9月14日午後2時27分カナダ村のネルソン駅のゲートを出た。
眼前にはクーテニ湖が、頭上にはユリノキの樹冠が、後方には今のってきたロムニー鉄道の車両とネルソン駅の駅舎が見える。
本国カナダのネルソン市にはネルソン駅というものは実在しないらしい。
実際、市の領地を横断するように線路は走っているものの、通過するはカナダ大陸横断鉄道で駅は無く(観光客向けの路面電車はあるようだが・・・。)、つまりのところネルソン市というのは非常に田舎の町ということのようである。
自分たちの町に線路を敷かれながら、駅舎も作らず車があれば交通インフラはOK(?)というカナダ人の感覚には正直おどろいてしまうが、よくよく考えれば同国と日本とでは※国土の面積というものに大きな隔たりがあって、日本人のように狭い土地の中にせかせかと都市開発をしようなんて思想自体がそもそも存在しないのでは?とも思った。
相手は多文化主義的とも言われる社稷である。それがウケてか年々移民が増加。世界が求めているものが分かる。これからの時代、いろいろな人のいろいろな考え方の違いに柔軟に対応出来なかったところで恥をかくハメに遭うのは自分自身であろう。気をつけなければいけない・・・。
ところで何故、伊豆市のテーマパーク「修善寺虹の郷」にカナダ村とかネルソン駅といったアトラクションスペースが作られているのかといえば、この界隈、旧田方郡修善寺町が同国ブリティツシュ・コロンビア州のネルソン市と姉妹都市提携をしているところに因んでいる。
調印が1987年(昭和62年)ということなので今年で33年目。虹の郷開園が1990年(平成2年)というから、その(昭和→平成)改元前後、当地ではかなりの“カナダブーム”があったと思われる。
カナダブームなんて言うと人によっては非常に病的なワードに聞こえるかもしれないが、その当時がバブル経済の真っ只中であったことを考えると、戦略的に言えばこれは
攻め!
の姉妹都市提携&虹の郷計画であったと思われる。伊豆半島各地で大型宿泊施設や商業施設が作られる中で、修善寺町の町政として何か他には無い、競争に負けない観光インフラを作っていこうという中で計画されたテーマパークであったに違いない。
※日本およそ37万キロ㎡、カナダおよそ998万キロ㎡、その差およそ27倍。
大きな箱を造らなかった!
当時のバブル真っ只中を社会人として生きていた人たちがこれを最初見てどう思ったかはわからないが、このテーマパーク内には“大きな箱”が無い。
例えば事案として巨大なプールを作るとか、ウィンタースポーツ(標高が高いから可能性あった!?)の施設を作るとか、大きな宿泊施設やレストラン、映画館、プラネタリウムを併設するとかいったことをやりがちなような気がするが、ここは全くそれらをしていない。
そもそも園内のほとんどが傾斜地で、箱自体が作れなかったのかもしれないが、それが正解だったのだと分かるバブル崩壊以降の感覚をよくも冷静に、当時の人たちは判断されたのだと開園から30年経ったアニバーサリーイヤーの今年になって思う。
園内の北東側に広がるもみじ林は1924年(大正13年)に植樹されたもので(もともと修善寺自然公園との境界線は無かった。)、それらを伐採せず、生かしたことは先見の明に尽きない。
とくに岐阜県揖斐郡徳山村から移築してきたという古民家をそのもみじ林にうまく融合し、「匠の村」としたあたりはじつに見事である。古民家を置くだけだったら、他のテーマパークにも全然出来そうな所であるが、樹齢60年(当時)以上経過した木々を自然な感じに配す形での景観づくりが出来たことについては、他にとって
「真似をしたくても真似が出来ない芸当」であったと思う。
アメリカフウ
さて、9月14日であるが午後2時台にネルソン駅前に降り立って、まずはプリンセスローズハウス前の大きなアメリカフウ(モミジバフウ)の木の観察を行った。アメリカフウについてはすでにロムニー鉄道乗車時にその車窓(オープンデッキなので窓は無いのだが・・・、)から見つけていたが、こちらの木のほうが断ぜん巨木であったため改めて間近で見ることに。
喫茶のローズ・レ・カフェの方向に向かって長く伸びた枝の先には格段大きな葉が付いていて、持っていたメジャーで計測したところその葉身は19センチメートルもあった。このような星形の分裂葉の中ではもちろん今まで見てきた中で最大。
北中米原産の同種は木の幹の表面、つまり樹皮についても在来種のイロハモミジなどとは違っていて、表面がコルク状でごつごつしている。また葉の付き方についても在来種はどれも対生であるのに対してアメリカフウの葉は互生している。
一枚一枚の葉が大きいだけにこの木が作る木陰は非常に立派なもので、プリンセスローズハウス前のバス停ベンチにしばらくのあいだ腰掛けた。もちろんこれは園内を走るトレーラーバスの往来を待つための行為であったのだが、肝心、ようやく目の前に現れた同車両は進行方向がどう見てもおかしかった。
「匠の村へ行きたいの?あと30分後だよ。これはイギリス村のほうに行くやつだから・・・。」
灯を永遠に
いやいやこれは大汗かく展開でしょ。と思いつつロイヤル・ローズ・ガーデン、しゃくなげの森、菖蒲ヶ池まで歩いて降りる。コイのえさやり自販機の前でヤツらが集団でバクバクしていたが、女の子の集団がちょうど楽しんでいる様子であったためコイをスルーし、もみじ林の坂を駆け上がる。
探していたもみじのミニ図鑑の看板にも無事たどり着くことが出来て一枚。ちなみに前回のエピソードでは「イタヤカエデ種」としてペタしたものが確認できると思うが、この看板に従えば(この一帯に植樹した種について言っているので)それはエンコウカエデのことである。
このイタヤカエデ種の同定には相対的な比較経験が無いとなかなか難しいようで、看板でお墨付きをやってくれたことについては非常にありがたい。しかも看板のすぐそばには手で触れられる高さの枝を備えたエンコウカエデがいてくれて、その木で大いに観察ができた。
ほかにも前回、修善寺自然公園で見つけることが出来なかったハウチワカエデなども見ることが出来て大満足。坂の一番上にある匠の村まで登ったら何やら作業服を着た人たちが高所作業中。
彼らの触るわら縄を見渡せば進行方向にはまだ何もついておらず、その逆側には丸形提灯の列。どうやら今週末に開催されるイベント「匠の村always昭和横丁」の準備らしい。
元気にイベントやってるね!
今からおよそ30年前、当時の世の中はイケイケであったようであるが、そんな中でも冷静に、あとさき残る物を見抜いて設計し、造成させた人たちがここ修善寺虹の郷にはいた。
この灯を永遠に消してはならない。
自分に出来ることは何かと考えながら、悩みながら菖蒲門の前まで下りて「このはな亭」前の長い階段を登り、虹の郷エントランスゲートを抜けたのが閉園1時間前となる午後4時のことであった。