ウェーダーを履くことについて

ウェーダーとは何なのかが今回のテーマ

入渓の際の装備として当ブログではウェーダーを履いた、履かなかったといったことをよく書かせてもらっているが、ウェーダーというものがどんなものなのかよくわからない。という方のためにウェーダーについて簡単に説明しておこうと思う。今後もこのウェーダーというものについての記述が頻繁に出てくることになると思うが、わからないままその部分だけ飛ばすようにして読み進めるよりも理解した上で、ああ、なるほどな。とされていったほうがより記事をお楽しみいただけるのではないか、という考えからである。

端的に言えば、胴長靴のこと

ウェーダーというのは、日本語で言うところの胴長靴のことである。胴長靴のことであるのだが、主に魚釣り関係の商品を中心に巷ではウェーダーと呼ばれている。胴長靴と呼ぶのはどちらかといえば農業方面の業界で昔からいわれてきた呼び名であるように思う。下肢を水濡れから守る部分の素材としては主に二種類あり、一種類目はナイロンでもう一種類はクロロプレン(ネオプレン)だ。ナイロン素材に関しては透湿防水素材を複合したもの(ゴアテックスなど)、していないものにさらに細分化される。形状としては胸の高さまで素材で覆われるチェストハイタイプ、腰の高さまで覆われるウエストハイタイプ、両足の付け根まで覆われるニーブーツタイプの3種類があり、それぞれチェストハイウェーダー、ウエストハイウェーダー、ニーブーツと呼ばれている。さらにチェストハイウェーダーとウエストハイウェーダーには足先の構造の違い(ウェーディングシューズを別に用意して履くタイプと、長靴がそのまま一体化しているタイプ)があるため、形状上の違いで大きく分けると全部で5種類ある。そのほかの特徴としては、上記で足先構造の違いを述べているが、ウェーディングシューズの場合も長靴一体化タイプもその製品のほとんどは靴底が厚手のフェルト張りで仕上げられている。これは、ウェーダーが使用される環境においてたとえば、川石の藻がびっしり生えた上であるとか、岩場のノリがこれまたびっしり生えた上を歩くときに、滑らないようにするため考案されたアイデアを形にしたもので、ウェーダーメーカー各社製品ほぼ共通の装備としてフェルト底が採用されている。また、このフェルト底だけでは対応しきれない超スリップ危険地帯を歩くことに対応させたフェルト+スパイクピンのタイプも※最近では多くなった。(※正確には最近、低価格ブランド、廉価製品でも多くなった。)

ウェーダーの価格は様々。高価格帯は伸縮性、耐針性などに優れる。

最近では・・・。と。

最近では。などと書いてしまったが、私はもうウェーダーというものを履き始めて20年近くになる。最初にウェーダーを買ったのが高校生の頃で、それ以来、何本かの買い換えは経ているもののウェーダー歴は短くはない。砂防ダムを前にして歌うようになって2年半ほどなので、そのほとんどの期間はウェーダーを釣り道具として見てきたが、ここへ来てウェーダーというものが音楽関連用品として変化した。このようなことは私自身も無論予想だにしていなかったことであるが、ウェーダーが自分にとって音楽用品となり、日々の渓行に大いに役に立っていることを考えると「ウェーダーを履いていてよかったなあ。」と思うのである。もちろんこれは、その間の経験が生かせるから。という理由からである。

修善寺ICで下りる。

今回行ったところ

今回、湯舟川ふれあい公園に行ってきたので紹介しようと思う。静岡県東部地区の桜が満開となった4月4日、静岡県伊豆市修善寺にある湯舟川ふれあい公園を訪ねた。修善寺といえば曹洞宗福知山修禅寺や温泉で有名な当地であるが、今回はその修善寺にある砂防ダムの紹介である。現地までのアクセスであるが、静岡県東部地域、国道136号線を南下する。途中、有料道路、伊豆中央道、修善寺道路を経由し修善寺ICで下りる。修善寺ICは前回の田沢川への渓行で使用した大平ICの一つ手前のインターチェンジである。修善寺ICで下りたあと、修善寺温泉街のメインストリートとなる県道18号線を行く。そのまま修善寺観光の中心地「修禅寺」前を通り過ぎ、輪田橋という赤い橋の前も通り過ぎる。そのまま道形に行き画像Ⓐの分岐で左折する。ようやく橋を渡り、対岸側の丁字路を右折する。その後は修禅寺奥の院の案内標識にしたがって進む。今回行きたい湯舟川ふれあい公園は修禅寺奥の院の更に奥行ったところ600メートルほどにあるため、この案内標識そのものが、ふれあい公園の案内になるのだ。途中、分岐点について画像を掲載するので参考にしてもらいたい。

画像Ⓐここを左折
ここを左折
ここを右折
すると水池橋に出るので渉る。
湯舟川ふれあい公園入り口。画像左部分にあるのが公園の柵。

湯舟川ふれあい公園について

湯舟川ふれあい公園についてだが、5基の床固工(正式には砂防ダムでは無く床固工)からなる言わば河川構造物区間とその周辺域、おもに北岸側の区切られた土地を公園として解放している。「土地」などという言い方が適切であるほど何も無い公園で、設備のそれとしてはベンチが数個置かれているくらいの程度である。トイレすら無いためここを利用していて、もしもという事態になってしまったら、修禅寺奥の院のトイレを借りて緊急時対応することになる。当日行ってみて、キャンプファイアーをした残骸なども見受けられたが、トイレすらないようなこの公園で宿泊をしたのであろうか・・・?
さて、私自身のお目当てである、床固工であるが、このような公園内のお手軽な雰囲気の場所にあっても、前述したウェーダーの着用によって安全な渓行を実践したい。当日も床固工によって緩やかになった川の流れの中は藻だらけで、フェルト底を備えたウェーダー類以外での歩行は滑って危険と思えるような状態であった。公園敷地内のお手軽スポットゆえ、これからの季節はサンダル履きで河川内に立ち入ることも予想されるが危険である。たまたまこの地を訪れた一般市民ならある程度致し方ない気もするが、この記事を読んだアウトドアーマン、音楽家は、是非万全の装備で臨んでほしい。ニーブーツなどはこのような公園でもおしゃれで場の雰囲気にもアンマッチにならないと思う。私自身においては、どんな場所でも足元がしっかり安定した状態で、気持ちに余裕を持って音楽表現に勤しみたいと常日頃より思っているのである。

湯舟川第5号床固工。ベンチが備えられている。
湯舟川第4号床固工。第5号よりも響きがよい。
湯舟川ふれあい公園の案内板
修禅寺奥の院。


まずは、地理院地図から

発電のための取水を目的とした堰堤。仁科川。

あちこちの砂防ダム行脚をライフワークとしている自分にとって、砂防ダム空間の新規開拓、つまり、今まで行ったことのない砂防ダムを見つけるというのは、いつも新鮮で楽しいものなのである。国土地理院発行の地理院地図、2万5千分の1サイズを見れば山中(さんちゅう)の沢にところどころ、黒く二重線が引かれている場所がある。二重線は下流側の一本がただの直線で描かれ、上流側の一本は破線で表現されている。この二重線は地理院地図の枠外下の欄にある凡例を見れば分かるとおり“せき”を表している。広辞苑によれば“せき(堰)”とは―「塞く(せ)く」の連用形から)取水や水位、流量の調節のために、水路中または流出口に築造した構造物。いせき。―とある。要約すれば、そこに水の取水や流量調節の目的をもって、河川構造物があるということ。実際、現場に行ってみると確かに、水道関係、農業関係、電力関係の取水口というのが、その堰の本体であったり、上流側に設けられている。取水口に“分流”する形で水が河川本流より“逃げていく”のだから、その堰の下流側というのはおのずと水量が減ずるというのは想像に難くない。私が専ら目指す砂防ダムもこの堰の一種で地理院地図の表記に従いその場を訪れると、前述の二重線の描かれた位置のだいたいのところで出会うことが出来る。砂防ダム(または、砂防堰堤)の堤体の名称については、そのようにして訪れた時々に、国土交通省による立て看板や、堤体本体に刻まれているプレートによって確認を行っている。このようなことから、国土地理院は地理院地図作成上、定義として堰の中の一種に砂防ダムを含んでいるということがわかる。そうなってくると、砂防ダムの持つ機能、山の流出土砂の貯留や調節、渓岸や河床の不安定土砂の二次移動の抑制といったものに一切触れることなく、ただ取水や水位、流量の調節のために・・・と謳う広辞苑の説明というのは全くもって不十分で、砂防ダムを仕事とする者の一人として残念でならないのだが、広辞苑という一般市民向けの書籍に対して、建設用語辞典並みの記述がないというクレームを呈するというのは、いささか衒学的な感じもする。何事も最初は本当に本当に簡単なところから(特に若い人には)興味を持ってもらいたいし、当ブログを読んでくださっている方のほとんどが非建設関係の一般市民であると思うので、国土地理院と、広辞苑出版社のそんな定義の違いをただ鼻でご笑納いただければ幸いである。

仁科川水系、白川

今回訪れた白川であるが、場所は静岡県賀茂郡西伊豆町にある。源流は賀茂郡河津町との境にある猿山から諸坪峠あたりまでの尾根に端を発し、最下流部は二級河川、仁科川に合流の後、駿河湾に流れ出る。白川に面する唯一の集落「白川」よりも上流域の地帯はかつてミョウバン鉱石の採掘を行う戦線鉱業仁科鉱山があったところで、今回のスタート地点はその戦線鉱業の中国人殉職者慰霊碑広場になるためまずはそこまで車で向かう。

慰霊碑と奥には小さな谷止工。

背負う物は、リュックサックと歴史

3月28日午前10時、中国人殉職者慰霊碑広場に車を停め準備に取りかかる。と、その前にやはり、慰霊碑前に立つ。ここに来たときはいつもこの慰霊碑の前に立つのである。きっと誰でもここに来るとそうなるであろうと思う。今日はツルハシを担いだ男がいつも以上に私のことを鋭いまなざしで注視しているように感じられた。―あなたの存在、慰霊碑のことをを広くブログで拡散するから―と男に約束し、慰霊碑の階段を降りる。―よし、準備を始めよう。―本日は、ここから約一時間、沢沿いの林道を上るようにして歩くのでウェーダーは履かず、スニーカースタイルとなる。ウェーダーはリュックサックに収納し準備が全て整ったところで入り口の鍵付きゲートを超える。道はこのゲートを超えてすぐ直進方向と右折とに分岐しているが、直進側を選び、あとは沢沿いにただひたすら進めばよい。ところで今回の目的地となる砂防ダムであるが、前述の“地理院地図”から探し出したものである。この白川最上流域で沢がY字型に形成されているところが地図上にあり、そのY字の頂点にそれぞれ一個ずつ前述の“二重線”がある。Y字自体は非常にコンパクトで、極めて狭い範囲内の移動で二つの砂防ダムが楽しめるという、砂防ダム音楽家にとっては非常に魅力的な場所なのである。しかも砂防ダムの規模としては中型クラスの5メートルサイズと小さすぎることがない上、重力コンクリート式であるという点もまた魅力的なのである。この手の狭い範囲内での砂防ダム建設では一基あたりの建設コストを抑えるために、ダムを小さくしたり、鋼鉄素材にしたりというパターンが多いのだが、ここは違う。そんな魅力に惹かれての一時間歩きの今回である。

途中にあるもの

“Y字”までの途中には、Ⓐ~Ⓒの砂防ダムがあり、これらでも音楽は楽しめる。しかしながら、前述したような魅力を持った“Y字”が控える白川なだけに今日はそちらを目指す。だいたいスタート地点から40~50分くらいでⒹの橋に出られるので、そこからはウェーダーに履き替えて、500メートルほど沢沿いに上っていけば、目的地の“Y字”にたどり着ける。画像Ⓔが向かって左側の砂防ダム。画像Ⓕが向かって右側の砂防ダム。

地図上の表記によれば

地図上の表記によればⒺの方が本流なのであるが、水の流量はⒺⒻ共にさほど変わりはなく、どちらも正式には砂防ダムではなく谷止工なのかもしれない。二つの谷止工から、つまり二つの沢からだいたい等しい程度の水が合わさって白川を形成しているといった感じだ。この場所は前述したように、二つの砂防ダムを極めて狭い範囲内の移動で楽しむことが出来る。やや残念な点があるとすればこの二つの砂防ダムの堤体本体を前にして立つとき、いずれも、堤体に対して体を平行に向けることが出来ないという点がある。うまく響かせようとして後退するとどうしても堤体に対して斜め方向から声を発するという形になってしまうのだ。どちらかといえば、ここだけ、となってしまうのにはつらい場所であるが、いろいろな砂防ダムを経験したのち、その次の一ヶ所として研究目的で訪れるのにはいい場所であると思う。

雨、でも夏が近いから・・・

また今日も雨が降った。3月21日、前日より前からヤフーの週間天気予報で確認をしていたのだが、この日は雨予報。それも、私の住む静岡県東部地域だけが、ということなのではなくて、日本列島、本州全域にわたって、というのだからもうお手上げ状態である。そして迎えた当日。雨は午前6時頃より降り始めた。―もう、雨のことは良しとしよう。―雨が降ることに関してはあきらめがついた。週間天気予報のおかげで、雨が降った場合の行き先も事前に決めることが出来ていた。心にあるのは「この雨が土砂降りにならないでくれ。」ただそれだけであった。

本日はこちら

もう3月下旬である

もう、3月に入って20日が過ぎた。今日のような冴えない天気の日と違って、晴れた日の日中の最高気温は20℃を超えるような日もチラホラ出てきた。山の天気は平野部に比べて低いとはいえ、日なたを歩けば暑いし、歌うという行為そのものが難しくなってくる。私はこれまで四季を通じて様々な場所で砂防ダムの音楽を展開してきたが、最も難しいのが夏の季節なのである。それは、私の愛する音楽がヨーロッパの寒い地方の音楽である、ということも関係しているのだと思うのだが、それだけではなく以下のような理由にあると、自分では分析している。

夏、山梨県相又川

夏を楽しめなくなってきている

真夏のミンミンゼミが鳴きしきるような山の中で音楽活動を行うことは困難を極める。太陽の光が燦々と降りそそぐ夏山は子どもにとってはそのミンミンゼミ採取や、川遊びなど、大喜びなことが満載なのだが、大人になった今、その太陽の光燦々というものがどうも苦手になってしまった。これまで人生いきてきていろいろなことを経験するうち、いつしか悲しい出来事に身構えするような癖がついてしまったように思う。子どもの頃を思えば一年の四季のうち、その中心は間違いなく夏にあった。夏の暑い太陽の下、生命体が皆いきいきと活発に過ごす空間の中で、それらに触れ、また自分自身も外で活発に遊びまわり、喜びに満ちた時間を過ごしていたように思う。それが、秋、冬とだんだん寒くなり、生命体が死んだり、冬眠したりで目の前からまさに“自然と”消えゆくと絶望したものである。よく言えば純粋で、悪くいえば行き当たりばったりなのである。そんな季節の移り変わりを何年も経験しながらやがて大人になり物事に対処する力を身につけるようになるとどうであろうか?人生とは夏のように万事うまくいっていて楽しくてしょうがない時間のためにあるのだという考えよりも、冬の、生き物たちが消えていった時に味わった気持ちのようなものをいかにして乗り越えればよいのかというところに重きが置かれるようになる。楽しい時間を後先考えずにただただ全力で楽しむということよりも、人生には悲しみ、絶望がつきもので、その悲しみ、絶望に対してどのように対処しようかということに心の中心が置かれるように変化していくように思う。部屋のインテリアに暗い色を使ったり、紺やベージュなどの暗い色の衣服を着たり、暗い色で描かれた絵画を見たり、ドライフラワーを美しいといって飾ったり。これらの行為は大人にしか出来ないことであり、こういった行為を日常生活に取り入れていくことで“悲しみ”や“絶望”に体を慣らしていこうとはしていないだろうか?少なくとも、私自身はそのような行為をとおして年々変化してきているように思うし、夏は苦手、冬はあらかじめ対処方法を考えてあるから得意、みたいな気になってきている。

生き生きと。生命体。

もう夏が近い

前述したように、もう3月下旬であり、夏が近い。その夏が楽しめない、というのだから今のうちに山を楽しんでおこうと、雨であるが決行することにした。
場所は伊豆市、田沢を流れる田沢川。交通アクセスは、国道136号、伊豆縦貫道より、伊豆中央道を経由、修善寺道路を行き、大平ICを東側に下りる。道路は田方南消防署前の丁字路より、県道349号に入るので、そこを南下する。田方南消防署より計って5.5キロほどで伊豆市田沢に入るので、そこで東に進路を変える。田沢の集落から山が左右に二つ見えるのでその間の谷を上るようにして進み、県道から約1.2キロほどの地点、道幅が広くなったところがあるので、そちらに車を停める。

駐車場所の目印は「山火事防止」の看板

木を使い川に入る

午前9時、車を駐車スペースに停める。雨はさほど強く降っておらず、一安心する。身支度を済ませ、田沢川方向に足を向ける。道路と田沢川は荒れ地をはさんで100メートルほど離れている。その荒れ地にあぜ道が横切るようにして入っているので歩行にはそちらを使う。ほどなくして田沢川に出ることができ、そこから上流方向へ向かう。すると、川の護岸側面を這うようにして生えている一本の木があるので、そこに足を掛け田沢川の中に降りる。木に感謝を告げ、上流方向へ行くとほどなくして、目的の砂防ダム前に出る。ここの砂防ダムは、画像を見ていただければわかるとおり、堤高は7mほど、水通しまでの高さはおよそ5mくらいとあまり大きくはない。前々回、堰口川谷止工での失敗を教訓に、今回はさらに渓畔林が強く作用しそうな暗そうなところを選んだ結果での今回の砂防ダム行脚であるが、ここは堤体の左右を高い杉の木が覆っており、また、堤体前に立ったときの後方、つまり下流側が、川幅2メートルくらいに護岸によって絞られていて、そのぶん光を遮断してくれている。堤体下流部は石畳状の水たたきになっており、その石畳の上をなんともお洒落に水が這うようにして流れている。結果的に今回の場所選びは大成功で、前々回の堰口川谷止工のリベンジを見事に果たすことが出来た。こんな小場所がとても気に入ってしまい、歌、植物の同定作業などで二時間も過ごしてしまった。帰り道、護岸を上がる際も、行きにお世話になった木に力を借りて、無事帰ることが出来た。雨が降っても砂防ダム音楽を楽しむことが出来、本当にうれしい思いが出来たそんな一日であった。

川に降りる際、使う木。種はケヤキと思われる。
木を下から見た様子。
砂防ダム全景。流下してきた水が石畳上で遊ぶ。

大好き河津町!

私の普段の砂防ダム行脚の話になるが、主には伊豆半島を中心とした静岡県東部地域、また、そこから広がって、山梨、神奈川両県である。伊豆半島に関していえば、どこへでも出かけるのだが、とりわけ多いのが伊豆半島南東部にある万三郎岳、万次郎岳を山頂とするいわゆる天城山脈のふもとに広がる地域である。その中でも天城山脈から見て南西地域に位置する、賀茂郡河津町は最も多く訪れる地域で私の砂防ダム音楽家としての活動上、ホームグラウンドともいえる場所である。早春に見頃となる河津桜(かわづざくら)や温泉で有名な当地であるが、町は南北に横断するように(北から南へ)河津川が流れ、また、その河津川本流に流れ込む荻ノ入川、奥原川、大鍋川、佐ヶ野川、河津谷津川ほか数本の支流を備える大変に水脈豊富な町であり、砂防ダムなどの河川建造物も多い。
今後、当ブログを運営するにあたって、この賀茂郡河津町での砂防ダム行脚のことを何度か記すことになると思う。今回はその第一回目として荻ノ入川への入渓をレポートしたい。

荻ノ入川沿いにあるゲート。一般車両が入れるのはここまで。

時刻は午後1時

3月14日午後1時、金属製ゲートの開く「キイーッ!」という音に目を覚ます。この日はまず朝一番に河津町内を流れる、別の川への下見調査があったため、それがおわって、午前11時に、荻ノ入川への到着となった。荻ノ入川は、河津七滝温泉(かわづななだるおんせん)の温泉街地域から北西方向に延びており、川に沿う形で道路が延びている。道路は上流方向へ約2キロ区間までは町民の生活道路といった感じで、ゲートをはさんでそれより先はワサビ農家、林業者などのための専用道路(林道)となる。もちろん私自身においては、一般市民であり、ゲートの向こうへ車のまま入って行ける権利などとうてい有していないため、ゲートの手前すぐにある駐車スペースに車を止め、そこから徒歩で上を目指すことになる。この日は前日、夜勤があっての明けであったため、午前11時に駐車スペースに車を止め、遅い朝食を摂っていたのだが、食後に猛烈な睡魔に襲われて眠ってしまったのだ。目覚まし時計も何もセットしてなく、沢を1本登り終えてからの睡眠であったため、このまま誰にも起こされずに眠り続けていたら、そのまま夕暮れ時くらいになっていたかもしれない。―起こしてくれてありがとう。-おそらくゲートを開けてくれた(ゲートを開けることで音を鳴らしてくれた)方は、この山の林道のさらに奥深く入ったところにあるワサビ田の農家さんで、午前中の仕事を終えての帰りの途中であったのだと思う。山側から、温泉街側へ軽トラックを通過させ、再び施錠後、車を走らせ行ってしまった。こうして運良く目覚めることが出来、入渓の準備に取りかかった。

ゲート前全景。

ウエーダーを履く

装備はウエーダーを履くことが基本となる。それにプラスして、フローティングベスト、ヘルメット、ウォーキングポールといった感じだ。本日の砂防ダムはこの今いるゲートより約100メートル上流にある。思えば、この近距離でのアクセスをすでに知っていたのだからそんな“余裕”もあって眠ってしまったのかもしれない。ゲートの脇を超えしばし歩く。砂防ダム堤体本体を確認し、その下流部分に入渓する。入渓に際しては、林道脇にある釣り人がつけたと思われる、細い踏み跡をたどればよい。ほどなくして、堤体下流部の沢に降りることが出来た。ここは副堤、本堤の二段構造になった砂防ダムで、その二つを合わせても高さ10メートルに満たない、あまり規模の大きくないところなのだが、響きがよいため気に入っている。これは恐らく、高さ3メートルほどの副堤が影響しているためであろう。この場所でシューベルトの作品を小一時間楽しむことが出来た。天気も晴れていてとても気持ちよく過ごすことが出来た。渓畔林から垂れ下がるようにしている木の枝の葉っぱが気になったので図鑑で調べてみることにした。木は「ウラジロガシ」と同定され、砂防ダムだけでなく、渓畔林に対する理解を深めることが出来た。この場所の魅力はこの渓畔林にあると私は思う。渓畔林は音の響きを造り、太陽の直射日光を遮る。直射日光が遮られることで、その下の周囲一帯は暗くなり、そこに立つ人の心に安らぎを与える。そのような“暗さ”を持ちながらも、砂防ダム堤体本体には常に水が流れ、その水は太陽の光を反射し、暗がりに光をともすとともに、人間、その他あらゆる動物を視覚的に惹きつける。本日入った荻ノ入川の砂防ダムは、砂防ダム音楽の演奏場として、まさにお手本といえるような、そんな場所であった。

渓畔林により空間がチューブ状になる。響きのよい場所の定番的条件だ。
図鑑を使った同定作業。

また今日も雨降り

また今日(3月7日)も雨降りとなってしまった。今日、また昨日と二日間、山へ行くため、スケジュールを空けていたというのに、その両日をまるで選んでくれたかのように雨は降り続いたのだ。それでも昨日においては、平日であったため“納税申告”という市民活動に時間を充てるということができ、有意義に過ごすことが出来た。こういった行政機関の手続き云々といったものにいかに砂防ダム行脚を邪魔されることなく日々を過ごせるか、を大事に思っていて、それでは晴れた日の絶好の山びより以外のこのような天気の悪い日に役所関係のしごとを片付けてしまうのである。では、今日はどうするのか?もう役所ではやることがない。天気は一向に回復しない。家で休養を取ることも考えられたが、明日からはまた会社が連勤であったため、山に行くことそのものが不可能になる。そうなる前に、“自由”の身である本日、やりたい事をやってしまおう。という思いで山行きを決定したのであった。

国道135号線白田橋より上流側を見る。雨により若干、増水している。

向かった先は、

山に行くにあたってはその戦略として意識したことがあった。どのような意識をしていたかについては後述させていただきたいのだが、歌うための場所選びとして普段のように、行きたいところに行く、という風には行かない。なにせ今日は雨が降っているのである。過去の経験をもとに考えた結果、賀茂郡東伊豆町の堰口川に行くことに決めた。この川を私は(せきぐちがわ)と呼んでいるのだが、(せんぐちがわ)との呼び名もあるらしい。その堰口川の本流砂防ダムを目指して今日は入渓、ではなく、その本流に対して流れ込む小さな沢の谷止工(たにどめこう)を歌う場所として選定した。谷止工というのは山の小さな谷に造られる、砂防ダムのことである。雨水による、谷そのものの浸食を防止する目的で造られ、砂防ダム同様、最上部は袖、水通しといった形状で構成される。谷の上流方向より流下してきた雨水は水通しの天端を通過後、落下するか、地下水となって水抜き穴、もしくは谷止工の堤体本体の最下部よりさらに下方向を透過する。こういった、雨水の流下による移動、つまり水の動きから見れば、谷止工というのは砂防ダムと機能的に何ら変わりないように思えるのだが、それでも砂防ダムと名称を異にするのは、堤体そのものの大きさが縦約5メートル以下であるという規模の小ささと、流下する土砂の調節機能に関与しないという、造る側にとっての意図を反映しているためであろう。沢蟹(サワガニ)にとっては砂防ダムであろうが谷止工だろうが関係ないのである。自分たちにとって棲みよい環境であるかどうかということが重要なのである。私もまた、名称のことよりも歌をするにあたってその周辺環境はどうであるのか、ただそれだけを見ている。

谷止工の様子。スギの木の樹冠によって暗くなっている。2017年2月に撮影。

車から降りて10秒

さて、その谷止工であるが、今回行く場所は車から降りて10秒という超お手軽スポットである。この堰口川には、川に寄り添うかたちで林道が造られており、その開始点ともいえる場所には東京発電(株)所有の水力発電所がある。その水力発電所から計測して約1㎞上流部の林道脇に今回、訪れたかった谷止工はある。午前10時、谷止工近くの駐車スペースに停車し早速、谷止工堤体本体の様子をうかがう。水は歌をやるのに丁度よい程度ながれており、一安心する。
「アァ」と言葉少なく、声は大きく響かせてみて、それを少しずつ立ち位置を変えながら試してみる。最も響きのよい場所を探すためにこのような作業を行うのだが今回は川石がゴロゴロしているような環境ではないため、歩きやすく、また石そのものの乗り降りがないため立ち位置の自由度が高い。こういった点の“お手軽さ”もまた、林道脇の谷止工の魅力である。そんな魅力に引き寄せられて、雨の降りしきる中、着の身着のまま車から飛び出してきてしまった。

堰口川は下流域を白田川とするため、水力発電所の名称は「白田川発電所」

装備もお手軽に

車に戻り、準備に取りかかる。装備は超お手軽スポットにあわせて、軽快でよい。本日は雨が降っているためレインスーツを上下に着たが、これだけでよい。まぁ、ちょっと雰囲気がでるかな?と思って愛用のウォーキングポールも持った。そんな軽快な装備の中この場所で小一時間うたうことが出来た。歌はあたりを取り囲むスギの林の雰囲気に合わせてヴォルフを選び、それなりに楽しむことが出来た。雨が降ってしまったが、そのような環境下でも音楽を楽しむことができ、一日を有意義に過ごすことが出来た。

今日の谷止工の様子。

今後の課題

さて、前述した“意識したこと”であるが、「この場所に決めた理由として針葉樹(スギ)による遮光効果というものに期待した結果の場所の選択であったということ」ということでここに回答したい。雨の日、曇りの日の空の白い光というのは本当に強烈なものなのである。日本人の感覚として、どうであろうか、たとえば晴れた日以外の、つまり雨の降る日の空、曇っていて若干よどんだような空、遠くの景色の中の霧、また、今自分が立っている周りが霧につつまれた様子、これらの景色から受ける白い光を「美」として捉える、また時折そういうものを見たい、と思う方は少なくないであろうと思うが、これがなかなかどうして、屋外で音楽を楽しもうとする時にはこの白い光というのが私の感ずるところ相性がよくないのである。
今回の山でも本当にそのことが結果として出てしまったのが残念であった。かつて知ったる場所であって、スギの木の樹冠により形成される暗がりに期待したのだが、そのスギの木の切れ目から縦方向からも横方向からも差してくる、この雨の日の空の白い光には対処することが出来なかった。いつかはこのような環境下でも歌をマネジメントできるような、そんな音楽家になりたいと思わせてくれるようなそんな今回の山、今日一日であった。

晴天で青空の“青”の下だとこのようになる。このような環境を理想としている。


スタート地点は道の駅

今回の砂防ダム歩きのスタート地点

2月7日、本日のスタート地点は、伊豆市湯ヶ島にある道の駅「天城越え」である。前日、丸一日降り続いた雨による本谷川の増水が心配であった。ここまで、自宅のある沼津市を出発し、途中、国道414号線、嵯峨沢橋より見下ろした川の様子は、やはり若干、この時期にしては、水量が多いように感じられた。一抹の不安はあったものの、砂防ダム行脚を本職としながら、日々、小売業の販売員もこなす兼業族としては、せっかくものにした空きスケジュールを無駄にすることはできないと、当地「天城越え」ではGOの決心をしたのであった。

安全装備に身をつつむ

川への入渓に際してであるが、防寒、防水、快適性をとると、やはりウエーダーに分があるように思え、一年中これを愛用している。そのほかの装備としてはヘルメット、レインスーツ、ライフジャケット、ウォーキングポール1本といった感じで“完成”となるため、そそくさとそれらを身に纏う。装備が整ったところでいよいよ今回の砂防ダム歩きがスタートする。
まずは「天城越え」の北端にある小さな沢への入渓となる。沢への降り方としては、「天城越え」より伊豆湯ヶ島-河津間の山のハイキングコースである「踊子歩道」に入り、すぐにある小さな橋を渡る。それから踊子歩道を行くと、まもなく沢へ下る、けもの道があるのでそちらへ外れる。なんのために出来た、けもの道なのかははっきりとしないのだが、おそらくは釣り人か河川関係の職員か「天城越え」に立ち寄ったモノ好き者の仕業か、それらが数度の往復で作り上げた、けもの道であるためあまりはっきりとしない。―道がわかりにくいなぁ―なんて思いながら進んでいると道はすっかり途絶えて・・・、

藪こぎ状態になってしまった。

のであるが、ここはまだまだ軽度なほう。地はしっかりとしており、木々は落葉樹の中低木中心の見通しが効くような状態であり、歩きにくくはない。藪こぎをしながら徐々に小さな沢に近づいていき、藪を抜けるとそこから2本低い堰堤をおりる。するとまもなく本流、本谷川が姿をあらわした。前日に降り続いた雨の影響が当初は心配であったが、渓流歩きには全く問題はないように見られひとまず安心する。今、降りてきた小さな沢から、完全に本谷川本流へ移り、まずは上流方向、下流方向と見わたす。
渓流を歩くための装備としてウエーダーを履いてきてはいるが、その役目というのはどちらかといえば水濡れ防止というわけで、水中歩行ではない。したがって、まずは、渓流を歩くにあたって川の右岸側を歩くのか左岸側を歩くのかを決めなければならない。これからの歩きをイメージし右岸側に決めたため、いきなりの

渡渉である。

中央に見えるのが本谷川。右下は小さな沢。
小さな沢との本谷川合流点から見た上流側

深さ的にも、流れの強さ的にもなるべく水圧のかからなそうな“瀬”をルートとして選び出し、1本のウォーキングポールで体を支えながら、川を横切る。無事に渡渉を済ませ、いよいよ川の上流方向への歩きが始まる。事前に仕入れた情報源、地理院地図によれば、本谷川入渓後まもなく川はS字カーブにさしかかり、そこを抜けると、数百メートル直線の後、砂防ダム直前でまたもS字カーブといった渓相である。前日、降り続いた雨の影響で、そのS字の2ヶ所の、もともと狭いところの増水となれば、歩行不能という事態も予想されたが、なんとか右岸、左岸と幾度にもわたるコースチェンジを繰り返しながら、とにかく歩いた。その甲斐あって

行程途中の上流側の様子。

スタート地点からおよそ2時間

こちらも行程途中のワサビ田

で、目的の砂防ダムにたどり着くことが出来た。これが、おそらく本谷第2砂防堰堤。側壁護岸、副堤を備えた堤高、目測にして15メートル程の不透過式砂防堰堤。歌をやってみたところ、幾分、水量が多めで、あまり心地よい響きは得られなかった。前日の雨の影響があってこのような状態になったのか、という点が悔やまれる。シューベルトの作品を数曲の後、写真撮影をし、帰路に足を向ける。ここまで来るときの道のりが約2時間だったので、またここから帰り道に2時間となるわけだが、ショートカットはいけない。また来た道を引き返す。これが最も安全であるという基本を守り、下流へ進む。行きの行程で見た幾つかのワサビ田を目印に、―あと、これくらいか―というイメージを持ちながら、ようやく入渓の小さな沢、藪こぎ、踊子歩道までの登りの後、「天城越え」に無事帰った。時計の針は午後1時を指していた。

砂防ダム本体。これだと水は多め。