家としてそれにふさわしい行動を常々とっていきたいと考えている。

宇久須川の堤体例その3
宇久須川の堤体例その4

セブンイレブン天城湯ヶ島店

セブンイレブン天城湯ヶ島店。手前は簀子橋。

セブンイレブン天城湯ヶ島店という店がある。伊豆半島中央を南北に縦断する国道414号線(下田街道)で伊豆市市山の信号を過ぎて旧天城湯ヶ島支所前を通過、ひなと丸(土産物店)、浅田わさび店、浅田自動車などを見ながら進むと、左手におなじみの「7」の数字があらわれる。言わずと知れた“天城越え最終コンビニエンスストア”である。天城越えとはこの国道414号線を河津町方面に向かって行くと標高643mの地点に「新天城トンネル」というトンネルがあり、そこを通過して河津町内へ抜けることを言う。その昔は実際に峠道(二本杉峠)があったということで、天城峠越えと呼んでいたようであるが、その後、天城トンネル時代を経て、現在の新天城トンネルを利用しての峠越えとなっている。

観光の看板も備える。

安心感

セブンイレブン天城湯ヶ島店は、その峠越え前の最後のコンビニエンスストアということになる。以降は峠越えしてから河津町佐ヶ野までその恩恵にあずかることは出来ない。恩恵などというと少し大げさかもしれないが、この店以降は徐々に民家の数が減っていき、新天城トンネル前の誰も住んでいないような地帯に侵入していくことになる。そのような環境が待ち構えていることが解っているならば、自然とハンドルを握る指先にも力が入ると思うし、その緊張感を解きほぐすようなツールがあれば・・・ということで、自然とこの店の駐車場に入ってしまうのである。夏場であればここでアイスクリームなどを買って食べればいいと思うし、これからの時期であればホットコーヒーなどが嬉しい。いずれの商品を買い求めるにしても、レジで決済が終わったあと手元にあるのは商品と少しの安心感である。都市部で日常的にコンビニエンスストアを利用しているという人も、この店では普段とは違う買い物が出来ると思う。きっと、いつも手にしているあの商品が、今日はなんだかズッシリとしていて心強いな・・・となるであろう。

こちらは最終スタンドの伊伝(株)湯ヶ島店

奇跡の店

12月5日午前10時。件のセブンイレブンの駐車場に入る。まずは、店舗に入り昼食を買う。店を出たらその駐車場のフェンスを隔てて北側に流れている長野川の様子をうかがう。水量はいつも通りたっぷり流れている。2日前に降った雨の影響もあるであろう。ここの店に寄った時はいつもこんな感じである。長野川に入る時はもちろん、本谷川本流、支流、そして河津町方面に行く時もまずはこの長野川の様子をチェックして、行き先の状態の参考にする。水系が同一で無くとも、ここで普段より水が出ているな。と感じれば、それから実際行った川もだいたいそのような結果となっているし、そのようにある程度予測が付くものだから、ここで予定を変更して違う川に向かったりすることも出来る。長野川は狩野川の支流河川であるが、それをこの地で観測することが伊豆半島全体の河川を観測することとほぼ変わらない結果につながることを考えると、しかもそれが一軒のコンビニエンスストアの駐車場で出来てしまうという、これは便利なことこの上ない。店にある商品が「安心感」を伴ったタダものではないこと、こうして伊豆半島全体の河川を予測するインフラが店のすぐ北側を流れていること・・・。これは奇跡の店である。

長野川。簀子橋より。

静岡なのに長野

本日は、店の駐車場から観測した長野川にそのまま入る。ただし入渓点はそれよりも上流側にあるためまずはそちらへ向かう。午前10時過ぎ、店を出てわずか100メートルほど先にある「湯ヶ島宿」の信号を左折する。そこから長野川に沿うようにして3キロほどの行程をドライブする。ここは静岡県なのにその地名を「長野」とする不思議な所だ。長野の「野」の字を充てるには本当に大大大適切な場所で、伊豆市南部はほとんど険峻な山岳地帯で構成されるが、この地は比較的緩やかな丘で、広く開墾されており、そこで稲作などをしている。ちなみにその稲作をしているあたり、集落の中は非常にのどかな田園風景を見せるが、長野川の最上流部はコテコテのワサビ生産地となっており、そのワサビ田を囲む山の斜面も相当にきつくなる。ただ、集落のあるあたりと比較して広く開墾していることは最上流部にも共通していて、空からは太陽の光が燦々と降りそそぎ、天城の山から育まれる冷水とともにワサビを育てている。そんな環境で育てたモノは絶対にうまいに違いないと思っているのだが、残念ながらこれを食したことは無い。機会があれば試してみたいと思っている。

長野橋
用水で出来た滝があったりする。(画像中央)

今年一年、出来るようになったこと

午前10時30分。長野第三砂防ダムのすぐ横にある駐車スペースに車を停める。本日向かう堤体は、この第三砂防ダム(副堤上は立ち入り禁止)では無く、もう一本上流側にある。準備を済ませた後、第三砂防ダム主堤上に溜まった土砂に向かって入渓し、そこから10分も遡ると目的の砂防ダムにたどり着くことが出来た。堤高は第三砂防ダムとほぼ同じくらいと思われ、それでは15メートルといったところであろうか?横幅(堤長)と水通し天端はこちらの方が長く、2階部分の景色が広く開かれていることがなんとなくわかる。砂防ダムとしては大型の部類に入る堤体だ。
今年はこのような大型の堤体での遊び方を知った年であった。水がドカンと落ちていて、自分の出す声がほとんど響いていないのだけれど、それを逆に楽しんでしまうということの面白さを覚えてしまった。以前は音楽というのは音を響かせてナンボ、そうで無くてはいけない。という概念の縛りつけのようなものがあったように思うが、自然界の中での音楽活動によって、それがものの見事に崩れ去る瞬間に立ち会うことが出来た。そしてそのことは同時に、何事もやる前から全て決めつけてはいけないのだという戒めのようなものを自分自身にもたらしてくれた。音楽のことに関して言えば、大堤体のドカンを前に「ただ響いていない。」ということでもあるので、これから改良すべきところは改良して伸ばしていきたい。砂防ダム音楽の楽しさ、その追求に終わりは無い。

長野第三砂防ダム。主堤上にあるのはライブカメラ。
用水の取り入れ口がある副堤上は立ち入り禁止。
シラカシの渓畔林の下に入る。
堤体全景。

京都遠征〈後編〉

3日目は滋賀県に。

三日目のスタートは滋賀県大津市の一丈野(いちじょうや)駐車場からであった。ここは金勝山(こんぜやま)ハイキングコースのスタート地点となる駐車場で、駐車場のすぐ脇より遊歩道が整備されている。この日私が実際に利用したのは、その遊歩道のほんの最初の最初、オランダ堰堤までの区間である。(奥に行けば本格的な登山道になると思われる。)今回の京都遠征をするにあたって京都府・滋賀県の両府県をインターネットで事前調査したのだが、ほとんど情報が得られなかった京都府に反して、滋賀県はこのオランダ堰堤が非常に多くの方によって公開されており、自分も砂防ダムを専門とする者として見ておこうと思い、同地に降り立った。ここの堰堤はオランダ人の技術者ヨハニス・デ・レーケの指導によって明治19年から22年の間に建造されたとされる、日本国内で最も古い石積み堰堤のその中の一基とされている。インターネット上で掲げられている画像を見ると、子どもが川遊びをしている光景が目に入ってくるが、これはすなわち、この地に子どもでも訪れることが出来るということを意味している。砂防ダム・堰堤というのは山奥にあって、完成したら最後、あとはほとんど誰もその地を訪れないということが往々にしてあるように思うが、こうして駐車場・遊歩道が完璧に整備された中で市民に広く開放され、利用されているという点は、この堰堤を建造した者たちにとって大変嬉しいことなのでは無いかと思う。

朝一番を楽しむ

当日、11月23日は土曜日であった。この市民の憩いの場は、紅葉シーズン真っ盛りとあってこれからの時間、多くの人出で賑わうことであろう。その賑わい大会の開始前、閑散とする朝一番の冷たい空気の中、大変さわやかな気分で歌を楽しむことが出来て大満足であった。じつは、本日の砂防ダム行脚はこの朝一番の歌で終わり。このあとは京都市内に戻り、京都ロームシアターにて行われる「第72回全日本合唱コンクール」にお邪魔する予定であったのだ。三日間を統括して、遠征先での堤体探しの難しさはやはり容易ではないということがわかった。一日一基ペースで良質な堤体を見つけることが出来たらもっと良かったように思うが、この難しさもまた砂防ダム探しの魅力なのであろう。
午前8時前に一丈野駐車場を出発し、京都市内に向かう。まずは3日間お世話になったレンタカーを返しに行くため、途中ガソリンスタンドに寄りつつ、レンタカー会社の支店に向かった。京都市内は大渋滞であったが、なんとか無事に入庫。支店から京都ロームシアターまでは10分ほどの徒歩で到着した。

第72回全日本合唱コンクール

大会スポンサー

件の全日本合唱コンクールであるがこの大会は日本全国に数多あるアマチュア合唱団の中から、その日本一を決める。という大会である。それだけに、合唱ファンの注目度も高い。私は京都ロームシアターに来たのは今回が初めてであったが、実際にホールに足を運んで名演を聴きたい。という人々で会場は大混雑。そういう中でこれはとても嬉しいことに、その名演の舞台をスポンサードしたいという企業が現れ、大会を支えている。スポンサーとなった企業は大会のロビーに出店し、自社製品や取扱商品のPR活動を行う。今回、同大会においてロビーに出店した企業は4社。内訳は楽譜出版の「カワイ出版」、録音・録画製品の製造販売「ブレーン・ミュージック」、楽譜・楽器商、音楽教室運営等の「パナムジカ」、テキスタイル&アパレルの「ユニチカトレーディング」の4社であった。

カワイ出版
ブレーン・ミュージック
パナムジカ
ユニチカトレーディング

夢見ている

私は砂防ダム音楽家である。歌をうたう時の人数は違えど、合唱とは近い関係にあると思っている。夢見ていることとしては、来年以降、この全日本合唱コンクール全国大会の企業スペースに砂防ダム音楽家、森山登真須として出店することである。今年は第72回大会であったが第74回大会までになんとかしたい。どのような形での出店になるかはわからないが、同じ音楽というものを愛する同士として協力関係を築いて行けたらな。と思っている。当日の演奏では、古典から現代まで幅広く作品を聴くことが出来た。素晴らしいものの数々であったし、なぜ素晴らしいと感じたかと言えば演奏家のレベルが高かったからであると思う。歌曲も合唱曲も大変魅力的なものが世の中に存在しているのだからそれを次の世代に繋げていきたい。そんな風に思っている自分自身にとって、この日、優れた能力を持った歌い手に数多く出会えたことは、未来の明るい光を感じさせてくれる幸せな体験となった。これからの時代に求められることは、優れた曲、優れた演奏家、優れた指導の出来るスーパー先生、優れたメソッドそれら音楽界の財産を簡単にドブに捨てること無く、維持していくための環境作りであると思う。そんな自分自身の“欲”に今一度気づいた今回の観覧機会でもあったため、この気持ちを胸にまた今後も一本一本砂防ダムへ行脚し、音楽を続けていきたいと思った。自分に出来ることはまず「砂防ダムへ行き、歌うこと」であろう。

夜行便に眠る

午後6時、審査結果を待つ間に行われる学生達の歌合戦を聞き終え、審査発表となった。どの団体も素晴らしい演奏を聴かせてくれたではないか。相対的な比較でどこが賞を取ったとか、どうでもいいことであったので、また、会場の出入り口が混雑する前に(荷物が・・・、デカいのだ。なんせ、渓行するための道具一式、背負っていたから!)ということで、審査結果発表途中の京都ロームシアターをあとにした。重い荷物を抱えながら、三条京阪駅まで歩き、地下鉄、JRを乗り継ぎ京都駅に到着。日付変更すぐに到着する京都駅-沼津駅・三島駅間の高速バス直行便を冷え切る夜空の下、灯る京都駅の巨大ビルを眺めながら待ち、無事乗車。満足感と安心感にドッと襲われ、ぐでんと夜行便に身を委ねたのだった。

オランダ堰堤

京都遠征〈前編〉

京都駅

今回は11月21日~11月23日の3日間にわたって行った京都遠征についてのエピソードのその前編としたい。

11月21日午前10時。京都駅出てすぐにあるレンタカー会社の京都駅新幹線口店を出庫する。京都までは新幹線で来た。予定ではこれから、京都府内を北上。太平洋、日本海を分ける中央分水界を越え、一級河川由良川を目指す。由良川を選んだ理由は、もう釣り人としていろいろ情報源を漁っていた時代(中学生くらい?)にすでにこの川のことを知っていたということが大きい。知名度的に言えば「京都の川」と言うと、由良川よりも鴨川のような淀川水系の川が有名であるように思うが、今回は都の観光が目的では無い。砂防ダム探しが目的であるため、京都府北部の山間地を目指すこととした。因みに「砂防ダム探し」などと言うところからお察し出来るかもしれないが、今回、事前情報で京都府内の“歌えそうな”砂防ダムがまだ見つけられていない。地理院地図の情報をたよりに、二重線を一つ一つ叩いて、時間の許すかぎり回っていく予定を立ててスタートしたのであった。

周山街道沿いは北山杉がよく見られた。

そんな計画が頓挫した

一日目。結論から申し上げるとその“歌えそうな”砂防ダムを見つけることが出来なかった。周山街道(国道162号線)を北上し、南丹市美山にある安掛の信号から府道38号線を由良川に沿って東進。地図上に描かれた支流を適宜選びながら佐々里峠まで見てまわったのだが、良さそうなところを発見することが出来なかった。主な敗因としては、一つ一つの谷が思っていたほどの深さを持ち合わせていなかったということ。高低差が少なく堤体のサイズがみな小ぶりであった。地理院地図上では、二重線をいくつも見つけられていたため、出発前はむしろ―時間が足りなくなってしまうんじゃあないか?―と心配をしていたくらいであったのだが・・・。そんなわけで、ひどく落胆した。落胆しながら一日目を終えた。

南丹市美山のかやぶきの里周辺にて

賭けにも敗れ

二日目。この日はいったん京都府を抜け、滋賀県西部を南北に横断する国道367号線に出る。北上してから再び京都市内に入るルートを選定し、見てまわることにした。一日目の夜、急きょインターネットカフェに入りグーグルマップを開いて堤体を探したのだが、京都市左京区久多(くた)の大谷川で、堤体の一部であるが、良さそうな谷止工を発見したためまずはそちらに向かうことにした。
午前9時。滋賀県大津市を国道367号線に沿って北上し、「梅の木バス停」前の前川橋を渡る。8キロほど進んでお目当ての谷止工を見る。しかし、画面上で確認した“堤体の一部”の賭けに敗れた。思っていたほど堤高が無く、また左岸側の渓畔林も伐採されている面積が広すぎた。その場をあきらめ今走っている府道110号線に沿って京都市左京区広河原まで出る。この広河原から南へ続く道は昨日の夕方、京都市内に戻る時に使用した道路だ。入り口が違うだけで同じルートをたどっていることとなる・・・。焦った。焦りながら昨日とは違うルートを走ろうと、花背の農協前にある橋を渡らずに直進し、灰屋口バス停前を左折。草原橋を渡り、灰屋川という沢に入ることにした。

焦りながら林道を走る
灰屋口バス停前。架かっている橋が草原橋。

気配を感じたら・・・

午後1時。草原橋から4キロほど登った時のことだった。滝か?しかも結構デカい。よく見れば、堤高10メートルほどの透過型砂防ダムであった。惜しい!堤体の二階より上段真横、林道沿いには「砂防指定地」の看板。ん?指定区域を囲う赤い線によって出来た、大きめの四角形が現在地とは別にもう1コ上流側にある。これは期待出来る。そこからさらに2.1キロほど上流側に走った時のことだった。
!!!ついに見つけた!

不透過型発見前に賭けで撮った一枚。やった!

fussreise

冷静になり数百メートル下流側にある「小広谷橋」の横から入渓する。そこから遡るとほどなくして、堤体前に出ることが出来た。堤高は目測10メートルほど。右岸側は崖から各種の広葉樹が、左岸側は低いところにはイロハモミジが、高いところにはスギが生えている。渓畔林が高いところにありそこまでは声が届いていないようであるが、この不透過型砂防ダムを見つけた喜びによって大変に気分良く歌えている。京都の山でフーゴ・ヴォルフが歌えた!

温泉+ラーメン

退渓したあとは再び灰屋口バス停前まで戻り、そこから西を目指した。一日目、周山街道を走っていた時に見つけた「京都北山杉の里総合センター」に向かった。館内にある北山杉の床柱製品、調度品、資料などを見学させてもらったあと再び東へ戻り、くらま温泉に浸かることに。もうこの頃にはすっかり日が落ちていたが、露天風呂は電灯の数が少なめで完全に癒やされた。そのあと、木船口まで下りて京都市内まで戻り、うまいと評判の繁盛店に寄ったのち二日目を終えた。
〈前編おわり〉

くらま温泉
店内は大変に賑わっていた。
入渓点の小広谷橋
灰屋川
堤体横にもスギが。現時点では保安林扱いらしい。
京都府で初めて歌えた。

11月4日の出来事

シカ剥ぎの痕。(河原小屋沢にて)

11月4日。この日は午前中、用事があったため家を出られずにいたが、午後になりようやく解放された。

向かったのは伊豆市東部を流れる西川。国道136号線、伊豆縦貫道を南下し、途中、有料区間である伊豆中央道を経由。その次の有料区間、修善寺道路の料金所を目と鼻の先に見る「大仁南インター」で降り、下道となる国道136号線旧道を使ってさらに南を目指す。この日はスタートが午後になってしまったため、自宅のある沼津市から比較的近い場所を選んだ。また、伊豆縦貫道の有料区間に関しては、1区間で十分だと判断した上でのルート選択となった。

修善寺の入り口となる、伊豆市瓜生野を走る。まだ紅葉シーズンには少し早く、また月曜日であったことから道は空いていた。難なく横瀬の信号までたどり着くことが出来、今度は進路を東に変える。修善寺橋を渡り、そこから道なりに5分ほど進むと「清水」の信号を通過。その後すぐに左手側に現れる割烹料理店「にしき野」の直前を左折。あとは、ぐねぐねと曲がったりするが道なりに農道を進めば良い。

先月ここに来た時は稲刈りシーズンの真っ只中といった感じで軽トラックが多数停まっていたが、この日はそれらも落ち着き、閑散としていた。道は農道からやがて林道となり、さらに進んだ。

農道を道なりに進む

あの時を思い出し

当初の予定ではもう少し奥まで車で進むはずであった。しかし、これもまた台風の影響か、斜面が崩落していた。場所は林道垂溜ヶ洞線の分岐看板を過ぎてすぐのあたりで、土砂と樹木によって林道が完全に封鎖されていた。仕方なくそこで車を停め、歩いて堤体に向かうことに。本日の入渓点とした分岐側から下がったところにある水中橋を見下ろす。
3年ほど前、この地に初めて来た時ハンターの方がここにいたことを思い出す。たしか、乗りつけてきた車には高齢者運転マークが付いていた。朝のあまり早い時間では無く、狩りを完全に終えた後の様子で、この水中橋上を流れる水のなか獲物をさばいたとみられるナイフなどを丹念に洗っていた。多少交わした会話によってハンターであることを知ったのだが、その時には―あぁ、シカを獲っているんだ・・・―くらいにしか思わなかった。シカに関しては同地を含む伊豆市近辺で、「イズシカ」というブランドネームが生まれるほどの活況ぶりであるから、私はハンターの言葉にも完全に楽観視の立場でうなずいていたように思う。

11月4日の当日も、あぁ、そんなことがあったな。程度に思っていたのだ。思っていたのだが、この日後述する出来事を実際に目の当たりにしたことによって、それはけっして簡単に片付けられるようなことでは無かったのだと今は反省している。

崩落箇所
水中橋

秋らしい渓行をする

水中橋より入渓する。入渓直後には川面に向かって伸びるブッシュがあり、腰をかがめてその下を通り過ぎる。ようやく秋本番となったこともあり、その枝々が邪魔くさいのだが、威勢の良さはあまり感じられない。今は枯れてどんどん葉を落とす時期で、くぐり抜ける時に手を添えればたちまちボロボロと葉が落ちる。くぐり抜け、石を一つ一つ越え、倒木を越えながら進む。10分ほど遡った頃であったろうか?突然左岸側に護岸が現れたため、見上げると林道本体であった。すっかりそのことを忘れていたのだが、ここは林道と沢が平行になって続くようになっていたのだ。林道に上がり堤体を目指す。川石がゴロゴロと転がっている沢とは違い、遡るペースが一気に上がった。見上げればアケビの実が枝から垂れ下がっている。土砂崩れの影響で誰も収穫しに来ないのか、見つけたことには喜んだが、林道脇すぐに発生した秋の味覚がこのような状態にあることには不気味さを感じた。

放置された秋の味覚

見つけたシカは全部で3匹

途中、1匹のシカが前を横切った。沢の流れる林道右側から斜面を登るようにして左の方へとシカは逃げた。斜面を登るのだから、そのスピードは決して速くない。むしろゆったりとしていて―なんだこいつは。―と思った。今思えば、この不自然なシカの逃げ方から異変を察知しておくべきであった。シカはよく出会うが、斜面を登るようにして逃げることがまずレアケースであるし、さらにそれがゆったりとしていることはかなりおかしかったのだ。

2、3匹目のシカはいっぺんに見つけた。そのうちの2匹目(手前側にいる個体)の動きがおかしかった。遠目にはシカがマウンティングしているのかと思ったが、そんなわけは無い。ある程度近づいたところで3匹目(奥側にいる個体)が逃亡。それからどんどんシカとの距離が縮まった。シカのそれが止め刺し前の状態であることを知ったのは、距離にして5メートルほど近づいた時のことだった。場所は西川第2砂防ダムの堤体のほぼ、という近さである。

目の前のシカを見て思う

シカはワイヤーを足に掛けたままモガき続けていた。人間であるこちらに反撃してくるほどの元気は無く、ワナに掛かってこのあと待ち構える自分の運命を想像出来ているかのようでひどく落ち込んでいた。私自身もシカのその姿に呆然となる。

思えば非常に不自然に逃げた1匹目のシカも、こちらが通常考えられないくらいほどある程度近づいたところで逃亡した3匹目のシカも、私に対してメッセージを発信していたのかもしれない。
「仲間がワナに掛かっているから助けて欲しい。」と。
私はそのシカを助けることは無かった。助けること無く引き返した。

この日は当然、歌などやる気にもなれず写真だけの砂防ダム行脚となった。
行きの行程で見つけたアケビを帰りに再度見つめた時、本当に不安になった。あのシカを獲りに来る者がちゃんと現れるのかどうか?と。

どうなったかと再訪した

後日、シカの件が気に掛かっていたため再び同地を訪れた。シカは木に掛けられていたくくりワナごときれいに取り外されていた。この再訪の日に、周辺に仕掛けてあった別のワナと有害鳥獣の捕獲を示す標識を確認。どうやらあのシカも有害鳥獣としての捕獲のため、埋葬処分も考えられる。以降、ネットなどでいろいろ調べたが全国的にシカの捕獲数は飛躍的に増えており、その処分方法をめぐっては日本のあちこちで困難の壁に直面しているようなのである。イズシカのように食肉として利用されるのは全体の半数にも及ばず、そのほとんどは埋葬処分というかたちをとっているらしい。伊豆地方もそれは例外では無く、狩猟者の負担や食肉加工センターの処理能力超過の理由から、獲っては埋めるという行為が繰り返されているという。本来、食することを目的ともせずに命をいたずらに奪うということはあってはならないはずだ。しかし、シカがあまりにも増えすぎれば予想だにしない自然災害の発生も懸念される。重要な問題であるのは間違いない。

3年ほど前に自分が思ったことを今になって反省しているのだ。

後日、くくりワナの設置を確認。
西川第2砂防ダム