大好き河津町!vol.4

煉瓦は韮山反射炉建立にも使われたらしい。

台風15号が伊豆半島、東伊豆地域を通過したのが今月8日から9日の未明にかけて。その被災状況はすでに多くの報道でなされている通り。賀茂郡河津町においては、河津筏場、峰間に架かる峰橋(通称かっぱ橋)が崩落するなどの被害が出た。報道によればもともとこの峰橋は長い年月の使用によりかなり老朽化していて、通行止めという使用禁止措置が今年の春頃よりとられていたそうであるが、町の景観の一部としての“機能”をもった橋がわずか数時間、同町を通過した1本の台風によって丸ごと無くなってしまったというのは、町外在住者である私にとっても非常に残念でならない。夏場は地元では有名な「飛び込みスポット」であったというこの橋。解体工事によって人為的に取り壊すにしても、関係者にしてみれば小さな式典の一つもあげてやりたかったのでは無かろうか?また、この峰橋の上流側100メートルほどには峰大橋という県道14号線に架かる橋があるのだが、その峰大橋から湯ヶ野方面にかけては、現在進行形で数年前より歩道の拡幅工事の真っ最中である。完成した折りには小学生が安全に登下校出来るようになるらしい。
本当に狭い地域のごく限られた人にしか当てはまらないのかもしれないが、川、橋、道路を含んだ日常の景色というものが、現実と思い出との比較で大きく変わったものになろうとしている・・・。十年一昔という言葉に怖さを感じる今日この頃である。

峰橋跡
大鍋では土砂崩れも

怖さ

今回は、怖さとともに荻ノ入川支流の砂防ダムへと向かった。河津七滝温泉街を荻ノ入川と平行に遡るようにして進むと、「河津七滝オートキャンプ場」の入り口前に出る。そこからさらに登り続けること1.6キロで丁字路の分岐に出る。ここを直進すると、大好き河津町!の第1回で紹介した砂防ダムに行くことが出来る(現在は、画像の通り土砂に埋もれて通行不可。)のだが、今回の行き先は、この分岐を左折、橋を渡ったのち、1.8キロ登ったところにある。登っていく途中にはワサビ田があったり、また丁字路から700メートルの地点には煉瓦の洞遺跡(入り口)があったりする。なお、この丁字路からの道はなかなかの悪路である。文頭にある怖さとは乗っている車のタイヤがパンクしないかどうかということである。

キャンプ場入り口
丁字路
直進側は通行不可であった。

煉瓦の洞遺跡に向かう

煉瓦の洞遺跡入り口には画像Ⓐにあるような標識がある。この標識の手前側すぐに駐車スペースがあるためそちらへ車を停め、歩いて遺跡に向かう。坂を下り、橋を渡り、案内標識に従い、蚊に刺されながら進むと屋根に保護された遺跡を見つけることができた。この屋根に保護された側が焼成窯のAで、向かって左隣には焼成窯のBがある。Bの方は屋根などで保護がされておらず雨風が吹きさらしの状態であり、窯本体にはコケが生え、シダが繁茂している。窯はA,Bともに斜面の上方向に向かって段々になっており、その段々の下部にはなにやら意味ありげな穴が開いている。意味ありげな穴とはタテヨコ15~20センチくらいの不揃いな正方形断面のトンネル様の穴のこと。これがAの場合、段々の最前列では6個、次列以降は何個構えられているのかよくわからなかったのだが同じように続いている。焼成の際必要となる酸素供給のための穴か、薪をくべるための穴なのかは定かではないが、その意匠感というか工夫にこの窯を作った先人の魂を感じた。河津町教育委員会の解説※によればこの窯含め周囲一帯は130年以上前の遺跡という事であるが、その間にどういった意図であろう?遺跡をかすめることに何の躊躇も無くスギが植林されている。窯のすぐ横に植えられた苗木が大きく育ち、恐らくは文化財として保護される際に切り倒されてできあがったであろう切り株などが普通にあるのだ。当時、この地で樹木の伐採、またそのあとのスギの植林に関わった“山の者”たちはいったいなにを考えてこのようなことをしたのであろう?猫も杓子も材生産とばかりに、とにかく木を植えまくることを最重視していたのか、それとも、木が大きく育った時、その幹、樹冠の大きさによって大事な自分たちの村の文化財を保護してやろうと考えたのか?ここは山中とは言え、伊豆半島南東沿岸部に位置する河津町での出来事である。台風はもちろん、そうで無くても雨風の強い日があるであろう。後者の思いであったのだと勝手ながら推測したい。

※以下、〔 〕内は河津町教育委員会作成の案内板より引用
〔湯ヶ野村の板垣助四朗氏の先代がここに陶土を発見、陶器の製造を始めた。(弘化2年)
耐火煉瓦の材料として山中の白土が利用され煉瓦を焼き始めた。(安政元年)
登り窯A、Bの築造と本格的な操業は明治6年以降で工部省製作寮によるものと推定される。
当時、梨本製の耐火煉瓦は良質のものが生産され好評で、各地に送られ溶鉱炉の築造にまた、洋風建築に大いに利用された。
明治16年に官営による営業は廃止されしばらく民営により行われたが、のち閉鎖された。〕 

画像Ⓐ
橋とワサビ田
窯とスギ

“山の者”たちの思い

前述の通り、計算すると砂防ダム本体は煉瓦の洞入り口より1.1キロ登ったあたりにある。荻ノ入川支流がいったん林道から離れ、それが再び接近、林道と平行するようになってからまもなくのところにあるので川を目で追っていれば車で走りながらでも堤体を見つけることが出来る。一年のうちそのほとんどは水が伏流していて落水する様を見ることが出来ないのだが、当日は台風通過3日後という条件のなか、見事落水する中で音楽を楽しむことができた。

自分たちの大事な村を・・・。悪路を登っていった先にこの場所はあるのだが、この砂防ダムを作った“山の者”たちもまたそういう思いを抱きながら完成までの間、ここで作業し続けていたに違いない。

銘板。この川は“小川”というらしい。
渓畔林を見上げる。
落水がめずらしい同所。

3ヵ月したら

小野自動車

―3ヵ月したらまた持ってきます。―
そう言って瓜生野の小野自動車を出庫したのが3ヵ月前の6月。当時のことを思えば、
―あぁ、良かった・・・。―
これに尽きると思う。

6月20日。その日も私は伊豆の砂防ダムを行脚していた。西伊豆方面を数カ所回ったのち、今度は中伊豆の吉奈方面を探ろうと車を走らせていた時のこと。どうも車の調子が悪い。走行中に急にエンジンが止まってしまうのだ。このまま無理して山中を走って、そのあと一歩も動けなくなってしまったでは大変だとやむなく帰路をたどることにしたのだが、その走行中、サイドミラーに目をやると自車のマフラーからは煙がモクモクと上がっているような状態。 
―これはヤバいな。― 
と思ったものの、そんな車の不調の現状を認めたくない自分がおり、とりあえずは、まずは家に、という気持ちでとにかく車を沼津方面へと走らせていた。伊豆縦貫道を北上し、長岡北ICを降りる。狩野川放水路、長塚橋向かいのデイリーヤマザキ前を通り過ぎ、口野トンネル、口野橋と進んだあと多比第二トンネル、そしてその出口へと差しかかった時の事だった。このとき不意に車のメーターに目をやったのはおそらく、トンネル走行時にちゃんとヘッドライトが点いているかということを確認する為だったからであろう。
―あぁ、もうダメだ・・・。―
これまで何の根拠も無く大丈夫なんだと期待感と希望的観測とともに頑張ってきた自分自身であったが、そのいつもとは違う異様な光景を目の当たりにした時、あきらめがついた。無情にも冷却水の温度を示す水温計の針が、まっすぐ上にある「H」の方向に向かってきれいに伸びていたのである。とりあえずはトンネルを抜け、すぐにある信号を左折。ほぼ直後にある多比防潮堤前の駐車スペースに停車。釣り目的でしか来たことの無かったこの場所に、そのいつもとは真逆の、なんとも言い難い「負」の精神状態を持ち合わせた自分が今日はおりたっている。不安な気持ち、しかし、やけどをしてはいけないと警戒するなか、恐る恐るボンネットを開ける。明らかにおかしいのは、Vベルトが1本外れているということ。のちに小野自動車の親方に教えてもらったのだが、このVベルトは車のウォーターポンプを回すためのVベルトで、これが外れてしまうとエンジンを冷やすための冷却水はラジエーターに行くことが出来ない。ラジエーターに行くことが出来なくなり熱を逃がせないまま超熱湯状態ほどにまでなった冷却水は当然のことながら冷却機能を失っていて、その冷却機能を失った冷却水を受けるエンジンはそのまま高温となり、ついにはオーバーヒート。心優しき親方はこれ以上言わなかったが、最悪なところエンジン使用不能という事態に陥るらしい。(幸い今回はそこまで行かなかった・・・。)

多比防潮堤の高く続いた階段を見上げながら、損保会社のロードサービスに電話をかける。どこにいる相手にかかっているのだか、地元、沼津の人間ならほとんど誰でも通じるであろう「多比の防潮堤」が通じない。オペレーターが番地で答えてくれと言うので、車内に置いてあった紙の道路地図を広げ、近くの民家に振ってある番地で答える。

多比の防潮堤

スズメ

それから30分ほどであったか?防潮堤前の駐車スペースでレッカーを待った。その助けは防潮堤本体とは反対側にある国道414号線を介してここにやってくる。国道を上下線に通り過ぎる何台、何十台という車を見ながら、時折現れる大型車に(レッカーではないかと・・・)ドキッとしながらそこで待ち続けた。国道手前側には野球場の内野一面分くらいの空き地があり、砂利と雑草で放置されている。その放置の上を数匹のスズメが食べ物がないかどうかとしきりについばんでいる。車という移動手段を失った自分とは対照的でスズメは元気いっぱい旺盛であった。スズメのような小さな小さな鳥さえもがその時はうらやましく思えた・・・。

防潮堤には、レッカー、レンタカー会社の順で到着した。保険商品のレンタカー特約で借りた軽自動車に乗り、伊豆市瓜生野まで引き返し、車の修理を申し込む。その後、敏腕工場長の手により車は数日のうちに修繕されたが、私自身のスケジュールが合わなかったため、結局車を取りに行けたのは1週間後の6月27日。その時に親方からブレーキパッドを心配する声をいただいていたため、3ヵ月後にまた車を入庫させるということでお願いし、その日は帰った。今回再び小野自動車に車を持ってきたのはそのためであったのだ。

川千代水産、野村水産などの看板もぼんやりと眺めていた。

常に車

いやはや、車は大事に乗らないといけないのだと今回の入庫でまた改めて感じさせられた。あちこちの砂防ダムを行脚する私であるが、その移動手段というのは常に車である。車が無ければ砂防ダムに行くことは出来ないし、たとえ行けたとしても車が健全な状態で無ければ、その行った先から今度は帰ってくることが出来なくなってしまう。車というものに命を預けているということを今一度確認し、それ相応に取り扱っていくということが必須となる。日々、車の状態をチェックしながら乗ることはもちろん、定期的にはプロの目での点検を受けること、消耗品管理は適切に行っていくこととし、車にとって良くない使用方法(シビアコンディションというものにより近い使い方)にはなるべくならないようにし、何より安全運転で、車をこれからも長く使い続けていきたいものである。

車を引き取り後、中伊豆を東へ
八幡の三叉路
今回は菅引川に入ることにした。
菅引第2砂防ダム

ハウスみかんを獲得

ハウスみかんを獲得

前回、食と温泉を加えてお伝えした梅ヶ島の砂防ダム行脚であったが、今回は場所を伊豆半島に変えてお届けしたい。それも、来月9月頃に楽しめそうなルートを私なりに考えたつもりなので、まずは記事だけでも読んでいただければ幸いに思う。

内浦・西浦エリア

9月の伊豆半島でおすすめしたい場所は、北西部にある内浦・西浦エリアだ。交通アクセスであるが、東名沼津インターもしくは新東名長泉沼津インターからだといずれの場合も伊豆縦貫道を利用して南下するのがとにかくわかりやすくて良いと思う。伊豆縦貫道は三島市や田方郡函南町を経由することになり、東側に大きくふくらむため、遠回りにはなるが、この道が一番迷わなくていい。その田方郡函南町にある「伊豆ゲートウェイ函南」を過ぎれば、有料区間の「伊豆中央道」に入るので江間トンネルをくぐったあとその先すぐにある料金所で通行料金を支払う。通行料金は普通車が¥200円、軽自動車が¥160円だ。料金所を過ぎたらあとは直進し、これまた道の駅風の商業施設「いちごプラザ」前を通過、その次のインターチェンジ「長岡北IC」で伊豆縦貫道を降りる。降りたら西方向に向かって右折し、狩野川放水路を反対車線側に見ながら直進、「口野トンネル」という短いトンネルをくぐる。すると画像にある「口野放水路」という交差点に出るのでそのまま直進する。

口野放水路交差点

ドライブスルー型青果店

この口野放水路交差点から先が内浦・西浦のエリアの内浦となり、道路は県道17号線となる。県道17号線は内浦三津にある「三津シーパラダイス」あたりまでは南下し、その先にある富士見トンネルのトンネル内で進路を西側に変え、それから大瀬崎入り口を経由したのち再び南下し、終点土肥中浜三叉路まで続く。その間、約45.1㎞。そのうちあざ名に内浦と付くのは長井崎トンネルまでのおよそ5.5㎞の区間でその長井崎トンネルより先、大瀬崎までの区間約12㎞が西浦となる。この県道17号線沿いには多くの船宿や民宿があるのだが、伊豆の他地域と比べて異なるのはその多くが温泉とは結びつかない沸かし湯を提供する宿であるということだ。内浦三津にある旅館数軒は温泉を引いているが、それ以外はほとんど温泉とは無関係で、当然、日帰り温泉施設などもってのほかである。それでも民宿として生業を成立させているのは、接客サービスの質のみならず、新鮮な地魚が食べられるという事と、海との距離が近く、そのことが付加価値を生じているからであろう。内浦・西浦ともに地理的には駿河湾最奥部に位置し、一年を通じて海が静かであるため、海により近い場所に建物を建築することが出来る。今回ランチで訪れた西浦久連の「駿陽荘やま弥」もご多分にもれず道を挟んで直ぐが海、魚は超絶品という内容であった。また、同じく“食”をテーマに言うとすれば、これから9月はウンシュウミカンが楽しみである。冒頭で「9月頃に楽しめそうな・・・」と言ったのは、このためである。内浦重須には県道17号線沿いに2軒のミカン直売所があるのだが、面白いのは有限会社マルカ。県道17号線に面した倉庫の軒先をそのまま直売所としているので、車に乗りながらにして(しかし事故には注意!)、遠巻きではあるが商品を品定め出来てしまうという、言わばドライブスルー型青果店なのだ。こういった田舎の道路沿いの直売所はどうも苦手だという方もぜひ立ち寄ってみて欲しい。しつこく「買いませんか?」などと張り付いてくることは一切無いので安心して寄ることが出来る。これから9月は私の大好きな極早生品種の「日南1号」などの緑色みかんが店頭に並ぶことになる。残念ながら今回はフライングとなってしまってハウスみかん獲得となったが、これが露地栽培の緑色ミカンに切り替わる瞬間が今から待ち遠しくて仕方ない。

日南1号。土の上に落ちているのは摘果されたもの。
西浦木負の河内川河口。海に浮かんでいるのは養殖いけす。
駿陽荘やま弥
名物の鯛丼
店内にはコラボグッズがたくさん!

戸田or修善寺

さて、肝心の砂防ダムであるが、この内浦・西浦エリアにあまり良い場所は無い。これだけ多くの魅力を持った同地で音楽が出来ないというのは残念でならないが、西浦木負にある丁字路を南方向に曲がったあと、画像にある通り進んでみて欲しい。このルートを使って戸田峠まで上がったのち、戸田側が良ければ西へ、修善寺側が良ければ東へ降りれば良い。内浦・西浦エリアでおいしいものをたくさん食べ、養殖いけすやミカン畑などの経済文化を学び、動物注意の林道を走り、峠を越え、砂防ダムで歌い、最後、温泉に入って(これはおまけ!)帰るというルートである。いかがであろうか?尚、一番最後の画像にある北又川の砂防ダムは戸田峠からそう遠くは無い距離にある。今後、機会を改めて紹介しようと思うので乞うご期待!

西浦木負の丁字路。ここからとにかく市民の森に向かう。
市民の森前の分岐。ここを右に逸れる。
ここを左折。
動物注意リスバージョン。他にシカバージョンもある。
最後トンネルを2本抜けると戸田峠。
北又川の砂防ダム。

梅ヶ島のいちじつの思い出

今回は静岡市まで足を延ばした。

8月19日。翌日は8月20日。いよいよ8月が今年も20の大台に突入である。この20の大台に達した時から以降10日間ほどは今年の8月はどうだった、どうだったとやたらと振り返る不思議な自分が毎年いるのであるが、もう丁年をとっくに過ぎいい年した自分である。ダメな、ろくでもなかったこれまでの期間を取り返せとばかりに、今からでも遅くは無い、挽回するのだ。小学生の頃より様々な社会的権利を与えられているではないか。頭を使え。と自分に言い聞かせ、8月の残り約10日間を濃密に過ごそうとするのである。いやはや、こんなにも8月という月にこだわるのはどう考えてみてもその小学生の頃から、最終学歴である高校3年時に与えられた夏休みの影響であるように思えて他ならない。学校生活という管理された空間から、どうぞご自由に、というフリーランスの空間に放たれた自分。その自分がこの1ヶ月のあいだしっかりと予定を立て、その日その日やるべき課題を確実にこなし、そしてまた翌日を迎えるという日々の繰り返しがしっかり出来ていたかということをしきりに振り返ったりするのである。そしてそういった癖が昔、学生時代に付いてしまったらしく8月という期間に対してやたら充実感だの思い出だのを求める自分がいる。8月。他と何ら変わりないただの1ヶ月間なのになにか特別なもののようにして扱う自分がいて、しかもそれが質の高いもので無かったとすると自己嫌悪に陥ったり、そうなるまいと焦ったりするなんとも落ち着きの無い今日この頃なのである。

防護柵

ということで、やっぱり焦った。なにか、この夏休み期間(ではないのだが・・・)のうちになにか思い出を作ろうと。せっかくの機会、たまには伊豆半島以外のところに行こう。ということになり、静岡市北東部の梅ヶ島を目指すことにした。
8月19日。午前7時に自宅を出て、まずは新東名高速道路、駿河湾沼津SAにあるスマートICに向かう。久々の活躍となるETC車載器は大丈夫なのかという心配をよそにETCゲートのバーは難なく上昇し、スマートICを通過する。新東名に乗るとともに、まずは新静岡ICを目指す。と、ここですぐに異変を感じる。高速道路の一番外側の白線さらにすぐの所に、延々とガードレールと高さ2メートルほどのネットが伸びていて、運転するのに非常に抵抗を感じるのだ。―ニホンジカか?―この駿河湾沼津SA付近は道路そのものが愛鷹山のすそのに接するように出来ていて、ニホンジカが頻繁に見られる区間である。近くのゴルフ場付近にいる個体などはもはや住民票取得レベルに一般化しているが、最初はそのニホンジカの道路侵入を防ぐ防護柵なのかと思っていた。しかしそれはどうやら違うようで、これらの柵は本年4月より着手している新東名の6車線化工事の現場作業員、作業車両用の防護柵であることがすぐにわかった。高速道路会社によれば8月21日より制限速度を一部区間80km/hに設定してドライバーの安全面に配慮するようであるが、それでも一般道の制限速度60km/hをゆうに超える速さで防護柵からそれほど離れていないところをビュンと行くのは若干の怖さがある。オリンピックという祭典を前にしたその関連事業で、死傷者が発生するなどということがくれぐれも起きないようにとこれには願うばかりであり、そしてまた、運転に自信が無い方においては、新東名の利用そのものを控えた方が良いのではと感じたので、ここに記して発信しておきたい。

ガチ通せんぼ

件の防護柵との接触も無く無事通行することが出来、新静岡インターで新東名を降りる。インターを降りてからは県道27号線をひたすら北上することになるため、案内標識に従って県道27号線方向に向かう。―腹が空いたなぁ・・・―ここでインター降りてすぐのところにあるコンビニに立ち寄り、腹ごしらえをする。時間は午前8時。店内はクーラーが効いていて涼しいが外はもう朝から猛暑のまっ只中。そんな暑さに打ち勝とうとして購入したカツカレーがうまい。食事を済ませると一路、梅ヶ島を目指す。と、すぐに、「林道豊岡梅ヶ島線通行止」の看板標識がありドキッとする。まさか・・・、と思ったのであるが、これは梅ヶ島以降、山梨方面に抜ける林道の通行止めを言っているのだということがわかりホッと胸をなで下ろす。このことは決して冗談を言っているのでは無い。過去には同じ静岡市内で“ガチ通せんぼ”を食らい、目的地に行けなかったことがあるからだ。あぁ良かったという思いとともに再び目的地の梅ヶ島行きに気持ちを切り替える。それからはあちこちの写真撮影を楽しみながら、約2時間ほどの行程で目的地に着くことが出来た。

玉機橋右岸
大河内郵便局
平野橋から上流側を見る
大河内橋(右側は建設中)
金山砂防ダムと金山トンネル
梅ヶ島温泉街

adelaide

画像にあるのが今回の目的地となった「湯の島第2砂防ダム」である。梅雨の間からの潤沢な降水量に支えられて、当日はご覧の通りドカンである。ある程度予想はしていたものの、前回来た時のその様子から比べれば違いは歴然。冬と夏では砂防ダムはこんなにも違うのだと驚いた。堤体より落下した水は激流となって、そのすぐ下にある滝に吸い込まれている。川の本流に入ってしまえばその激流の餌食になるばかりなので、しかしそれでもなるべく低くなったところ、岸際の大きめの石に寄りかかれるようになったところを選び歌を楽しむ。選曲は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベンのadelaide。ここのところの天候不順によって全然砂防ダムに来られていなかったということもあり、歌っていて楽しいことこの上ない。私の歌声を安倍川源流のドカンが呑み込んでいる。自然の大きさ、猛々しさを感じながら、落水のドカンによって発生した水しぶきを浴びながら、歌を楽しむことが出来た。堤体すぐ近くに停めた車の上には、それを覆うようにしてフサザクラの枝葉が伸びている。誘惑に負けてその木陰の下の車内で昼寝をする。そしてまた、ムクッと起きては歌を楽しむ。そんなこんなでこの場所で過ごしたのは3時間半ほどであった。

フサザクラ

湯元屋

午後2時前、歌を終えて湯の島第2砂防ダムを離れる。今日は直(ちょく)には帰らない。梅ヶ島温泉の茶屋「湯元屋」に寄ると決めていたのだ。店のすぐ裏にある駐車場に車を停め中に入る。安倍川のせせらぎと対岸の緑が心地よい。盆のハイシーズンが抜けたこともあって店内は空いていた。実は当日は天気予報が雨予報であったのでそのことも影響していたのかもしれない。おでん5本+冷やしとろろそば+温泉入浴締めて¥2,000円のセットをいただく。まずは食事を済ませ、そして入浴。中に人がいなくて、貸し切り状態だったので電気を消して(というより消えていた。)内湯を楽しむ。明かりとなるのは外から差し込む日の光だけ。普段、渓畔林のその下の暗さのことをくり返しくり返し説いている私であるが、温泉の湯に浸かる時までこのありさまである。嘲笑していただければ幸いだ。ちなみに露天風呂もあるのでそちらもおすすめしておきたい。温泉から上がり、湯元屋をあとにしたのは午後3時頃であった。
―さぁ、帰ろうか。―このとき雨が降っていたのだが、店のご主人が傘を貸してくれるとのこと。駐車場にある車まではそれほど離れていなかったのでありがとうを伝え、しかし傘はお断りし、今日これまでの充実感に襲われ、雨のシャワーに濡らされひとりニヤニヤしながら駐車場まで走り、車に飛び乗った。梅ヶ島のいちじつの思い出である。

絶望的にうまいおでん
湯元屋
2018年2月撮影。
当日撮影した「湯の島第2砂防ダム」

あちこち

魅力がたくさんの観光地、伊豆半島。

最近、飲食の仕事を始めた。ホームセンターの仕事が終わってから約4~5時間、炉端焼きの店で夕方からラストにかけてのシフトで週に数回アルバイトとして働くことになった。沼津市内の主に観光客向けの炉端焼き店で、任された業務としてはキッチンとホール両方をやって欲しいとの事なので、ある時は厨房内で食べ物を準備したり、ある時は、提供スペースに出て行って接客をしたりと、店内をあちこち動き回っている。ホームセンターで7時間やったあとの勤務とあって、疲れはあるのだが、充実した日々が過ごせていると思う。

職場で欠かせないと思っていること

私は、このブログのタイトルにもある通り、本職は砂防ダム音楽家である。自宅のある静岡県沼津市を拠点として、主に県内伊豆半島を中心に、そのほか静岡県内各地、山梨方面、神奈川方面にあちこち足を延ばして活動している。
よく身近にいる人たちには、「明日は山に行ってくるよ。」と言って出掛けるのだが、「山?森山さん、なに山に登るの?」と返ってくることが多い。やはり山に行く、などと言うと大それた名前の付いた○○山なるところのその頂上目指して行くことをイメージする方が多いようで、これをテンポ良くうまく説明することが難しい。かといって、「砂防ダムに・・・」なんて言うと、「ダム?この辺にダムなんてあったっけ?」と来るので、これまたどうも調子が良くない。(←これは貯水ダムであると認識しているせいもあるため・・・)山でもダムでも無い、なにか一言で伝わるうまい言い方がないものかと思うのだが、逆にそこから、「あぁ、○○さん、砂防ダムって言うのは土砂災害を防ぐためのダムで・・・、そこで歌を・・・、モーツァルトとかベートーベンを・・・。」と、あれこれ説明するのは実は楽しい。お互いに時間があるような、ゆっくりとものごとを伝えられるような、そんなときには私の普段の活動について話をし、相手が自分について少しでも理解出来るよう努めているつもりである。私の通うホームセンターは従業員数がそれなりに多く、その中で業務を効率的に円滑に進めて行くには普段のコミュニケーションが欠かせないと思っているのだが、私の得意分野はは砂防ダムの話しである!他の人たちは、男性陣は車、サッカー、ゲーム、釣り、食べ物屋の話しなどでお互いを深め合っている。パチスロなどギャンブルの話しをする人は、商人の集まりにしては意外にも、少ない。女性陣についてはここに書くとなんとなく姐さん方から怒られそうなので割愛させていただくことにする・・・。家庭と仕事を両立する素敵な、魅了的な、そして何より強い!女性の集まりである。

賀茂郡東伊豆町の川久保川にて。8月8日撮影。

町と砂防ダム

そんなこんな、「明日は山に行ってくるよ。」と宣言してからの日々の砂防ダム行脚である。その日その日めざすのは大それた名前の○○山の頂上では無く、山の中でひっそり孤独にその役割を全うしている砂防ダムだ。砂防ダムの役割とは言うのはもちろん土砂災害の防止ということを言っていて、その流れる先には必ず家や田畑、道路などがあり、場合によっては大都市が控えている。つまり砂防ダムの下流側には必ず「町」というものが存在し、その町に対して砂防ダムが本当に土砂災害の防止に役立っているのかということについて一つ一つ、本来ならば丁寧に調べていかなければならない。砂防ダムこそ、造ってしまえばもうそれで終わりの建設物では無いのだ。よく砂防ダムが出来たことによって、サケ科の魚やウナギ、モクズガニなどが遡上できなくなったという話しを耳にするが、それまで、砂防ダムが建設される前までその上流域で魚を捕っていた人にとって、これほど恨みになる話しはない。また、魚に対してさほど興味が無かったとしても、砂防ダム含め流域見わたす限り一面が災害対策の名のもと護岸工事されてしまい、景観が大きく変わってしまった。という流域住民も各地に少なくないであろう。自分が幼かった頃と比べて大きく、悪い方向に景色が変わってしまったというのであればそれはそれは悲しいことだ。砂防ダムのみならず河川構造物を建設することは、そういった流域住民の感情的なマイナス面のリスクを伴うことであるし、であるからこそ、その感情の対価としてそれらの建設物が、大雨などの災害危険時にきちんとその役割を果たせているか、という評価はたいへんに気になるところである。町というものと砂防ダム(河川構造物)というものは近い関係にある。

同じく東伊豆町の白田川。一観光客として見て成功事例に思えるが地元民はどうか・・・?

観光産業

私のこれまでの砂防ダム行脚の記事を見ていただければわかる通り、その活動の中心地は伊豆半島である。伊豆半島は西も東も多くは温泉地を抱えていて、その温泉地の温泉という自然の恵みは地元民のみならず多くの観光客の愉しみとなっている。そんな多くの観光客が愉しむ観光地というものとの関わりを日々の砂防ダム行脚の中で考える機会が多くなり、観光産業を学びたいという気持ちが芽生えてきた。前述した通り、砂防ダムとその下流域の町というものは近い関係にあって、伊豆半島の場合はその町は皆どこも温泉を抱える観光地なのである。伊豆半島各地を車で走っていて、あぁこんな店があるな。とかこんな旅館、ホテルがあるな、というところからさらにもう一歩踏み込んで、中にあるものをまずは自分が学び、その内容について少しでもお伝えして行ければ。と思っている。
今まで通りホームセンターで、砂防ダム音楽に欠かせない渓畔林のその一本一本の元となる“植物”について学びたいという思いも持ち続けているから、この沼津の観光客向け炉端焼き店の仕事はトリプルワークの3番目という事になる。サザエ!ホタテ!ホンビノス!生ビール!と今日も店内をあちこち駆けずり回っている。

温泉で有名な湯河原の藤木川支流

社内販売製品

うまいよね!コレ。

ある日のこと。会社の休憩室でいつものように昼食後に米菓をポリポリやっていると、青物系釣り師兼売り場担当のI氏から声がかかった。「森山さん、それどこで買ったんスか?」 私「えっ、これは○○(近所のスーパー)ですよ!」 I氏「そうじゃなくて、ウチじゃ無いところで買ったんスか?」と。なるほど。売り場の光景を思い出してみればそうである。最近のホームセンターというのは私の勤務しているところに限らず、やたらと菓子やらカップラーメンやら飲料やらの加工食品を販売しているではないか!自分自身幼かった頃を思い返してみると、まだその頃はホームセンターが食品を取り扱っていることなど無かったような気がする。それがいつの間にか、本当に、気がついたときにはそういった加工食品を置くのが当たり前になって、犬用、猫用、人間用すべての食べ物をホームセンターが用意していることが現在では何もオカシい事では無くなっていた・・・。比較的広い売り場面積を生かして商品をドカンと大量に、中には外梱のダンボール箱のままどうぞ!とやっているものもあり、店全体の売上げ対における比率も決して小さくはない。ホームセンターとはどんな業態ですか?と聞かれたら、幼少時代であったら「食品以外のありとあらゆる生活雑貨を取り扱うお店です。」みたいな感じで説明がついたのかもしれないが、こんな現在の様子では言葉で表現のしようが無い。たかが小売業といえど、時代とともに変化をしていかないと生き残れないようなのである・・・。
ちなみに、このI氏との席に同席していた、ラージマウス系釣り師兼売り場担当のM氏は同一地域、ライバル社の某ホームセンターでショッピングカート一杯にしたビールを押していたところを自店幹部のT氏にブッキングしてしまい、ジロリとやられてしまったそうである・・・。I氏はとてもユニークな方、M氏は器の大きい方、T氏はコミュニケーション能力に長けた方なので、私の件も、M氏の件もおたがい苦笑い程度で済んでしまうのであるが、いやはや世間は狭い。社内販売製品を他社で買うときは要注意である。

接触冷感素材

最近、他社で買ったものに接触冷感素材のシャツとタイツがある。ホームセンターはご存じの通り、作業服関連も取り扱っている。当然のことながら接触冷感素材のシャツもタイツもその商品群の一部で勤務先の店舗にも置いている社内販売製品だ・・・。これらは自宅から近いところに作業衣料専門店があるためそちらで購入した。接触冷感素材の衣料についてだが、実は私自身恥ずかしながら今回初めてこちらを購入させてもらった。よって、これを着るのも今回が人生で初である。接触冷感という名の通り、生地に触れたときに冷たい感触が得られるようなのでこれからの夏の砂防ダム行脚に役に立つのではないかと思い、製品のことがよくわからないながらも導入しようと決めた次第である。まぁ、実際店頭で触ってみたときの感触として「これは行ける!」というのがあったのだが、一応購入後にネットで調べてみた内容としては、〔①繊維中に水分を多く含むこと。②熱伝導率、熱拡散率が高いこと。③触ったときに少し硬く感じる(シャリ感)こと。日本化学繊維協会HPより。〕とある。これら3点の原理によって生地に触れたとき冷たく感じるようなのであるが、実際フィールドで使ったときにどうなのであろうか?殊に砂防ダム空間という渓流での使用が前提となり、ウェーダーとの併用が必須となるためその相性というのがとても気になるところである。

接触冷感素材のシャツとタイツ
サイズは大きめのものを選んだ

ズブズブ

これまで私自身が釣り人の立場でウェーダーを履いてきたことはすでに当ブログに書かせてもらった通りであるが、夏場のウェーダーというのは本当に暑くてしんどい。なにせ、水の侵入を防ぐためにこのウェーダーという工業製品は足先を布が包み込むようになっているのだ。よく元プロボクサーのタレントさんがテレビで僕のサウナスーツは痩せますよ!みたいに薦めている光景を思い出すのであるが、アレってこんな感じなのかな?と思うくらい、夏場のウェーダー内は汗でズブズブになってしまう。そういった状態に陥ることから少しでも遠ざかるべくウェーダーと肌との間に接触冷感素材の生地を一枚はさむ。ということをやってみようとなったのであるが、夏の太陽が照りつける炎天下の中ではどうなのであろうか?そもそもそのような状態にあっては音楽家としての歌心というか、歌に対する気持ちの面で表現が困難な状態になるというのは過去の経験から明らかであるから、敢えてそういった条件を選ぶことは必要ないであろう。フィールドテストは早朝の涼しい時間帯をねらって前回も入った河原小屋沢で行った。

ポケットが無いためハーフパンツを1枚履いた。
+ウェーダー

実に軽やかなものであった

8月1日、河原小屋沢に向かって自宅を出た。件の接触冷感素材のシャツとタイツであるが汗が一切付いていない状態からのテストがしたかったため今回は自宅で装着せず、現地で着替えて身につけることとした。

猫越川右岸側林道の道幅が広くなったところに車を置き、そこで着替える。

「おぉ!」と言ったか言わなかったかはもう今となっては覚えていないが、その時その冷たい感触には非常に驚いた。上半身下半身ともに体表が冷たいものに触れ続けているような感覚でとても心地よい。タイツの方は表面がつるつるしていて引っかかりが無く、これならウェーダーの内部生地との干渉によるトラブルも少ないであろう。すねの外側部分が一部メッシュ生地となっていてそれ以外の部分がいかに素晴らしいのかがわかる。メッシュの所は生地の隙間が大きく、風によって空気が肌によく当たるはずなのであろうに、それ以外の接触冷感素材部分の方が圧倒的に冷たいのだ。wunderbar!
ではウェーダーとの相性はどうか?下半身にウェーダー、上半身にフローティングベストを纏う。いやはや、驚いた。冷たい感触は全く変化しなかった。このあとのことを言えば、ウェーダー内、つまり接触冷感素材に対して汗をかいたのだが、その汗をかいてからの方がさらに冷たさ、涼しさが倍増して感じられた。当日この装備で河原小屋沢の林道を歩いた時間は往復で1時間弱。早朝の時間であったため、より汗を多くかく炎天下の中でのテストではなかったが、そもそもの目的は音楽である。敢えてそのような条件下でやる必要は無い。接触冷感素材のもつひんやり感に包まれながら快適に行き帰りの行程を楽しむことが出来た。また、他社で買った社内販売製品を共にしたこともあいまって、この日の砂防ダム歩きは普段の仕事を忘れさせてくれる、精神的に解放された実に軽やかなものであった事もそれに付け加えておきたい。

盆栽岩の砂防ダム上の様子。河床が一気に持ち上がる。
↑の河床にある低い堰堤。2017年3月。
入り口ゲートから25分くらいの地点にある堰堤。(今回の目的地。)

7月ももう終わりになるが

今回も渡った猫越川橋

7月ももう終わりになるが、今年に関して言えばそれはそれはもう酷い梅雨の1ヶ月であった。先月の第二週(7日)に梅雨入りした静岡県であるが、6月中は驚くほどの空梅雨。ところが一転、7月に月が変わってからは雨または曇りの日が何日も続き、スッキリ雲一つ無い日というのが全然来ないなどという事態をむかえた。いったい今年はどうなっているのだと思いながら時は過ぎ、そして月末。晴れた日はほとんど無かったように記憶していたので念のため調べてみたのだが、7月の第一週はその期間6日間とも雨または曇り、第二週は10日水曜日のみ晴れ、第三週は17日水曜日が時間帯によって晴れ、第四週は25日木曜日が晴れでその前後、24日と26日は時間帯によって晴れ(ⒸNTT Resonant Inc.goo天気より7月28日現在)であったという。なんとこのgoo天気によれば丸一日晴れた日というのは10日と25日のたった2日間のみであったという事である。記憶に間違いは無かったのだ。

選択性の高い現場

そんな2日間の晴れのうち、25日に行った砂防ダム行脚について紹介しようと思う。場所は伊豆市湯ヶ島の河原小屋沢。河原小屋沢と言えば以前当ブログでも紹介した猫越川の支流河川である。現場へのアクセス方法も、猫越川の右岸側林道に車を停めてから猫越川橋を歩いて渡りきるまでは同じ。そこから猫越川の堰堤に入る場合は林道を右側に外れれば良いし、河原小屋沢に行く場合はそのまま林道に沿って歩けば良い。このことはとても便利で、例えばある日、車で猫越川の右岸側林道まで車で走ったとして、それからその日その時の気分によって、猫越川に入ろうか河原小屋沢に入ろうか決めれば良い場所なのである。選択性の高い現場だと言えるであろう。

“不法投棄禁止”ののぼり。地元民は車両入場しているのだろうか?

ヒグラシについて思うこと

25日夕方、猫越川右岸側林道の道幅の広くなったところに車を停める。ここは以前にも書いたが猫越川橋以前に駐車スペースが無いため、いったん林道に入り、道幅の広くなったところに駐車する。スギ林の木の下で、車のエンジンを止めるとtr~(Ⓒ鈴木輝昭 ひぐらしのモチーフより)と鳴く野生生物の声があちこちでこだまする。初夏のセミ、ヒグラシの鳴き声だ。このヒグラシというセミに関して、俳句の季語ではどうやら初秋のセミとして扱われているようであるが実際、生息をするのは初夏である。日本全国の森を出歩いたわけでは無いため初夏にしかいないとは断言出来ないのであるが、少なくともヒグラシの生息の最盛期は初夏で間違いないことが自分の経験上のものから解る。山間地というほどの高い山の中で無くても生息していて、しかもこのセミはどうやらスギなどの人工林が大好きなようなのである。したがって、街場に住む人にはあまりピンとこないかもしれないが、ちょっと村地寄りな場所に住む人にとっては身近な存在であり、日本各地のそういったところで、人に、野生動物に夏の訪れを自身の鳴き声によって伝えてくれるいわば告知者となっていて、であるからこそもっと多くの人が正しくこの生物の生態を理解し、文学に取り入れていくべきでは無いのか?と、思うのだがいかがであろうか。まぁこの今年の異常気象ともいうべき空梅雨&長梅雨の中で元気に鳴きまくっているその声が聞けたこと、これには安心した。

安全なところを降りる

さて、目的の河原小屋沢の砂防ダムであるが、猫越川の右岸側林道から歩きはじめ、猫越川橋を渡ったのち、そこから10分程度歩くと到着することが出来る。砂防ダムの堤体前すぐの区間は、川の直前で結構切り立っており危険なためそれより以前の所の斜面を降りる。堤体前100メートルくらいにちょうどスギの木が途切れた区間があり、そのあたりから降りると上から下まで坂になっていて安全である。立木など掴まるものが無いので、ウォーキングポールなどで体を支えながら降りるとより安全だ。

堤体を発見したら100メートルほど引き返す

ヒグラシと競演

ここの砂防ダムは堤体前がちょっと明るくなっている。左右にはしっかり渓畔林が入っているのだが、横方向の懐が比較的広いため、それに覆いかぶさりきることが出来ず空から光が直接差し込んできている。音楽を楽しむにあたっては堤体を流れ下りる水に魅了されてついつい前に立ちたくなってしまうところであるが、そこをじっとこらえて50メートル以上後方に下がる方が良い。日の光が直接降りてきているところは左岸側にいくらか堆積している土砂を観察すれば微妙な違いも解るので、いろいろ見ながら、少しでも暗くなった場所を選んで立ち位置とすると良いと思う。また、この場所は盆栽岩(勝手に名付けた!)があり、なかなか見事である。岩の下部を河原小屋沢の清らかな水がへつるようにして通過していて、寄せ植え樹形盆栽の“静”と水の“動”が融合されたなかなか見事な光景であるように思うのだが、いかがであろうか?是非とも専門家の意見をお伺いしたいところである。私自身においては、そんな盆栽に触発されて、フーゴ・ヴォルフの「庭師」を高らかに歌い上げた当日であった。それはしかも初夏のセミ、ヒグラシとの競演であった。

盆栽岩その1
盆栽岩その2
堤体全景

水源かん養保安林

河津町の国道414号線沿いに立つ看板

上の画像をご覧いただきたい。これは当ブログでもおなじみ賀茂郡河津町での一枚だ。撮影は前回、河津町で鍋失の砂防ダムを行脚したときに行ったものである。「水源かん養保安林」とある。

水源かん養保安林とは何かが今回のテーマ

水源かん養保安林とは何か?以下は引用である。
〔水源かん養保安林 水源のかん養の目的で指定された保安林。流域保全上重要な地域にある森林の河川流量調節機能を高度に保ち、その他の森林の機能とあいまって、洪水、渇水を防止し、または各種用水を確保する。重要な河川その他水害頻度の高い河川の上流水源地帯において、地形、地質、気象等を考慮して指定される。2002年度末現在の指定面積は約666万haで、全保有林の7割を占める。国有林と農林水産大臣が定める重要流域の民有林は農林水産大臣、その他の民有林は都道府県知事が指定等を行う。五関一博〕山海堂刊改訂砂防用語集より。

砂防ダム行脚をしているとあちこちで見かける。

改訂砂防用語集を読む

ここからは改訂砂防用語集を読んでいきたい。まずは、〔水源のかん養の目的で指定された保安林〕とある冒頭部分。かん養というおそらく聞き慣れない言葉が使われているが、かん養とは〔【涵養】(涵はうるおすの意)自然に水がしみこむように徐々に養い育てること。「徳を-する」「水源-林」〕岩波書店刊第六版広辞苑より。とある。また保安林については〔森林法第25条および第25条の2の規定により、農林水産大臣または都道府県知事が、水源の涵養などの目的を達成するため指定した森林。2002年度末現在の保安林に指定されている森林の面積は約920万haである。保安林においては、原則として、都道府県知事の許可を受けなければ立木の伐採や土地の形質を変更する行為などをしてはならず、立木の伐採をした場合には植栽をしなければならない。保安林の指定の目的は、水源のかん養のほか、土砂の流出・崩壊の防備、飛砂の防備、風害・水害・潮害・干害・雪害・霧害の防備、なだれ・落石の危険防止、火災の防備、魚つき、航行の目標の保存、公衆の保健、名所または旧跡の風致の保存がある。五関一博〕山海堂刊改訂砂防用語集より。とある。

冒頭部分から解ること

冒頭部分から解ることは、農林水産大臣または都道府県知事が法律上の規定により、国土保全上または国民経済上特に重要な流域にあると判断した森林について、その所有者の意思に関係なく定めた範囲内にあるものを水源かん養保安林と呼ぶ。といったところであろう。
続いて〔流域保全上重要な地域にある森林の河川流量調節機能を高度に保ち、その他の森林の機能とあいまって、〕の範囲について。この部分については前半部分と後半部分に分けて解釈を進めていこうと思う。まず前半部分についてだが、これは森林の土壌について言っていると思う。森林を構成する木々のその下にある土壌がどれだけ雨水を貯えられるか、ということについて言っていて、土壌中に貯えたもの、貯えなかったものに二分する。二分したうちの後者、貯えなかったものに関して言えば、雨水がその時そのまま川の水となり流れていることによる河川流量であると思うし、その、その時そのままの水が枯渇してくると前者の土壌中に貯えたものから補填しての河川流量となる。このようにして、河川流量というのは土壌の作用によって雨水の安定供給を受け、一度に“清算”されることなくいわば“分割払い”のようにしてさらに断続的に、しかもそれが一切の人的介入無き山の中で自然現象として行われているわけであるから、調節機能が高度であると敬意の意も含めて表現している。
後半部分の〔その他の森林の機能とあいまって、〕についてだが、これは森林を構成する木々本体の葉や枝や幹など、土壌よりも上の部分についてであると解釈した。木々の葉や枝や幹の表面に付着する雨水を言っていると思う。機能とあるので※雨水付着機能とでも言おうか?

※雨水付着機能は本文内の造語のため注意。

洪水、渇水を防止し・・・

さて、森林を構成する木々のその下にある土壌、また森林を構成する木々本体の存在それらによって何が起きるかがそのあとの〔洪水、渇水を防止し、または各種用水を確保する。〕に続く。土壌には雨水を貯える機能があり、木々本体には雨水が付着する機能がある。雨水について、仮に森林という場に大雨が降ったとしてもそれら土壌や木々本体には一時的に雨水が貯えられたり付着したりする性質があるためその全体が河川に流れ込むということは出来ない。雨水を森林内に一時的に留めているということが言え、結果、洪水の防止に役立っている。またこのことは、そのあとに続く渇水の防止や各種用水の確保ということにもつながる。土壌や木々本体に一時的に留まった雨水はその時そのまま川に流れ込んだ水に遅れてあとから続くことになる。事象として川は水が途切れることなく張っていて、流れ続けているということが起こる。前述の表現を繰り返せば、一度に“清算”が起ること無く“分割払い” がなされるわけでその言わば“水の恵み”によって人々の日々の暮らしは守られている。

水の恵み

“水の恵み”と書いたが、なかなか普段の生活でそういったことを感じる機会というのは少ない。川なんてあって当たり前、水なんてあって当たり前ということで日々過ごしている人がほとんどであると思う。水というのは日常生活には無くてはならないものであるのに、それが山々の木々からもたらされるなんて到底イメージが出来ない。これもまたほとんどであると思う。私自身においてはどうか?台風一過の今日、何事も無くよくぞ頑張ったのだと山への感謝を込めながら、コップに注がれた一杯の水をゴクリといったつもりである。

今回、記事の作成にあたり山海堂刊改訂砂防用語集砂防学会編と岩波書店刊第六版広辞苑から引用を行った。私の事前の予備知識により、説明が端折られている部分もあるがご了承いただきたい。また、水源かん養保安林の〔重要な河川その他・・・〕以降の読みについて、ここからは指定者やその面積の説明になり、保安林そのものの自然現象の事とは異なるため省略した。

こちらは伊豆森林管理署設置の看板。
持越川。雨の少ない冬期でも水は途切れない。2017年2月撮影。

大好き河津町!vol.3

入り口となる電光掲示板設置箇所

今回は7月11日に行った鍋失(なべうしない)の砂防ダムについて紹介しようと思う。場所については画像にある通り。国道414号線、新天城トンネルを抜けてまずは河津町に入る。そこから約4キロほど坂を下り、その間2本のトンネルを通過する。その後「旅の駅吉丸」を右手側に見ながらさらに進む。この「旅の駅吉丸」からいよいよ入り口が近くなるので車のスピードを控えめにし、さらに400メートルほど坂を下る。すると静岡県警察の電光掲示板があり、その左手脇に反時計回りに渦巻くような道があるため確認しておく。後続車両などが付いてきていなくて、ブレーキングしながら左折で入れるようであれば直接入ってもよいのだが、おすすめしたい安全な方法としてはそこからさらに国道414号線を700メートルほど下って、反対車線にある停車帯のあたりでUターン(このときも後続車両に注意!)してから再び登るようにして引き返し、右折で入るというやり方だ。右折で入ってからは反時計回りにぐるりと回った後、国道414号線をくぐり抜けて少し走る。すると乗用車が10台ほど停められるような比較的広い駐車場に出るのでその駐車場からまた林道をさらに行く。1.8キロほど走れば“終点”の鉄製ゲートがあるのでまずはそこまで車を走らせる。この林道についてだが「踊子歩道」というハイキングコースとしての一面も持っているため、ゆえに歩いているハイカーも多い。うっかり事故など起こしてしまうことの無いよう気をつけて走行したい。鉄製ゲートの前には乗用車が2~3台停められる駐車スペースがあるので、まずはそちらに車を駐車させる。

反時計回りの描かれた河津七滝めぐり入口看板
水垂バス停。これも反時計回りの入り口にある。

事故の無いようお楽しみいただきたい

ここからは歩いて現場に向かうことになる。開始は鉄製ゲートの手前側に丸太階段があるのでまずはこちらを登る。続いてはスギの木の針葉樹帯を100メートル位い歩くと木で出来た桟橋があるのでその桟橋を渡る。桟橋を渡ってからは河津川の左岸側を沿うようにして続く。この一体は「落石注意」の看板があり注意を促していて、自分が歩いているその左上方を見上げれば確かに危険地帯であることが解る。どれほどの奥行きなのかは解らずその発生源も未知であるが、砕けた岩石が斜面上に散らばり、その範囲は自分の歩いている歩道上にも及んでいるような状態であるのだ。そんな一応の危険地帯でもあるが、右手側の崖下の藪の隙間から見え隠れする河津川のその美しさ、清冽さに心を奪われて不思議と落石云々などということはどうでも良いことになってしまう。言いたいことがあるとすれば、その発生確率がグンと上がる雨天等の荒天時にはこのような「落石注意」の場所の通行は避けた方が良い。地盤が緩むタイミングは要注意という事である。その「落石注意」の危険地帯を抜け北方向に進むと、やがて画像にあるような赤い鉄製の橋が現れる。ここまで来ると現場はいよいよ近い。赤い橋を渡らずに歩道を左に外れ、谷に降りる。谷に降りたら赤い橋のその下をくぐり抜け、河津川に向かって降下する。降下する際には傾斜がきつい箇所があるため長いストックのようなもので地面を突き刺し、体を支えながら降りるとよい。私の場合は自作のウォーキングポールを使って降りている。降りきって河津川に出れば、すぐに堤体本体からの落水を確認することが出来るはずだ。

ゲート前の橋から
丸太階段
赤い橋
赤い橋の下から河津川を見る

いつもより水量豊富な当地に

7月11日、当日はいかにも梅雨の中の一日という感じでこの鍋失の砂防ダムはいつもより水量豊かに落水もドカン!としていた。当地はその持ち有る景観としては渓流と言って間違いないところなのであるが、長い流程をもつ河津川全体から見ればまだまだこの程度は中流域と言え、さらに上流域には豊かな水源林とその土台となる山々が控えている。そんな中流域の砂防ダムであるこの鍋失の堤体上を通過する水は年中通じて豊富で、その落水によりいつ来てもごう音をとどろかせている。ちなみに梅雨時に当地を訪れるのは今回が初めて。―そんな調子で年中あるのに今日は梅雨の水量によってさらに大きな音を出しているなぁ。―というのが当日もった印象である。

左岸側にはワサビ田も見られる。

お決まりの立ち位置に

この現場での立ち位置はいつも決まっている。堤体の前左岸側約30メートルのところにタタミ2畳分サイズの白っぽい石が堤体に近い方、遠い方に前後合わせて2個置かれている。堤体に近い方の前側の石はそこから前方よりエノキの木の枝がビローンと伸びていて、その葉っぱによって木陰を作ってくれている。そのエノキの木を含め左岸側は豊かな森が控えており、また水を挟んで対岸側(右岸側)は樹木を乗せた崖が連なるようになって壁を形成していて、それらが光をさえぎり暗がりを形成してくれている。この暗がりというのが重要で、音楽を楽しむ上でより曲の持った世界に入っていくことが出来る。私はクラシックの分野を好みとするところだが、そのことは他のジャンルの音楽にも言えることであろうと思う。みんなの大好きな音楽施設ともいうべきカラオケボックスというのは基本的にちょっと暗い(薄暗い)もしくは暗いところで楽しむものでは無いだろうか?カラオケが世に広まりだした頃にどうであったかは私は知るところでは無いのだが、音楽という「音」を扱う芸術を追究しようとしていこうとするとき、その「音」とは科学的に混ざり合わない「光」というものに関して実は気をつかわなければいけないということがカラオケのその始まりからの歴史の中で明らかになってきていると思う。カラオケボックスは金を払って楽しむところであるはずだ。音楽を表現する“場”として、「ただ暗い」のでは無くて「暗いことに金を払ってまで手に入れる価値がある」ということが言えるのでは無いだろうか?

そのようなことを考えるからこそ私は金、時間を使って砂防ダムを訪れることを惜しまない!

ヤマグワ

チャレンジ!

この日は本当に歌を楽しめた。河津川中流域のドカン!に形勢としては負けてばっかりで自分の声はほとんど響きとして聞き取れないのであったが、この鍋失の大堤体を前にチャレンジすることそのものが楽しくてしょうがなかった。気分的なものとして今自分が立っている堤体前の景色が大好きで、またここに来るまでの道のり、その課程における様々なものから与えられた感動が自分自身を襲っていることがわかる。前述のタタミ2畳サイズの後ろ側の石はちょこんと座ることができ、そこに時折座っては体を休めながら3時間近くこの場で過ごした。

河津川と言えば滝で有名な同地であるが、それ以外にもこんなに素晴らしいところがあるのだということを知っていただきたく、今回記事を作成した次第である。

鍋失の砂防ダム

スマートフォンのタップ1つで

今回は戸田のエピソード

連日の降雨である。

ホームセンターという小売業に日々勤務していて、その日の売上額が天候に左右されるということは、この業種の経験者であっても無くても想像に難くないことであろうと思う。雨が降れば客足は遠のき、売り場で見かけるのは店のユニフォームを着た店員ばかり。まさに閑散という状態。そんな中なのに対して、お客でごった返して売り場の商品があれよあれよと売り減っていくことを想定して作られた売り場は高く商品が積み上げられ、さながら見本市の新製品発表会のプロモーションのようである。店を統括するホームセンター本部にしてみれば天候不順による売上げ減というのは本当に本当に悩ましい問題であり、特に昨今のようにスマートフォンを開いて、タップ1つでモノが買えてしまうような時代にあっては雨のせいでほんらい来店するであったお客が家に籠もってしまうというのは由々しき問題なのだ。

気が気では無い

ホームセンターにおける商売のあり方では例えば、石けん、紙、洗濯洗剤などの日用消耗品を売ったりすること、“お客がもともと欲しいと思っていたモノを売る”という事のほかにもう一つ、 ある日あるとき一人のお客が売り場をフラフラ歩いていて、「おや、なんだこれは?」という気づきから始まって、最終的には買っていこう!となる、つまり“お客がもともと欲しいと思っていなかったモノを売る”という商売をするということが欠かせない。ホームセンターというのは、後者のようなお客の心の変化、購入動機の発生をねらって、日々販売計画が練られ、店内の模様替えともいうべき売り場変更がなされているのである。その点においてはインターネット通販というのは実に巧妙でよくできており、どうすれば見てもらえるのか?どうすれば買ってもらえるのか?が徹底的に考えられており、お客に対して購入を訴求する仕掛けや仕組み作りの開発が著しい。モノを販売するための研究がもの凄く、フラフラとネットサーフィンをしようものなら気づいた頃には端末の画面が通信販売の「最終確認」とやらに行き着いてしまうのである。そんなお客への訴求、誘導に長けた甘い甘いエサのついた仕掛けを持った釣り人のような者たちを勝負の相手とする我々、店舗販売の面々は天気が晴れていたって気が気では無い。天気が晴れていたって気が気では無いのに雨などふって皆が家に籠もってインターネット通販によって購買行動を済ませてしまえば、こちらは商売あがったりなのである。

梅雨の連日の長雨である

そんな、インターネット通販という敵と戦いながらの日々であるのだが、雨が降った、にもかかわらず多くのお客が来店する日というのが時としてあるのである。もしやインターネット通販などというのは幻で実際はこうやって建築資材の多くがそうであるように皆、今の時代もわざわざ店まで赴いてモノを買うということに消費者行動の本流があるのでは、とも思うのだが実際どうなのであろうか?雨が降ったことにより部屋干し洗剤のような関連商品の需要が高まったのか、雨という自然災害の発生物質に対する備えとしてホームセンターを利用したい機運となったのか、はたまた今日は休日なんだけど行楽地で遊べ無くなったからショッピングに切り替えたので今その場ににいるのか?様々なことが考えられるのだが、梅雨の連日の長雨である。「濡れるのが嫌で家に籠もり続けていたが、とうとう備蓄(これは食品でも食品以外でも)が底をつき、嫌々ながらも仕方なく買いに来た。」というお客が少なくないのでは無かろうか?前述のように石けん、紙、洗剤のような日用消耗品は、生活必需品とも言われるものである。またそれ以外のものであっても晴れをうかがって買いに来るつもりでいたが、いつまで経っても雨がやみそうに無かったため「辛抱たまらず買いに来た!」という事では無いのだろうか?

そんな思いで勤務終了後に

というわけで音楽家である私自身も「辛抱たまらず!」行くことになった次第の今回の砂防ダム行脚である。7月の第1週はスケジュールが詰まりに詰まっていたため5日の夕方、ホームセンターの勤務終了後の出動となった。場所は沼津市旧戸田村の石原沢である。この日もパラパラ雨が降っていたが、今日向かう先は沢に橋が架かった場所である。沢に降りることなく音楽が楽しめるという便利な場所だ。ホームセンターを5時過ぎに出発し、6時半頃には現地に到着することが出来た。現場は雨が降りしきり山の上から谷を下るようにして風も吹いている。

「石原沢」入り口
橋はキャンプ場入り口道路の最奥部にある

ん~集中できん

この日の条件は過酷であった。風に関して言えば山の上からの吹き下ろしの風であり、自分の向いている方向に対して真正面からとなるため音は当然響かせにくい。それでも常にビュービュー吹き下ろしているわけでは無くて、時折それがピタッと止まるタイミングがあるので、逆にそのタイミングでは楽しめた。問題となったのは雨で、真正面から吹き付ける風と複合して私の顔面を叩きつけた。眼鏡を掛けているにもかかわらず、そんなものは何の保護にもならず雨粒が目に当たる。雨粒が目に当たる事で集中力を失い、曲の持っている詩、音の世界に入っていくことが出来ない。それでもどうにか訪れないものかと小康状態の訪れに期待し、結局7時半前まで現場に立ち続けた。無情にも山は一切の隙を見せることなく雨風で私の顔面を叩き続け、暗闇の訪れとともにこの日の砂防ダム行脚はタイムアップとなった。終わって車に乗り込んだのだが途中からは疲れで車がフラフラ。これではイカンと思い、途中コンビニの駐車場で仮眠をとりながら家路についた次第である。

正面から
橋の手前側にある看板
雨に容赦なく叩かれた