金時川

御殿場市内から見た富士山(御殿場市深沢)

2月3日。この日は、自宅のある沼津市から北を目指してハンドルを握った。行き先は御殿場方面。沼津市岡宮から始まる伊豆縦貫道にまずは入り、(伊豆縦貫道)長泉ICを目指す。今日は朝の出発が少し遅れてしまったせいもあってか、新東名長泉沼津インター過ぎてすぐの片側2車線→1車線合流地点は難なくクリアー出来た。

―最近、ここは大丈夫になったのか?―
この道を午前中走るのは久しぶりな気がする。もしかしたら、1年以上走っていないかもしれない。御殿場方面自体かなりご無沙汰となってしまっていたので、ここの名物渋滞が最近どうなのか把握できていない状況であった。

直後の長泉ICからは国道246号線に乗る。この先はずっと片側2車線の道が続いていて快適だ。空はさわやかな晴天で気分は上々である。

途中、御殿場市萩原で国道138号線に乗り換え、東名高速御殿場インター下をくぐったのち東山湖の土手を左手に見ながら進んだあと、深沢西の旧国道入り口にて右折。直後、左手に現れる林道入り口に車を置いた。

深沢西の信号

寒沢川

午前中は車を置いた所から寒沢川に入った。ここは、以前来たことのある場所なのだが、その時は何かのついでで立ち寄ったために装備が疎かで、堤体までたどり着く前に途中で断念している。かなりこぢんまりとした沢であるが、ここ数日間の晴天続きに冬場という条件下であっても水は途切れること無くしっかりと流れている。

実は自宅のある沼津市を中心として色んな川を見てきたが、同市以北の地域に関して私はかなり苦手意識が大きい。特に裾野市、御殿場市方面の沢に関しては溶岩層の多孔質部分(クリンカー)のはたらきによって、雨水がガンガン吸水されてしまうという特性があるため、せっかく現地に赴いたものの、
「沢が無い!」
という事態に何度も出くわしている。

この傾向が沼津市北部の愛鷹山から、山梨県の山中湖村ぐらいまで続いているため、いつしか、
「富士山麓はダメだ・・・。」
という苦手意識が生まれ、堤体を探したりすることそのものをあきらめてしまっていた。

そんななかで、でもこの冬の新規開拓のシーズンに御殿場方面でいいところを見つけておきたいな。ということで今回寒沢川を目指した。結果としては地理院地図にある“せき”マークは堤高5メートル程度の低い堰堤であるということが判明したが、流れる水も大変きれいで渓行の楽しさを味わえたと思う。川の上流には何か?があるようで、かなり整備された道を発見できたが余計なところでケガをするまい。ということで虻蜂取らず引き返した。

寒沢川

午後は金時川へ

寒沢川の低い堰堤では満足出来ず、午後は自治体界を跨いで駿東郡小山町に入ることにした。目指したのは金時川。こちらもやはり新規開拓で、地図で道を確認しながら向かうことになった。経由地として「ホテルGOLF」、「鮎沢川」、「紅葉橋」などが出てきたためそれらの位置をしっかり確認しながら進むと、直前の通過ポイント「ギャツビーゴルフクラブ」前に出ることが出来た。

そこから、金時山登山道の案内標識に従って進むと簡易水道施設が現れ、さらに少し進んだところで林道山側斜面の崩落に遭遇。これ以上車では進めないため、そこからは歩いて堤体を目指した。

崩落ヵ所から堤体までは歩いて5分ほどであった。堤高10メートルクラスの大型砂防ダムに歓喜。さっそく林道から沢まで降りる。沢に降りる前段階から河床が不安定なことが見て取れたため、最後水辺に降りる直前はかなり気を遣った。右岸側は針葉樹(スギ)、左岸側は広葉樹(?)によって出来た空間で、かなり明るい。

今の時期であれば、夕方の薄暗い時間が良いのではないかと思った。もうちょっと暖かくなって左岸側の渓畔林が回復してくれれば日中でもいけるかもしれない。明るすぎる環境の中、それでもなるべく暗い所をということで針葉樹の右岸側に寄って歌うと、なんとか楽しめた。

崩落に遭遇。

“怪しい記述”を目指した。

同地は15分ほどの早さでいったん退渓。再び林道まで上がり、もう一本上流にある“怪しい記述”を目指すことにした。通常、地理院地図は砂防ダム等を二重線マーク(前述の“せき”マーク)で示すが、時折どういうわけかそれを違う記述で表すことがある。どんな記述法かといえば一本線で表していた沢をある地点で突然広げたりする方法。

地図上には沢の途中に小さな湖のようなものが出来る。それが今いる砂防ダムより上流に確認出来ていたので行ってみることにした。

雨水によってかなり削られた林道に驚きながら進むと、目的の場所に到着。正体は巨大な鋼鉄製透過型砂防ダムであった。鋼鉄が小学校の体育館にある肋木(ろくぼく)のような形に仕上げられているのは、土砂を余計に貯留することを防ぐためであろう。排砂が必要なくなるという点において重力コンクリート式とは性格を異にする。メンテナンスフリーで人が来なくてもいいというメリット反面、ここまでの林道を見てわかる通り山林は放置されている。

いずれにせよ、これでは歌えない。

削れていると言うよりも穴が開いたに近い。
鋼鉄は肋木のような形状

今日は節分

来た道を折り返すようにして林道の(これはもはや)落とし穴に落ちないよう進み、車に戻った。その後、昨年3月にオープンしたはずの東名高速足柄SAスマートインターを確認しようということで、同所を目指した。鮎沢川に架かる新金時橋、JR御殿場線桑木踏切などを通過するとあっという間にSAに到着。

盛り土を固めて作った真新しいスマートインターは見事に仕事をしていた。有人の料金所と比べると実にシンプル。通行車両の運転手は、ETC車載器の作動音とともに虚しく開いたゲートを通過するのであろう。旅行での料金所通過を一つのイベントとして捉えるならば、近くの御殿場インターチェンジを使った方がいいかもしれない。

普段、伊豆中央道やら修善寺道路で現金決済をしているが、料金所の回収係も人という一つの立派なインフラなのかもしれないと思った。人が立っているかどうかで、その観光地の競争力に影響が出る。これは、普段勤めているホームセンターで上司からよく言われていることと似ている。その上司いわく小売業も人が立っているほうがよく売れるのだという。

腹も空いたので何か買って帰るか、と下り線側のSAに立ち寄ったらあの「柿次郎」が今日は恵方巻きを売っていた。そうか、今日は節分であったか!うまそうだったので、ついゲットしてしまったがよく考えなかった。
―フードコートじゃ恥ずかしくて食えない・・・、車中も見つかるかもしれん。―

足柄SAを出て、空腹に耐えながら帰路を走り続けたのだった。

足柄SAスマートインター(画像は下り線側)
柿次郎
柿次郎の恵方巻き
寒沢川の堰堤
金時川の砂防ダム





大好き河津町!vol.6

修善寺駅からはバスで移動。

今回は、電車・バスを使っての河津町入りについて書こうと思う。

普段、あちこちの砂防ダムに訪れていることを記しているのだが、それは何のためかといえばこのページを見てくれた方が実際にその場所に行ってみたいと思った時に、少しでも参考になってくれれば・・・。という思いが私自身の中にある。

いろいろなところで、美しい砂防ダムを見てきて紹介しているのに、そのどれもが自家用車を用いなければ行けないという条件付きであったならば、本当に多くの方に利益となる情報を出せていないな。ということを考え、今回は電車・バスを乗り継いで河津町に行ってみた。

出発前の気持ちとしては、ただ堤体を訪れる。ということだけなのだけれど普段とは違う公共交通機関を利用して、ということで非常にワクワクしていた。結果的にもなんとか堤体までたどり着いて歌ってくることが出来たので、今回はその時のエピソードとしたい。

修善寺駅までは電車移動。

天城路フリーパス

1月23日午前6時5分。まずは沼津駅から電車に乗って三島駅を目指す。三島駅にはわずか4分ほどで到着。と、ここでいきなりの時間調整。じつは本日はフリー切符を利用しての移動を考えていた。

フリー切符の名は「天城路フリーパス」。(株)新東海バス・(株)南伊豆東海バス発行のフリー切符で、これさえあれば修善寺駅~河津駅間の路線バスが2日間乗り降り自由になるという大変便利なものがあるという。
フリー切符はおとな2,400円。(小人は1,200円)これを修善寺駅前の東海バスターミナル案内所で購入する必要があったのだ。案内所の営業時間は午前8時から。

修善寺駅に、あまりにはやく着いても行くところが無く困ってしまうのではないかと、三島駅にて時間調整をすることとした。

実際に買うことが出来た天城路フリーパス。有効期間は2日間。

若人の足いずっぱこ

午前7時34分。伊豆箱根鉄道駿豆線下り列車に乗り、修善寺駅を目指した。この日は木曜日。朝のラッシュ時とあって学生が多い。いずっぱこ(同路線の地元での愛称)は平日こうして地元民の学校への足となっている。

これも休みの日はあの“ねずみ~ランド”への足となっているのであろうか?こんな正真正銘の田舎の線路でも日本各地、そしてあの舞浜駅に続いていることを考えると、なかなかロマンがあると思う。
それにしても最近はどういうわけか、よく“ねずみ~”に行ってきたという思い出話を聞くのである。今年の干支がねずみだからなのか?

修善寺駅には8時9分に到着。今日の目的地は自動販売機すら置いていないところなので、駅内のコンビニでペットボトルのお茶を購入する。このあと起きる展開なども知らずに至ってのんきにしていたのだった・・・。

東海バスターミナル

1時間40分待ち

結論から言えば、田舎の路線バスに対してもっとシビアにとらえておくべきだったと反省した。河津駅行きのバスは8時15分修善寺駅前発があり、その次は9時55分修善寺駅前発。その出車間隔1時間40分。まぁ、恐らくコンビニで会計をしていた頃には出車していたのであろう。後悔先に立たずというより、ちゃんとバスの時間くらい確認しておきなさい!が的確である・・・。

落胆する私であったがバスターミナルの受付のお姉さんはとても親切であった。9時00分発の昭和の森会館行きのバスに乗って、浄蓮の滝など見学してみては?などと、いろいろアドバイスしてくれた。

結局、これまた修善寺駅内にある観光案内所が午前9時にオープンしたので、そこに設置してあったパンフレットなどを読んで伊豆の情報収集。

9時55分発のバスを待って、ようやく乗車した。

観光案内所で見つけたパンフレット。地元はオリンピックに沸いている!?

二階滝バス停下

バスはいったん東海バス修善寺温泉バス停に寄り道したあと、一路かわづ駅を目指した。ちなみに今日の目的地の堤体は「二階滝バス停下」。

伊豆半島中央を南北に横断する国道414号線は、途中標高643m地点で新天城トンネルに入るが、その新天城トンネルを抜けて、最初にあるバス停が二階滝バス停だ。修善寺駅からの所要時間はバスの運行時間帯によっても異なるが、およそ50分ほどの行程となる。

いつもの見慣れた風景をバスのフロントガラス越しに見ながら進む。この日は雨が降っていたので、座席横の窓は露で曇って見えなかった。

“にかいだる”と読む。

ミニパーキングエリア

二階滝バス停には10時46分に到着。ここのバス停は乗用車数十台が止められる広い駐車場と、ちょっと大きめの水洗トイレがある。同地を一度でも訪れたことのある人ならばここにトイレがあることは、はっきりと誰しもわかっているであろう。国道沿いのミニパーキングエリア(ただし、売店はおろか自動販売機すらない。ベンチとテーブルを備えた四阿が一棟ある。)といった感じである。

乗用車で訪れる際も、参考にしていただければと思う。

今日は、この広い駐車場から見て一段上にある旧天城街道(踊子歩道)にいったん移って、その道路沿いを入渓点とする。堤体そのものはバス停より南南西方向に数百メートル行ったヵ所の河津川流域内にあり、その河津川は国道から見てさらに低いところにあることから、ここでいったん上に登るのはかなり面倒くさくなる感じもするが、直接バス停から国道414号線沿いを歩いて堤体に向かうのは交通安全上どう考えても危険である。

安全策として、なるべく国道414号線に接しない形で堤体にたどり着きたいため、回り道を選択。まずは駐車場裏の階段を登った。

バス停にある駐車場。まずは階段を登る。
階段を登りきったら右に曲がる。

植物を傷つけないように降りる。

旧天城街道(踊子歩道)に出たら、南南西方向に歩を進める。そして、しばらく歩いたのち山側に「静岡県」と書かれた反射体付きのポールが現れるのだが、その反対側、谷側斜面の柵の切れ目が入渓点となる。入渓点といっても、国道からはいったん登ってきているため川は遠くなっている。

気を引き締め、道路の柵の切れ目から降り始める。
ここは梨本国有林林地内であるため、生えている植物を極力傷つけないようにしながら坂を下りたのであるが、本当に難なく国道まで降りられてしまった。気を遣っているというのに林床を歩く時の障害物、それに本来なるであろう下草があまりにも生えて無さすぎる。冬場とはいえ、これは・・・。

天城一帯に増えまくるニホンジカの影響なのか?

旧天城街道から降り始めておよそ20分ほどの行程で堤体にたどりついた。

旧天城街道沿いにはこのような谷止工が連続している。
このポール際に深い貯め升状の穴がある。
柵の切れ目から降り始める。

公共交通機関素人の旅

ここの堤体の特徴はなんといっても、その上すぐを国道が走っているという点にあるだろう。堤体の二階部分より上が非常に明るく開けていて、光が降ってくる。また時折、車の走行音が聞こえる。

水については河津川の本流らしくしっかりと流れていて、堤体の一段下にある落差1メートルほどの小滝とともにかなり大きな音を出している。そのような大きな音に対し、渓畔林の力を借りながらなんとか響かせようと試みたのだが、その形勢は多くの時間、堤体側優位であった。

音のことに関していえば―ダメだった。―というのが正直なところ。スギの木がしっかりと生えている環境下であったのに、それをうまく生かせなかった。

悪天候であったことも影響してあまり曲に対してあまり集中できていなかったような気もする。もっと、暗い所に入れたら響いてないながらも最低限きもちよく歌えてたかもしれない。

結局、1時間も持たないで退渓。再び二階滝バス停に戻った。午後2時すぎの河津駅行きのバスに再び乗車し、踊子温泉会館前で下車。温かい湯に浸かったあと、修善寺駅行きのバスの時刻をしっかりと確認し、バス停にて待機。
時刻表どおり計画的に動いたところ、数分の待ち時間でバスは到着。

公共交通機関素人の旅は教訓ばかりで幕を閉じた。

国道まで降りきったところ。登坂の車もこのスピード感。
ガードレールの外側をへつるようにして進む。
この看板が目印。ここに来たら河津川に向かって降りる。
薄緑色のシラカシが雨に映える。
当日の様子。
晴れている日の同地。

たかだか川の名前なのだが

ゲートと猫越川橋

1月19日。この日は河原小屋沢に入った。河原小屋沢は猫越岳~三蓋山にかかる尾根の中間にある手引頭(標高1,014m)、長沢頭(標高1,022m)あたりを水源として始まり、最終的には猫越川、そして狩野川に合流する中伊豆山中の川である。

伊豆市猫越集落の最奥地点で道路がY字に分岐しているところがあり、左に進むと河原小屋沢への入り口となるゲートと猫越川橋が現れる。ゲートを越え、猫越川橋を渡り林道を使って堤体を目指す。ちなみに猫越川橋の下を流れるのは猫越川。河原小屋沢はまもなく現れるカーブミラーより東側を流れる川のほうである。

林道をそのまま進んだ場合、標高460メートルほどの地点に舗装路と砂利道の分岐が現れるが、ここで左を選択すると道は桐山林道となり、右側を選択すると猫越林道となる。桐山林道はほどなくして洞川橋(ほらかわばし)で河原小屋沢をわたる形になるが、河原小屋沢全体の堤体(河原小屋沢本川の堤体)の数について解説すると、この洞川橋より下流側には5本、上流側には4本の堤体がある。

林道の分岐点すぐにある看板。
洞川橋

どちらの名が正しいのか?

洞川橋というのだから、何が起きてしまっているのかというと、河原小屋沢に洞川という別名があるということが発覚してしまった。いや、むしろ洞川こそがこの川の元々の、地元民や古くからのビジターに通った名前なのかもしれない。
そもそもなぜ私がこの川を河原小屋沢と称しているのかといえば、

―地理院地図にそう書いてあったから・・・。―

というだけなのである。しかもこの川は何度も訪れているが河原小屋沢名義で書かれた看板等は一度も見たことが無い。ほんとに合っているのか?

そういえば以前、当ブログで修善寺の北又川に架かる三ツ石橋の表記を見た時にそこには北又川ではなく修善寺川とあった。同じく中伊豆東部の西川で河川の基点を示す看板に大見西川と表記されていたことなどはじめ、似たような事例が非常に多く思い当たる・・・。

で、どうするか?

ブログに記述するにはどうしたらいいのか?と迷ったが、ここは地元民には該当しない“よそ者”である自分自身がへりくだる形で、地理院地図にある通り呼んでいこうと思う。この川は河原小屋沢だ!

ここで地理院地図の発行元である国土地理院にお願いしたいことがある。言うまでも無く正確な調査に基づいた河川名、その名を地図に反映させて欲しいということ。事実誤認や、誤った職権によって本来あるはずの河川名が無くなってしまうのは、川の歴史そのものを歪めていることになる。その地に先祖代々、住居を構える人々が○○と呼んでいたものを地図という影響力によって変えてしまうなんてことはあってはならないし、もし万が一あったとしたら、こんな悲しいことはない。

同地図を渓流歩きの基礎情報として使用している自分自身であるから、そういったことを切に願っているのだが、対するものの多くは“山奥の川”という極めてローカルなものであるため、なかなか資料も少ないのかなとも思う。

忌憚なくコメントを

そう思うとたかだか河川の名前なのだが、実はそれだけでも正確性を期そうとすればかなり難しいのだということがわかる。一本の川のことを多くの人が見ている。自治体職員、国家公務員(これは国土交通省系もいるし、農林水産省系もいる。)、その地域に住む地元民。地元民のなかでもその川の間近に住む人と、あるていど距離を置いた所に住む人で呼称が違うかもしれない。

インターネットの時代で、多数決的に多くの人が書いたり、呼んだりしているものが正しいとされ、少数派の言うものは間違いとされる。多数派の呼び名はどんどん増殖し、少数派の言った名は廃れ、それだけで無く(少数派の)あなたのは間違いだからと訂正を求められたりまでする。

そこに本来あるべき真の姿を見ようとするための事実確認は無い・・・。

前述の通り私は今後も地理院地図に沿う形で書いていこうと思うが、もしかしたらそれが誤っていることもあるかもしれない。そうした事実を見つけた場合は、忌憚なくコメントを寄せていただければと思う。

一番下流部にある堤体。低いが副堤つき。
2番目の堤体。
これは洞川橋より下流すぐにある5番目の堤体。
洞川橋から見える最初の堤体。

一日を終えたあとのうまい延長戦

書店に行くと誰でも目にすると思う。こんな雑誌を。

「究極のラーメンぴあ静岡版」というムック本らしい。中を開けば、この表紙にあるような画像の連続で、とにかくラーメンばかりを掲載している。

私はラーメンのことにはあまり詳しくは無い。なんとなく食べてみて、魚介だなとか鶏ガラだなとかいうことがわかるのだけれども、それ以上はただ「うまい!」としか言いようがない。全くもってグルメという方面の知識に疎いのだけれども、最近ラーメンでいい思いをしたことがあったのでその時のことを書いておこうと思う。

下校時刻より早く

1月16日。この日は中伊豆天城山北麓を行脚した。時間のほとんどを菅引川の探険に費やし、残りは大見川、地蔵堂川の様子見に使い一日を終えた。

空からの光があることで成立する砂防ダムの音楽は、日没を迎えてしまえば以降は楽しむことが出来ない。今の時期だとだいたい夕方5時前には外はかなり暗くなってしまうので、それより前に退渓して帰路をたどることになる。

この日も、最後の地蔵堂川の様子見を午後3時頃に終えた。5時までは残り2時間程度あったが、ギリギリまで粘ること無く早めに切り上げる。これが理想形である。こちらは石がゴロゴロした渓を歩くのが常であるため、万が一のアクシデントを想定しているからだ。途中で足をくじいたとして、その直後に闇が訪れるようでは危険すぎる。突然、その場から身動きがとれなくなったときに冷静に対処するには、まずは何より時間的余裕が確保されていることが条件であると思う。

今の時期は計画段階から、午後の2時とか3時を退渓の時間として設定するのが通例。夕方狙いで後に伸びることもあるが、そういう楽しみ方をするのは稀。
「一日を終えるはずの時間」はもはや、小学生の下校時刻より早いのだ。

菅引川の入渓点「樫の木橋」
天城山北麓の川は大きな石がゴロゴロしている。(画像は菅引川)
菅引第6を巻いてみたりしたが、以降は渓がきつすぎて断念した。
河床が不安定なところがまだまだ多い。(菅引川)

きょうはノボリが

ということでの、一日を終える午後3時。地蔵堂川でまだまだ一心に働くワサビ農家さんたちを尻目に川沿いの坂を下りはじめ、万城の滝入り口看板のある滝川橋を渡る。以降、原保、戸倉野、宮上を経由し、八幡東(はつまひがし)の交差点を左折。県道12号線を西に向かって進む。

そういえば・・・。

そういえば、来る時にこの道を通ってラーメン屋のノボリが立っていたことを思い出した。じつは以前から、ここにラーメン屋があったことは知っていたのだが、私の通過したタイミングが悪かったのであろう。店は営業している様子が無く、いつもはスルーしていた。だが、きょうはノボリが立っている。

―おぉ、やる気があるでは無いか!―(本当に申し訳ない。誠に失礼ながらもそう思ってしまった・・・。)
店はどうやら午後5時から夜の営業を再開するようなので、それまでは近くのホームセンターに寄ってみたり、仮眠を取ったりしてオープンを待った。

時がきた。

午後5時すぎ、県道12号線を走りながら店の看板が点灯していることを確認。Uターンして店のあるアパートの駐車場に車を止める。

明らかに自分以外に客がいない。

駐車場が空であったのだ。だが、腹はもう決まっている。どんなにヤバそうな店だったとしても、今日はここでラーメンを1杯注文して食べてから帰る。

店の引き戸を開け中に入った。予想に反して店は超キレイ。外はもう真っ暗なので、余計に店内のカウンター、壁、天井の清潔さが引き立つ。入り口すぐには券売機がありそこで食券を買い、店主に手渡す。
しばし待った後、ラーメンが登場。薄緑色のどんぶりにキャベツ、チャーシュー、ホウレンソウ、海苔とともに麺が盛られている。

早速食すと、一口目からうまいということがわかった。食べ続けてもその印象は変わらず、どんどん箸が進む。この頃になると、ほかのお客さんが続々と来店して賑やかになってきた。最初じぶんしかいなかったのは夕方5時のオープン直後であったからのようである。店らしい雰囲気に完全になったところでこちらの気分も緩み、ぬるくなったどんぶりのスープを最後無くなるまで楽しんだ。

店を出て、また冬の空気に触れる。鼻から抜ける息もひんやり爽やかであった。伊豆半島内で一日遊んだ後に、まっすぐ家まで帰るのもいいが、こうして当地で作られた食べ物とともに一日を締めくくるのもなかなかいいなと思った。

この日、一日を終えたあとのうまい延長戦であった。

うまいに似合わずひっそりと営業している。
思えば、これも当地の「水」で作られた食べ物だ。
菅引第5砂防ダム
菅引第6砂防ダム

沼津正月

千本浜

年が明けた1月2日。新年のワクワク感とともにとりあえず外へ出てみることにした。車には釣り道具を積み込み、海でも見に行こうと市内の千本浜に向かって車を走らせた。外は快晴。気持ちのいい朝の出発であった。

自分自身は新潟出身とあって、冬のこの時期は天気の荒れる日が多い。雨が降ったり、雪が降ったりでたいていは外で遊べない日を過ごすこととなる。特に西高東低の冬型の気圧配置になった日の海沿いなどは風がビュービューと吹いて、海面は低くなった気圧に持ち上げられて大シケとなり、ドカンドカンとうねりが砕ける光景を目にする。
そんな新潟日本海の海とは似ても似つかず、この日の静岡駿河湾は大変に穏やかでまるで湖のようであった。

どこから来たのであろうか?今日もまた海に沿って伸びる堤防上にも、またそこから下へと続く階段、砂利浜の上にも人がちらほらと見られる。
多くは観光客であろう。

―あなたの地元はどんな海ですか?―

当初はここで初釣りを堪能する予定であった。しかし、この穏やかな海を見ているうちにただそれが満足感となって、釣りをやる気も失せて、竿は閉まったままにしておいた。新年初釣りにこだわる必要は無い。自分自身に収まる価値観のなかで、新しい年を喜び、その中で釣りが出来れば十分であろうと思う。

堤防の陸側。中央に見えるのが富士山。

鉄道、バスと

千本浜を後にし、沼津港へと車を走らせる。ほどなくして沼津港に到着。きのうは元日で今日は2日。正月休み最盛期の港を歩く。

ここは在来線の最寄り駅「沼津駅」からはだいぶ離れているが、にもかかわらず多くの歩行者で賑わっていることに驚かされる。駐車スペースにはたしかに県外ナンバーの車がずらりと並べられた光景が確認できたが、それだけでは無いはずで、“公共交通機関組み”も多いであろう。鉄道、バスと乗り継いでまでしてこの沼津港を訪れたかったのか?

行動力のある人がいるもんだなと感心するとともに、ありがたさを感じ、そしてなによりも魅力溢れる観光地に自分は在住しているのだということを再認識した。

みなと生鮮館に入り「千漁家」でメギスの干物を購入したのち沼津港を出発した。

沼津港
千漁家
メギスの干物

愛鷹と書いてあしたか

その後、いったん自宅まで戻り、干物を冷凍庫にしまったのち昼食をとるため愛鷹パーキングエリアに移動。ここでもまた観光客のなかに混じる。券売機のボタンを見れば「あしたか牛入りもやし炒め定食」とあったのでそれに決め、出来上がりを待つ。

食券を渡す時にご飯大盛りでオーダーしたため、呼ばれて取りに行った時には山盛りのそれが用意されていた。後半、白飯だけがのこったため(これは大誤算!)それを「たかぼーふりかけ」で締める。たかぼーとはこのパーキングエリアのイメージキャラクターのことでオリジナルグッズなども販売されている。

食堂内にあるテレビには、箱根駅伝のランナーが映し出されていた。自分も学生時代は陸上競技の競技者であった。学生ランナーなどという華々しい肩書きにはほど遠い実力ではあったが、今はそれを飯をかきこみながら見るような立場となった。

懸命に走る箱根ランナーに対し、偉くなったもんだと反省しつつ愛鷹パーキングエリアを後にした。

ここは高速道路の施設であるが、下からも入れる。
あしたか牛入りもやし炒め定食

高橋川に入渓す

その後、愛鷹パーキングエリアを出てまっすぐ坂を登った。目指したのは高橋川の入渓点。新東名の上にかかる高架橋をわたり「新沼津カントリークラブ」を東側から回り込むようにして進むと駐車場所に到着。食後の眠気に襲われ、しばし微睡んでから出発することとし、車のシートをリクライニングモードに。時間は午後2時。やはり晴れていて暖かい。

15分ほどの仮眠ののち起きて準備を整える。気を引き締め、堤体に向かって斜面を降りる。

斜面を降りはじめてから15分ほどで堤体に到着。早速目に飛び込んできたのは渇水しきった河床。岩も石も酸化した鉄分によって赤く染まって、その色が流されること無く留まっている。水が流れていないから辺りは本当に静かで、小鳥のさえずる声以外ほぼ物音がしない。

bluetoothスピーカーに電源を入れ、曲を選ぶ。シューベルト作曲のganymedを選び出し、音を流す。この曲は速くやっても演奏時間6分を越える長いものであるが、自然界のなかで歌えば不思議とあっという間に終わってしまう。そういったことは水の流れの影響などもあってのことなのかと思っていたが、この日ここに来て歌ってみてわかったのは、そうでも無いということ。水が流れていても、流れていなくても変わらないようである。

この日は新春早々の歌い初めであった。

今年もまた、いろいろな砂防ダムへ行き、音楽をやっていきたいと思っている。もうすでにかなりこの音楽を楽しめていると思うが、これをさらにもっと楽しいものにするにはどうすれば良いのかを研究し、開発を進めていきたい。まだまだ世の中には見たことも無い美しい砂防ダムが数多くあるはずであろうと思う。そういった「美」を発見しながら、同時にその場所にあった音楽を見つけだして、曲の持っている魅力を引き出していきたいと思っている。

砂防ダム音楽の楽しさ、その追求に終わりは無い。

入渓点の目印となる看板
テイカカズラ
高橋川

勘三郎沢

今回はかなりの藪こぎをした。それにしてもこれは何だろう???

ある日のこと。ホームセンターにて箒を使っているとなにやら出所不明の赤い実を見つけた。大小ごちゃ混ぜの泥まじりの落ち葉をガサガサとどかしていると、ひときわ目立つ“赤玉”が一つ、シダ箒にはじかれてコロコロと転がった。
これは何の実だろうか?
ふと、周りを見渡す。ん?
気がつけば周囲には、赤い実をつける植物がそこかしこに。確かめてみればヤブコウジ、センリョウ、マンリョウ、ナンテン、ウメモドキ、オウゴンモチ、チェッカーベリー、セイヨウヒイラギなど。今の時期は、クリスマス&正月前のシーズンとあって、売り場は赤い実をつける植物だらけであったのだ。

いろいろ見比べてみた結果、赤い実はチェッカーベリーの実であることが判明した。

チェッカーベリー

そういえば

そういえば、あの沢の流域には赤い実をつける低木がたくさん生えていたな。と思い出した。神奈川県足柄下郡、湯河原町を流れる藤木川の支流にアケジ沢という沢があって、そのアケジ沢の流域にはどういうわけか、その赤い実をつける低木がよく生えていたのだ。低木の名前は不詳。
―わからないときは調べなきゃ。―と思いつつも、砂防ダム探しに夢中になっているとついついこんなことをしてしまう。図鑑をパッと開けば答えが載っているというのに、上に行くことばかりに心酔していて、同定作業が疎かになってしまっていたのだ。

売り場でふと考えた。もちろん結論としては、その赤い実を調べに行くということ。湯河原行きを決定した。尚、今回はすでに行った事のあるアケジ沢を最後まで行くのでは無く、途中から合流する支流の「勘三郎沢」に移って遡ることにした。つまりのところ新規開拓。勘三郎沢はほんの一部であるが、箱根-湯河原間をつなぐ自動車専用道路「湯河原パークウェイ」と並行している区間があり、じつは以前、この湯河原パークウェイを走行していた際に上から覗き込むようなかたちではあるものの、2本、堤体を発見していたのだ。以来ずっと行って、下からも見てみたいと思っていたのだが実現できていなかったため、今回はその確認作業となる。

クリスマスイブ前日の12月23日。行くなら今日だと経由地の箱根峠を目指した。

前回アケジ沢に行った時の様子

シーズンを迎えていた

23日午前9時すぎ、「箱根峠」信号を南東方向に右折し、「湯河原峠」バス停直後にある湯河原パークウェイ料金所を目指す。途中、道端が白くなっていたので車を止めてよく見れば、なんと雪。前日、沼津市内では雨が降っていたが、この地ではもう積雪シーズンを迎えていたようである。再発進しバス停前を通過。左折してすぐにあるパークウェイ料金所にて通行料金を支払い、坂を下りはじめる。

「エンジンブレーキ併用!」の看板が示す通り、ここの坂はなかなか勾配がきつい。本格的に雪が降ってしまえば、通行止めの措置がとられるそうであるが、そんな状態にあっては、そもそも坂を下りることがはばかられると思う。
―昨日じゃ無くて良かった・・・。―などと思いながら坂を下りていくとあっという間にパークウェイが終了。奥湯河原温泉街に出た。その後「加満田」の看板前丁字路を右折。車が入っていけるところまで入っていくと入渓点が現れた。

上下線ともに料金所は山の上にある。

群生しているのか?

―あった、あった。―アケジ沢の入渓点に表れたのは記憶にあった通りの赤い実。粒の大きさはアーモンドの種くらいあって、店にあるものたちよりも細長くて大きい。早速図鑑で調べると、アオキの実であることが判明。
それにしても、このアオキの実たちはこんなにも堂々と空に向かって「どや!」とアピールしているのに、野生動物の食害をほとんど受けることも無くきれいに残っている。アケジ沢の流域のみならず奥湯河原一帯に広く群生しているのか、ターゲットになりにくい環境にあるようだ?しっかりとした赤で、これだけの粒と色を出すのには、さぞかし体力を使ったことであろうと思う。ちぎり取られる痛さはあるかもしれないが、頑張った甲斐も無く散布の恩恵を受けられないのは、不本意なのではないか?

アオキの画像を撮り終え、時計を見れば午前11時。準備を済ませスタートする。橋を渡り直後の堰堤を巻いたあと、ここで初めて水に入る。昨日の雨(雪)の影響もあって、水量は豊富だ。水道用の水車小屋がある前の堰堤を巻いたあと、次の堰堤も巻き、合流点に差しかかった。

入渓点にある橋と堰堤
アオキ
葉は外用薬、健胃薬に利用されるという。

右側の沢へ

直進がアケジ沢、右側が勘三郎沢。過去には直進して砂防ダムを見てきたことがある。藪を漕いだり、大きな滝があったりなどしてかなりきつかった思い出があるがそれだけに、今回の勘三郎沢もかなり手こずるのではないかと緊張する。

午前11時半、緊張と新規開拓の期待感とともに勘三郎沢に入る。合流点すぐの低い堰堤を巻き、進む。川の規模としては沢と言うにふさわしい具合。こんな沢を上がっていって本当に砂防ダムがあるのかとも思うのだが、今回は堤体そのものについては確認が取れている。幅の極めて狭まった区間からは「渓谷」の感が強く感じられるが、パークウェイから投棄されたと思われるゴミが散乱していたりする所には不気味さを感じる。
勘三郎沢に入ってから40分ほどの行程で、画像Ⓐの砂防ダムに到着。なかなか雰囲気は良かったが、今回の目的地はパークウェイ沿いの2本と決めていたためここでは歌わずにパスすることとした。

アケジ沢と勘三郎沢の合流点
水中に見えた時、金か!と思ってしまった・・・。
画像Ⓐ

1本目の砂防ダム

Ⓐの砂防ダムを越えると、目的の砂防ダムはもう近かった。パークウェイ沿い1本目の砂防ダムの登場である。堤体に幾つか開けられた水抜き穴の一番下から水が流れ落ちていて透過型砂防ダムとして機能している。もはや排水口に近い。これでは音楽など楽しめないと画像を撮り終え、すぐさま堤体左から巻き始める。かなり手こずったが登り終え、天端上の右側に移ったあと堤体の上流側側面をおりる。透過型砂防ダムというのは滞留土砂を持たないため、堤体を巻くときの後半に降りるという作業が発生し、しかもここでは大変に苦労した。

1本目の寸前。右岸上方からはパークウェイを走る車の音が時折聞こえる。
1本目の砂防ダム。堤高13メートルとの刻印があった。

2本目の砂防ダム

降りきってから遡行を再開し、10分ほどで2本目の砂防ダムに到着。遠巻きに目に入ってきた時、もう理解できていた。パークウェイ沿い2本目の砂防ダムも透過型であったのだ。

ここまで来るのにスタートから2時間40分。当初の予定通りここが本日のゴール地点。そのまま引き返すかと思ったが、せっかくだからとbluetoothスピーカーの電源を入れる。シューベルトのganymedを再生させると、歌えてしまった。途中、
Ruft drein die Nachtigall Liebend nach mir aus dem Nebeltal.
(呼ぶ、そのなかへ、ナイチンゲールが、愛する私に霧の谷から)という部分があるのだが、たしかにナイチンゲールではないものの何かの鳥がピーピーと鳴いている声が聞こえた。選曲はあっていたようだ。

小一時間、水抜き穴から流れ落ちる3本の白いすじを見ながら歌って、楽しんだ。今回は、苦労して上がってきて結果、これであったのだが、残念な気持ちなどは無い。自身の気持ちに対して素直になりここまで来られたと思う。探究心を持って沢に挑めたと思う。新規開拓できたという喜びの方が大きかった。

令和初の年もそろそろ幕を閉じる。来年も元気に積極的に、好奇心旺盛にどんどん新しい砂防ダムにチャレンジしていきたい。

ゴール地点にもいた。
湯河原パークウェイ沿い2本目の砂防ダム

新規開拓の季節到来。

今回も宇久須川のエピソード

宇久須川に初めて行った頃のことを書こうと思う。デジタルカメラの画像に付いた日付によれば、それはどうやら2016年の11月頃のことのようである。きっかけは当時の勤務先に、本屋でアルバイトしているという方がいて、その方に地理院地図を探してもらい購入したことから始まる。その後は専ら地理院地図の情報をたよりに、伊豆半島各地の砂防ダムに行っては歌っていたことがデジタルカメラのデータからわかるが、中でも宇久須川水系の堤体の画像が非常に多い。もうこれは地理院地図を見れば当たり前のことなのだが、伊豆半島西部、駿河湾に流れ出す各河川を比較したとき、砂防ダムなどを表す二重線マークが多いのは、圧倒的に西伊豆町を流れる宇久須川水系である。二重線は宇久須川の本流に多数見られるだけで無く、その支流河川である不動尊川、大久須川、赤川の3河川にも数多く描かれているため、全部合計すると相当な数になる。(そして地図に描かれていない堤体も存在するため、実際の総合計はさらに大きくなる。)

宇久須川での初堰堤

ウハウハ

どこであったか?という初入渓の場所は記憶に間違いは無く、上流部であった。宇久須川を県道410号線に沿って登っていくと画像Ⓐの堰堤が目に入ってくるが、その周辺、道路が大きくカーブしているあたりが道幅も広いため、当時もそのあたりに駐車したことであろう。

「一帯」という言葉の定義の仕方によっても異なってくるが、デジタルカメラのデータによれば、この一帯だけで画像Ⓐの堰堤も含めて7本もの堰堤を発見している。堤高5メートル未満の低めの堰堤ばかりであるが、いずれの堤体もその側面を自然のまま(側壁護岸を伴わない)としているため、雰囲気としてはなかなか趣がある。敷設からの年数も長いようで、堤体本体がしっかり黒くなっていることは、スギの渓畔林によって生じる暗がりをいっそう引き立て、歌うときにより詩の世界に入り込んでいけるのではないか?そのような雰囲気の中、当時どの程度まで音楽を楽しめていたのかは記憶していないのだが、初めて経験する連続の堰堤群に、気分はウハウハだったように記憶している。

画像Ⓐ
黒が映える。
完全に土の上からやっているめずらしい画。

砂防ダム探しのメソード

一方下流部はどうであろうか?下流部には翌月の12月に初入渓したようである。下流部の堤体へは、上流部への時と同様に県道410号線を使用してアクセスする。県道410号線は宇久須川をほぼ平行に登って行ける道なので、車を運転しながら川の様子をうかがうことが出来る。そして私は3年前、偶然にもこの宇久須の地で「砂防ダム探しのメソード」を修めたのであった。

このように道路のすぐ横に堤体がある。

川が階段状になっている

川が階段状になっている。ということを発見したことが大きかった。

これは登り、の時のことでは無く、車で下っていた時に気づいたことなのだが、宇久須川とほぼ並行に引かれた県道410号線より川を覗きこみながら走ると、あるところで川は突然、水平に近い状態となる。これは砂防ダムの堤体上で溜まった土砂によるものであると理解するのが、さらにその地点から下り続けた数秒後のこと。堤体が現れ、なるほど。せき止められた土砂なのか・・・。となる。そしてその直後に川の落水の様子を目撃する。
自分自身が見たかったのはその落水の様子。やはり気になるのは堤高の規模なので、ここでは落差が大きいほど嬉しさがある。大きな落差に期待して、自然と堤体の下流側の様子も見ることが出来ていたのだ。全体的には、川が水平に近い状態になった所から、堤体を境にストンと落ちてまた流れ始めるという、一つの堤体を中心とした川の高さの変化を見たのだった。

堤体を境に河床の高さが異なっていることがわかる。

あることに気がついた。

そのまま坂を下り続ければ、また次の堤体の箇所に入るため再度、水平になって、ストンと落ちる変化が見られる。次回以降もそうで、また水平になってストンとなる様子を見る。以降もこれのくり返しである。堰堤、砂防ダムの連続した宇久須であるからこそ、遭遇することが出来た光景であった。

ここでふと思ったのは、一つ一つの堤体によって出来た変化を合わせると全体的には川が階段状になっているということ。それぞれの堤体同士の間隔は決して短くはないものの、川は堤体という人工物によって、これまた人工物である階段のような形に変形させられていたのである。そしてその変形を見た時に私はあることに気がついたのである。
―川が階段状に変形することを察知するのに、堤体本体はあまり関係しないということ。―

落水を伴いながら一段一段下がる。

どういうことか?

水平に近い状態となった川は、面積的にはかなり広い範囲で見ることが出来る。一方の堤体本体はその幅およそ1メートルの“区間”でしかない。ゆえに前者は見つけやすく、後者は見つけづらい。実際の階段に例えれば、溜まった土砂によって形成された広い範囲は、階段の足を乗せる部分で、堤体本体は階段の“縁(ふち)の部分”でしかないのだ。

この事に気がついたことは以降の砂防ダム行脚において非常に役に立った。堤体を上流側から見つけようとする時、幅が1メートル程度しか無い堤体を探そうとしてもこれはなかなか難しい。ましてや、自然界の中では樹木や草によって視界が遮られるため尚更だ。堤体本体がただあるだけでは満足できず、その周辺に生える渓畔林の存在を大切にしている自身にとって、基本的に目指す先はそんな視界が遮られてやまないようなところばかりであるはずだから、見つけようと頑張ってみても困難な現状に直面することが多いはずで、事実、実際の現場でそうなることは多い。

水通し天端と袖は非常に短い区間。

探さなければならないのは

探さなければならないのは、見つけやすい、水平に近い状態になった川である。大きな石がゴロゴロ転がっていて、大小の轟音を放つ渓流区間のはずであるのに、あまり大きくは無い石が乾いていて広く溜まっている所。妙に流れの幅が狭くなって、すじ状になったところ。樹木が生えているが、その付け根には全然根を見ることが出来ずに土や石が覆いかぶさっているところ。川でこれらを見つけたら近くに堤体がある可能性が高い。上記のような変化は、流されてきた土砂の蓄積で、川の傾斜が水平に近くなったところによく見られる光景だからである。

川と道路がほぼ並行に走っていること、堤体そのものの数が多いこと、様々な偶然が重なりあったおかげで、宇久須では大変な勉強をさせてもらったと感謝している。前回のエピソードでは、無性に歩きたい!となったとあるが、きっとそれはこの川で得ることができた「学び」による感動を再び味わいたくなったからなのではないかと自分では思っている。

いよいよ冬が本格化するが、以降は、これまで視界を遮っていた草木の多くが枯れ、視界が最も開けるという季節に突入する。山の中の様子が見やすくなる中で、どんどん新しい場所にチャレンジして数多くの堤体を発見したいと、自身に対しワクワクしている。
探そうではないか、砂防ダムを。冒険しようではないか、山を。
新規開拓の季節到来。である。

堤体上に溜まった土砂を見つけるほうがわかりやすい。
宇久須川下流部の堤体。

ルアーフィッシング情報

ルアーフィッシング情報

ルアーフィッシング情報という雑誌が手元にある。西暦2000年の12月号とのことなので、自分が高校生の頃に買ったものである。

その雑誌の中にある連載記事。記事の内容を要約すると、ナレーターを本職とする筆者が仕事のオフを急きょもらうことになり、西伊豆に釣行。昼はヒラアジ類の幼魚(メッキ)を岸から狙い、夜は船からバラムツ(深海魚)釣りを楽しんだのち、下船して、再度岸から釣りをして帰宅したという内容。記事の内容はメッキ釣りのこともバラムツ釣りのことも大変詳しく書かれていて、読み手であるこちらを大いにワクワクさせてくれるのだが、それにも増して話が最高潮に盛り上がるのがクライマックスの部分。釣りそのものの出来事になるが、メッキ釣り用に用意した非常に華奢な釣りの仕掛けに、体長80センチはあろうかという大型のヒラスズキが掛かり、為す術も無く糸を切られて逃してしまった。というところ。記事は筆者の歯を軋ませるような言葉とともに結ばれている。

記憶のページを開く。

かつて憧れの地に降り立つ

当時の自分自身にとって大型のスズキ(シーバス)を釣り上げることは大きな夢であったため、この記事は非常に印象に残っていた。使用していた釣り糸の太さやルアー、掛けた魚の大きさもそうであったし、その釣りの舞台となった地である宇久須港もきちんとルビが振られていたため、しっかり“うぐす”と読んで記憶していたのであった。

まさかその西伊豆町宇久須の地で自分が今回、仕事をするなどとは思ってもみなかったのであるが、現実となってしまった。高校生当時は新潟県に住んでいたのだから尚更である。日本海、では無く太平洋沿岸のかつて憧れの地に、砂防ダム音楽家として訪れたのが雑誌の発売日から19年後の2019年、12月16日のことである。

歩きたい!という衝動に駆られ

件の宇久須への行き方であるが、伊豆半島西部を南北に結ぶ国道136号線を南下していくと、やがて恋人岬の看板を見ることが出来るが、そこから数えて3本目のトンネル「賀茂トンネル」を抜けたところからが賀茂郡西伊豆町で、その賀茂トンネル直後の小洞トンネルという短いトンネルを抜けたところ、海上にテトラポッドが並べられているあたりが早速の「宇久須」のクリスタルビーチである。今回入りたい宇久須川はその先の「松ヶ坂トンネル」通過直後にいきなり現れるが慌てず、右手側には農協、左手側にはセブンイレブンとなる「宇久須南」の信号までそのまま進み、「ラーメン幸華」の矢印看板に吸い込まれるように左折すれば良い。あとは道なりに進んでいけばやがて宇久須川に出会うことが出来るため、これに沿って堤体を探せば良い。

12月16日、当日は正午前から宇久須川に入り、午後5時前まで宇久須川を歩いた。当初の予定では、宇久須川を真横に見ながら遡ることが出来る県道410号線から一本良さそうな堤体を見つけ出し、歌を楽しんで終わらせる予定であったのだが、実際に同地へ来てみたところ、無性に歩きたい!という衝動に駆られてしまって、結局7本の堤体を回った・・・。

宇久須川の堤体例その1
宇久須川の堤体例その2

双方を両立

普段はこのようなことをあまりやらない。堤体を「安全に」行き来することも砂防ダム行脚の楽しさの一つと考えている自分自身にとって、あちこちの堤体をまるで居酒屋をハシゴするように歩き回ることが一番の危険行為だと考えているからだ。

例えば、その日スタート地点に立った時に保持していた集中力が100であったとする。スタート地点から一本目の堤体に向かうまでに幾らかの集中力を消費しながら見事到着した。途中、ケガなどのハプニングも無かったため、では次の、二本目の堤体を目指そう。となったとしよう。その一本目の堤体を離れてから二本目の堤体にたどり着くまでに消費することができる集中力の最大値は「スタート地点から堤体」までのあいだに消費した集中力の“残り”であり、100ではない。それも終わり今度は二本目の堤体を離れ三本目に向かう。三本目の堤体に向かうまでに消費することが出来る集中力の最大値は「スタート地点から二本目の堤体」までに消費した集中力の残りであり、100はおろか、大きく(一本目までの分+二本目までの分)マイナスした数となる。そのようにしていけば以降四本目、五本目と向かう堤体の数が多くなるにつれて、より少ない集中力でクリアしていかなければならないことになる。(・・・と、考えている。)

堤体の寸前に非常に解りづらい危険要素が隠れていたとしよう。その堤体がその日一番最初のものであったので、大きな集中力を持って挑み、みごと回避出来た。となれば良いが、今回のようにその日の七本目の堤体寸前にこれを迎えていたらどうなっているのか?百発百中きちんと気が付くことが出来るのか?

そしてもちろん、堤体を前に歌って終わりでは無い。最後に訪れた堤体から今度は車の置いてある所まで戻らなければならないという使命が常に毎回発生する。このときに必要な集中力もやはり“残り”で対処しなければならない。そう考えると、その日何本堤体を訪れるのか。という計画段階から、その本数が多ければ多いほど、ケガ無く帰ってこられる可能性は低くなるということが言えるし、逆に、その本数が少ないほど安全に帰って来られる可能性は高くなると考える。

好奇心旺盛に新しい砂防ダムを見つけていく楽しさ。砂防ダムを安全に行脚し、最後必ず帰って来なければならないという絶対的ルールにより生じる楽しさ。双方を両立することはなかなか大変ではあるが、砂防ダム音楽家としてそれにふさわしい行動を常々とっていきたいと考えている。

宇久須川の堤体例その3
宇久須川の堤体例その4

セブンイレブン天城湯ヶ島店

セブンイレブン天城湯ヶ島店。手前は簀子橋。

セブンイレブン天城湯ヶ島店という店がある。伊豆半島中央を南北に縦断する国道414号線(下田街道)で伊豆市市山の信号を過ぎて旧天城湯ヶ島支所前を通過、ひなと丸(土産物店)、浅田わさび店、浅田自動車などを見ながら進むと、左手におなじみの「7」の数字があらわれる。言わずと知れた“天城越え最終コンビニエンスストア”である。天城越えとはこの国道414号線を河津町方面に向かって行くと標高643mの地点に「新天城トンネル」というトンネルがあり、そこを通過して河津町内へ抜けることを言う。その昔は実際に峠道(二本杉峠)があったということで、天城峠越えと呼んでいたようであるが、その後、天城トンネル時代を経て、現在の新天城トンネルを利用しての峠越えとなっている。

観光の看板も備える。

安心感

セブンイレブン天城湯ヶ島店は、その峠越え前の最後のコンビニエンスストアということになる。以降は峠越えしてから河津町佐ヶ野までその恩恵にあずかることは出来ない。恩恵などというと少し大げさかもしれないが、この店以降は徐々に民家の数が減っていき、新天城トンネル前の誰も住んでいないような地帯に侵入していくことになる。そのような環境が待ち構えていることが解っているならば、自然とハンドルを握る指先にも力が入ると思うし、その緊張感を解きほぐすようなツールがあれば・・・ということで、自然とこの店の駐車場に入ってしまうのである。夏場であればここでアイスクリームなどを買って食べればいいと思うし、これからの時期であればホットコーヒーなどが嬉しい。いずれの商品を買い求めるにしても、レジで決済が終わったあと手元にあるのは商品と少しの安心感である。都市部で日常的にコンビニエンスストアを利用しているという人も、この店では普段とは違う買い物が出来ると思う。きっと、いつも手にしているあの商品が、今日はなんだかズッシリとしていて心強いな・・・となるであろう。

こちらは最終スタンドの伊伝(株)湯ヶ島店

奇跡の店

12月5日午前10時。件のセブンイレブンの駐車場に入る。まずは、店舗に入り昼食を買う。店を出たらその駐車場のフェンスを隔てて北側に流れている長野川の様子をうかがう。水量はいつも通りたっぷり流れている。2日前に降った雨の影響もあるであろう。ここの店に寄った時はいつもこんな感じである。長野川に入る時はもちろん、本谷川本流、支流、そして河津町方面に行く時もまずはこの長野川の様子をチェックして、行き先の状態の参考にする。水系が同一で無くとも、ここで普段より水が出ているな。と感じれば、それから実際行った川もだいたいそのような結果となっているし、そのようにある程度予測が付くものだから、ここで予定を変更して違う川に向かったりすることも出来る。長野川は狩野川の支流河川であるが、それをこの地で観測することが伊豆半島全体の河川を観測することとほぼ変わらない結果につながることを考えると、しかもそれが一軒のコンビニエンスストアの駐車場で出来てしまうという、これは便利なことこの上ない。店にある商品が「安心感」を伴ったタダものではないこと、こうして伊豆半島全体の河川を予測するインフラが店のすぐ北側を流れていること・・・。これは奇跡の店である。

長野川。簀子橋より。

静岡なのに長野

本日は、店の駐車場から観測した長野川にそのまま入る。ただし入渓点はそれよりも上流側にあるためまずはそちらへ向かう。午前10時過ぎ、店を出てわずか100メートルほど先にある「湯ヶ島宿」の信号を左折する。そこから長野川に沿うようにして3キロほどの行程をドライブする。ここは静岡県なのにその地名を「長野」とする不思議な所だ。長野の「野」の字を充てるには本当に大大大適切な場所で、伊豆市南部はほとんど険峻な山岳地帯で構成されるが、この地は比較的緩やかな丘で、広く開墾されており、そこで稲作などをしている。ちなみにその稲作をしているあたり、集落の中は非常にのどかな田園風景を見せるが、長野川の最上流部はコテコテのワサビ生産地となっており、そのワサビ田を囲む山の斜面も相当にきつくなる。ただ、集落のあるあたりと比較して広く開墾していることは最上流部にも共通していて、空からは太陽の光が燦々と降りそそぎ、天城の山から育まれる冷水とともにワサビを育てている。そんな環境で育てたモノは絶対にうまいに違いないと思っているのだが、残念ながらこれを食したことは無い。機会があれば試してみたいと思っている。

長野橋
用水で出来た滝があったりする。(画像中央)

今年一年、出来るようになったこと

午前10時30分。長野第三砂防ダムのすぐ横にある駐車スペースに車を停める。本日向かう堤体は、この第三砂防ダム(副堤上は立ち入り禁止)では無く、もう一本上流側にある。準備を済ませた後、第三砂防ダム主堤上に溜まった土砂に向かって入渓し、そこから10分も遡ると目的の砂防ダムにたどり着くことが出来た。堤高は第三砂防ダムとほぼ同じくらいと思われ、それでは15メートルといったところであろうか?横幅(堤長)と水通し天端はこちらの方が長く、2階部分の景色が広く開かれていることがなんとなくわかる。砂防ダムとしては大型の部類に入る堤体だ。
今年はこのような大型の堤体での遊び方を知った年であった。水がドカンと落ちていて、自分の出す声がほとんど響いていないのだけれど、それを逆に楽しんでしまうということの面白さを覚えてしまった。以前は音楽というのは音を響かせてナンボ、そうで無くてはいけない。という概念の縛りつけのようなものがあったように思うが、自然界の中での音楽活動によって、それがものの見事に崩れ去る瞬間に立ち会うことが出来た。そしてそのことは同時に、何事もやる前から全て決めつけてはいけないのだという戒めのようなものを自分自身にもたらしてくれた。音楽のことに関して言えば、大堤体のドカンを前に「ただ響いていない。」ということでもあるので、これから改良すべきところは改良して伸ばしていきたい。砂防ダム音楽の楽しさ、その追求に終わりは無い。

長野第三砂防ダム。主堤上にあるのはライブカメラ。
用水の取り入れ口がある副堤上は立ち入り禁止。
シラカシの渓畔林の下に入る。
堤体全景。

京都遠征〈後編〉

3日目は滋賀県に。

三日目のスタートは滋賀県大津市の一丈野(いちじょうや)駐車場からであった。ここは金勝山(こんぜやま)ハイキングコースのスタート地点となる駐車場で、駐車場のすぐ脇より遊歩道が整備されている。この日私が実際に利用したのは、その遊歩道のほんの最初の最初、オランダ堰堤までの区間である。(奥に行けば本格的な登山道になると思われる。)今回の京都遠征をするにあたって京都府・滋賀県の両府県をインターネットで事前調査したのだが、ほとんど情報が得られなかった京都府に反して、滋賀県はこのオランダ堰堤が非常に多くの方によって公開されており、自分も砂防ダムを専門とする者として見ておこうと思い、同地に降り立った。ここの堰堤はオランダ人の技術者ヨハニス・デ・レーケの指導によって明治19年から22年の間に建造されたとされる、日本国内で最も古い石積み堰堤のその中の一基とされている。インターネット上で掲げられている画像を見ると、子どもが川遊びをしている光景が目に入ってくるが、これはすなわち、この地に子どもでも訪れることが出来るということを意味している。砂防ダム・堰堤というのは山奥にあって、完成したら最後、あとはほとんど誰もその地を訪れないということが往々にしてあるように思うが、こうして駐車場・遊歩道が完璧に整備された中で市民に広く開放され、利用されているという点は、この堰堤を建造した者たちにとって大変嬉しいことなのでは無いかと思う。

朝一番を楽しむ

当日、11月23日は土曜日であった。この市民の憩いの場は、紅葉シーズン真っ盛りとあってこれからの時間、多くの人出で賑わうことであろう。その賑わい大会の開始前、閑散とする朝一番の冷たい空気の中、大変さわやかな気分で歌を楽しむことが出来て大満足であった。じつは、本日の砂防ダム行脚はこの朝一番の歌で終わり。このあとは京都市内に戻り、京都ロームシアターにて行われる「第72回全日本合唱コンクール」にお邪魔する予定であったのだ。三日間を統括して、遠征先での堤体探しの難しさはやはり容易ではないということがわかった。一日一基ペースで良質な堤体を見つけることが出来たらもっと良かったように思うが、この難しさもまた砂防ダム探しの魅力なのであろう。
午前8時前に一丈野駐車場を出発し、京都市内に向かう。まずは3日間お世話になったレンタカーを返しに行くため、途中ガソリンスタンドに寄りつつ、レンタカー会社の支店に向かった。京都市内は大渋滞であったが、なんとか無事に入庫。支店から京都ロームシアターまでは10分ほどの徒歩で到着した。

第72回全日本合唱コンクール

大会スポンサー

件の全日本合唱コンクールであるがこの大会は日本全国に数多あるアマチュア合唱団の中から、その日本一を決める。という大会である。それだけに、合唱ファンの注目度も高い。私は京都ロームシアターに来たのは今回が初めてであったが、実際にホールに足を運んで名演を聴きたい。という人々で会場は大混雑。そういう中でこれはとても嬉しいことに、その名演の舞台をスポンサードしたいという企業が現れ、大会を支えている。スポンサーとなった企業は大会のロビーに出店し、自社製品や取扱商品のPR活動を行う。今回、同大会においてロビーに出店した企業は4社。内訳は楽譜出版の「カワイ出版」、録音・録画製品の製造販売「ブレーン・ミュージック」、楽譜・楽器商、音楽教室運営等の「パナムジカ」、テキスタイル&アパレルの「ユニチカトレーディング」の4社であった。

カワイ出版
ブレーン・ミュージック
パナムジカ
ユニチカトレーディング

夢見ている

私は砂防ダム音楽家である。歌をうたう時の人数は違えど、合唱とは近い関係にあると思っている。夢見ていることとしては、来年以降、この全日本合唱コンクール全国大会の企業スペースに砂防ダム音楽家、森山登真須として出店することである。今年は第72回大会であったが第74回大会までになんとかしたい。どのような形での出店になるかはわからないが、同じ音楽というものを愛する同士として協力関係を築いて行けたらな。と思っている。当日の演奏では、古典から現代まで幅広く作品を聴くことが出来た。素晴らしいものの数々であったし、なぜ素晴らしいと感じたかと言えば演奏家のレベルが高かったからであると思う。歌曲も合唱曲も大変魅力的なものが世の中に存在しているのだからそれを次の世代に繋げていきたい。そんな風に思っている自分自身にとって、この日、優れた能力を持った歌い手に数多く出会えたことは、未来の明るい光を感じさせてくれる幸せな体験となった。これからの時代に求められることは、優れた曲、優れた演奏家、優れた指導の出来るスーパー先生、優れたメソッドそれら音楽界の財産を簡単にドブに捨てること無く、維持していくための環境作りであると思う。そんな自分自身の“欲”に今一度気づいた今回の観覧機会でもあったため、この気持ちを胸にまた今後も一本一本砂防ダムへ行脚し、音楽を続けていきたいと思った。自分に出来ることはまず「砂防ダムへ行き、歌うこと」であろう。

夜行便に眠る

午後6時、審査結果を待つ間に行われる学生達の歌合戦を聞き終え、審査発表となった。どの団体も素晴らしい演奏を聴かせてくれたではないか。相対的な比較でどこが賞を取ったとか、どうでもいいことであったので、また、会場の出入り口が混雑する前に(荷物が・・・、デカいのだ。なんせ、渓行するための道具一式、背負っていたから!)ということで、審査結果発表途中の京都ロームシアターをあとにした。重い荷物を抱えながら、三条京阪駅まで歩き、地下鉄、JRを乗り継ぎ京都駅に到着。日付変更すぐに到着する京都駅-沼津駅・三島駅間の高速バス直行便を冷え切る夜空の下、灯る京都駅の巨大ビルを眺めながら待ち、無事乗車。満足感と安心感にドッと襲われ、ぐでんと夜行便に身を委ねたのだった。

オランダ堰堤