晴好雨奇(せいこううき)という言葉がある。
〔晴天でも雨天でもすばらしい景色のこと。自然の眺めが晴天には美しく、一方、雨が降ったら降ったで素晴らしいこと。▽「奇」は普通とは違ってすぐれている意。「水光瀲※艶<れんえん>として晴れまさに好く、山色空濛<くうもう>として雨も亦<また>奇なり」の略。「雨奇晴好<うきせいこう>」ともいう。三省堂 新明解四字熟語辞典より※艶の字はさんずいが付く。〕
中国の蘇軾(そしょく)の詩が語源だそうだが、なんと素晴らしい言葉であろうか。晴れた日を美しいと言い、雨の日を素晴らしいという。
5月4日は雨が降った。それより以前の週間天気予報の段階から当日は雨予報。晴れてくれよと願ってもこれだけはどうにもならない。自然相手の中で楽しむ砂防ダムの音楽において天気の影響というのは計り知れない。晴れた日には太陽の光が水面を照らす。そこで山の木々や斜面が真っ黒な影を落とし、その中で歌うのだ。
いつだって晴れてくれていたほうが、いいに決まっている!
この日の出発前もそう思っていたのだった。
どうにもならない。と言えば、
どうにもならないと言えば、やっぱり最近流行のアレ。
人と接触するな!というのだからアウトドアーマン、旅行者は堪まったものでは無い。
買い物ひとつ取ったって河津町民がするというのならまだしも、部外者となる者が安易にその中に立ち入るべきでは無いと思った。
したがって今回の砂防ダム行脚の食料調達は、自宅のある沼津市内で行うことにした。行うことにした・・・のだが、本来行こうと思っていた店がチェーンストアであったため、店舗を別にして買うことに。店の名前はフードストアあおき沼津店。なんと河津町出身のスーパーマーケットである。
創業は昭和21年、当時の賀茂郡下河津村にて。設立は昭和32年、会社名は株式会社青木商店。現在は沼津市大岡に本社があり、社名は株式会社あおき。静岡県下に8店舗、神奈川県・東京都にそれぞれ2店舗と1店舗ストアを構える。下田港や沼津港から直送の魚介をはじめ、農業県である静岡の県内産青果の取り扱いも多い。
食肉部門においては、本場ドイツで修行を積んだ担当者がソーセージを手掛けるほか、同じく酒類販売ではワイン担当が直接フランスまで買い付けに赴くなど「食」に対するこだわりは強く、各部門専門店並みの品揃えで珍種も多数。キャッチフレーズは「食文化のパラダイス」。
総菜コーナーには、パラダイス名物の一つに数えられる美味いカツ丼がある。今日もカツ丼にしようかと思ったが、それより気の向いたサバ味噌煮弁当にした。弁当と晩ご飯用の食材を買い、店を出たのが午前10時すぎのことだった。
自宅を再出発
晩ご飯用の食材を置きにいったん自宅に戻る。それにしても、世の中がこんな状態である中にあって、しかしながら営業を続けているスーパーマーケットには本当に頭が下がる。店が閉まってしまったら困るというのはわれわれ買う側の人間の都合であって、本当は営業したくないという気持ちのなか働いている方もいるかもしれない。
やはり、旅行者などという立場で気軽に接するべきでは無いのだなと。
午前10時30分に自宅を再出発し、河津町を目指す。もうこんな時間になってしまった。別に急ぐ必要も無かろう。
国道414号線を静浦港側から長岡北ICへ抜け、伊豆縦貫道に乗ったあと、大仁南ICで降りる。横瀬の信号まで進んだのち、修善寺橋を渡り、修善寺中学前の鮎見橋から県道349号線をひたすら南進し、市山の信号まで行けば後はいつも通り。
こうすることで2つの料金所を回避して進めた。今は料金所の徴収係にさえ接するべきでない時期なのだ。
小縄地川
午後1時、河津町縄地の小縄地川に入った。依然として雨が降っている。やる気も無く、しかし腹は減ってきたので午前中買ったサバ味噌煮弁当をいただく。
美味い。
食べたい時に食べたいものを食べることができる幸せをかみしめた。
あぁ、
歌いたい時に歌いたいものを歌わなきゃなぁ・・・。
無理に歌ってもしょうが無い。こんな時は自分の中で歌いたいという気持ちが沸いてくるのをひたすら待ち続ける。
堤体を川を
流れる水の音を聞きながら、ただひたすら待ち続ける。
雨が降っているのが気になる。これではそもそも外に立っているということが出来ないではないか。
気分を変えるため、場所を移すことにした。
釣り人の言い訳
午後3時、谷津川の「前城野沢」床固工群に到着。雨が小降りになってきた。車から外に出たものの依然として歌いたいという気持ちが出てこない。
また移動するか?
まるで釣りをしているようである。釣れなければ、移動!みたいなノリ。釣れないのを場所のせいにして、自らの実力に向き合おうとしていない。一流の音楽家だったとすればその辺もちゃんとマネジメント出来ているはずだ。
釣りは魚という相手がいてその相手を釣るスポーツ。音楽は自分という相手がいてその相手を釣るスポーツ(のようなもの)だと思っている。自然界の中で自分自身が歌うことが出来るように、誘い出して、食いつかせてやればいい。最終的には、自分自身でも気がついていない心の奥底にある気持ちを引き出す(吐き出す)ことでストレス解消を成功させようとしているのだ。
駐車した車のボンネットに臀部を寄りかからせながら、ただぼんやりとしていた。耳には鳥の鳴き声と床固工を落ちていく水の音と、時折のタイミングで近くに敷かれた伊豆急行の線路を走る電車の音が聞こえる。
午後4時、床固工をピタピタと落ちていく水の音に効果があったのか、ようやく歌おうという気持ちが沸いてきた。
早速準備を済ませ、入渓する。と、ちょっと悪企み。
―さっきまでその気は無かったんだろ~―
と同定作業を自分自身に命じる。ここでは歌いたくなっているのを我慢して葉っぱを調べる。
しばしの同定作業の後、ようやくスピーカーの電源を入れた。選んだのはシューベルト作曲のDie schöne Müllerinよりその10曲目、Tränenregen(涙の雨)。冬にしか歌わないと決めていたDie schöne Müllerinだが、掟を破って登場させた。現場に降り続いた雨がこの曲を誘ったのだ。
決まりを破ったことはいけないと思う反面、こんな素敵な曲が自然発生的に歌いたくなったことについては大喜び。
Tränenregenをたったの2回。時間にして10分弱。わざわざ、片道60キロ以上も走ってきた現場で歌ったのはこれだけ。
これだけだけどすごい名曲。幸せすぎる・・・。
なんとか自分の気持ちをうまく誘い出すことが出来た。雨という条件は最大のネックになるだろうと予想していたが、その辺も最終的にはむしろプラスに働いてくれて終われ、良かった。
晴好雨奇。
この言葉を実感することのできた今回の砂防ダム行脚となった。食にも歌にも美味い、幸せな体験をさせてもらったのだった。