まずは、地理院地図から

発電のための取水を目的とした堰堤。仁科川。

あちこちの砂防ダム行脚をライフワークとしている自分にとって、砂防ダム空間の新規開拓、つまり、今まで行ったことのない砂防ダムを見つけるというのは、いつも新鮮で楽しいものなのである。国土地理院発行の地理院地図、2万5千分の1サイズを見れば山中(さんちゅう)の沢にところどころ、黒く二重線が引かれている場所がある。二重線は下流側の一本がただの直線で描かれ、上流側の一本は破線で表現されている。この二重線は地理院地図の枠外下の欄にある凡例を見れば分かるとおり“せき”を表している。広辞苑によれば“せき(堰)”とは―「塞く(せ)く」の連用形から)取水や水位、流量の調節のために、水路中または流出口に築造した構造物。いせき。―とある。要約すれば、そこに水の取水や流量調節の目的をもって、河川構造物があるということ。実際、現場に行ってみると確かに、水道関係、農業関係、電力関係の取水口というのが、その堰の本体であったり、上流側に設けられている。取水口に“分流”する形で水が河川本流より“逃げていく”のだから、その堰の下流側というのはおのずと水量が減ずるというのは想像に難くない。私が専ら目指す砂防ダムもこの堰の一種で地理院地図の表記に従いその場を訪れると、前述の二重線の描かれた位置のだいたいのところで出会うことが出来る。砂防ダム(または、砂防堰堤)の堤体の名称については、そのようにして訪れた時々に、国土交通省による立て看板や、堤体本体に刻まれているプレートによって確認を行っている。このようなことから、国土地理院は地理院地図作成上、定義として堰の中の一種に砂防ダムを含んでいるということがわかる。そうなってくると、砂防ダムの持つ機能、山の流出土砂の貯留や調節、渓岸や河床の不安定土砂の二次移動の抑制といったものに一切触れることなく、ただ取水や水位、流量の調節のために・・・と謳う広辞苑の説明というのは全くもって不十分で、砂防ダムを仕事とする者の一人として残念でならないのだが、広辞苑という一般市民向けの書籍に対して、建設用語辞典並みの記述がないというクレームを呈するというのは、いささか衒学的な感じもする。何事も最初は本当に本当に簡単なところから(特に若い人には)興味を持ってもらいたいし、当ブログを読んでくださっている方のほとんどが非建設関係の一般市民であると思うので、国土地理院と、広辞苑出版社のそんな定義の違いをただ鼻でご笑納いただければ幸いである。

仁科川水系、白川

今回訪れた白川であるが、場所は静岡県賀茂郡西伊豆町にある。源流は賀茂郡河津町との境にある猿山から諸坪峠あたりまでの尾根に端を発し、最下流部は二級河川、仁科川に合流の後、駿河湾に流れ出る。白川に面する唯一の集落「白川」よりも上流域の地帯はかつてミョウバン鉱石の採掘を行う戦線鉱業仁科鉱山があったところで、今回のスタート地点はその戦線鉱業の中国人殉職者慰霊碑広場になるためまずはそこまで車で向かう。

慰霊碑と奥には小さな谷止工。

背負う物は、リュックサックと歴史

3月28日午前10時、中国人殉職者慰霊碑広場に車を停め準備に取りかかる。と、その前にやはり、慰霊碑前に立つ。ここに来たときはいつもこの慰霊碑の前に立つのである。きっと誰でもここに来るとそうなるであろうと思う。今日はツルハシを担いだ男がいつも以上に私のことを鋭いまなざしで注視しているように感じられた。―あなたの存在、慰霊碑のことをを広くブログで拡散するから―と男に約束し、慰霊碑の階段を降りる。―よし、準備を始めよう。―本日は、ここから約一時間、沢沿いの林道を上るようにして歩くのでウェーダーは履かず、スニーカースタイルとなる。ウェーダーはリュックサックに収納し準備が全て整ったところで入り口の鍵付きゲートを超える。道はこのゲートを超えてすぐ直進方向と右折とに分岐しているが、直進側を選び、あとは沢沿いにただひたすら進めばよい。ところで今回の目的地となる砂防ダムであるが、前述の“地理院地図”から探し出したものである。この白川最上流域で沢がY字型に形成されているところが地図上にあり、そのY字の頂点にそれぞれ一個ずつ前述の“二重線”がある。Y字自体は非常にコンパクトで、極めて狭い範囲内の移動で二つの砂防ダムが楽しめるという、砂防ダム音楽家にとっては非常に魅力的な場所なのである。しかも砂防ダムの規模としては中型クラスの5メートルサイズと小さすぎることがない上、重力コンクリート式であるという点もまた魅力的なのである。この手の狭い範囲内での砂防ダム建設では一基あたりの建設コストを抑えるために、ダムを小さくしたり、鋼鉄素材にしたりというパターンが多いのだが、ここは違う。そんな魅力に惹かれての一時間歩きの今回である。

途中にあるもの

“Y字”までの途中には、Ⓐ~Ⓒの砂防ダムがあり、これらでも音楽は楽しめる。しかしながら、前述したような魅力を持った“Y字”が控える白川なだけに今日はそちらを目指す。だいたいスタート地点から40~50分くらいでⒹの橋に出られるので、そこからはウェーダーに履き替えて、500メートルほど沢沿いに上っていけば、目的地の“Y字”にたどり着ける。画像Ⓔが向かって左側の砂防ダム。画像Ⓕが向かって右側の砂防ダム。

地図上の表記によれば

地図上の表記によればⒺの方が本流なのであるが、水の流量はⒺⒻ共にさほど変わりはなく、どちらも正式には砂防ダムではなく谷止工なのかもしれない。二つの谷止工から、つまり二つの沢からだいたい等しい程度の水が合わさって白川を形成しているといった感じだ。この場所は前述したように、二つの砂防ダムを極めて狭い範囲内の移動で楽しむことが出来る。やや残念な点があるとすればこの二つの砂防ダムの堤体本体を前にして立つとき、いずれも、堤体に対して体を平行に向けることが出来ないという点がある。うまく響かせようとして後退するとどうしても堤体に対して斜め方向から声を発するという形になってしまうのだ。どちらかといえば、ここだけ、となってしまうのにはつらい場所であるが、いろいろな砂防ダムを経験したのち、その次の一ヶ所として研究目的で訪れるのにはいい場所であると思う。

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