真夏のゲーム問題。
天候、晴れ。気温、30度越え。セミが鳴いている。現場にたどり着くまでに紺碧の海と海盤車のように手足を広げて走り回る海水浴客を見ながら海岸線を走ってきた。
そりゃあもう、ドイツ歌曲やらアリアをこれから歌います。とはなかなかなりづらい。
そもそも暑さの中では熱中症という健康リスクの問題がまず出てくる。そして、それを(渓畔林の下に入るなどして)クリア出来たとしても、次に来る問題として、音楽の詩や曲の持っている世界とまわりの環境が全く合わないという問題が生じてくる。
ヨーロッパの音楽と日本の真夏、猛暑の相性の悪さ。
そんななかでも日々の生活を豊かにしていきたいとか、慢性ストレスを解消したいとか、自然環境の中から様々な学びを得ていきたいといった願望があるのならば、やはり砂防ダムの音楽は捨てるべきでは無い。
自分自身においては過去の経験から対策を打って現場に入るようにしている。人それぞれ感覚の違い、好みはあると思うが、真夏のゲームをどのように展開すればよいか?そのヒントになりそうなことを書いてみる。
光の強さは変わっていない。
まず自分自身の視界の中にあるもの。視界の中に映る景色。それらほとんどは「発光体」ではない。太陽の光や照明器具によって反射された光によって映し出された姿だということを今ここで思い返す。
海のあお、遠く沖合を航行する船、砂浜のしろ、濡れているけれど真っ黒に焼けた子どもの背中、どれもみんな写しているのは太陽の光。
太陽の光が全てを照らして、その全てが空間を伝わって、自分の目に届いて、「あぁ、海だな。」とか「あぁ、砂浜だな。」と認識をしているのだ。
向かう車の車窓から眺めた風景はどれもギラギラと光っていて、冷房の効いた車中からだと、
うわっ・・・、
と思ってしまうのであるが、よくよく考えればこれは(海岸線に関して言えば)冬の頃に見ていた景色と実はほとんど変わっていない。
冬の頃と変わっているのは地面の温度。太陽熱と地熱との間にいる自分自身がどうやら騙されてしまっているようなのである。
たしかに暑くはなっている、冬の頃より。でも、
光の強さは変わっていない。という事実。
これを強く認識することが大事。
見に行かなければ分からない
ギラギラと光る車外の風景を見て脳が、“ヤラれてしまっている”ところであるが、そんな脳でどんな対処法があるものかと考えてみる。
暑さ、つまり温度のことはいったんどこかに置いておいて「光」という要素に集中してみる。
まず光があること(光が存在していること)は変えることが出来ない。
それでは、そのまま為す術も無くギラギラする太陽光線を浴び続け、自分は干からびてしまえばいいのか?
否、そんなことは無い。光を、
①視野の中のできるだけ狭い範囲に閉じ込める。
もしくは、
②その光が勢力を増す前と後を狙う。
この二つの対処法がある。これらは、
砂防ダムというものを実際見に行ったことが無い人にとっては???だと思う。とくに①に関して。
砂防ダムをある程度見に行ったことがある人ならば、もしかしたら分かるかも?
ある程度という領域をこえて何本も行ったことがある人・・・、ではほとんどが分かると思う。
太陽が相手なので
天に向かって手を思いっきり突き出して、太陽の背中に付いている「照度調節ツマミ」を回してやって、明るさ調節をする・・・、なんてことがもちろん出来ない。
光の量、光の大きさは変えられないということ。
暑さはどうか?
暑さの元になった「熱量」という要素。
やっぱりこれも変えることが出来ない。
光も熱量も変えられない中でなにをやるの?
格段の気を使って対処する
光も熱量も変えられない中でやる事。
①堤体を見る「方角」を選ぶ。
②堤体を見る「時間帯」を選ぶ。
この二つ。
堤体というのは山奥の森の中で「方角(ほうがく)」という概念が通用する唯一の存在である。水平にピシッと型取りされた放水路天端による「直線(ちょくせん)」は自然界には存在しない正に不自然な人工物。このことは同時に、
「直線を引いた。森の中に。」
と言っているのと同じ。その直線に分度器をあてて90度を測って線を引き、それを方位磁針で計測してしまえば堤体の方角が一丁上がりとなる。
これは大発見。なぜなら、方角がわかった所でその次に考えられるのが、堤体と太陽との光の関係であるからだ。
この堤体はこの方角を向いているから、午前中はこんなふうに光が当たるし、午後はこんなふうに光が当たる。といったことが実際、現地に赴かなくても“おおよそ”地図上でわかってしまうようになる。
“おおよそ”としているのは、やま本体が落とす影であったり、太陽高度の季節変化があったりするためで、常に一定とはならないから念のため。
それらをだいたいで計算して、ベストタイミングのちょっと前に堤体前に入れたらというのが理想型。
で、入渓の計画を立てる。
春夏秋冬どんな季節でもそういった計算はある程度しておいた方が良いが、とくに音楽的に困難が生じやすい真夏の場合、そこに格段の気を使って対処する必要があるということを述べておきたい。
これらはもちろん、他ならぬ私自身がそのようにしているからだ。