駅弁というものの魅力にすっかりハマってしまった。
前回の神奈川県小田原市でのエピソードでは、たまたま売店の近くを通りがかったことから購入に至った「相模こゆるぎ茶飯」。
もはやあまりのウマさに後日ふたたび“駅弁を買うためだけに”小田原を再訪し、入手するというほどの熱の入れようである。
駅弁のなにが、そんなにも惹きつけるのか?
「冷たくも温かい」ではないかと考えている。
どんなに世の中が暗いニュースで侵されようとも、食という行為が無くなることはない。
人が生きていくために必要な食べ物の摂取。生きていくことイコール食べることであり、食べ物を作ってくれる人がいることで生きていくことができる。
生きていくためのものを作っている人。そういう人が社会にいるということ。
売りの舞台は駅。文化的背景もふくんでいる。駅弁は。
人の生が無くならないように。駅弁という文化が無くならないように。こうしている今も駅弁という商品に関連して、どこかで生業をしている人がいる。
人から人へと繋がるもの。
その温かさ。
塩気の効いたおかずと揚げ物の油と、そして何の変哲もない白飯を噛みつづけていると感じられる人のつながり。
冷たくも温かいという幸福に包まれる。
新富士駅へ
12月1日、午前8時。静岡県富士市川成島、「新富士駅」駅南口。
新幹線専用駅の駅前広場でさっそく目に飛び込んできたのは巨大な銅像ならぬ“銅本”。
新富士駅のある静岡県富士市は製紙業のさかんな街。市内にはパルプ・紙製造を行う会社が多数軒を連ねる。その数、事業所にして40以上。工場は50以上。紙加工品をあつかう事業所も含めると、総数は200を越えるという。(富士市産業経済部産業政策課 富士市の工業 令和3年度より。)
本には「富士市民憲章」がレリーフで作られ、その条文は
富士山のように・・・、
からはじまる5つの条文。条文は、こうして他所からやってきた観光客の目にも留まる。
観光客が見る、宣誓調に書かれた文書。
宣誓しているのは富士市民ということになるが・・・。
が、
これはイメージにない。
富士市には何人も知り合いがいるが、明るくて気さくな人が多い。
融和的で親しみやすい人が多い。
こんなカタくるしい文書でものごとを語る人は?
う~ん?ちょっと・・・。
それでも、書かれている内容は富士山を手本として直喩する素晴らしい内容。デジカメに撮ると駅舎内に向かった。
駅南口から駅舎内に入り、新幹線きっぷうりばにて入場券を購入。改札口を入場券でパスし、上り線エスカレーターに乗って駅2階の新幹線ホームにのぼる。お目当ては富陽軒の「巻狩べんとう」だ。
新幹線ホームに到着。
静かな新幹線ホーム。しかし、こちらは国内屈指の工業都市、静岡県第三位のまち富士市である。さらに富士市の新富士駅である。
シャッターの閉まった富陽軒の売店をこの目で確認したのだが、それは長い長い新幹線ホームの中。自身の背中側にもう一店舗くらいあるのだろうと振り返ってみた。
無い。
あるわけも無く!
土曜日と日曜日、祝日は休業とのこと。
ちゃんと調べておけばよかった・・・。
ふたたび新幹線ホームから下降のエスカレーターに乗り、1階におりて改札口を出る。目指したのは駅の南口方向。
駅に入ってすぐのところにコンビニがあったはずだ。
着いてわかった。コンビニと思われた店はコンビニ兼、みやげ物屋のような店。みやげ物屋なのだから、当然?!駅弁も置いてあった。
無事、購入。
お目当ての富陽軒ではないが、駅弁には変わりない。買うことが出来てよかった。
しらす街道
午前9時半、新富士駅駅前の駐車場を出発。
静岡県道174号線を南進し、国道1号線「宮島東」信号交差点をクロスして進むと道は左に向かって大きくカーブ。
クロガネモチの赤い実がなんともさわやかな街道の名前は「しらす街道」。
大きくカーブしたところから、およそ2キロメートルほど走った先にあるのが「田子の浦漁港」。この田子の浦漁港の名物が「しらす」であることから名付けられたしらす街道である。
途中、飲み物を買いにコンビニに立ち寄った。コンビニの隣には、なんとしらす料理専門店が。割と大きな建物は網元直営の食堂ということで、漁にしろ店にしろそんなにも儲かるのかと感心してしまった。
コンビニ駐車場を出てからは、しらす街道を田子の浦漁港まで走る。田子の浦漁港では右折。新江川橋をわたり、道なりに進んでいくとすでにゲートは開いていた。ゲートを越え、そのまま公園駐車場に到着した。
幕の内弁当
午前10時10分、公園駐車場。
公園の名称は「ふじのくに田子の浦みなと公園」。
外は晴れている。
気持ちのよい晴天の空の下で、弁当タイムというのもありな気がするが、トンビに見られていそうで怖い。
いま風な言い方をすれば、これはトンビが悪いのではなく、その生息域に侵入していった人間の方が悪いのだということになって、食糧強奪の際にこちらは同情の余地も与えてもらえない。
鷹の目ならぬ鳶の目を避けて、車内の安全なところでゆっくりとその味を堪能することとした。
静岡の戦国武将、今川義元の駿河凧が描かれた駅弁は東海軒の幕の内弁当。
さっそくフタを開けると何とも彩り豊かに。
揚げ物も蒲鉾も卵焼きもウグイス豆も入っている。各食材が収められたトレーは白色で、その白色トレーの上で彩り豊かにおかず各色が輝いている。
美味そう・・・。もそうなのだけれど、豪華すぎて申し訳なくなってくる。
昨今の報道では、日本が貧しくなった。日本が貧しくなった。とばかりであるが、こんなにも豪華で文化的背景もふくんだ食べ物をあたりまえに口にすることができる国。日本。
貧しくなったと言っているヤツらは何をもって貧しいと言っているのか?
自由に車を走らせ、この場に来ることが出来て、食べ物を奪われない安全も担保され、世界中から届けられた食材を口にできる今の自分。
本当に本当に豪華な食事なのだということを忘れてはならない。
弁当をつくってくれている人。日本の人なのか?海外からの人なのか?
輸入食材の使用を考えればオールメイドインジャパンでないことは火を見るよりも明らかだ。
申し訳なさとともに完食。冷たくとも温かいという幸福感とともに。
ドラゴンタワー
駅弁を食べたあとは、富士山ドラゴンタワーに登ってみた。
ドラゴンタワーといえば、これからは年始の初日をひかえているという。伊豆半島のつけ根部分(発端丈山山頂よりも少し右のあたり)、山の稜線より上がる初日が見られるという。
もちろん、そういった特別な日でなくともここの展望デッキから見える景色は素晴らしい。
北向きには富士山と富士市の街並み。南向きには広大な海。
雄大な景色を望める展望デッキは、静岡県内、駿河湾眺望スポットとして間違いなくトップクラスにランクインするであろう。
これからの季節は冷たい風が吹くが、しっかり着込んでいけば問題ない。とくに、風を通さないようなアウターを一番外側に着ると、いやな寒さを感じずに楽しむことができる。
海の青さ。空の青さ。富士山の青さ。青さに染まる富士市のみなと公園。
荒天時をのぞけば間違いなく遊べる場所であると思う。冬場でも。
すどちゅうのあたり
午後1時、ふじのくに田子の浦みなと公園を出発。
来た道を折りかえすように田子の浦漁港、しらす街道、国道1号線「宮島東」信号交差点とつづく。
「宮島東」信号交差点では右折。
国道1号線に乗り東進。イオンタウン富士南を右手に見たあとには「江川」信号交差点を通過。
この江川信号交差点を過ぎたのちの「依田橋高架橋」は信号機の全くない区間。
橋上は東海道新幹線が並行して走ったり、富士市の工場群を望める。さながら高速道路のような雰囲気をもった快速道路は、富士東インターチェンジ、沼川橋もふくめ「桧町北」の信号交差点まで計れば、およそ5.6キロメートルにもなる。(江川信号交差点を起点とした場合。)
走れる展望デッキと言ってもいいくらいの心地よい快速区間。これを越えたあとには「中里西」信号交差点。
ここで左折し、2.5キロほど直進。岳南電車「川尻踏切」を越え、学校の校舎が見えたところで車を停車。
「すどちゅうのあたり」
富士市立須津中学校の辺り。略して、すどちゅうのあたり。
自身にとって、すどちゅうのあたりは静岡県東部地区を代表する伏流河川の名所。
須津中学校の道路挟んで反対側には須津川が流れている。
ここはいつ来ても伏流している。(と思い込んでいたのだったが・・・。)
流れはこの付近より約1.5キロほど上流にある「二ツ目橋」のあたりまで行かないと回復することがない。
当地は富士山の噴火物により地層が形成されているため、伏流が起きやすい。ならば元々はか細い流れなのかといえば決してそんなことはなく、上流の地表水ながれる区間は「須津川渓谷」と呼ばれるほど立派な谷あいが形成されていて「大棚の滝(おおだなのたき)」という、市内最大の直瀑まであるほどだ。
さて、
須津川の伏流のようすをカメラに収めようと川へ向かったのであったが・・・。
???
流れている。
今日はどういうわけか水が流れていた。しかも、かなりしっかりとした流れで。
???
ふたたび車に乗り込み出発。東名高速のガードをくぐると丁字路にさしかかった。
丁字路を右折し、そのまま道なりに進んだ。進んだ道のりは5キロ。
午後3時、大棚の滝第二駐車場に到着。
須津川ダムへ
車から降りて準備をする。
寒さをしのぐため上半身にはレインウエアをはおった。
ウエーダーはアルミ製の背負子に。メガホンの入ったバッグとともにくくりつける。
午後3時15分、歩きを開始。大棚の滝、須津山休養林キャンプ場とつづいたのであったが、結果は画像のとおり。
11月2日に受けた豪雨により、須津山休養林キャンプ場より北の区間は林道が通行止めの措置。
本日は大棚の滝より上流2基目の堤体に入る予定であったが、堤体へとつづく林道を使用することが出来ない。
このまま帰ることも考えた。しかし、せっかくここまで来たのだからということで堤体を変更することに。変更先は大棚の滝下流の「須津川ダム」だ。
須津山休養林キャンプ場、大棚の滝、大棚の滝第二駐車場と、歩いてきた道をもどり、さらには車で走ってきた区間もふくめて少し行くと「須津山休養林案内図」まえ。
この案内図をかわして看板裏に入りこみ、護岸が途切れた地点から須津川に入渓した。堤体は入渓直後に。
午後3時40分、須津川ダム着。
豪雨の爪痕
水はしっかりと流れている。
豪雨の激しい流れを食らったあとにも関わらず、とくに落水が左右どちらかに偏ったりすることもなくきれいに落ちている。
かとおもえば、堤体前。見れば凄惨たる状況。
どこにどんな石が並べられてあったかまでは記憶にない。しかし、明らかにこれは豪雨であるとか洪水であるとか、とにかく大水が出たあとの河川の姿であるということが見てわかる。
河床の石が強烈な水の流れに押されて動いた跡。動いた跡の起点には落ち込みができ、それより下流には泥質の底でヒラキが形成されている。
川石の球面は上面も下面も区別なく白い。石が転がったことにより、向きは天も地も無くなってしまったようだ。
もともとは左岸寄りであった流程の位置は変わりなく。対して流程の位置以外、川岸のなかでは流されてきた石が溜って、溜った石と石のあいだに砂が乗って陸地が形成されている。
陸地は足を乗せても崩れず、歩きやすい面が出来ている。この上に乗って歌ったりすることも考えれば、立ち位置の選択肢がひろがった。
大石の上に乗る
堤体前、立ち位置として設定したのは主堤から44.5ヤードの位置。
たしか・・・、
たしか、この大石は動いていないはず。
流れに踏ん張り、この場に留まり続けたか?記憶に微かに残る大石は豪雨に耐えきることが出来たのか?
大石の上に乗った。
自作メガホンをセットし、声を入れてみる。
気持ち良く鳴ってくれている。
落水ノイズとのバランスが良い。
堤体前の空間に響く音は堤体本体の落水、堤体より下流の落ち込み、瀬の三者によって支配されているが、その中に声を入れていって、音は壊されながらも残ってくれている。
たしかに堤体前はノイズでうるさい。しかし、声はきちんとその中に残って存在感を示している。
水の生み出すノイズと人間の声。
けっして「しっかり聞いてやれば・・・。」というほどの頑張りあってのことではなく、聞き流すように、イージーに聞くことができる。
水が鳴っていて、歌い手自身の声も鳴っていて、非常に心地よい空間が作られている。
ときに・・・、
この日は午後5時まで堤体前で過ごした。
豪雨の爪痕がのこる堤体前でのゲームとなった。
この音楽は水という自然物にかかわっているとともに、水そのものが川という、やはり自然物とともにあるのだということを認識する機会となった。
自然物である以上、演奏施設として人間が思ったようにすべてをコントロールすることはできない。目の前に用意された状況に人間側が対応することとなる。
ときに神経質に。
ときに楽観的に。
この日の場合は、非常に楽観的に堤体前を楽しませてもらった。
水の生み出すノイズの中で人間の声が響く、理想的な力関係の中で遊ぶことができた。
声を入れていけばすんなりと音が響いてくれる、やさしい堤体前で音楽を楽しんだ。