雨、でも夏が近いから・・・

また今日も雨が降った。3月21日、前日より前からヤフーの週間天気予報で確認をしていたのだが、この日は雨予報。それも、私の住む静岡県東部地域だけが、ということなのではなくて、日本列島、本州全域にわたって、というのだからもうお手上げ状態である。そして迎えた当日。雨は午前6時頃より降り始めた。―もう、雨のことは良しとしよう。―雨が降ることに関してはあきらめがついた。週間天気予報のおかげで、雨が降った場合の行き先も事前に決めることが出来ていた。心にあるのは「この雨が土砂降りにならないでくれ。」ただそれだけであった。

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もう3月下旬である

もう、3月に入って20日が過ぎた。今日のような冴えない天気の日と違って、晴れた日の日中の最高気温は20℃を超えるような日もチラホラ出てきた。山の天気は平野部に比べて低いとはいえ、日なたを歩けば暑いし、歌うという行為そのものが難しくなってくる。私はこれまで四季を通じて様々な場所で砂防ダムの音楽を展開してきたが、最も難しいのが夏の季節なのである。それは、私の愛する音楽がヨーロッパの寒い地方の音楽である、ということも関係しているのだと思うのだが、それだけではなく以下のような理由にあると、自分では分析している。

夏、山梨県相又川

夏を楽しめなくなってきている

真夏のミンミンゼミが鳴きしきるような山の中で音楽活動を行うことは困難を極める。太陽の光が燦々と降りそそぐ夏山は子どもにとってはそのミンミンゼミ採取や、川遊びなど、大喜びなことが満載なのだが、大人になった今、その太陽の光燦々というものがどうも苦手になってしまった。これまで人生いきてきていろいろなことを経験するうち、いつしか悲しい出来事に身構えするような癖がついてしまったように思う。子どもの頃を思えば一年の四季のうち、その中心は間違いなく夏にあった。夏の暑い太陽の下、生命体が皆いきいきと活発に過ごす空間の中で、それらに触れ、また自分自身も外で活発に遊びまわり、喜びに満ちた時間を過ごしていたように思う。それが、秋、冬とだんだん寒くなり、生命体が死んだり、冬眠したりで目の前からまさに“自然と”消えゆくと絶望したものである。よく言えば純粋で、悪くいえば行き当たりばったりなのである。そんな季節の移り変わりを何年も経験しながらやがて大人になり物事に対処する力を身につけるようになるとどうであろうか?人生とは夏のように万事うまくいっていて楽しくてしょうがない時間のためにあるのだという考えよりも、冬の、生き物たちが消えていった時に味わった気持ちのようなものをいかにして乗り越えればよいのかというところに重きが置かれるようになる。楽しい時間を後先考えずにただただ全力で楽しむということよりも、人生には悲しみ、絶望がつきもので、その悲しみ、絶望に対してどのように対処しようかということに心の中心が置かれるように変化していくように思う。部屋のインテリアに暗い色を使ったり、紺やベージュなどの暗い色の衣服を着たり、暗い色で描かれた絵画を見たり、ドライフラワーを美しいといって飾ったり。これらの行為は大人にしか出来ないことであり、こういった行為を日常生活に取り入れていくことで“悲しみ”や“絶望”に体を慣らしていこうとはしていないだろうか?少なくとも、私自身はそのような行為をとおして年々変化してきているように思うし、夏は苦手、冬はあらかじめ対処方法を考えてあるから得意、みたいな気になってきている。

生き生きと。生命体。

もう夏が近い

前述したように、もう3月下旬であり、夏が近い。その夏が楽しめない、というのだから今のうちに山を楽しんでおこうと、雨であるが決行することにした。
場所は伊豆市、田沢を流れる田沢川。交通アクセスは、国道136号、伊豆縦貫道より、伊豆中央道を経由、修善寺道路を行き、大平ICを東側に下りる。道路は田方南消防署前の丁字路より、県道349号に入るので、そこを南下する。田方南消防署より計って5.5キロほどで伊豆市田沢に入るので、そこで東に進路を変える。田沢の集落から山が左右に二つ見えるのでその間の谷を上るようにして進み、県道から約1.2キロほどの地点、道幅が広くなったところがあるので、そちらに車を停める。

駐車場所の目印は「山火事防止」の看板

木を使い川に入る

午前9時、車を駐車スペースに停める。雨はさほど強く降っておらず、一安心する。身支度を済ませ、田沢川方向に足を向ける。道路と田沢川は荒れ地をはさんで100メートルほど離れている。その荒れ地にあぜ道が横切るようにして入っているので歩行にはそちらを使う。ほどなくして田沢川に出ることができ、そこから上流方向へ向かう。すると、川の護岸側面を這うようにして生えている一本の木があるので、そこに足を掛け田沢川の中に降りる。木に感謝を告げ、上流方向へ行くとほどなくして、目的の砂防ダム前に出る。ここの砂防ダムは、画像を見ていただければわかるとおり、堤高は7mほど、水通しまでの高さはおよそ5mくらいとあまり大きくはない。前々回、堰口川谷止工での失敗を教訓に、今回はさらに渓畔林が強く作用しそうな暗そうなところを選んだ結果での今回の砂防ダム行脚であるが、ここは堤体の左右を高い杉の木が覆っており、また、堤体前に立ったときの後方、つまり下流側が、川幅2メートルくらいに護岸によって絞られていて、そのぶん光を遮断してくれている。堤体下流部は石畳状の水たたきになっており、その石畳の上をなんともお洒落に水が這うようにして流れている。結果的に今回の場所選びは大成功で、前々回の堰口川谷止工のリベンジを見事に果たすことが出来た。こんな小場所がとても気に入ってしまい、歌、植物の同定作業などで二時間も過ごしてしまった。帰り道、護岸を上がる際も、行きにお世話になった木に力を借りて、無事帰ることが出来た。雨が降っても砂防ダム音楽を楽しむことが出来、本当にうれしい思いが出来たそんな一日であった。

川に降りる際、使う木。種はケヤキと思われる。
木を下から見た様子。
砂防ダム全景。流下してきた水が石畳上で遊ぶ。

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