また今日も雨降り

また今日(3月7日)も雨降りとなってしまった。今日、また昨日と二日間、山へ行くため、スケジュールを空けていたというのに、その両日をまるで選んでくれたかのように雨は降り続いたのだ。それでも昨日においては、平日であったため“納税申告”という市民活動に時間を充てるということができ、有意義に過ごすことが出来た。こういった行政機関の手続き云々といったものにいかに砂防ダム行脚を邪魔されることなく日々を過ごせるか、を大事に思っていて、それでは晴れた日の絶好の山びより以外のこのような天気の悪い日に役所関係のしごとを片付けてしまうのである。では、今日はどうするのか?もう役所ではやることがない。天気は一向に回復しない。家で休養を取ることも考えられたが、明日からはまた会社が連勤であったため、山に行くことそのものが不可能になる。そうなる前に、“自由”の身である本日、やりたい事をやってしまおう。という思いで山行きを決定したのであった。

国道135号線白田橋より上流側を見る。雨により若干、増水している。

向かった先は、

山に行くにあたってはその戦略として意識したことがあった。どのような意識をしていたかについては後述させていただきたいのだが、歌うための場所選びとして普段のように、行きたいところに行く、という風には行かない。なにせ今日は雨が降っているのである。過去の経験をもとに考えた結果、賀茂郡東伊豆町の堰口川に行くことに決めた。この川を私は(せきぐちがわ)と呼んでいるのだが、(せんぐちがわ)との呼び名もあるらしい。その堰口川の本流砂防ダムを目指して今日は入渓、ではなく、その本流に対して流れ込む小さな沢の谷止工(たにどめこう)を歌う場所として選定した。谷止工というのは山の小さな谷に造られる、砂防ダムのことである。雨水による、谷そのものの浸食を防止する目的で造られ、砂防ダム同様、最上部は袖、水通しといった形状で構成される。谷の上流方向より流下してきた雨水は水通しの天端を通過後、落下するか、地下水となって水抜き穴、もしくは谷止工の堤体本体の最下部よりさらに下方向を透過する。こういった、雨水の流下による移動、つまり水の動きから見れば、谷止工というのは砂防ダムと機能的に何ら変わりないように思えるのだが、それでも砂防ダムと名称を異にするのは、堤体そのものの大きさが縦約5メートル以下であるという規模の小ささと、流下する土砂の調節機能に関与しないという、造る側にとっての意図を反映しているためであろう。沢蟹(サワガニ)にとっては砂防ダムであろうが谷止工だろうが関係ないのである。自分たちにとって棲みよい環境であるかどうかということが重要なのである。私もまた、名称のことよりも歌をするにあたってその周辺環境はどうであるのか、ただそれだけを見ている。

谷止工の様子。スギの木の樹冠によって暗くなっている。2017年2月に撮影。

車から降りて10秒

さて、その谷止工であるが、今回行く場所は車から降りて10秒という超お手軽スポットである。この堰口川には、川に寄り添うかたちで林道が造られており、その開始点ともいえる場所には東京発電(株)所有の水力発電所がある。その水力発電所から計測して約1㎞上流部の林道脇に今回、訪れたかった谷止工はある。午前10時、谷止工近くの駐車スペースに停車し早速、谷止工堤体本体の様子をうかがう。水は歌をやるのに丁度よい程度ながれており、一安心する。
「アァ」と言葉少なく、声は大きく響かせてみて、それを少しずつ立ち位置を変えながら試してみる。最も響きのよい場所を探すためにこのような作業を行うのだが今回は川石がゴロゴロしているような環境ではないため、歩きやすく、また石そのものの乗り降りがないため立ち位置の自由度が高い。こういった点の“お手軽さ”もまた、林道脇の谷止工の魅力である。そんな魅力に引き寄せられて、雨の降りしきる中、着の身着のまま車から飛び出してきてしまった。

堰口川は下流域を白田川とするため、水力発電所の名称は「白田川発電所」

装備もお手軽に

車に戻り、準備に取りかかる。装備は超お手軽スポットにあわせて、軽快でよい。本日は雨が降っているためレインスーツを上下に着たが、これだけでよい。まぁ、ちょっと雰囲気がでるかな?と思って愛用のウォーキングポールも持った。そんな軽快な装備の中この場所で小一時間うたうことが出来た。歌はあたりを取り囲むスギの林の雰囲気に合わせてヴォルフを選び、それなりに楽しむことが出来た。雨が降ってしまったが、そのような環境下でも音楽を楽しむことができ、一日を有意義に過ごすことが出来た。

今日の谷止工の様子。

今後の課題

さて、前述した“意識したこと”であるが、「この場所に決めた理由として針葉樹(スギ)による遮光効果というものに期待した結果の場所の選択であったということ」ということでここに回答したい。雨の日、曇りの日の空の白い光というのは本当に強烈なものなのである。日本人の感覚として、どうであろうか、たとえば晴れた日以外の、つまり雨の降る日の空、曇っていて若干よどんだような空、遠くの景色の中の霧、また、今自分が立っている周りが霧につつまれた様子、これらの景色から受ける白い光を「美」として捉える、また時折そういうものを見たい、と思う方は少なくないであろうと思うが、これがなかなかどうして、屋外で音楽を楽しもうとする時にはこの白い光というのが私の感ずるところ相性がよくないのである。
今回の山でも本当にそのことが結果として出てしまったのが残念であった。かつて知ったる場所であって、スギの木の樹冠により形成される暗がりに期待したのだが、そのスギの木の切れ目から縦方向からも横方向からも差してくる、この雨の日の空の白い光には対処することが出来なかった。いつかはこのような環境下でも歌をマネジメントできるような、そんな音楽家になりたいと思わせてくれるようなそんな今回の山、今日一日であった。

晴天で青空の“青”の下だとこのようになる。このような環境を理想としている。


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