ルアーフィッシング情報という雑誌が手元にある。西暦2000年の12月号とのことなので、自分が高校生の頃に買ったものである。
その雑誌の中にある連載記事。記事の内容を要約すると、ナレーターを本職とする筆者が仕事のオフを急きょもらうことになり、西伊豆に釣行。昼はヒラアジ類の幼魚(メッキ)を岸から狙い、夜は船からバラムツ(深海魚)釣りを楽しんだのち、下船して、再度岸から釣りをして帰宅したという内容。記事の内容はメッキ釣りのこともバラムツ釣りのことも大変詳しく書かれていて、読み手であるこちらを大いにワクワクさせてくれるのだが、それにも増して話が最高潮に盛り上がるのがクライマックスの部分。釣りそのものの出来事になるが、メッキ釣り用に用意した非常に華奢な釣りの仕掛けに、体長80センチはあろうかという大型のヒラスズキが掛かり、為す術も無く糸を切られて逃してしまった。というところ。記事は筆者の歯を軋ませるような言葉とともに結ばれている。
かつて憧れの地に降り立つ
当時の自分自身にとって大型のスズキ(シーバス)を釣り上げることは大きな夢であったため、この記事は非常に印象に残っていた。使用していた釣り糸の太さやルアー、掛けた魚の大きさもそうであったし、その釣りの舞台となった地である宇久須港もきちんとルビが振られていたため、しっかり“うぐす”と読んで記憶していたのであった。
まさかその西伊豆町宇久須の地で自分が今回、仕事をするなどとは思ってもみなかったのであるが、現実となってしまった。高校生当時は新潟県に住んでいたのだから尚更である。日本海、では無く太平洋沿岸のかつて憧れの地に、砂防ダム音楽家として訪れたのが雑誌の発売日から19年後の2019年、12月16日のことである。
歩きたい!という衝動に駆られ
件の宇久須への行き方であるが、伊豆半島西部を南北に結ぶ国道136号線を南下していくと、やがて恋人岬の看板を見ることが出来るが、そこから数えて3本目のトンネル「賀茂トンネル」を抜けたところからが賀茂郡西伊豆町で、その賀茂トンネル直後の小洞トンネルという短いトンネルを抜けたところ、海上にテトラポッドが並べられているあたりが早速の「宇久須」のクリスタルビーチである。今回入りたい宇久須川はその先の「松ヶ坂トンネル」通過直後にいきなり現れるが慌てず、右手側には農協、左手側にはセブンイレブンとなる「宇久須南」の信号までそのまま進み、「ラーメン幸華」の矢印看板に吸い込まれるように左折すれば良い。あとは道なりに進んでいけばやがて宇久須川に出会うことが出来るため、これに沿って堤体を探せば良い。
12月16日、当日は正午前から宇久須川に入り、午後5時前まで宇久須川を歩いた。当初の予定では、宇久須川を真横に見ながら遡ることが出来る県道410号線から一本良さそうな堤体を見つけ出し、歌を楽しんで終わらせる予定であったのだが、実際に同地へ来てみたところ、無性に歩きたい!という衝動に駆られてしまって、結局7本の堤体を回った・・・。
双方を両立
普段はこのようなことをあまりやらない。堤体を「安全に」行き来することも砂防ダム行脚の楽しさの一つと考えている自分自身にとって、あちこちの堤体をまるで居酒屋をハシゴするように歩き回ることが一番の危険行為だと考えているからだ。
例えば、その日スタート地点に立った時に保持していた集中力が100であったとする。スタート地点から一本目の堤体に向かうまでに幾らかの集中力を消費しながら見事到着した。途中、ケガなどのハプニングも無かったため、では次の、二本目の堤体を目指そう。となったとしよう。その一本目の堤体を離れてから二本目の堤体にたどり着くまでに消費することができる集中力の最大値は「スタート地点から堤体」までのあいだに消費した集中力の“残り”であり、100ではない。それも終わり今度は二本目の堤体を離れ三本目に向かう。三本目の堤体に向かうまでに消費することが出来る集中力の最大値は「スタート地点から二本目の堤体」までに消費した集中力の残りであり、100はおろか、大きく(一本目までの分+二本目までの分)マイナスした数となる。そのようにしていけば以降四本目、五本目と向かう堤体の数が多くなるにつれて、より少ない集中力でクリアしていかなければならないことになる。(・・・と、考えている。)
堤体の寸前に非常に解りづらい危険要素が隠れていたとしよう。その堤体がその日一番最初のものであったので、大きな集中力を持って挑み、みごと回避出来た。となれば良いが、今回のようにその日の七本目の堤体寸前にこれを迎えていたらどうなっているのか?百発百中きちんと気が付くことが出来るのか?
そしてもちろん、堤体を前に歌って終わりでは無い。最後に訪れた堤体から今度は車の置いてある所まで戻らなければならないという使命が常に毎回発生する。このときに必要な集中力もやはり“残り”で対処しなければならない。そう考えると、その日何本堤体を訪れるのか。という計画段階から、その本数が多ければ多いほど、ケガ無く帰ってこられる可能性は低くなるということが言えるし、逆に、その本数が少ないほど安全に帰って来られる可能性は高くなると考える。
好奇心旺盛に新しい砂防ダムを見つけていく楽しさ。砂防ダムを安全に行脚し、最後必ず帰って来なければならないという絶対的ルールにより生じる楽しさ。双方を両立することはなかなか大変ではあるが、砂防ダム音楽家としてそれにふさわしい行動を常々とっていきたいと考えている。